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最終回 連載・153

立岩 真也 2019年01月01日 47-(2019-01):-

152 <
立岩真也:青土社との仕事/『現代思想』連載(2005〜)

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しかく青土社からの11冊 (注記)発行年順

だいやまーく立岩 真也 200010 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』,青土社,382p.
だいやまーく立岩 真也 200607 『希望について』,青土社,320p.
だいやまーく立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 200909 『税を直す』,青土社,350p.
だいやまーく立岩 真也・齊藤 拓 201004 『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』,青土社,348p.
だいやまーく立岩 真也・堀田 義太郎 201206 『差異と平等――障害とケア/有償と無償』,青土社,359p.
だいやまーく立岩 真也 201312 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,434p.
だいやまーく早川 一光・立岩 真也・西沢 いづみ 201509 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社,250p.
だいやまーく立岩 真也 201511 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社,433p.
だいやまーく立岩 真也・杉田 俊介 201701 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社,260p.
だいやまーく立岩 真也 201811 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社,481p.
だいやまーく立岩 真也 201812 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p.

しかく

だいやまーく早川 一光・立岩 真也・西沢 いづみ 2015年09月10日 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社,250p.
だいやまーく立岩 真也 200010 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』,青土社
だいやまーく―――― 200607 『希望について』,青土社
だいやまーく―――― 201312 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社
だいやまーく―――― 201511 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社,433p.
だいやまーく―――― 20181130 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社 文献表
だいやまーく―――― 20181215 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社 文献表
だいやまーく立岩 真也・堀田 義太郎 201206 『差異と平等――障害とケア/有償と無償』,青土社,359p.
だいやまーく立岩 真也・村上 潔 20111205 『家族性分業論前哨』,生活書院,360p.
だいやまーく立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 200909 『税を直す』,青土社,350p.
だいやまーく立岩 真也・齊藤 拓 201004 『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』,青土社,348p.
だいやまーく立岩 真也・杉田 俊介 201701 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社,260p.

しかく2018年の2冊

だいやまーく立岩 真也 2018年11月30日 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社 文献表
だいやまーく立岩 真也 2018年12月15日 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社 文献表

立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙 立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙
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だいやまーく『現代思想』連載(2005-2019)/だいやまーく立岩真也:青土社との仕事

しかくしかく全文

しかく一冊の正誤表のことを含む二冊について
昨年末『不如意の身体――病障害とある社会』([201511])、『病者障害者の戦後――生政治史点描』([201512])を出してもらった。前者、『不如意の身体』の初刷について校正時の訂正が多く反映されていないことがわかった。内容的にも比較的な大きな箇所がある。ここに記載しようかとも考えたが紙数の関係上できない。HPに掲載した。また青土社および私から正誤表の送付を行なう。今後発売される分については正誤表が挟まれる。
『不如意の身体』は、素朴な本だが、内外の関係ある本全般の中でもまともな本だと思う。身体にあってしまうことを巡って考えたり調べたりする上での基点を提供するものだと考えている。他方、『病者障害者の戦後』は、他と比較する/されるといった種類の書きものではなく、ある時・空間に起こったことを書いたものだが、しかし、どのように時空を捉え、ものを書いていくのかを考える人にとって役に立つものにはなったと思う。そして何より、こんな具合の現在の現実が成り立っているとわかるものになっていると思う。

しかく『現代思想』・一八九本
さて、この二冊で、青土社から累計十一冊の本を出してもらったことになる。そして二〇〇五年十月号からだから、十三年余り続いた「連載」が今回で終了となる。一度だったか本人都合で間をあかせたことはある。だがそれは他は続いていたという意味では、連載であった。そのたいへん長く、また話が変転していった妙な連載が終わる。そこで、その連載で、さらに本誌において、私がこれまで何を書いてきたのかを書いて最終回とする。また、この一五三回のうちの六十回余りは『現代思想』に書いてそのままになっている。どの部分からまとめられそうかも記す。
筆者自身が何を書いたかを覚えていないといったことがある。書いたもののリストを作っているので、忘れていたものを思い出したりできた。それでも、そんな私にしても、わりあいまじめに書いてきたと思う。多くは、そのまま消えていっても大過ないのではあるだろうが、そうでもないものもある。そう思うことにする。
この雑誌は、たいへん多くの臨時増刊を含め、真に恐ろしいペースで刊行されてきて、そこにはたいへんおびただしい数の文章が掲載されている。なかには本に収録されたものもあるが、もちろんそうでないものの方が多い。前から思ってきたことだが、青土社で電子媒体で供給するとよいと思う。面倒でコストの方がかかるかもしれないとは思い、小商いにもならないようにも思うが、ものによったら「バラ売り」するとよいのではないかとも思う。各号の特集については創刊号からこちらのHP(http://www.arsvi.com/)に掲載しており、ここ十数年の多くについては目次も記している。多くは青土社のHPに掲載されている情報をコピーしたものでしかないが、一年分が一つのページ(ファイル)になっているし、一部の著者たちについてはその人の頁にリンクさせているから、便利だと思う。
さて何を書いてきたか。誰からも頼まれていない連載をたくさん書いてきた。後でも出てくる「遠離・遭遇」([200003-200006])が四回、「生存の争い――医療の現代史のために」([200202-200310])が十四回、そしてこの連載――調べてみたら、これだけが最初から「連載」として始まっている――が一五三回だから、続き物の累計が一七一回分あることになる。他に特集のために書いたものがある。今回数えてみた。続きもの以外の原稿七、対談が六、インタビュー六、合わせると一八九になる。以下列挙する。私自身の書き物は著者名略、基本的に発行年月まで記載。

しかく対談・六+『相模原障害者殺傷事件』
『現代思想』に掲載された対談は六つ。
98年02月号の特集「身体障害者」での市野川容孝との対談「障害者運動から見えてくるもの」(立岩・市野川[199802])。
02年09月号の特集「知的所有権」での小倉利丸との対談「情報は誰のものか」(小倉・立岩[200209])
04年11月号の特集「生存の争い――医療・科学・社会」での小泉義之との対談「生存の争い」(小泉・立岩[200411])。これは松原洋子・小泉義之編『生命の臨界――争点としての生命』(松原・小泉編[200502])に再録されている。
06年12月号の特集「自立を強いられる社会」での白石嘉治との対談「自立のために」(立岩・白石[200612])
09年02月号の特集「ケアの未来――介護・労働・市場」での上野千鶴子との対談「労働としてのケア――介護保険の未来」(上野・立岩[200902])。これは上野の対談集『セクシュアリティをことばにする』(上野[201505])に再録されている。
10年06月号の特集「ベーシックインカム――要求者たち」での山森亮との対談「ベーシックインカムを要求する」(立岩・山森[201006])。
『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』(立岩・杉田[201701])に収録されている杉田俊介との対談「生の線引きを拒絶し、暴力に線を引く」(立岩・杉田[201701b])は本を作るに際して企画されたもので、『現代思想』に掲載されたものではない。その対談において(正確には杉田が加えた部分に対して私が加えた部分で)「世の光に」(糸賀一雄)、「争わない」(「重症児」の親の会)の標語を杉田が持ち出したこと対して、それらの言葉が位置づいてきた位置を考慮するべきだと私は述べているのだが、さらに今回の『病者障害者の戦後』で、なぜそうした細かなことを言っているのかを説明している([201811:204-207])。その程度の精度とこの程度の継続性は必要なのだと考えている。

しかくインタビュー・六→『わらじ医者の来た道』
インタビューが六つある。いずれも私が聞き手となったもの。結果として医師に対してのものが多い。
07年09月号の特集「社会の貧困/貧困の社会」での稲場雅紀(アフリカ日本協議会)へのインタビュー「アフリカの貧困と向き合う」(稲場/立岩[200709])。
08年02月号の特集「医療崩壊――生命をめぐるエコノミー 」での山田真(医師)へのインタビュー「「告発の流儀――医療と患者の間」(山田/立岩[200802])。稲場と山田へのインタビューは、その後長大な註を付した上で、売れてはいないが実はたいへんよい本である『流儀』(稲場・山田・立岩[200811])に収録された。
10年03月号の特集「医療現場への問い――医療・福祉の転換点で」での杉本健郎(医師)へのインタビュー「「医療的ケア」が繋ぐもの」(杉本/立岩[201003])。
14年05月号の特集「精神医療のリアル――DSM−5時代の精神の<病>」での大野萌子(全国「精神病」者集団)へのインタビュー「私の筋が通らない、それはやらないと」(大野/立岩・桐原・安原[201405])。
同じ号に収録された山本眞里(全国「精神病」者集団)へのインタビュー「「精神病」者集団、差別に抗する現代史」(山本/立岩[201405])。
14年09月号の特集「医者の世界――新しい医療との向き合い方」に収録された早川一光(医師)へのインタビュー「わらじ医者はわらじも脱ぎ捨て」(早川/立岩[201409])。
山田、稲場、山本については公開インタビューだった。当時のグローバルCOE「生存学創成拠点」(現在は「生存学研究センター」)の企画として行なわれた。大野・山本へのインタビューを含む書籍をつくることを考えていたが、事情あって宙に浮いている。他方、早川インタビューは青土社から提案してもらい『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』(早川・立岩・西沢[201509])となった。早川が『京都新聞』に寄稿した文章、早川へのインタビュー、私の14年09年号・10月号の連載103・104「早川一光インタビューの後で・1」「2」を用いた文章、早川の娘でもある西沢いづみの文章を収録した。その早川は二〇一八年六月に亡くなった。その年の十二月に「医師早川一光を語る会――西陣の医療から総合人間学へ」があって、私も話をすることがあった([201812b])。

しかく最初の原稿〜『弱くある自由へ』
『現代思想』に最初に載せてもらったのは、?@「身体の私的所有について」([199311])だった(93年11月号、特集は「病院都市」)。依頼の枚数が(四〇〇字詰)三〇枚で、それに合わせて書いた。『私的所有論』([199709])の原型のようなものだが、長い話を短い文章に詰め込んで書いたから、わけがわからないということもあったかもしれない。反応のようなものはなかった。
その次に書いたのは、『私的所有論』([199709])が出版された後、翌年の一九九八年のことになる。「自己決定」を特集した98年07号に?A「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」([199807])、「遺伝子操作」を特集した09月号に?B「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」([199809])。そして、「介護――福祉国家のゆくえ」を特集した?C00年03月号から四回「遠離・遭遇――介助について・1〜4」([200003-06])。?Cは介助(介護)について私が書いた最も長くまとまった文章。?B?Cの価値は依然としてある、と思う。そして市野川容孝との対談「障害者運動から見えてくるもの」(立岩・市野川[199802])。これらを集めて、また他の雑誌に書いたものを含め、『弱くある自由へ』([200010])になった。これが青土社からでた最初の単行本になった。
?Cが、連載の依頼などされていないのに、一度で終わらず何回も書かせてもらうことになった最初になる。それは他の媒体でも起こったことで、『自由の平等』([200401])になった『思想』掲載の「自由の平等」は結局六回になり([200103-200303])、『そよ風のように街に出よう』に書いた「もらったものについて」([200711-201709])は十七回続いた、等。

しかく幾つかの原稿+『希望について』『ALS』
青土社からの二冊めは『希望について』だった([200607])。いま気づいたのだが、これには『現代思想』に書いたものは一つも入っていない。社会のさまざまについてどう考えられるか、意図してごく短い文章も含めて収録した。
この本に収録された文章とは別に、二〇〇〇年から二〇〇六年にかけて『現代思想』にかなり書かせてもらっている。?D02年02月号(特集は「先端医療――資源化する人体」)から全十四回「生存の争い――医療の現代史のために」([200202-200310])。この十四回のうちの第一・二・九回はそのままになっているのだが、残りの十一回がALS(筋萎縮性側索硬化症)の人たちの話になって、そしてそれにだいぶ、とてもたくさん書き足したものではあるが、『ALS』([200411b])は医学書院から出版された。編集者の白石正明さんから、何年も前から本を出すように言われていたのだった。そして、この時の連載を担当してくれていたのが現在みすず書房にいる鈴木英果さんだった。その鈴木さんに言われて、代わりに?こんどは鈴木さんのところから出すようと言われ、鈴木さんがみすず書房に移られたので、その雑誌『みすず』で連載「身体の現代 1〜19」([200807-201005])を書いた。それもだいぶ書き足し、一部は使うのをやめ、結局、『自閉症連続体の時代』([201408])になった。
03年11月号の特集「争点としての生命」に?E「現代史へ――勧誘のための試論」([200311])を書いた。これはテキストで九〇キロバイトとかなり長い文章だった。こういう「総論」的な文章を、同時期、幾つか書いた。あるいは書きかけた。「生存の争い」の最初もそんな気持ちがあった。「医療・技術の現代史のために」([200312])にもそうした意図があった。これらを合わせて、一つにまとめようと幾度か試みたが、途中で別の仕事に移ってしまって結局本にはなっていない。今回の『病者障害者の戦後』の第1章「生の現代のために」、第2章「一つの構図」は、「生の現代のために・1」等の一部だけを使った。長くなってしまうと、今回の本の本題に着くまでに随分の紙数を使ってしまう、厚い本がもっと厚くなってしまうということもあった。こうした総覧的な文章と、資料を集め「アーカイブ」することについての文章とを合わせ、一つの本だいやまーく?Tにすることを考えている。

しかくこの連載の最初→『家族性分業論前哨』
そして二〇〇五年、今から思うと、ということだが、長い連載が始まった。そしてそれは当初――そして雑誌紙面においては最後まで――たしかに「家族・性・市場」という題のものだった。05年10月号から06年11月号まで、第01〜14回、「家族・性・市場 1」「労働を買う側は利益を得ていない」「続」「経済という語で何を指しているのか」「専業主婦体制・1」「2」「3」「4」「「不払い労働」について・1」「撤退そして基本所得という案」「労働の義務について・再度」「「不払い労働」について・2」「3」、と始まり、しばらく続いた。
最初の回が載った号の特集は「宇宙論との対話」で、私の文章と関係はなく、それは「新連載」として始まっている。その事情については記憶にないのだが、前の09月号の特集が「女はどこにいるのか」で、それに(そこには出てこない話を書かねばならないのでないか、と思ったという意味合いで)触発されたのかもしれない。そう思うと、たしかにそんな話をしたような気がする。そしてすこし思い違いをしていたようなのだが、書こうと思っていたことの粗筋・要約にあたる部分は『思想』掲載の「家族・性・資本――素描」([200311b])に既に書いていた。もっともなことを書いてはいると思ったのだが、いささかも反応がなかった。そんなこともあって、詳しく、具体的に書こうという思いがあった。ただしばらく書いてはみたが、新たに文献を集めたり調べたりすることもできないようだった。
代わりに、こちらの主題の方は、二〇一二年に上野千鶴子が私の職場の五年任期の特別招聘教授ということになったのに際し、それは立場の違いがあったうえでのことであることを示さねばならないとも思い、招聘に際しての企画の日に間に合うように、右記した「素描」を含め、一九九〇年代にじつはいくつも書いた原稿を集め、そして村上潔にブックガイドを書いてもらって、共著『家族性分業論前哨』(立岩・村上[201112])を生活書院から出してもらった★01。この本も読まれていないのだが、やはりまともな本であると私は考えている。そして『現代思想』のこの部分の連載を続けて、まとめたいという思いはあるが,そのためにものを読むといったことは難しく、優先順位は高くない。

しかく本になっていない部分・労働
以後、最初書き出したところから離れてしまい、書きたいことを書かせてもらってきた。ときには特集に合わせて連載の中身を書くといったこともあって、対談、インタビューは別として、特集に対応した個別の原稿は少なくなっていった。以下の三本のようだ。
10年07月号、特集「免疫の意味論――多田富雄の仕事」に?G「留保し引き継ぐ――多田富雄の二〇〇六年から」([201007])。この原稿も長い。『不如意の身体』に再録したのはこの長い文章ではなく、多田の著作集の解説として書いた[201709]という短いものにした。そのうち長いものの方を出すことがあるかもしれない。なぜこうしたものを書くのかは後述する。
あとの二本は、?H「七・二六殺傷事件後に」([201609])、?I「七・二六殺傷事件後に 2」([201610])。連載の一回とした文章も含め、さきにあげた杉田との対談を含め、また杉田の文章と合わせ、『相模原障害者殺傷事件』となった。
さきの家族・性分業...という系列の原稿がいったん止まってどうなったか。気持ちとしては、止めるというよりは、その前のところから考えていって、やがて戻ってこようということでもあったと思う。つまり、労働・生産について考えておこうということになった。
06年12月号・第15回から07年12月号・第22回、「ワークフェア、自立支援・1」「2」「3」「労働を得る必要と方法について」「技術について」「人の数について」「人の数と生産の嵩について」「生産・消費について」。当時、勤め先の大学院生・小林勇人がワークフェアについて研究していたこともあった。後に何冊か出る本のように共著で本を出すという気持ちもあったが、結局その時には実現しなかった。
ただ、まだこれからでも、書きようはあるのだろうと思う。格差が拡大していくことの由縁を記すことはできるだろう。その上で、複数の手立てを考える、その一部に生産・生産財・労働の場の編成を考えることがあるだろう。また、外国人労働者や移民について、いくつか基本的なことを言えるだろう。だいやまーく?U労働・生産が足り十分に豊かであることと、多くの人が困難な状況に置かれることは矛盾しない。矛盾しないとともに、第一の把握が妥当であれば、その困難を解消・軽減することも可能であること、働きたい人が働き、そうでもない人はあまりは働かないようにすることができると言える。このわかり易い話を幾度も言ってきたが、これもなかなかうまく通じない。どういう工夫したらよいのかわかりかねるのだが、厚くない作りのものにして、一冊にすることになるかと思う。

(注記) まずはここまでリンクをつけました。

しかく「有限でもあるから控えることについて」→『唯の生』
連載第29〜35回(08年01月号〜07月号)の全七回「有限でもあるから控えることについて」は、人・資源・社会の有限性を巡ってあってきたことをおおむね一九八〇年代からのしばらくについて、高齢者に関わる福祉と医療に関わる場面を――それは税の累進性が徐々に弱められていった時期でもある――すこし調べて書いた。一方で、理屈を言うべきであり、言えばよいと思っているとともに、その理屈を信じてしまうその時代について記しておく必要もあると考えた。それは直接には前年に筑摩書房から出版された『良い死』([200809])の第3章「犠牲と不足について」を受けたものでもあった。七回の連載は、手を入れた後、『唯の生』([200903])の第3章「有限でもあるから控えることについて」になった。他に『唯の生』に収録された本誌掲載の文章としては、04年11月号の特集「生存の争い――医療・科学・社会」――この号には他にさきにあげた小泉義之との対談(小泉・立岩[200411])も掲載されている――に収録された?F「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」([200411])がある。
この時に、青土社の媒体に載せてもらったかなりの分量の連載を別の出版社(その時は筑摩書房)で出すといった場合には、話をし、話を通しておくことが必要であると思っていたか、何も考えていなかったか、覚えていない。おそらく自分ではとくに問題に気づかないまま出てしまったのだろうと思う。それで青土社から叱られた。当時編集長だった池上善彦さん(著書に池上[201001])と話をし、おわびした。その時に青土社から十冊出しますと言った。私の本をたくさん出すことが青土社にとって益のあることとは考えられないし、私もそのように思っていたわけではない。ただ、それはそれで本気の話ではあり、こんなことがあってもなくてもそれぐらい書くことがあることは確実だとは思っていた。そして、このたび二冊が加わって(また池上さんと話をしていた時に既に二冊は出ていたのだが)、十一冊になったということだ。
こんな具合にも理屈と歴史とは絡んでいる。理屈の本を書き、歴史の本を書くことは同時に必要なことであると思ってきた。それで今度の『不如意の身体』と『病者障害者の戦後』もある。この時には、政策・理論よりの院生が一定いたと述べたが、他方に、当時同じ職場に天田城介がいて、その指導のもとで「老い研究会」が――それもまたCOE生存学創成拠点の研究の一環として――活動を始めていたということもあった。財政赤字はたしかに増えてきた。しかしそれは財政の運営のせいでなく、「少子高齢化」のせいだとされる。その両面を見て、事実と理屈を確かめる必要がある。
例えば、『相模原...』でも述べたことだが、どうやら事件の容疑者は、まじめに、そして今でも、人を殺すほど社会の危機を信じている。私は、本来は、まったく危機でないと考えている。そのことを長くまた短く書こうと思う。短いものしか人は読まないから短いものにしよう。それがだいやまーく?Uになる。

しかく『税を直す』『ベーシックインカム』
こうして、連載は性分業といった主題系から労働の方に移っていきながら、その部分はまとまらないまま、話は分配論の方に移っていった。もちろん、労働(政策)だけで対応できない/すべきでない部分のすくなくともある部分については所得政策が対応すべきだということになり、そのための財源として税の話をするべきだということにもなり、話はつながっている。『私的所有論』はごく基本的な話をしており、『自由の平等』はその次の仕事だが、やはりまだ基本的・前提的な話であって、具体的な社会空間においてどうするかという議論はもちろん必要だった。さらに、その時期、私が勤めている大学院の院生たちには政治哲学、厚生経済学、社会保障論...といった領域で研究する人たちがわりあいたくさんいたという事情もある――こういう人たちはこのごろは少なくなって、寂しい思いをしている。
そこで、書いた。また、その時期はいっとき政権交代があった時期でもあった。とくに『税を直す』を書いていた時、書くために税制について出版された一〇〇冊余の読んでいった時、そこでの議論の水準をみると、素人でも外部から介入した方がよいことがわかり、人々の有限性への心配がどのように醸成され持続していったのかを確認しておくこと、知らせること、そのうえで懸念にさしたる根拠がないことを言って行く必要は、やりはあると思った。
第38(08年11月号)〜44回(09年07月号)が「税制について 1〜8」で、それに村上慎司が税率と税収入について試算した章と、橋口昌治が貧困・格差について出版された本を紹介した章を加え、『税を直す』(立岩・村上・橋口[200909])とした。
また第47(09年10月号)〜52回(10年03月号)の「資産としての職」「ベーシックインカムという案について」「ベーシックインカム・2」「3:「非優越的多様性」」「差異とのつきあい方」等と、この主題を主題的に研究してきた齊藤拓の章と合わせて『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』(立岩・齊藤[201004])とした。
堀田義太郎との共著『差異と平等――障害とケア/有償と無償』(立岩・堀田[201206])のある部分はこれら二冊より早くに書かれた。第25(07年10月号)〜27回(07年12月号)が「無償/有償」「続」「働いて得ること」、第36回(08年09月号)が「無償/有償・結」。さきの二冊になった連載を挟んで、第74(12年01月号)〜77回(12月05月号)が「どれだけをについてのまとめ・1」〜「4」。この本にはまず、連載の始まり当時に考えていたことも関係して「ケア」労働の有償/無償について書いた部分がある。堀田が無償を主張し私がそうでない立場で議論している。そして、有償でよいとしてどれだけが社会的に給付されるべきであるかについて論じている。ここもまた、ほぼまったく読まれていない部分だと思う。「人は弱くてもよい」だとか、「緩い自己決定でよい」だとか、「他者」がどうだとか、そういう情緒的な話もあったよいのだろうとは思う。しかし私は、例えば金勘定の仕方を考えることが必要だと思い、考えてきたつもりだ。そしてもう一つ加えるなら、『ベーシックインカム』と『差異の平等』と二冊あり、たしかにそこでは所得保障と社会サービスの話が分けて書かれている。しかしその両方で積極的に主張しているのは本来は二つは分かれているものではないということだ。そしてこのこともまた理解されていないように思う。だから、今度の『不如意の身体』でも正義の領域とケア(倫理)の領域とを分けて論ずるのがおかしいと繰り返している([201810:165ff.])。

しかく『造反有理』『精神病院体制の終わり』
こうして『差異と平等』は人の差異にどう対応するかという問いを考えている。そして社会的対応が「過少」であるとはずっと言われてきたことだが、その後「過剰」という把握が現われる。「生権力」がどうとかいう話である。それをどう考えるか。第56回(10年07月号)が「過剰/過少・1」。同じ号に先にあげた「留保し引き継ぐ――多田富雄の二〇〇六年から」([201007])。多田のことを書くのに合わせて、連載の方の題を決めたということもあった。つまり、過剰を迷惑がる消費の側と過剰に供給したがる供給者という図式があるのだが、前者の多田富雄と後者の上田敏は逆の主張をした。このことをどう考えるか。そういうことが考えられるべき主題としてあると私は考える。そうして考えていくと話はたしかにいくらか複雑にはなる。しかしその程度のこともしないなら、言論にどんな意味があるだろうと私は思ってきたし思っている。
この時代は、ものわかりのよい業界の首領たちが「自立生活」だの「社会モデル」だのに理解を示す時代でもある。そのことを考えるためには、そのモデルをどう考えるかを考えるべきだろう。第57〜59回(10年08月〜10月号)が「「社会モデル」・序」「1」「2」。これは今度の『不如意の身体』の第2章に組み込んだ。そして、第60〜61回(10年11月〜12月号)が「社会派の行き先・1」「2」。ものわかりよく(よさげに)「社会」を語る人たちのこと、「全人的復権」などと言う上田敏らについてを書こうと思って少し書いたが、積極的な関心というものはなかったから、続かなかった。連載は、そういう流れとは別に、時に敵対して、「社会」を言い、「改革」を言い、「造反」を言った人たち、具体的には精神科医たちの動きの記述になっていった。第62〜73回(11年01〜12月号)が「社会派の行き先・3〜14」。それは『造反有理』(201312)になった。
そしてさらに続きがあって、第96回(13年12月号)「『造反有利』はでたが、病院化の謎は残る」、二回あけて、第99回(14年05月号)〜第111回(15年05月号)「精神医療現代史へ・追記2」〜「13」「追記・終」と書かれた。それが『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』([201511])となった。
その二冊で何を書いたかはここには書かないが、望まれていないものがなぜ存続するのかについては書いた。「精神病院体制」は終わっていない。それが存続する要因はいくつか考えられる。その上で、実際にはどうであったかは、その社会・時代に即して見ていくことになる。多田富雄について書いた文章の長い方、そして『不如意の身体』の第3章で再度調べることを呼びかけた脳性まひの治療やリハビリテーションについての出来事、そのなかのいくつかを、とくに後者については調べてくれる人がいればその人(たち)にお願いしてまとめられたら、だいやまーく本?Vにする。

しかく人間・社会の夢想のこと
もう一かたまり、ためらいながら書いてそのままになっている部分がある。12年05月号〜13年03月号、第78〜87回に「制度と人間のこと・1〜9」。それは『差異と平等』のあとに書いた部分で、書いたのではあるがどうしたものかと思ってそのままになっている。『差異と平等』での堀田が述べているのは「制度主義」の批判とも捉えられる。かつて「人間の変化」、「国家の死滅」を期待する思想があった。そのような夢想をどう捉えるか。それは、今あげた一連の原稿の前、07年08月号・09月号の第23・24回、「夢想を回顧すること」「人々の意識の位置」で書きかけたことでもあった。ただそれはそのままになり、『税を直す』『ベーシックインカム』『差異と平等』、そして『造反有理』『精神病院体制の終わり』がさきに本になっていった。
ある時期まであって、その後すっかりなくなったように見えるものがある。私たちはその終わりあたりにいた。あまり本気にはなれなかったが、その後の何も知らないという人たちでもなかった。一方で、ただ肯定的に回顧する気になれるといったものではない。だが他方で、その後の社会の語られ方がそうおもしろいとも思わない。そういう位置にいる人が、いくらかをまとめておく意義はあるとは思う。ただ、そんなものが読まれるのかと思う。それでそのままになった。それでも、受け取り使える部分はあると思う。1〜9の続きもの7と8の間に13年01月号・第85回「素朴唯物論を支持する」を置いた。そこに書いたことはさきにだいやまーく本?Uに書こうと述べたことと同じである。使えるところはしかじか残っている、いまどきの辛気臭い話よりずいぶんましであるという話であれば、加えて、こんな妙なことを私たちは考えてきたということであれば、読む気にもなるかもしれない。まとめられたらと思う★02。
加えると、「制度と人間のこと・9」では「再分配と承認のジレンマ」という論について検討している。私はその論があまりよい論であると思っていないのだが、そのことの途中までを述べてそのままになった。ただこのところも二人ほど、この話を持ち出す人がいた。一人は韓国の学生で、こういう話がそこそこに広く知られていることを思った。最後まで書いた方がよいかもしれない。

しかくこれから
これまで青土社・『現代思想』で書いたことを辿った。私は書きたいことにはまったく困っていないのだが、それは書けることとは異なる。連載という場が与えられたことによって書くことができた部分は確実にあるだろう。有り難いことだと思う。これからもきっと、いつのまにか長くなってしまうものを書くことがあるだろうが、それはその時ということにしよう。ずいぶん前にいくつか依頼をいただいたが、毎月の長い話にかかって、そのままにしてしまい、一つも実現しなかった短い話を書くこと、具体的には新書ぐらいの分量のものを書くこともしようと思う。短くまとめることは可能であり、必要でもあろうから、それは行なう。それとともに今度の二冊のような長いものも必要だから、書く。短いものを読むことによって長いものを読みたくなる、というのは都合のよい望みではあるが、そんな淡い願いを胸に抱いて、両方を書いていこうと思う。

しかく
★01 なにかの企画に合わせて本を、なにかの「けじめ」に本を、ということはこれまで幾度かあった。有馬斉との共著『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(立岩・有馬[201210])は、私が大会長ということであった日本生命倫理学会の大会に合わせて、この程度のことは知っておいてもらいたいと思って、作った。たいがい「あて」は外れてしまうのではあるが。もう一つ有馬とのこの本は、他の数冊と同様、この年度まで続いたCOEでそこに関わる「若手」と共著で「成果」を作っていくというものの一冊でもあった。そうした本をしばらく出していないが、機会があれば作っていこうと思う。
★02 「でも、社会学をしている」([201804])の目次は以下。
1「それでも社会学をしていると思う1」、2「そう思う2――社会の分かれ目について」、3「社会的、はパスした」、4「もっとよくできた話も結局パスした」、5「代わりに」、6「ポスト、もパスした」、7「戻って、素朴唯物論は使えるかもしれない」。

しかく文献表
早川 一光/立岩 真也 201409 「わらじ医者はわらじも脱ぎ捨て――「民主的医療」現代史」(インタビュー),『現代思想』41-13(2014-9)→早川・立岩・西沢[201509]
早川 一光・立岩 真也・西沢 いづみ 201509 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社,250p.
池上 善彦 201001 『現代思想の20年』,以文社,360p.
稲場 雅紀・立岩 真也 20009 「アフリカの貧困と向き合う」(インタビュー),『現代思想』35-11(2007-9):131-155→稲場・山田・立岩[200811]
稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 200811 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』, 生活書院,272p.
今田 高俊 編 200312 『産業化と環境共生』(講座・社会変動 2),ミネルヴァ書房,336p.
小泉 義之・立岩 真也 200411 「生存の争い」(対談),『現代思想』32-14(2004-11):36-56→松原・小泉編[200502:255-298]
松原 洋子・小泉 義之 編 200502 『生命の臨界――争点としての生命』,人文書院,306p.
大野 萌子/立岩 真也・桐原 尚之・安原 壮一 201405 「私の筋が通らない、それはやらないと」(インタビュー),『現代思想』42-8(2014-5)
小倉 利丸・立岩 真也 200209 「情報は誰のものか」(対談),『現代思想』30-11(2002-9):66-79
杉本 健郎/立岩 真也 201003 「「医療的ケア」が繋ぐもの」(インタビュー),『現代思想』38-3(2010-3):52-81
多田 富雄 201709 『人間の復権――リハビリと医療』,藤原書店,多田富雄コレクション3,320p.
立岩 真也 199311 「身体の私的所有について」,『現代思想』21-12:263-271
―――― 199709 『私的所有論』,勁草書房,511p.
―――― 199807 「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」,『現代思想』26-7(1998-7):57-75(特集:自己決定)→立岩[200010:13-49]
―――― 199809 「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」,『現代思想』26-9(1998-9):184-197(特集:遺伝子操作)→立岩[200010:197-220]
―――― 200003-200006 「遠離・遭遇――介助について 1〜4」,『現代思想』28-4(2000-3):155-179(特集:介護――福祉国家のゆくえ),28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[200010]
―――― 200010 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』,青土社,382p.
―――― 200103-200303 「自由の平等 1〜6」,『思想』922(2001-3):54-82,924(2001-5):108-134,927(2001-8):98-125,931(2001-11):101-127,946(2003-2):95-122,947(2003-3):243-249
―――― 200202-200310 「生存の争い――医療の現代史のために 1〜14」,『現代思想』30-2(2002-2):150-170〜31-12(2003-10):26-42
―――― 200311 「現代史へ――勧誘のための試論」,『現代思想』31-13(2003-11):44-75
―――― 200311b 「家族・性・資本――素描」,『思想』955(2003-11):196-215
―――― 200312 「医療・技術の現代史のために」,今田編[2003:258-287]
―――― 200401 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店,390p.
―――― 200411 「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」,『現代思想』32-14(2004-11):85-97→立岩[200903]
―――― 200411b 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p.
―――― 200510-201901 「連載(連載:家族・性・市場) 1〜153」,『現代思想』33-11(2005-10):8-19〜47-1(2019-1)
―――― 200607 『希望について』,青土社,320p.
―――― 200711-201709 「もらったものについて・1〜17」、『そよ風のように街に出よう』75:32-36〜91:60-67
―――― 200807-201005 「身体の現代 1〜19」,『みすず』2008-7〜2010-5→立岩[201408]
―――― 200711-201709 「もらったものについて・1〜17」、『そよ風のように街に出よう』75:32-36〜91:60-67
―――― 200809 『良い死』,筑摩書房,374p.
―――― 200903 『唯の生』,筑摩書房,424p.
―――― 201007 「留保し引き継ぐ――多田富雄の二〇〇六年から」,『現代思想』38-9(2010-7):196-212
―――― 201312 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,434p.
―――― 201408 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p.
―――― 201511 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社,433p.
―――― 201609 「七・二六殺傷事件後に」,『現代思想』44-17(2016-09):196-213→立岩・杉田[201701]
―――― 201610 「七・二六殺傷事件後に 2」,『現代思想』44-19(2016-10):133-157→立岩・杉田[201701]
―――― 201709 「解説 リハビリテーション専門家批判を継ぐ」,多田[201709:269-287]→立岩[201811:404-418]
―――― 201811 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社,481p.
―――― 201812 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p.
立岩 真也・有馬 斉 201210 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p.
立岩 真也・堀田 義太郎 201206 『差異と平等――障害とケア/有償と無償』,青土社,359p.
立岩 真也・市野 川容孝 199802 「障害者運動から見えてくるもの」(との対談),『現代思想』26-2(1998-2):258-285→立岩[200010]
立岩 真也・村上 潔 201112 『家族性分業論前哨』,生活書院,360p.
立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 200909 『税を直す』,青土社,350p.
立岩 真也・齊藤 拓 201004 『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』,青土社,348p.
立岩 真也・白石 嘉治 200612 「自立のために」(対談),『現代思想』34-14(2006-12):34-57
立岩 真也・杉田 俊介 201701 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社,260p.
―――― 201701b 「生の線引きを拒絶し、暴力に線を引く」(対談),立岩・杉田[201701b:177-238]
立岩 真也・山森 亮 201006 「ベーシックインカムを要求する」(対談),『現代思想』38-8(2010-6):70-94
上野 千鶴子 201505 『セクシュアリティをことばにする――上野千鶴子対談集』,青土社
上野 千鶴子・立岩 真也 200902 「労働としてのケア」(対談),『現代思想』37-2(2008-2):38-77→2015 「ケアの値段はなぜ安いか」(改題),上野[201505]
若林 幹夫・立岩 真也・佐藤 俊樹 編 201804 『社会が現れるとき』,東京大学出版会,384p.
山田 真/立岩 真也 200802 「告発の流儀――医療と患者の間」(インタビュー),『現代思想』36-2(2008-2):120-142→稲場・山田・立岩[200811]
山本 眞里/立岩 真也 201405 「「精神病」者集団、差別に抗する現代史」(インタビュー),『現代思想』42-8(2014-5)

しかく文献表

だいやまーく早川 一光/立岩 真也 201409 「わらじ医者はわらじも脱ぎ捨て――「民主的医療」現代史」(インタビュー),『現代思想』41-13(2014-9)早川・立岩・西沢[201509]
だいやまーく早川 一光・立岩 真也・西沢 いづみ 201509 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社,250p.
だいやまーく池上 善彦 201001 『現代思想の20年』,以文社,360p.
だいやまーく稲場 雅紀・立岩 真也 20009 「アフリカの貧困と向き合う」(インタビュー),『現代思想』35-11(2007-9):131-155
だいやまーく稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 200811 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』, 生活書院,272p.
だいやまーく今田 高俊 編 200312 『産業化と環境共生』(講座・社会変動 2),ミネルヴァ書房,336p.
だいやまーく小泉 義之・立岩 真也 200411 「生存の争い」(対談),『現代思想』32-14(2004-11):36-56→松原・小泉編[2005:255-298]
だいやまーく松原 洋子・小泉 義之 編 200502 『生命の臨界――争点としての生命』,人文書院,306p.
だいやまーく大野 萌子/立岩 真也・桐原 尚之・安原 壮一 201405 「私の筋が通らない、それはやらないと」(インタビュー),『現代思想』42-8(2014-5)
だいやまーく小倉 利丸・立岩 真也 200209 「情報は誰のものか」(対談),『現代思想』30-11(2002-9):66-79
だいやまーく杉本 健郎/立岩 真也 201003 「「医療的ケア」が繋ぐもの」(インタビュー),『現代思想』38-3(2010-3):52-81
だいやまーく多田 富雄『人間の復権――リハビリと医療』,藤原書店,多田富雄コレクション3
だいやまーく立岩 真也 199311 「身体の私的所有について」,『現代思想』21-12:263-271
だいやまーく―――― 199709 『私的所有論』,勁草書房
だいやまーく―――― 199807 「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」,『現代思想』26-7(1998-7):57-75(特集:自己決定)→[200010:13-49]
だいやまーく―――― 199809 「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」,『現代思想』26-9(1998-9):184-197(特集:遺伝子操作)→[200010:197-220]
だいやまーく―――― 200003-200006 「遠離・遭遇――介助について 1〜4」,『現代思想』28-4(2000-3):155-179(特集:介護――福祉国家のゆくえ),28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→[200010:]
だいやまーく―――― 200010 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』,青土社,382p.
だいやまーく―――― 200103-200303 「自由の平等 1〜6」,『思想』922(2001-3):54-82,924(2001-5):108-134,927(2001-8):98-125,931(2001-11):101-127,946(2003-2):95-122,947(2003-3):243-249
だいやまーく―――― 200202-200310 「生存の争い――医療の現代史のために 1〜14」,『現代思想』30-2(2002-2):150-170〜31-12(2003-10):26-42
だいやまーく―――― 200311 「現代史へ――勧誘のための試論」,『現代思想』31-13(2003-11):44-75
だいやまーく―――― 200311b 「家族・性・資本――素描」,『思想』955(2003-11):196-215
だいやまーく―――― 200312 「医療・技術の現代史のために」,今田編[2003:258-287]
だいやまーく―――― 200401 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店,390p.
だいやまーく―――― 200411 「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」,『現代思想』32-14(2004-11):85-97→[200903]
だいやまーく―――― 200411b 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p.
だいやまーく―――― 200510-201901 「連載(連載:家族・性・市場) 1〜153」,」『現代思想』33-11(2005-10):8-19〜47-1(2019-1)
だいやまーく―――― 200607 『希望について』,青土社,320p.
だいやまーく―――― 200711-201709 「もらったものについて・1〜17」、『そよ風のように街に出よう』75:32-36〜91:60-67
だいやまーく―――― 200807-201005 「身体の現代 1〜19」,『みすず』2008-7〜2010-5→立岩[201408]
だいやまーく―――― 200711-201709 「もらったものについて・1〜17」、『そよ風のように街に出よう』75:32-36〜91:60-67
だいやまーく―――― 200809 『良い死』,筑摩書房,374p.
だいやまーく―――― 200903 『唯の生』,筑摩書房,424p.
だいやまーく―――― 201007 「留保し引き継ぐ――多田富雄の二〇〇六年から」,『現代思想』38-9(2010-7):196-212
だいやまーく―――― 201312 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,434p.
だいやまーく―――― 201408 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p.
だいやまーく―――― 201511 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社,433p.
だいやまーく―――― 201609 「七・二六殺傷事件後に」,『現代思想』44-17(2016-09):196-213
だいやまーく―――― 201610 「七・二六殺傷事件後に 2」,『現代思想』44-19(2016-10):133-157
だいやまーく―――― 201709 「解説 リハビリテーション専門家批判を継ぐ」,多田[201709:269-287]→立岩[201811:404-418]
だいやまーく―――― 201811 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社,481p.
だいやまーく―――― 201812 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p.
だいやまーく立岩 真也・有馬 斉 201210 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』生活書院,241p.
だいやまーく立岩 真也・堀田 義太郎 201206 『差異と平等――障害とケア/有償と無償』,青土社,359p.
だいやまーく立岩 真也・市野 川容孝 199802 「障害者運動から見えてくるもの」(との対談),『現代思想』26-2(1998-2):258-285→[200010]
だいやまーく立岩 真也・村上 潔 201112 『家族性分業論前哨』、生活書院,360p.
だいやまーく立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 200909 『税を直す』,青土社,350p.
だいやまーく立岩 真也・齊藤 拓 201004 『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』,青土社,348p.
だいやまーく立岩 真也・白石 嘉治 200612 「自立のために」(対談),『現代思想』34-14(2006-12):34-57
だいやまーく立岩 真也・杉田 俊介 201701 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社,260p.
だいやまーく―――― 201701b 「生の線引きを拒絶し、暴力に線を引く」(対談),立岩・杉田[201701b:177-238]
だいやまーく立岩 真也・山森 亮 201006 「ベーシックインカムを要求する」(対談),『現代思想』38-8(2010-6):70-94
だいやまーく上野 千鶴子 201505 『セクシュアリティをことばにする――上野千鶴子対談集』,青土社
だいやまーく上野 千鶴子・立岩 真也 200902 「労働としてのケア」(対談),『現代思想』37-2(2008-2):38-77,→2015 「ケアの値段はなぜ安いか」(解題),上野[201505]
だいやまーく若林 幹夫・立岩 真也・佐藤 俊樹 編 201804 『社会が現れるとき』,東京大学出版会,384p.
だいやまーく山田 真/立岩 真也 200802 「告発の流儀――医療と患者の間」(インタビュー),『現代思想』36-2(2008-2):120-142
だいやまーく山本 眞里/立岩 真也 201405 「「精神病」者集団、差別に抗する現代史」(インタビュー),『現代思想』42-8(2014-5)

しかく

「連載29〜35(二〇〇八年1月号〜七月号)の全七回「有限でもあるから控えることについて」は、手を入れた後、『唯の生』([200903])の第3章「有限でもあるから控えることについて」になった。この時に、青土社に載せてもらった原稿を別の出版社(その時は筑摩書房)で出すといった場合には、話をし、話を通しておくことが必要であると思っていたか、何も考えていなかったか、覚えていない。おそらく自分ではとくに問題を感じないまま出てしまったのだろうと思う。それで青土社から叱られた。当時編集長だった池上さんと話をし、おわびした。その時に青土社から十冊出しますからと言った。私の本をたくさん出すことが青土社にとって益のあることとも考えられない。ただ、それはそれで本気の話ではあり、こんなことがあってもなくてもそれぐらい書くことはあることは確実だとは思っていた。そして、このたび二冊が加わって、十冊、数えたらもう一冊多くて、十一冊になった。」

しろいしかく 資料

*1「有限でもあるから控えることについて――連載 29」
『現代思想』36-2(2008-2):48-60
*1有限でもあるから控えることについて・2――連載 30
2008年03月01日 『現代思想』36-3(2008-3):20-31
*1有限でもあるから控えることについて・3――連載 31
2008年04月01日 『現代思想』36-4(2008-4):32-44
*1有限でもあるから控えることについて・4――連載 32
2008年05月01日 『現代思想』36-5(2008-5):14-25
*1有限でもあるから控えることについて・5――連載 33
2008年05月01日 『現代思想』36-7(2008-6):14-25
*1有限でもあるから控えることについて・6――連載 34
2008年07月01日 『現代思想』36-8(2008-7):38-49
*1有限でもあるから控えることについて・7――連載 35
2008年08月01日 『現代思想』36-10(2008-8):8-21


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立岩真也:青土社との仕事病者障害者運動史研究立岩 真也Shin'ya Tateiwa
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