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2011年 8月 26日
独立行政法人海洋研究開発機構
1.概要
独立行政法人海洋研究開発機構 (理事長 加藤康宏)地球環境変動領域・北極海総合研究チームの西野茂人技術研究主任らは、2010年 9 〜 10月に実施された海洋地球研究船「みらい」の北極航海において、直径 100kmを超える巨大な海洋の渦をアラスカ沖のカナダ海盆で発見し、その詳細な観測を世界で初めて行いました。
観測の結果、1) この渦は北極海では珍しい巨大な渦であり、陸棚起源の栄養分 (アンモニア)に富み、水温が周り (0°C前後)より高い (最高で +7°Cにも達する)海水からできていること、2) 栄養分が乏しいカナダ海盆の表層にこのような渦が栄養分を運ぶことで海盆域の生態系に影響を及ぼしていることを世界で初めて観測し、その実態を明らかにしました。
この成果は、米国地球物理学連合発行の学術誌 Geophysical Research Lettersに 8月 26日付けで掲載される予定です。
2. 背景
(1) 北極海の海盆域では、これまでも海洋の渦が観測されてきました。その多くは直径 10 〜 20kmの小さな渦で、水温が低く、水深 100 〜 200mに存在することが分かっています。このような渦はその水深が深いために、北極海の表層の生物活動にはあまり影響を与えないと考えられます。また、海洋表面には直径が数十kmを超えるような大きな渦も人工衛星からみられ、その発生は数値モデルでも確認されています。しかしながら、このような大きな渦は出現頻度が低いことなどから、これまで現場で観測されたことはなく、その実態や生物活動への影響は全く分かっていませんでした。
(2) 北極海の海盆域は陸棚域に比べて栄養分が低く、これまでは通年で海氷に覆われていたことからも生物活動は活発ではありませんでした。しかし、近年の海氷減少により植物プランクトンの光合成のための光環境が改善され、北極海の海盆域でも生物活動が活発になってきたという観測結果が出されています。一方、海氷減少は、融氷水による淡水化・酸性化を進め、生物活動を抑制するともいわれています。北極海の生物活動の変化を考える上で重要なことは、栄養分が海洋の有光層 (植物プランクトンの光合成に必要な光が十分に届く層)にどのように供給されているかということです。しかし、この点について十分な解明はまだなされていません。海洋表面にみられる渦が海盆域の有光層に栄養分を運ぶことができるのであれば、生物活動を活発化させる可能性があります。
3. 成果
2010年 9 〜 10月に実施された海洋地球研究船「みらい」北極航海 (MR10-05: 調査主任 伊東素代)では、海氷が融解した太平洋側北極海で海洋や気象の観測を行いました。
(1) 巨大な海洋の渦を発見した状況
チャクチ海の陸棚域からカナダ海盆に至る南北ラインを観測中、北緯 74度・西経 160度付近に、比較的広い範囲で表層から深さ 200mまで周りより水温が高い水塊を発見したため、この高水温海域全体をカバーするように東西・南北に十字の観測線を設け、詳細な海洋観測を行いました (図1)。
(2) 観測結果
観測された高水温海域は、直径 100kmを超える巨大な渦の存在する海域であることが分かりました。そして、この渦は中心部に水温が最高で +7°Cに達する暖かい海水を含んだ暖水渦であること、渦の体積 (直径 100km、水深 50 〜 200m)は約 1.2兆 m3になり、東京ドーム 100万個分にも相当することが分かりました (図2A)。 暖水渦の中の海水を分析した結果、その海水はアンモニアの濃度が高いことで特徴づけられました (図2B)。アンモニアは夏季に陸棚域で生成されることから、この暖水渦の水は夏季にカナダ海盆に隣接したチャクチ海陸棚域が起源であると考えられます。また、渦の上層 (有光層)では植物プランクトンがもつ色素 (クロロフィルa)の濃度が高く、特にアンモニアを栄養分とする小型の植物プランクトン (鞭毛藻など)が増加していることが分かりました (図2C, D)。
(3) 過去の観測との比較
2002年の「みらい」北極航海によると、カナダ海盆の有光層には様々な種類の栄養分が十分にありました (図3A)。その結果、珪藻を主とした大型植物プランクトンが海盆域でもみられました。しかし、近年の海氷融解に伴って、栄養分の低い淡水がカナダ海盆の有光層に蓄積すると、有光層の栄養分が低下し、カナダ海盆では大型植物プランクトンがみられなくなりました。ところが本研究により、2010年に観測した巨大暖水渦が、栄養分の少なくなったカナダ海盆の有光層に栄養分 (アンモニア)を供給する役割があることが分かりました (図3B)。そして、アンモニアを栄養分とする鞭毛藻などの小型植物プランクトンが渦上で増加している、つまり暖水渦が生物活動を活発化させていることも明らかになりました。
これらの成果は、世界で初めて北極海の巨大な渦を観測した結果得られたものであり、その観測・解析から、巨大渦は栄養分に富んだ暖水でできており、それが北極海の海盆域の植物プランクトンの生産に大きく関与していることを世界で初めて実証的に明らかにしました。
4.今後の展望
北極海の海洋生態系は海氷減少によって大きく変化することが予測されています。今後、地球温暖化等の影響により北極海で急激に進行する多様な変化を、生態系も含めて解明する際に、今回海洋地球研究船「みらい」で行ったような気象・海洋物理・化学・生態系に及ぶ総合的な観測とデータの蓄積が重要であり、人工衛星によるモニタリングや数値モデルを使った検証・予測と共に、北極海での詳細かつ広範囲の現場観測を継続的に進めていきたいと考えております。それによって、北極海における気候変動、さらにはその地球全体への影響等について、気象・海洋物理・化学・生態系に及ぶ総合的な観点からの解明に寄与すると考えられます。
図1. (A) 2010年「みらい」北極航海の観測海域 (赤枠内)、及び (B) 観測点 (白点)と水深 50mでの水温分布 (カラー)。図 (B)の海底地形の等値線は 50m、100m、250m、500m、1000m、2000m、及び3000mを表す。青い実線 (a、b、c、d、e、及びfをつないだ実線)に沿った観測結果の断面図を図2に示す。北緯 74度・西経 160度付近に直径 100kmを超す暖水渦がみられる。渦の大きさの比較のため、観測点図の左上に同縮尺の北海道を示す。
図2. 暖水渦を横切る断面での (A) 水温 (カラー)と塩分 (等値線)、(B) アンモニア (カラー)と塩分 (等値線)、(C) クロロフィルa (カラー)と水温 (等値線)の分布、及び (D) 表層 50mでの大型サイズ (> 10μm; 青の棒グラフ)、中型サイズ (2 〜 10μm; 緑の棒グラフ)、及び小型サイズ (< 2μm; 赤の棒グラフ)の植物プランクトンのクロロフィルa積算量。断面図は図1の青い実線 (a、b、c、d、e、及びfをつないだ実線)に沿ったもの。図 (A)、及び (B)の塩分 (無次元の値)の等値線間隔は塩分が 25 〜 30の間は 0.5、塩分が 30 〜 34.8の間は 0.2であり、図 (C)の水温の等値線間隔は 0.5 °Cである。図 (A)の記号、及びは、それぞれ、紙面に向かう方向、及び紙面から出てくる方向の流れの軸を表し、時計回りの渦の中に暖水が捕捉されていることを示している。図 (B)、及び (C)の赤い破線は有光層 (植物プランクトンの光合成に必要な光が十分に届く層)の深さを表す。有光層の深さは海面の光の強さの 1%となる水深と定義し、光センサーを海水中に降ろして、その水深を測定した。図 (D)のは珪藻を主とした大型植物プランクトンを、は鞭毛藻などの小型植物プランクトンを表し、それぞれ、陸棚域、及び渦のみられる海域で優占的に繁殖していることを示している。
図3. (A) 2002年と (B) 2010年のカナダ海盆の観測結果の模式図。2002年から2010年にかけて海氷融解に伴い淡水 (低栄養分水)がカナダ海盆に蓄積した。その結果、淡水の下層にある高栄養分水が押し下げられた。2002年は高栄養塩分水が有光層より浅い場所にあり、有光層には十分な栄養分があった。このため、カナダ海盆では大型の植物プランクトン (主に珪藻)が繁殖していた。しかし、2010年は海氷融解に伴う淡水 (低栄養分水)の蓄積で、高栄養分水は有光層より深い場所まで押し下げられたため、有光層内の栄養分は低下した。その結果、カナダ海盆では大型の植物プランクトンはいなくなった。そこに、暖水渦が栄養分 (アンモニア)を運んでくることにより、渦上で小型の植物プランクトン (鞭毛藻など)が増殖した。