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この本はまず実用的な本で、そして正統な社会科学の本だ・6

「身体の現代」計画補足・546

立岩 真也 2018/11/
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2210934392506869

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カバー写真
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しかく仲尾 謙二 20180930 『自動車 カーシェアリングと自動運転という未来――脱自動車保有・脱運転免許のシステムへ』,生活書院,300p. ISBN-10: 4865000860 ISBN-13: 978-4865000863 3000+ [amazon]/[kinokuniya]

本センター客員研究員の仲尾謙二さんの本『自動車 カーシェアリングと自動運転という未来――脱自動車保有・脱運転免許のシステムへ』が刊行された。この本のもとになった博士論文の主査(大学院における主担当)を務めた私は、この本に「この本はまず実用的な本で、そして正統な社会科学の本だ」という短文を書かせてもらっている。この本がたくさん売れてほしいので、それを何回かに分けてここで掲載していく。


しかく4
[...]
ただ、本書が教えているのは、いろいろと考えてみたらよいということだ。私が十八までいた佐渡島の路線バスといったものは、いた時からさらに少なくなって、一日二往復とかだ。過疎の地域はどこでもそんな感じだろうが、それでも、そういう寂しいものが要らないかと言えば、要る。自家用車が使えない人は常に一定いるし、その割合は増えていく。足腰立たない人は田舎であろうが都会があろうが増えている。運転のためには足腰立たなくてもよいのだが、その車に乗り降りするのが難しいという人がいる。私の父親のような、そしてやがて母親もそうなったが、なかなかに難しい人もいる。自動運転はよいし、それに伴って生じる問題は本書でのように考えておく必要があるとして、実用化はしばらく先のことにはなる。そして自動運転でも、乗り降りやらは難しいということがある。すくなくともしばらく、人手は要る。
人手を少なくしながら、人手を使い、交通のための仕事と、もっと身体に近い、今は介護などと呼ばれている仕事とを混ぜてしまうというのがあるかもしれない。
もう三年前、『大震災の生存学』という本が出た(天田城介・渡辺克典編、二〇一五年、青弓社)。もっと早ければなおよかったのだが諸般あったそうで出版が遅くなってしまった本だが、私はそこに「田舎はなくなるまで田舎は生き延びる」という章を書かせてもらっている――じつはそこにも少しだけだが、交通の話は出てくる。どんなところでもすっかりいなくなるまでは人はいて、そして人手は結局余っているのだから、世話される人の世話することに人を使えばよいといったことを、そこで(も)言っている。
例えば自動運転というものは、人から仕事を奪うからよくないということになるのか。基本的には、そんなことはない。仕事が減るということは基本的にはよいことで、人が余るということも基本的にはよいことだ。そして、余った分をうまく使っていけばよい。著者は見田宗介の著書から引用している(一〇〜11頁)。もう長く私は見田のよい読者ではないが、彼が言っているのはそういうことだと思う。工夫して苦労して人手がいらなくなったら、結局人手が削減され、結局人々は困ることになるだろうか。ならない。というか、ならないようにすることができる、というのが私の考えである。それを納得してもらえないなら、わかってもらえるまで書こうと思っている。
[...]


生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182546.htm
にもある。


UP:2018 REV:
仲尾 謙二立岩 真也Shin'ya Tateiwa病者障害者運動史研究
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