知ろう!記者に発表した最新研究
2014年9月3日発表
日立鉱床は、日本で最も古い鉱床だった!
鉱床ができた年代を探る新技術、大かつやく!
金属は、みなさんの生活を豊かで便利にしてくれる大切な資源です。かつて、その金属である硫化物鉱石、銅や亜鉛などが大量に掘り出された日立鉱山が、茨城県日立市にあります。その日立鉱山にある「日立鉱床」ができた年代が、これまで考えられていた石炭紀前期(約3億2,320万年前〜3億5,890万年前)ではなく、もっと古いカンブリア紀(約4億8,540万年前〜5億4,100万年前)までさかのぼり、日本で最も古い鉱床であることが明らかになりました。
いったいどういうこと? 野崎 達生 博士による最新研究を紹介します!
まず、自然界でつくられ一定の化学成分でできていて、結晶構造を持つものを「鉱物」、鉱物の集合体を「岩石」と呼びます。その岩石の中でも暮らしに役立つ金属や化学成分を多くふくむものを「 鉱石」、鉱石がたくさんあって経済的に取り出しやすいところを「鉱床」と呼びます(図1)。鉱床の中でも、銅や亜鉛などの金属が集まる鉱床を「金属鉱床」と呼びます。そして、鉱物をとりだすための事業所に、鉱石を切る場所などを加えたところを「鉱山」と呼びます。
茨城県日立市に位置する日立鉱山(図2)は、日本屈指の銅鉱山で、日立鉱床を始め70以上もの鉱床があります。主に硫化鉱物と呼ばれる、金属に 硫黄が結びついた鉱物でできていて、1591年から1981年までに約3,000万トンの硫化物鉱石、44万トンの銅、5万トンの亜鉛が掘り出されました。
日立鉱床が、いつできたのか。その年代情報は鉱床のできかたを探る研究でとても 重要ですが、正確に割り出すのがむずかしく、これまではまわりの化石などから「 間接的に」求められてきました。しかし近年の分析技術の発展により、鉱床をつくる硫化鉱物そのものから「直接的に」 年代を出せるようになったのです。
鉱床がいつできたのかを直接的に求める方法は、硫化鉱物にぎゅーっと 濃集しているレニウム(Re)とオスミウム(Os)を使った「レニウム—オスミウム(Re-Os)年代測定法」です。どちらもかたく溶ける温度が高い金属で、レニウムは高温センサーの電気接点、オスミウムは万年筆のペン先などに使われています(図3)。
同じレニウムでも 質量数の異なる185と187の2種、同じオスミウムでも質量数の異なる184、186、187、188、189、190、192の7種があります。それらのうち、187レニウムは時間がたつと少しずつ187オスミウムに変わる 性質があります(図4)。187レニウムの半分が187オスミウムに変わるには、416億年かかります。
その性質を利用して、日立鉱床の硫化鉱物に含まれる187レニウムと187オスミウムの割合を求めて計算すれば、日立鉱床がいつできたのかを知ることができるのです。原理のイメージは、図5を見てね。
Re-Os年代測定法は、長い歳月の間に高温にさらされたりしてもオリジナルな情報を残していることが多いので、変質のはげしい日立鉱床の分析もおまかせあれ!
野崎博士は、岡山大学の加瀬 克雄 名誉教授が1971〜1973年に日立鉱床から集めた試料を分析しました(写真1)。
野崎博士はまず硫化物鉱石の試料を少しくだいて粉にして、ていねいに前処理をしてレニウムとオスミウムをそれぞれとりだして集めて、Re-Os年代測定法で分析しました。
その結果、約5億3,300万±1,300万年前を示すデータが出ました(図6)。
この年代は、ちょうどカンブリア紀にあたります。これまで日立鉱床ができたのは石炭紀前期と考えられていましたが、実際は、それより約2億年古い時代だったのです(図7)。
日立鉱床は、もともとは遠く離れた海底でできて、プレート運動により長い年月をかけて現在の大陸まで移動してきました。今回わかった年代と当時の大陸配置、そして日立地域の岩石の特徴を照らし合わせると、日立地域は昔の中国大陸とパンサラッサ海(古太平洋)の 沈み込み帯の間の島弧域でできたと考えられます。こうした情報は、日本列島が現在の形になるまでの成り立ちの解明に役立ちます(図8左)。
さらに、日立鉱床と同じカンブリア紀にできた鉱床を世界の他の地域(同じ地層の中)から探し出せば、暮らしに役立つ金属を利用できるかもしれません(図8右)。
野崎博士は、「鉱床には様々な種類があり、その種類は鉱床ができた年代の地球環境により変わります。鉱床とそれができた年代の地球環境を通じて、地球史を見ていきたいです。将来的には、資源政策や資源開発に役立てていきたいと考えています」と話しています。