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堺屋太一氏と「景気ウォッチャー調査」誕生秘話
平成31年2月8日、「景気ウォッチャー調査」発足時の経済企画庁長官であった堺屋太一氏が亡くなりました。堺屋氏は、「景気ウォッチャー調査」の"生みの親"とされています。この機会に堺屋氏の功績の一端を記録に残しておくことも重要と考え、平成31年3月27日、「景気ウォッチャー調査」発足時の経緯について、当時経済企画庁調査局内国調査第一課長だった大守隆氏(現科学技術振興機構社会技術研究開発センター領域総括)にお話を伺いました。以下その概要をご紹介します。
(堺屋長官の熱意)
平成10年7月に小渕恵三内閣が発足し、堺屋太一氏が経済企画庁長官に就任しました。それとほぼ同時期に、私は国内景気の判断や分析を担当する内国調査第一課長の職に就きました。
堺屋長官は、就任当初から「景気動向をもっと早期に把握できないか」との問題意識を持っておられ、「景気動向に関する情報を早く手に入れる仕組みづくりを検討せよ」とのご指示がありました。当時、私は、情報よりも判断のバイアスを直す方が先決ではないかと考えたことや、どのような「仕組み」を作れば良いか思い当たらなかったことなどから、慎重論でした。そうした考えを資料にしてご説明したところ、堺屋長官は熱心に聞いてくれました。しかし、説明を終え、「それでは」と腰を上げたとき、こうおっしゃいました。
「何ができるかを考えてください」
それは、"もっと前向きに考えて欲しい"、"俺はあきらめないぞ"という堺屋長官の意思表明であったように思えます。そういったことが2回くらいあったと記憶しています。
(検討委員会での議論)
堺屋長官の強い熱意に突き動かされる形で、外部有識者からなる「動向把握早期化委員会」(座長:竹内啓明治学院大学教授(当時))を発足させ、検討を開始しました。
委員会メンバーと私を含めた事務局の議論の中で出てきた案はいくつかありました。例えば、当時始まったテレビの双方向通信を利用することで、多くの一般の方々の景況感を早期に集計できるのではないかというアイデアもありました。また「地域景気モニター」と当初呼んでいた案は、地域の経済動向を観察しやすい立場にいる大勢の人々から状況報告してもらうという案で、今でいうビッグデータを先取りしたような発想でした。これに、地域のシンクタンクを育成することが重要との堺屋長官のお考えが組み合わさって、調査の設計が進んでいきました。
予算も予想外に円滑に確保できました。発足当初は全国展開ではなかったのですが、質の高いコメントが集まったこともあって世間の評判も良く、すぐに全国展開になりました。
(堺屋長官のイニシアティブの賜物)
このように、景気動向の早期把握という大きな方向性を示し、強い情熱とイニシアティブで事務方を動かして、景気ウォッチャー調査を実現させたのは堺屋長官です。