「かわいそう」ではありません
神奈川県 藤沢市立湘南台中学校 3年
寺内 瑞偉(てらうち すい)
「お腹にいるときに病気が分からなかったの。
分かっていたら産まなくても良
かったのにね。かわいそうに。」
これは、
まだ私が保育園児だったときに、
近くを歩いていたおばあさんが突然
発した言葉だ。最初、私は何が起こったのか分からず、声のする方を見上げた。
すると、おばあさんは弟を抱っこしながら歩いている母に向かって話している
ことが分かった。弟は、
先天性の心疾患がある。生まれたときから手術や入院を
繰り返し、1歳過ぎまで、
在宅酸素の機械を使用しなければならなかった。もち
ろん、外出するときには、
大きい酸素ボンベを持たないと外出ができない。だか
ら、
母はリュックサックに酸素ボンベを入れて背負い、
弟を前向き抱っこして園
に迎えに来ていた。弟は酸素ボンベとつないだ鼻カニュレにより酸素を吸入し
ているのが当たり前だった。
のぞきこむように弟を見ているおばあさんに、
母は
それとなく会釈し、
私の手をひいて逃げるように家へ帰った。
おばあさんが言っ
ていた、
「かわいそう」
とは一体何をさしているのだろうと不思議に思ったこと、
母と握っていた私の手には指の跡が赤く残っていて驚いたことを、私は今でも
鮮明に覚えている。
言葉の意味を理解したのは、数年後だった。
たまたま目にした『コウノドリ』
というドラマの中で「出生前診断」
というものがあることを学んだ。これは出生
前に、
胎児の染色体疾患などが分かるものだ。
そのため、
あらかじめ疾患を知り、
出生後の治療に役立てることにも、中絶という結果を招くということにもつな
がるのだそうだ。
あの時のおばあさんの言葉が頭をよぎり、
私は燃えるような怒
りを感じた。
大病と闘いながら生きていくくらいなら、
産まないであげたほうが
良かったのにと言われていたのと同じだということに気がついたからだ。弟は、
生きる価値がないのだろうか、「かわいそう」な存在なのだろうか。
私はそうは思わない。私には、もう一人弟がいるのだが、病気があってもな
くても、どちらも変わらない大切な弟たちだ。毎日よく怒って泣いて笑って騒
々しく過ごしている。決して「かわいそう」な存在ではない。だから、もし悪気
第 42 回全国中学生人権作文コンテスト
文部科学大臣 賞
なく発した言葉だったとしても、
この世に生まれてきた命を、
否定するような恐
ろしい言葉だったということ、本人だけでなく家族全員を傷つける言葉だった
ということを知ってほしいと、心から強く思った。
自分とは異なる面をもつ人のことを「かわいそう」に感じている人が、実は多
くいるのではないかと、私は思う。例えば、私は左利きなのだが、
「右利きに直
さなくていいの。」と聞かれたことや「左利きは不便でしょ。」と言われたこと
が何回もあった。
物心ついたときから左利きなので、
不便に感じたことはなかっ
た。しかし、右利きが多数派で左利きは「かわいそう」というレッテルをはられ
ているような言葉に、
良い気持ちはしなかった。
利き手や病気は生まれながらに
して自分の一部であるのだから、個性みたいなものだと、私は思う。個性は魅力
でもある。みんなが同じでは、むしろ意味がないのではないだろうか。弟は、今
でも感染に気をつける必要があるため、何かと制限があり窮屈さはある。しか
し、できることを、
精一杯楽しんでいるように見える。いつも笑っているから、
自然と周りには人が集まり、
私からしたらうらやましいくらいだ。
弟は魅力のか
たまりである。
「多様性」について、小学校や中学校で学ぶ機会があった。多様性を受け入れ
て生きていくということは、
自分と比べて、
異なる面を持つ他者を
「かわいそう」
だと感じることではないし、みんなと同じでなければ不幸だということでもな
い。その視点にたつことこそが重要だと、私は考えるようになった。
つまり、多様性とは、
一人ひとりの生き方を尊重していくことで、他者を上か
ら見ることでも下から見ることでもなく、
比較することでもない。
有りのままを
認めて、毎日を共に生きることだと思う。
そもそも、苦手なことを克服するため
に費やす時間は人それぞれ違うはずだ。
鉛筆をにぎる練習に、
弟は何ヶ月間費や
したのか分からない。手術の繰り返しで指先に力が入らなくなってしまったか
らだ。でも、
弟は毎日練習して、今では鉛筆をにぎって文字を書けるようになっ
た。それが全てであり、他者との比較は不要なのだ。
できなくて仕方ないとか、代わりにしてあげるというような考え方ではなく、
挑戦していることをそっと見守り、できるようになったことを素直に「すごい
ね」と、声をかけ合える社会になれば、みんなが笑顔になると思う。きっと「か
わいそうに。」
という言葉や考え方もなくなり、誰もが自分らしく自分のペース
で胸をはって生きていけるはずだ。
そんな社会を目指して、
これからも私は弟と
笑顔で生きていく。