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だいやまーく20010927 「出生前診断」の読み方について
だいやまーく20010820 「東京都ケアサービス体制整備検討委員会」委員について
だいやまーく200108 スウェーデンの不妊法について
だいやまーく20010621 お礼+α・5
だいやまーく20010612 障害をもつ議員について
だいやまーく20010612 サマーヒルスクールについて
だいやまーく20010531 児童福祉の仕事
だいやまーく20010213 生命主義について
だいやまーく20010211 奉仕活動の義務化と障害児
だいやまーく20010114 社会リハビリテーションについて
だいやまーく20010114 ノーマライゼーション
だいやまーく20010114 『ニード中心の社会政策』について
だいやまーく20010113 集中講義の感想に
だいやまーく20010113 『障害学への招待』
だいやまーく20010104 デジタル・ディバイド






だいやまーく20010927 「出生前診断」の読み方について

立岩です。メイルいただきました。

>「出生前診断」はどう読めばいいのでしょうか?

「しゅっせいぜんしんだん」
あるいは
「しゅっしょうぜんしんだん」
がよく使われているかと思います。
他の読み方で読んではいけないということも
ないのでしょうが。

まずはこんなところで
失礼いたします。

立岩 真也




だいやまーく「東京都ケアサービス体制整備検討委員会」委員について

▼2001年08月20日

初めまして、**で自立支援を手伝っている**といいます。
立岩さんのページを時々利用させていただいております。

問い合わせ内容は、立岩さんが委員として参加された「東京都ケアサービス体制整備
検討委員会」についてです。

1.委員長はどなたですか。
2.委員はどんな方がおりましたか。

...(略)...

さんかく

立岩です。返信が遅くなってすみません。
以下、手元にあった資料からです。
年度により若干の違いがありますが、
また、精神障害者部会の名簿がありませんが
とりあえずお送りいたします。
(だいやまーくは私がつけたものです。)
(そのうちホームページにも掲載しようと思います。)


1998年度東京都障害者ケアサービス体制整備検討委員会

身体障害者部会

市橋 博 だいやまーく障害者と家族の権利を守る都民連絡会 事務局長
太田 修平 だいやまーく障害者の生活保障を要求する連絡会議 事務局長
久保田 直子 板橋区健康生きがい部おとしより保健福祉センター所長
塩野 敬祐 淑徳短期大学助教授
高橋 修 だいやまーく自立生活センター立川 代表
田幸 勇二 だいやまーく東京盲ろう友の会
立岩 真也 信州大学医療技術短期大学部助教授
手塚 直樹 にじゅうまる静岡県立大学教授
中西 正司 だいやまーくヒューマンケア協会事務局長
藤村 和子 だいやまーくHANDS世田谷利用者
守屋 和夫 青梅市福祉部障害者福祉課長
吉田 行 〇淑徳短期大学教授
伊丹 宏人 福祉局障害福祉部身体障害者福祉課長
相楽 多恵子 心身障害者福祉センター技術援助科長

にじゅうまる座長兼部会長 〇部会長代行
だいやまーく障害者委員

知的障害者部会

阿部 敏哉 武蔵野市障害者総合センター地域生活援助センターびーと
石井 隆 だいやまーく東京都知的障害者育成会本人部会ゆうあい会悩みごと相談員
石渡 和実 東洋英和女学院大学助教授
桑田 顕宏 荒川区福祉部障害者福祉課長
佐々木 信行だいやまーくピープルファーストはなしあおう会事務局長
末永 弘 自立生活企画介護コーディネーター
永島 亨 だいやまーく生活寮ホームラン利用者
中野 敏子 〇明治学院大学教授
中村 修子 自立生活センターグッドライフ介助コーディネーター
矢部 進 大田幸陽会さわやかワークセンター副所長
伊丹 宏人 福祉局障害福祉部身体障害者福祉課長
田中 藤太郎 福祉局障害福祉部精神薄弱者福祉課長
大津 佳子 心身障害者福祉センター知的発達障害相談課長
猪俣 謙作 心身障害者福祉センター知的発達障害相談課医師

〇部会長
だいやまーく障害者委員



立岩 真也




だいやまーくスウェーデンの不妊法について

▼20010817

(略)
現在「障害者の命」をテーマとした卒業論文の作成にとりくんで
います。そしてホームページを見せていただいたところ優生保護
法とスゥエーデンでの不妊法に大変興味をもちました。そこでこ
の二つのことに関する参考文献があれば教えていただきたいと思
いました。特に不妊法に関しましては全く文献を見つけれていな
い状態です。お手数をおかけしますが教えていただけたらうれし
く思います。よろしくお願いします。

さんかく




だいやまーく0621

(略)
飲み会のときに私が、
「(精神障害者は)危険じゃないからだいじょうぶ」
「(いい薬ができたから)感染しないからだいじょうぶ」
という論理じゃ限界があるんだ、と私が言ったことについて
牛島さんからメイルいただきました。

じゃ、感染の可能性があったら(高かったら)、危険だったら
具体的にどうするのか。
これらは、HIVや、ハンセン病や、知的障害や精神障害やの
各々について具体的に考えていくしかないことだと思う。
というのが一つ、答になっていない答なんですが、でもそう言うしか
ない部分はあるだろうと思います。
ただ、それはそれとして

1)「違いはない」「同じになる」という言い方で、戦後?世界は、
言い逃れようとしてきたと私は思っていて、それは「ずるい」というのは
ずっと前から思っていたことです。

『私的所有論』ですと、第6章「個体への政治」3「性能への介入」
[3]「優生学の「消失」」のところ。pp.239-241,264 例えば
「誤りでも暴力でもない部分をどう考えるかは曖昧にされた。」(p.240)
(「世界人権宣言」「人種に関するユネスコ声明」では)
「等しいこと、あるいは等しくなることが前提になっているのであり、
それに対する誤認、偏見、それに基づく権利侵害を否定するということ
であって、ここで優生学の「本体」は対象化されていない...」(p.264)
他に関連する部分として、第7章「代わりの道と行き止まり」の
1「別の因果」(2「不可知による連帯」も関係あります)。

『弱くある自由へ』ですと、市野川との対談の中の
「生得説に対する環境説みたいなのものが一定流行って、まあなんと
いうか戦後的な風土の中で、やればみんな同じようにできるんだ、
みんな学校に行けば勉強できるようになるんだみたいな、楽観主義って
いうか一種の嘘っていうか、を半ば信じ、半ば信じてはいないんだけど
言説として表に出てくる...」(p.121)といった発言。

そして「同じくはならない」、「できないものはできない」という
×ばつ遡行の始点」
および共著『生の技法』。
2日目に飲んでたときに話題に出した高橋修さん
http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/0w/tkhsosm.htm
(&『弱くある自由へ』「おわりに」)
のことは
『自立生活運動と障害文化』に書きました。
http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/0b/010501.htm
この本おもしろいですけど、上記『生の技法
』とかで基礎知識?
仕込んでからじゃないとちょっとつかみにくいところが
あるかもしれません。

2)もう一つ、「統計的差別」というものをどう考えるかということ。
『私的所有論』p.368(第8章・注2)
確率によって差別するということの合理性と不当性とをどう考えるか。
これはとても大切なことだと思う。
「新古典派の完全情報の仮説が妥当しない(ここでは労働力という
商品についての完全な知識を予め得られない)場合に、商品の購入者は
範疇別の確率的な計算を行うだろうというのである。例えば女性の
離職率が高いから女性を(しかるべきポストには)採用しない。」
(p.368)
これはある種合理的ですが、しかしだから仕方がないとか言って
認めていたら、女性差別のある部分は否定・批判できないことになって
しまう。
そしてそれは多くの場合、悪循環を形成することにもなります。
・やめるから仕事を与えない→つまらないからやめる→やめるから仕事を...
・危険だから排除→排除されるから違法行為→危険だから排除
等々。
さて、それを否定・批判するとして、ではどうしたらよいかというような
ことが問題になります。
こんなことを私は考えたいと思う。
(今年の秋?出る『社会学』(社会福祉士養成講座)、ミネルヴァ書房に
私は「常識と脱・非常識の社会学」(与えられた題)を書いたのですが
(教科書の分担執筆者ははじめて、「非常識」な人選?...)
そこでは少しそのことにもふれています。が、なにか中身のある
ことを書けているわけではありません。)

すいません。こんなところです。

ではみなさま、失礼いたします。

立岩 真也




だいやまーく6月12日に以下のようなメイルをもらいました。

......(略)......

鎌倉市の市議会議員に当選した千一(せん・はじめ)氏を
取材しておりまして、インタビュー記事をこのたび
雑誌に掲載できないかと思っております。
そこで、障害者の政治参加の現状について
立岩さまのお調べになられている範囲で
教えていただければと思い、メールを出させていただきました。

千氏は脳性マヒによる全身障害をもっているため、
基本的な議員活動を行うために
市費負担で週40時間以上の公的介助者をつけてもらえるよう、
鎌倉市市長と議長に求めています。
具体的には、通勤の付き添い、電話の代弁、書類や原稿、メモの代筆、
庁舎での付き添いです。
しかし、認められたのは、議場と委員会室内のみ、
市職員が付き添うというものです。
その他の部分は、庁舎内であっても、
「生活支援」とみなされ、認められていません。
つまり、自費でヘルパーを雇わなくてはならないのです。

そこで、立岩さまにお聞きしたいのですが、
現在
1.障害者議員は全国に何人いるのか
2.公的介助を認めている都道府県・自治体はあるのか

もし、お分かりになれば、教えていただけませんでしょうか。
お手数をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。

......(略)......

さんかく
「わかりません」とお答えするしかありませんでした。 &その後障害者である議員(であろうとする人たち)というファイルを作り始めました。




だいやまーく20010612 サマーヒルスクールについて



さんかく

問合せをいただきました。立岩です。
お急ぎのようでしたのに返信が遅くなってすみません。

文献は以下です。

坂元 良江 1984
『世界でいちばん自由な学校──サマーヒルスクールとの六年間』,
人文書院

大塚 千野 1987
『サマーヒル少女日記──やっぱり自由が好き!』,
晶文社,191p.,1200円

徳岡 輝信 1994
「フリースクールの現在」
岡村・尾崎編[1994:86-113]*

*岡村 達雄・尾崎 ムゲン 編 1994
『学校という交差点』
インパクト出版会,310p. 2730円

他に ニイルの関連で1冊あり
同じ著者のをあげると以下

堀 真一郎 1978 『こんな学校もある』,
文化書房博文社
───── 1984 『ニイルと自由の子どもたち』,
黎明書房
堀 真一郎 編 1984 『自由を子どもに』,
文化書房博文社
───── 1985 『世界の自由学校──子どもを生かす新しい教育』,
麦秋社

なお、報告書の文献リストは
http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/0b/960229bg.htm
にあり、上記の文献も記載されていますので
(教育関連はファイルの下の方に別にまとめてあり
他にも御関心にかかわる文献があるかと思います)
御利用ください。

では失礼いたします。




▼20010531

......やはり児童福祉に強い関心があり、どうしてもそれに関わ
る仕事がしたいと思うようになりました。
いろいろ考えたのですが、資格などはもっておらず
、いろいろ勉強し直さないといけないのだと思うのですが、具体的に
どのような資格や条件が求められるのでしょうか。
......

さんかく

立岩と申します。

>児童福祉

に関わる制度について私はほとんど知りません。
本屋さんにそういう関係の本
(『福祉の仕事に就くには』といった本)
がありますから、まずはそういうものを読んで
みるのがよいと思います。
それでもう少し絞れたら、ホームページなどを
利用してもっとこまかな情報を得たらいかがでしょうか?

立岩 真也




▼20010201
「生命主義」は英語にするとなにになるのでしょうか?

さんかく20010213
立岩と申します。

>「生命主義」は英語にすると

私が座談会のところにちょっとばかりでている
鈴木貞美編『大正生命主義と現代』,河出書房新社,19950330,297p.,3900円
によると
「生命主義(vitalism)」とは、思想一般において、「生命」という概念を
原理とするもので、一九世紀の実証主義に立つ目的論・機械論による自然
征服観に対立する思想傾向をいう。」
(鈴木貞美「「大正生命主義」とは何か」p.3)
だそうで、
ですから
vitalism
だそうです。

では失礼いたします。

立岩 真也




▼2010

奉仕活動の義務化は障害児にも適用されるんでしょうか?また、
適用されない場合は障害者は奉仕を受ける側に立たされるのでしょうか?

さんかく0211

立岩ともうします。

>質問なんですが、奉仕活動の義務化は障害児にも適用されるんでしょうか?

義務化されること自体がないと思いますし
また義務化されるべきではないと思いますが、
多分、障害児が活動する側、という発想は
義務化とか言ってる人にはあまりないでしょうね。

>奉仕を受ける側

ということになっているでしょう。
ただ、「障害児も活動しなくていいんですか」と
その人たち=義務化を言う人たちに聞けば、
もちろん、「その能力におうじてやってもらいます」
「やってもらってけっこうです」と
その人たちも答えることになるでしょうね。

立岩 真也




だいやまーく20000114 社会リハビリテーションについて

立岩です。ずっと以前にメイルをいただきました。

>Date: 2000年11月19日 00:32:22 +0900
>Subject: 社会リハビリテーションについて

返信がたいへんおそくなりました。
と申しますのも、
拙著『弱くある自由へ』

>頁251の1行にある
> ― 「社会リハビリテーション」と言った言葉が用いられたこともある。
>というのは現在はこういった表現あるいは言葉は一般的でないという
>事なのでしょうか?

>リハビリテーションやそういった4つの分類の仕方について
>今現在一般的にどういった理解がされているのか

について
(リハビリテーションを巡る言葉の使い方の最近の動向・流行
について)
私はよく知らないのです。

現在でも「社会リハビリテーション」は一般的なのかもしれません。

言いたかったのは、まず
「社会リハビリテーション」という言葉が使われ出した
(以前から使われていたとすれば、強調され出した)
ことがあった、そういう時期があったということです。
そういう印象を私がもっていたということで
そうたしかではありませんが。
例えば、

小島 蓉子 編 19780525
『社会リハビリテーション』 誠信書房,445p.
小島 蓉子 編 19831120
『社会リハビリテーションの実践』 誠信書房,298p 3800

そしてこのことは
(「身体」(だけ)への着目→「社会」への着目、という点で)
「よいこと」だということになっているけれども
(そしてそれもわかるのだけれども)
必ずしもそうとばかりも言えないのではないかということを
本のその箇所(pp.250-151)で言いたかったのです。

「リハビリテーション」について
http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/b5000000.htm
などに、得られた(いただいた)情報
今後も掲載していこうと思っています。

たいへん遅くなったのにこういう無愛想な返信で
すみません。
失礼いたします。

立岩 真也




だいやまーく20000114 ノーマライゼーション

立岩です。たいへん遅い返信です。
すみません。

Date: 2000年12月13日 13:41:02
Subject: ノーマライゼーション

>「治療・訓練はノーマリティをマジョリティに
>近づけるもの」といったら
>怒られました。

「ノーマリティ」は「マイノリティ」
のまちがい?
それともそうでない?

>治せる障害があったなら、それは治したほうがいいに
>決まっています。

反対ってわけじゃないんですが
そうすっきりと言い切れない場合もあると思います。

まだ出版されていない本に書いた文章
「なおすことについて」を
添付ファイルでお送りします。
もう一つ、これはもう出ているもので
「病・障害の「克服」」
も。
以上の中身は「生活環境論」でもお話ししたことですけど。
それはまあ普通の話で、
まだ続きがあるんですが、
(それは、(障害が)
「ないにこしたことはない、か」
という仮題の文章として今書いているところなんですが
まだできていません。

以上で質問に直接答えることには多分ならないでしょう。
ほかにもいろいろ。

>マジョリティに近づくこと

障害が軽くなることは、関連していると思うけれど
たとえば、人々の過半数が眼鏡かけているとしたら
眼鏡をかけるようになるのが、障害が軽くなること?
といったことも考えてよいかもしれません。
(これは、「マジリョティ」を数的な意味での「多数派」
と捉える必要も必ずしもないということでもあります。)

遅いわりに
直接のおこたえになりませんが、とりあえず以上。




だいやまーく20000114 『ニード中心の社会政策』について

立岩です。ずっと以前にメイルいただきました。

>Date: 2000年11月10日 00:22:57 +0900
>Subject: 質問メール

ひじょうに遅い返信ですみません。

>『ニード中心の社会政策』の中で、「施設内でのサービス自体を、
>施設を出ての生活を実現できるようなものに変えていく必要がある。」
>(13P)、と書いてありますが、具体的にはどのような事があげら
>れるのでしょう

みんなで作ったものなので、私個人がというのではないのですが

一つには
メイルに書かれていたような方向で
本人が決める・選ぶサービスにするということ。
「一般社会」で人が消費者としてそうして生きているのなら
それと同じ流儀でやってもらおうということ。

これをずっと進めていくと、施設はたんに暮らす場所・箱になり
そこで利用するサービスは在宅で利用するサービスと差異がない
ということになっていくことになります。
(施設に暮らしながら、ホームヘルプサービスを利用する、とか。)

(ただ、現実に、在宅サービスが、決められる・選べるサービス
なのかというとそうでもないのですが... )

もう一つは
施設の外への「移行」を目指したサービス
これは
>施設内でのサービス自体
というのとは、ちょっとニュアンスが違いますが
たとえば「自立生活プログラム」と呼ばれたりするもの。
この辺は、施設内(の人員)で供給するには無理があって
(適切でなく)施設外の人・組織の力を要するでしょう。

すみません。遅いにもかかわらず、こんな程度のお答えで。
ひとまず失礼いたします。

cf.『ニード中心の社会政策──自立生活センターが提唱する福祉の構造改革』




だいやまーく200010113 集中講義の感想に

立岩です。

>2000年12月24日

にメイルいだたきました。
ひじょうに遅い返信です。
おもしろかった
と言っていただけるとうれしいです。

>東大出身者

うーん...。
1その人たちをあたまから信用しない
2その人たちが面倒な仕事をやりたいというのであれば
やらせる

ということになりましょうか。

>「メイルマガジンを希望」

はい。たいへんたまにですけど
お送りします。

>ぼちぼち生きていきましょう

について、以下の短い文章が最近
新聞にのりました。

2001年01月11日
「つよくなくてもやっていける」
(論壇・正月シリーズ・「21世紀の入り口で」)
『朝日新聞』2001年01月11日朝刊

http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/0w/ts02/2001013.htm

でもよめます。

おそいわりに中身のない返信でしたが
では。




だいやまーく20010113 『障害学への招待』

さんかく20010113 立岩

立岩と申します。12月2日にメイルをいただきました。

>Date: Sat, 2 Dec 2000 23:12:35 +0900
......
>Subject: メールマガジン、ありがとうございます。

返事たいへんおそくなってすみません。
といいますのも

>『障害学の招待』


>『自己の存在証明』
について書いているのは石川准さん(第2章)だということもあり
また
それ以上に、

>『人格』との関連
についてとか

>人生において、何を目指して行くのか?
について
なにかちゃんとしたことを書けるようには思えませんでしたので。

人生に目的はなくてかまわないと思うのですが

>療育
ということになると、やはり「なぜ(なにを)するか」ということは
問題になってしまうでしょう。

私自身は
2001/**/**「なおすことについて」
野口裕二・大村英昭編『臨床社会学の実践』(仮題),有斐閣
(まだ出ていません)
2001/**/**「ないにこしたことはない、か」(仮題)
石川准・倉本智明・長瀬修編『障害学の主張』(仮題),明石書店
(いま書いています)
といった文章を書いていますが
**さんの御関心とはそのままつながらないようにも思います。
すいません。

なお、『障害学への招待』の執筆者たちも含め
「障害学」のメイリング・リストがあります。

......

jsds-ctl@fuji.u-shizuoka-ken.ac.jp
宛に、本文に

subscribe 名・性

と書いてメールを送ります。
確認のためのメールが返送されてくるので、
全文を引用してリプライしてください。

......

ということだそうです。
解説は
http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/0l/jsds.htm
にもあります。
加入なさって
ここの参加者に意見を求めてみるのもよいかと思います。
というわけで、
返事になりませんでしたが、こんなところで
失礼いたします。




だいやまーく20010104 デジタル・ディバイド

▼200011

......
ところで、近年の情報機器の発達とインターネットの普及は障害をもつ方が自立し
た生活を営むことでは追い風であるとずっと思ってきました。
特に、身体に障害を持つ方は、パソコン等が操作できる環境を得ることで、ビジネ
スも十分やっていけるというところまできています。
一方、情報機器が使う機会がない、或いはこの文化そのものに馴染めないとうこと
がデジタル・ディバイドを生じさせています。

このような状況の中、障害を持つ方の間でも、これまでにも身体に障害を持つ方と
精神に障害を持つ方の間の軋轢があったように、今度は同じ身体に障害を持つ方の中
でも、情報化に対応できる者とできない者との間に格差を生じ始めているのではない
かと思います。
そして、この格差は、むしろ、本人の好奇心や士気といった内面の格差を浮彫りに
してしまう恐れあるのではないかと感じています。

現在は、デジタル・ディバイドにより不利な立場に立たされるのは、障害を持つ方
や高齢者であると行政関係では一般的に想定されているようなのですが、そうではな
く、もっと年齢・性別・身体的な能力を超えて普遍的な格差に繋がっていくのではな
いかと恐れています。
この格差は、科学技術の発達や周囲の人々の身体的なサポートや精神的な支えでカ
バーできる範囲を超え、もっと深いところ、本人の価値観や感性といった部分に、そ
の原因を持ってしまう恐れがあるような気がしてなりません。

......立岩先生はどう思われますか?

さんかく200010104

立岩です。ものすごく遅い返信です。

>Date: Mon, 6 Nov 2000

というのも、そう問題は単純じゃないので。
と言いつつ、以下、とても単純ですが

>デジタル・ディバイド

情報器機(からの情報)に相当の便益があるとしても
(ある部分、それほどでもー、という感じがなくは
ないのだが...)

電話を使えるくらいのレベルで
相当のものが得られる(ようになる)とするなら
多くの人はまあなんとか...。

&あとは「代行」ということになるかな、と。
(代わって使う、手伝う...)

だからそう悲観的というのではないのですが
しかし、たしかにそう楽観的にもなれないですね。
どんなものにしても、福祉制度にしてもなんにしても
(ディジタルに限らず)
情報が得られる人、そのくらいには利口な人が
使えて、ほんとに困ってる人は使えていないという
ことがまったくよくあります。
これをどうするかというのが大きな問題だと
思ってます。
税制のように、どうかしてんじゃないのというぐらい
に複雑なもの(税理士なんかにお金払える人だけが得する...)
はもっとシンプルにするとか、減税措置だったら
申告でなくて自動的に行うようにするとか
対処する方法は一つじゃないと思います。
すみません。こんなところで。


REV: 20161029
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