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地震地震
2021年06月14日
取材・文/藤崎慎吾(作家・サイエンスライター)
本連載も、いよいよ最終回となりました。奇しくも、この記事を書き始めた2月13日23時7分ごろ、福島県沖でマグニチュード(M)7.3の地震が発生しました。最大震度は6強。震源が深かった(55km)ため津波はほとんど発生しませんでしたが、消防庁によれば2万556棟の住宅被害が出て、187人が負傷しました(3月29日現在)。土砂災害が各地で発生し、常磐自動車道などが一時、通行止めになりました。
筆者のいる埼玉県でも揺れが長かったため、恐ろしい記憶が蘇って緊張しました。これは東北地方太平洋沖地震(以下、東北沖地震)の余震と考えられています。そしてM7.3は1995年の兵庫県南部地震、2016年の熊本地震、そして東北沖地震の前震と同じ規模でした。2011年3月11日から10年が過ぎるのを目前にして、自然は再びその脅威を見せつけたのです。
私たちは地震や津波を含む自然災害から逃れることはできないようです。では、その被害をなるべく減らし、また迅速な復興を遂げるためには、どのように備えておけばいいのでしょう。最後はそのことについて考えます。
東北の三陸沖を含む北西太平洋海域は「世界三大漁場」の一つと言われています。あとの二つはノルウェー近海の北東大西洋海域と、アメリカ合衆国北東部近海の北西大西洋海域です。いずれの海域でも寒流と暖流がぶつかり、あるいは交錯しています。
三陸沖の場合は「親潮(寒流)」がもたらす栄養を求めて、サンマやカツオ、サバなど多種多様な魚が「黒潮(暖流)」に乗って集まってきます。海底近くに棲むマダラやスケトウダラ、キチジといった魚もよく獲れ、沿岸ではカキやホタテ、ホヤ、ワカメなどの養殖が盛んです。
東日本大震災では、この豊かな漁場と沿岸地域の産業が、大きな打撃を受けました。漁船は陸に打ち上げられ、養殖いかだは流され、水産加工場や冷凍冷蔵施設などは破壊されました。漁業関係の被害額は日本全体で1兆2637億円に達した(2012年3月5日時点)とされています。
その復興を科学的な調査研究からサポートするプロジェクトが、2012年1月から文部科学省の補助金事業として始められ、今年(2021年)3月末に終了しました。名称は少し長いのですが「東北マリンサイエンス拠点形成事業『海洋生態系の調査研究』(TEAMS)」となっています。
TEAMSは東北大学と海洋研究開発機構(JAMSTEC)、そして東京大学大気海洋研究所が中心になって進められました。東北沿岸から沖合の海洋環境を総合的に調査し、地震と津波が生態系に与えた影響や、その後の変動を明らかにするのが目的の一つでした。加えて水産業の復興と持続的な資源管理などに必要な知見やデータを集めてきました。
このTEAMSでJAMSTECの研究チームを率いてきたのが、JAMSTEC地球環境部門海洋生物環境影響研究センター長(上席研究員)の藤倉克則さんです。藤倉さんは熱水噴出域(海底の温泉地帯)などに棲む深海生物の研究を長年、行ってきました。テレビなどで、その姿を見かけた人がいるかもしれません。実家は魚屋さんで、釣りが趣味でもあり「東北の漁業の復興や生態系の回復は、他人ごとではない」という思いを抱いていました。
藤倉克則(ふじくら かつのり)
1964年、栃木県生まれ。専門は深海生物学。東京水産大学(現東京海洋大学)修士課程修了)、学術博士(水産学)。2019年より現職。「しんかい6500」や深海ロボットなどを使い深海生物の研究を行っている。海洋生物の多様性の研究や国際的プロジェクトにも加わり、日本近海は世界で最も生物多様性が高いことを科学的に示した。最近は、海洋保護区の設定や海洋プラスチック汚染に関わる研究にも携わっている。
提供/藤倉克則氏
藤倉さんは有人潜水調査船「しんかい6500」で、地震後の東北沖の海底を最初に見た一人でもあります。2011年7〜8月に三陸沖の日本海溝陸側斜面、水深3200〜5350mで行われた潜航調査で首席研究員を務めた時のことでした。本連載の第1回冒頭に掲げた海底の亀裂の写真は、その調査で撮影されたものです。
「何かですね、やっぱり濁ってるんですよ。濁ってるのと、海底が破壊された様子、要は崖崩れが起きたような様子っていうのは顕著に見えて、やはり、とんでもないことが深海で起きてるなっていう印象はありました」と藤倉さんは潜航時を振り返ります。「あと正直言って、今まであんまり『しんかい6500』で潜って怖いと思ったことはないんですけど、さすがに、もし大きな余震が起きたら、これはひとたまりもないなとは思いつつ潜航してました。『タービダイト』といって雪崩のような乱泥流が起きるかもしれませんから、それに巻きこまれたらおそらくひとたまりもない。なので当時はですね、余震でマグニチュードいくつ以上あったら緊急浮上しなさいとか、安全に細心の注意を払ったルールを決めて潜航してました」
そう聞くと、生物の全くいない荒れ果てた海底を想像します。しかし藤倉さんからは「いえ、生き物がいることはいましたよ。何か全く少なくなってるところと、例えばナマコなんかが異常に集まってる場所とかがありました」との答え。「その後ですね、何回か私以外の人も含めて潜ったんですけど、海底に亀裂が走っていて、バクテリアマットが新しくできてしまっている様子とか、同じバクテリアマットで海底が白く変色してる所があっても、いわゆる断層系、化学合成系ではなくて、大量の生き物が死んで腐敗して、腐敗すると硫化水素が出るので、それに伴ったバクテリアマットがあったりとか、とんでもないことが、けっこう当時は観察されましたね」
補足するとバクテリアマットというのは、大量に増殖したバクテリア(細菌)の集団が、海底に貼りついたマットのような状態になっていることです。これらの細菌は通常、海底の亀裂や断層から湧きだしてくるメタンや硫化水素を餌(エネルギー源)としています。これを専門的には「化学合成生態系」と呼びます。地震後の海底に亀裂ができれば、そこからメタンや硫化水素が供給されて新しいバクテリアマットができます。また大量の生物が死んで腐敗しても硫化水素は発生するので、そこにもマットができるというわけです。
これは水深3000mを超える深海での出来事でしたが、TEAMSが対象としていたのは底引き網などの沿岸漁業が行われる水深1000mより浅い海域です。そこでは、どのような変化が起きていたのか? JAMSTECチームが担った調査研究を通して見ていきましょう。
藤倉さんは神奈川県在住で、職場はJAMSTECの横須賀本部です。しかしTEAMSが始まってから10年近くの間、東北ヘはかなり頻繁に通いました。もちろん調査や研究をしに行くこともあったでしょうが、地元の自治体や漁業協同組合、水産技術センターの関係者などへの説明や情報交換をしに行くことが多かったようです。
「ご存知の通りJAMSTECって、これまで水産の視点からの調査研究には、それほど経験がないんですよ」と藤倉さんは言います。「でも、このTEAMSというのは、むしろ水産の側面があったので、私たちは取り組むときにマッチングをすごく意識しました。まずJAMSTECが得意で調査や研究のノウハウがあるものと、被災地の漁業者の方とか自治体の方が漁業を復興させる、もしくは持続的な漁業をこれから展開するに当たって、どんなことが必要かを洗いだす。その両方を突き合わせて、できそうなところをやる必要があったので、とにかくヒアリングをきちんとやって、マッチングさせて、調査に取り組みました」
その結果、JAMSTECは沿岸の浅い海より大型船を使える沖合が得意なので、まずは比較的、深い海域での地形探査や底質の調査を担当しました。さらに海中で使う調査機器の技術開発にも経験があるので、瓦礫の分布や生物の観察などに使える海中ロボット(無人探査機)や、数ヵ月間、海底の環境や生物の様子を観測できるプラットフォームなどを開発し、それらを使った調査を行いました。
また化学物質のモニタリングや、スーパーコンピューターを使った生態系の解析などにもノウハウがあるため、それを海中の物理・化学環境の変化や、生物の量・分布の変化を追う研究に活かしてきました。そして調査や研究成果のデータベース化とインターネットを通じた公開なども長くやっているので、TEAMS全体で得られた成果の保存や情報発信にも取り組みました。
藤倉さんらがTEAMSで最も力を入れてきたことの一つは、瓦礫に関する調査でした。環境省の試算によれば、東北沖地震の津波で海に流出した瓦礫の総量は480万2000トンで、そのうち約7割が海底に沈んだと見積もられています。
「それって漁業にとっては非常に迷惑な話で、底引き網をやると当然、網を破ったり、網が引っかかったり、網に入った瓦礫が魚を傷つけて商品価値を下げたりする。あと瓦礫そのものの生き物に対する影響なども懸念されていたので、瓦礫の調査というのは、当初からかなり精力的にやりました」と藤倉さんは言います。
ここで活躍したのが前述の無人探査機です。名前は「クラムボン」――岩手県を代表する詩人・作家、宮沢賢治(1896〜1933年)の童話『やまなし』で語られている、謎めいた存在のことです。教科書にもよく載っていたので、冒頭部分の「クラムボンはかぷかぷわらったよ」という不思議な一文を記憶している人は多いかもしれません。何らかの生き物であるとか、泡であるとか諸説ありますが、作中に説明はないようです。
「クラムボン」はJAMSTECが使用したものとしては、かなり小型の無人探査機です。重さ約210kg、長さ1.2mくらいですから、漁船に載せて運用することも可能です。また専門のオペレーターがいなくても、多少、慣れれば操縦できるようにしてあります。これはTEAMSが終了した後でも、必要があれば地元で引き続き調査研究に役立ててもらえるようにするためでした。
きれいな映像を撮れる高性能なカメラと、1本のマニピュレータ、そして生物を吸引して捕獲できるスラープガンなどを備えています。水深1000mまで潜れますので、沿岸漁業が行われる海域は全てカバーできます。
「クラムボン」は実際に三陸沖の海底で、沈没した船や貨物コンテナなどを発見しました。しかし船については非常に古いため、東北沖地震で流されたものではなさそうです。他にもカキやホタテなどの養殖が盛んな山田湾を含む40ヵ所近い海域で潜航し、岩手県と宮城県沖合の海底でビンやカンなどの他、金属やコンクリートでできたもの、漁網やケーブル、木材といった瓦礫を詳しく調査しました。それらに群がる生物たちの姿も、カメラにとらえています。
ただ東北の海は広いので「クラムボン」だけでは、とうてい調査しきれません。そこで船のソナーを使ったり、「ディープ・トウ」という曳航型のカメラで観察したりしました。しかし最も頼りになったのは、地元の漁業者からの情報でした。
「宮城県の沖合底びき網漁業協同組合の漁師さんたちは県から委託されて、漁に出たときに海底瓦礫の撤去(掃海)をしていました。その瓦礫の種類とか、どこで、どのくらいの量が取れたかっていうのを、ずっと記録してくれているんですよ。ただ記録を取っているだけで解析はできない、やる方法がないということだったので、私たちがそのデータをいただいて代わりに解析しました」と藤倉さんは言います。
その結果、2011年11月から2019年3月までの間で、6000トン以上の瓦礫が回収されていました。経年変化を見ると、毎月回収される瓦礫の量は明らかに減ってきています。掃海の効果が出ているのです。ただ2016〜2018年では多少の増減があり、まだ続ける必要はありそうです。
瓦礫の分布も変化しており、全体として沿岸寄りから海域全体に拡散している一方、特定の場所(海底のくぼみや崖のふもとなど)に集まる傾向も見られました。漁業者からは「瓦礫が動いているようだ」というコメントがあり、これは「クラムボン」による調査でも裏づけられています。
「瓦礫関係ではですね、もう一つ気にしたのが、生物とか環境の撹乱です」と藤倉さんは言います。「三陸沖合の漁場って、泥場というか堆積物の積もった場所が多いんですけど、そこにいきなり瓦礫が入ってしまうと、砂地から磯場に変わっちゃうようなものなんです。すると瓦礫のまわりには、やっぱり生き物が増えてしまう。つまり泥場では見た目上、多種多様な生物はいないんですけど、いきなり磯場ができてしまうと、そこに付着する生物なども、いきなり増える。すると、それをまた捕食するような生き物とかも増えてくるので、ある意味で瓦礫は生態系を乱すということがわかりました」
ただ増える生物の中には、漁業の対象になっている種類もいます。「三陸沖の漁業も、ご多分に漏れず、今、資源量の減少とか、持続的な漁業に苦しんでいるわけですから、じゃあ、そういうところ(沖合)に瓦礫を入れろとは言わないんですけど、ちゃんと計画的に魚礁とかを設置したらどうか。そこは網が引けないようにして、サンクチュアリ(保護区)というか、生き物の生育場として保護してやって、そこから生まれたものを漁獲する。沿岸域では魚礁の設置というのは昔から普通にやられていますけど、沖合でもそういう効果は望めるんじゃないですか、ということも少し言い始めたところです」
また瓦礫の中には有害な物質が含まれている場合もあります。それが大量に海へ流れこんだことで、環境や生物が汚染されることも懸念されました。JAMSTECの研究者は、そうした有害物質の中でもPCB(ポリ塩化ビフェニル)を指標にして、生物の体内にどれくらい増えたかをモニタリングしました。すると地震前に比べて、PCBの量はむしろ低くなっていることがわかりました。2005年には環境省が決めている規制値を超えたというデータもあったのですが、2011年以降に超えたことはありません。
「もちろん今、PCBは生産も使用も禁止されていて、陸上に処理待ちの古いコンデンサーや電化製品がいっぱい保管されていたわけなんですけど、それが津波で流れてしまった。それでいきなり汚染が進むかなと思ったんですけど、この10年ぐらいではそうなっていない。過去に蓄積したPCBはけっこう海底の堆積物中にあるらしいので、それが津波による撹乱で一度、薄まってしまったのかなと思っています」と藤倉さんは言います。
「ただし昨年ぐらいに、水産対象物ではないんですけど、深海性のアナゴの中から、ちょっと規制値を超えるような値が検出されました。海底に持ちこまれた色々な機械というのは、これから腐食とかもどんどん始まって進んでいくでしょうから、ほんとうは、もうしばらくモニタリングしたほうがいいなと私たちは感じています」
瓦礫関係でも少し話は出ましたが、復興ばかりではなく持続的な漁業の支援という意味でJAMSTECチームが取り組んできたのは、生態系のモデリングあるいはシミュレーションです。それによって、いつ、どこに、どんな魚が集まっているか、といったことがわかれば、漁獲効率を上げられるばかりでなく、資源の管理もしやすくなります。
「往々にして生物は、水温や塩分、流れ、濁り、栄養分といった海の環境と連動して分布をしたり、生活史が決まったりします。そこで、まずは環境をきちんと把握できるようにしました」と藤倉さんは言います。「ただ把握といっても、三陸の海は広いので、表面は人工衛星でわかるかもしれませんが、少し深い所を、ありとあらゆる場所で測ることはできません」
しかし過去の様々な調査で集められたデータは、それなりに蓄積されています。場所によって偏りやムラはありますが、それらのデータをもとに理論的な計算を行って、データのない場所でも情報を補うことはできます。第8回でも触れた「データ同化」と呼ばれる手法です。これによってJAMSTECチームは例えば「5年前の今日、大槌沖の北緯○度○分、東経○度○分のところで、水深100mの水温や塩分がどれぐらいだったか」といった情報を出せるシステムを開発しました。
三陸沖の海でまんべんなく過去の状態がわかるようになると、ある程度、将来の予測もできるようになります。「今、1998年から現在、そして5日後ぐらいまでの間で、任意の時間と場所の水温や塩分は再現できるようになっています」と藤倉さん。「それは実測値を使って検証しても、よく合っていることがわかっています。そのように環境のデータがどこでも出せるようになると、今度はそれぞれの生物が好む水温や水深、底質などと突き合わせて、その生物の分布も推定できるようになるんです」
現在の分布が推定できるようになると、将来の分布も推定できる場合があります。「例えば三陸沖だとスケトウダラってすごく重要な魚種なんですけど、AとBというところに、たくさんスケトウダラがいそうだと推定できたとする。Aは港に近く、Bは遠い。だったら当然、漁師さんたちは港に近い方へ行くわけですね。油代は安くて済むし、新鮮なので効率的な漁業につながってくる。逆に『ここに漁場が形成されそうだから、そこは保護しましょう』というようなセンスで政策的にも使える。効率と保全のバランスをとった持続的な漁業に役立つんです」
まだ将来予測にまでは至っていませんが「例えばマダラやスケトウダラが、ある年にこの範囲でこのぐらい獲れましたよっていうデータはあるんですね。それに環境のデータをかけ合わせて一緒に計算すると、実は漁をやってない場所にも、このくらいのスケトウダラやマダラがいたでしょうというような推定はできるようになっている」とのことです。
瓦礫や生態系に関する調査研究は、どちらかと言えば長期的な視点に立って、漁業の復興や持続に基礎的な情報を提供しています。一方で藤倉さんらは、現地の漁業者が「焦眉の急」で困っていることにも対応してきました。
その一つがサケの「ミズカビ病」です。東北沖地震の影響ばかりではありませんが、東北のサケの漁獲量は減少しています。このため現地では人工ふ化させた稚魚を放流し、回帰してくるサケを増やそうとしています。ところが、ふ化場では育てている卵(イクラ)や稚魚が白っぽい綿のようなものに覆われて死んでしまう病気が、しばしば発生しています。これが「ミズカビ」と呼ばれる微生物(原生生物)の感染によって起きるミズカビ病です。水槽で飼っている金魚などにも発生しますので、ご存知の方は多いでしょう。
JAMSTECでは微生物や分子生物学の研究もよく行われていますので、JAMSTECチームは、まず病気の原因がミズカビだけなのかどうか改めて探りました。すると親戚筋に当たる「フハイカビ」も原因になりうることを突き止めました。また感染経路が飼育に使っている川の水や地下水であることはわかっていましたが、そればかりでなく空気中をただよう飛沫から感染しうることも明らかにしました。これらの結果は飼育環境の改善などに役立てることができるでしょう。
また以前使われていたミズカビ病の薬は現在、使用禁止や販売中止になっていて事実上、手に入れにくくなっています。そこでJAMSTECチームはJAMSTECが過去の調査で発見した深海の微生物から、抗ミズカビ作用のある化合物を得られないかどうか調べました。するとブラジル沖の水深約1200〜4200mの深海で採集された真菌(キノコやカビなどの仲間)数種類から、有望な化合物を取りだすことができました。現在その化合物を薬品として製品化できないか模索しています。
そしてもう一つ、藤倉さんの印象に残っているのが「TACOpi(タコパイ)」です。タコがトッピングのピザパイではありません。
東北ではカゴを使うミズダコ漁も盛んに行われています。海底に壺ではなくカゴを設置して、そこに入ってくるミズダコを捕えるのですが、その漁獲量も近年、減少しています。そこでカゴには小さな脱出口を設けてあり、そこから小型のまだ成長しきっていないタコは逃げられるようにしてあります。しかし実際にその脱出口が機能しているのか確認したいという、地元の漁業者や水産技術センターからの要望がありました。
そこで必要なのは水中カメラです。タコを獲るカゴに取りつけて水深20〜30mに沈め、カゴの中に入ってきたタコの様子を一定期間、撮影するわけです。しかし水中で生物を観察する装置というのは、往々にしてあつかいが難しく高価になりがちです。そこで深海生物の長期観察が得意なJAMSTECの研究者が民生品をいくつか組み合わせて、簡単に使える、しかも安くて丈夫なカメラを開発しました。それがTACOpiです。
カメラと温度計、タイマーなどが組み合わされたこの観察装置は、直径11cm、長さ20cmのアクリル製耐圧容器に収められています。改良型では連続1ヵ月間、あらかじめ設定された間隔で静止画や動画を撮影できます。漁場に設置されたカゴに取りつけて実際に観察してみた結果、ミズダコより小さいマダコはカゴから脱出できることを確認しました。TACOpiはミズダコの様子ばかりでなく、漁場の環境や生物相を詳しく理解することにも活躍しそうです。
冒頭で触れましたがTEAMSではJAMSTECとともに、東北大学や東京大学大気海洋研究所も中心的な役割を果たしてきました。東北大は宮城県女川町に女川フィールドセンター、東大大気海洋研は岩手県大槌町に国際沿岸海洋研究センターという拠点がもともとあったので、それぞれ女川湾、大槌湾を主なフィールドにした調査研究を進めました。その成果も膨大で多岐にわたっており、残念ながら本記事で紹介する余裕はありません。
ただ東北大に関しては、女川湾の水温や塩分、水質、底質、流れ、地形といった環境と様々な生物の分布、人間活動の状況などを多元的にまとめた地図(ハビタットマップ)が、東大大気海洋研に関してはサケの稚魚が川を下って大槌湾に入り、成長して再び川に戻ってくるまでの過程を詳細に追った研究が、藤倉さんの印象に強く残っているそうです。
TEAMSは3月末で終了しましたが、その後を継ぐプロジェクトや、さらに発展させたようなプロジェクトは今のところ計画されていないようです。ただ「全ての研究成果を世の中に公表しきれていないので、事業終了後もやれる範囲で、研究成果の公表というものは継続していきます」と藤倉さんは言います。「あとTEAMS全体で、けっこうな量のデータや情報をデータベース化しているんですけど、事業終了後も一定の手続きを踏めば、そこからデータを入手できるようにします。またベンチャー企業などを設立して、得られたノウハウやシステムを何らかの形で生かせるようにしようとしています」
一方で、この10年間の調査研究を通して、藤倉さんは一つの懸念を抱くようになりました。
「こういう大きな災害が起きると必ず、その後どんな影響があったんですかっていうことを問われるんですけど、それを評価するためには災害以前のデータがないとだめなんですよ。じゃあ、以前のデータとか情報って、今、日本も含めてきちんとあるのか、というのがとても疑問です。次は東南海・南海地震が起きるでしょう。おそらく地形や底質のデータというのは、だいたい揃っていますが、それ以外の環境や生物のデータは、ほんとうに断片的なものしかありません。それを意識した時、確かに3.11の復興などには力を入れたと思うんですけど、次の災害に対する備えって意外と進んでない。今後、困るだろうなと思っています」
TEAMSで培った経験やノウハウは、次に同じような調査研究をする時には大いに生かされるでしょう。しかしTEAMS自体は継続されていきません。再び大きな災害に襲われるまでの間、それが5年か10年かわかりませんが、その間にまたデータや情報の空白ができてしまう可能性はあります。あらゆる場所では無理でしょうが、少なくとも女川湾や大槌湾のようなフィールドを定めて、継続的にモニタリングしていくことが必要だと藤倉さんは考えています。
「というのも、これは他の人に聞いた話なんですけど、2010年にメキシコ湾で原油流出事故が起きたじゃないですか。それが沿岸の生き物や生態系に与えた影響を評価する時、最も使えたデータは、地元の高校生が磯場で毎年、同じやりかたで生き物の種類や量をモニタリングしていた結果だったそうです。それがあったからこそ、これだけ環境が変わったんだと言えた。ほんとうに地道な調査なんですけど、何かが起きた時に、以前と比べてこう変わった、だからこういうふうに回復させましょうとアクションを起こす場合は、やっぱり必要だと思います」
漁業の復興を考えた時「次の災害に対する備え」の一つは、自然環境や生態系の様子を常にモニタリングしておくことです。では、もっと広く人間の社会や文化を考えた時、減災や迅速な復興を図るためには、普段からどう備えていればいいのでしょう?
東北大学災害科学国際研究所長(教授)の今村文彦さんは津波の専門家ですが、歴史学や心理学も含む幅広い視点から、減災や復興につながる様々な研究や提言をしています。災害科学国際研究所は2012年4月に設立されました。母体となったのは2007年に発足した「東北大学防災科学研究拠点」です。当時は宮城県沖地震をターゲットに19分野からなる学際的な研究活動を行っていましたが、東日本大震災に直面して、大幅に拡充されました。
今村文彦(いまむら・ふみひこ)
1961年、山梨県生まれ。東北大学大学院博士後期課程修了。東北大学工学部助手、同大学院工学研究科附属災害制御研究センター助教授、教授を経て、2014年より同災害科学国際研究所(写真右)所長。津波工学(津波防災・減災技術開発)、自然災害科学を専門。現在、中央防災会議検討会メンバー、一般財団法人3.11伝承ロード推進機構代表理事などを務めている。
提供/今村文彦氏(左)、撮影/藤崎慎吾(右)
東北沖地震が起きる前にも、今村さんは自ら一般市民の中に入って防災・減災に取り組んでいました。
「例えば毎年5月にはチリ地震津波(1960年5月に発生、142人の死者を出した)のメモリアル講演会をするなど、まずは知っていただく、思い出していただく活動をしていました」と今村さんは振り返ります。「あとは沿岸部での避難訓練を、一般の方々と一緒に企画しました。仙台市の荒浜にある海水浴場の場合、夏には数千人規模の海水浴客が押し寄せます。そこで災害時には、どういうふうに避難誘導したらいいのか、どこにどんな看板をつけたらいいか、住民の方々とちょっと工夫しながら訓練もしました。南三陸町の志津川地区(旧志津川町)にもけっこうビジターがおられるので、案内情報は重要だと思われました。そこで避難しながらでも分かりやすいように、道路の上や電柱にですね、こっちにこう曲がってくださいという矢印を描くとか、ふいに訪れたビジターにも優しいような取り組みを皆さんとやっていました。住民だけではない、そこをたまたま訪問されている方も、どうやって迅速に避難させるか、また地域としてどうサポートできるかを考えていましたね」
そうした取り組みで防災意識が高まり、当時の想定を超えていた東日本大震災でも一定の減災効果をもたらしたと今村さんは考えています。「数的には把握できていないんですけども、講演会や避難訓練に参加いただいた方は、かなり安全に避難できたと思っています」
とくに今村さんの印象に残っているのは、先ほどの荒浜を含む仙台市若林区の住民による活動です。今村さんによれば仙台平野は、スマトラ島沖地震(2004年)の津波で大きな被害を受けた同島の平野部と同じくらい平坦ですが、当時の荒浜には防潮堤もありませんでした。そこで、もしスマトラを襲ったのと同規模の大津波が来たら、どうしようという議論を住民も交えてしていたところ、仙台東部道路という高速道路に注目が集まりました。
この道路は仙台平野の沿岸付近を南北に走っており、常磐自動車道に接続しています。そして若林区一帯の区間では「盛土構造」となっており、路面の高さが6m以上ありました。ここを一時避難所に指定してもらえないかと、若林区の住民らは2010年に1万5000人の署名を集めて、道路を管理する東日本高速道路株式会社(NEXCO東日本)や区役所に提出したのです。また同年10月に開かれたシンポジウムには住民のほかにNEXCO東日本の担当者や仙台市、自衛隊関係者を含む300人以上が参加して、これといった高台のない地域で道路に避難することの是非を話し合いました。
そして翌年の3月11日、まさしくスマトラ島沿岸を飲みこんだのと同規模の津波が襲ってきました。幸いシンポジウムの参加者は全員、無事だったと今村さんは聞いているそうです。確認はできませんが、その一部は実際に仙台東部道路によじ登って助かったのかもしれません。というのも地震発生から翌日未明までに仙台若林ジャンクション(仙台市若林区)〜名取インターチェンジ(宮城県名取市)間で約230人が仙台東部道路上に避難していたと、NEXCO東日本が報告しているからです。
こうした経験をふまえて震災後、仙台東部道路や常磐自動車道、三陸自動車道などには避難用の階段がつけられました。また全長10.2kmの東部復興道路が新たに建設され、2019年に開通しています。七北田川と名取川河口に挟まれた海岸線から1〜2km内陸を仙台東部道路と並行して走っており、仙台市若林区および宮城野区の一部を通っています。この道路はかつての県道や市道に盛土して約6mの高さに「かさ上げ」されており、堤防や防潮林と合わせて津波の被害を軽減させる「多重防御」の要となっています。
一方で反省点が残ったこともあります。「津波の浸水マップというのを、あの当時、宮城県が宮城県沖地震(単独型と連動型)*を想定して作ってたんですね。地域ごとに浸水予測範囲を示して、学校とか避難場所が地図上に載せてあるものを沿岸住民に配った。そこに注意書きとして『場合によっては津波の高さや浸水域が、これを上回る場合があるので、最新の情報を得て判断してください』と書かれてはいました。しかし3.11はまさにその例外で、とくに宮城県においては多くの学校が浸水して、そこで犠牲者が出てしまった。それについては非常に忸怩たる思いです」とマップを監修した今村さんは悔しさを滲ませました。
* 単独型は1978年の宮城県沖地震(M7.6)と同じ震源域と規模で起きる地震を想定している。連動型はそれよりさらに広い震源域と規模(M8程度)の地震を想定している。
一方で人々を油断させる不幸な要因も重なってしまったようです。「3月11日の2日前に、いわゆる前震(M7.3)があって津波注意報も出たんですけども、実際はほとんど影響がなかったんですね。あと1年前には南米チリの中部沿岸で大地震(M8.8)が起きて、宮城県や岩手県にも一時、大津波警報が出たんですけれども、実際は1mを少し超えるくらいで人的被害は出なかった。そして2011年3月11日に出された気象庁の大津波警報は、第一報が宮城で6m、岩手と福島で3mと非常に過小評価でした。そういうことが重なって避難が遅れたり、浸水マップにある小学校に逃げた場合でも、建物の上ではなく、グラウンドや体育館にいたというようなことが起きました」
こうしたことから今村さんは、人間の認知や判断、行動の特性をふまえた防災・減災や復興の検討も必要だと考え、実際に災害科学国際研究所では、そうした分野の研究が進められています。
「人的被害を減らすのは、最終的には個々人の判断力です。判断をコントロールするのは知識であったり、認識力であったり、または周囲にいる人々も含めての心理状況ですね。非常に切迫性を抱いていれば迅速な行動を取れるんですけども、2日前には大丈夫だったとか、1年前は大丈夫だったっていう心理状況が、どうしても行動を抑止してしまいます」と今村さんは言います。「人間には異常事態に遭遇しても日常の範囲内だと思いこんで、平静を保とうとする『正常性バイアス』があると、よく言われます。このようなバイアスは常にあって、災害時はそれとの戦いです。バイアスをいかに小さくさせて、正確な情報を出して、適切な行動をとっていただくのか。これは防災上、ほんとうに重要なことだと思います」
このような心理学や認知科学、脳科学的な見地に医学も加えた「生存学」を、今村さんは提唱しています。
「避難が間に合わずに津波で流されたとしても、助かった方もれば、犠牲になってしまった方もいます。その差は、どこで生じたのか。犠牲になった方については、検死をした法医学の専門家などによるデータベース(宮城県警察が管理)から、これは宮城県だけなんですけども約1万人のデータを先日、ご提供いただいて、どういう状況で亡くなったのかを調べました。新聞などの報道も含めて、一般的には溺死とか、流れて亡くなったっていう広い定義でまとめてしまいます。確かに泳げなくて水中で溺れた状況もあるんですけども、実は漂流物がぶつかって頭や胸に打撲を受けたとか、火災で焼死されたとか、様々なものを飲みこんで呼吸ができなかったとか、せっかく陸地に上がって助かっても低体温で亡くなったとか、当時の実態がわかってまいりました。そうすると、生死を分ける状況が、より具体的に見えるようになるんです」
すると、なぜ避難しなければいけないのか、避難しなければ、どういう状況になるのかといったことを、より説得力をもって伝えられると今村さんは考えています。また避難が遅れたとしても、どのような対応をすれば助かる余地があるかも見えてくるでしょう。つらいとは思われますが「死」を客観的に見つめて、災害から生き延びる方法を深く考えたい――「生存学」という言葉には、そういう思いがこめられているようです。
最終的には個々人の認識や判断、行動が生死を分けるにしても、それをなるべくいい方向へ導く環境の構築が、日常においては必要と考えられます。その環境には人と人とのつながりも含まれるでしょう。また災害が通り過ぎた後の復興は、個々人だけで成し遂げられるものではありません。そこで重要になるのは、いわゆる「地域」あるいは「コミュニティ」のあり方です。
「おそらく昔の地域も、様々な災害に襲われる中で、けっこう原始的な『スマート(賢い)コミュニティ』をつくってたんじゃないかなと思っています」と今村さんは言います。「災害に対して、より安全な所にまとまっている。例えば仙台で言うと沿岸部には小高い自然堤防があって、標高1〜2mぐらいのところに昔の集落はあるんですね。周囲は『イグネ』と呼ばれる屋敷林に囲まれている。一方、高度成長期に住宅開発が進められたのは、海抜1m以下の低い所だったんです。今回の津波で、そういう新しい所は全部流されて、昔の屋敷は残っています」
現在は残念ながら自然の脅威に対して、やや危険な所にも我々の住環境や生活が広がってしまったわけです。それを踏まえつつ、より適切な場所に住居を構え、情報通信技術(ICT)を含む最先端の技術を駆使しながら、人々がお互いに支え合う未来型のスマートコミュニティが必要だと今村さんは提言しています。通常は環境に対する配慮や、再生可能エネルギーの利用などとともに語られるスマートコミュニティの概念ですが、そこに防災・減災さらには復興への備えも結びつけているようです。
住環境について言えば、市街地をなるべく高い場所に設けるとともに、前述した多重防御による津波軽減対策を行います。仙台市の震災復興計画(2011年11月30日策定)を参考にすると、まず海岸のすぐ近くには従来通り堤防を設けますが、その後ろ(陸側)には海岸防災林(防潮林)を植樹します。さらに小高い丘のある公園や、かさ上げした道路などで幾重にも波を弱め、防いでいく「緩衝帯」を設定するのです。平常時には緩衝帯が住民のレジャーや憩いの場所であったり、農業が行われる場所であったりします。
「堤防のような人工構造物は、一定の許容範囲だと非常に強くて、完全に津波を止めてくれるんですけども、その範囲を超えると機能を果たせず限界があります」と今村さんは言います。「一方で防潮林などは比較的メンテナンスしやすいことが、大きなメリットだと思うんです。津波でも完全に壊れることはなくて、きちんと草刈りとか、それなりに手入れをすれば比較的、安く維持できます。昔は木を切って燃料にすることもありました。キノコのような食べ物も採れます。そういう生産性も含めた多様な力を、我々はもう一度見直す必要があるかなと思ってます」
堤防や道路などの人工物は灰色なので「グレーインフラ」、防潮林などは「グリーンインフラ」と呼ぶそうですが、そのコンビネーションが日本においては有効かつ適切ではないかと今村さんは考えています。
またICTを非常時の情報共有や相互援助に利用するとしても、普段から使い慣れていることが必要です。災害は忘れたころにやってきます。たまに訓練をしている程度では、いざという時にうまく利用できなかったり、時間がかかってしまうかもしれません。そこで日常的に使っている情報システムを、うまく非常時にも使えるようにしたらどうかと今村さんは言います。
「今も市町によっては、例えば『ここで道路が陥没しました』とか『収集所のゴミが、ちょっと散らばってます』っていうのを、スマホで写真を撮って行政の担当部署に送れるシステムが動いてたりするそうです。住民から情報提供を受けて『わかりました。直します』とかやってるみたいなんですけども、そこで行政と住民が繋がってるんですよね。それがおそらく非常時にも役立ちます。今のエリアメールですと不特定多数への一方通行で、とにかくいっぱい情報が来て、何か見てるだけって感じになってるんですよね。それよりも双方向で、もうちょっと色々なアクションができたり、住民も行政の対応を理解しながら要望を送ることができる。そういうふうに非常時と日常時をうまく組み合わせて使っていくのが重要じゃないかと思います」
多重防御やICTを利用したインフラがハードウェアだとすると、その中で機能する、あるいは育まれるソフトウェアが人間どうしのつながりであったり、文化だと言えるかもしれません。コミュニティの中では、それが最も重要な部分でしょう。備えることの大切さを忘れず、次の世代に伝えるのも、また重要なコミュニケーションであり文化だと考えられます。
そういう意味で今村さんらが取り組んでいるユニークな活動の一つが「3.11伝承ロード推進機構」です。簡単に言えば、東北各地に散らばる「震災遺構」や「震災伝承施設」「石碑」などの情報を分類・整理して提供し、案内マップや標識なども設置して、訪れる人が効率的に東日本大震災の教訓を学べるようにする取り組みです。言わば「震災伝承のプラットフォーム」というわけです。
「昔は先人たちが石碑を残しましたよね。『ここに家を建てるな』とか『地震が来たら津波に注意』とか――ただ、あれはメッセージとしてはいいかもしれないんですけども、津波の実態を示すものではありません」と今村さんは言います。「そこで復興庁が1自治体に1ヵ所、震災遺構ということで残すならば支援する、ということを決めたんですね。そして今、北は青森から南は福島まで、石碑も含めてなんですけど、壊れた橋とか線路などといった遺構や関連施設が、現場に残されることになりました。それを有機的に結んでいく必要があるだろうと考えたんです」
現時点では約230ヵ所の遺構や施設が「3.11伝承ロード」に登録されているそうです。「岩手県陸前高田市の東日本大震災津波伝承館のような新しい立派な建物もあれば、壊れた階段などの遺物・遺構まであるのですが、そういうのをデータベース化したり、地図上に示したりしました。それを使って、こういう目的ならここを訪問してはどうでしょうかとか、小学生だったらここを訪れて、こんな勉強ができますとか、あと企業の研修であれば、こういう所も当時、道路の片付けをしたり、整備をしましたっていうのを学んでもらうとか、現場に行ってですね、そういう案内することは、とても大切ではないかなと思っています」
実際に「3.11伝承ロード」のウェブサイトを訪れると、施設のリストや地図から詳しい情報を得ることができますし、様々な目的で施設を巡る研修会に参加を申しこむこともできます。
「3.11伝承ロード」は過去を振り返りつつ教訓を共有化して「忘れない」ための試みですが、今村さんは前向き、かつ戦略的に、防災・減災意識を高める活動にも取り組んでいます。それが「防災ISO」です。
「ISO」とはスイスのジュネーブに本部がある非政府組織「国際標準化機構」の略称、または同機構が策定する品質などの国際規格のことです。何らかの製品やサービスについてISO規格が策定されると、それが世界共通の基準となるため、国際的な取引がしやすくなります。また製品やサービスがISO規格に準じていると認定されれば、一定の信頼性を得ることができます。身近な例としては非常口のマークや、クレジットカードのサイズなどがISO規格で定められています。このISO規格を、防災・減災に関係する製品やサービスについても定めようというわけです。
「例えば地震計もそうですが、備蓄食や非常持ち出し袋など様々な被災経験を通じて製品になってるものって、たくさんあるんですよね。ところが、そこは実は大きなマーケットになっていない。残念ながら普及率が低かったりして、防災っていうのはあんまり儲からない産業だと思われています」と今村さんは指摘します。「もちろん行政が予算を使って立派な地震計のネットワークをつくったりっていうのはあるんですけど、もっと市民や地域レベルで、より広がる要素のある技術や製品もいっぱいあるので、そういうものを国内外で認識してもらいたい。そこで防災の概念や考え方を整理して、評価できる軸、あるいは物差しを提案する。そうすると海外でもその性能が正しく理解され、市場が広がると期待されます。そのためには国際的な規格や標準化が必要です」
確かに筆者も何年かに1回、備蓄食や防災グッズを買っていますが、そのたびに「これ、どっちが品質的にはいいのかな」とか「ほんとうに、これって必要なのかな」と疑問ばかり湧いて、結局、買わなかったりすることがあります。何か国際的に統一された規格や基準があれば、そういう時の頼れる指針になるでしょう。
「今はヨーロッパもアメリカも地球規模の気候変動問題などに対処するため桁違いの投資をして、交通やエネルギー網などをICTでスマート化した新しい都市・地域を築こうとしています。そこに防災という要素を入れてあげて、日本の技術が役立つならば、輸出産業になるはずなんです。輸出産業として実績を上げると、もしかしたら低価格化につながるかもしれませんし、内容もより良くなるかもしれない。それはまた国内にフィードバックするはずです。国内の市場拡大だけではマーケットがほんとうに小さいので、国際標準化っていうのは、そこを狙わないと広がらないと思うんですね。そこを狙いたい」
「儲かる防災」というのが、もし実現したら、それは非常に革新的だし、誰もが得する結果になるような気がします。備蓄食といった製品に限らず、ハザードマップの作成や緊急速報システムの構築、避難所の設置や運営、ライフラインの復旧、防災教育の実施といった「サービス」に関するノウハウも、日本には多くの蓄積があるでしょう。それが外国でも通用する形で標準化されれば、やはり「輸出」できるはずです。それ以前に国内でも効率や利便性が高まるでしょう。そういったサービスは日本の自治体間でも優劣や差があり、必ずしも統一されていないからです。
現在、防災ISOの提案に向けた準備は、経済産業省からの受託事業となっており、災害科学国際研究所が事務局となって進めています。国内の関連機関や自治体、企業などはもちろん、ヨーロッパやアメリカ、アジアからも専門家を集めて、まずは防災とは何か、防災には何が必要かという概念を定め、その上で個々の製品やサービスに対して、どのような規格が必要かを議論していこうとしています。最終的には2023年の防災ISO発行を目指しているそうです。
東日本大震災から10年という節目ですが、現在、おそらく多くの人の頭を占めているのは、過去の災害より現在進行系の災害――新型コロナウイルスによる感染症爆発でしょう。しかし二つの災害が防災や復興という意味で、全く無関係というわけではありません。
「地震や津波、洪水というのは自然災害なんですけども、コロナというのは社会災害ですよね。人間の集団やコミュニティの中で被害が拡大してしまっている」と今村さんは言います。「しかし我々は自然災害と社会災害とを分けずに、融合させた対策をしたいと思っています。一つ共通して大切なのは、やっぱり正しい知識や情報の伝達ですね。どんな対応をするにせよ、それが出発点になります」
そのためには政府や専門家、そしてマスコミなども一体となって、正しいことを正しく伝えるように努力しなければならないでしょう。SNSなどの発達でデマも広まりやすくなっている今は、差し迫った問題と言えそうです。
「二つ目は緊急対応や初動体制と、元に戻す復旧体制の充実です。あとは復興ですが、これは元の状態に戻すだけではなく、より良い姿にしなければなりません。コロナで言うと『ポストコロナ』っていう言葉と対応すると思うんですけども、今回の経験を受けて、あまり直に接しなくてもコミュニケーションや情報共有ができるようにデジタル化を進めるとか、そういう改革を目指していくほうがいい。そこも共通だと思っています」
「Build Back Better(より良い復興)」という言葉が、最近はよく聞かれるようになりました。2015年に第3回国連防災会議が宮城県仙台市で開催された時、成果文書「仙台防災枠組2015-2030」で公式に採用された概念です。おそらく当時は、地震や津波からの復興が多くの人の念頭にあったでしょう。しかし今後「ポストコロナ」が成功すれば、それが自然災害の復興に際しても役立つことになるかもしれません。
最後に、これも災害に向き合う時の共通の心得として、今村さんは次のように語りました。
「全く個人的な考えなんですが『正しく恐れる』っていうんですかね。地震の場合はナマズかもしれませんけど、昔の人が自然災害を神様化して恐れていたように、現代の我々もコントロールできない、理解できない、さらには人智のおよばない部分については、謙虚にならなければいけません。日本にはまだ、そういう文化が残っていると思いますが、今後もつくっていく必要があるでしょう。ただし分からないから、または説明がつかないからといって目をそむけてしまったり、逆に過度に恐れてはならないと思います」
前半で「クラムボン」という無人探査機の話をしました。名前の由来となった宮沢賢治の『やまなし』は童話ですが、内容の意味するところについては諸説あり「難解」だとも言われています。
登場するのは川底で暮らす2匹の子蟹(兄弟)と、お父さん蟹です。第1幕の「五月」では、子蟹たちの上を泳いでいた魚が何か得体の知れないものに突然、襲われ、目の前から連れ去られてしまいます。怯える子蟹たちの前に出てきたお父さん蟹は2匹の話を冷静に聞き、それが「カワセミ」という鳥であること、蟹は襲われないことなどを伝えて安心させようとします。
第2幕「十二月」でも蟹たちの上に、黒くて円い大きなものがドブンと落ちてきます。子蟹たちはカワセミだと思って怯えますが、お父さん蟹はやはり冷静に観察して、それが「やまなし」の実であることを教えます。3匹は流れていく実を追いかけ、枝に引っかかって止まった場所を見定めると、数日後に沈んできて「おいしいお酒」ができることを期待しながら帰ります。
ストーリーとしては、ほぼそれだけです。これは全く私の個人的な印象ですが、賢治の自然観の一端が描かれているような気がします。カワセミは前触れもなく襲ってくる災厄、あるいは災害の象徴ではないでしょうか。無力な子蟹たちはひたすら怯えますが、知識のあるお父さん蟹は慌てずに対処します。やまなしの実が落ちてきた時も、お父さん蟹は油断なく観察した上で、危険がないことを確認します。
自然は容赦なく命を奪いもすれば、命の糧となる恵みをもたらすこともあります。人間が蟹ほど無力ではなかったとしても、自然の気まぐれな振る舞いは、おいそれと制御できるものではないでしょう。ただ冷静に観察し、知識を蓄えることによって、慌てず対処することは可能です。賢治はそんなことを伝えたかったのではないでしょうか。今村さんの考えにも、通じるところがあるように思います。
連載はこれで終わります。賢治を引き合いに出すのは、あまりにおこがましいのですが、私も物書きの端くれとして、今後も「正しく恐れる」ことを伝えていきたいと思います。長い間おつき合いいただき、ありがとうございました。
藤崎慎吾(ふじさき・しんご)
1962年、東京都生まれ。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどを経て、99年『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ)でデビュー。同書は早川書房「ベストSF1999」国内篇第1位となる。現在はフリーランスの立場で、小説のほか科学関係の記事やノンフィクションなどを執筆している。近著に《深海大戦 Abyssal Wars》シリーズ(KADOKAWA)、『風待町医院 異星人科』(光文社)、『我々は生命を創れるのか』(講談社ブルーバックス)など。ノンフィクションには他に『深海のパイロット』、『辺境生物探訪記』(いずれも共著、光文社)などがある。