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『JALSA』1980〜1989

『JALSA』 発行:日本ALS協会


だいやまーくJALSA設立総会報告号 1986年(昭和61年)6月5日発行

ALS関係者の期待を担って 日本ALS協会が発足
待ちに待った日本ALS協会の設立総会が,去る四月二十日午後一時より,東京都新宿区の戸山サンライズ(全国身体障害者総合福祉センター)で開催されました.会場には,患者・家族・遺族をはじめ,医療・保健・福祉関係者,一般ボランティアら三百数十名が全国から集い,大変な熱気の中で,会の発足を祝いあいました.

設立総会の模様は,テレビ・新聞で報道され,大きな反響をまきおこしました.
『JALSA』設立総会報告号:1[1986年6月5日]

来賓の祝辞
この日,来賓として,日本筋ジストロフィー協会理事長古島常男氏,全国筋無力症友の会会長武田治子氏,静岡県難病連事務局長小抜利弘氏,東筋協(東京進行性筋委縮症協会)理事長石川左門氏がお見えくださいました.
『JALSA』設立総会報告号:12 [1986年6月5日]

★「誌名を考えてください
本誌には,まだ名前がついていません.
どのような名称がふさわしいか,ご一緒に考えていただけませんか.私たちの会を象徴し,皆が心から親しめる機関紙名にしたいですね.「アミトロズ」も一案です.表紙のデザインを担当してくださった中林さんは,会の英語名の頭文字をとって「JALSA」もいいなあ,と言っておられます.
良い案を,六月末日までに,ハガキまたは電話でお知らせください.」(『JALSA 』0:8 [1986年6月5日] ,仲口[☆]に引用)



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だいやまーくJALSA1号 1986年(昭和61年)9月30日発行

たとえ
身は病床に臥していても
心は風
なにものにも
束縛されることはない
人の心に触れ
その痛み,優しさを思い
四季の移ろいを愛し
拙く文を綴る
心は風
なにものにも
束縛されはしない
(原ひろみち著 『風いろの町』より)


会に寄せられた熱い期待......
日本ALS協会に望む
―患者・家族―
しろまる経済的に苦しい方のため,何とか皆で力を合わせて助けあい,療養に専念できるようにしてさしあげたいものです.
しろまる在宅・入院時の付添いの派遣をお願いしたい.
しろまる働きたくても,介護で付きっきりのため働けず,生活に困っています.近くに完全看護の病院を作ってほしい,もしくは,付添い費を補助してもらえるよう,国・自治体に働きかけてほしいと思います.
しろまる高価な医療機器(レスピレーター,意志表示機など)の貸し出し,もしくは購入費用補助,必要物品の保険適用等を実現させたい.
『JALSA』1:2 [1986年9月30日]

―医師―
しろまるレスピレーターおよびベッドの確保,付き添う家族の負担などの諸問題を目のあたりにするにつけ,医師個人の無力を感じていました.医療従事者と患者家族だけでなく,社会福祉関係者その他の方々と共に,社会問題の一として考えていきたいと思います.
しろまる在宅ケア,とくに「在宅人工呼吸器管理」の健保適用,および地域看護体制の確立にむかって運動をすすめていただきたい.
しろまる本会に保健医療・福祉関係者の参加をつのり,ケアの技術的検討と,開発されたケア技術を,在宅患者にも提供できるような体制作りをすすめる.
『JALSA』1:5 [1986年9月30日]

―専門職―
しろまる人工呼吸器が必要となる時期にさしかかると,付添いの問題を中心に,本6<7人・家族にとってなお一層大変な事態となります.その問題は一個人,一家族,一病院の対応できる範囲を超えています.患者さんが人間らしい「生」を全うできるよう,運動していっていただきたい.
しろまる医療と福祉がこの会の活動をとおして一体となり,真に人々の幸せのためにいかされますように.
しろまるALS患者にもっとかかわれるよう,医療体制の充実を!!(現実には,今の看護婦配置では,患者のニーズにほんの少ししか応えられていません.)
『JALSA』1:6-7 [1986年9月30日]

お便りの中から......
しろまる新潟市 岡田 幸子
8<9いつもの通り,口や鼻の吸引を続けました.

全国に感度を呼ぶ!!テレビ番組「とうさんのこいのぼり」
去る六月1日夜,秋田放送制作の「とうさんのこいのぼり」が全国放映されました.内容は,秋田日赤病院で闘病中の小菅利勝さんご一家を中心に,このたびの協会結成に尽力された松本茂さんの行動,設立総会,秋田の集いの模様などがおりこまれたものでした.『JALSA』1:21 [1986年9月30日]

旅報告
岐阜まで行ってきました! 横浜市 細井道子
..あとは人の問題.外に出る時は,ドライバーを含めて,三人以上は必要.なぜなら,ベッドからストレッチャーへの移動,また部屋から車までの移動のさい,呼吸器をはずし,アンビューバッグ(人工蘇生機)で呼吸介助をしなければならない.車いすの私では,何もできない.さっそく人さがし.できればアンビューに慣れていて,吸引もできる人が一人でも同行してくれるとベターなのだが.....あいにく,誰も一緒に行ける人がいない.人手がなければ,私たちは旅行に出ることを諦めるほかない.(..中略..)ところが人手がそろってしまった.この五月末から,授業の一貫としてわが家に関わるようになった福祉専門学校の生徒たちが,公休として同行したいというのである...
『JALSA』1:30 [1986年9月30日]

<新潟大学神経内科二十周年記念講演>
ALS患者に対し,われわれは何ができるか 都立神経病院長 椿 忠雄
(..中略..)
できれば,レスピレーターを付けていても,家庭で療養されるのがよいですね.その方が,患者さんも精神的に落ち着いて生活できます.
しかしこれには,家族の方の犠牲がかなり伴いますからどなたでも,というわけにはいかない.家庭で療養できるためには,いくつか条件があるということが,『神経内科』十八巻九四頁に書かれています.(..中略..)それから,実際に患者さんの世話をする人がいること.これが一番大切です.家族の方のあたたかいケアが必要です.こういう条件がそろわないと,なかなか難しいですね.
『JALSA』1:52 [1986年9月30日]

福祉情報コーナー
難病患者にとって,社会資源の活用は大切な問題ですが,実情は福祉(それも大変粗末な程度ですが)の恩恵に浴していないケースが多いようです.その理由は福祉の対象が難病者ではなく,障害者を対象としており,また,申請のあった者に対してだけ実施されるので,知らなければ無視されてしまう状況にあります.
『JALSA』1:59 [1986年9月30日]



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だいやまーくJALSA2号1986年(昭和61年)12月23日発行

医師・看護婦さん方に一言
神奈川県海老名市 長岡 明美
(..中略..)19<20それから,呼吸器の操作ができない看護婦さんが多すぎます.患者の目の前で,「あら,これどうやるのかしら?」「わからないわ」などと言われたら,患者は心配で落ち着きません.患者は死と背中合わせのところで闘って」いるのです.ALSの場合,看護婦は,専門に勉強した人を置くべきではないでしょうか.初めてALSに接した,という看護婦が多いようです.(..中略..)もっといろいろなものや事を実際に見ていただきたいと思います.いつか,ゆっくりとお話したいと思います.
『JALSA』2:19-20 [1986年12月23日]


質問にお答えします
帝京大学病院医療相談室 平岡 久仁子
(..中略..)24<25(7)在宅でのレスピレーターの費用は?
在宅療養の場合には,レスピレーターや呼吸器等に対する助成はなにもないので,25<26すべて自己負担することになります.
しろまるベネット・・・・約百八十万円(加湿器を含む)(..中略..)
しろまる吸引器・・・・携帯用(充電式)・・・・3〜5万円(吸引力は弱い)(..中略..)
この他,滅菌手袋,ガーゼ,消毒綿等も含めて,一か月約四〜六万円と見込まれます.
『JALSA』2:24-26[1986年12月23日]



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だいやまーくJALSA3号1987年(昭和62年)5月8日発行

お知らせ
全難連に加盟しました
このたび,難病患者団体の連合組織である全難連(全国難病団体連絡協議会 佐藤エミ子会長)に日本ALS協会患者部会として加盟しましたので,ご報告申し上げます.
特筆すべきは(二)の長期療養施設の設置で,全難連ではこれを本年度の最重要要望事項として,国に強く働きかけてゆくことになりました.現在治る見込みのない難病患者を長期にわたって受け入れてくれる病院は少なく,私たち患者・家族にとって,深刻な問題になっています.それだけに,安心して長期療養できる施設の設置は私たちの"悲願"であり,これの早期実現をめざして,何としても働きかけてゆかねばなりません.頑張りましょう.
『JALSA』3:19 [1987年5月8日]

国立精神神経センターが開設
昨年一〇月,国立精神神経センター(運営部=東京都小平市)が開設しました.国立センターとしては,国立がんセンター,国立循環器病センターに次いで三番目です.
『JALSA』3:20 [1987年5月8日]

「在宅療養患者に支援の手を
千葉県市川市 木次康夫
(..中略..)ここで私のことを少し申しのべますと,私は週三回,一日に四時間ヘルパーさんに来ていただき,食事の介助をしていただいています.現在は普通食ですが,もし流動食になった時は,専門的な知識がないとの理由で,ヘルパーさんの派遣を中止するかもしれないと言われました.また,これ以上手がかかるようになったら,奥さんに仕事をやめてもらわなければならないし,何日もヘルパーを派遣すると費用がかかるので,入院したほうがよいと言われたこともあります.(..中略..)27<28重度の方ほど介護の手を要しますのに,病状が重いからという理由でヘルパーさんの派遣を断るというのは,どうも納得できません.ヘルパーさんには専門的な知識がないからというのかもしれませんが,たとえ知識がなくとも,家族の介護の補助をしていただくだけでも,どんなに助かるかしれません.また,何か問題が起きたとき,その責任を負いかねるからというのであれば,そんな心配は無用です.責任は家族がとればいいことです.細井さんのところでは,ボランティアの青年たちが,人工呼吸の介護を一生懸命しておられました.じつに立派だと思いました.病気が重いから,専門的な知識がないからといって敬遠するのではなく,重度になっても,ヘルパーさんが派遣される制度の確立を強く望む次第です.」(『JALSA』3:27-28,仲口[☆]に引用)



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だいやまーくJALSA4号1987年(昭和62年)5月21日発行

長期療養施設の設置を厚生省に要望
五月二五日,全難連および所属団体の役員がそろって厚生省に出かけ,長期療養施設の早期実現を求める請願を行うと共に,左記のような要望書を提出しましたので,ご報告いたします.
『JALSA』4:3 [1987年5月21日]

私たちの願いを聞いてください
8<9
厚生大臣様
愛知県刈谷市 板倉 民子
機関紙の『JALSA』を読んで私は泣きました.(..中略..)この病気になる前は,健康でカゼ一つひかなかった私が,こんな体になり,自分のことさえ何一つできないつらさで,毎日泣いています.「泣いていても治るものではない」と主人に叱られています.主人も,毎日大変です.朝早く起きて食事の支度をし,私の世話を全部してから,大急ぎで会社に出勤します.さいわい会社が近いので,昼休みには会社の給食弁当を持って,少しでも長く家におれるようにと急いで帰ってきます.そして私をまずトイレに連れて行き,食事を食べさせ,薬を飲ませて,また大急ぎで会社に戻ります.9<10その間,一人でいる時の心細さ,さびしさ,もし何かあってもどうすることもできません.いろいろ先のことを考えては,独り泣いています.(..中略..)私は心の中で「ありがとう」と,主人に手を合わせています.家族に迷惑をかけるばかりで,夜寝る時に「このまま,朝になって死んでいたらいいな」と思うこともありますが,主人が,私の手足になってやるから頑張ろうと励ましてくれますので,生きていけます.(..中略..)
『JALSA』4:8-10 [1987年5月21日]

編集後記
(..中略..)
しろまるいよいよ,厚生省に働きかける時がきました.その第一歩として,皆で大臣にあてて請願書を書きましょう.全員が書かなければ意味がありません.一行でも二行でも,いえ,一言でもいい,皆で手紙を書いて,大臣に訴えましょう.請願の時期,および方法は,追ってお知らせいたします.
『JALSA』4:16 [1987年5月21日]



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だいやまーくJALSA5号1987年(昭和62年)8月3日発行

六二年度総会開く
(..中略..)4>12
四,小菅恵子さんのご挨拶
12>13また,人工呼吸器を装着する段階になると,付添いの問題がおきてきます.医療費は無料でも,人工呼吸器を装着する場合は付添いをつけること,という条件があります.そのため,身寄りがなかったり,家庭の事情で呼吸器を付けられないまま,亡くなっていかれた患者さんもいらっしゃると聞きます.どんな思いで,死を待っておられたことでしょう.何ともお気の毒でなりません.
『JALSA』5:4-13 [1987年8月3日]

<第三部>親睦会
Kさん 兄が九州で闘病中で,現在はまだ仕事にも行っております.先日,大学病院で今後の進行の具合とか,人工呼吸器の装着についてたずねましたところ,多額の費用を要するし,治る見込みのない患者さんの医療に使うのはムダだから,他の患者さんの医療に使うのがよいと考えている,と言われたというのです.現在の日本の状況では,他の病院でも同じ考えだと思うというのですが,その点,いかがでしょうか.
林先生 これは私の個人的な見解で,一般的な考えとは少し違うところがあるかもしれませんが,最近は医療技術が進み,呼吸困難になったからそれでダメだった時期と,多少状況が変わってきております.
『JALSA』5:19 [1987年8月3日]



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だいやまーくJALSA6号1987年(昭和62年)10月15日発行

拝啓 斉藤十朗厚生大臣殿
先ごろ,機関紙を通じて「厚生大臣に手紙を書きましょう」と呼びかけましたところ,二百数十名を超える方々から嘆願書をお送りいただきました.
『JALSA』6:4 [1987年10月15日]

松本会長夫人,厚生省を訪問
本年度の会長に就任された松本茂氏の奥さん,るいさんが,去る七月七日,総会に出席のため上京されたのを機会に,厚生省を表敬訪問されました.(..中略..)突然の訪問にもかかわらず,快く時間をさいてもらうことができました.
『JALSA』6:19 [1987年10月15日]

京都議会に代表者を派遣します
先にお知らせしましたように,来る十月二九日より三日間,京都で国際ALS会議が開かれます.これに一人でも多くの方が参加できるよう,交渉してまいりましたが,会場の都合上,二十名までしか参加できなくなりました.
『JALSA』6:25 [1987年10月15日]



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だいやまーくJALSA7号1988年(昭和63年)2月5日発行

斉藤厚生大臣に会員の声届く
去る十月二三日,松本会長代理と松岡事務局長は厚生省に斉藤十朗厚生大臣(当時)を訪ね,皆さんからお預かりしていた嘆願書をお届けすると共に,左記のとおり嘆願を行いました.
『JALSA』7:5 [1988年2月5日]

いよいよ長期療養施設の設置へ――厚生省との話し合い始まる
8<(..中略..)9一連の会議を通して,「事実」を知らしめることがいかに大切であるかを,改めて痛感させられた次第ですが,これを機に,会の総力をあげて国・厚生省に働きかけてゆきましょう.
『JALSA』7:8-9 [1988年2月5日]

署名集めにご協力を......
(..)今回の厚生大臣への請願は,竹下新内閣が誕生し,厚生大臣も新たに藤本孝雄議員が就任されたのを機に,再度,私たちの要望を聞いていただくべく請願を行うもので,内容的には,先に斉藤前大臣に提出したものと変わっていません.
『JALSA』7:10 [1988年2月5日]


国際ALS会議開かれる
去る十月二九〜三一日,京都国際会館で国際ALS会議が開催されました.会議には,海外一四か国より七〇名,国内約二百名の先生方が参加され,熱心に議論を交わされました.
『JALSA』7:24 [1988年2月5日]



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だいやまーくJALSA8号1988年(昭和63年)5月3日発行

ALSについての「調査報告と提言」まとまる
第一東京弁護士会人権擁護委員会では,このたびかねてより進めてこられたALSに関する調査結果を『筋萎縮性側索硬化症(ALS)について――調査報告と提言――』と題して,一冊の本にまとめられました.そして厚生省や衆参両社会労働委員会,神経疾患の研究部門を持つ大学医学部等へ配布されました.
人権擁護委員会がALSを取り上げてくださったのは,昨年夏,松本るいさん(会長代理)が第一東京弁護士会に岡村勲会長(当時)を訪問したのがきっかけでした.岡村弁護士と松本茂会長は小学校時代の先輩・後輩にあたられ,社会に出てからもずっと交友を続けておられます.そうしたご縁から,奥さんのるいさんが総会のため上京されたのを機会に,岡村先生のところへ挨拶に行かれたのでした.
『JALSA』8:4 [1988年5月3日]

――提言―― 第一東京弁護士会人権擁護委員会
(..)二,患者の看護体制を確立すべきである.(..中略..)5<6(..中略..)2,在宅ケアのバックアップ体制を確立すべきである.ALS患者の多くは在宅ケアを余儀なくされている.そして在宅ケアにおいては,家族の看護,その他の負担は限界にきているといっても過言ではない.在宅看護への援助は,人的・物的にも不足の一語に尽きる. (..中略..)人工呼吸器については,その装着により相当長期間の延命も可能なので,車椅子と同様の医療機器と考えるべきである.足の機能が弱まれば車椅子が必要であると同じように,呼吸の機能が弱くなれば人工呼吸器が必要となるのは当然のことである.(..)
『JALSA』8:5-6 [1988年5月3日]

アメリカに於けるALS研究と協会活動の現況
在アメリカ 三本 博
(..)アメリカでは,ALSは一般によくルー・ゲーリック氏病と呼ばれていますが,それは今から五〇年ほど前,ニューヨーク・ヤンキースの野球選手で最も人気のあり,尊敬されていたルー・ゲーリック選手が,その当時ほとんど知られていなかったALSにかかったためです.その後ALSがだんだんと知られるようになり,現在では,社会的認識が
非常に高くなってきました.(..)
『JALSA』8:8 [1988年5月3日]

――国会より――下村議員,難病問題で質問
去る三月一八日,参議院予算委員会で,下村泰議員(二院クラブ)が難病問題を取り上げ,政府に質問しました.(..中略..)
問 こういう話がある.常時介護が必要な患者さんの奥さんが,生活保護の申請に福祉事務所へ行った.するとご主人を施設か病院に預けて働きに出よ,と言われた.そこで保険所へ行き,入院先のあっせんを頼んだら,長期の受け入れをしてくれる所はないから,生活保護を受け,在宅で看るようにと言われ,また福祉事務所へ行った.こんなことを繰り返しているうちにご夫婦は疲れ果て,ついにみずから命を絶とうとした.幸い未遂に終わったが,これをどう思うか.
答 医療が必要な場合,それが長期にわたるにしても,受け入れていく努力をする必要があると考えている.また,地域社会においてもいろいろな医療計画をすすめており,それをさらに進める努力を続けている.
問 こういう時こそホームヘルパー7制度,訪問看護制度が機能するわけで,制度の拡充強化を図るべきではないか.
答 ホームヘルパー制度は,現在,全国市町村の九五.五パーセントが実施している.国としても補助制度を設け,拡充をはかっている.(<注>ALS協会の会員のうち,ホームヘルパー制度を利用したことのある患者さんは,一割にも満たない.)(..)
『JALSA』8:27 [1988年5月3日]

<付記>去る一二月,難病患者の福祉について,都道府県の福祉課に問い合わせたところ,ここは身障者の福祉を扱う所で,難病患者のことは特定疾患係にたずねてほしいという返答がほとんどでした.そこで特定疾患係にたずねると,医療費の公費負担事務はやっているが,それ以外の福祉については福祉課に聞いてほしいとのこと.いったいどうなっているのだと言いたくなりますが,この矛盾を解決するためには,難病独自の法律がどうしても必要です.治療研究事業を除いて,難病の医療福祉が立ち遅れているのは,それを推進すべき明確な法律がないからです.身体障害者には身体障害者福祉法その他の法律が,精神薄弱者および精神疾患者には精神薄弱者福祉法,精神保健法(旧精神衛生法)があります.また結核患者に28<29は結核予防法,心身障害者(児)には心身障害者対策基本法,児童福祉法があって,それぞれ法律で守られています.最近は老人問題が大きくクローズアップされ,次々と医療福祉対策がとられていますが,これも老人福祉法という法律があるからできることです.これに対して難病患者の場合は,昭和四七年に定められた「難病対策要綱」と,それに基づいて翌年春,具体的方策として出された「特定疾患治療研究事業実施要綱」があるだけです.これはご存じのように,治療研究事業の推進と医療費の公費負担をうたったもので,入院施設その他の医療・福祉面については,特にふれられていません.(「難病対策要綱」には「医療施設の整備と要員の確保」という一項がありますが,筋ジストロフィーの場合を除いて,これに関する省令は寡聞にして知りません.)独自の法律を持たないということは,入院施設の点でも大きなハンディを負うことになります.
『JALSA』8:28-29 [1988年5月3日]

編集後記
(..)
しろまる厚生大臣への請願,署名運動,そして今回の「調査報告」のまとめと,この半年,活発な活動が続きました.(..)
しろまるかつてベーチェット病の患者さんを救おうと,「難病旧砂嘴基本法」を立案し,法制化を働きかけられた医師の有志がおられました.(人権擁護委員会編「調査報告書」より).法案そのものは成立しませんでしたが,それが元になって,翌四七年「難病対策要綱」が定められ,翌々年「特定疾患」制度が発足して,私たちALS患者も医療費の公費負担を受けられるようになったのでした.その先生方は何と大きな成果を残してくれたことでしょう.
しろまるこれら先達の志を,私たちも引き継いでゆこうではありませんか.そしてALSだけでなく,難病に苦しむすべての患者さんが十分な医療を受けられ,人間にふさわしい療養生活を送れる社会の実現をめざそうではありませんか.それこそが,同じ病に斃れられた方にお報いできる,唯一の道ではないでしょうか.
『JALSA』8: [1988年5月3日]



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だいやまーくJALSA9号1988年(昭和63年)6月1日発行

==新潟県支部設立総会記念講演==
ALS研究の現況 故 椿 忠雄先生
31<(..)38
ケアの大切さ
これはグアム島の患者さんですが,前にもちょっとお話しましたように,グアム島の患者さんは普通の方と同じように,割合に元気がいい.このようなことを申し上げて悪いのですが,昔と比べて,今のALSの患者さんは日本の患者さんでも非常に元気がいいです.昔は,ALSというのはもっと悲惨な感じでした.(..)38<39これはご本人だけの問題ではなく,周囲の方々の問題でもあり,周囲の方々がケアしてさしあげることによって,患者さん自身がこれだけの元気を持たれる.そしてそのことが病気の進行を悔いとめるということもある.グアム島では,患者さんは多くの家族に囲まれ,非常に大事にされています.日本の核家族という現状では,それが難しいかもしれません.しかし家族に囲まれて療養されるほうが患者さんは元気がよく,病気の進行も遅いと,私はいつも申し上げております.(..)
『JALSA』9:31-38 [1988年6月1日]



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だいやまーくJALSA10号1988年(昭和63年)6月5日発行

官房長官,厚生大臣に請願
去る五月中旬,自民党の野呂田芳成先生(衆議院議員,秋田県選出)のご尽力により,小渕恵三官房長官,藤本孝雄厚生大臣を訪問し,陳情することができました.また,皆様に集めていただいた署名を厚生大臣に提出いたしました.(..)官房長官は.ALS患者・家族の闘病のすさまじさにびっくりされ,「そんな大変な病気があるとは知らなかった.できるだけの応援はさせてもらう」と言われました.(..)
陳情書
小渕恵三官房長官殿
謹啓 日頃は国政にご尽力たまわり,国民の一人としまして厚くお礼申し上げます.また貴竹下内閣発足以来,エイズ問題に総力をあげて取り組まれるなど,難病対先にもお力を注いでいただき,心から感謝申し上げます.
さて,本日は私どもALS患者・家族に特別のご配慮をたまわりたく,陳情申し上げます.
ご存知のように,ALS(筋委縮性祖億作硬化症)は進行性の神経疾患で,運動神経が侵されて手足が麻痺し,構音障害,嚥下障害,呼吸障害を起こして死にいたるという病気です.国の特定疾患に指定され,一〇余年研究がすすめられていますが,残念ながら未だに原因不明で,その手がかりすらつかめていません.そのため,毎年数百名にものぼる患者が,何の光明も見出せないまま,旅立っているのが実情です.
頭脳は正常でありながら,手足の自由4<5を奪われ,言葉を奪われ,食べること,呼吸をすることさえも思うに任せず,丸太ん棒のような状態で闘病しなければならない患者の苦悩をご想像ください.また,二四時間付きっきりで介護する家族の苦労がいかなるものであるか,ご賢察ください.入院して療養したいと思っても,受け入れてもらえる病院が少なく,大半の患者は自宅療養を余儀なくされています.その理由として特攻的な治療法がないことがあげられますが,一つには介護に大変な手を要するためでもあります.事実,入院を認めていただいている病院では,医師も看護婦も悲鳴をあげているのが実情です.
しかし,病院ですら難しいものを,家族がどうして担いきることができましょう.患者・家族の精神的,肉体的,経済的負担は想像を絶し,共倒れ寸前,崩壊の危機に瀕している家庭は少なくありません.悲しいことですが,これ以上家族に迷惑をかけたくないと,気管切開を拒み,死につく患者も後を絶ちません.そうした患者の胸中を,また家族の無念さをなにとぞお察しください.
高度医療技術が進歩している現在,十分な介護さえ受けられれば,たとえ人工呼吸器を装着した身であっても,患者は立派に社会人として生きてゆくことができます.その可能性がありながら,現実には悲劇が起こるのを黙視するしかないというのは,何とも無念で悔しくてなりません.
人間としての機能を次々と奪われてゆく中で,患者はなおも人間であり続けようとして闘い,その患者の貴い命を守るため,家族はすべてを投げうって,必死の介護を続けているのです.こうした窮状をなにとぞご理解いただき,あたたかいご施政をたまわりますよう,お願い申し上げます.
『JALSA』10:4-5 [1988年6月5日]

厚生大臣に請願書署名提出
続いて,翌一一日午前一一時五〇分,野呂田先生とご一緒に藤本厚生大臣を訪問,七万七二〇一名ぶんの署名と請願書を提出しました.(..)
(1)入院患者の介護に特別の便宜をはかってほしい.
(2)在宅療養に要する医療費を,公費負担にしてほしい.
(3)安心して在宅療養ができるよう,医療・福祉面を充実してほしい.
(4)ALSの原因究明,治療研究に力を注いでほしい.
(..)
『JALSA』10:6 [1988年6月5日]

<第二部>特別講演
人工呼吸器装着患者の在宅ケア 羽曳野病院集中治療科部長 木村謙太郎先生
21<(..中略..)<22(..中略..)<23(..)一番の問題は,やはり人工呼吸器という器械.これは足がご不自由な方の車イス,目が不自由な方の盲導犬,あるは白い杖に相当するものでありますが,これが健康保険,社会保険などの保険適用の対象にされていない.だから,皆さんはご自分で買わなければならない.ところがこの器械は相当高価なもので,この費用の問題ということがまず第一であります.(..)もう一つの問題は,やはり先ほどからもいろいろお話が出ていますように,介護をなさる方,介護者の人手ということです.あとでご紹介する二人の患者さんの場合,主たる介護者はご家族だけです.これをどうするかという問題が残っております.
『JALSA』10:21-23 [ 1988年6月5日]



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だいやまーくJALSA11号1988年(昭和63年)9月21日発行

「神経・筋難病を考える集い」開く
松山市 川口武久
去る七月一七日,愛媛県松山市の身障者福祉センターで「神経・筋難病を考える集い」を開催することができた.県内はもちろん,他の四国三県,岡山,広島,福岡県から三〇〇名近い方々が集まり,予想以上の盛況で,本当に感謝であった.今回の集は,日頃,神経・筋難病に苦しむ人たちが一堂に集い,交流すると共に,神経・筋難病に対する理解を社会に訴えたい企画したもので,筋無力症,ベーチェット,パーキンソン,膠原病,筋ジス,多発性硬化症の方々にも声をかけた.当初は足並みがそろわず,
どうなることかと案じられたが,回を重ねるごとに趣旨も理解され,実行委員会を結成する頃には,熱意もチームワークも盛り上がっていった.心臓病の子供を守る会の方も全面的に応援くださり,愛媛県難連,県医師会,各疾患団体,マスコミの後援も頂戴することができた.(..)
『JALSA』11:4 [ 1988年9月21日]

<秋田支部総会特別講演>
ALS患者のよりよい医療を求めて 東京都立神経病院内科医長 林 秀明
(..)さきほどお話しました,原因もわからず治療法もない,将来的に希望もないというALSに対する考え方というのは,あくまで呼吸器がない時代の,否定的な医療の対応の中ででき上がった古い考え14<15方であると思います.
呼吸困難をターミナルポイント(最終点)とする今までの医療,すなわち,教科書に書かれている医療というものは,ALSの医療のほんの一部であって,ALSの全体像は,呼吸困難を超えて,なおかつ,その中で生活してゆくことを含めた中で,はじめて得られるのではなかろうかと思います.(..中略..)ALSは治療法がなく,いずれ死ぬ病気なので,そんなに命を長らえさせる手段はとらずに,病名も告げずに,対症療法をしながら,呼吸困難になったら看取るという考え方でできたわけです.すなわち末期ガンと同じような対応をしてきたと思います.(..)<16(..)<17(..)<18(..)<19(..)彼も述べているように,ALSについてはあと何か月、何年と予想できないのです.非常に悪いと思っても,そのままのこともあるし,これがターミナル(最終)ということはわからないのです.イギリスのこういう考え方のベースには「助かる見込みのない生命を引き延ばすことは,ただ死を遅らせるにすぎない」という発想があるわけです.
これはガン患者について,ホスピスなどでよく言われていることですが,これについて日本でホスピスをやっておられる原義雄博士は異論を唱えておられます.「そういうことはない.やはり出来るだけのことはやるべきだ」と.その上で,いったい誰が「この人がターミナルで助かる見込みがない」と決めることができるであろうか,と話しておられます.
たしかにその通りだと思います.中にはガンやALSの医療を,過剰医療と思われる延命措置と同じレベルで考えている人もいるようですが,これは全くお話にならないことだと思います.(..)
『JALSA』11:14-19 [ 1988年9月21日]

全難連,調査研究費の増額等を厚生省に要望
去る七月二一日,全難連は本年度の統一要望にゆいて厚生省と交渉を行い,次のような回答を得ました.(..)
七,在宅療養患者に対する訪問診療制度,訪問介護制度等,医療・福祉の充実.
――現在,「訪問看護と在宅ケア推進事業」を,全国一一市町でモデル事業として行っている.また,今春より週二回,訪問診療が保険で認められるようにした.
(..)
九,困窮している介護家族への救済措置を講ずる――介護手当の適用の拡大と増額――
――特別障害者手当の給付等を改善してゆく.
(..)
以上,私たちの願いを実現するには,一層の努力が必要だと痛感した次第です.
『JALSA』11:20 [ 1988年9月21日]

情報ファイル
在宅訪問診療,週二回に
この春,社会保険医療協議会(厚生大臣の諮問機関)の答申にもとづき,診療報酬が海底されました.(..)また,この改定により,「在宅患者訪問診療料」「在宅患者訪問看護・指導料」が新設され,週に二回の訪問診療,訪問看護が保険で受けられるようになりました.週二回とはいえ,訪問診療が制度化されたことは,在宅療養患者にとって一つの「朗報」といえましょう.
『JALSA』11:29 [ 1988年9月21日]

「ケア・ハンドブック」作成ご協力のお願い
『JALSA』11:42 [ 1988年9月21日]


*作成:仲口 路子
UP:20100929 REV:0930, 20120419
『JALSA』ALS日本ALS協会雑誌BOOK
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