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2012年3月1日木曜日

人生における性計画。

今日は以前にも訪問したことのある学校へいった。
今日は午前に1レッスン、午後に1レッスンの2授業。


昼食をはさむので給食のギゼリ(白く甘くないトウモロコシと豆を煮たもの)をいただく。
奥に写っているのは日本に興味津々の校長先生。


生徒たちを相手に授業を行うと、そこでは必ず毎回色んな発言があり、色んな発見がある。

どの授業でも終盤にはみんなで各自の人生のプランを立て、3~4人の生徒に発表してもらう。

「予定は未定。計画は自由だよ~。」との前置きで、本当に自由に書かせる。


今回印象的だったのは、

「75歳になったら自分の妻とピクニックに行きたい。
 最後は自分の妻を看取ってから丘に埋葬して、その後に自分も寿命をむかえたい。」

と発表してくれた男子生徒(13歳)がいたこと。何かジーンときた。

この人生プランを立てる直前までに授業の中で、HIVのこととか性欲のこととかセックスのこととかを話していることもあって、それらを人生プランにそのまま反映させてくる生徒も結構いる。

20歳:キスをする
45歳:セックスをする
50歳:結婚する

なんて書いている生徒もいて、キスからセックスまで何のプランもなく一気に飛び越した25年間を、一体どう想像しているのだろうか。
興味そそるや~ん。っていう。



28歳:結婚する
34歳:第2夫人と結婚する
と書いてくる生徒もいる。

この場合、最初から第2夫人をもらうつもりでいる初めての結婚と
最初は妻は一人だけでいいと思っている初めての結婚とでは、

初めての結婚相手を選ぶ基準というのはどちらも同じなんだろうか。
と、こちらもまあ色々考える。

毎回の授業の終わりに
「家に帰ったら、自分の人生プランの紙をよく見える所に貼って、毎日読むと叶う確率が上がるよ。」
と伝えるんだけども、


22歳:セックスする
と、、、こんな紙が家のよく見える壁に貼ってあったら親はなんて思うだろうか。とも毎回思う。

2012年2月5日日曜日

マンモス校への授業終わる。

昨年からの計6回の訪問をようやく終え、
昨日ケニア最大のマンモス校であるMireraPrimarySchoolへの巡回授業が終わった。
このミニマタツ(写真右)でタウンから20分。
決して裕福ではない集落。
このステージから徒歩10分のところに学校がある。
校庭と校舎の風景。
この日も風がきつく、砂埃が舞っている。
ベル係の生徒がベルを鳴らして授業の開始と終了を告げる

きっかけは友達のドッティの父親が勤めているということで紹介してもらったこの学校。

ここで授業させてもらった生徒総数は
6年生(約420名)、7年生(約420名)、8年生(約450名)の3学年約1,300名。
授業最終日のラストショット
「サヨナラ、アリガトウ」と子供たちが見送ってくれる
人数が多ければいいってものじゃないけれど、やり終えてみると達成感のある数字。

そして、それ以上にこれだけの数の生徒たちとユニークな人生プランや夢を語る時間を共有出来た充実感がある。

色んな学校に巡回に行かせてもらっていると色んな学校の特徴を感じることができる。

特にこの学校では自主的に発表してくれる生徒たちの表現力の高さにいつも驚かされた。

1クラスに生徒約100名、担任は1名。

常に大人数の中に身を置く生活環境が、そういう生徒を多く生み出しているのだと感じた。

また「ケニアの学校」と一言でいっても、このナイバシャの中だけでも大きな地域格差があり、
学力格差があることを実感する。

学校から徒歩3分にある先生の家でチャイと果物をいただく
活動後、いつも授業サポートに入ってくれた先生の家に招待してもらった。
今シーズン真っ盛りのマンゴーとプラム、そしてチャイをいただき旦那さんも一緒に歓談。

私の授業を毎回サポートしにきてくれた2人の先生がいる。

授業中はほとんど後ろにいて、生徒の理解が不十分であるとき、
少し騒がしく集中できていない時だけ、絶妙のタイミングでサッと指導を入れてくれる。
とてもありがたい存在だった。

歓談の中で、その熱心にサポートしてくれたもう一人の先生の甥っ子がHIV陽性であり、先週私の授業を受けていた生徒の一人だったことを知った。

先生の妹がエイズで亡くなった後、身寄りのない甥っ子を引き取ったらしい。

HIV感染7.4%というのはそういうことが日常にあるということであり、その生徒だけでなく、その他にも多くの陽性の生徒が1,300人の生徒の中に当然いるということである。

伝える生徒の中にもHIV感染者がいる、日本と決定的に違う部分として、発言にはいつも気を遣ってきた。

「その先生や甥っ子にとって、私の授業はどうだったのでしょう?
 何も問題はなかったでしょうか?」
と聞く私に、

「あの先生、毎回すごく喜んでいたわよ。
 MIHARUが教えたのはエイズの知識ことだけじゃないもの。」
と、言ってもらえて、とてもうれしかった。

この授業プランは、同期のエイズ対策の仲間とキャラバンをやった時に
みんなで何度も話しあって行きついた授業プランだったから、そこを褒めてもらえたことがなおさらうれしかった。


明日の日曜はこの先生夫婦と一緒に魚を食べにナイバシャ湖へ行くことになっている。
ナイバシャ湖の魚はあまりおいしくないと聞いていて、今まで一度も食べようとしたことはなかったが、
どうやら結構おいしいということで、食べに連れて行ってもらうことになった。

ナイバシャの生活がこうしてまた一週一週、任期終了に向かっていく。


2012年1月30日月曜日

神様がもしも・・・。

金曜に訪問したのはキャンボゴプライマリースクール。

前日のマンモス校とは大きく異なる小規模校。

この日はこの地元のユースグループで頑張っているジョンという青年に誘われていった。

この小屋が校舎.
幼稚園から6年生までが通っている。

全校生徒はたった60名程

この日とても印象深かったのは、

どの先生も話の中に「神の話」を入れるということ。

学校方針なのか先生たち自身の信仰深さなのか、

どの話も最後は

「それらはすべて神に委ねられている」

「それらはすべて神のみぞ知る」

で締めくくられる。




この日の対象は小学5年生と6年生の28名。

一緒にいったジョンもHuman Resource Development(人的資源開発とか人材育成)

という分野の授業をするといって張り切って生徒に熱く語りかけていた。

完全にカラ回り系男子の匂いがプンプンするジョン25歳は

先生たちの影響をがっつり受けて

「何をすれば神様は喜ぶか?」

と、生徒たちに問いかけていた。

これと自分の人生を考えることはどう関係するのだろうか。


どうやらその正解は  「歌う・祈る・願う」  ことのよう。


私はキリスト教の教えなるものを全く詳しく知らないけれど

もしも、イエス様が松岡修造のような人物であった場合

「言い訳してるんじゃないですか?
できないこと、無理だって
あきらめてるんじゃないですか?
頑張れ頑張れ できるできる 絶対できる


 頑張れもっとやれるって!!やれる!

 気持ちの問題だ!頑張れ頑張れ そこだ!そこだ!

 あきらめんな!絶対に頑張れ!

積極的にポジティブに頑張れ頑張れ!


 北京だって…頑張ってるんだからっ!」

~ イエス〈修造〉様の言葉 ~


こんなことが書いてある聖書だったら、

今頃アフリカ諸国はすっごいことになっていたんじゃないだろうか。

向上心ありまくり、挑戦しまくりの強靭な人材の宝庫に・・・。

と、以前同期隊員と話していたことがある。

しかし、宗教とはそこに一筋でも救いを求めるものだから

これほどの拡がり方はしなかっただろうけども・・・。




続いて、HIV/AIDS予防啓発の分野に入るとジョンは

「全く予習してきてません」と言わんばかりのしどろもどろさで

なんと、明らかにかかってきていない電話を、さも、かかってきたかのように振る舞い

バレバレの小芝居と共に教室から逃亡してしまったため(ありえん・・・。)

そのまる投げされたバトンを拾いつつ

私がHIVの基礎知識とその後の人生プラン設計について授業をすることになった。


小規模校&田舎になると生徒は恥ずかしがり屋になる傾向にある。

「恋人が出来たら何がしたい?」の質問に

「車の運転がしたい」

と、とてつもなく小さな声で回答してくれた男子生徒がいて微笑ましかった。


最後は、信仰深いこの学校で特に力の入る部分。

あなたの人生は、家族が、学校が、国が決定するのではない。

自分の人生を決めるのは、自分でしかない。


ここに「“神”が決めるものでもないんだ」も含めようかと、よっぽど思ったが

学校の方針らしきものを目の当たりにしていることもあり今回はやめておいた。

帰ってきて、何やら真面目ぶってメモをとるジョン。

彼は「心が変われば行動が変わる・・・・・・、人生が変わる」という言葉に


強く感銘を受け、その後しばらく興奮していた。


私から先進国の風を感じたらしい。・・・。
布ナプキン普及も細々とやっておりますよ~。

地元を愛するジョンに連れられ、母校の小学校と高校にも挨拶に行く。

是非、母校にも授業をしてほしいということで来週に来ることがその場で決定した。

長いその道中では地元の全ての人と話がはずむジョン。

地元ユースグループでも活発に活動しているようで、

「僕は地元を愛しているんだ。」「僕が頑張って地元に還元したい。」

この言葉を何度も聞いた。

そして

「今日は僕は自分の力のなさにとてもショックを受けた。

MIHARUの授業を、自分のものにしたい。」

という言葉を聞いた時は、活動終盤ということもありジーンとした。

(後で聞くとジョンは私を自分より年下の22~3歳だと思っていたらしく、
何やらそこがとてもショックだったようだ。
“31歳ですけれど、何か?” といったら、とてつもなく驚き、妙に納得していた。)


情熱と行動力をもつ人物に出会える幸運はケニアでも日本でも同じ。

また面白いことになりそうな予感がした先週だった。


来るもの拒まず学校巡回。

先週は学校巡回を再開した。

水曜日と木曜日にはマタツと徒歩で1時間かけて
ケニア最大のマンモス校、MIRERAプライマリースクールへ。

ケニアの学校の校章は
大抵ペンやノートが書かれている
“SHIMIZU MIHARU”と遠くから連呼している生徒たちが迎えてくれた。

昨年授業をした生徒がフルネームで覚えてくれていたらしい。
ケニアで普段、「シミズ」と呼ばれることはないので嬉しい気分だった。

時間割り担当黒板
○○年生もやってくれない?
いっぺんに3クラスは無理かしら?

と、色んな先生が声をかけてくれるので最近は人数制限なし。

ひとつの教室に入る人数ならOK!無制限一本勝負!ということで


水曜は8年生(日本の中学2年生の年齢)の半分約250名。

木曜は7年生の半分約220名。

来週にまた7年生の半分約220名と続く予定。


さて、最近の完全カオス状態をご覧あれ。


うりゃうりゃとウォーミングアップ開始

ドドッと前に押し寄せる興奮気味の生徒たち

ぎゅうぎゅうでジャンプ後、砂埃マックス。
もう、どうにでもなれ状態。
はい。乗っちゃいました~。カオス!
将来、医者になりたい人~!
どの学校でも人気の職業「医者」

日本とはちょっと様子が違います。
こちらは7年生220名
この先生はいつも授業をサポートしてくれます。

授業が終わるとヘトヘトになってマタツ乗り場まで歩くこと15分。

3,000名を超える生徒たちとの下校は恐怖に等しい光景です。


全てのチャックがきちんと閉まるリュックを背負った子供を見ることは稀。
(というか、見たことないかも。というレベル)
この子たちが「このリュック、もう使えないな~。」と
判断する時はどんな状態の時でしょうか。

乾期真っ只中のナイバシャは、1か月以上雨が降っていません。
町中が砂埃だらけ、鼻ものどもやられます。
この砂埃でカメラのレンズも閉まらなくなりますが
子供たちは免疫力を働かせ鼻水たらしながら
とにかく元気いっぱいです。





2011年11月30日水曜日

エイズを通して、何を伝えるか。

HIV/AIDSといっても、数ある感染症の中のひとつに過ぎない。
授業の中でHIV/ AIDSの正しい知識を教えることが最終目標ではない。
大事なのはHIV/ADISの正しい知識を通して、どのように自分の人生をとらえるか。
自分の人生を考えていく手段のひとつとして、HIV/AIDSに触れること。

教育とは教室の中で完結するものではなく、教室の外でこそ活きていくものにしたい。

大事なのは、「エイズ教育を通して、何を伝えるか。」


ケニアでも日本でも、生徒の前に立つと、そんなことを変わらず思う。

先週までの2週間でナイバシャ内の8校の学校にHIV/AIDSの授業に行った。
この間に授業を通して出会った生徒数は約1,000名。

以下は、その授業の一部。

生徒たちに自分の人生計画表を作成してもらう。

見たこともない「Nintendoスーパーマリオ」の
古着のジャンパーを着こなしているひょうきんな彼。

「何歳まで生きたいかな?何歳まで生きられるかな?」
「子供は何人欲しいかな?」
「いくつで結婚しようかな?」
「どんな職に就こうかな?」
「どこの大学に入ろうかな?」

「129歳まで生きたい。」
「2人の女性と結婚し、20人の子供を産ませる。
 そして75歳で3人目の妻をみつける。」
「26歳になったらセックスして子供作る。」
「相手の男性は自分より2歳上までとする。」
「40歳になったら親の世話をする。」
「スペインでサッカーする。」
「50歳でトヨタの車を買う。」
「パイロットになる。」
「ジョモケニヤッタ大学に入学する。」

生徒たちはそれぞれの人生計画を具体的な年齢と共に自由に紙に記入していく。

記入が終わったら、“自分が結婚する年齢”をマル◎で囲んでもらう。

24歳、27歳、30歳、35歳、40歳、・・・と、もちろんこれも様々。


『ハイ、ここでみんなに質問があります。
 あなたはその年齢まで禁欲できるって断言していますが、
 実際できますか?』


そう質問すると、
今まで無心に言い放ってきた「結婚までは絶対禁欲」という言葉が一気に色づく。

その言葉と自分が書いた具体的な年齢が結びつくことで、一気に自分の現実問題となる。

コントロールが難しい性欲や性行動が自分の人生にも存在するものなんだ、と認識する瞬間。
と、なるかどうかの分かれ目。

「さて、私はみんながよく知っているナイバシャ県病院で働いています。

その病院にあるVCT(HIV検査)ルームで、私は今まで何人ものHIV検査に立ち会ってきました。

そこでは自分がHIV陽性と知った人々の何人かが“神さま・・・”とつぶやいて、涙を流していました。


 “なんで私が??”

 “自分だけは、大丈夫だと思ってた。”
 
 “どこで感染したんだろう?”

 “あの時、、、コンドームをつければよかった。”

 “もっと早くに検査すればよかった。” 


って、きっと感じてると思います。

でも、その人たちもみんなと同じくHIV教育を受けてきた人たちです。

“禁欲こそ最大の予防だ”ということをちゃんと知っている人たちです。」

「さぁ、自分の人生計画、もう一度見てみよう。

あなたは、どんな風に生きたいんだろう。

結婚だって出産だって、みんなバラバラ。

そして、結婚や出産でさえ自分がしたくないっておもえば、しなくてもいいんだよ。

それほどみんなの人生は自由なんです。あなたの人生だから、あなたが決めていいんです。


それと同じく、HIV感染を予防することも、しないことも、あなた自身で選べるんです。

だって、それもあなたの人生だからね。

禁欲で終わらせない。その先を、ちゃんと考える

恋に落ちてどうしても欲求が抑えられなくなったときには、

コンドームというアイテムを使う選択肢も、ちゃんと持っておいてください。」

その後には、現在31歳である私のバラ色(?)の人生計画ももちろん披露する。


“ 私は今31歳です。自分の目標だった教師になって、ボランティアになって、ケニアに来て、
今も計画通り独身で、毎日をとても楽しく送っています。

そして、私もいずれは結婚して子供も産んでみたいなぁって現在は思っています。
でも、それを実現するにはパートナーが必要になってくるので、
私にはかなりの努力が必要だ!!ということだけは自覚しています。”

こう話すとケニアの生徒たちは一斉に笑う。

たぶん、日本の生徒たちの場合はとても気を遣って苦笑する。

伝えたいのは、目の前にいるムズング(白人)が、自分と同じ生身の人間であること、

そして、自分で決めてケニアにまで来て、

自分のやりたいこととして今日この学校に来ているんだ、

ということを生徒たちに印象付けたい。



良くも悪くも、自分の人生を生きている1人の人間のモデルとして、元気に伝える。


そういって引き続き、好きなことを披露している


語弊のある言い方かもしれないが、普段の地域活動に比べると
教室という場所は対象がハッキリしていて、
聞いてくれる人が最初からそこにいてくれるという点でとても楽である。

関心のある生徒からも無関心の生徒からも、
その場で反応がすぐ得られることがこれまた大きな刺激となる。

そして、その対象がまだ性習慣の確立していない子供たちであり、
ケニアの未来を担っていく存在であると意識した時、
自分の発する言葉に一層の責任感が生まれ、それがまた自分を奮い立たせる。
自分の中に大きな力が湧く。



今回嬉しかったのは、年度末ということもあり(年度末大忙しの日本とは違って)、

自由な時間を持て余している多くの先生方がこの授業を見学に来てくれたこと。

常に2~4名の先生が見学し、サポートにも入ってくれた。




お昼をご馳走になることもしばしば。


そして複数の先生が授業後に、

「彼らに人生を考える貴重な機会を作ってくれてありがとう。
 学校を出た後のことなんて普段聞くこともなかったから。」

「人生の全体像から、エイズのことや未来を考えるという手法は
 とても新しく素晴らしいものだった。」

「彼らが生きたいと思う年齢まで夢を実現させながら生きるには
 どうすればいいのか、僕も考えさせられた。」

と、わざわざ感想を言いにきてくれた。
これは本当に嬉しかった。

そういった観点で授業をみてくれたことと、そういった先生方に出会えたことにも感謝したい。

そしてまた、こういった先生たちの紹介で、次のタームにも訪問する学校が決まった。
それが本当に活動のラストスパートとなりそうだ。



そしてまた、新たに加わった課題についてはまた別の機会に書きたい。


2011年11月29日火曜日

東中央アフリカ最大の小学校。

今回のHIV/AIDS巡回授業の最後は東中央アフリカで最大の生徒数を誇るプライマリースクール。

ここは友達のドッティの父親が働いている学校ということで過去にも2度訪問したことがあり、
「短期集中でより大きな効果」を期待してしまう私にとっては
そんな学校が自分の任地にあるという幸運を感じずにはいられない。
何としても授業に行っておきたい学校のひとつだった。

午後から終業式があるという日の午前中に何とか行かせてもらえないか?
とダメもとで、しかもその前日にお願いしてみたところ、すんなり了解してくれた。

ケニアでは2週間前に前もって予約するより、その場での頼み込みの方が、断然有利な場合が多い。
ケニア人の無計画さの中の土壇場の柔軟性を狙い、どさくさに紛れ込んでいく術をこの1年でモノにした気がする。

対象とする7年生(13歳)の生徒数は約500名。5クラス編成ということで1クラス100名に担任1名!!
日本の感覚では、ありえないほど恐ろしいこの比率。

全校生徒3500名を軽く超えてる!!

8年生に進級してもクラス替えはないということなので、
今回は1クラスのみに行い、来年度に残りの4クラスに授業をしに来るということで簡単にまとまった。

さて、呼ばれて入った教室には、生徒がギュウギュウ詰め状態。


「日本の教室よりもはるかに小さい教室に100名はさすがにしんどいなぁ」と思いながら、


「それにしても前日に行った120名の生徒数よりも多い気がするなぁ」と感じて、聞いてみると、


「もう1クラスが、どうしても今日がいいっていうから2クラス合同にしたよ」とのこと。



どうりで、、、ん!?てことは、200名もいんの!?
カオス~~!!



発表の際も机の上を乗り継いで・・・
こんな感じではるばるやって来てくれます。
妄想タイムも
人数が多い分、熱気ムンムン。

妄想シェアタイムも盛り上がる

しかしその分、普段から100名の生徒を束ねている担任の先生たちの統制力は半端なく、
一つ一つの指示が生徒たちにしっかり行き渡っていた。


先生方が前もって指示を出したりしてくれることでメリハリがあり、授業中にも話を聞く環境がちゃんと保たれていたことにとても感心した。

「性のことを話すこともあり30~40名が理想であり、希望だ。」と半年前に交渉していたことが嘘のよう・・・。

普段の集団生活に慣れているせいか、物怖じせずにみんな積極的に発言してくれることで、
性のことやHIVのことを話すことへのイメージ改革につなげてもいいのかもと考える反面、

性という営みについては声を大にして語るものではなく、やはりデリケートな部分であり、
それにふさわしい雰囲気も大切にしないといけないなと感じる。

これはエイズ対策隊員としていつも性について考えているあまりに、麻痺してきている部分・・・。


この日は同期隊員の洋子先生にも見学に来てもらい、最後にはギターも披露してもらって、
授業をより印象づけてもらい活気に満ちた授業となる手助けをしてもらった。

1月からの次のタームに残りのクラス、他の学年にまた行こう。



*洋子隊員のブログでも今回の授業を紹介してもらいました。
ワンマンライブありがとう!また来てや~!(にょきにょき日記『出張授業』

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