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地震地震
2021年06月14日
取材・文/藤崎慎吾(作家・サイエンスライター)
前回は、これから起きる地震の予測に関する研究を紹介しました。今回も予測についてですが、地震が起きた後の話です。地震によって発生する津波は、沿岸まで達するのに数分から数十分、場所によってはそれ以上かかる場合があります。つまり地震が起きた瞬間に、津波の大きさや浸水域を正しく予測できれば、それぞれの地域で適切な避難が可能になるのです。
地震の予測は、まだちょっと夢物語の部分を残していましたが、津波の「即時予測」は急速に進歩しており、すでに実用化もされています。その最前線をお伝えしましょう。
東北地方太平洋沖地震(以下、東北沖地震)の揺れは、とても長かったと記憶している人は多いでしょう。実際、震度4以上の揺れは東京都千代田区大手町でも約2分10秒、福島県いわき市小名浜では約3分10秒も続きました。乗り物酔いしやすい人は、気分が悪くなったかもしれません。
一般にマグニチュード(M)は大きいほうが、地震の継続時間は長くなります。第1回で触れましたが、マグニチュードの大きさは震源域の大きさと関係があります。つまり断層がすべって破壊された領域が広いほど、揺れは長いわけです。すべりが伝わっていくスピードは音速の10倍程度と非常に速いものの、大きな領域に広がるには、それなりの時間がかかります。その間ずっと地面を揺らす地震波は、発生し続けているのです。
東北沖地震の震源域は南北方向に500km、東西方向に200kmくらいで、マグニチュードは9.0でした。ところが地震発生直後に、気象庁から発表された緊急地震速報のマグニチュードは7.9です。エネルギーの大きさで言うと、M9.0とM7.9とでは40倍以上の開きがあります。その結果、津波の大きさも当初は、かなり小さく見積もられていました。なぜ、このような発表が出たのでしょう?
今回、まずお話をうかがったのは、東北大学大学院理学研究科准教授の太田雄策さんです。太田さんは第2回に登場した東北大学災害科学国際研究所教授の木戸元之さんと、一緒に研究を進めています。東北沖地震が起きた時、二人は同じ場所にいて、それぞれの観測や調査の準備をしていました。
太田雄策(おおた・ゆうさく)
1978年、神奈川県生まれ。専門は地震測地学。名古屋大学大学院環境学研究科で博士(理学)。東北大学大学院理学研究科助教を経て2014年より現職。海陸の測地観測データに基づく地震発生場の理解に関する研究と平行して、巨大地震発生直後にその地震規模を断層面の広がりとともに即時推定する手法の開発を進めている。これら研究業績により、平成29年度文部科学大臣表彰若手科学者賞、第1回日本オープンイノベーション大賞総務大臣賞等を受賞。測地観測技術を活用できる場であれば、海陸を問わず研究フィールドとしている。
撮影/藤崎慎吾
強い揺れにみまわれて木戸さんは「ラックなどが倒れないように慌てて押さえた」と語っていました。一方、太田さんは「お互いに立っていることができなくて、木戸さんと肩を組んだのは、あれっきりかなと思いますけど、肩を組んで倒れないようにしたっていう思い出があります」と振り返っています。
地震の揺れ(地震動)にはガタガタガタというような細かい短周期の揺れと、数秒から十数秒のゆったりした長周期の揺れがあって、複雑に混ざり合っています。太田さんによれば、東北沖地震が起きた当時、気象庁がマグニチュードの推定に使っていたのは、どちらかというと短周期の揺れを測る地震計でした。それだと長周期の揺れは取り逃がしてしまう恐れがあります。
「人間だと、すごく長い周期で揺れていれば『これは、とんでもないことが起きているな』と思うんだけれども、短周期が得意な地震計からすると長周期の揺れっていうのは、うまく計測できない。そうすると、この地震はさほど大きくないんじゃないかと判断されて、この時、気象庁が出したマグニチュードは小さくなってしまったんです」と太田さんは言います。「一方で津波っていうのは海の水を海底がどれぐらいの範囲で持ち上げたか、ということで決まるので、気象庁が初めに出したマグニチュードが小さいと、津波の予測も小さくなるんですね」
地震発生から約4分後、最初に出た大津波警報では、岩手県で3m、宮城県で6m、福島県で3mの高さと予想されていました。しかし20分後くらいに第一波が岩手県大船渡市に到達し、25分後には水位が1mも上昇しました。当初の予想からすると、この観測値では大きすぎます。これはマグニチュードが過小評価されているにちがいないとなって大津波警報は何度か更新され、約45分後の時点では岩手県から千葉県までの範囲で10m以上と出されました。その後、マグニチュードの値も上方修正されていき、詳しい解析をふまえて最終的に9.0と発表されたのは2日後です。
「このM9が最初の段階で出ていれば、津波の高さも初めから全部10m以上と出るわけです。東北沖地震が起きて津波の第一波が来るまでの間には、場所にもよりますけど20〜30分、時間的猶予がありました。それが例えば岩手県で3mっていうと『防潮堤、越えないよね』と思っちゃう人がいたかもしれません」と太田さんは言います。「それで亡くなった人がいたかどうかというのは、なかなか難しい判断ですけれども、少なくともこの過小評価が、その後の避難行動とかに影響を与えたことは否定できない」
なぜ当時は短周期用の地震計が使われていたのでしょう? 「東日本大震災で大きなダメージをもたらしたのは津波でしたが、阪神淡路大震災などでは建物の壊れる被害が大きかったわけです。木造の建物は、短周期のガタガタガタっていう揺れで壊れることが多いんですね。そこにフォーカスしつつ迅速に地震規模を推定するため、短い周期の地震計を使ってきたっていう歴史的な経緯があるんです」と太田さんは言います。「もちろん津波警報も出さなければなりませんが、M8程度までだったら短周期の地震計で十分な精度の推定ができます。しかし日本の近海で起きる地震が、M8を大きく超えて9になるっていうのは、誰も想像してなかった。だから今のシステムで足りるだろうとしていたところも、多少はあったと私は理解しています」
もちろん地震発生の4分後に、単なる津波注意報や警報ではなく「大津波警報」が出された点は、非常に評価できると太田さんは言っています。ただ具体的な数値が過小評価になったことで、当時のシステムの限界が露呈したわけです。現在では、より幅広い周期の揺れを測定できる地震計で推定したマグニチュードも使われています。また第8回で触れたように、現在の日本海溝や南海トラフの周辺には、それぞれ「S-net」や「DONET」といった海底地震計や水圧計(津波計)などの観測網が張り巡らされています。気象庁はそのデータも活用しています。
一方で太田さんは東北沖地震が起きる前から、全く別のアプローチで津波を予測するシステムの研究を始めていました。地震計も水圧計も使いません。利用するのは、これも前回触れた全地球測位システム(GPS)による観測網「GEONET」です。全国に約1300ヵ所の観測点(電子基準点)があり、地面の動きを1秒ごとにとらえています。カーナビなどとちがって、その精度はミリ単位です。
大きな地震が起きれば地面は揺れるばかりでなく、水平方向や上下方向に動いて位置が変わってしまいます。これを「永久変位」といいます。変位が伝わる速度は3〜4km/秒くらいで、やはり音速の10倍程度です。たとえ震源が東北の太平洋沖100kmの海底下だったとしても、早ければ数十秒後に陸上のGEONET観測点も動くでしょう。数分後には日本海側の観測点も反応します。
広い範囲で永久変位がわかれば、そこから言わば「逆算」して、どれくらいの大きさの断層が、どれだけ動いたかを推定することができます。これを「断層モデル」と呼びます。断層モデルがわかればマグニチュードも推定できますし、海底の上下の変動から津波の大きさも予測できるというわけです。
GEONETは地震計のように複雑な揺れをとらえているわけではなく、地面の動きをストレートに測っています。そのため、きわめてゆっくりとした動きも含めて、地面の永久変位を直接とらえることができます。結果として巨大地震にともなう変動の過小評価を避けることができます。
また水圧計は波源(海底が地震で隆起あるいは沈降した場所)のすぐ近くにあった場合は、素早く確実に津波をとらえられますが、どこでもそう都合よくはいきません。第4回でお話ししたように、津波の速度は水深が深い場所でも旅客機並みで、浅くなるほど遅くなっていきます。つまり地面の動きが伝わる速度より、ずっと遅いのです。波源から数十kmのところに水圧計があったとしても、そこに津波が到達するまでには数分から数十分かかってしまいます。そもそも水圧計が置かれていない海域だったら、観測しようもありません。
太田さんらはGEONETから、ほぼリアルタイムに断層モデルを導くシステムを開発しました。それが東北沖地震の時にあったと仮定して、記録されている当時のデータからシステムがどのようなマグニチュードの値をはじき出すか検証しました。すでに述べた通り、気象庁の緊急地震速報ではM7.9が最初で、その後、少し上がりましたが、結局、M8.1で止まってしまいました。しかし太田さんのシステムだと、3分程度でM8.7〜8.8という値が出るとわかりました。
さらに、この断層モデルから海底面がどれだけ隆起あるいは沈降するかを計算し、どのような波形の津波が各地で観測されるかを推定しました。すると若干のずれはありましたが、実際の観測結果とよく合っていました。地震の発生から6分程度で、この津波の推定結果は得られます。三陸沿岸の場合、実際に津波が到達するまでには、この6分を差し引いたとしても、まだ20分程度の余裕があります。普通に歩いても1kmは移動できるでしょう。
以上のような成果を太田さんらは2011年6月の段階でまとめ、政府の委員会に出しました。そこでGPSの有用性が認められたため、2012年からはGEONETを運用している国土地理院との共同研究で、地殻変動を監視する総合的な仕組みの構築を始めました。
この仕組みは「REGARD(リガード)」と呼ばれています。「REal-time GEONET Analysis system for Rapid Deformation monitoring」の略ですが、あえて直訳すれば「急速な変動を監視するためのリアルタイムGEONET解析システム」となります。つまりGEONETのデータを常に監視して、地震のような異変を感知したら、自動的に断層モデルを推定するという仕組みです。
REGARDが全国規模で本格的に動き始めたのは、2016年の4月1日でした。それから間もない4月14日と16日に、死者273人(災害関連死を含む)を出した熊本地震(M6.5およびM7.3)が発生しています。東北沖地震のようなプレート境界ではなく、内陸の活断層で起きた地震ですが、REGARDはちゃんと自動的に断層モデルを推定しました。規模についても16日の本震では5分43秒後にM6.96という、やや少なめですが近い値を出しています。矩形で推定した震源域の範囲も、おおむね合っていました。
REGARDによって推定されるマグニチュードは現在、リアルタイムで気象庁に送られています。これまで通り気象庁もマグニチュードを推定していますが、津波警報が過小評価にならないように、REGARDの値を参考情報として利用しているそうです。
さらに太田さんらのシステムでは、津波が沿岸に到達してから、どこまで浸水するかもリアルタイムに予測できます。これも東北沖地震での観測結果と比較して検証しました。より正確に言うと、最終的に観測された浸水範囲から逆算して、どのような津波が来れば、そこまで浸水するかをシミュレーションした結果と比較したのです。すると、やはり多少の差はあるものの、地震発生から5、6分で出した予測にしては「正解」とよく一致していることがわかりました。
こうした成果をふまえて2017年からは、内閣府が運用する「津波浸水被害推計システム」の一部としてREGARDが使われています。そのシステムは東北大学災害科学国際研究所教授の越村俊一さんと太田さんら研究者、および複数の企業が共同開発したものです。地震が起きたら、まず断層モデルを推定し、それをもとに津波の浸水域と被害(浸水する建物の数など)を自動的に予測します。その結果は地震発生から30分以内に総理官邸へ送られ、政府の初動対応などに使われます。当初の対象エリアは南海トラフに面した地域でしたが、現在は東北の太平洋沿岸にも順次、広げられています。
南海トラフ域だけでも沿岸は約6000kmありますが、それを30mの格子に区切って浸水域などの予測をしています。パソコンだと計算に3日くらいかかってしまうので、東北大学と大阪大学のスーパーコンピューターが使われます。これらのスパコンは普段は全国の様々な研究者が共同利用しています。しかし、いったん大きな地震が起きると、その時に走っていた計算処理は一時的に止められ、津波浸水被害推計システムの処理が優先されることになっています。
それぞれのスパコンは、お互いにバックアップの関係で、もし東北大に被害があった場合は大阪大のスパコンによる結果が、大阪大に被害があった場合は東北大のスパコンによる結果が使われることになります。
津波の予測にGPSを使うという研究は以前からしていたとはいえ、東北沖地震からわずか6年で開発から実証、そして社会実装に至ったのは、異例の早さだったと言えるでしょう。しかし太田さんは、まだ改良を加えたいと考えています。
一つの方向としては予測や推定を1個の値ではなく、誤差を含んだ範囲で求めるということです。「今のシステムでは観測データを最もよく説明するものとして、答えが1個だけ出てきます。でも1個の答えって独り歩きするじゃないですか。例えば津波が岩手県で6mっていうのを出すと、6m以上来ないって思う人がいるかもしれない。だけど6〜10mって幅をつけられれば、ちょっとと思うんじゃないでしょうか」と太田さんは言います。「そういう幅のある推定を使って、その中から最悪のケースだけ持ってくるようなことを、今はやりたいなと思っています」
気象庁の緊急地震速報でも「マグニチュードは8.8プラスマイナス0.2」などという発表はされません。最もありうる値が、一つだけ出てくることになっています。津波も同じです。それを太田さんの考えるシステムでは幅のある推定から、あえて最悪のシナリオを選んで出していこうというわけです。過小評価の危険を防ぐためです。
また幅をもった推定ができると、最も被害が小さいケースから大きいケースまでの様々なシナリオで、津波の浸水域を予測することができます。すると例えば100のシナリオがあったとして、全てのシナリオで浸水する地域、50のシナリオで浸水する地域、10のシナリオで浸水する地域などと分けることが可能になるでしょう。これはパーセントに置き換えて、津波到達確率あるいは危険度として示すことができます。色分けして地図にすれば「リアルタイム津波浸水危険度マップ」といったものもできそうです。実際に太田さんは、それを5〜10分以内に出せる技術の研究をしています。
将来的には、そうした地図をもとにして、個人のスマホやカーナビなどに「今あなたは危ないところにいます。最短避難ルートはこっちです」といった情報を配信できるかもしれません。住民にとっても役立ちますが、旅行者などには特にありがたいでしょう。さらに言えば今後、自動運転が普及していった場合、車が勝手に安全な場所へ運んでくれるかもしれません。渋滞が起きるなどの問題があって難しいかもしれませんが、全くの夢物語ではないはずです。
太田さんらの津波浸水被害推計システムはGEONETという全国規模の観測網を駆使しており、海底に水圧計などが設置されていない地域でも即時予測ができます。したがって現時点では南海トラフと日本海溝に面した沿岸域を対象としていますが、いずれ全国に対象を広げることも可能でしょう。
ただ津波が伝播していく過程を実際に見ているわけではないので、その精度には一定の限界があります。また地震そのものではなく海底の地すべりで津波が発生した場合、陸上の地震計やGPSは何も反応しませんので、局地的な大津波は予測できません。
そして今のところシステムを利用しているのは内閣府だけです。政府の初動対応などに役立てられることを念頭に置いているため、地域ごとの細かい事情やニーズは反映されていません。同様なシステムを地方自治体や企業にも利用してもらおうと、産学共同のベンチャー企業が2018年に設立されており、いくつか話は進められているとのことです。
この点、海洋研究開発機構(JAMSTEC)海域地震火山部門地震津波予測研究開発センター上席研究員の高橋成実さんは、最初から地域と一体になって、言わば「オーダーメイド」の津波即時予報システムを開発しています。後で述べますが、すでに自治体での利用が広がっています。
これはGPSではなく、海底観測網の地震計や水圧計を使っている点でも太田さんらのシステムとは異なっています。つまり海で直接、津波を観測して、その伝播の過程を監視し、津波の発達に合わせて、沿岸に到達した時の高さや浸水域を予測するという方法です。ここでもS-netやDONETといった観測網が活用されています。DONETの開発や構築のチームにも、高橋さんは参加してきました。
高橋成実(たかはし・なるみ)
1967年、神奈川県生まれ。専門は海洋地震学。千葉大学大学院自然科学研究科で博士(理学)。東京大学海洋研究所(当時)COE研究員を経て1996年に海洋科学技術センター(当時)。2016年に防災科学技術研究所に移籍して現職。地殻構造研究から地震・津波観測監視システム(DONET)の構築、海域観測網を用いた地殻活動研究や津波研究にかかわる。2017年、DONETの開発と地震学分野への貢献により日本地震学会技術開発賞、2018年、DONETの開発により技術分野の文部科学省大臣表彰「科学技術賞」等を受賞。
提供/高橋成実
日本海溝の周辺に展開されているS-netには150ヵ所の観測点があります。一方、南海トラフの周辺に展開されているDONETには51ヵ所の観測点があります。
DONETには1と2があって、それぞれ紀伊半島沖(熊野灘)と紀伊水道沖に設置されています。海底ケーブルの途中にコンセントのような役割を果たす「ノード」がいくつかあって、そこから放射状に海底地震計や水圧計などが接続されています。ケーブルは陸上局から沖合へ直線的に延びているのではなく、ループしているので、どこか途中で切れても観測点からの情報は得られるという特徴があります。
このDONET1とDONET2の配置図を見ると、南海トラフの海域を東海、東南海、南海、日向灘というように分けた場合、東側に偏っているのが、ちょっと気になってしまいます。
「過去の地震を振り返ってみたときに、前回は1944年に昭和東南海地震が起きて、2年後に昭和南海地震が起きました。その前、1854年の安政の時は東海と東南海全体が壊れて、その後、南海が壊れたっていうふうにされていて、どうも東南海地震が先に起きて南海地震が発生したらしいというのが研究者側のコンセンサスになっています」と高橋さんは言います。「それだったらまず最初に破壊が起こりそうな所をきちんと観測しようというコンセプトで、紀伊半島の両側に展開したということですね」
もちろん、それで事足りるというわけではなく、高橋さんとしては南海トラフ地震が起きる海域全体をカバーしたほうがいいと考えています。実際、今は防災科学技術研究所が中心となって、高知県沖から日向灘をカバーする「N-net」という観測網の設置が計画されており、昨年(2020年)5月から敷設に向けた取り組みが始められています。
すでに触れましたが、DONETの地震計や水圧計のデータは気象庁へリアルタイムに伝えられており、緊急地震速報や津波警報などの発表に使われています。同じ観測網を使って、高橋さんはどのような即時予報システムを開発しているのでしょう?
「気象庁っていうのは全国に平等に情報を発出するっていうのが、国の機関としての役割ですよね。気象庁は津波予報区(全国で66区)を設定していて、それによってこの予報区では大津波警報とか、津波警報とかっていうふうに発表するわけですけれども、地域の人たちとちょっと話をすると、やっぱりそれでは少し情報が足りないという声がありました」と高橋さんは言います。
「例えば高知県の黒潮町では、M9の地震が起こったら津波の高さが30何mとか、そういう数値が出ることになるんですけれども、海岸がそれなりに長くて、場所によって高さが変わってくるわけですね。津波っていうのは、やっぱり、かなり地形に影響されるんです。津波が発生した所から、その津波を観測したり被害を受けたりする所までの地形ですね。また海岸の形とか、そういうところに大きく影響を受けます。すると例えば黒潮町で34mとかって出たとしても、どこでも34mじゃないんです。その中で一番高い所が34mなんですよ」
予報区では一律34mと出てしまいますが、もしかしたら、ほんとうに34mになる場所はごく一部で、そこには人が住んでいないかもしれません。それでも地域全体としては、無理をしてその高さに備えなければならなくなります。すると場合によっては「どうせ逃げ切れないよ」という人が出て、防災に対するモチベーションが下がってしまう可能性もあります。
「気象庁は平等に情報を出してくれる。私たちは、むしろ地域の声を聞いて、この海岸に来る津波の情報を詳しく知りたい、というところにターゲットを絞って、そこに対して予測をするというコンセプトにしてるんです」と高橋さんは言います。例えば三重県の沿岸は、でこぼこしたリアス式海岸になっていて、数ある小さな湾の一つ一つで津波の高さは変わってきます。その中で必要な湾についてのみ詳しい予測を出すということです。
高橋さんらが開発した「津波即時予測システム」は各地域や自治体の要望に合わせて用意され、ぞれぞれで運用されますので、お金のかかるスパコンなどは使いません。パソコンでも迅速に動くような工夫がされています。
高橋さんらの方法では、マグニチュードや震源の深さ、断層の傾斜角といった条件を組み合わせて、津波を起こしうる地震の断層モデルを、あらかじめ計算しておきます。この時、必ずしもプレート境界には、こだわっていません。例えば和歌山県のために用意されたシステムだと、1500通り以上の断層モデルが準備されています。これらを示した地図を見ると、南海トラフ周辺の海域全体に矩形の断層モデルが幾重にも貼りつけられているようです。
この方法では、その1500通りの断層モデルについて、あらかじめ津波の解析も行っておきます。それぞれの断層モデルを使って、津波が起きたとした場合、DONETの各観測点では、いつ、どれくらいの水圧が観測され、予測対象となる沿岸には、いつ、どれくらいの津波が到達し、浸水域はどれくらいの範囲になるかを計算しておくのです。これを、ここでは「シナリオ」と呼んでおきましょう。
断層モデルが1500通りあれば、シナリオも1500通りできます。これらは関連づけられてデータベースに格納されています。
ひとたび地震が起きて、DONETの水圧計が津波を検知し、それが一定の閾値(高さなど)以上だった場合、システムは予測を開始します。まず複数の観測点における観測値をもとに、1500通りの断層モデルから対応するものをいくつか選びだします。震源がわかっていれば、それも参考にします。選択したモデルのシナリオから、予測する沿岸で津波が最も高くなるものと、到達が最も早くなるものをさらに選んで、それぞれの予測値をパソコンなどの画面に表示します。
予測が開始されてから実際に最も高い波が到達するまでに、避難のための十分な猶予時間があれば、その間に逃げられる人もいるでしょう。予測や表示は、それぞれの予測地点で1秒ごとに更新され、画面の地図には浸水域と場所による深さ(浸水深)も示されます。それを見て、どの方向へ逃げるのがいいのか、国道や線路は越えるのか、といった判断もできます。
避難の猶予時間があまりない場合は、このシステムで津波の振る舞いを確認して、とにかく早く逃げることになります。この時、例えば地域の西側と東側とでは、どちらから先に浸水してくるか、といった予測情報が役に立つでしょう。また自治体の職員などは、どこの避難所が孤立しているかを、このシステムで確認できます。
予測が行われている間、津波の成長とともにDONETの観測値が変化していくのに応じて、選択される断層モデルやシナリオも時々刻々と変わっていきます。こういう形をとることによって、想定以上の大地震が起きたり、断層モデル上でのすべり量が変わったりしても予測が可能になります。また地すべりで局所的に高い津波が発生しても、ある程度は対応できます。これは水圧計を使う予測システムの大きな利点と言えるでしょう。
現在、和歌山県と三重県では、気象庁から「津波予報業務許可」を取得して、実際に高橋さんらのシステムを使い始めています。千葉県も導入する準備を進めています(同県のシステムはS-netを使います)。しかし残念ながら各県の一般市民は、津波の高さや到達時刻など具体的な予測情報を知ることができません。情報の錯綜や混乱を避けるため、気象業務法によって、そのような情報は不特定多数には出せないことになっているのです。
しかし県の職員は知ることができますし、津波予報業務許可があれば、あらかじめ気象庁に申請した特定の市町村の職員などには知らせることができます。そうした職員の中には警察や消防関係者、場合によっては民生委員などの社会福祉関係者なども含まれますから、そのような人々が避難誘導や救助を行う際に役立てられることになります。
また不特定多数に出せないのは津波の高さなど具体的な数値なので、例えば「津波が観測されました。だんだん大きくなっています」というような内容であれば、気象業務法には抵触しません。そこで和歌山県や三重県では一般市民にもエリアメールや緊急速報メールで、そのような情報を流す仕組みを取り入れています。
現在、和歌山県では約100ヵ所、三重県では約60ヵ所の沿岸地域に対して予測を出しています。千葉県でも60ヵ所くらいになる予定です。それぞれの地域は異なる事情を抱えており、予測に対する要望も異なっています。そこで高橋さんはシステムのユーザーである防災関係者や住人と話し合って、各地域に最適な予測を出せるようにしています。すなわちオーダーメイドです。
「例えば浸水域を予測をする場合、堤防を考慮するかしないか、地域によって異なりますね。このあたりもユーザーの使い方に合わせてカスタマイズします」と高橋さんは言います。「地域で自ら運用してもらう形をとるために、和歌山県や三重県から県の職員に来ていただき、津波の計算の仕方やデータベースの構築を学んでいただく体制を維持しています。これは堤防の有無など、刻々と変わる港湾部の情報は県にしか集まらないからです」
また高橋さんらのシステムは実際に津波が起きなくても、あたかも起きたように動かすことができます。過去の大きな地震(例えば昭和東南海地震)の断層モデルや、内閣府が想定しているM9クラスの地震の断層モデルなどを使って計算した波形のデータが、あらかじめ組みこまれているからです。それを避難訓練のシナリオや、予測の精度を検証するために使ってきました。
避難訓練への応用では、地域ごとに起きうる津波のシナリオを選んで訓練用の予測情報を出し、それに基づいて避難の手順を検証してみるという形が実際に行われています。そうすることで津波の高さばかりでなく、どこから津波が入ってきて、どのように浸水が進むのか、といったその地域での津波の特徴を、県や市町村の関係者に伝えられるのではないかと高橋さんは期待しています。
もともとは南海トラフで起きる津波を想定してつくられたシステムですが、開発には東北沖地震での経験が大いに役立ちました。例えば水圧計が津波を検知して、一定の閾値を超えたら予測を開始するという最初のステップです。
実は水圧計も地震を検知できます。津波が来る前の水圧を見ると、地震によって細かい変動が記録されているのです。これがシステムによって津波と勘違いされ、予測が始まってしまったら困ります。地震による変動の影響は、なるべく抑えるようにしなければなりません。一方で本物の津波は逃さないようにする必要もあります。そこで最適な閾値を設定するために、過去の地震の記録を参考にするわけです。
水圧計が波源から遠ければ、地震による変動と津波との間には、それなりの時間差があるので、両者を判別しやすくなります。揺れの伝わる速度のほうが、津波より速いからです。しかし東北沖地震の震源域近くにあった水圧計では、両者の間に、あまり時間差がありませんでした。南海トラフで地震が起きた場合も、DONETの観測点では同じ状況になる可能性があります。
「(水圧の変化が)地震と津波がほぼ同時に来たような波形の時に、即時予測システムはどんな振る舞いをするのか。そういう部分は東北大学の皆さんからデータをお借りして、その時にはこんなふうに動くね、こういう設定にすれば大丈夫そうだね、というのを確認して、このシステムを組み上げました」と高橋さんは振り返っています。「今でも東北大の皆さんとは共同研究をしたりして、良い関係を築かせてもらっています」
なお地球温暖化のためか、最近は台風などの気象現象も激烈化しています。すると、いわゆる「高潮」もシステムが津波と勘違いしてしまう可能性が出てきます。両者を区別できるようにするのは、現在の課題の一つです。
そして太田さんのシステムと高橋さんのシステム、両者に共通している今後の改良点は、お互いの「いいとこ取り」をすることです。どちらも予測の精度を上げるため、太田さんはS-netやDONETによる観測データを、高橋さんはREGARDが予測する地殻変動の情報を利用したいと考えています。
目的やコンセプトは異なっていますが、それぞれのシステムが進歩・発展して、使う側の選択肢も広がっていくことが期待されます。(次回に続く)
藤崎慎吾(ふじさき・しんご)
1962年、東京都生まれ。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどを経て、99年『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ)でデビュー。同書は早川書房「ベストSF1999」国内篇第1位となる。現在はフリーランスの立場で、小説のほか科学関係の記事やノンフィクションなどを執筆している。近著に《深海大戦 Abyssal Wars》シリーズ(KADOKAWA)、『風待町医院 異星人科』(光文社)、『我々は生命を創れるのか』(講談社ブルーバックス)など。ノンフィクションには他に『深海のパイロット』、『辺境生物探訪記』(いずれも共著、光文社)などがある。