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  • 【シリーズ連載/第6回】伊達政宗は「巨大地震」を見たか?(前編)

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海底で地震が起きると土砂が巻き上がり、その土砂を含んだ水が斜面を流れ下って、混濁流(乱泥流)が生じると考えられている。雪崩に似ているとされるが、直接、観察されたことはない。上の連続写真(背景は最後の写真を拡大)は、実験室で模擬的に混濁流を再現した様子。傾斜させた細長いタンク(長さ6.7m)に水を張り、画面右の方から石英の粉を混ぜた水(土砂を含む水の代わり)を流した。その映像から8秒ごとに静止画像を取りだして、上から下に並べてある。白っぽい煙のようなものが混濁流を模した水で、その先端は40秒で2m余り移動した。このような混濁流によって運ばれた土砂が海底に堆積すると「タービタイト」と呼ばれる地層となり、過去に大きな地震が起きた証拠になる。日本海溝では東北地方太平洋沖地震によるタービダイトが確認されている。

Shun Nomura, Giovanni De Cesare, Mikito Furuichi, Yasushi Takeda, Hide Sakaguchi, Quasi-stationary flow structure in turbidity currents, International Journal of Sediment Research, 35(6), 659-665, 2020, doi. 10.1016/j.ijsrc.202004003. を改変

地震地震

2021年01月26日

【シリーズ連載】
東日本大震災から10年――「定説」をくつがえした巨大地震の全貌

<第6回>
伊達政宗は「巨大地震」を見たか?(前編)

取材・文/藤崎慎吾(作家・サイエンスライター)

戦国武将の中では、トップ3クラスの人気を誇る伊達政宗(1567〜1636年)。「独眼竜」という、いかにも勇猛そうな異名で知られていますが、仙台藩の初代藩主として政治にも辣腕をふるいました。スペイン国王やローマ教皇に対しては「奥州の王」として使節も送っています。

その伊達政宗は1611年「慶長(けいちょう)奥州地震」という大地震に遭遇しました。津波が広く東北沿岸を襲い、5000人規模の人命が失われたと言われています。この地震は、従来の研究では1933年の昭和三陸地震くらいだったとされていましたが、最近は2011年の東北地方太平洋沖地震(以下、東北沖地震)に匹敵する規模ではなかったかと議論されるようになりました。一方で近年、新たに確認された1454年の「享徳(きょうとく)地震」も、東北を襲った巨大地震ではないかと注目され始めています。

私達はこうした過去の(巨大)地震をどうとらえ、何を学べばいいのでしょうか。今回は前編と後編に分けて、地質学と歴史学の両方から考えてみることにします。

地層には過去の地震が「記録」されている

第3回で「地震の化石」を紹介しました。「シュードタキライト」という名前ですが、覚えているでしょうか。地震で断層がずれた時に摩擦熱で岩石が溶け、再び冷えて固まったガラス質の岩脈でした。実はもう一つ「地震の化石」と呼ばれているものがあります。「砂岩岩脈」です。

地下に水を多く含んだ砂の層があると、地震が起きた時に揺さぶられて、どろどろの液体のようになることがあります。いわゆる「液状化」です。これが地割れなどから上下の地層に噴きだし、そのまま固まったものが砂岩岩脈です。

数千万年前にできたものですが、シュードタキライトも砂岩岩脈も、高知県の沿岸などで実際に見ることができます。そのあたりが、はるか昔から何度も地震に襲われてきたことを物語っています。地層には、このような過去の地震の「記録」が、いたるところに残されています。

砂岩岩脈
室戸岬の新村遊歩道で見られる砂岩岩脈(矢印が示す白っぽい岩脈)。地震で液状化した砂が、海底に噴きだした時の通り道を示す。
撮影/藤崎慎吾

もう少し「最近」の記録としてよく研究されているのが、津波堆積物です。海岸に近い湿原や沼地などでは、普段、植物の遺骸(泥炭)や泥が静かに堆積しています。地震が起きて、そこに大きな津波が襲ってくると、海底や海岸の砂や石なども一緒に運ばれてきます。それが湿原や沼地を覆ったまま残されたものが津波堆積物です。

津波が引いてしばらくすれば、再びそこには植物が生えて、その遺骸や泥が堆積していくことになります。そうした場所の地面を掘って、泥と砂の層が交互に見られるようであれば、そこから過去の地震や津波が起きた年代を推定できます。

津波堆積物
津波堆積物の例。白い層が津波堆積物。黒い層は泥炭。
出典/産総研地質調査総合センターウェブサイト
(https://unit.aist.go.jp/ievg/report/jishin/tohoku/tsunami_taiseki.html)

さらに陸上のあちこちを掘って、同じ年代の津波堆積物がどう分布しているかを調べれば、その時の浸水範囲もわかります。すると「陸上をこれだけ駆け上がったのだから、津波の高さはこれくらい」とか「この地域では波が低かったけど、あの地域では高かったから、津波はあっちの方からやってきた」というようなこともわかります。

このように過去の津波や地震の状況を詳細に復元できる点が、津波堆積物の有用なところです。ただし欠点もあります。例えば津波が来た方角がわかっても、発生源までの距離はわかりません。地震が日本の近海で起きたのか、はるか遠くの南米で起きたのかは判別できないのです。

また地層がずっとそのまま保存される保証もありません。例えば草や木の根によって、崩されてしまう可能性はあります。人間による開発で、失われることもあるでしょう。

そして海岸は常に変化しています。約2万年前、最終氷期で最も寒かったころの海面は、今より100m以上も低かったと考えられています。つまり陸地はもっと広かった。それが温暖化するにつれて海面も上昇し、約6000年前には現在より数メートル、高くなりました。いわゆる「縄文海進」です。

その間にも当然、津波は何度も起きたはずですが、その証拠となる地層のほとんどは今や海底下です。それを掘ったとしても、当時の海岸の位置がわからないので、浸水範囲や高さの推定は難しいでしょう。縄文海進より前の津波や地震についても、年代や規模、発生源などが、わからないものでしょうか。

「混濁流」で海底にも地震の証拠が残る

最近、海底の「タービダイト」と呼ばれる地層を使った、もう一つの方法が検討されています。専門家に聞いてみましょう。海洋研究開発機構(JAMSTEC)海域地震火山部門地震発生帯研究センター上席研究員の金松敏也さんです。

「一般的には海底で地震が起こると、土砂が巻き上がる。巻き上がった土砂を含む泥水は、土砂の入ったぶんだけ、まわりの海水よりちょっと比重が重いことになりますね。そうすると、そこに斜面があった場合、重い水は下の方に重力で流れていこうとします」と金松さんは言います。「流れだすと同時に、先端の軽い海水とぶつかるところで巻き上げ現象が起こって、土砂をさらに巻き上げて、どんどん雪だるま式に大きくなっていきます。これが『混濁流(乱泥流)』という現象だと説明されています」


金松敏也

金松敏也(かなまつ・としや)

1965年、長野県生まれ。東京大学大学院理学系研究科で博士(理学)。2019年より現職。専門は海洋地質学。ピストンコアラーという機器を使って海底から地層を採取し、そこに記録された地震の痕跡を読んで過去の記録を復元する研究を行なっている。特に地層の磁気の特性を利用して研究している。
撮影/藤崎慎吾



混濁流は海底の平らなところに行き着くと、そこで止まります。するともう土砂は巻き上がらなくなり、その場に堆積していきます。この時、水の抵抗を受けにくい大きな粒子ほど速く沈み、小さな粒子ほどゆっくり沈みます。つまり下から上へ「大→小」という順番で堆積するのです。このようにしてできた地層がタービダイトです。

タービダイト
左は混濁流(乱泥流)が流れていく様子。雪崩に似ていると言われるが、誰も見た者はいない。海底の土砂を巻き上げながら、重力で斜面を流れ下っていく。右は巻き上げられた土砂が、海底に積もってタービダイトになる様子。
提供/金松敏也 氏


普段の海底にもプランクトンの死骸を含む様々な粒子が、静かにゆっくりと堆積しています。しかし、それらの粒子は海底にいるゴカイのような生物によってかき混ぜられ、大きな粒子も小さな粒子も入り混じった、均質な地層になります。しかしタービイダイトは一気に堆積するため、生物が入りこんで乱す余地はありません。したがって他の地層からは区別できます。

小松左京(1930〜2011年)の『日本沈没』という小説や映画には、潜水船が海中で混濁流に巻きこまれそうになるシーンが出てきます。しかし実際はまだ誰も、混濁流を見ていません。イメージ的には雪崩に似ていると、教科書などには書かれているそうですが、果たしてその通りなのかは、まだわかっていないわけです。

ただ地震が起きた後、海底ケーブルが次々と切断されていくという現象などは、混濁流のしわざだと考えられてきました。東北沖地震が起きた時も、茨城県や房総沖の海底ケーブルが10ヵ所以上も切断されています。また海底地震計が設置されていたはずの場所からなくなっていたり、見つかっても内部が泥だらけになっていることもありました。海底圧力計も埋まっていたり、ひっくり返っていたりしたことがあったそうです。

ひっくり返ったOBP
混濁流に巻きこまれて引っくり返ったと思われる海底圧力計(OBP)
Arai et al., 2016, Tsunami-generated turbidity current of the 2011 Tohoku-Oki Earthquake, Geology, https://doi.org/10.1130/G34777.1

錘をつけたパイプで地層を採取

こうしたことから金松さんは、東北沖地震でも混濁流が起きたと考えました。そこで日本海溝の海底からタービダイトを採取することにしたのです。混濁流は深い場所へと流れ下っていきますし、第2回で詳しく触れた通り、海溝軸付近が地震で最も大きく動いた場所だからです。

大雑把に言えば日本海溝の断面はV字型をしていますが、ところどころに平坦な場所もあります。そういう場所には普段、堆積物が雪のように積もっています。斜面を流れ下った混濁流も、そこに土砂を積もらせますので、金松さんはまず海溝の平坦な場所に船で向かいました。そこで事前に行われていた反射法地震探査が役に立ちます。

第1回で説明しましたが、エアガンという装置で発した衝撃波が、断層や地層の境界から反射してくるのをとらえ、地下の構造を調べるのが反射法地震探査です。その結果を見て、平坦な場所の下にタービダイトがありそうだと判断したら、金松さんはそこから地層のコア(柱状のサンプル)を採取します。

この時に使われるのが「ピストンコアラー」と呼ばれる装置です。仕組みは単純で、直径が8cmくらいの長い金属製のパイプに錘(おもり)を取りつけたものです。長さは10mくらいの短いものから40mくらいのものまで様々です。これを船から垂直に落として、海底にぐさっと刺します。するとパイプの内側に柱状の地層が入るわけです。

ピストンコアラー
船のクレーンに吊り下げられたピストンコアラー
提供/金松敏也 氏

1000年以上前のタービダイトも見つかった

日本海溝の最も深い場所(水深約7000m)、すなわち海溝軸で金松さんが採取したコアには、狙い通り東北沖地震の時に堆積したと思われるタービダイトが見つかりました。やはり地震の揺れで混濁流が発生し、海溝の斜面を流れ下ってきたのでしょう。しかしタービダイトは、それだけではありませんでした。

東北沖地震のタービダイト
日本海溝の海溝軸で採取された5本のコア。赤線から上が東北沖地震の時に堆積したタービダイト。採られた場所によって厚みが異なる。赤線から下は地震前に堆積していた地層。
提供/金松敏也 氏
(参考:https://bluebacks.kodansha.co.jp/books/9784065216903/appendix/attachments/chikyubook_column09.pdf)

10mほどまで深く掘ってみると、全部で3〜4層のタービダイトが見つかりました。いちばん上は東北沖地震によるものですが、その下に生物が混ぜた均質な堆積物をはさんで2番目のタービダイト、その下にまた堆積物をはさんで3番目のタービダイト......という具合です。2番目と3番目の間には、ちょっと白っぽい層もありました。これは火山灰です。

専門家に依頼して化学的に分析してみると、その火山灰は青森県と秋田県の県境にある十和田火山から来たものだとわかりました。915年の大噴火で東北地方の上空を広く覆った灰が海にまで運ばれ、海底に降り積もったのです。つまり、この火山灰の層より下の地層は、915年より古いことになります。このように火山灰は地層の年代を決める時に、よく使われます。

タービダイトは東北沖地震クラスの巨大地震が起きなければ、あまり堆積しないのではないかと金松さんは考えています。明治三陸地震(1896年)くらいの地震でも堆積した可能性はありますが、なかなか見えてこないのは、運ばれてきた土砂が少なくて層が薄かったため、生物によって崩されてしまったのかもしれません。

915年より前に堆積した3番目のタービダイトは、869年の貞観(じょうがん)地震によるものと考えられます。実は津波堆積物の研究などから、その年代に巨大地震と津波が起きたことは、ほぼ確実と見られています。平安時代に書かれた『日本三代実録』という歴史書にも記述があり、「野原も道も全て青海原となった。船に乗ったり山に登ったりする余裕はなく、千人ほどが溺れ死んだ。財産も作物も、ほとんど一つとして残らなかった」などと書かれています。

コアPC04
日本海溝の海溝軸で採取された10mのコアを分割して、右から深さの順番に並べた。赤い矢印で示した範囲が東北沖地震のタービダイト、黄色い矢印が享徳地震(後述)と思われるタービダイト、青い矢印が貞観地震と思われるタービダイト。緑色の◀で示したところに十和田火山の噴火(915年)で積もった火山灰の層がある。
提供/金松敏也 氏

過去の地震の規模を推定するのは難しいのですが、貞観地震はマグニチュード(M)8.4を超えていたと考えられています。第4回でも触れましたが、東北沖地震が起きる少し前から貞観地震は話題になっていたため、東北の巨大地震は「1000年に1回」などと言われるようになりました。タービダイトも1番目と3番目だけだったら、それを裏づけることになります。

東北沖地震の前は室町時代の地震?

ところが金松さんが採取したコアには、火山灰の層より上に2番目のタービダイトがありました。つまり915年から2011年までの間に、もう一つ巨大地震が起きていることになります。それを今のところ金松さんは1454年の享徳地震に当てはめています。

1454年といえば室町時代中期で、13年後の1467年には応仁の乱が始まっています。室町幕府の将軍は銀閣寺(東山慈照寺)を造営した8代、足利義政(1436〜1490年)でした。

享徳地震については史料が乏しく、被災地域や規模などの詳細はわかっていません。山梨市内にかつてあった寺の住職らが、代々、書き継いでいた『王代記』(1524年までに成立)に「享徳3年11月23日の夜半に天地が揺れ、東北地方に津波が来て、山の奥にまで押し寄せ、多くの人が海にさらわれて死んだ」とあるのが、最も詳しい記録です。

第5回で飯沼卓史さん(JAMSTEC海域地震火山部門地震津波予測研究開発センター主任研究員)も言っていますが、現在、研究者の間では500〜600年に一度、東北の巨大地震が起きるのではないかという見方が主流のようです。すると貞観地震から享徳地震までの間が585年、享徳地震から東北沖地震までの間が557年なので、2番目のタービダイトは、とりあえず享徳地震に当てはめることになるのでしょう。ただ後編で詳しく述べますが、当てはまりそうな地震は他にもあります。

地磁気の「歴史」から年代を測定する

ところで金松さんが日本海溝の海溝軸で採取したコアの中には、貞観地震の層より下に4番目のタービダイトが見られるものもありました。また海溝軸ではなく、海溝斜面の途中(水深5000m前後)にある平坦面で採取したコアでは、さらに過去のタービダイトも観察されています。これらの年代は、わからないものでしょうか。

コアPC08
日本海溝の斜面から採取されたコアを分割して、左から深さの順番に並べた。コアが2本あるように見えるが、どちらも同じコアで、右側が通常の写真、左側がX線写真である。X線で撮影すると、タービダイトの砂が白っぽく明瞭に浮かび上がる。赤い矢印で示した範囲が東北沖地震のタービダイト、黄色い矢印が享徳地震と思われるタービダイト、青い矢印が貞観地震と思われるタービダイト。それよりさらに深い場所にもタービダイトが見られ、細い黒の矢印で範囲が示されている。
Usami et al., 2018, Supercycle in great earthquake recurrence along the Japan Trench over the last 4000 years, https://geoscienceletters.springeropen.com/articles/10.1186/s40562-018-0110-2に加筆

津波堆積物の場合によく使われるのは、放射性炭素年代測定です。ここで詳しい説明は省略しますが、生物の遺骸などに含まれる「炭素14」という放射性同位体(自発的に放射線を出して崩壊する物質)の量と、炭素14が崩壊して半分に減るまでの時間(5730年)から年代を測定する方法です。

タービダイトの場合も、前後の地層に有孔虫というプランクトンの殻が入っていれば、そこに含まれている炭酸カルシウムの炭素14を使って放射性炭素年代測定ができます。しかし5000mあるいは7000mという水深になると、水圧などの影響で炭酸カルシウムが溶けてしまうため、金松さんが採ったコアでは測定できません。そこで炭素14の代わりに地磁気の「歴史」を使って年代測定ができないかと、現在、金松さんは研究を進めています。

「今、日本では方位磁石を置くと、地理上の北を指してはいません。西へ7度くらいずれているんですね」と金松さんは言います。「磁極はいつも北極点にあるわけではなく、うらうらと動いているんです」

地磁気の「永年変化」によって、磁極は数十年から数百年単位で動きます。方位磁石は伊能忠敬(1745〜1818年)が日本地図をつくった約200年前、ほぼ真北を指していました。さらにさかのぼって約350年前、日本にやってきたオランダ船の記録によると、東へ約8度ずれていたようです。つまり、この350年ほどで地磁気の方向は東から西へ約15度、動いたのです。

北磁極の移動
赤い丸で示されたのが1831〜2007年に観測された北磁極(北半球の磁極)の位置。緯度にして10度以上も動いている。
Tentotwo, CC BY-SA 3.0 < https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

このような変化の歴史は大航海時代の1500年以降、ヨーロッパなどではよく記録されてきました。それを利用しようというわけです。どうやって?

「地層の中にマグネタイト(磁鉄鉱)といって、磁石の性質をもつ鉱物が入っているんです」と金松さん。「それは海中を沈殿してきて、海底の泥の中に溜まったものですけど、地層として固まる前に動いて、地磁気の方向に並ぶんですね。そのマグネタイトの向きを地層の中で測っていくと、深さによって変化していくのが見えます」

つまり普通に堆積した地層には、小さな天然の方位磁石が無数に入っているのです。例えばその向きが真北ではなく東へ約8度ずれていたら、その地層は約350年前にできた可能性があるわけです。タービダイトは急激に堆積するので、マグネタイトがあっても向きはばらばらでしょうが、その前後にある地層の磁気を測定すれば、おおよその年代はわかるはずです。

マグネタイト
左は磁力でくっつき合っているマグネタイトの砂。立方体に近い形をしている。右は海底でマグネタイトの粒子が堆積していく様子。それぞれが小さな方位磁石のように動き、水中や海底面の浅いところでは揃っていないが、最終的には同じ向きに並んで固定される。
提供/金松敏也 氏(右)

巨大地震の間隔は短くなっている?

金松さんは「超伝導磁力計」という高感度の装置を使って、海溝斜面から採取してきたコアの磁気を2cm刻みで測定しました。そして深さ方向での変化を「物差し」に当てはめて、年代を割りだしました。物差しというのは、琵琶湖から採取したコアで「マグネタイトがこの向きだと、この年代」というのを、火山灰や放射性炭素年代測定によって決定した、先行研究の結果です。

磁気シールド室とサンプル
左は磁気を遮断する部屋の中にある超電導磁力計(ドラム缶のような筒状の装置)。右は2cm角の容器に入れた地層のサンプル。これを超電導磁力計に入れて磁気を測定する。
撮影/藤崎慎吾

タービダイトの年代を割りだした2本のコアを、金松さんは比較してみました。それぞれが採取された場所は20kmほど離れていますが、どちらにも12層ほどのタービダイトが見つかっています。しかし両方に共通して見られる同じ年代のタービダイトと、どちらか一方にしか見られないタービダイトがありました。

共通して見られるタービダイトは7層あって、それらは東北沖地震クラスの巨大地震で堆積したものではないかと、金松さんは考えています。そのうち浅い方にある3層は、それぞれ東北沖地震、享徳地震、貞観地震に対応する可能性があります。どちらか一方にしか見られないタービダイトは、それらより小さな地震で堆積したということになります。

巨大地震が起きると混濁流の発生も大規模になって、20km離れた場所へも同時に流れていく可能性があるでしょう。そこまで巨大とは言えない地震なら混濁流もそれなりで、どちらか一方にしか流れないかもしれません。そういうイメージでしょうか。

共通したタービダイトの年代を見ていくと、一つ気になることがあります。最も古い7番目は約4000年前の地層で、次の6番目との間隔は約900年です。6番目と5番目との間は約800年、5番目と4番目の間は約730年、そして4〜1番目の間は500〜600年になっています。つまり過去から現在に向かって、だんだん間隔が短くなっているように見えるのです。

そして2本のコアのどちらかにしかないタービタイトは、4000年前から2000年前までの間では、それぞれに4〜5層ある一方、2000年前から現在までの間では、それぞれに1層しかありません。つまり東北沖地震より小さいクラスの地震は、減っている可能性があります。

もし、そういう小さめの地震がプレート境界にたまっている応力を少しずつ解放しているとするなら、たくさん発生したほうが巨大地震は起きにくくなるでしょう。逆に発生回数が減れば巨大地震は起きやすくなります。そう考えると巨大地震の間隔が短くなっているのは、小さめの地震が減っているせいだと言えるかもしれません。とはいえ検討されたのは2本のコアだけですから、全てはまだ仮説の段階です。

スーパーサイクル
「PC08」と「PC10」という2本のコアで、タービダイトの年代を比較した図。横軸の「0」は紀元元年を表す。共通するタービダイトの「T1」「T2」「T3」は、それぞれ東北沖地震、享徳地震、貞観地震に比定されている。それら以外に「T4-1」「T5」「T9」といった年代で、共通のタービダイトが見られ、それぞれの間隔は現在に近いほど短くなっている。
Usami et al., 2018, https://geoscienceletters.springeropen.com/articles/10.1186/s40562-018-0110-2, Figure 4

地震が起きるポテンシャルを知りたい

実は日本海溝の海溝軸で、もっと多くの、しかも長いコアを採りに行こうと、金松さんは計画していました。本来であれば去年(2020年)の4月に実行されるはずだったのです。それが新型コロナウイルスによる感染症の流行で、今年の4月まで延期されてしまいました。

これは国際深海科学掘削計画(IODP)の一環として行われます。地球深部探査船「ちきゅう」も参加している計画ですが、今回は新型の海底広域研究船「かいめい」が使われる予定です。この船には長さ40mというピストンコアラーを、水深7000mの海底に突き刺せる装備があります。うまくいけば、これまでの4倍の長さのコアが採れるわけです。

海底広域研究船「かいめい」
海底広域研究船「かいめい」

地層は深く掘るほど時間をさかのぼれます。もしかしたら6000年前の縄文海進より前に堆積したタービダイトが得られるかもしれません。すると津波堆積物ではわからない、非常に古い年代の地震について知ることができます。巨大地震の周期についても、より正確で詳しいことがわかるでしょう。

また北は千島海溝の手前から、南は房総半島沖に至るラインで16本程度のコアを採る予定です。これによって様々な年代に起きた巨大地震の震源域や規模などを推定できる可能性もあります。

「予想はもちろんできないんですけれども、地震が起こりやすい海域とか時期みたいな、ポテンシャルですよね。今後、どこでどれだけ起きるポテンシャルがあるかを知りたい」と金松さんは言います。「それがわかれば『今はそんなに、そこを注意する必要ないよ』くらいは言えるかもしれません」。(後編に続く)




藤崎慎吾

藤崎慎吾(ふじさき・しんご)

1962年、東京都生まれ。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどを経て、99年『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ)でデビュー。同書は早川書房「ベストSF1999」国内篇第1位となる。現在はフリーランスの立場で、小説のほか科学関係の記事やノンフィクションなどを執筆している。近著に《深海大戦 Abyssal Wars》シリーズ(KADOKAWA)、『風待町医院 異星人科』(光文社)、『我々は生命を創れるのか』(講談社ブルーバックス)など。ノンフィクションには他に『深海のパイロット』、『辺境生物探訪記』(いずれも共著、光文社)などがある。

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