last update:20160814
■しかく対象書籍
◆だいやまーく新ヶ江 章友 20130713
『日本の「ゲイ」とエイズ――コミュニティ・国家・アイデンティティ』,青弓社,257p.
ISBN-10: 4787233572 ISBN-13: 978-4787233578 4000+税
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[kinokuniya] ※(注記)
本書は、文化人類学(
医療人類学)、ジェンダー/セクシュアリティ研究を専攻する気鋭の研究者による単著である。
1980年代の
HIV/AIDSの顕在化の時期に注目して、その後の男性同性愛者と国家権力の対峙のありかたを論じている。
筆者は、副題に提示する「ゲイ・コミュニティ」、国家権力、「ゲイ」というアイデンティティの関連性に着目する。
日本において男性同性間で性行為を行なう人々が自らを「ゲイ」として自己肯定して語る「ゲイ・コミュニティ」の語り方を分析して、
「ゲイ・コミュニティ」が語られ始めた時期はHIV/AIDSが社会問題として認識された時期であると主張する。
本書では、民族誌の視点から私的なジェンダー/セクシュアリティから公的な公衆衛生政策まで広範に扱われる。
本書の背景には「個人と国家の間の権力闘争」という問題意識がある。
中間集団である「ゲイ・コミュニティ」を切り口に、男性同性愛者の主体化やアイデンティティ形成が分析される。
本書では、あくまでも「ゲイ・コミュニティ」の語り方に着目して、「ゲイ・コミュニティ」の実体は議論されない。
全体を通じて「日本の男性同性愛者がどのように自らの経験を形作っているのかを、HIV/AIDSの社会問題化との関係のなかで明らかにする」
(本書「序章」より)ことを目指している。
序章では、男性同性愛者のアイデンティティやコミュニティは、実際は国家のHIV予防施策に先導されたのではないかと仮説を立て、
「ゲイ」というアイデンティティや「ゲイ・コミュニティ」という言説と国家との接合の分析という主題が明示される。
第1章では、文化人類学で行なわれてきたHIV/AIDS研究とジェンダー/セクシュアリティ研究の先行研究を批判的に検討する。
その一つに、田辺繁治
『ケアのコミュニティ――北タイのエイズ自助グループが切り開くもの』(岩波書店,2008)がある。
田辺も「個人と国家の間の権力闘争」が背景にあるので、本書と併読すると興味深い。
さらに、男性同性愛者の主体化と予防施策との連動の論点が提示される。
第2章では、1980年代の日本のHIV/AIDSの言説編成と権力関係のなかで、男性同性愛者の表象が分析される。
アメリカのHIV/AIDSの言説が男性同性愛者の表象と結び付いていたのに対して、日本のHIV/AIDSの言説は、非常に曖昧な存在として「ホモ」が表象されてきた。
「ホモ」をめぐる日本の言説表象を通時的に分析して、男性同性愛者をめぐる差別や排除の権力関係の布置が明らかにされる。
第3章では、HIV/AIDSを契機に、日本の男性同性愛者が曖昧な表象から自らを可視的に主体化する過程が聞き取りや雑誌の分析から検討される。
可視化する男性同性愛者がいる一方、沈黙する男性同性愛者もいた。1980年代のHIV/AIDS
差別は特に厳しく、評者も、
拙著
『日本の血友病者の歴史――他者歓待・社会参加・抗議運動』(生活書院,2014)他で、生きるために沈黙する戦略を指摘している。
第4章では、1980年代から1990年代に最も増加する公的な疫学調査とゲイ・アクティビストの協働体制の形成過程が分析される。
筆者は、日本の「ゲイ・コミュニティ」は、国家のHIV/AIDS政策と結び付くことで形成されてきたと主張して、序章の仮説に応答する。
2000年代には、「ゲイ・コミュニティ」をめぐる言説は、HIV/AIDS予防活動を通じて地方にも流通していった。
第5章では、これまでの章と趣を変えて、応用人類学を志向した議論になっている。
日本の男性同性愛者と疫学研究者の間でHIV感染をめぐるリスク認知の差異を男性同性愛者に対するインタビューから分析する。
男性同性愛者と疫学研究者の間の「ずれ」を検出して、実践的によりよい予防介入を探っている。
最後に、HIV/AIDSとともに生きる人々の語りと私たちの社会との関わりを考察している。
終章では、本書の検討を通じて、日本の男性同性愛者の主体化やアイデンティティ形成と国家の統治の関係が強調される。
日本のゲイ・アクティビズムと疫学研究の関係が対立から協働へ変化したことが指摘される。今後の展望には、日本の男性同性愛者と疫学研究との関係の分析を挙げる。
今後の課題には、男性同性愛者という主体と性的欲望の関係や男性同性愛者のHIV/AIDSに関わる実践の分析などを挙げる。
以上を踏まえて、本書から他の研究にも通じる論点を提示する。まず、近年「コミュニティ」は注目されている概念である。
しかし、筆者が指摘するように、ゲイ・アクティビストや疫学研究者によって「ゲイ・コミュニティ」の用い方は異なる。
また、先述の田辺は「コミュニティ」の空疎化も指摘している。評者は、海外の先行研究と対応させるために、
拙著では血友病者の歴史を「コミュニティ」「アソシエーション」の二段構えで論じた。
土佐弘之 『野生のデモクラシー――不正義に抗する政治について』(青土社,2012)は
「アソシエーション」を用いてHIV/AIDSの国際政治を論じている。
中間集団あるいは国家に対抗するありかたは、今後も重要な論点である。
次に、「生の様式」「性/生のあり方」という論点は、多くの読者に様々な示唆を与える。本書のジェンダー/セクシュアリティの文脈に沿って論点を整理すれば、
男性同性愛者の抱える生きづらさや葛藤を生む国家体制、あるいは国家体制からはみ出した性的実践の多様性などである。
ジェンダー/セクシュアリティは強固に埋め込まれた体制であるので、特に生きづらさの解消は容易ではない。
人を対象とする学問は、基本的に「生のありさま」を捉えようとするので、他の研究主題にも通じるものがある。
拙著では、血液製剤の普及後の血友病者の変化を「新しい生活様式への変更」と名づけている。
最後に、本書は日本のアカデミズムの「
薬害エイズ言説」に一石を投じている。
評者は「薬害エイズ言説」のような定型が再生産されていると考える。
先行研究の経緯があるにしても「薬害エイズ」を基盤にした調査研究が質量ともに多い。
評者が血友病者の1970年代を中心に取り組んだのも、1970年代の基本的分析が放置されていたからである。
「薬害エイズ」を知らない世代が増える現在、人文社会学のHIV/AIDS研究は、いっそう領域を越えて多角的に展開される必要がある。
その意味でも、本書は重要な研究として位置づけられる。
本書の最大の意義は、男性同性愛者の視角から、日本におけるHIV/AIDSをめぐる言説や問題が顕在化する1980年代を緻密に検討したことである。
「エイズ・パニック」の詳細や1980年代の「ゲイ・コミュニティ」の葛藤は、重要でありながら充分に分析されてこなかった。
本書における基本的かつ手堅い分析は高く評価されなければならない。
あえて、本書の物足りなさを挙げるならば、予想していたよりも男性同性愛者の語りがやや少なく感じた点だろうか。
しかし、ゲイ・アクティビストと疫学研究者の協働体制の形成を描くには適切な記述であったと思われる。
この点は、筆者も終章で総括しているので、今後の研究に期待したい。
なお、対象書籍以外の書籍に言及し過ぎたきらいがあるかもしれない。
しかし、HIV/AIDSが広がりや奥行きのある主題であること、本書が議論を想起させる書籍であることから御理解いただきたい。
*作成:
北村 健太郎