これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る
立岩 真也 2013年11月23日(土) 10:30〜11:30
第7回 精神保健フォーラム「変われるのか? 病院、地域――精神保健福祉法改正を受けて」
主催:精神保健従事者団体懇談会 於:大手町サンケイプラザ
http://seijukon.com/
◆だいやまーくhttp://www.ami.or.jp/singlefolder/index_seijukon.html
チラシ:
http://www.jaot.or.jp/wp-content/uploads/2013/08/seishin-forum.pdf
cf.
◆だいやまーく立岩真也 2013年12月10日
『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,343p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+
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[kinokuniya] ※(注記) m.
※(注記)講演が終わったらこの本の売り子をしているつもりです。
※(注記)以下も読んでおいてもらえるとよいのではと思います。
◆だいやまーく立岩 真也 2013年12月01日
「『造反有利』はでたが、病院化の謎は残る――連載・96」,『現代思想』41-(2013-12):
◆だいやまーく立岩 真也 2012年07月10日
「これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る」
,『精神医療』67:68-78
■しかく要旨?
※(注記)話はいくらか違った順序、内容のものでした。録音記録をもとにした原稿が雑誌に掲載されると聞いています。掲載されることになったらお知らせします。
※(注記)cf.
「精神障害/精神医療 2013」、「病棟転換型居住系施設」関連等。
※(注記)認知症高齢者のとりこみについては
「日本精神(科)病院協会」のHP:
http://www.nisseikyo.or.jp/
――以下――
◆だいやまーく今度
『造反有理――精神医療現代史へ』という本を書いてみて、「造反派」は、おおまかには、基本的には、正しかったのだと、考えようによっては「はじめて」正しかったとさえ言ってみようと思った。消耗し、そして亡くなった人もいる。相応の敬意は払うべきだと思う。そして、私は一時的で不毛な主張・運動が、健全なことにもう消滅したという(造反された側の)歴史観に与しない。むしろ「客観的」にみて、逆だと思う。造反された側は、長生きした人もいるのでその「権勢」はかなり長く続いたようだが、たいしたことを言っていない。ときに間違っている。そのことはある程度書けたと思う。
◆だいやまーくしかしたしかに困難ではあった。困難であるような構造ができてしまった。本来は
「日本精神(科)病院協会」を乗っ取るべきだったのだという
石井暎禧の主張は――それがなぜ困難であったかの分析などに私はいろいろと異論はあるが――正しい。けれどもそれは難しかった。精神病院は(長野県や新潟県で安保ブント崩れ?の人によってなされた「地域医療」と異なり)歓迎されないが、しかし(本人には多く必要とされないが)必要とされ、安くあがればそれでよいという期待のもとで、その期待に応えた病院たちとその組織が、その現実において多数派であり、力をもつならその改革は難しい。
それでもこの何十年があった。同じことがすこしはしやすくなっているのではないか。そう思いたい。
◆だいやまーく「従事者」でないところからみると、(「従事者」も、あるいはその人たちの方がよくわかっているのだろうがが)、その従事者たちによって戦後精神医療体制の維持が目指されているとみえる。つまり、地域移行に関わる仕事を自らの場所に自らの手のもとに置くこと、お客としての高齢者の取り込み。職がかかっているのだから、わからないでもない。けれどもここは、まずは「建て前」としてでもよいから、潔くあってほしいと思う。引くところから引く、ということ。仕事ができないところには仕事をさせないこと。といっても、みなできると言うにきまっているのだから、原則させるべきでないところには仕事を渡さない、金を出さないということだ。
◆だいやまーく次に「調整」「代理」について。職業人・従事者たちは一般にそうしたこと(を言うこと)が好きである。あるいはよいことであると思っていて、そしてそれをするのが自分たちだといった流れの話になる。しかしそれはすくなくとも疑ったほうがよいと思う。私は「強制」をいついかなる場合にも否定できるという立場には立てない。ならば、(本人の意志に反して)強制する者、強制を決定する者がいることを認めることになる。ただ、その際、そのためにも、「役割」として本人の側に立つ(ことに決めている)者を置くこと。それが必要だろうと思う。
◇以上以外のこともすこし、
「これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る」(2012年07月10日『精神医療』67:68-78)等に記した。当日、こんな流れの話になるかどうかは、未定。
――以上――