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古墳の魅力って?さまざまな方に古墳にまつわる思い出や世界遺産登録への思いについてインタビューします!
第1回目は、日本考古学の権威・大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長です。
私の父は歴史が好きで、中学時代、よく仁徳天皇陵古墳や応神天皇陵古墳に連れて行ってくれました。
当時はまだ古墳の周りが田園で、一周することができましたが、そうやって何度か訪れるうちに、「濠(ほり)の中はどうなっているんだろう。」と、徐々に古墳に興味を持つようになりました。
しかし、学校では考古学に詳しい先生はおられず、専門書を読んだりして独学で勉強しました。
高校生になると、専門書を片手にさまざまな古墳をめぐり、中に入れる古墳があることや、古墳の中での埋葬方法など、少しずつわかるようになりました。
その後、大学で考古学を専攻し、いよいよその学門としてのおもしろさにとりつかれました。
2年のときに、はじめて遺跡の発掘調査に携わることができたことは大変な喜びで、その喜びが今日の私につながっているんだと思います。
百舌鳥・古市古墳群の周辺環境は私の子どもの頃とは変わってしまいましたが、古墳に近づいたときの感慨は今も昔も同じで、自然と厳粛さを感じます。
百舌鳥・古市古墳群の中でも、今は特に応神天皇陵古墳に関心があります。この古墳の南側に、応神天皇を祀る誉田八幡宮がありますが、江戸時代には、お祭りの神輿が応神天皇陵古墳の後円部にある六角堂まで上がっていたことがわかっています。
平安時代中頃の11世紀に、応神天皇陵が八幡神、すなわち応神天皇のお墓だということで、ここにお堂が建てられたという記録があります。これが江戸時代の六角堂の前身にほかならないと思います。
すなわち、11世紀にはこの古墳が応神天皇陵と信じられていたことになります。古墳時代研究の場合、どうしても文字資料が限られていますので、個々の古墳の被葬者を特定するのは困難ですが、誉田八幡宮と応神天皇陵古墳の位置関係を考えると、そこに葬られているのが応神天皇である可能性はきわめて高いと思います。
研究者として大変惹きつけられる古墳です。
百舌鳥・古市古墳群は、世界に誇るべき歴史遺産だと思います。
最近、「大阪に元気がない」とよく言われますが、百舌鳥・古市古墳群
の世界文化遺産登録が、大阪人の自信を取り戻す絶好の機会になる
ことを願っています。