新刊

リバタリアニズム入門

自由・市場・国家をめぐる105の問い

個人の自由はどこまでか。国家の介入はいかなる根拠で正当化されるか。所有権の本質とは。105の問いが政治哲学の核心を切り拓く。

著者 ジェイソン・ブレナン
森村 進 監訳
太田 寿明
福原 明雄
ジャンル 哲学・思想・倫理
政治
出版年月 2026年06月
ISBN 978-4-326-15500-2
Cコード 3010
判型・ページ数 四六・288ページ
定価 4,400円(本体4,000円 + 税)
在庫 重版中

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リバタリアニズムとは、個人の自由と所有権を至上の価値とし、国家の介入を極力排除しようとする政治哲学である。徴税は正当化されるか。福祉国家は許容されるか。安楽死・麻薬・移民をめぐる問いにどう答えるか。ノージックらの議論を踏まえつつ、現代政治哲学の核心的論争を105の問いを軸に体系的に解説する、待望の本格入門書。

【原著】Jason Brennan, Libertarianism: What Everyone Needs to Know(Oxford University Press, 2012)


「リバタリアニズム入門」日本語版への序文

序論

第1章 リバタリアニズムの基礎
1 リバタリアニズムとは何か?
2 リバタリアンは何を提唱するのか?
3 リバタリアンは何に反対するのか?
4 なぜわれわれはリバタリアニズムについて知るべきなのか?
5 別々の種類のリバタリアンが存在するのか?
6 リバタリアンは保守主義者か?
7 リバタリアンはリベラルか?
8 リバタリアニズムはラディカルな見解か?
9 リバタリアンはアイン・ランドの信奉者か?
10 リバタリアニズムは新しい見解か?
11 リバタリアニズムへのいくつかの普通の批判は何か?
12 アメリカ人の何パーセントがリバタリアンなのか?
13 誰が有名なリバタリアンか?

第2章 自由の性質と価値
14 リバタリアンはどのように「自由(リバティ)」を定義するか?
15 なぜ一部のリバタリアンは積極的自由を斥けるのか?
16 なぜ今では多くのリバタリアンが積極的自由を受け入れるのか?
17 なぜリバタリアンは自由がそれほど重要だと考えるのか?
18 リバタリアンは自由だけが唯一の価値だと考えているか?
19 リバタリアンは自由が他のあらゆる価値に優越すると信じているか?
20 リバタリアンはわれわれの唯一の道徳的義務は他の人々の自由を尊重することだと考えているか?
21 「自由の推定」とは何か?
22 リバタリアンはわれわれがいかなる権利を持っていると考えているか?
23 リバタリアンは権利が絶対的なものだと考えているか?

第3章 人間性と倫理
24 リバタリアンは誰もが利己的だと信じているか?
25 リバタリアンは誰もが利己的であるべきだと信じているか?
26 リバタリアン自身は非常に利己的か?
27 なぜ一部の批判者はリバタリアンが人間性についてあまりに楽観的な見解を持っていると信じているのか?
28 リバタリアンは道徳上のニヒリストか?
29 リバタリアニズムは無神論的か?
30 リバタリアンは個人主義者か?

第4章 統治とデモクラシー
31 リバタリアンは「政府」をどのように定義してきたのか?
32 なぜリバタリアンは制限された政府を好み、大きな政府を嫌うのか?
33 リバタリアンはアナーキストか?
34 リバタリアンは遵法義務があると考えるのか?
35 リバタリアンは政治家を利己的で邪悪な人々と考えるのか?
36 何が政府の失敗で、それは市場の失敗にどのように関係するのか?
37 政府の失敗の種類にはどのようなものがあるのか?
38 リバタリアンはデモクラシーを好むのか?
39 なぜ一部のリバタリアンはデモクラシーが愚かな選択をすると言うのか?
40 リバタリアンはアメリカ合衆国憲法をどのように考えるのか?
41 リバタリアンはナショナリストなのか?
42 リバタリアンはどのように金を政治から締め出そうというのか?
43 リバタリアンは国際政策ではハト派かタカ派か?

第5章 市民的権利
44 市民的自由のリバタリアンな見解はどのようなものか?
45 リバタリアンはわれわれがどのような市民的権利を持つと考えているのか?
46 リバタリアンの言論の自由と良心の自由についての見解はどのようなものか?
47 リバタリアンは死刑に賛成するのか反対するのか?
48 リバタリアンは犯罪に甘いのか?
49 リバタリアンはどのように高い犯罪率の問題を解決するのか?
50 なぜリバタリアンは麻薬戦争に反対するのか?
51 なぜリバタリアンは売春を合法化するのか?
52 なぜリバタリアンは臓器売買を許したいのか?
53 リバタリアンはフェミニストか?
54 なぜリバタリアンは同性婚を支持するのか?
55 リバタリアンは同性愛者が養子をとる権利を擁護するのか?
56 なぜリバタリアンは徴兵制度に反対するのか?
57 なぜリバタリアンは義務的なナショナル・サービスに反対するのか?
58 リバタリアンは銃規制についてどう考えているのか?
59 リバタリアンは現在および歴史的な人種的不正義についてどうすべきだと考えているのか?
60 なぜリバタリアンは市場が差別を罰すると言うのか?
61 リバタリアンは私企業による差別を許すのか?

第6章 経済的自由
62 われわれが持っているとリバタリアンが信じる経済的自由は何か?
63 リバタリアンは経済の論点にしか興味がないのか?
64 なぜリバタリアンは経済的自由が重要だと考えるのか?
65 なぜリバタリアンは財産権が特に重要だと考えるのか?
66 リバタリアンは財産権が「形式的なものにすぎない」というマルクス主義者の懸念にどう応答するのか?
67 リバタリアンは所有権を絶対的なものと考えるのか?
68 なぜリバタリアンはそれほど経済成長・繁栄・富に関心を持つのか?
69 なぜリバタリアンは市場を支持するのか?
70 なぜリバタリアンは国家間の自由貿易を支持するのか?
71 リバタリアンは大企業の利益を守ろうとしているだけなのか?
72 なぜリバタリアンは社会主義が最悪の人々を頂点に立たせると考えるのか?
73 なぜリバタリアンは社会主義が富の創造に失敗すると考えるのか?
74 なぜリバタリアンは政府の経済介入に反対することになるのか?

第7章 社会正義と貧困層
75 社会正義とは何か?
76 ほとんどのリバタリアンは社会正義を拒否するのか?
77 すべてのリバタリアンが社会正義を拒否するのか?
78 リバタリアンは経済的不平等をどのように考えているのか?
79 なぜリバタリアンは福祉国家に反対するのか?
80 どのようにして、あなたは福祉国家を擁護せずに福利主義者になれるのか?
81 すべてのリバタリアンが福祉国家に反対するのか?
82 リバタリアンはどのように大規模な福祉国家なしに貧困を終わらせようと提案するのか?
83 なぜリバタリアンは政府がよく貧困層を傷つけるものだと主張するのか?
84 なぜリバタリアンは最低賃金法に反対するのか?
85 リバタリアンは国際援助を支持するのか?

第8章 現代の諸問題
86 リバタリアンは不法移民をどうするのか?
87 リバタリアンはテロとの戦いをどうするのか?
88 リバタリアンは汚染や環境をどうするのか?
89 リバタリアンはヘルスケアの余裕のない人々をどうするのか?
90 リバタリアンは失敗した公立学校をどうするのか?
91 リバタリアンは中国経済の台頭をどうするのか?
92 規制のない自由市場が最近の金融危機を引き起こしたのか?
93 リバタリアンはどうやって経済を立て直すのか?

第9章 政治:過去、現在、未来
94 アメリカでリバタリアニズムはどのくらい人気があるのか?
95 ティーパーティーはリバタリアンか?
96 「ウォール街を占拠せよ」運動はリバタリアンか?
97 ほとんどのリバタリアンはリバタリアン党のメンバーか?
98 アメリカは最もリバタリアンな国か?
99 どの州が最もリバタリアンである/ないのか?
100 アメリカはリバタリアンな国であったことがあるのか?
101 アメリカは多少ともリバタリアンになってきているのか?
102 リバタリアンな大統領は実際に何ができるか?
103 アメリカは近いうちにリバタリアンになるだろうか?
104 リバタリアニズムはアメリカの外ではどんな影響力を持っているのか?
105 世界は多少なりともリバタリアンになるのか?

訳者解説 流転するリバタリアニズム――本書を読むための補助線
訳者あとがき
用語集
さらなる読書の手引き
人名索引
固有名詞索引

▶「日本語版への序文」ページPDF:こちらからダウンロード



「リバタリアニズム入門」日本語版への序文

本書は一〇年以上前に、リバタリアニズムについて理解したいと思ってはいるがそのスローガンやカリカチュアや極端な提唱者については懐疑的である読者のために書かれたリバタリアニズム入門書です。私の狙いは、あらゆる人をリバタリアンになるよう説得することではなく、リバタリアニズムとは何か、それを動機づけるものは何か、それを構成する内部の論争は何か、またなぜ合理的な人々がそれを魅力的だと考え続けるのかを説明することでした。私はリバタリアニズムが真剣な政治哲学である――道徳的深さと内的多様性を持ち、政治的権威や個人権や社会的協力に関するわれわれの考え方に重要な含意を有する政治哲学である――ということを示そうと望みました。

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その点において当時から変わったことはほとんどありません。リバタリアン思想に活気を与える中心的な諸問題は今でも切実です。――国家が人々を強制することはいつ許容可能なのか? よき意図の名において行使されるときでも政治権力に課されるべき制限は何か? われわれは他の人々を賢明かつ正当に統治できるという自分たちの能力をどの程度確信すべきなのか? そして自由な社会は、深い意見の不一致があるにもかかわらず一緒に生活しなければならない人々をどのように監督すべきなのか?

これらの問題はますます喫緊のものになってきました。世界中で民主政治はますます両極化し、道徳化し、異論に対して不寛容になってきました。今や多くの市民が、彼らの選好する価値に従って社会を造りなおす国家の力に大きな信頼を置く一方で、彼らの信頼しない人々が政治権力を掌握するのではないかと恐れてもいます。人々はますます相互の説得よりも国家の暴力に頼ろうとしているのです。

リバタリアニズムはこれらの態度への懐疑から出発します。それが主張することはこうです。――人間というものは誤りやすく、バイアスを持ち、自らの道徳的判断をしばしば過信してしまうから、他の人々に対する広汎な権力を委ねることは誰についても慎重であるべきだ――彼らが高貴な目的のために行動していると主張するときでさえ、いやおそらくは特にそのときに。

もし私が今本書を書くとしたら、制度的謙譲(institutional humility)というテーマをさらに強調することでしょう。リバタリアニズムは利己性の賛美とか社会的責任の否定として誤解されたり、間違って特徴づけられたりすることがあります。しかし実際には、それは最善の形態においては、集権化された権力の道徳的危険に対する反応なのです。リバタリアニズムがわれわれに尊重するよう求めるのは、〈よき意図を持つ支配者はそれにもかかわらず大きな悪をなしうる。そして個人権の尊重こそがわれわれ自身の道徳的行き過ぎに対する安全装置として役に立ちうる〉という可能性です。リバタリアニズムは〈相互にコミュニティのよきメンバーであるということは、強制を用いずに協力して問題を解決する方法を見出すことを意味する〉という考えを尊重するように求めます。

リバタリアニズムが政治的右翼のポピュリストのナショナリズムや権威主義的運動と混同されることがある時代において、この点は特に重要です。リバタリアンは多くの論点について彼ら自身の中で意見を異にしますが、その伝統は、エスニック・ナショナリズムと法的差別と文化的画一性の国家権力による強制に反対するという点で長い間一致してきました。リバタリアニズムは諸個人を集団の単なる代表としては取り扱いませんし、ネーションやエスニシティや社会的なアイデンティティを基礎にして道徳的な価値を与えることもしません。リバタリアニズムの中核にあるのは、人々の平等な道徳的地位と、公正で一般的なルールの下での異なる見知らぬ人々の間の社会的協力へのコミットメントです。

日本の読者にとって、最初リバタリアニズムはあまりにもアメリカの政治的論争と結びついているか、あるいは疎遠に見えるかもしれません。しかしその関心事の多く――過剰な規制、労働・住宅市場への参入障壁、人口減少、イノベーションの停滞、巨大な官僚組織改革の困難、福祉国家が人口減を通じて実現不可能になる傾向――はアメリカに限られる問題ではありません。リバタリアニズムはこれらの問題に単純な解決を与えるものではありませんが、それらを考える独特の方法を提供することはします。それは、〈現行の制度はそれに服している人々のために本当に役立っているだろうか? もっと強制的でない代替案の方が個人の自由と社会の安定の両方を一層尊重するのではないか?〉と問うという方法です。

これと関係するリバタリアニズムの含意は、外部者へのオープンさに関係します。リバタリアンは典型的に、〈諸個人は集合的アイデンティティの担い手としてではなく個人として判断されるべきであって、平和的な人々はその出生地だけのゆえに強制的な規制を受けてはならない〉ということを強調します。この理由から、多くのリバタリアンが外国人嫌悪と排外的ナショナリズムに反対する最も首尾一貫した批判者たちの中に存在しました。リバタリアンは移民政策の厳密な内容については意見を異にしますが、この伝統全体は、平和に生活したい、社会に貢献したいと望む、意欲ある労働者や隣人や取引相手を排除するための国家権力行使について懐疑的です。

また次のことも注意するに値します。日本社会は集団主義的だという評判がありますが、それは「個人主義的」とみなされている多くの国々にはあまり存在しない形態の日常的リバタリアニズムを示しています。日本ではしばしば、社会秩序は恒常的な監視や法執行によってよりも、強いインフォーマルな規範や相互の期待や個人的責任に依存しています。一つの単純だが説得的な例は、子どもにまで拡大される信頼の程度です。日本の親は通常子どもが一人で公共交通機関を利用することを許しますが、これはアメリカ社会では危険だと、それどころか監督放棄だと、みなされるでしょう。このことは、人々が一般に他の人々が強制なしにも礼儀正しく行動すると期待している社会環境、また自由が実力よりも規範によって維持されている社会環境を反映しています。常にリバタリアニズムは、自由な社会は法律だけではなく、信頼と抑制という共有される実践に依存しているということを強調してきました――そしてこの点において、日本は反対例ではなく教訓的な実例となります。

最後に、読者が本書をそれが書かれた精神で読んでくださることを私は望んでいます。本書はイデオロギー的改宗への呼びかけではなく、真剣な探求への招待です。リバタリアニズムは完成したドクトリンではありませんし、批判を免れているわけでもありません。それは政治の道徳的限界に関する継続中の会話として理解するのが最善です――入念な異論や、経験的意識や、自らの見解を改訂しようという意欲から利益を受けるような会話として。私は森村進教授とその同僚に、本書を日本の読者に届けてもらったことについて、また勁草書房に、この出版を助けてもらったことについて、感謝します。私が希望するのは、この訳書がささやかな仕方ではあっても、自由と権威とわれわれが一緒に建設しようと望むべき種類の社会とに関する、多元主義的で思慮ある討論に貢献することです。

ジョージタウン大学

ジェイソン・ブレナン




勁草書房刊行のいろいろな書籍を、編集部サイト「けいそうビブリオフィル」の「あとがきたちよみ」コーナーにて一部公開しています。あわせてご利用ください。

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