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2011年5月21日土曜日

自炊派向け漢のカレーレシピ『手抜きカレーうどん』

人の断絶や孤独の多くは、個人の自然で合理的な理由から作られる。
人は、n人で互いに断絶するのではなく、個々が意識しているかどうかに関わらず個人が断絶を選択し、結果として孤独になる。
原因はそこかしこにある。神の信じ方から尻の拭き方に至るまで、誰かを自分との違いを理由に相容れないと判断することは、もっともらしく簡単で、極めて自然な行為だ。

別々の人格である以上、把握できる範囲が限られているにも関わらず、他人に対して「信じられる」「信じられない」の二者択一に陥ってしまい、信じられないから不安になり、不安から相手を試すという連鎖は良く耳にする。
試す行為自体が果たしてどの様に相手に把握され、反応されているのかすら、実際には推測するしかないのに、なんとかして試し、何らかの回答を得なければ更に不安を増大させる。恋愛の話題では、掃いて捨てるほど聞かれるスパイラルではないだろうか。

自分自身の問いが相手に正確に理解されているかどうかもわからないまま、予め想定していた反応の最悪から最善の間のどの辺りに位置するものだったかを判断することで、得られるものとは何だろう。
つい人を試してしまう孤独な人間の多くは、ただ試し続ける事で単に「一定の手順を消化して何らかの手応えを得たい」という欲望に、それらしい合理的な理由を付けて時間を潰しているに過ぎない。
そこには、常に自分自身がアクティブであること、常に手応えがあることで埋められている間がある。孤独が不安を呼び、そこから逃れるためには何らかのアクションと理由、そして、自分が問いかけた相手からの何らかの反応で時間を埋めて行くことで、気を紛らわせていく。自分自身が納得のいく合理性が自らの正しさを保証している間は、それを停止すること自体、不安の原因になるため、決して手を緩めることはない。
試すことや相手からの反応を得ること、この行為自体にしか目を向けないまま、これを恋愛のプロセスの中心軸と思い込んでしまった人間は、パートナーとの関係の開始と終了に、極めて似通った紋切り型を作る場合が多い。この紋切り型に陥る原因は、精神的な病といった大げさなものではない。自らの合理と正当性に根ざした行動パターンが背景にある以上、必然的に誰に対してもそれを止める必要は無いため、アクティブな人間ほど驚くほど簡単に同じことを繰り返すことになる。ただ、それだけのことである。
「試す」という行為の結果は、ただ打って響けばそれだけで、プラスの反応でもマイナスの反応でも良い場合が多い。むしろ、マイナスの反応、期待外れの反応が、自己否定につながる反応を示す人物にとっては、自己否定自体が安定した完結を得られるため、それにつながる反応が最も安定した合理的な場所になりやすく、そこに向けて何らかのアプローチをする場合が多い。自己否定から続く展開で、どの様に相手との関係を続け、あるいは絶つかのパターンは、人それぞれだが、そのパターンは確実に見て取ることができる。
この独り相撲が何らかの形で決着しない限り、パターンが解消することはない。

前回は、カレーと旨味の働きについて紹介したが、今回はカレー自体を飯やナン以外のものと組み合わせて食す代表格とでも言うべきカレーうどんを紹介する。
思わぬ何かを組み合わせることで、これまでと違うものを産みだす試みは、料理の場合多く見受けられるが、カレーと様々な料理の組み合わせの場合、カレーは組み合わせの相手としっかりとしたマリアージュを果たしているだろうか。全てをカレー味に落ち着けているだけで、カレーはカレーでしかないと考える方が自然ではないだろうか。
そんな見方もできる反面、いわゆるカレー味を基本として、その中に何を組み合わせて行くのか、どの様な展開を見いだしていくのか、いかにカレーと向き合うか。そんな自問に対して、カレーの多様性はアプローチを一定のパターンに止める必要の無い幸福を我々にもたらしてくれる。
試しているのではなく、試されているのだと知れば、行き先は自ずと変化するものだ。

『手抜きカレーうどん』
レトルトパックのカレーを利用して、適当にカレーうどんを作る。
手抜きで作るカレーのベースとしては、カレールゥよりもレトルトカレーの方が手早く広範囲に利用できることから、レトルトカレーの利用は、自炊派にとっては非常になじみ深いものだろう。様々な選択肢があり、ベストチョイスを模索するもよし、こんなものと割り切って適当に食べるも良しの柔軟な存在である。
当然このレシピは、レトルトが必須というわけではなく、幾日か前のカレーを利用しても構わない。
ただし、ここで使ううどんは、市販の柔らかな「ゆでうどん」が好ましい。近年、スーパーやコンビニでみかける冷凍うどんは非常に優秀な食材ではあるものの、腰が強過ぎるきらいがあり、乾麺のうどんでは、太麺を使っても繊細過ぎる。最近流行している闇雲に腰の強いうどんに対する信仰に従い、下記の様なレシピでも、ごわごわの長シャリを至上とする様な認識は、その底の浅さを永久に呪われて然るべきものであると判断する。

  1. 好みのレトルトカレー、ゆでうどん、油揚げ(薄あげ)、ネギ、適当なうどんダシ、片栗粉、カレー粉、生姜。
  2. 熱したフライパンで、油揚げを焼き、パリパリにしてほそ切りにする。
  3. レトルトカレーを何らかの形で熱しておく。
  4. 適当なうどんダシを仕立てる。分量としてはやや少なめ、うどんがひたひたになるより少し多めを心がける。
  5. 適当な火加減で好みの形で切ったネギ、うどん、油揚げをダシに投入。カレー粉も好みの量を投入。
  6. ショウガを適量おろし入れ、水溶き片栗で強めにとろみを付ける。
  7. 丼に移し、レトルトカレーをぶっかける。
※ポイント
ネギや油揚げを投入するタイミングは、好み次第で前後して構わない。
好みの問題にはなるものの、ジャガイモの存在が邪魔な様に感じられる。具の大きいレトルトカレーは避けた方が良い。

2011年4月25日月曜日

自炊派向け漢のカレーレシピ『ホタルイカカレー』

実体験、経験は人を完全に束縛する力を持っている。誰あろう、自分自身が見聞きしたこと以上に真実が無いと感じることを制御することは、なかなか難しいものだ。

例えば、何かの折に動物の解体を一緒に見た後、焼き肉が食べられなかった男性のハナシをする女性の、「男ってこういうところがダメなのよね」と、彼女の他の経験も踏まえたまとめに対して、「あなたが選んだ男性が、たまたまそうだっただけでは?」という水をさしてみたところで、彼女の男性の趣味が変わらない以上、彼女は永遠に血に弱い男性を選び続けることになる。ひょっとしたら、彼女の友人の女性が「私が連れて行った男の人もそうだったわ」と声を揃えたとしよう。しかし、そんな場合でも、真実らしいと推測できるのは「類は友を呼ぶ」という慣用句の確からしさで、決して「男性は流血に弱い」ということではない。
実際、この「男性は流血に弱い」という女性の経験談の根本にあるのは、どんな文脈の雑談であれ、別の意図が含まれるものだということも、言うまでもない。それは、母とはこうだ。父とはこうだ。恋人とはこうだ。という人間関係や性差に対しての厳密さを欠く、個々の経験則の曖昧な一般化による事実捏造の一部であり、「らしさ」という人の個体差を塗り込める方便に過ぎない。

こういった、わざわざ挙げてみれば何の役にも立たない小さな認識が積み重なって、人の事象に対しての枠を作っているとしたら、何を体験しても、その体験を通じてどの様に考えるか。受容できることの幅、深さ、強度というのは、人にとって非常に重要なことだということができる。
人に実際に必要なのは、ポジティブさやリスク管理ができることではなく、一件強く関係している様に見える無関係なことを切り分けて理解する能力であり、過剰に個から全を見ないことではないだろうか。これに対して、無用な幅や多様性が単純な力強さを失わせ、結果として推進力を失わせるというのは、ある意味、そんな単純さを人に求める必要のある側の理論に過ぎない。

カレーにとって、ルゥのとろみとはどんな存在だろうか。一般的なカレーライスのとろみは、水分と小麦粉のものだろう。では、カレーを作る際に、どうしても必要と感じられる水気に対して、人はどの様な認識を持っているだろうか。
カレーを見て「美味しそう」と判断する。つまり経験上、それが美味かどうかを判断する要素として、飯にかけられたカレールゥのとろみは重要な役割を持っている。
しかし、最終的に口に入ったときの素材に絡むスパイスの風味と食感について考えた場合、とろみにのみ着目することは、あまり大きな意味を持たないことに、即座に辿り着くだろう。

前回は、カレーがオイルのスパイス煮であるというひとつの見方を紹介した。他のカレーに対するアプローチの個々の存在理由と真意についても考えてみる必要はないだろうか。
タマネギの水分を十分に抜く理由はなんだろう。ヨーグルトが必要とされる理由は何だろう。カレーのルーツめいたことに合理性を求めたところで、それは既存のものを再現する作業に過ぎない。様々な手順やこだわりも、単に多くの人が判断を停止して定番としているだけの経験則と考えれば、これを一度見直すことで、更に調理を楽しむことができる筈だ。

『ホタルイカカレー』
富山の旬の味覚。ホタルイカの旨味を利用したカレー。
前回に引き続き、旨味と最低限のカレー風味で攻めるので、更なる工夫のベースとしていただきたい。
ホタルイカは酢みそなど、つい繊細なものとして食べてしまいがちだが、所詮はイカ。普通にソースやマヨネーズなどの味とも単純に結合可能だ。
シーフードカレーの存在理由を疑問視する一派の皆さんにも、この調理法を試してみて欲しい。また、これとは関わりなく、お母さんカレーのシーフードカレー(二日目)は、この世から消えてなくなるべきものであると、私は信じている。経験上。
  1. ホタルイカは、ボイルしたものでも、生でも可。生の場合は予めボイルしておく。目玉を取り除くとそれはそれで良い感じ。塩、胡椒、クミンシード、ガラムマサラ、カレー粉、マヨネーズ。ニンニク。生姜。ホウレンソウ、チンゲンサイなどの青菜系の野菜も好みで選び、一口大に切り軽く下茹でしておく。ホウレンソウを使えば風味。チンゲンサイの場合は茎の部分の食感が楽しめる。これは気分で適当に選ぶ。
  2. ニンニクと生姜を適量すりおろしておく。ニンニクの風味をある程度避けたい場合は、ニンニクは全て油に香りを移すことにして、みじん切りにする。
  3. フライパンに油をしく。熱しつつ、クミンシードとみじん切りのニンニクを放り込む。
  4. 熱がまわったらホタルイカを投入。ホタルイカにも適当に熱が回ったところで、塩胡椒を多少強めにする。
  5. ホタルイカの水分が飛ばないうちにマヨネーズとおろしたニンニク、生姜、カレー粉を投入し、馴染ませる。水分が足りないと感じる様なら水を微量投入する。
  6. 青菜を混ぜ込む。塩気、スパイスの具合がここで薄くなる可能性に注意。
※ポイント
魚系の旨味と相性の良いスパイスを工夫する余地は、おおいにある。
ニンニク+マヨネーズ風味とホタルイカの風味を先に確認しておくこともおすすめする。ホタルイカ+ニラのニンニクとマヨネーズ炒めは、上記の手順を援用して簡単に作ることができる。
マヨネーズ、ニンニク、生姜を避けて、グリーンカレー系のレトルトやペーストを仕上げに放り込んでも普通に楽しめる。

2011年4月8日金曜日

自炊派向け漢のカレーレシピ『バナナカレー』

単に自炊生活が長かった結果、たまたま調理できる様になってしまい、そこで充足できてしまった人間にとって、外食を味気ないと感じてしまう瞬間や、あまり料理をしない人間から出てくる、○○の味は最高、私のこだわり料理といったハナシは、世の中に多くある、語るに値しない話題である。こう切り捨てることに異論はないだろう。

実際、材料を切って煮てルーを入れればできてしまうカレーは、生活の中で調理そのものと向き合うという意味では、たいして打ち込むべき要素のない料理ということができる。
例えばレトルトカレーをベースにすれば、10分もかけずに、所要時間なりに納得のいくカレーはできてしまう。だがそこで時間をかけることにして、タマネギを長時間炒めてみたり、鶏ガラでスープを取ってみたりすれば、なんとなくそれらしい結果もついてくる。いわゆるカレーライスとは、そんな料理だ。

自分の好きな味を少し模索すると、味の満足度だけなら「母のカレー」を簡単に越えることも可能な筈で、その場所への到達は、ほんのローリエ一枚、ガラムマサラ一振りで達成されることもある。それでも、母親のカレーが特別視され続ける理由はなんだろうか。
家庭に十分普及したカレーライスが得た普遍性は、こんな落とし穴を作ってしまった。カレーは、ありふれているが故の多様さ故に、「とりあえず食えれば良い」という低い要求にも、「なんですかそれ」というこだわりにも等しく応えてしまう。しかも、カレーライスのお店に行く、インド料理のお店に行く、家で食べる。キャンプで食べる。どれも同じカレーでありながら、それぞれ心の中では別物として認識されている。にも関わらず「カレー」は常に、記憶の中で平坦にされ、一緒くたにされるところからスタートする。いざこれを掘り起こしても、「あれも良いけどこれもいい」「カレーってどれもこれも美味しいよね」という他愛も無い場所に収斂していくか、「やっぱりお母さんのカレーだよね」といった、おふくろの味という袋小路の定位置に落ち着いてしまう。

冒頭の「自炊生活が長かった結果、料理できる様になった」自炊派の多くは、とりあえず母親の味であれば、完全にコピーしているか、何らかの手段で越えているか、違うアプローチをすることで対峙を避けているものと思う。少し考えれば、全てのカレーが明確に分かれていく筈で、やはり自分の口に合うものは、よほどフィーリングの合う店を探すか、自分で模索する以外ないのだ。
そんなわけで、「カレー」の範疇に入るであろう調理のレシピを自炊派に提供していきたい。当然、必殺レシピでもなんでもなく、ただ、自分で食うものの味は自分でどうにかできる人間にとって、「ああ、そんな風にやるのか」という程度の情報を書き綴っていきたい。グラム単位で書いてもらえなければ、自分の中で分量が組み立てられないということであれば、今暫く調理をこなすこと自体に向き合うか、誰かに作ってもらうということで、ご容赦願いたい。

『バナナカレー』
熟したバナナを利用した、ひき肉のカレー。
カレーというのは、オイル+スパイスであるというひとつの主義がある。ダシの旨味に呪われた日本人にとって、市販のカレールゥというのはとても都合の良いもので、カレー粉を使ってもなかなか中盤の旨味というか、ボディめいたものが再現できなくて、挫折してルゥに戻っていくケースが多く見受けられる。また、脱サラしてこだわりのカレー屋をというお店の中には、ボディの弱いカレーにスパイスでの解決を挑んでいるお店も多い。
熟したバナナとひき肉の脂は、このボディの問題を簡単にカバーしてくれるので、うっかりバナナを茶色くしてしまって、腐らせてはいないものの、どうしたものかと言う場合には、ぜひ捨てずに試してみて欲しい。

  1. 適度に茶色くなったバナナ。適当なひき肉。タマネギ。塩。胡椒。クミンシード。ガラムマサラ。ターメリック。カレー粉(スパイスは実際のところ適当。個人 的にはカルダモンとかナツメグちょっとだけあると嬉しい。最低限、カレー粉と胡椒を準備)。豆の水煮(五種豆とかのやつ推奨。大豆のみは食感単調)。コーン缶も一応、許容範囲。
  2. タマネギを1/4個ばかりみじん切りにする。バナナも1本〜2本むいて小さく切っておく。
  3. フライパンに油をしく。熱しつつ、クミンシードを放り込んでしまう。熱が回ったら、みじん切りのタマネギも放り込んで炒める。
  4. タマネギの火の通り方はお好みで。ひき肉を放り込む。とりあえず、挽肉に塩。強めに胡椒。
  5. タマネギの汁気やら、ひき肉の油が出てくるので、そこに満を持してバナナを放り込む。
  6. バナナは案外さっくり馴染むので、そこにカレー粉やらガラムマサラやらを放り込んで完成。同時に豆水煮、コーン缶なんぞを放り込んでしまえば、彩りや食感もばっちり。
※ポイント
宿命的にバナナの熟し具合が味を支配する。熟しすぎると少しえぐくなるので注意。
塩辛いのは限度を超えるとヤバいけど、胡椒辛いのはなんだかんだで大丈夫。味の調整はその辺を考慮して自在に!
以外と風味が繊細にぶつかり合うポイントがあるので、具なども工夫次第でかなり楽しめるので、いろいろお試しあれ。

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