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町田の菅沢大我アカデミーダイレクターは"愛弟子"神戸MF井出の快挙祝福「体重40キロ台の選手が...」

[ 2023年12月2日 06:00 ]

井出遙也や久保裕也らを育てた菅沢大我・町田アカデミーダイレクター(菅澤大我氏提供)
Photo By スポニチ

来季J1初昇格する町田の菅沢大我アカデミーダイレクター(49)が1日、かつての教え子でJ1初優勝を成し遂げた神戸MF井出遙也(29)の快挙を喜んだ。J2千葉時代にトップ昇格させた経緯や昨年在籍したJ2東京Vでの苦悩...。井出の結婚式でスピーチを依頼されるほど昵懇(じっこん)の間柄で、苦楽を知るからこそクラブの垣根を越えて祝福し、井出に続くJリーガー育成へ意欲をかき立てられている。

菅沢氏が井出と出会ったのは2010年。千葉U―18コーチに就任した時だった。同チームでプレーしていた当時高校1年生に目を留めた。「小さくて、細くて...体重は40キロ台」だったが、切れ味鋭い高速ターンに目を奪われた。重心移動はスムーズ。両足を自在に駆使して左右問わずに相手をかわす。「こういう選手がピッチに立たないとサッカーは面白くないよな。絶対にプロにしてやろう」。出会った初日に決意した。

井出はシュートがヘタだった。「そこが良かったら、もう少し早く認められていたかもしれない」と菅沢氏は笑うが、短所ではなく長所を伸ばす選択をした。京都U―18でFW久保裕也(シンシナティー)を指導する際には元フランス代表FWトレゼゲのシュートパターンを何種類も映像分析して染みこませた。井出に対してはブラジル代表FWネイマールや元スペイン代表MFイニエスタのプレー映像を何度も見せたという。

「まさか、そのイニエスタと同じチームになるとは...」。のちの競演など当時は知る由(よし)もない。プロに送り出すべく指導。千葉トップチームのヘッドコーチに昇格した菅沢氏は11年12月3日の水戸戦で"約束通り"プロの舞台に送り出した。まだ線が細い少年のトップ昇格に周囲から疑問を投げかけられることもあった。それを突っぱねてデビューさせた。

その後、井出は千葉からG大阪へ羽ばたき、J2山形、J2東京Vへと活躍の場を移した。菅沢氏もJ2熊本や女子チームで指導者としてのタクトを振った。それでも師弟の固い絆は変わらなかった。そして22年オフは何度も相談に乗った。

21年7月に脚を負傷した井出は完治しないまま、時間だけが過ぎていた。契約は23年度まで残されていたものの、クラブから"居場所がない"と非情な通告を受けていた。脚の痛みを抱えながら移籍先を探す日々。だが結婚式を間近に控えても、オファーが届きそうなのはJ2中堅以下だった。そんな中、救いの手を差し伸べたのが21年夏まで東京Vで指揮官を務め、22年3月から神戸のスポーツダイレクター(SD)に就任していた永井秀樹氏だった。インテンシティーを身につけた神戸ではJ1得点を記録。優勝を決めた11月25日の名古屋戦では芸術的な右足シュートを叩き込んだ。

数々の教え子をプロの世界に羽ばたかせた菅沢氏は「町田トップの黒田監督も、おっしゃっているが、どんなサッカーにも対応できるチームを目指している。5年、10年というスパンでサッカーは変わる。そこに対応できたのが井出だし、そういう選手を育てていくのが育成の使命」と強調する。直接指導することは立場上控えているが「子供のうちからやっておかなきゃいけないことがある」と町田アカデミーでも、うまさと賢さを日々、追求している。

現在、町田U―18は東京都1部所属。近隣には東京Vや川崎Fなど多くのライバルがいる。「強くなるためには15年は必要。コロコロと育成方針が変わっていてはダメ。良いスタッフを配置して、変わらず耐えるのが強豪への最短ルート。ここから町田ブランドを作っていく」。自らの眼力と指導方針を信じ、井出に続くJ1王者選手を輩出していく。

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