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2011年 10月 11日
独立行政法人海洋研究開発機構
東京大学大気海洋研究所
1.概要
独立行政法人海洋研究開発機構(理事長 加藤康宏) 高知コア研究所地下生命圏研究グループ兼同機構海底資源プロジェクト地球生命工学研究グループの諸野祐樹主任研究員と稲垣史生グループリーダーらは、東京大学大気海洋研究所(所長 新野宏)の研究グループと共同で、下北半島八戸沖の海底下約46万年前の地層(※(注記))から採取した個々の微生物細胞の栄養源の取り込みについて、超高解像度二次イオン質量分析計(NanoSIMS)を用いて高精度に測定し、一立方センチメートルあたり一千万細胞を超える微生物が、炭素や窒素を極めてゆっくりとした速度(大腸菌の10万分の1以下)で取り込む能力を有する"生きている"細胞であることを明らかにしました。
本成果は、これまで不明確であった海底下の微生物細胞の代謝活動と生存状態を、世界で初めて定量的に評価した成果であり、地球規模の炭素循環に果たす微生物の役割の解明やその利活用手法の開発、さらに生命進化や極限環境への適応能力の解明などの研究展開が期待されます。
本研究は、日本学術振興会による最先端次世代・研究開発支援プログラム「エネルギー再生型海底下CO2地中隔離(バイオCCS)に関する地球生命工学的研究」の成果の一つであり、10月11日付(日本時間)のProceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 誌(米国科学アカデミー紀要)電子版に掲載されます。
2.背景および研究方法
本研究では、海洋研究開発機構が所有する地球深部探査船「ちきゅう」により、下北半島八戸沖約80kmの海底から得た掘削コア試料を用いて、地球のバイオマスの約10%を占めるといわれている海底下の微生物群集の生存活動の解明に取り組み、生命維持に不可欠とされる炭素や窒素の代謝の実態解明に挑みました。
近年では、次世代のクリーンエネルギーとしてメタンハイドレードなどの未採掘の海底資源の可能性が注目されています。その生成プロセスには、海底下の微生物の活動が極めて重要な役割を担っていると考えられています。しかし、海底下の微生物細胞は著しく代謝活性が低いことなどから、その詳細な解析が地球上で最も困難な生態系と言われており、間接的に海底下の生命活動を示唆するデータはあっても、どれくらいの割合が実際に"生きている" (増殖や呼吸代謝などの生命機能を保持している)のか、といった基礎的な疑問が未解明でした。
本研究では、海底下の微生物の代謝を調べるため、追跡可能な物質として分子内の炭素原子や窒素原子をそれぞれの安定同位体原子(13C、15N)で置換した様々な栄養源を試料に加え(グルコース[ブドウ糖]、酢酸、ピルビン酸、重炭酸、アミノ酸、メタン、アンモニア)、東京大学大気海洋研究所およびフランスキュリー研究所が所有する超高解像度二次イオン質量分析計(NanoSIMS、図1)を用いて、個々の細胞(大きさは0.5〜1マイクロメーター程度)ごとに栄養源の取り込みを可視化し、取込みの量と速度を評価しました。
3.成果
各種栄養源を添加した海底下の微生物細胞を分析したところ、メタンを除いたすべての炭素・窒素化合物が取り込まれていることが確認できました(図2)。また、栄養源を取り込むことのできる(生存している)微生物の割合は最大で全体の76%を占めており(図3)、過去約46万年に形成された海底下深部の地層(深度約219 m)中に、現在でも膨大な数の微生物が“生きている”ことが、世界で初めて細胞単位で実証されました。
具体的には、与えた栄養源の中でもグルコース、ピルビン酸、アミノ酸といった高い代謝エネルギーを生む物質を与えた場合にのみ、微生物が細胞増殖できることがわかりました。一方、細胞増殖のための代謝エネルギーが取りにくい酢酸や二酸化炭素の場合は、栄養源は細胞内に取り込まれるものの、細胞の増殖は認められませんでした(図3)。
また、海底下の微生物が栄養源を細胞内に取り込む速度は、一細胞が平均一日あたり約10-16グラム(1京分の一グラム)に相当し、大腸菌などの一般的な微生物の活性と比べて極めて遅い(大腸菌の約10万分の1以下)ことが明らかになりました。これは、従来不明確であった海底下深部の微生物細胞の代謝活動を世界で初めて定量的に評価した画期的な成果です。
さらに、海底下の微生物に添加した窒素の取り込み率が、炭素の取り込み率よりも高い傾向が認められました(図4)。これは、微生物細胞が窒素の取り込みをコントロールすることにより、細胞内エネルギーを節約し、海底下という栄養源に乏しい環境下で長期間生存していることを示唆しています。これらの成果は海底下における生命進化や極限環境への適応能力の解明につながる可能性があります。
4.今後の展望
本研究に用いられた分析手法は、地球科学と生命科学における最先端の研究手法を融合して導き出されたものです。今後、地球深部探査船「ちきゅう」によって得られる海底下の深部フロンティアの研究をはじめ、分野横断的な学際研究の発展に大きく貢献することが期待されます。
また本研究の成果は、海底下の深部生命の実態や代謝機能、その生理・生化学的特徴などについての理解を促進させ、生命活動が関与する様々な物質循環プロセス等の解明に繋がります。例えば、日本近海の海底下に豊富に存在すると言われているメタンハイドレードや天然ガスなどの炭化水素資源の成因の解明や、地球温暖化物質であるCO2を海底下の微生物が有機物へと変換する潜在能力の評価と機能開発など、次世代の経済社会の合理的、効果的な進展に貢献することが期待されます。
※(注記)地球深部探査船「ちきゅう」により2006年に下北半島八戸沖約80kmの海底(水深約1,180m)から得た掘削コア試料の海底下深度約219mの部分
図1.超高解像度二次イオン質量分析計(NanoSIMS).
NanoSIMSを用いた超高解像度二次イオン質量分析では、安定同位体原子で置換された栄養源を取り込んだ(同化した)微生物を、最小50ナノメートル(1ナノメートルは100万分の1ミリ)の空間分解能で可視化し、栄養源の取り込み量を定量することが可能(海洋研究開発機構高知コア研究所に平成23年11月導入予定)
図2.炭素(13C)および窒素(15N)安定同位体でラベルされた栄養源を取り込んだ微生物細胞のNanoSIMS画像. 海底下の試料に添加した安定同位体(13Cまたは15N)の取り込みが大きい微生物細胞が可視化されている. 細胞一つあたりの大きさは約0.5-1マイクロメートル(1マイクロメートルは1000分の1ミリ).
図3.(A) 各種栄養源を取り込んだ微生物の割合と栄養源添加による細胞分裂の回数. グルコース、ピルビン酸、混合アミノ酸を添加した系では細胞数の増加が見られたのに対し、酢酸や重炭酸、メタンを添加した系では細胞数の増加は見られなかった.(B) 炭素安定同位体(13C)で標識されたグルコースを取り込んだ細胞のNanoSIMS分析画像の例.
図4.炭素安定同位体(13C)で標識されたグルコースと窒素安定同位体(15N)で標識されたアンモニアを取り込んだ微生物細胞のNanoSIMSを用いた分析例.(A) 赤色は13C-標識グルコース、緑色は15N-標識アンモニアの取り込みを示すNanoSIMS画像を重ね合わせた合成画像.(B) (A)の画像で番号をつけた各細胞(または細胞部所)における炭素と窒素の取り込み割合.炭素の取り込み率よりも窒素の取り込み率の方が大きいことを示している。点線は炭素と窒素を1:1の割合で取り込んだ場合を示す.