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  • 【シリーズ連載/第5回】次の大地震はすでに「準備」されつつある

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海洋プレートはのっぺりしているようだが、よく見ると複雑な構造がある。上は岩手県から宮城県沖の海底地形図で、青の濃いところほど深い。東経144度のあたりに日本海溝の海溝軸(太平洋プレートの沈みこみ口)がある。それより東側に、海溝軸とほぼ平行な高まりや溝が並んでいる。「ホルスト(地塁)・グラーベン(地溝)構造」と呼ばれる地形で、このあたりは「アウターライズ(海溝外縁隆起帯)」と呼ばれている。さらに図の右下あたりをよく見ると、地塁や地溝と斜めに交差するような線も、一定間隔でうっすらと認められる。このような構造も、地震の起きかたに関係している可能性がある。

出典/海上保安庁ホームページ(https://www1.kaiho.mlit.go.jp/jishin/sokuryo/C3.html)

地震地震

2020年12月07日

【シリーズ連載】
東日本大震災から10年――「定説」をくつがえした巨大地震の全貌

<第5回>
次の大地震はすでに「準備」されつつある

取材・文/藤崎慎吾(作家・サイエンスライター)

前回までの記事では、東北地方太平洋沖地震(以下、東北沖地震)が発生した時、海底や地下で何が起きていたか、なぜ「想定外」の巨大な揺れや津波が襲ってきたのかを中心に、これまでの調査研究でわかってきたことを、お伝えしました。

その後、東北沖の海はどうなったのでしょう。何か変化はあったのでしょうか。海底は地震前の状態に戻ったのでしょうか。そして次の地震は? 今回と次回とで様々な角度から取材し、考えてみたいと思います。

9年を経ても余震は起き続けている

お寺の鐘をゴーンと突くと、しばらくの間、ウワーンというような「余韻」が残ります。これは突かれたことで一時的に変形した鐘が、もとの形に戻るまでの過程を聞いているとも言えるでしょう。断層がずれて大地が変形する地震にも、しばらくの間、余韻のようなものが残ります。

そのうち実際に音をたてる、つまり地震波を伴う余韻は「余震」に相当するでしょう。一方で音をたてない余韻もあり、それは「余効変動」と呼ばれています。

まずは余震についてです。東北沖地震の余震は、これまでに何回くらい起きたと思いますか? 気象庁の資料によれば、2011年3月11日から2020年3月7日までの9年間で合計1万4240回です。ただし、そのうちの8000回以上は最初の1年間に起きています。直近の1年間では、その約20分の1、マグニチュード(M)4.0以上の地震に限って言えば、約30分の1に減っています。

しかし安心してはいけません。たとえ30分の1だったとしても、東北沖地震が起きる前の平均的な地震発生回数と比べれば、まだ多いのです。余韻は響き続けています。起きる地震の規模も全体としては次第に小さくなっていますが、突発的に大きめの地震が発生することもあります。そこが鐘とはちがうところです。

地震の月別回数
東北の余震域(後述)内で観測された震度1以上の地震の月別回数(2008年3月1日〜2020年2月29日)。赤い点線は2001年〜2010年の月平均値(25.5回)を示す。2011年3月以降はずっと、それを上回っている。
出典/気象庁ホームページ
(https://www.jma.go.jp/jma/press/2003/09a/2002offtohokueq.pdf)

東北沖地震の最大余震は、本震の約30分後に発生したM7.6です。これは1978年の宮城県沖地震(M7.4)を上回る規模です。その後もM7.0以上の余震は起き続け、5年後の2016年にも1回、発生しています。M6台の余震だと、2019年でも3回、起きています。

長野県や静岡県でも誘発された地震

ただ何年も後に起きたそれらの地震は、ほんとうに余震なんでしょうか。他の地震とは、どう区別されているのでしょう?

『広辞苑』で「余震」をひくと「大地震の後に引き続いて起こる小地震。ゆりかえし」と、かなり大雑把です。『大辞林』だと「本震発生の直後からある期間、本震の震源域やその付近でおこる、本震より小さい地震」とあり、わりと親切です。それでも「ある期間」とか「その付近」などと、ぼかした表現が入っています。

実は、先ほどの気象庁の資料では「余震活動の領域(余震域)」というのを定めています。東北沖地震の震源域を含む、幅約360km、長さ約640kmの長方形をした領域です。その中で2011年3月11日以降、現在までに起きた地震を、東北沖地震の余震とみなしているわけです。長方形でエイヤと区切ってますから、便宜的な定義だと思わざるをえません。その外で起きた地震は、どうなるのでしょうか。

震央分布図
気象庁が定めた余震域(青い長方形の枠内)で2011年3月11日〜2020年2月29日に起きたM4.0以上の地震の震央分布。円が大きいほど規模が大きい。赤い円は本震を示す。2019年3月11日以降に発生した地震の震央は、濃く描かれている。M7.0以上の地震と、2019年3月11日以降で最大規模の地震には発生日時等の説明がついている。海域に引かれた破線は海溝軸を示す。
出典/気象庁ホームページ
(https://www.jma.go.jp/jma/press/2003/09a/2002offtohokueq.pdf)

専門家に聞いてみましょう。ご登場いただくのは、海洋研究開発機構(JAMSTEC)海域地震火山部門地震発生帯研究センター主任研究員の尾鼻浩一郎さんです。

「余震て、たぶんすごく色んな意味の幅があるんですね」と尾鼻さんは言います。「地震断層面上の割れ残った所とか、大きくすべった所の周囲とかで、本震と同じようなメカニズムの地震が起きるっていうのが、たぶん余震の正当な意味だと思います。ただ本震とはちがうメカニズムだけれども、本震が起きた影響によって、本震の断層面とちがうところに、それまでとちがう力がかかったことで地震が誘発されるっていうのも、広い意味では余震ではないでしょうか」

そうなると、さっきの長方形の外で起きた地震も、余震になりえます。やや極端な例になりますが、2011年3月12日には長野県北部で最大震度6強の地震(M6.7)が発生しています。また同年3月15日には静岡県東部でも地震(M6.4)が発生し、やはり最大震度6強を記録しています。どちらも内陸の活断層が震源で、東北沖地震が起きたプレート境界の断層からは遠く離れています。しかし東北沖地震によって誘発された可能性があり、広い意味では余震とも言えるのです。

今井健太郎

尾鼻浩一郎(おばな・こういちろう)

1971年、愛知県生まれ。生後6ヶ月から高校まで神奈川県。京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻で博士(理学)。専門は海域地震学。海底地震計を用いた地震活動、地殻構造の研究を進めている。
撮影/藤崎慎吾

海溝軸より東側の断層にも影響

一方、長方形の中にあっても、本震とは断層の場所もメカニズムも異なる余震が起きています。前の震央分布図で、右端のあたりを見てください。例えば最大余震に次ぐM7.5の余震が、本震の約40分後に発生しています。また2013年には、そこから100kmほど南でM7.1の余震が起きています。

この二つの余震の特徴は、日本海溝の海溝軸より東側(海側)の太平洋プレート内で発生していることです。本震は海溝軸より西側(陸側)のプレート境界で起きました。そして二つの余震を起こした断層が、引っぱられてずれる「正断層」である一方、本震の断層は圧縮されてずれる「逆断層」です。これだけ特徴が異なっていても、やっぱり余震とみなされているのです。

正断層と逆断層
地震時の断層のずれかたを模式的に表した。断層が斜めに傾いている時、岩盤(灰色のブロック)に引っぱる力がかかると、上盤(図では右側)がずり落ちる(上)。一方、岩盤に押す力がかかると、上盤はのし上がる(下)。前者を「正断層」、後者を「逆断層」と呼ぶ。

このような海溝軸の海側で起きる地震に、尾鼻さんは注目しています。専門家の間では「アウターライズ地震」と呼ばれています。「アウターライズ」は「海溝外縁隆起帯」と訳されることもありますが、沈みこもうとする海洋プレートがたわんで、少し盛り上がった領域のことです。海溝軸に沿って、海側に100km程度の幅があります。

アウターライズの表面には、海溝軸とほぼ平行に凸凹の筋が何本も走っています。このうち高まりになっている部分は「ホルスト(地塁)」、溝になっている部分は「グラーベン(地溝)」と呼ばれています。高低差は800mに達する場合もあります。この「ホルスト・グラーベン構造」をつくっているのが正断層で、アウターライズ地震の多くはそこで起きています。

日本海溝
本記事冒頭の海底地形図を3次元化したもの。東経144度付近の海溝軸より東側(右側)がアウターライズ。ホルスト・グラーベン構造が表れている。
出典/海上保安庁ホームページ
(https://www1.kaiho.mlit.go.jp/jishin/sokuryo/C3.html)

近くに消しゴムがあったら、ぐっとアーチ状に曲げてみてください。するとアーチの外側には引っぱりの力がかかっているとわかるでしょう。あまりきつく曲げると、ひびが入って割れてしまうかもしれません。プレートが曲げられても同じで、ひび割れは正断層となります。一方、アーチの内側には圧縮の力がかかり、プレートの場合には逆断層ができます。

ホルスト・グラーベンとして、海底地形図にも断層が表れているくらいなので、アウターライズ地震の震源は浅いと言えます。となると津波を起こす可能性も高そうです。

セットで起きるアウターライズ地震

あまり多くはありませんが、普段でもアウターライズ地震は起きています。ただプレート境界で大きな地震があると、とたんに頻発する場合があります。沈みこんでいる海洋プレートが、深い方へ一気にすべるため、アウターライズも普段以上に引っぱられる状態になり、地震が起きやすくなるからです。そして通常は圧縮されているアーチの内側までが引っぱられ、正断層型の地震が大きくなる可能性もあります。

津波についての概要
地震が起きていない時、アウターライズの浅いところでは引っぱる力がかかり、深いところでは押す力がかかっている(A)。しかしプレート境界で地震が起きると、浅いところでも深いところでも、引っぱる力がかかるようになり、大きな正断層型地震が誘発されやすくなる(B)。

このような状態は数年から数十年も続くことがあります。前回に触れた1896年の明治三陸地震(M8.2)は、プレート境界型の地震でした。そして1933年には昭和三陸地震(M8.1)が発生し、津波により3000人以上の死者・行方不明者を出しています。これはアウターライズ地震で、明治三陸地震に誘発されたと考えられています。37年もの時を経て、ほとんど変わらない規模の「余震」が起きたのです。

最近では2006年11月15日に千島列島沖でM8.2の地震が発生し、2ヶ月後の2007年1月13日に、やはり千島列島沖でM8.1の地震が起きています。これも前者はプレート境界型地震で、後者はアウターライズ地震です。日本海溝の北に続く千島海溝をはさんで、それぞれ陸側と海側に震源があります。このようにプレート境界型地震とアウターライズ地震はセットで起きることがしばしばあり、似たような規模になることもあるのです。

東北沖地震の発生からは、まだ10年。今後、数十年の間にアウターライズで巨大地震が発生する可能性も否定はできません。本震がM9.0ですから、それに近い規模になったらと思うと、ぞっとします。

「揺れたら逃げる」だけでは間に合わない

以上のようなことをふまえて、尾鼻さんは東北沖で発生したアウターライズ地震の観測と解析を、徳島大学や防災科学技術研究所などと共同で進めています。

海底地震計で何千もの地震の震源を決定し、それを地図上にプロットしていくと、海溝軸に平行な線状の集まりが見えてきました。ホルスト・グラーベンを形成している正断層に沿って、それらが起きていると考えられます。そうした結果と、地下の構造探査や地形探査のデータなどから、一つ一つの断層がどれくらい延びているか、あるいは今後、延びる可能性があるかを調べています。そうしてできた「断層マップ」をもとに、それぞれの断層が破壊されたら、どれくらいの津波が起きるかを予想したデータベースも構築しています。

正断層型地震
日本海溝周辺の海底地形図に、東北沖地震の余震が起きた場所を白い点でプロットしてある。海溝軸に平行な線状の集まりが、ところどころに見えている。そうした地震活動や地下の構造探査、地形探査などから断層のありそうな場所を割りだし、水色や黄色の点線で示してある。
提供/尾鼻浩一郎氏

「アウターライズ地震の場合、何が怖いかっていうのは、やっぱり震源が遠いので地震の揺れが、陸で見ているぶんには弱いんですね。だから『地震が来た、さあ津波だ逃げろ』って言っても『いや、今の地震、大したことなかったよな』みたいな話になっちゃって『ああ、じゃあしばらく様子見だ』とかってなると、間に合わない可能性もある。なので揺れたら逃げるだけでは間に合わない」と尾鼻さんは言います。あらかじめ地震の場所や大きさと、津波の被害とをつなげた情報が必要になるわけです。

東北沖については一区切りついたそうで、次は千島海溝のアウターライズについても、尾鼻さんは同じような断層マップやデータベースをつくろうとしています。実は海溝としては一続きになっていますが、同じアウターライズでも日本海溝と千島海溝とでは様子が少しちがっています。その、もともとの原因は太平洋プレートが沈みこむ方向にあるようです。

日本海溝ではおおむね東から西に沈みこんでいる太平洋プレートですが、千島海溝では南東から北西の方向に沈んでいます。プレート自体が動いている方向は、東南東から西北西です。海嶺で生まれた時、そこでは引っぱりの力が働くため、太平洋プレートには一定の間隔で正断層ができました。それは移動方向と直角をなしています。つまり千島海溝とほぼ平行な断層(の痕跡)が、あらかじめ入っているということです。

千島海溝と日本海溝に沈みこむ太平洋プレート
千島海溝と日本海溝に沈みこむ太平洋プレート(左)。赤い点線は、プレートが誕生した時の海嶺の向き(正断層の向きと同じ)を示す(右)。

したがって千島海溝のアウターライズに走っているホルスト・グラーベン(正断層)は、プレート誕生時の「古傷」が改めてパキパキ割れて、地震断層としての活動を始めたものと考えられます。ある意味、素直に割れながら沈みこんでいるとも言えるでしょう。

しかし日本海溝は、その古傷と約60度斜めに交差しています。板チョコを溝に沿ってではなく、あえて斜めに割ろうとしているようなものです。このためか断層のラインが、少しぐにゃぐにゃしているようにも見えます。千島海溝と日本海溝のアウターライズでは、断層の数や深さもかなり異なっており、それが地震の起きかたにも影響していると考えられます。

また日本海溝では地形に表れていなくても、地震が特定のラインに沿って起きている場合があり、そこでは新しい断層ができ始めている可能性があります。「ある種、海洋プレートの折り曲げ実験をやっているんですよね、ここでは」と尾鼻さんは言います。その「実験」で何が起きるかを調べるのも、今後の研究目標になっているようです。

千島海溝と日本海溝のアウターライズにおける、断層のできかたのちがい
千島海溝と日本海溝のアウターライズにおける、断層のできかたのちがいを模式的に表した。「地磁気の縞模様(過去の海嶺の走向)」と書いてある赤い線は、プレートの誕生時にできた断層の痕跡(古い断層)と読み替えられる。

地震後の宮城県沖は反対に動いている

次は東北沖地震の静かな「余韻」についてです。記事の冒頭で「余効変動」という、ちょっと聞き慣れない言葉を出しました。平たく言えば地震の後に起きる地殻変動のことなのですが、その中には「余効すべり」と「粘弾性緩和(ねんだんせいかんわ)」という、やはり一般には馴染みのない現象が含まれています。このうち次の地震がどうなるかという予測につながるのは、余効すべりです。

第3回の記事で「アスペリティ」という言葉が出てきたのを、覚えているでしょうか。プレート境界の中にある「すべりにくい場所」のことでした。その周囲には、いつも静かに、ゆっくりとすべっている「安定すべり域」があります。アスペリティはすべり遅れているわけですが、同じプレート上なので、いつまでもふんばってはいられません。ある時、一気にすべって周囲に追いつきます。これが地震です。

余効すべりも、現象的には安定すべり域の「スロースリップ(ゆっくりすべり)」に似ています。ただスロースリップはプレートの沈みこみにともなって自然に発生し、多少、遅くなったり速くなったりはしますが、ずっと続いていきます。一方、余効すべりは地震の後だけに発生し、一時的には通常の沈みこみより速くなることもありますが、だんだん遅くなっていきます。そして、いつかは止まるか、通常のスロースリップになります。

ざっくり言ってしまえば、余効すべりはプレートが「勢い余って」しばらく止まれないでいる状態でしょうか。なので、すべる方向も地震時にすべった方向と同じです。東北沖地震では、陸側の北米プレートが東向きに動きました。その大きさは第2回でお伝えした通り、牡鹿半島の先端では5m、海溝軸付近の海底では50m以上です。ということは余効すべりも東向きになっているはずです。

ところが地震後の陸上や海底の動きを、これも第2回で紹介した「GPS音響測位法(GPS-A)」などで調べたところ、宮城県沖では反対方向、つまり西向きに海底が動いているとわかりました。これはいったい、どういうことなのでしょうか。

地震前後の変動
地震時(左)と地震後(右)における、陸上のGPS観測点と海底のGPS-A観測点での動き。地震時は陸上も海底も東向きに動いていたのが、地震後(2011年4月23〜12月10日)は宮城県沖の海底が西向きに動いている。青色の破線は地震時にすべった量を10m単位で示した等値線。
提供/飯沼卓史氏

隆起と沈降も逆転している

ここで、もう一人の専門家に登場してもらいましょう。JAMSTEC海域地震火山部門地震津波予測研究開発センター主任研究員の飯沼卓史さんです。東北沖地震が起きた時、飯沼さんは東北大学の地震・噴火予知研究観測センターに勤務していました。第3回で取材した内田直希さん(現・東北大学大学院理学研究科准教授)の隣の研究室だったそうです。

今井健太郎

飯沼卓史(いいぬま・たけし)

1977年、東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。東北大学大学院理学研究科の産学官連携研究員及び助教、東北大学災害科学国際研究所助教などを経て、2015年より海洋研究開発機構に所属。2020年より現職。2011年東北地方太平洋沖地震に関する観測・研究により、日本測地学会賞坪井賞第13回団体賞を2013年に共同受賞。海陸の地殻変動観測データの取得・解析により地震発生過程に関する研究を進めている。
提供/飯沼卓史氏

その日、飯沼さんは3月9日に起きた前震で、プレート境界がどれくらいすべったのかを調べていました。それが一段落したところで昼食をとりに出かけ、部屋に戻ってしばらくすると本震が襲ってきました。地震・噴火予知研究観測センター独自の緊急地震速報が鳴り、携帯電話の「エリアメール」も鳴りました。前震の時は緊急地震速報だけだったので、より規模が大きいのだと思い「まずいぞ」とデスクの下に潜りこみました。

「もう3分くらい、ずっとその中で全てのものが倒れていくさまを見ていました」飯沼さんは振り返ります。「テーブル上の液晶ディスプレイが向こうに落っこちていく様子とか『ああ、いっちゃったな』と見てました。2008年の岩手・宮城内陸地震(M7.2)の時も相当に揺れましたけど、短かったですからね。そんな『いつ終わるんだ』というくらい激しい揺れをずっと感じていたのは、この時が最初で最後だと思います」

飯沼さんの研究室
2011年当時の研究室で、東北沖地震発生時に飯沼さんが潜ったデスク(左)と、液晶ディスプレイが落ちた後のテーブル(右)。パソコン本体も奇妙な倒れかたをしている。突き上げるような揺れの結果と思われる。地震の3日後に撮影された。
提供/飯沼卓史氏

それから1週間後くらいに、飯沼さんは陸上にあるGPS観測点のデータ解析を始めました。4月下旬には第2回で登場した木戸元之さん(現・東北大学災害科学国際研究所教授)らが、GPS-Aで得られた巨大すべりの情報をもたらします。そして翌年になるとGPS-Aの観測点が大幅に増やされ、さらに詳しい解析が進められていきました。そうした過程のわりと早い時期に、最も大きくすべった領域が西側へ動いていると判明したのです。研究者の間でも驚きの声が上がりました。

奇妙なのは地震時に東へ動いた海底が、逆向きに動いていたことばかりではありません。地震時に沈降した沿岸域が、地震後は隆起に転じています。一方、震源域の海底は地震時に隆起し、地震後は沈降していました。このようにがらりと変わった地下の様子を説明するため、飯沼さんはプレートや、その下にあるマントルの硬さ、そして「粘弾性」など、様々な条件を検討しました。

プレートの下は後から流れていく

物体に力を加えると、変形したり流れたりします。こうした観点から、物体には「弾性」「粘性」「粘弾性」という性質があるとされています。

弾性は主に固体の性質で、力を加えると、加えた方向に変形し、力を抜けばすぐ元の形に戻ります。粘性は主に液体の性質で、力を加えると、加えた方向に変形が大きくなっていき(つまり流れていき)、力を抜いても元の形には戻りません。粘弾性は弾性と粘性の中間で、力を加えると、加えた方向に変形が大きくなっていきますが、だんだんその割合が一定になります。そして力を抜くと変形は小さくなっていき、やがて元の形に戻ろうとはしますが、完全には戻りません。

粘弾性の例としてよく挙げられるのは卵白や水飴、ビニールなどです。お餅とか、くちゃくちゃ噛んだ後のガムなんかも含まれるでしょう。つきたてのお餅は指で軽く押した程度なら、いったんへこんで、ほぼもとの形に戻ります。でも、ぎゅっと押してしまったら、へこんだままでしょう。もっと柔らかい卵白や水飴では、力を抜いてもすぐには変形が止まらないかもしれません。

粘弾性には、もう一つ面白い性質があります。力を加えた瞬間は、あまり変形しないのですが、しばらくして、じわじわと変わっていくのです。ビーチボールや浮き輪の空気を抜く時の様子に、少し似ています。浮き輪の弁を開いて上から潰そうとすると、最初は抵抗がありますよね。でも押し続けていると、だんだんシューッと空気が抜けていきます。あの感覚です。

岩石でできたプレートやマントルにも、弾性や粘弾性があると考えられます。比較的、冷たくて硬いプレートは弾性の性質が強いため、地震前は圧縮されていたのが、地震時にはほぼ瞬間的に伸びて元の形に戻ります。しかしプレート直下にあるマントルの上層部(アセノスフェア)は温かくて柔らかく、固体とはいえ粘弾性をもっています。このためプレートの瞬間的な変化にはついていけず、後からゆるゆると変形していく(流れていく)ことになります。

地球内部の構造
模式的に示した地球内部の構造。「リソスフェア(プレート)」の下にある「アセノスフェア」は上部マントルの一部で「岩流圏」とも呼ばれている。海底下では深さ70〜250kmくらいに存在する。大陸下にはほとんどないが、日本のような島弧の下では深さ30kmあたりに認められる。高温のため岩石が部分的に溶けているか、それに近い軟らかな状態にあると考えられている。

「粘弾性緩和」で打ち消された余効すべり

以上のようなことを頭に入れて、東北沖地震後の地殻変動を考えてみましょう。地震が起きた時、陸側の北米プレートは東へ一気に動きました。同時に海側の太平洋プレートは西へ、ぐっと沈みこんだと考えられます。どちらのプレートにもかかっていた圧縮の力(応力)が、解き放たれたからです。しかし両プレートの下にあるアセノスフェアは、ゆるゆると動き続けました。これを「粘弾性緩和」あるいは「粘性緩和」と呼びます。

ところで北米プレートの先端部分、東北の奥羽山脈あたりから海溝軸までの範囲は全体が冷たく固まっており、アセノスフェアがなくなっています。したがって、そこでは粘性緩和が起きません。その下には太平洋プレートがあり、それ自体はもう変化しませんが、さらに下のアセノスフェアは粘弾性緩和で西へ動き続けています。すると今度はそれにつられて、太平洋プレートが西へ動き、その上の北米プレート、すなわち海底も影響を受けて西へ動くのです。それが飯沼さんによる検討と解析の結果でした。

地下構造モデル
飯沼さんらが東北沖地震後の余効変動を解析するため、コンピュータの中につくった仮想の沈みこみ帯。日本海溝周辺の地下構造を数学的にモデル化している。青い太線が千島海溝と日本海溝の位置を示す。地下は多数のブロックに分割され、それらの相互作用から様々な変動のパターンを計算する。地表の赤い点は、GPSやGPS-Aの観測点を示す。断面図で濃い色のブロックはプレートなどの弾性体、それ以外はアセノスフェアなどの粘弾性体を仮定している。陸側の北米プレートの先端(三角形になっている部分)は「Cold nose」と書かれているが、全体が冷えて弾性体となっており、アセノスフェアは存在しない。その下には太平洋プレートが沈みこんでおり、さらに下ではアセノスフェアが粘弾性緩和で西へ流れ続けていると考えられる。
提供/飯沼卓史氏

ちょっと、ややこしいのですが、粘弾性緩和による動きとは別に、実は東向きの余効すべりも起きていると考えられています。それは宮城県沖ほど大きくはすべらなかった福島県沖で、海底が東向きに動いていることからも予想できます。これは明らかに余効すべりです。つまり宮城県沖でも余効すべりは起きているものの、粘弾性緩和による影響が大きくて打ち消され、なおかつ逆向きになってしまっている。一方、福島県沖では粘弾性緩和の影響が小さいため、打ち消されることなく東へ動いていると考えられるのです。

たとえ話をするなら、西向きに動いているベルトコンベアーの上を、東向きに走るようなものでしょうか。いくら走ってもベルトコンベアーのほうが速ければ、結果的には西向きに運ばれてしまいます。逆にベルトコンベアーが遅いか、止まっていれば、そのまま東向きに進めます。

そこで飯沼さんらは、宮城県沖の地殻変動から計算によって粘弾性緩和の影響を取り除いてみることにしました。つまり仮想的にベルトコンベアーを止めてやるわけです。それによって地震後のアスペリティや安定すべり域の状態が、より正確にわかると考えたからです。すると次の地震がいつどのように起きるかも、ある程度、予想できます。

次の宮城県沖地震は早まるかもしれない

計算の結果「隠れていた」余効すべりの状況が明らかになりました。東北沖全体としては、やはり地震時と同じ東向きの動きが広く見られます。ただ東北沖地震で大きくすべった領域では、余効すべりがほとんど起きていませんでした。つまり、そこはすでにアスペリティとして、ふんばり始めていることを意味します。次の地震に向けて、もう「準備」が進められているわけです。

一方、40年くらいの周期で発生する宮城県沖地震(M7.5前後)のアスペリティでも、余効すべりはあまり起きていません。2011年の東北沖地震で、そこも一緒にすべりましたが、またふんばり始めています。しかし、その周囲では通常のスロースリップ(約8cm/年)ではなく、もっと速い余効すべり(約20cm/年)が起きています。すると応力がたまって、ふんばりがきかなくなるまでの時間も短くなる恐れがあります。

例えば東北沖地震以前は40年周期で起きていたのが、20年になってしまうかもしれません。あるいは25年くらいがんばってしまい、そのぶん規模が大きくなる可能性もあります。第3回で触れた釜石沖の「小くりかえし地震」も、東北沖地震後は頻度が急増し、また規模も一時的に大きくなりました。原理的には、それと同じことです。

余効すべり分布
粘弾性緩和の影響を計算によって取り除いた結果、判明した余効すべりの分布。赤あるいは青のグラデーションが濃い領域ほど、大きくすべっている。同時に赤は地震時のすべりと同じ東向きに動いている領域を、青は逆の西向きに動いている領域を表している。全体的に東へ動いている領域が目立つ。青色の破線は東北沖地震発生時にすべった量を10m単位で示した等値線。灰色の等値線は過去の大きな地震の破壊域を示す。東北沖地震で大きくすべった領域や、宮城県沖地震の震源域(黄緑色の線で囲んだ領域)、十勝沖地震の震源域(水色の線で囲んだ領域)では、あまり余効すべりが見られない。
提供/飯沼卓史氏

付け加えると東北沖地震で大きくはすべらなかった福島県沖や、ほとんどすべらなかった三陸沖北部にあるアスペリティも、ふんばっていることがわかりました。しかし、その周囲では、やはり余効すべりが起きています。2016年11月に起きた福島県沖地震(M7.4)は、その影響によるものではないかと飯沼さんは考えています。また三陸沖北部では1968年の十勝沖地震のようなM8程度の地震が、100年弱の間隔でくり返されています。この周期も短くなる可能性はあります。

となると、次の東北沖地震は?「今のところですけど、東北沖の巨大地震は869年の貞観(じょうがん)地震があって、1454年の享徳(きょうとく)地震があって、2011年の東北沖地震、みたいな間隔になっているので、500〜600年に1回くらいの周期でしか起きないだろうと思われています。でも、それより前がわからないと、さすがに言い切れないですよね」と飯沼さん。「ただ数百年は起きないんじゃないかなと思います」

ここで、ちょっと不安をやわらげる計算をしましょう。第2回で触れた通り、東北沖地震では海溝軸付近で50m以上のすべりがあったと考えられています。これを控えめにみて50mだったとします。そしてアスペリティは50mすべり遅れるまで、ふんばれると考えます。太平洋プレートが沈みこむ速度は年に約8cmです。それが50mに達するまでの時間は50÷0.08=625年となります。あくまでも単純計算ですが、少しはほっとしたでしょうか?

貞観地震や享徳地震を含めて、過去の巨大地震については次回で詳しく触れる予定です。その時に改めて周期をどうとらえるかについても考えてみましょう。

地震後変位速度
黒い矢印は東北大学によって設置された20点のGPS-A観測点における年間あたりの変位量(2012年9月〜2016年5月)。赤とオレンジの等値線は東北沖地震でのすべり量(それぞれ50mと20m)を表す。宮城県沖では、やはり粘弾性緩和の影響による西向きの動きが目立つ。アウターライズにある1点(G01)も西向きに動いているが、これは太平洋プレートの運動に加えて、その下にあるアセノスフェアの粘弾性緩和を直接、反映していると考えられる。福島県沖では余効すべりで東向きに動いている。
提供/飯沼卓史氏

粘弾性緩和の影響を除いた余効すべりの見積もりは、実は2011年4月から11月までの観測結果をもとにしています。そのころ東北大学のGPS-A観測点は、まだ4ヵ所しかありませんでした。それを20ヵ所に増やして以降の観測結果をもとに、飯沼さんらはより詳細な解析をしようと試みています(上の図)。今後は宮城県沖ばかりでなく、三陸沖や福島県沖、そして海溝軸の東側(海側)の動きにも注目していくそうです。そのために第2回で触れた無人海上観測機「ウェーブグライダー」で、こまめに観測をくり返していく予定です。(次回に続く)




藤崎慎吾

藤崎慎吾(ふじさき・しんご)

1962年、東京都生まれ。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどを経て、99年『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ)でデビュー。同書は早川書房「ベストSF1999」国内篇第1位となる。現在はフリーランスの立場で、小説のほか科学関係の記事やノンフィクションなどを執筆している。近著に《深海大戦 Abyssal Wars》シリーズ(KADOKAWA)、『風待町医院 異星人科』(光文社)、『我々は生命を創れるのか』(講談社ブルーバックス)など。ノンフィクションには他に『深海のパイロット』、『辺境生物探訪記』(いずれも共著、光文社)などがある。

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