私法と
消費者保護
単元設定の趣旨第1
「私法と消費者保護」の単元は,
「個人と個人の関係を規律する私法分野について,学習機会の充実を図る。
その際には,日常生活における身近な問題を題材にするなどの工夫をして,契約自由の原則,私的自治の原
則などの,私法の基本的な考え方について理解させるとともに,企業活動や消費者保護などの経済活動に関
する問題が法と深くかかわっていることを認識させる」
(報告書第3の1(2)イ)ことを目指すものである。
こうしたねらいを踏まえ,本教材では,中学校社会科公民的分野で扱われる市場における商品の売買と消
費者保護について,私的自治の原則から捉えさせるものとした。
1学習指導要領の内容
学習指導要領(社会科[公民的分野]
)は,大項目「
(1)私たちと現代社会」の中項目「イ 現代社会を
とらえる見方や考え方」で,
「契約の重要性やそれを守ることの意義及び個人の責任などに気付かせる」と記
されており,また,
「解説」には,
「社会生活で人々がきまりを作ったり取り決めを行ったりしている活動を
改めて
『契約』
という概念で捉え直し,
それを守ることによってそれぞれの権利や利益が保障されていること,
またお互いが納得して受け入れられたものである限りその結果について責任が伴うことを気付かせる」とさ
れている。次に,大項目「
(2)私たちと経済」の中項目「ア 市場の働きと経済」では,経済活動の意義に
ついて消費生活を中心に理解させるとともに,市場経済の基本的な考え方を学ばせるようになっている。こ
の学習では,市場における商品の売買が取り上げられるが,本教材では生徒の身近な経済活動である商品の
購入について,大項目(1)の中項目イの学習の成果を踏まえ,対等な個人が自由な意思に基づきながら行
う契約という観点から改めて捉え直させ,市民社会における自由と責任を考えさせるようにしている。その
上で,市場の働きにゆだねることが難しい問題として扱われる,大項目(2)の中項目「イ 国民の生活と
政府の役割」の「消費者の保護」の学習と関連させるようにしている。その際,
「消費者の自立の支援なども
含めた消費者保護行政を取り扱う」
(学習指導要領「内容の取扱い」
)に留意して,本教材では,消費者基本
法(旧消費者保護基本法)や消費者契約法,消費者教育推進法も含めて取り扱うようにしている。
また,
学習指導要領
(技術・家庭科)
の家庭分野は,
大項目
「D 身近な消費生活と環境」
で取り扱われる(1)「家庭生活と消費」で「ア 自分や家族の消費生活に関心をもち,消費者の基本的な権利と責任について理解12
法教育における
「私法と消費者保護」の学習の必要性
「私法と消費者保護」
に関する
学習指導要領や教科書の記述046すること」と記されており,
「解説」には「消費者に関わるトラブルについてロールプレイングしたり」する
とある。消費者基本法の趣旨を理解できるようにするとともに,実際の消費生活とかかわらせて,より具体
的に考えさせることが重要であるとされている。
2教科書の記述
社会科の教科書では,民法は,
「平等権」に関連させて家族に関する法律として記述されたり,巻末に資料
として記載されたりしていることが多い。私法自治の原則は,法との関連ではなく,契約という行為に関連
させて教科書に記述されており,全体的には消費者保護などに関連して記述する教科書が多い。私たちと現
代社会や特設ページで触れているものもある。
技術・家庭科(家庭分野)の教科書では,消費者基本法の内容について触れている記述があるが,全体的
には販売方法や身の回りのマーク,消費者トラブル,クーリング・オフのやり方など具体的な記述が多い。
私法と消費者保護047単元第2大項目 「(2)私たちと経済」
中項目
「ア 市場の働きと経済」 「イ 国民の生活と政府の役割」132単元の構成
単元の位置付け
単元の目標
第1時 契約とは何だろう 「私法と消費者保護」の単元は,中学校社会科公民的分野で実施する。消費者保
護の授業は1時間程度の扱いとなる場合が多いが,経済活動を対等な当事者間での
契約を中心に捉えさせた上で,対等ではない立場の間で結ばれた契約の事例を素材
に消費者保護の問題を考えさせるなど,先の二つの中項目と関連させた学習を展開させることで,学習内容
の充実を図った。
1身近な経済活動に対する関心を高めるとともに,具体的な事例を通じて,契約成立
の要件や,いったん成立した契約が例外的に解消できる場合について理解させる。
2契約は,対等な個人の自由な意思に基づいて結ばれ,その結果,法律上の権利と義
務が発生することを理解させる。
3消費者が不利な条件のもとで契約を結んだ場合,後に契約を解消できる仕組みを作るなど,国や地方公共
団体が消費者を保護するための施策を実施していることを理解させる。0484 単元の指導計画
「私法と消費者保護」の概要
まず導入部で「契約とは何だろう」というテーマのもと,売買契約や雇用契約,
賃貸借契約など日常生活で見られる契約の具体例をいくつか挙げてイメージを持たせる。
次の展開1で契約がどのように結ばれるのか捉えさせる。具体的には,売買契約を結ぶ際に,いつの時点
で契約が成立したと言えるのか考えさせ,買い手と売り手の意思が合致したときに契約が成立したこと,契
約は守られるべきものであることを確認する。
そして,展開2で「契約が解消できるとき,できないとき」というテーマのもと,ハプニングカードを使っ
て,契約が原則通り解消できない場合(ハプニングカードA,
B)と,例外的に,様々な事情により契約が解
消できる場合(ハプニングカードC)があることを学習する。それぞれのA〜Cの場合,契約を解消できる
のかできないのか,またその結果が社会的にどのような影響を与えるのか考えさせる。
最後の展開3では,
「契約が解消できる特別な場合」というテーマのもと,契約がいったん成立した後,解
消できるのは例外的な場合であり,
その一つとして消費者保護が位置付けられることを学習する。
具体的には,
正しい情報や十分に考える時間を与えられていないまま契約を結ぶ状況になったときなどに契約が解消でき
ること,このような契約を解消できる仕組みを国が作るなど,国や地方公共団体に消費者を保護する役割が
あることをまとめる学習を,ハプニングカードDをもとにして行う。
まとめでは,対等な個々人の契約で成り立つ市民社会では自由と責任,権利と義務が基本原則であること,
そのために私たちは自由に契約を結ぶことができることなどを押さえ,この授業で得たことなどを振り返ら
せて授業をまとめる。
なお,本単元の指導において,特に留意しておく必要のある事項については,単元の指導計画の後に「法
律家からのメッセージ」として掲載している。
私法と消費者保護049学習内容 学習活動
(教師の指示・発問と生徒の予想される答え) 指導上の留意点
1時間
単元の指導計画第3契約とは何だろう
第1時 契約とは何だろう導 入身近な契約例を
考える。
わたしたちの身の周りで,
契約という言葉を聞いた
ことがありますか。
●くろまる契約書を見たり,
実際に書いたりしたことがある
か尋ねる。
<予想される反応>
●くろまる野球選手の契約
●くろまる映画俳優の契約 など
<契約の例>
●くろまるコンビニエンスストアでジュースを買う→店との
売買契約
●くろまる電車に乗るために切符を買う→鉄道会社との旅
客運送契約
●くろまる家に住むための家賃を払う→家主との間の賃貸
借契約
・日常生活を振り返って,
例に挙げる各行為が契
約に該当するかどうか
答えさせる。
・契約とは法的な効力を
持つ約束であることを
理解させる。展開1契約の原則を
理解する。
契約とはどのようにして結ばれるのでしょうか。
例えば,
売買契約を結ぶ際,
いつの時点で契約が
成立したと言えるか,
次から一つ選んでみましょ
う。
また,
なぜそのように思ったのか,
仲間と話し
合ってみましょう。
・現実の買い物の場面では,売り手と買い手が左
側の問いのような言葉
を交わした上で,
互いの
意思の合致を行うこと
は少ないことを留意さ
せる。ア)買い手が品物を売り手のところに持って行き,
「これください」
と言った時。イ)売り手が買い手に,
「はい」
と言った時。ウ)買い手が売り手に代金を支払った時。エ)売り手から買い手に商品の受け渡しがなされ
た時。050学習内容 学習活動
(教師の指示・発問と生徒の予想される答え) 指導上の留意点展開1●くろまるこの商品を売る,
買うという,
売り手と買い手の
意思が合致した時点で,
つまり口頭での合意の
場合でも契約関係が生じることを説明し,
契約
の基本原則を理解させる。
●くろまる契約は法的な約束であり,
意思が合致さえすれば,自由に結ぶことができることを理解させる。展開2契約の原則と重
要性を確認する。
契約を解消でき
るかどうかにつ
いて,
事例を元に
確認し,
理由を考
える。
契約を結んだ内容がきちんと実行されない場合,
どのような社会になるだろうか。
・契約が履行されない社
会について,
具体例を挙
げて想像させる。
<予想される反応>
●くろまるお金を払ったのに品物をもらえない。
●くろまる切符を買ったのに自分が行きたい駅に行けない。
●くろまる事前に家賃を払っているのに違う人が住んでいた。
<教師による説明>
●くろまる契約は当事者間の自由な意思が合致して成り
立っており,
一度結ばれた以上,
法律上の権利と
義務が発生し,
それを守るべき責任がある。
市民
社会における経済活動は契約が守られることで
成り立っていることを理解させ,
契約違反が常態
化した社会が一体どのようになるか想像させる。
●くろまる無責任な契約が横行してしまうと,
自由な経済
活動を妨げ,
市民社会のルールと信頼を壊すこと,したがって契約は必ず守られるべきものであ
ることを理解させる。
一度結んだ契約は解消できないのだろうか。
<小グルー
プによる活動>
●くろまるA〜Cのハプニングカードを小グループごとに
提示し,
それぞれの事例の場合,
契約を解消でき
るのか,
できないのか考えさせる。
また,
なぜそ
のように思ったのか理由を考え,
グループごとに
発表させる。
●くろまるA〜Cのカードの扱い方について,
各グループに
種類の違うものを1枚ずつ渡す,
あるいは3枚同
時に渡す等,
クラスの状況に応じてグループ活
動の進め方を工夫する。
資料1
・各グループの発表内容を,板書しながら整 理
分類し,
考える視点を与
える。
私法と消費者保護051単元の指導計画第3学習内容 学習活動
(教師の指示・発問と生徒の予想される答え) 指導上の留意点展開2発表を終えた後,
それぞれの事例の正答を発表
する。
●くろまるA,
B→解消できない
自分の一方的な都合だけで契約は解消できな
い。
自分が自由な選択の中でその商品を選んだ
のだから十分考えて約束したものは守らなく
てはいけない。
●くろまるC→解消できる
十分に考えて約束したのに,
考える基本条件が
違っている場合には,
その約束に拘束されるべ
きではない。
●くろまる一度合意して結んだ契約に信頼性がなければ,
自由で公正な市民社会が成り立たないことを
再度確認する。
<参考資料>
契約を結んだとしても効力が認められないケース
として,
次の点が挙げられる。
1契約した内容の実現が不可能である場合
2契約に対して真意を欠いている場合
→虚偽表示,
錯誤,
詐欺,
強迫など
3契約をした者に判断する能力がない場合展開3契約を結んだ後
に解消できる特
別の場合につい
て考える。
契約を解消できる場合とできない場合の違いは何
だろうか。
・解消できる場合と,
でき
ない場合の共通点を挙
げて確認させる。
●くろまる不都合が生じた場合,
契約は絶対的なものなの
かどうか考えさせる。
●くろまる自己の責任が問われる場合とそうでない場合
で解消できるかどうかが分かれることに気付
かせる。
●くろまる契約は自由に結ぶことができる一方で,
責任が
ともなうことを確認する。052学習内容 学習活動
(教師の指示・発問と生徒の予想される答え) 指導上の留意点展開3契約がいったん成立した後,
解消できる特別の場合(消費者契約法が適用される場合)
について考
えてみよう。
●くろまるカードDを提示し,
この場合契約を解消するこ
とができるかどうか小グループで考え,
理由を
発表させる。
→この事例は解消できる。
●くろまるカードDのようなしつこい訪問販売や悪質商
法の事例を提示し,
意思決定が妥当になされて
いるかどうか考えさせる。
●くろまる十分考える時間やチャンスが無かった場合,
一方的に契約を解消する手段として,
クーリング・
オフ制度があることを説明する。
●くろまる契約は自分の意思で自由に行われるべきもの
であるが,
現実には商品の情報を十分知りえな
い消費者が自分の意思で判断することは難し
い。
消費者不利の事例を挙げながら,
消費者と
事業者を実質的に対等な立場に置くための契
約ルールである消費者契約法や,
国や地方公共
団体が消費者を守る施策として消費者基本法
があることを説明する。
●くろまる一方,
安易な合意は不利益をこうむる場合があ
ることに気付かせ,
責任をもって契約を結ぶこ
との重要性を再度認識させる。
・カードDの場合は,Cとは異なり,
買おうと思っ
たものと,
実際に引き渡
されたものは異ならな
いことを確認する。
<参考資料>
●くろまる消費者契約法
:消費者と事業者との間で情報
や交渉力に差があることから,
事業者による
一定の行為によって,
消費者が誤認したり,とまどったりした状態で契約を結んだりした場
合に,
その契約や意思表示を取り消すことがで
きる。
●くろまる消費者基本法:消費者の権利の尊重や消費者の
自立した行動の支援などの基本理念を定める
とともに,
国や地方公共団体が消費者の利益の
擁護・増進に関する総合的な施策を進める責務
を有すると定めている。
私法と消費者保護053学習内容 学習活動
(教師の指示・発問と生徒の予想される答え) 指導上の留意点
単元の指導計画第3まとめ
契約や市民社会
の原則について
まとめる。
●くろまる本時の学習内容をふまえ,
契約の基本原則と,
それによって成り立つ市民社会の原則について
確認する。
●くろまる今まで出てきた疑問点や意見について考える。
本時の学習内容から,分かったこと,
気付いたこと
を書かせる。
クーリング・オフっていう制度が
あるんだね
責任をもって
契約を結ぶ
ことが大切
なんだね!!054法律家からのメッセージ
本教材は,私法の基本的な原理である「契約自由の原則」とその修
正原理である「消費者保護」を学ぶことをねらいとしています。
これまでの学校教育では,消費者保護に関する学習が取上げられて
きましたが,消費者保護は,
「契約自由の原則」を修正した分野です。
そこで,私法の基本原理である「契約自由の原則」を扱うことによっ
て法的思考を学ぶとともに,消費者保護についてより深い理解を促進
しようとするのが本教材のねらいです。
●くろまる 私法と消費者保護
1 本教材のねらい
(生徒に身に付けさせたい法教育的視点)
本教材で授業を実施するにあたり,次の3つの視点を持ち合わせていただくと,より深い展開が
可能になるものと思われます。
(1)契約は人生を豊かにする道具であること
例えば,子ども達が,将来,自分の夢を実
現したいと考えたとき,
(その夢の内容にもよ
りますが)一人より複数のメンバーで取り組
んだ方が,夢が実現しやすく,またより広い
範囲で行動をとることができるともいえま
す。そこで,その場合には,同じ夢を持った
仲間同士で約束をして組織を立ち上げたり,
組織が活動する上で資金が必要であれば銀行
などから融資を受けます。夢の実現に向けて
世の中の人や組織を説得して合意したり,場
合によっては他の組織と統合することもあり
ます。
こうやって私たちは,
他者と約束を交わしながら,
自分の夢を大きく膨らませて実現していくこと
ができるのです。
そしてこのことは,
私たちが社会を作っていくことにつながっていきます。
誰と,どのような内容の契約を結ぶのかは,誰からも干渉されることなく,その人の自由です
(これを「契約自由の原則」と言います)
。もともと『はじめての法教育』に収録されていた教材
では,生徒に契約書を作らせる作業を通じて,この「契約自由の原則」を体験的に学ぶことができ
るよう工夫がなされていましたが,本教材では,学校現場の実情に合わせて1時間で実践するよう
に短縮したため,その部分が割愛されています。「契約自由の原則」について生徒が実感をもって
理解できる機会が減りましたので,指導する教師の側で,このような契約の積極的な意味を念頭に
おいて授業を展開していただければと思います。
2 指導上の留意点BANK055
契約書
契約書
契約書
クーリング・オフ
法律家からのメッセージ
●くろまる 私法と消費者保護
(2)契約の締結は慎重になすべきこと
このように,契約は私たちの人生を豊かにするものです
が,契約を締結すると守らなければなりません(これを「契
約の拘束力」といいます)
。例えば,友人から保証人になる
ことを頼まれ,気安く契約書に署名捺印をしてしまい,多額
の負債を抱えてしまうケースが見受けられます。また,儲け
話に安易に乗り,財産を散逸してしまうケースも見受けられ
ます。
本教材では,『はじめての法教育』に収録されていた契約
書を作成する作業を省略しているため,契約を締結する意味
について実感を持って感じることがどうしても乏しくなりが
ちです。授業を進めるにあたっては,契約を締結する際に
は,契約の効果として発生する責任にまで思いを致し,慎重
になる必要があることも伝えていただければと思います。
(3)法は公正を図ろうとしていること
以上の述べてきたとおり,契約の問題を扱う上で
は,「契約自由の原則」を前提とすることにより,契
約の本質を正しく理解することができます。この「契
約自由の原則」は,「想定される生徒からの質問につ
いて」の5でも触れられている通り,契約当事者(=
契約を結ぶ本人同士)が対等であることを前提として
いるところ,事業者と消費者との間には情報の質や量
並びに交渉力に格差が認められ,実質的に見ると対等
とは言えません。そこで,一定の契約類型については
法定の書面を要求して書面交付から一定期間は自由に
契約の解消を認めたり(クーリング・オフ制度),消費者が誤認や困惑をして契約を締結した一定の場合に
契約を解消できるようにするなどして,
「契約自由の原
則」を修正して消費者を保護する法律が設けられています。
このような法律は,消費者の利益を擁護して消費者を事業者と実質的に対等の立場に置こうとす
るものであり,そこには法の基本価値である「公正」がその背後に横たわっています。展開3で
は,単に法律の知識を理解するのではなく,その背後にある「公正」という法の価値についてまで
触れていただければ,法教育としてはより深い理解に繋がります。056ハプニングカード
カードA
私はAさんから,
「その物」を買った後新品の同じものが,近くの
店で安く売られていることを発見した。
そこで,私は,Aさんとの契約を解消して,Aさんに支払ったお
金を返してもらいたいと思っている。
私は,契約を解消して,お金を返してもらうことができるでしょうか。
カードB
私がAさんから,
「ある物」を買った後,家に帰ると,お母さんが,「Aさんから買ったある物と同じ物」を買ってくれていた。
私としては,同じ物は必要ないのでAさんとの契約を解消して,
Aさんに,
「ある物」を返して,支払ったお金を返してもらいたいと
思っている。
私は,契約を解消して,お金を返してもらうことができるでしょうか。
カードC
×ばつは有名なブランド○しろまる○しろまる製である。」とウソ
の説明をされて,これを信用して買った。
後日,それはニセモノであることが判明した。
私は,ニセモノならいらないので,契約を解消して,代金を返し
てもらいたいと思っている。
私は,契約を解消して,お金を返してもらうことができるでしょうか。
資料 1
●くろまる 私法と消費者保護057ハプニングカード
カードD
アンケートの電話に答えたら,
「景品が当たった」と営業所に呼び
出された。
私は景品のポーチをもらった後,同じ営業所内で開催されている
ブランド財布の展示会に連れて行かれ,
「本来は1
0万円以上するが,
今日なら特別に6万円でいい」と言われた。でも,私には,そんな
高い財布を買う意思は,まったくなかった。
しかし,似合うなどとほめられつつ熱心に勧められ,断りきれな
いまま,三人に囲まれて説明され続けた。私は,
「終電も近いので帰
りたい」と言うと,
「こんなに熱心に勧めたのだから誠意をみせて」
と言われ,部屋から出してもらえず,困って,契約してしまった。
まったく不要で高価なものを買ったと後悔するばかりだ。
私は,契約を解消できるでしょうか。
資料 1
●くろまる 私法と消費者保護058●くろまる 私法と消費者保護 教師用資料 1Q1 「意思の合致」
って,
具体的に何と何が合致すればいいのですか?A
1 契約が成立するためには,契約の重要部分(これを「契約の要素」といいます)に
ついて意思が合致する必要があります。契約の要素とは,契約の内容を画する最低限
の事由のことです。
たとえば,売買契約であれば,契約の目的物(売る物)と代金が契約の要素です。
その他,導入例にあるそれぞれの契約の要素は次のとおりです。
賃貸借契約:契約の目的物(貸す物)と賃料
旅客運送契約:役務の内容(運送の内容)と運賃
労働契約:提供する労務の内容と賃金
すなわち,契約が成立するための「意思の合致」とは,
「何を・いくらで」について
合致することとなります。
なお,指導計画・展開1の「指導上の留意点」には,
「現実の買い物の場面では,売
り手と買い手が左側の問いのような言葉を交わした上で,互いの意思の合致を行うこ
とは少ないことを留意させる。」と指摘されています。たしかに,
「これください」
「はい」といった言葉のやり取りがない場合もよく見受けられます。この場合につい
て,生徒から,契約の成立について質問が出たら,
「どこで意思の合致があったか」を
具体的に考えさせると理解が深まります。客がレジに商品を置いた段階で「これくだ
さい」の意思表示があり,店員が商品のバーコードを入力した時点で「はい」の意思
表示があったと評価することが可能と思われます。Q2 スーパーなどでは,レシート
を持って買った商品を返品す
れ ば , 代 金 を 返 し て く れ ま
す。「契約は守らなければな
らない」っていうけど,そん
なことはないのでは?A2 お店は,客のニーズに柔軟な対応をすることで,店の評判を高め,結果的に売り上
げを伸ばすことができます。スーパーなどが返品に応じるのはそのような営業戦略に
基づくものであり,返品に応じなければならない法的義務はありません。つまり,
スーパーが返品に応じるか否かは,スーパーの自由な判断(いわばサービス)であ
り,客側には返品を要求する権利はありません。
なお,スーパーが返品に応じることは,法的には「合意解約」といいます。059口約束だけで契約は成立すると言
うけど,高価な買い物は口約束
じゃなくて契約書が必要なのでは
ないですか?Q3 MY HOME
契 約 書
●くろまる 私法と消費者保護 教師用資料 1
金額の多寡に関わらず,契約は口約束だけで成立します。
一方,契約書は契約の成立を証明するための証拠です。当事者の間に契約の成立に
争いがなければ証拠は必要ありませんが,争いが生じた場合(つまり,一方が「契約
は成立した」と主張し,他方が「成立していない」と主張している場合など)には,
契約の成立を証明する道具として契約書が役立ちます。
質問にあるように,たしかに家を購入するときなど,高額な売買には契約書を作成
することがよくあります。したがって,そのような契約であるにもかかわらず契約書
がない場合には,
「契約は成立していなかったのではないか」と推認される方向に傾き
やすくなります。つまり,一般には契約書を作成するような高額な契約で契約書を作
成していない場合,
「意思の合致はなかった」と判断されやすくなるのです。これは証
明の問題であって,理論上,高価な買い物であっても口約束だけで契約が成立するこ
とには変わりません。
なお,これとは逆に,仮に契約書に自分の名前と印鑑があったとしても,他人が勝
手に名前を書いて押印したのであれば,契約は成立していないこととなります。A3060ハプニングカードCについて質問
です。たとえばハンドバッグを例
に説明すると,本物か偽物かは別
にして,
「このハンドバッグを」
「〇〇円で」
,という内容で意思が
合致しているのだから契約が成立
し,解消できないのではないので
すか?Q4
そのとおり,ハプニングカードCでは,契約の目的物と代金(何を・いくらで)に
ついて意思が合致しているのですから,契約は成立しています。ここでは質問に答え
るため,契約を守らなければならない理由にまで遡って考えてみましょう。
サッカーワールドカップのチケットについて売買契約を締結した場合を例に考えま
す。買主は,売主からチケットを渡してもらえなければ,楽しみにしていたサッカー
を見ることができません。また,開催地までの往復の航空券も無駄になります。つま
り,契約を守らないと相手に迷惑をかけることになる,これが契約を守らなければな
らない一つ目の理由です。
また,自分の自由な意思で約束をしたのですから,その結果に対して責任を負うべ
きであり,契約を守ることを強制しても酷ではない,これが二つ目の理由です。
そうであるならば,ハプニングカードCのように,ニセモノのバッグをブランド品
とウソの説明をしている場合には,契約の解消を認めても,Aさんに迷惑をかけるこ
とにはなりません。また,私は騙されて約束をしたのですから,契約を守ることを強
制されることはかえって酷です。
そこで,この場合には,契約は成立したものの解消できるのです。
ちなみに,民法96条は,このような場合に詐欺を理由に取り消しができると規定し
ています。また,
「ブランド品だから買うんだ」という購入の動機が明らかになってい
れば,そのことを相手方は認識しているのですから,民法95条で錯誤を理由に無効を
主張できる可能性が高くなります。
なお,授業では,生徒に対して「契約を『解消』できるか」という問い方をしてい
ます。この「解消」という言葉は,法律用語の「取消し」,「無効」,「解除」を包含す
る意味で用いています。
・取消し:成立した契約にもともと瑕疵があることを理由に,一方の意思表示に
よって効力を消滅させる場合
・無 効:契約が成立したものの有効とはいえない場合
・解 除:契約は有効に成立したがその後の一方当事者の不履行などを理由に解消
する場合A4
●くろまる 私法と消費者保護 教師用資料 1
10,000円061ハプニングカードDで買った財布は本物のブランド品のようだし,
代金は1
0万円のものをそれより安い6万円で買っています。買っ
た後に後悔しているのはハプニングカードAと同じなのではないで
しょうか。いわば自分の判断ミスであるにもかかわらず,解消でき
るとするのはおかしいのではないですか?Q5
本事案では,
「このブランド財布を」「6万円で」という内容で売主・買主双方の意
思が合致しているので契約は成立しています。たしかに契約した後に後悔しているの
は,ハプニングカードAの場合と同じです。
しかし,このケースでは,
「似合うなどほめられつつ熱心に勧められ」,「断りきれな
いまま三人に囲まれて説明され続け」
,終電近くなっても「部屋から出してもらえず,
困って契約」したのであり,自由な意思があったとは言いにくいケースです。また,
アンケートの景品が当たったとして営業所に呼び出されて,その流れで展示会に案内
されているのですから,十分に判断する状況下にないまま,お店側の駆け引きに上手
く乗せられてしまったともいえます。
そもそも一般人(消費者)と商売をしているお店(事業者)とでは,商品に対する
情報の質や量は余りに異なりますし,交渉の力量にも大きな格差があります。そうで
あるなら,形式的には意思が合致していたとしても,その実態をつぶさに見れば,一
般人が,お店側と対等に交渉して,真に自由な意思で契約を締結したとはいえない場
合も多いのです。そこで法は,消費者の利益を擁護するための法律を用意し,消費者
が企業と対等に交渉できるようにしたり,一定の場合には契約を解消できることを定
めています。ハプニングカードDの事案に関連するものとしては,消費者契約法と特
定商取引法が挙げられます。
消費者契約法には,事業者の不当な勧誘によって締結した契約を消費者が解消しや
すくする規定が設けられています。本事案に関連するものとして,事業者が消費者を
その場から退去させないことにより消費者が困惑し,それによって契約を締結した場
合には解消できるとしています(消費者契約法4条3項2号)。
また,特定商取引法は,取引を公正にすることにより,商品の購入者などの利益を
保護することを目的としています。本事案は,いわゆるアポイントメントセールスと
呼ばれるものです。特定商取引法2条1項2号は,電話や郵便などで呼び掛けて,契
約の締結を勧誘するためのものであることを告げずに営業所その他特定の場所への来
訪を要請して商品を販売することは,訪問販売の一つであるとしており,訪問販売の
場合,申込書面・契約書面を受け取ってから8日以内であれば,クーリング・オフで
契約を解消できるとしています(同法9条)。
なお,指導計画・展開3の「学習活動」には,以上の法律のほか「消費者基本法」
について言及されています。指導計画に記載されている通り,消費者基本法は,消費
者の権利に関する基本理念を定め,国,地方公共団体及び事業者の責務等を明らかに
したものですが,具体的な契約の効力について規定するものではありません。A5
●くろまる 私法と消費者保護 教師用資料 1062