『現代思想』連載「生の現代のために・16――連載・127」の転載分載最終回。
http://www.arsvi.com/ts/20160127.htm
今日ぐらいには『現代思想』は次の12月号が発売になっているはず。
フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162266.htm
にもある。本の紹介のページなどにもリンクされている。
今回の引用箇所は前回と同じ。出てくる秋元波留夫という人物については『造反有理』第4章「「生活療法」を巡って」の7「武蔵診療所における秋山・藤沢」、8「秋元の「理論」」、9「藤澤と秋元の「論理」」を読んでいただきたいのだが、まずは次のような証言。岡田靖雄1984年05月10日「宇都宮病院と東京大学精神医学教室」,『ツブヤキ』第14号。石川院長とは宇都宮病院(事件)の石川文之進。病院も石川も健在であると聞く...。秋元についてのページに貼り忘れていたようなので、今貼っておいた。
「宇都宮病院の石川院長が東京大学の見学生となったのは秋元教授のとき。そのあと秋元教授は講義をさぼって、宇都宮へゴルフにいったりしていた。この人の名はあまりだされないが、宇都宮病院と東京大学の結び付きをつくったのはおそらくこの人だったろう。」
■しかく政治/議員
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そして田中角栄(一九一八〜九三、七二〜七四総理大臣)。[...]
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http://www.arsvi.com/ts/20162265.htm
翌日の自民党の機関誌『自由新報』の第一面トップに大見出しで、写真をのせ、「涙、涙、首相、筋ジス研究所に百億約束」/と報じていた。朝日、毎日、読売、その他市販の各紙も大きく取り上げてくれ、テレビ、ラジオも報道してくれた。/私はこれで万事解決と考えた。「枠外で百億円くれるのだから厚生省も文句はないだろう」と。[...]/ところが、好事魔多し、ことはそう簡単には運ばなかった。最大の痛恨事は田中総理の失脚であった。私の考えた理想的な研究所は田中総理ほどの実力者でなければできないことであった。/その証拠に、斎藤厚生大臣にせっつかれてようやくできた研究所の予算は九億円という見る影もない哀れなものとなっていた。」(近藤[1996:134-143])
その後、三木首相に会いに行ったのだがという話もあり、またそのセンターが秋元波留夫(『造反有利』参照)らの主導によって当初近藤らが構想していたものと大きく異なる「国立精神神経センター」になってしまうその経緯と近藤の恨みと嘆きが記されるその後の部分は、私にはおもしろいのだが略す。」