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地震地震
2021年02月04日
取材・文/藤崎慎吾(作家・サイエンスライター)
6回にわたって、東北地方太平洋沖地震(以下、東北沖地震)が、どのように発生し、なぜあれほど巨大な揺れや津波を引き起こしたのか、地震後の海底にはどんな変化が起きているのか、過去にも同じような巨大地震は起きたのか、といったことをお伝えしてきました。次回からは、これから起きる地震をどう予測するか、起きてしまった時にどう対応したらいいか、などについて取材していきたいと思っています。
幕間の位置づけになる今回は、地震そのものにではなく、地震を研究している人にスポットを当ててみました。彼らはなぜ地震というテーマを選び、どんな思いを抱きながら、日々の研究を進めているのでしょうか。そして私たち一般人との接点は? インタビュー形式でお届けします。
今回、お話をうかがったのは、お二人です。一人は第1回にもご登場いただいた海洋研究開発機構(JAMSTEC)海域地震火山部門部門長の小平秀一さん、もう一人は東北大学大学院理学研究科教授の日野亮太さんです。
日野亮太(ひの・りょうた)
1964年、大阪府生まれ。専門は地震学。東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻で博士(理学)。2015年より現職。1992年に東北大学理学部助手となって以来、日本海溝沿いのプレート境界型地震発生帯の地震活動・地殻変動と海底下構造に関する研究を海底観測をもとに進めてきた。並行して、リアルタイム海底観測に基づく津波即時予測技術や海底地殻変動観測装置の開発にも携わってきた。
撮影/藤崎慎吾
日野さんは海底に設置した地震計や水圧計などのセンサーを駆使して、地震時やその前後の地殻変動を研究しています。第2回で「GPS音響測位法(GPS-A)」による観測の話をうかがった東北大学災害科学国際研究所教授の木戸元之さんや、第3回で「小くりかえし地震」の話をうかがった東北大学大学院理学研究科准教授の内田直希さんとは、同じ研究グループに属しています。
「今とくに注目しているのは、東北沖地震が起こった後に日本海溝沿いでまだ壊れていない所、断層すべりが及んでいない所があるんですけども、なぜ及ばなかったのかとか、地震時に大きい力を受けたはずなので、それに対して何か応答していないのかとか、そういうことを知りたい」と日野さんは言っています。
また、これまでの観測結果から、東北沖地震クラスの地震は宮城県沖だけでしか起こらず、岩手県・青森県沖では起こらないのではないかと日野さんは考えています。福島県・茨城県沖でも非常に大きな地震は起きていないのですが、それは断層がずるずる動き続けていて、あまり強く固着しない性質を持っているためのようです。同じことが岩手・青森沖についても言えるのかどうか、地震計やGPS-Aを含む様々な装置で検証しようとしています。
ではインタビューを始めましょう。
――お二人の出会いは、いつごろでしたか。
日野:いちばん最初に会ったのは、私が修士2年、小平さんが修士1年の時です。小平さんは北海道大学の大学院で、私は東北大学の大学院でした。北大の主導で行われた研究航海に参加して、同じ船に乗りました。確か3月でしたから、私がちょうど修士論文を書いたばっかりで、小平さんが修士1年から2年に上がるタイミングだったと思います。
航海では相模湾の中の地下構造を人工地震探査*で調べました。相模湾は関東地震(1923年)の震源とも関係するような所ですので、どこにどんな断層があるのか大づかみに構造を調べましょう、というような目的だったと思います。
海底地震をやっている人は日本中でそんなに多くないので、小平さんという人がいるというのは、その前から知っていましたけれども、たぶん小平さんは当時、ずっと南の沖縄とか、そっちの方の調査をされていたので、直接、会って話をする機会はなかったかなと思います。
*「人工地震探査」は第1回で触れた反射法地震探査などのこと。
――初めて船で会って、どんな印象でしたか。
小平:全然、覚えていません。船酔いしたのは覚えている(笑)。日野さんがいたのは覚えてますけど、何があったかとかはねえ......。
日野:共通の思い出みたいなのがないので、作業中すごい大変だったという話をすると、お互いに「ああ、そう言えば、そうだったね」そんな感じですよね。
――その後も一緒に調査や研究は、されましたか。
日野:北大って当時、すごい幅広くやってたんですよね。日本国内の調査もそうだけど、ノルウェーとか、大西洋の方ですよね。さっき言った沖縄もありますし。僕は東北大にいて、基本的に国内の方をやってましたから、そういう意味ではフィールドがちがうと、結果的に乗る船もあんまり一緒にならないというのがあって、だから現場で一緒になったのは、我々二人とも、もう就職しちゃった後かもしれないですね。北海道南西沖地震(1993年)の時かな。
小平:ああ南西沖もありましたね。確かに、南西沖があった。気象庁の船でしたね。
日野:小平さんは、もう予知センター(北海道大学の旧地震予知観測地域センター)にいたんだよね。
小平:就職して、すぐじゃないですか。
――お互いに研究者として意識し始めたのは、就職して、しばらくしてからですか。
日野:けっこう頻繁にやり取りするようになったのは、1996年に小平さんがJAMSTECに来られてからじゃないかな。それでも全く同じ仕事を一緒にしたことって、案外ないかも。
小平:海の地震学という意味では、そんなに業界が広くないので、一緒に色んな話をしたり、相談したりしてましたけど、ほんとうの共同プロジェクトって、東北沖地震が起きた時の一連の調査研究からじゃないですか。
日野:そこから後で、ぐっとタイトになった感じですね。
――東北沖地震以降ですか。
日野:だからって、その前に話をすることがなかったかっていうと、そういうわけでもない。逆に言うと、その後がものすごく密に一緒にやらせていただいているので、その印象がすごくあります。
あとは同じ海の地震観測といっても、私自身は大学院のころはやっぱり同じように人工地震探査をやってたんですけども、就職した後って、どちらかというと人工地震探査というよりは地震活動であったりとか、地殻変動の観測であったりとかって、ちょっとずつ専門がずれていってる。そういうのもあって話はするけれども、ほんとうに同じプロジェクトで一緒に仕事をする、サイド・バイ・サイドでやるという距離感ではありませんでしたね。
それなりに歳をとってくると、今度は大きなプロジェクトの、こっち側とこっち側をそれぞれ分担してるとか、そんな感じのつき合いっていうことはありますけどね。
小平:日野さんがおっしゃったように、おのおのが所属している組織もあって、研究のアプローチをちょっとずつ棲み分けてきたんですよね。だから重複するっていうよりも、それを組み合わせて大きいプロジェクトをやるっていう、そういう感じに自然となってきた。我々だけじゃない、あと東京大学のチームとかいて、彼らは彼らでまたちょっとちがうアプローチを持っているんで、そのへんを組み合わせて上手に大きいプロジェクトをやるっていう体制が、何となくできたんですよね。
非常に不思議な世代があって、我々のプラスマイナス2〜3年のところに東大の人たちと我々が固まっていて、みんな海の仕事をしていて、ちょっとずつアプローチがちがっている。海のプロジェクトって大きいプロジェクトなので、個人でできないから皆でチームでやろうとすると、それがうまい具合に機能してるっていう感じですかね。
日野:やっぱり同世代だから、それぞれお互いのやっていないところを埋めるようにってことは考えます。全くガチで勝負するんじゃなくて、ちょっとちがうところを自分はやろうかなと思うところがある。そうすると、さっきも言ったように研究者が少ないですから、少ない人間で大きいプロジェクトを回そうと思うと、みんなで分業しないとできないので、それぞれの得意分野を合わせてっていうふうにフィードバックがかかっていく。すると結果的に、みんなで一緒にやらないと何もできないみたいな感じになってくるんですね。
――逆に一つのことに関して競争するとか、出し抜いてやろうというような余裕はなかった?
日野:うん、みんなで一つのお神輿を担がないと、潰れちゃうよという感じかな。
――ところで日野先生は『日本沈没』という映画(小松左京原作)に出てきた、地球物理学者の竹内均先生(1920〜2004年)にあこがれて、研究者を志したそうですね。
日野:それは、ちょっとニュアンスがちがう感じですね。映画の中で、竹内先生がプレートテクトニクスの説明をするシーンがあるんです。そこで「ああ地球科学って面白いな」と思ったっていうのはあります。研究者のパーソナリティという意味でいうと、登場人物の田所教授にいちばんあこがれてたんで(笑)。
映画に出てきた竹内先生って、ほんとうにただ専門家として国会に呼ばれて説明しているだけなので、そういう意味では「ああ、すごい先生がいるんだな。しかも実在の人物なんてすごいな」と思ったところまでは印象にありますけど、あそこに関しては先生が説明された内容にすごくインパクトを受けた。
――『日本沈没』は、今、地球科学や地震をやっている人には、やっぱり大きな影響があったんでしょうか。
日野:人によると思いますけど、私の知り合いではけっこう多いですよね。当時は1970年代前半くらいで(小説は1973年刊行)、ほんとうに夢中になって読んでいたのは、我々よりちょっと上の世代かもしれません。
私が『日本沈没』はよかったよねと話して、そうだそうだと言われた記憶があるのは、うちの松澤暢さん(東北大学大学院理学研究科教授、第1回に登場)と山岡耕春先生(名古屋大学大学院環境学研究科教授)――山岡先生はあまりに好きでね、次に映画化された時(2006年)に科学監修をされました。
他にどれくらいいるかっていうのは推測するしかないですけども、比較的、近い人に2人も大好きな人がいるんだから、それなりに皆さんに影響があるのかなと想像はしますけどね。
小平:僕も映画を見た記憶はあるんですけど、まだ子供だったから「ふうん」というだけでした。もうちょっと大きくなってから本を読んだ記憶はありますが、リアルタイムでは影響を受けてないような気がします。何年か経って、自分に地球科学への興味が出てきたところで、もう一回読んで「なるほどな」って思ったかもしれません。
――地球科学に限らず、多くの科学者の研究に対する動機は「好奇心」に尽きるんじゃないかと思っています。単純に何かを知りたいとか、こうしたら、こうなるんじゃないかとか、思いついたとたんに追求せざるをえなくなる。ただ地震に関しては、好奇心という言葉がなじまないような気もするんですけど、お二人の場合は、どのような動機で研究をしていらっしゃるんですか。
小平:僕はもともと地震現象というより、子供の頃から地図を見るのが大好きで、なんかこう地球のシワシワが山や海溝であるとか、そういうのを見るのが非常に好きで、その理由はわかりません。ただ好きで、中学生になるとプレートテクトニクスという学問があって、それで色んな説明ができるんだとわかって、さらに興味を持った。
あとは今はそんなに得意ではないけど、算数とか物理で色んな説明ができるというのも、ちょっと楽しかったっていうところで、やっぱり好奇心ですよね。地球を知りたいという、そういうところだという気がします。
日野:同じですね。僕は『日本沈没』の話以来、まず沈みこみ帯に興味を持ち、プレートテクトニクスに興味を持った。当時の理科の教科書とか地学の教科書って、地球の構造に関しては「地殻があります、海にはすごく薄い地殻が、陸にはすごく厚い地殻があります」って書いてあるのね。じゃあ海と陸の間はどうなっているのっていうところに私はすごく興味を持ったんだけど、点線でつないでいるだけなんです。すごく地殻の薄い海と、すごく地殻の厚い陸があって、その間に何があるかは教科書に説明が何もない。
その一方で映画でちらっと見たプレートテクトニクスの図が、どういう関係になっているのかなと気になった。だから海と陸の間に何があるのかがずっと知りたくて、今でもまだわからないという意味では、ずっと謎を追っているという感じですかね。もとをただすと好奇心ですね。
――結果的に、それが地震研究につながっているわけですか。
日野:そうですね。
――天文学者や生物学者は文明の発展に寄与することはあっても、人の生死に関わるような影響を社会に与えることは、まずありません。その点、地震学者は少しちがうのかなと思うのですが、地震研究が社会に重大な影響を与えうる点を意識することはありますか。
日野:する時としない時がある、という感じですかね。自然現象に向き合っている時には、それが人を殺すかどうかというのは、あまり関係がない。例えば地震はなぜ起こるのかとか、地震が起こる前には何か動きがあるんじゃないのとか、地震の起こりやすい所と起こりにくい所があるらしいのは、どうしてかとかって、それは全部、好奇心なんですよね。だから、ほんとうに地震現象に興味が向いている時には、震災というのは全然、気にもしない。
でも地震現象を突き詰めて考えていくと、大きい地震が起こる条件があったとして、それをしっかり突き止められたら、それに合うような防災対策ができるはずだとも考える。それって今度は、もう学者じゃなくて市民ですよね。「こういうのがあれば震災が小さくなるのにな」という思いがあって、それに自分の調べていることがつながると「あ、これって何か役立てられる方法はないのかしら」と思うとか、そういうことはあります。
ただ、こういう言い方をしたらがっかりさせるかもしれないけど、震災を研究しようと思ったことはないですね。地震予知を本気でやろうと思ったこともない。ただ自分がやりたいと思っていることが突き詰められれば、そこにつながるだろうと、そんなイメージですかね。
小平:僕もかなり近くて、東北にいる人に比べたら私たちの悩みは全然、軽いのかもしれないけど、震災の時には、何をやってたんだとか、何をやればいいのかって、けっこう悩んだんです。研究なんかしていても何も役に立てないなとか、ちょっと思ったりして......。
でも、その時によくよく考えたら、自分が知りたいことは何かを突き詰めていくと、東北沖地震についても色んなことがわかってくる。それを世の中の人に知らせてあげるということが、自分にできることじゃないかと思ったんです。それは必ずしも防災とは直結しませんけどね。
何が起きたかとか、何が起きるかっていうことを自分は知りたいだけで、それを突き詰めて自分なりに理解して、新しいことを明らかにして、それをみんなに説明していく。たぶんそれは自分たちにしかできないことだから、そこをやればいいんだなっていうふうに感じた。
だから、ほんとうのところ私は日野さんと同じで、防災事業を専門にしているわけではないので、やっぱり起きていることをちゃんと理解したい、それを世の中にちゃんと説明したいっていうところですかね。ただ、それは自分なりにできるアプローチで、防災とか防災意識っていうものに貢献できているんじゃないかというふうには思っています。
日野:個人的なモチベーションの部分は、たぶんそうですよね。サイエンスとして、ちゃんとしたサイエンスをやりたい。自分たちが興味を持って始めたことに基づいてやらないと、やっぱり力を出せませんから。
けれども一方で責任は感じてます。それはやっぱり災害軽減のために、こういう研究費をいただいているんだとか、そういうのはありますから、ほんとうに興味本位だけでやっていていいというわけでは決してありません。何もできないくせに地震予知をやりますなどと言うのではなく、自分の良心に従って、これがいい道だと思っていることを続けている。そこが私の感じる責任――要するに災害軽減のための地震学としてやらなきゃいけないと思っているのは、その責任感があるからです。
小平:新しい発見とか新しい技術で解決できる問題ってあるはずで、その発見や技術を世の中は求めている。それは自分が興味を持っていることの延長線上に必ずあるはずで、そういうものを突き詰めているっていうことだと思いますね。だんだん歳をとってくると、社会問題を解決しなければいけないっていう意識は当然あって、それを自分なりのアプローチで解決していく、自分たちが得意としているアプローチで解決していくっていう意識ですかね。
――東北沖地震の時に何か発言に慎重になったとか、迷ったというようなことはありましたか。
日野:当時は松澤さんがそういう立場にいらっしゃったので、ずいぶん苦労されたんじゃないかと思います。逆に私は観測すること、研究することに、すごく集中させてもらいました。
取材とかはたくさんいただきましたけども、現在進行形で何が起こっていて、これから何が起こりそうだっていうのは、あの当時は「よくわからない」って言うことが、すごく許されてたんですよね。「わからないから調べないとだめだ。調べてないからわからないんだ。その調べないことが、いちばんよくない」っていうようなことを、私はずっと言い続けてきたのが、当時は比較的、受け入れてもらえてたんです。要するに「想定外」をなくさなきゃいけないっていうのを、すごく皆さんがおっしゃってたところだったので、わからないことをちゃんと突き詰めなきゃいけないっていうことに、すごく寛容だったと思うんです。
でも一般的には学者が言うことは正しくって、学者は全部、知ってなきゃいけないって思っているところが、やっぱりどこかにあって、世の中が落ち着いてくると、またそっちに向かってきているんじゃないかなという気が、ちょっと最近しているんですけどもね。それは新型コロナウイルスの騒ぎを見ていてなんですけども――専門家の先生方が何かわあわあ騒いでいるのを見てて、何やってんだと思っちゃうんでしょうね。いや、だって、わからないんだからしょうがないだろうと僕は思うんだけども。
小平:10年前の我々の世代って、責任ある立場にまだ達していない年頃だった。松澤さんたちは、けっこうそれに近づいちゃってて、すごく責任を感じていらっしゃって、学会とかでも色んな集会を先頭に立ってやられてたんだけど、どっちかというと、それよりちょっと下の我々って、調査や観測の最前線に立って、自分から体を動かしたりする、そのぐらいの年頃だった。よくわからないことがあるけど、とにかく調べようって、そっちにどんどん考えかたが向いてったんですよね、地震の直後は。
でも、ちょっと上の人は、もう少し上からものを見ていたから、どうしなきゃいけなかった、これからどうするって、そっちをすごく真剣に考えられて、ご苦労なさっているのを、やっぱり見てはいました。我々は、それよりも、わからないことがあるから、とにかくそっちを調べるということを許してもらっていた世代だったんじゃないかな。たまたまそういう年頃だった。今、地震が起きたら、ちがうかもしれない。
日野:そうですね。
――今は逆に前の松澤さんの立場になられているわけですよね。例えばこれから東南海地震、南海地震みたいなのが起きたとしたら、たぶんお二人が矢面に立つと思うんですけど、その心構えみたいなのは学んだ感じですか。
日野:迎え撃つ心構えは、まだちょっと足らないなと思うんですよね。
南海地震って起こるだろうっていうふうに言われているけど、でも5年や10年で起こらないだろうと思って、その5年や10年の間に、しっかり準備しなきゃっていうところが、すごく強くあります。今がんばらないと、もう間に合わない。特に私たちは地殻変動をやってますので、ああいうのって結果が出るのに5年や10年、簡単に経っちゃいますから、今ここでがんばらないともう絶対、間に合わないという、そういう焦りはあります。
けれども逆に今、本物の地震が起こっちゃったらどうしようっていうのは、全く心構えができていません。そのための知識が、まだ足りていない。
――一方でマスコミや一般市民が地震学者に対して何を期待したらいいか、あるいは、どういうふうにアプローチしたらいいかっていうこともあると思うんです。コロナウイルス禍に関しても専門家の方々を頼っている一方で、非難したり炎上させたりもしています。そういう状況って、たぶん地震の時も起きると思うんですけども、我々一般市民やマスコミは、地震学者に対して何を期待し、どういうふうに地震学者の言うことを受け止めればいいのか、学者の立場からはどう思われますか。
日野:難しいですね。例えばコロナとか見てて思うのは、学者先生は何でも知っているからと、答えを求める。ある種、特効薬みたいなものが、ほんとうに最高レベルの専門家に尋ねれば出てくるって、何となく信じられているような気がするんですね。だけども、そうじゃないわけです。我々も震災に対する特効薬って、何も持っていない。
ただ確定的なことは言えないけれども、例えば大きい地震が来たら津波が来るんだとか、もう少し定量的に、これぐらいの津波は、この海岸には来そうなんだとか、この地方とこの地方は地震が起こった時に受ける災害のパターンがちがっていて、建物に気をつけたほうがいいのか、崖崩れに気をつけたほうがいいのか、なんていうことは、自然科学をちゃんと積み重ねていけば言えると思うんですよね。そういう意味では、理屈で考えればこうなるはずだという常識みたいなものですかね。
地震は災害だけれども、あくまでも自然現象ですよね。「夕焼けだったら明日はいい天気だろう」的なものでも、自然科学としての裏づけがある規則性なんだけれども、それと同じようなものを、どうやって皆さんに染みこませていくか。それが染みこんでいくと、いわゆる自助、共助、公助の自助のレベルが上がってくると思うんですよね。「逃げろ」って言われて行動するんじゃなくて、自分で考えて「ああ逃げよう」って思ってもらえる。
全部マニュアルで、こうしなさいっていうのを出すように期待されるのはまちがっているし、出せることを目指すのも僕はあまり正しくないと思っている。それを出せるほど、理解力も観測レベルも上がっていかないと思うので、みんなが何となく自然に「危なさそうだ」というのが、わかってもらえるようなところにもっていきたい。そういう意味では自然科学の理解度の水準を、今から少しでも上げられるといいのになと思うことはありますね。まあリテラシーという言いかたで表現される方もいますけど、そういうところですかね。
「危ないよ、怖いよ、災害対策はこうだよ」っていうふうにもっていくんじゃなくて、私たちが今の学問に興味を持ったのと同じように、面白いと感じられるところも取り入れながら興味を持ってもらって、何となくそうするのが自然だっていう考えかたの人が増えてくれれば、もう少し社会全体のレベルも上がっていくのかなあという気がするんですよね。私自身はそういうことで役に立てると、自然科学者として本望ですね。
――小平さんも、わかっていることをちゃんと伝えたいとおっしゃるのは、同じ意味ですか。
小平:そうでしょうね。あとはマスコミの悪口を言うわけじゃないんですけど、やっぱり商業雑誌は売れないといけないので、どういう記事を書けば売れるのかということを編集者の方は考えながら、それに合った発言をしてくれる人を探してきて、しゃべらせるということをする。商売としてはしょうがないんだけど、そうすると怪しい情報とか色々ありますよね。そこをやめろとは言えないけど、それを読んだ一般市民が正しいネタ、怪しいネタを判断できるようにするのは、すごく難しい。そこはたぶんコロナの時も地震の時も、アメリカの温暖化の議論もそうかもしれないけど、ずっとつきまとうことだと思います。
解決策はないけど、やっぱり日野さんが言ったように一人一人の知識のレベルを上げていくっていうのは、100%それで解決はできないけど、読んでいる人の中での判断基準が上がってくる助けにはなるような気がするので、そういうことはやっていかないといけないなあと思います。あとはマスコミの書いている側も、それなりにリテラシーというか知識を上げて、書いているものがどういうものであるかということを、わかった上で書いてくれるふうにしていかないと、いけないのかなっていう気がしますね。
――そうは言っても、とにかく色んな情報源が今、世の中に溢れている中で、ここの言うことはだいたい大丈夫だよ、OKですよというのが何となくわかっていたほうがありがたいなと思うんですよね。コロナに関しては政府の言うことも信じられないし、デマも含めれば無数の情報が渦巻いている中で、みんな混乱していると思うんです。そうじゃなくて、おおむねここから出てくる情報は信じていいというのができていると、すごくありがたいんですが、地震の場合は、どこを信じればいいんでしょうか、とりあえず?
日野:地震調査研究推進本部(地震本部)が、そうなろうとしているはずです。まだ、たぶんそこまでは行ってないけれども、そうならなきゃいけない。偉そうな意味での総本山というわけではなくて、どちらかというとポータルサイトですよね。何かあったときに、まず地震本部のホームページを見れば、たいていのことはわかると。
もちろん常に不確定性はつきまといますから、それだけ見ればいいというわけじゃないけど、色んなものを見る時の基準にしてもらえる。「地震本部はこう言っているけど、他の人たちはどうですか」はあっても、地震本部抜きで、こっちとこっちはやらないでねっていうふうに、みんなが信じてくれるようなものは、つくんなきゃいけないなというのがあって、私の気分は地震本部にその役割をぜひ担ってほしいと思います。
――JAMSTECはどうですか。
小平:JAMSTECは地震本部に情報やデータを出していく立場なので、JAMSTECが持っている情報をJAMSTECとして発信はしますけれど、それはあくまでも一研究機関の発信になる。そこをオーソライズしていくのは、やっぱり私も地震本部だと思ってるんです。あそこがきちんと機能していけばいいし、今でもそういう努力はされています。
よく話をすると「何か先生方や国の委員会は隠しているんでしょう?」とか、そういうことを言う人もいますけど、絶対にそういう意識はなくて、手元にあるデータを正しく判断して情報を出していこうとしている。やっぱり信用できる情報は地震本部から出ていくし、我々はそのためにデータを地震本部に出していくというスタンスをとっているので、そこが機能していけばいいなと思いますね。
だけど地震本部から出す情報って、そのぶん慎重になる可能性はあるかもしれない。わからないことは、わからないっていうようなこともあると思いますけどね。
――スピードもけっこう重要になってきますよね。
小平:それはやっぱり意識して、スピードは上げて、持っている情報を出していくということはすると思いますけどね。
日野:やっぱり地震本部は、社会への影響みたいなものを加味せざるをえない。一方で個別の研究機関は、とったデータに非常に自信があれば、積極的に出していくでしょう。ただ、そこで発言する時に、どんなに用心深く発言しても、受け取る人が「これはやばい」という情報だと受け取っちゃったら、たぶんそのまま炎上するというか、わあっと広がっちゃうと思うんですね、尾ひれがついて。
そういうことはコントロールできないんだけども、その時にもやっぱり、ここがリファレンスというのがちゃんと決まっていれば、収束は早くなると思うんです。もう全くわけわかんなくて、みんなが全然ちがうことを言って、わあっとなるのが、ほんとうのパニックだと思う。それを避けるためには、権威づけではなく、揺るがないリファレンスがあるというのが大事なんじゃないかなと思いますね。とくに今みたいに、みんなが勝手に情報を発信できるようになった世の中になってくると、やっぱりオーソリティってないと危ないなという気がしますね。
――最後にちょっと大きな話になってしまいますが、人類は地震のような災害と、どうつき合っていけばいいと思われますか。
小平:少なくとも災害はなくならない。災害というか、災害を起こす地球の変動現象はなくならないですよね。それは必ず起きてしまう。それに対して我々、人間が何をできるかというと、何で起きるのか知るということをしたくなりますよね。原因を知りたくなる。いつ起きるかとか、起きたらどうなるかを予測・予想したくなります。そして起きちゃった時に、自分たちの命や財産を失わないように防ぐっていうことをしたくなりますよね。たぶん、どれをやっても100%勝つっていうことは、きっとできないんじゃないか。
これはあきらめじゃないですけど、そういうことを知った上で、やっぱり原因を知り、それに基づいてどうなるかを予測し、想像力を働かして、どうやって被害を減らしていくかを考えるっていう、その努力をしていくしかないんですかね。地球の変動を制御することは、おそらくできないですよね。やっぱり、そこは知識と技術で現象を理解し、予測・予想し、対応を考える。ひょっとしたら、それは勝ち目のない戦いなのかもしれないけど、知識と技術で解決する努力を、ちょっとでも積み重ねていくっていうことですかね。
日野:いちばん最初に私が思いついた言葉は「覚悟」だと思うんですよ。その覚悟を決めるのに色んな情報がいりますよね。例えば、今はコロナが流行っている。家から一切出ないと安全だってわかっているけど、でも買い物に行かなければならないとか、何かアクションを起こす時に覚悟ってしますよね。
その覚悟を決める時に、やっぱり色んなことを知っていることが大事。それから色んな情報が入ってくる中で、取捨選択する必要がある。覚悟を決めるために何が大事かは、その時々でちがうんだけれども、結局、人間はみんなリスクを回避しながら欲求を満たすというバランスをいつもとるわけですよね。
で、最後に決断するわけですから、その決断をするのに必要な情報、良質な情報をどれだけ出せるかっていうのが、そういう意味では学者である私たちの責任だろうと思います。それは地震学に限らず、全てにおいてそう。
一方で学者ではなく個人の自分で言えば、覚悟を決めるんだから、それはイコール自分に対して責任をとる。決めたことは自分が決めたことなのであって、誰かにやれと言われたことじゃないんだから、それはもう仕方がない。仕方がないと思えるまで、ちゃんと考える。それもまた覚悟だと思います。
――覚悟を決める時に知識は必要ですが、普段から地震に対して興味がないと、なかなか皆さん情報を受け取りませんよね。それを、どう喚起していったらいいのか。
日野:頭の中で地震とか津波を起こせる人になってもらえれば、もう大丈夫だと思うんですよ。だって雨が降ってどうなるかは、みんな想像がつくじゃないですか。台風が来たらどうなるっていうのも、ある程度、想像がつくじゃないですか。その想像を超えるから災害が起こるわけですけれども、地震が来た、ガタガタガタって揺れる、この後どうなるっていう、ほんとうに一瞬、10秒か20秒の間に「このまま揺れが大きくなるかもしれない、これは大変」って思えるかどうか。で、揺れがおさまった、「今の地震は大きかったね、で、どうする?」っていうのも、これはやっぱり自分がどれだけ地震が来る前に頭の中で地震を起こせてたかですよね。
その想像力も、やっぱり情報、どれだけ知識が頭の中に蓄えられて、それが横方向にどれだけつながっているかだと思います。そういうことを、急にみんなができるようになりなさいとは思わないけれども、でも学者たちは普段からそういうことをやり慣れているわけですよね。そういう思考様式みたいなものが何かの形で色んな人に伝わって、私たちの頭の中でこういうふうに考えているっていうのが、うまく渡せるといいんですが......。
私たちが講演の依頼をいただく時も、地震というのと震災というのは、あまり明瞭に区別されていないんですよね。多くの人たちがほんとうに興味を持っているのは、たぶん震災だと思うんですけども、やっぱりもっと地震のほうが主役になって、地震が脚光を浴びてこないと、結果的に震災を理解するというのにつながってこないと思います。もう来年とかにも大きい地震があるかもしれないような国に住んでいるわけですから、応急処置として震災対策を知っておくというのも、それはそれで大事だと思います。だけど、それとは別に、やっぱり地震を知っているという状態に、一人でも多くの人になってほしいなと思いますね。
小平:我々が努力しなきゃいけないんでしょうから、あまり高飛車に言うことはできませんが、やっぱり知識を高める必要はあると思います。日本の子供たちは、たぶん世界的に言ったら地震や津波に関する知識って相当、高いと思うんですけど、子供の親とかその上の世代も含めて全体の知識レベルを上げていかなければならない。地震現象とは何か、起きたらどうなるかっていう知識と想像力、それを身に着けていってほしい、あるいは、いけるように我々が努力しなきゃいけないっていうことですかね。
皆さん、すごく関心はあると思うんです。東日本大震災の後も「何が起きてるの、どうなってるの」ってすごく質問を受けたし、色んなお話をすると興味を持って聞いていただけたので。でも、あれから10年も経つと、また意識がもとに戻る。みんな少しずつ忘れていってしまうので、それを忘れず、我々はそういう所に住んでいるんだ、常にそういう想像力を豊かにして暮らしていかなければならないんだっていうことを意識してもらうんですかね。
ちょっとレベルの低い話になりますけど、日本の中学・高校で地球科学ってそんなに力を入れて教えないじゃないですか。何かもうちょっとできないかなあと......怖いもので脅すわけじゃないですけど、災害とか自然現象にからめながら、興味を持っていってもらうといいんじゃないかという気はしますけどね。
――かつての竹内均先生みたいな方がいらっしゃるといいんですかね。あるいはノーベル地球科学賞が設置されるとか(笑)。
日野:ノーベル賞って面白いなあと思っていて、あれは最初「何か人類の役に立った人を褒めてあげましょう」だったと思うんですよね。アルフレッド・ノーベル(1833〜1896年)の考えかたって、たぶんそうだったと思うんだけれども、今は結果的に役に立った人が賞の候補になることが多いですよね。でも賞をもらった先生方は、最初から役に立とうと思って研究をやっていたわけではないことが多い。ほんとうに彼らの好奇心を高めに高めた結果として、そうなっている。やっぱり学問の最先端は、どの分野でもきっとそうなんだろうと思います。最先端を極めることで、結果的にそこから役に立つものが転げでてくるんだと思うんですよね。
だから、さっき責任って言いましたけれども、立場上、許されれば、何の責任も負わずに、ほんとうに真剣に地球のことだけを考えている人がたくさんいるというのも大事だなと思います。一般の人たちにいっぱい味方をつくりたいというのもありますけど、やっぱり地震予知がやりたい、人の役に立ちたいというモチベーションじゃなくて、地球が好きっていう研究者がいっぱい育つといいなと思うというのもありますね。
――まずは自分も含めて、もっと地球を好きになるようにしたいですね。ありがとうございました。(次回に続く)
藤崎慎吾(ふじさき・しんご)
1962年、東京都生まれ。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどを経て、99年『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ)でデビュー。同書は早川書房「ベストSF1999」国内篇第1位となる。現在はフリーランスの立場で、小説のほか科学関係の記事やノンフィクションなどを執筆している。近著に《深海大戦 Abyssal Wars》シリーズ(KADOKAWA)、『風待町医院 異星人科』(光文社)、『我々は生命を創れるのか』(講談社ブルーバックス)など。ノンフィクションには他に『深海のパイロット』、『辺境生物探訪記』(いずれも共著、光文社)などがある。