本図は、与謝蕪村(よさ ぶそん:1716〜1782)の高弟で「近江蕪村」と呼ばれた近江ゆかりの画人・紀楳亭(きばいてい:1734〜1810)の作品です。楳亭は天明8年(1788)に大火(天明の大火)に遭い、それまで住んでいた京を離れ、近江大津に居を移します。
この移住は、楳亭の画人としてのあり方に少なからず影響を与えたようで、例えば、それまで画号を中国風の「巖郁(がんいく)」としていましたが、移住後は姓を「紀」とし、名に「楳亭」、「槑美(ばいび)」を用いるようになります。これは当時の京を席巻していた漢学や中国文化から少し距離を置いて、移住地・大津に溶け込んでいったためと考えられています。
さらに還暦後の作品には、俗名の立花屋九兵衛によってか、「九老」と署名するようになります。本図にも、「蓬莱群仙之図/七十翁/九老写」と署名されており、古希(70歳)の時の作であることがわかります。
大津移住後の作品を概観すると、福禄寿や恵比須などといった神仙(仙人)を描いた、いわゆる縁起物の作品が多いことに気づかされます。これは大津町人から長寿や商売繁盛を願った作品の注文を受けていたためと思われます。また楳亭が思う存分才能を発揮できたのもこの大津町人の経済的基盤があったためともいえます。
本図においても25人もの蓬莱の群仙が描かれており、その表情はどれも穏やかでコミカルな印象さえ与えてくれます。一方、背景の溶岩のようにせり出した山肌の表現は、もう一つの楳亭画の特徴で、これから最晩年にかけて、独特な山水景を完成させていきます(「雪景山水図」個人蔵/琵琶湖文化館寄託など)。
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なお、同じ画題の作品がいくつか現存していますが、ほぼ同時期で同題の作品が滋賀県立美術館に収蔵されており、平成28年(2016)秋に美術館の前身である滋賀県立近代美術館で開催された「つながる美・引き継ぐ心-琵琶湖文化館の足跡と新たな美術館-」展に滋賀県立美術館本、琵琶湖文化館本ともに出展されました。
( 渡邊 勇祐 )