鉄鋼産業のGXに向けた取組みと課題
一般社団法人日本鉄鋼連盟エネルギー技術委員長 JFEスチール株式会社専門主監 手塚宏之
鉄鋼産業はカーボンニュートラル化が最も困難な産業の一つと言われている。酸化鉄である鉄鉱石から炭素により酸素をはがして純鉄をつくる還元プロセス(高炉)から、必然的にCO2が発生してしまうからであり、世界の年間粗鋼生産量約18億トンの7割強は石炭を使った高炉プロセスで作られている。人類が鉄器時代から活用してきたこの製鉄法を脱炭素化していく道は極めて険しい。
鉄鋼業には脱炭素を実現する代替技術が当面存在しないなか、日本では業界と政府が協力し、CO2排出削減に向けて必要となる革新的技術開発のシナリオを作り、それをもとに政府は2021年10月に「トランジションファイナンスに関する鉄鋼分野における技術ロードマップ」を公表した。そこでは究極的な脱炭素プロセスである「直接水素還元製鉄」に加え、既存の高炉に直接的・間接的に水素を入れて大幅な排出削減を段階的に実現する「超革新高炉」、電気炉でスクラップを再生利用しながら不純物を抑制して、低排出で高炉並みの高機能鋼材をつくる「超革新電気炉」といった複線的な排出低減アプローチが示され、各技術のハードルの高さにもとづいた開発スケジュール、水素や非化石電力といった必要となるインフラの大規模整備時期等を勘案しつつ、2030年〜50年に向けて段階的かつ着実に実装していくトランジションの姿が示されている。
日本に先行して野心的な目標を掲げて脱炭素政策に向かっていた欧州では、排出ゼロを一気に実現する「グリーン」な(未完成)技術に資金の流れを集中させるため、グリーン/非グリーン技術を峻別する「タクソノミー」を設定して、化石燃料など非グリーン資産への資金供給を規制する動きを見せていた。鉄鋼分野でも多排出設備である高炉の廃止や直接水素還元製鉄に一足飛びで向かうシナリオが標榜されていたが、水素還元製鉄は未完成技術であり、周辺インフラの未整備とあいまって大規模実装には程遠く、欧州で当初計画されていたグリーン製鉄プロジェクトの多くは延期・撤回されている。
日本のロードマップでは、鉄鋼業が8,000万トンを超える国内粗鋼生産を続け、社会や産業を支える高機能な鋼材を供給しながら革新技術開発を進め、その成果を段階的に実装していくことで着実な排出削減を進めて2050年カーボンニュートラルを目指すという現実的なロードマップが示されている。理想論を掲げる欧州に比べ、技術的・経済的な現実論から段階的に削減を進めていく日本のアプローチには当初、野心度が低いといった懐疑の声も挙がったが、鉄鋼のような大規模かつ多排出な装置産業において、一足飛びに排出ゼロに至るのは難しい。事業を継続しながら革新技術開発を進め、着実に排出削減を実現していく「トランジション」の道筋を示し、それに必要とされる何兆円にも上る巨額の資金を「トランジションファイナンス」のかたちで段階的かつ継続的に供給していくということが必要なのである。鉄鋼産業は政府のGI基金、GX移行債等から初期投資への資金支援を得て、長いロードマップの坂道を登り始めている。
そこで今後大きな課題となってくるのが、漸次開発された削減技術を巨費を投じて実装していくなかで、段階的に実現された排出削減実績量を割り当てた「低炭素だが従来よりも高コストなグリーン鋼材(GX鋼材)」に「適切な環境プレミアム」が付いて着実に売れていくといくことで、投資回収の予見性が担保された市場を創出できるかどうかである。鉄鋼業のGX投資が「トランジションファイナンス」に支えられて着実に進むかどうかは、「革新技術開発」と「大規模なグリーン製品の需要創出」の成否にかかっている。
手塚 宏之(てづか ひろゆき)一般社団法人日本鉄鋼連盟エネルギー技術委員長
JFEスチール株式会社専門主監
東京大学工学部物理工学科卒。MITスローン経営大学院でMBAを取得。
日本鋼管(現JFEスチール)入社後、製鉄所の制御システム開発、新素材事業の立ち上げなどに従事。総合企画部を経てワシントン事務所長、米ナショナルスチール社経営管理部長として8年にわたり米国勤務。2007年から気候変動・環境エネルギー問題を担当し、温暖化対策と環境エネルギー政策分野で内外の活動に従事。現在、JFEスチールの地球環境問題担当専門主監(フェロー)として、経団連環境安全委員会国際環境戦略WG座長、日本鉄鋼連盟エネルギー技術委員長、OECDビジネス諮問委員会(BIAC)環境エネルギー委員会の副委員長などを務めているほか、経済産業省、環境省、金融庁などの多くの政府審議会、研究会の委員を歴任している。