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古代の都と律令国家

古代の日本のうち、私は、律令制、そして律令国家という存在に関心をもって研究を進めています。律令制のもとでは、日本列島の広範囲に行政区分が施行され、その後の日本の枠組みを形成した時代ともいえます。またこの時代には、平城京・平安京などの大規模な都が立て続けに造営されました。こうした相次ぐ大事業がいかに遂行されたのか、中国律令との比較を軸にしながら分析し、国家の支配構造を検討したのが、私の最初の研究テーマです。

官人制からみる律令制の定着

またそのなかで、私財を投じて都造りなどの国家事業に参加し、褒美として位をもらう地方豪族の存在がふと気になりました。位とは、官人(現代風にいえば役人)の身分です。国家の運営に官人は不可欠な存在ですが、正規のポストに就けなくとも位を持っていることや役所と関わる身分にあることが重要だったようで、従来考えられていた以上に多くの人の需要があったことが明らかになってきました。また、国家も彼らのニーズを踏まえて身分を与え、支配に利用しようとする側面などもあったようです。このような人々と国家との関係によって、律令制に基づいた文化が、広大な裾野へと展開してゆくと見通しています。

こうして最近では、地域史研究も実践しながら、地方も含めた律令制の定着・展開の過程について研究を進めています。

国家から社会、そして人へ

このように書いてくると、少し堅苦しい研究にも思われるかもしれません。特に私の研究は、法制度を主な史料としています。ただ、どのような史料であれ、人間の営みの結果であることに変わりはありません。味気ないように見える法制史料からでも、時代背景や他の史料の内容なども踏まえて立体的に情報を引き出してみると、過去の人々のしたたかな生きざまなど、国家と社会、さらに人々との様々な関係が浮かび上がってくることがあります。

慶應義塾大学文学部日本史学専攻では、古代から近代まで、諸外国との関係や制度比較といった国際的な視点も踏まえながら、宗教史・経済史・法制史など多様な研究が進められています。こうしたなか、複眼的に史料との対話を続けています。

聖武天皇遺愛の品を法隆寺に献納した際の文書(原文書は東京国立博物館所蔵)を、19世紀に摸刻したもの。
上記と一連のもの。藤原仲麻呂などの書名がみえる。

(注記)所属・職名等は取材時のものです。

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