このウェブサイトではJavaScriptおよびスタイルシートを使用しております。正常に表示させるためにはJavaScriptを有効にしてください。ご覧いただいているのは国立国会図書館が保存した過去のページです。このページに掲載されている情報は過去のものであり、最新のものとは異なる場合がありますのでご注意下さい。
地震地震
2020年11月05日
取材・文/藤崎慎吾(作家・サイエンスライター)
一般の人が日本海溝のような深海底を直接、目にする機会はまずありません。さらにその下の地下となれば、研究者にとってもほぼ未知の世界です。しかしプレート境界の地震は、そこで発生します。様々な手がかりを駆使して、何があるのか、何が起きているのかを知らなければなりません。
今回は「掘削」という直接的な手法と、小さな「くりかえし地震」の分析という間接的な手法――二つの対照的なアプローチで「想定外」に挑んだ研究をリポートします。
高知県の室戸岬では、プレート運動の力をまざまざと感じることができます。プレートとは地球を覆う十数枚の岩板です。それらが動いて相互作用することにより、地震や火山活動が起きると考えられています。
岬から約140km沖の海底には「南海トラフ」と呼ばれる深い溝があって、そこからフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈みこんでいます。このため100〜150年の間隔で大きな地震が発生し、そのたびに岬は隆起して、海成段丘という特徴的な地形が形成されています。
またフィリピン海プレートの上に積もった「タービダイト」と呼ばれる泥や砂が、沈みこみにともなってユーラシアプレートの端に付け加えられています。その一部が陸上に押し上げられて岩となり、大きく歪んだり立ち上がったりしている奇観を目にすることができます。
この室戸岬から車で約1時間半の高知大学キャンパス内に、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の高知コア研究所があります。ここには世界各地から海底の地層が集められています。地球深部探査船「ちきゅう」のような掘削船で掘り取られた柱状のサンプル(コア)が、総延長142km(約20万本)ぶんも保管されているのです。これは東京から静岡くらいまでの直線距離に相当します。
海が近いため、コアの冷蔵保管庫は分厚い防水扉で、津波から守られるようになっています。その中には2012年5月21日に「ちきゅう」で採取された東北沖のコアもあります。それは特別な1本と言えるでしょう。前年3月11日の東北地方太平洋沖地震(以下、東北沖地震)で、日本海溝の海溝軸付近が最も大きくすべったという「想定外」の謎を解く鍵となったからです。
高知コア研究所岩石物性研究グループ主任研究員の廣瀬丈洋さんは、その時、初めて「ちきゅう」に乗船しました。「東北地方太平洋沖地震調査掘削(JFAST)」というプロジェクトに参加したからです。第1回で触れましたが、特例的に実現した緊急掘削です。
廣瀬丈洋(ひろせ・たけひろ)
1973年、大阪府生まれ。専門は構造地質学・岩石力学。京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻で博士(理学)。スイス連邦工科大学ポスドク研究員などを経て、2007年海洋研究開発機構高知コア研究所研究員、現在に至る。地震断層掘削調査と岩石変形実験を連携させながら地震断層の物理化学的性質を調べる研究を進めている。写真は高知コア研究所の玄関先で、「奇跡のコア」(後述)の模型を手にする廣瀬さん。
撮影/藤崎慎吾
JFASTの主な目的は、海溝軸に近い水深約7000mの海底を約1000m掘り、地震で大きくすべったプレート境界から直接、断層のコアを採取し、その付近に残っている摩擦熱を測定することでした。こう書けばシンプルなようですが「決してそんなに順調に事が進んだわけではなくて、ほとんどあきらめかけていたような状況でした」と廣瀬さんは振り返ります。
「ちきゅう」は全長210m、幅38m、総トン数5万6752トンという大型の船です。中央にそびえるデリック(掘削やぐら)の高さは130mもあります。しかしJFASTの時にデリックから海底下まで下ろしていった掘削パイプの直径は、16cmほどしかありません。これで7000mの海底を1000mです。
スケールを200分の1にしてみると、12階建てビルの屋上から地面まで、注射針を何百本もつなげて下ろし、狙ったポイントを地下5mまで突き通すといったイメージになります(実際は突くのではなく掘るのですが)。プロジェクトの困難さが想像できるのではないでしょうか。実際、機器の破損や故障と悪天候の連続で、予定されていた2ヶ月弱にわたる航海の間、なかなか成果をあげることができませんでした。
掘削調査は、まず地震ですべった断層がどこにあるかを探ることから始まりました。掘削パイプに様々なセンサーを組みこんで、掘り進みながら地層の状態を調べていくのです。これは「掘削同時検層(LWD)」と呼ばれています。
各センサーは地層中の自然放射線の量や、比抵抗(電気の通りにくさ)などを測定していきます。またパイプの先端に取りつけられているドリルビットは、回転しながら土や岩を削っていくのですが、この時モーターにかかる負荷も計測しています。
自然放射線とモーターの負荷とで何がわかるかというと、地層の中に含まれている岩石の種類です。岩石に粘土成分が多いと、自然放射線の量が増えます。また粘土成分が増えれば地層は柔らかくなるため、ドリルビットは回転しやすくなり、モーターへの負荷は減ります。
これらの両方を見ていったところ、海底下820mあたりで急に粘土成分が多くなり、つるつるとビットが回転しやすい地層に行き当たりました。廣瀬さんを含む調査チームは、そこが地震ですべった断層(地震断層)ではないかと当たりをつけました。そのあたりにプレート境界がありそうなことは、反射法地震探査でもわかっていました。
ここまでが第1段階でしたが、実は一度、掘削孔(くっさくこう)を掘るのに失敗していたため、すでに4週間近くが過ぎていました。予定されていた航海期間は、あとひと月も残されていません。
断層の熱を測定する温度計は、別の孔を空けて設置しなければならなかったため、さっそく三度目の掘削に取りかかりました。ところが悪いことに途中で掘削パイプが折れ、その次に掘り始めた孔では温度計の設置に必要な水中カメラが壊れてしまったのです。
そこで調査チームは、いったん温度計の設置をあきらめ、先に地震断層のコアを採取することにしました。この時点で残された航海期間は2週間弱でした。目指すはLWDで当たりをつけた海底下820mの地層です。通常なら、そこに至るまでの地層を連続して採取するのですが、時間がないので途中は掘り飛ばしました。
ただし断層にさしかかるあたりからは、慎重にコアを採っていきました。通常は一度につき約10m分のコアを船に引き上げるのですが、2mずつにしたのです。コアというのは丸ごと無事に採れるほうがまれで、どうしても一部はこぼれ落ちてしまいます。でも小刻みに採っていったほうが、失われる量は少ないことが経験的にわかっていました。
とはいえ8000m近い距離を上げ下げするのには、それなりに時間がかかります。小刻みにすればするほど、さらに時間はとられます。にもかかわらず慎重を期したのは、確実に断層のコアを採りたいという思いからでした。
それも功を奏して、地震断層と思われる場所から何とかコアを引き上げたのが5月21日、航海期間が終わる3日前でした。船上に姿を現した1mにも満たないコアに、研究者を含むスタッフが群がっていく様子を、下の記録映像がとらえています。
がさがさにひび割れたような地層を前にして、誰もが「すごい」と目を見開きました。一人が「これ(地震)断層そのものじゃん」と声を上げたので、まばらな拍手が起こります。しかし信じきれない人が構造地質学の専門家に「これなんですよね、断層は?」と迫りました。すると専門家は「断層です」と、きっぱりうなずき、再び大きな拍手と歓声が湧き上がりました。後に「奇跡のコア」と呼ばれる試料の誕生です。
しかし断層の熱を測定するという重要な目的が、まだ達成されていませんでした。どちらかといえば、本来の優先順位はコアの採取より上だったのです。
第1回で触れましたが、地震が起きた時の摩擦熱を推定できれば、断層がどれだけすべりやすかったかもわかります。「想定外」の原因に一歩、近づけるわけです。あきらめられませんし、断層が冷えるほど推定は困難になるため、なるべく早く温度計を設置する必要がありました。
そこで同じ年の7月5日から約2週間の予定で、「ちきゅう」は再び日本海溝へ向かいました。その時は掘削の効率を上げる「マッドモーター」という新兵器を用意したこともあって、スムーズに掘り進むことができました。そして55個の温度計が数珠つなぎになった長いロープを、水深7000mの海底から孔内に下ろし、無事に設置することができたのです。
それぞれの温度計の精度は1000分の1°C、つまり体温計の100倍くらいです。深さ850m余りの孔内にある間、あらかじめ設定された間隔で温度を計測し、内蔵のメモリーに記録していきました。そして約9ヶ月後に無人探査機「かいこう7000II」によって全て回収されました。
さてJFASTの結果、何がわかったでしょう? まず船上でもすぐに判明したのは「応力」の変化でした。
掘削同時検層(LWD)では自然放射線量と比抵抗を測定すると書きました。この比抵抗のちがいで孔壁の「写真」をとることもできます。すると水が多くて電気を通しやすい部分は、暗い溝のように写ります。これは実際に溝あるいは割れ目で「ブレークアウト」と呼ばれています。そこに水が入りこんでいるのです。逆に明るく写っている部分は、地層の壁そのものです。
「オールドファッション」のような硬めのドーナツが目の前にあると想像してください。それを上下方向から手で潰す(=応力を加える)と、穴の左右にヒビが入るでしょう。これがブレークアウトです。海底下に空けられた直径30cm以下の孔にも、様々な方向から力がかかっています。そのうち最も大きな力と直交する方向に割れ目ができるのです。
JFASTの掘削地点からは少し離れていますが、同じ東北沖で地震前の1999年にも掘削が行われていました。この時のLWDで最も大きいとわかった応力の方向は、南東から北西でした。これは太平洋プレートが沈みこむ方向と同じです。一方、地震後にJFASTで掘削された孔の場合、最も大きかった応力の方向は上下でした。
上下方向の応力というのは、すなわち重力、あるいは上に乗っている地層の重さです。同じ深さで比べれば、地震の前後で変わるはずがありません。しかし地震後に、それが最も大きな応力になっていたということは、水平方向の応力が減っていたことを意味しています。つまりプレート運動によって加えられ続けていた応力が、地震ですべったことにより解放されたのです。
レンガにレンガを重ねて押しつけながらずらそうとしても、なかなか動きませんが、ある時、一気にすべります。これが応力の解放と地震発生のイメージです。しかしスポンジにスポンジを重ねて押しつけても、すぐ簡単にすべってしまいます。
同様に海溝軸の近くは地層が柔らかく、プレートどうしの固着が非常に弱いため、ずるずるすべっているだけだと以前は考えられていました。つまり地震で一気に大きくすべるほどの応力は、蓄積されないと思われていたのです。しかし東北沖地震の前後で応力の状態が変わったということは、多少なりとも応力は蓄積されており、その解放が大きなすべりに関わったのかもしれません。
では実際の地震断層は、どのような物質でできていたのでしょう。もちろんスポンジではありませんね。JFASTで採取された「奇跡のコア」を調べたところ、スメクタイトという粘土が80〜90%を占めているとわかりました。
聞き慣れない名前ですが、スメクタイトはどこにでもあります。水たまりで足をすべらせた経験があれば、そこには薄いスメクタイトの層が、あったかもしれません。また化粧品(ファンデーション)などの材料にも使われています。
スメクタイトの特徴は粒子が非常に細かくて、とにかくすべりやすいことです。では実際の断層は、どれだけすべりやすかったのでしょう? それを調べるのは、廣瀬さんが最も得意とするところです。まずは下の映像を見てください。機械で石に石を押しつけながら回転させています。レンガにレンガを重ねて、押しつけながらずらすのと同じです。
火花が飛び散って、最後には摩擦熱で溶けた石が、どろっと流れましたね。実際の地震でも、同様なことが起きています。高知県には、溶けた石が再び冷えて固まったガラス質の「シュードタキライト」という石を、陸上で観察できる場所もあります。
廣瀬さんは、このような「回転式高速摩擦試験機(以下、試験機)」を開発し、様々な岩石の「摩擦係数」を調べたり、地震時に地層内でどのような物理・化学現象が起きるかを研究しています。
摩擦係数とはすべりやすさの指標です。例えば二つの物体を接触させて、真上から10の力で押したとします。この状態で真横から二つの物体をずらそうとした時に、10の力が必要だったら摩擦係数は1です。もし5の力でずらせたら、摩擦係数は0.5ということになります。
「奇跡のコア」に含まれていた断層の摩擦係数も、廣瀬さんは同じような試験機(上記の映像とは異なるタイプ)で測定しました。すると約0.1と出ました。つまり10の力で押していても、1の力で動かせてしまうのです。スキーの摩擦係数が0.05〜0.1くらいなので、0.1は「つるつる」と言っていい状態です。一方で普通の岩石は0.6〜0.85くらいです。
また摩擦係数は物体をずらす速度によっても変わってきます。比較的ゆっくり動かした時には0.1ですが、地震で断層がずれる時の速度(だいたい歩く時の速度と同じ)になると、急にゼロ近くにまで落ちてしまいます。これも廣瀬さんの試験機でわかりました。
このように採取された断層のコアを調べた結果は「つるつる」でしたが、現場の温度計測でも、それは裏づけられたでしょうか? 9ヶ月間、海底下に設置しておいた温度計を引き上げてデータを解析してみたところ、断層の温度は周囲の地層より最大0.31°C高くなっていました。地震ですべった時の摩擦熱が、まだ残っていたのです。この結果をもとに計算したところ、地震が起きた時の断層の摩擦係数は、やはり約0.1でした。
あと一つ、地震時のすべりに関係している要素があります。それは「水」です。
断層の中には大小、無数の隙間があって、そこは全て水で満たされています。地震が起きてすべった時、摩擦熱で断層の温度は数百°Cにも達します。すると水も熱せられて膨張します。一方で粒子の細かいスメクタイトには、水を通しにくい性質があります。すると膨張した水は、どこへも逃げられず、断層の隙間を押し広げていくことになります。
ここで坂道に置いてある車を想像してください。緩い坂ならブレーキをかけていなくても、車は自分の重さでそこに留まっているかもしれません。しかしジャッキを使って、ちょっと車体を浮かせてしまったら、どうなるでしょう。たちまち転がり始めてしまうのではないでしょうか。
同様に水の圧力で隙間を広げられた断層は、よりすべりやすくなったと考えられます。廣瀬さんらは実験室で、これも検証しました。容器の中で地下と同じ圧力をかけ、水を通しながら、断層の試料をすべらせてみたのです。すると、水を通さない時よりも摩擦係数が下がることを確認しました。この現象を専門用語では「サーマル・プレシャライゼーション」と呼びます。
以上のことから、海溝軸の近くにあった断層で、地震時に何が起きたかを考えてみましょう。
そもそも、そこはスメクタイトの多い、すべりやすい断層でした。とはいえ応力が全くたまっていなかったかというと、そうでもありませんでした。摩擦係数は0.1ですがゼロではありませんし、断層をはさんだ上下の地層だと、もう少し摩擦係数は大きくなります。
スポンジをこすり合わせても、ほとんど手応えはありませんが、よく見ればスポンジは少し変形しているでしょう。応力がたまっている証拠ですが、そういうイメージです。
そこへ海底下数十kmの震源から断層のすべりが伝わってきます。それによって摩擦熱が発生し、水のサーマル・プレシャライゼーションで、断層はますますすべりやすくなります。
こうなると「想定」されていたように、断層のすべりを止めることなどできません。それどころか多少はたまっていた応力のエネルギーが解放され、すべりはいっそう大きくなって、とうとう海溝軸にまで達してしまったのではないか――今はそのように考えられています。
ところで、このシナリオでは主役級の存在でもあるスメクタイトですが、いったいどこから来たのでしょう? どこにでもあるとは書きましたが、多い場所と少ない場所はあります。南海トラフのプレート境界では、断層のスメクタイトが占める割合は50〜60%程度です。一方、日本海溝では80〜90%――なぜこんなにちがうのでしょうか。
「これはプレートの歴史なんです」と廣瀬さんは言います。「太平洋プレートというのは南米の沖あたりでできるんです。そこから約1億年かけて日本までやってくる。その間に、例えば日本の火山が噴いて、細かい火山灰が太平洋の方へ行くんですね。そして海底に、しんしんと積もる。その火山灰が時間とともに水と反応して、スメクタイトになるんです」
1億年という時間があれば、大量のスメクタイトができるでしょう。一方で南海トラフから沈みこむフィリピン海プレートは、第1回でも触れた通り若いプレートです。生まれてから数千万年しか経っていません。当然、積もったスメクタイトの量は少ないので、プレート境界の断層でも少ない、ということになります。これが、おそらく地震の起きかたにも影響しているのです。
「地震って今の現象なんですけど、その背景には太平洋プレートが1億年前にできているという事実がある。そのくらいの歴史から、すでに始まっているんですね」という廣瀬さんの言葉が、とても印象的でした。
さて「大きくすべるとは想定されていなかった」という場所は、日本海溝の海溝軸付近ばかりではありません。実は海底下数十キロメートルの震源を中心とした、宮城県沖の震源域全体についても言えます。そこは、ある意味で研究者に「見過ごされていた」場所でした。
ここで東北大学大学院理学研究科准教授の内田直希さんに、ご登場いただきましょう。廣瀬さんが海でコアを採取したり、実験室で機械油にまみれながら、実際に「物」を見ていることが多い一方、内田さんは主に陸の地震計を用いて、集まってくる「データ」をじっと見ていることが多いようです。地震を待ち構えて、得られた様々なデータを解析するのが仕事だからです。
内田直希(うちだ・なおき)
1977年、三重県生まれ。東北大学大学院博士課程修了。東北大学理学部COE研究員、助手等を経て、2016年、東北大学大学院理学研究科准教授、現在に至る。地震のくり返しを手がかりとして地震の発生過程の解明を目指している。一連の研究業績により2009年日本地震学会若手学術奨励賞、2017年第2回地球惑星科学振興西田賞を受賞。写真は東北沖地震後、すべり速度の周期性を共同研究するため滞在したカリフォルニア大学バークレー校にて。
提供/内田直希 氏
東北沖地震が起きた時、内田さんは研究室でパソコンに向かっていました。棚などが倒れることはありませんでしたが、ほとんどの物が落ちて散乱し、床は足の踏み場もない状態になったそうです。「宮城県沖地震が起きると、ずっと言われていて、備えはしていたと思うんですけど、そんなに大きな揺れとは思わなかったんですね」と内田さんは振り返ります。
内田さんがとくに関心を抱いているのは、小さな「くりかえし地震」です。それ自体が大きな被害をもたらすことはありませんが、色々と興味深い性質を備えており、大きな地震の予測に役立つのではないかと注目されています。
地震はいつやってくるのか、あらかじめ知りたいとは誰もが思うでしょう。日本では国をあげて、それを可能にする研究に取り組んできました。しかし今のところ「地震予報」は実現していません。「明日、関東地方でマグニチュード(M)7以上の地震が起きる確率は、90%でしょう」などとニュースが伝える日は、夢のまた夢という状況です。
ただ年単位での予報が可能な地震なら、あるにはあります。岩手県の釜石沖ではM5前後の小さな地震が、約5.5年間隔で規則的に発生していました。第1回にご登場いただいた東北大学大学院理学研究科教授の松澤暢さんは、その観測結果をもとに2002年の時点で「2007年ごろに同じ地震が起きる」と予測しました。そして実際に予測は的中し、2008年1月に地震は発生しました。
さすがに、このようなケースはまれですし、被害を及ぼすくらい大きな地震では、まずありえないことです。とはいえ、この釜石沖の「小くりかえし地震」は、研究者に様々なヒントを与えてくれました。
そもそも、なぜこのような地震が起きるかを考えてみましょう。大陸プレートの下に沈みこんでいく海洋プレートの表面は、我々が立っている地表がそうであるように、一様ではありません。平らな場所もあれば、凸凹している場所もあり、つるつるした場所もあれば、ざらざらしている場所もあるでしょう。
直感的に平らでつるつるした場所は、すべりやすいと考えられます。一方で凸凹だったり、ざらざらしている場所は、上の大陸プレートに引っかかって、すべりにくいと予想できます。すべりやすい場所は沈みこみに伴って、先にすべっていくでしょう。しかしすべりにくい場所は取り残されていきます。
とはいえ同じプレートの上ですから、いつまでも引っかかってはいられません。そこに、どんどん応力がたまって限界に達すると、一気にすべって遅れを取り戻します。これが地震です。凸凹やざらざらの場所が小さければ小さい地震が起き、大きければ大きい地震が発生します。
こうしたすべりにくい場所を、研究者は「アスペリティ」と呼んでいます。その周囲にあるすべりやすい場所は「安定すべり域」などと呼びます。
小くりかえし地震は、同じ小さなアスペリティが引き起こしていると考えられます。実際、地震の波形を見ると、毎回そっくりです。たとえ話としてはオルゴールでしょうか。円筒形のシリンダーに並んでいる小さな突起がアスペリティで、それはシリンダーが一回転するごとに同じ音を鳴らします。
ただ一定の間隔ですべるアスペリティは、まれです。同じ音を鳴らしていても、間隔が短かったり長かったりします。それはオルゴールの回転が速くなったり遅くなったりしているのと同じで、その場所の「すべり速度」が変化していると考えられます。
このような小くりかえし地震の性質を利用して、内田さんは様々な解析を行っています。まずはその分布を眺めるだけでも気づくことがあります。東北沖地震の前、四半世紀くらいの間に起きた小くりかえし地震の位置を地図にプロットしてみると、一様に散らばってはいません。ところどころに空白ができます。その中でも比較的、大きな空白が宮城県沖にありました。
つまり、そこでは小くりかえし地震がほとんど起きていなかったのです。これには二つの解釈が可能です。一つは、そこに大きなアスペリティがあり、プレートどうしがしっかりと固着していたため、地震が起きなかった。もう一つは、逆にとてもすべらかな安定すべり域があって、小さな地震さえ起こさずに、ずるずるとすべっていた。
東北沖地震が起きる前にも、そこに空白があることは認識されていました。しかし、ほとんどの研究者は安定すべり域だと考えていました。第一回で触れた通り、日本海溝のように古くて重たいプレートが沈みこんでいる場所では、全体的にプレートどうしの固着が弱いと考えられていたからです。また海溝軸付近のように柔らかいプレート境界が、少し深いところまで広がっているとも見られていました。
しかし、それはまちがいでした。宮城県沖に見られた小くりかえし地震の空白域こそ、まさに最も大きくすべった震源域だったからです。
ただ地震が起きる前に、その空白が大きなアスペリティなのか、広い安定すべり域なのか、確実に見定めることは困難です。過去にそこで巨大地震が起きたかどうかがわかればいいのですが、近代的なデータの蓄積が約100年ぶんしかない一方、巨大地震が起きる間隔は数百年以上の可能性があります。
そこで「想定ミス」を防ぐためには、地震学だけではなく地質学・測地学など様々な観点からの検証が必要です。そして発生頻度が一定ではない小くりかえし地震も、総合的な検証の一助となります。
内田さんは小くりかえし地震が起きる頻度から、すべり速度の変化を導いてみました。オルゴールで同じ音に注目し、どのくらいの間隔で鳴るかを測れば、シリンダーの回転速度がわかるでしょう。間隔が短ければ速く、長ければゆっくり回っていることになります。小くりかえし地震も頻繁に起きればすべり速度は速く、まばらなら遅いと言えます。
三陸沖でその速度変化を見ていくと、約3年ごとに速くなったり遅くなったりしていることがわかりました。また速くなっている時に、大きめの地震が多いことも判明しました。1994年の三陸はるか沖地震(M7.6)、そして東北沖地震も、わりと速くなってきた時期に発生しています。このような周期性は、三陸沖以外の場所でも見られます。
そこで東北から関東の沖に至る広い範囲で、3年ごとにすべり速度の分布を見ていくと、2008年から2011年にかけては、それ以前に比べて、すべり速度の速い場所が増えていました。東北沖地震で大きくすべった震源域の中や周辺が、とくに速くなっています。これは固着が緩みつつあったことを示している可能性があります。
周期はずっと長いですが、東北沖では巨大地震もくり返していると今では考えられています(これについては次回以降に触れます)。過去の津波による堆積物や地質学的なデータから、そのことが2011年3月以前に明らかとなっていたら、小くりかえし地震の空白域や、その周囲におけるすべり速度の変化について、もっと疑いの目が向けられていたかもしれません。
内田さんに「すべり速度の変化は地震の予測に使えるのでしょうか」と聞いたところ、「すべりが速い時期に『起きやすい』ということは言えます」との答えでした。「ただ3年に1回くらい速い時があるんですけど、起きないことのほうが多い。それでも普段よりは可能性が高まっているかもしれません」。
現在、北海道から関東の沖合にかけては、多数の地震計や水圧計を光海底ケーブルで結んだ観測網が張り巡らされています。この「日本海溝海底地震津波観測網(S-net)」のデータから、内田さんは、もっと広範囲に、くりかえし地震を含めた色々な小地震を検知して、その分布を見たり、すべり速度の変化を推定していきたいと考えているそうです。(次回に続く)
藤崎慎吾(ふじさき・しんご)
1962年、東京都生まれ。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどを経て、99年『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ)でデビュー。同書は早川書房「ベストSF1999」国内篇第1位となる。現在はフリーランスの立場で、小説のほか科学関係の記事やノンフィクションなどを執筆している。近著に《深海大戦 Abyssal Wars》シリーズ(KADOKAWA)、『風待町医院 異星人科』(光文社)、『我々は生命を創れるのか』(講談社ブルーバックス)など。ノンフィクションには他に『深海のパイロット』、『辺境生物探訪記』(いずれも共著、光文社)などがある。