大鳥圭介 | 石橋庵の四季

石橋庵の四季
埼玉県秩父市太田1757にある季節限定手打ちそば
石橋庵からのお知らせや季節のメニューなどをご紹介するブログです。
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大鳥圭介

審査総長大鳥圭介とある賞状 三等賞にしては立派ですね
石橋庵とどういう関係があるのかと云われそうですが土蔵から古い賞状が出てきました。今の賞状の2倍くらいの大きさで頑丈な木の額縁に入っています。私の曾祖父、角蔵が大豆の品評会で3等賞を取ったときのものです。日付けは明治36年7月1日、その中に審査総長正三位勲一等男爵大鳥圭介という名前が出てきます。大鳥圭介と云えば明治維新の時代、函館五稜郭で新政府軍に対し旧幕府軍の陸軍奉行として榎本武揚、土方歳三等とともに最後まで戦った一人です。土方歳三は今テレビ、雑誌その他でスーパースターになり活躍していますが大鳥圭介、榎本武揚等は降伏して入獄、出獄後は新政府へ仕えその能力を発揮して明治政府の高官になりました。大鳥圭介は特に殖産興業に尽力したので農業の分野に名前が出てきたのだと思います。歴史上の人物の名前がこんな所に出てきたのに少し驚きました。
石橋庵の駐車場の隅に古い顕彰碑が建っています。明治、大正の頃養蚕振興に功績のあった角蔵に対し地域の人たちが建ててくれたものです。明治政府は明治5年日本の近代化のために富岡製糸場をつくりました。昨年世界遺産に登録され話題になっています。当時の政策が秩父へも波及して養蚕が盛んになったものと思われます。当時角蔵達が作った小さな製糸工場の遺構が私の子供の頃までありましたが今は井戸だけが残っています。今年は戦後70年、年月のたつのは早いものです。そこから逆に70数年遡ると明治維新の頃であり,大鳥圭介は明治42年(私の生まれる約30年前)まで生きていた。遠い明治を少し近く感じました。
2015年07月20日 Monday 22:15
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