葛城本紹介の第7回。これでおしまいです。初回に書いたのは、「葛城さんの博士論文が本になった。たくさん売れてほしいので、そこに書かせてもらった「ここから始めることができる」を小分けして、ゆっくりと掲載していく。」買ってくれたでしょうか。あるいは図書館・図書室にリクエストしてくださったでしょうか。これからでも、どうぞよろしく。
◆だいやまーく葛城 貞三 20190125
『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』,生活書院
■しかく何がわかりそうだと思えるか
■しかく「要旨」
■しかく「論文審査の結果の要旨」
■しかく分岐について/個人について
□しろいしかく初物は、ただ書かれればよいのだ、と言い続けようと思う。
「
■しかく初物は、ただ書かれればよいのだ、と言い続けようと思う。
論文として評価するということになると、「そこから何が言えたか」と問われる。もっとなことではあると思う。しかし、私は、「まず記されるべき(価値ある)ことがただ記されればそれでよい」、と言うことが(かなり)ある。すくなくとも最初の一回は、それは許されると思っている――二回目からは、何かを言わねばならないのだろう。「何か言えた」とされることのたいがいは、言い切ってしまえば、あまりたいしたことがない。そんなものをひねり出すために頭を悩ますよりは、まずきちんと調べあげて、書くだけ書いて、示す。本書はその仕事をしてくれている。
著者は、一九三九年生まれで、後期高齢者を含め高齢の人が多い勤め先の研究科の中でも、一番年上の大学院生だった。しかし、なぜそうなのか理由はわからないし、とくによいことだとも言わないが、年を取っていることを感じさせない人であってきた。ナップサックをしょっていて、笑顔とともに現われ、「僕は、」と語る、からということもその一部ではあっただろう。そうして、たしかにずいぶんの時間をかけてではあったが、博士論文が書かれ、本になった。その本の価値について私が思っていることを述べさせてもらった。これからも、「〈初物〉は、ただ書かれればよいのだ、まず書こう、その後のことは考えよう」、と言い続けようと思う。本書を読んで、そう言い続けてもよいと思った。」
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182583.htm
にもある。