<<前の3件 .. 2 3 4 5 6.. 次の3件>>

2024年01月13日

あの日「守旧派」と呼ばれたw

かつて秀吉が鳥取城を攻める前、
まずは、息のかかった商人を多数現地に入らせて「米」を高値で買いまくった。
とんでもない高値。つまりバブルである。

米を持つ者は蔵の中の1粒に至るまで売りまくった。
なんと城内の米庫からも売っちゃった。

そして米がなくなった頃合いを見て秀吉は大軍で攻め込んだ。

だが殺戮はしない。
城下の民を脅し急き立てて鳥取城内に誘導した。

包囲体制コンプリート。

米つまり兵糧の無い城内はすぐに地獄絵となった。

食べられる物なら土壁も食べた。
餓死寸前の者はあっという間に四肢バラバラにされ、有力者が率先して脳を食した。

結果、城主の切腹と引き換えに包囲は解かれた。

餓鬼となった領民たちは慌てて粥を流し込むが、ショックで皆死んだ。

これが後世「鳥取の渇え殺し」と呼ばれる残酷な鳥取城攻略戦そのあらましである。



さしずめ今はどの辺りに当てはまるだろうか..。


2001年4月。
稀代の詐欺師小泉純一郎その内閣支持率は凡そ80%に達していた。

「構造改革なくして景気回復なし」というスローガンを携え、
「聖域なき構造改革」とカッコよく言い放ち、
「郵政三事業の民営化」を「改革の本丸」と位置づけ国民を熱狂させていた。

国の資産をバラバラに切り売りするこの男を私は訝しく思った。

自分のトークラジオ番組(https://fmc.or.jp/qic/)で猛然と大批判を開始した。
(注記)当時、大手検索サイト「excite」のラジオ局ランキングでは、NHKやTOKYO-FMなどを押さえて堂々のトップにいた我々「ウェブラジオFMC」には当然のことながら相当なアクセスがあり、大手印刷会社が買収を持ちかけてくる程の勢いがあった。(売っておけば良かったw)

ドーーーーン。
お客が逃げた。(思いっきりアクセスが低下したよw)

右派も左派も中道もノンポリも「純ちゃんフィーバー」に沸いている日本国に於いて、
純ちゃんのやることにケチをつける榎田信衛門あいつは何だ。
あいつは自民党「守旧派」だ!..と言われた。
当時はSNSが未発達だったので直接叩かれる事は少なかったが、
兎に角お客さん(リスナー)は激減した。

純ちゃんに歯向かう者には「守旧派」というレッテルが貼られ、
それだけで小馬鹿にされていた。

だが、郵政の切り売りを端緒として「地方の衰退」が加速するに違いない。
日本の国土は、末端への金や物の流れが止まっていく。
つまり毛細血管の死。
当然、その末端から壊死していくはず..。

..私にはそんな未来が見えていた。
だから毎回熱く語った。
だが聴く耳を持つ人は少数だった。

あれから20余年。この国はどうだろう。
私の想像以上のスピードで地方は壊死を続けている。
あのとき「守旧派だ」と小馬鹿にしてくれた支持率80%の連中は今どうしているだろうか。

さてさて、そこへ来て天変地異の連続だ。
さらに地方は瓦解していく。

逆に「東京の一極集中」は留まることを知らない。
急き立てられるように人は物は東京に流れる。
大阪だって実は過疎がジワジワ進行している。

極めて近しい未来。
人が物が集まるだけ集まったメガロポリスTOKYOの完成。

最後の総仕上げは「関東直下型地震」かもね。


(宣伝です)
榎田信衛門塾長の『榎塾』第2期塾生募集中!

2023年12月28日

2024年のIBB

40代の頃は早く50歳になって人生を終わらせたかった。
曰く「人間五十年」..『敦盛』の受売りである。

しかし終わらなかったw

故に「これからは人生のアディショナルタイムなのだ〜」と嘯き、半笑いで過ごしてきた。

それからはあっという間。

2014年。50過ぎたのを機に「防災特化型放送局」というコンセプトを打ち立てて、熊本市西区(熊本駅前)にコミュニティ放送局を設立せんと準備を始めた。
秘密裡に独り歩き回り、開局準備に必要な電界強度などのデータを集めて回った。

2015年。ほぼデータが揃った。
ご紹介を受けて複数のリッチ系篤志家殿に事業計画試案などを話し始めていた。
「なんか、イケそうだね!」..そんなことをFMC副代表(当時)と話すまで進捗していた。

だが遅かった。

2016年4月。凡そ100年周期の大地震(熊本大分大地震)が「先」に攻めてきた。

防災特化型放送局の計画自体「100年に一度の大地震に備える」それが最大目標であり希求する最大の戦果のはずだった。
しかし及ばず。見事な大敗北だった。

2000回にも及ぶ大小様々な余震が張り詰めた心を疲弊させ、やがて私は放心状態に陥った。

そんな状態から救い上げ、炊きつけてくれたのは、国内外のFMCリスナーたち。
彼らからの熱い激励と想定外の義援金が「神の手」となって私たちの背中を押したのである。

天井を見上げれば、ずれた壁の隙間から青空が覗くような、尋常じゃない「大破スタジオ」に寝泊まりしながら移転先(みなし仮設住宅)を探す日々が始まった。
ある種の闘争本能が覚醒していた。

奇跡的に見つかった移転先(現在の新南部スタジオ)への引っ越し作戦(2016-ケ号作戦)は体力的にも苛烈を極めたが、2016年7月に作戦完了。FMCの放送は継続する事が叶った。

この一連の流れの中で「マスメディアの災害に対する意識の低さ」に憤り、なんとかしなければと思うようになっていた。
また、「絆」という必殺キーワードで人々に苦難を耐えさせようとする行政の傲慢さも私の怒りに火をつけた。

だから次なる「主戦場」を選ぶことにした。

2019年3月末日。私は大阪に単身移動した。
人生のアディショナルタイムどころか「大舞台」に乗り込んだわけだ。

いずれ来るであろう大災害。その坩堝(るつぼ)となる可能性がある近畿圏(とくに大阪)。
メディアも行政もそして市民自体もその意識は極めて脆弱。ぬるいまんまである。

縁あって入社した全国展開の放送事業社の拠点長は「防災の知見を活かしていろいろやってください」と私に語ってくれた。
今その延長線にあるもの..それが『IBB独立放送旅団』なのかもしれない。

昨夜、私が主宰する私塾『榎塾』の塾生の皆さんとのオンライン会議で、
・NPOや様々な市民団体とのネットワーク構築を進めること。
・それらの組織の広報部門その下支えとしてIBBが威力を発揮すること。
などなど。いろいろな提言をもらった。

地域、文化芸術、福祉、環境、経済、そのほか諸々。
全てに繋がるキーワード..それは「防災・減災」である。

2024年。私たちIBB最大の活動テーマはやっぱり「"災害"という"最大の仮想敵"からの"防衛"」ってことになると思う。
もうちょい短い表現にするとは思うけどw

2023年11月04日

ゴジラ-1.0

山崎貴に戦後を終わらせられるとは思っていなかった。
酷評するつもりで観に行ったのに、真逆の大絶賛だよw

特攻逃れの神木隆之介が零戦52型の20mm機銃を撃てなかったばっかりに島の整備兵はゴジラに踏み潰される。
もっとも20mm機銃で手に追える相手ではないよな。

奇跡的に生き残った神木隆之介は復員。唐突に子連れの浜辺美波と同棲を始める。

恋愛感情抜きの押しかけ同棲を続ける中で神木隆之介は高給「掃海仕事(機雷を除去する危険な仕事)」に従事。
そこで巨大化したゴジラに再会。
間一髪でシンガポールから駆けつけた残存重巡高雄が20.3cm砲をぶっ放つがゴジラに効くわけがなくあっけなく轟沈。

遂に東京に上陸したゴジラは、おなじみの国電吊し上げ+ビル破壊などの妙技を披露しつつ銀座で就職した浜辺美波を核攻撃で吹っ飛ばす。
その前に嫁にしろよ神木隆之介!と突っ込まれるも、
何でも知ってる吉岡秀隆博士の攻撃プランに参加。

やはりそうきたか九州飛行機製の局地戦闘機「震電」で神木隆之介はゴジラとの決戦へ!
一方、東京の守りは(削除) 五式中戦車 (削除ここまで)(四式でした)だわ、残存駆逐艦(復員輸送艦)雪風、響、夕風など史実通りのラインナップが大活躍だわ。ミリオタ胸熱の展開。

山崎貴でしょ人間ドラマはお手のもの。
エノキダさん初めてゴジラで号泣w

ちょっとしたミリオタなら確実に先読みしつつ、
それがストーリーの主軸だもん感動しちゃうさ。

兎に角「特攻礼賛」を全否定する「生きててくれよ!」に満ち満ちたストーリー。
エノキダさんは惚れちゃった。

よく「潜水艦映画に駄作無し」と言うが嘘だね。
だってローレライがあるぢゃんw

やっぱ「駆逐艦映画に駄作無し」だよ。
思いっきり「キスカ」っぽいシーンあるし鳥肌ものよん。

ま。いろいろと突っ込みどころはあるけれど、
私個人としては「傑作」として讃えておきたい。

特攻崩れ神木隆之介が引きずっていた戦時中は見事に終わった。
<<前の3件 .. 2 3 4 5 6.. 次の3件>>

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /