2025年6月、少子高齢化や多様化する働き方・家族形態を踏まえ、年金制度の公平性・持続可能性を高め、「誰もが働き方や家族構成にかかわらず納得できる制度」に見直すことを目的として、「年金制度改正法」が成立しました。
この改正によって、私たちの暮らしにどのような影響があるのでしょうか?大槻経営労務管理事務所の特定社会保険労務士、三戸礼子氏に解説いただきます。
あと数か月で定年を迎える私にとって、「年金」はもはや遠い将来の話ではなく、身近で現実的な問題になりました。これまで「他人事」だった年金制度の改正が、いまは「自分事」として漠然とした不安や焦りを感じずにはいられません。同年代の方々も、きっと同じ思いではないでしょうか。
こうした不安の背景にあるのが、本年6月に成立した「年金制度改正」です。
「年金制度改正? "100年安心"のはずではなかったのか?」
2004年の「年金100年安心」改革は、少子高齢化を見据えて制度の安定を図る大改革でした。しかしこの20年で、景気の低迷や少子高齢化の加速など社会経済の環境が大きく変化し、当初のプランは機能しなくなりつつあります。昨年実施された5年に1度の「年金財政検証」でも、その現状が明らかになりました。
その結果、制度の見直しが議論され、本年の「年金制度改正」に至ったのです。
本稿では、どのような点が見直されたのか、それによって私たちの暮らしがどう変わるのかを整理していきます。
2025年の国会では、社会経済の変化を踏まえ、次の2つの観点から年金制度の機能を強化するための見直しが行われました。
1. 働き方・生き方、家族構成の多様化への対応
2. 所得再分配の強化や私的年金制度の拡充による高齢期の生活安定
主な改正項目は以下の5点です。
1 社会保険の加入対象の拡大
2 在職老齢年金制度の見直し
3 遺族年金の見直し
4 厚生年金保険の標準報酬月額の上限引上げ
5 私的年金制度の見直し
国は、制度の機能不全を防ぐため、これらの施策によって「多様な働き方への対応」と「高齢期の生活安定」を進めようとしています。
本稿では主に124について整理します。
1社会保険の加入対象の拡大
そもそも「100年安心」の年金制度が機能不全に陥りそうになっている原因の一つは、少子化です。年金は現役世代の保険料収入が主な原資ですので、少子化が進む中、保険料収入を安定させる手立てを打たなければ、将来もらえる年金が減少していくことは明らかです。では保険料収入を増やすためにはどうすればよいのでしょうか。
2024年度の総務省統計局「労働力調査」によると、約25年前には拮抗していた専業主婦世帯と共働き世帯の割合が、今では508万世帯:1300万世帯となり、家族のあり様が急速に変化しています。また、共働き世帯のうちいずれかがフルタイム以外のパートタイム労働者であるのが約960万人もいることを踏まえると、社会保険に加入していないパートタイム労働者を対象に含めることで、保険料収入は確実に上がります。
短時間労働者に対する社会保険の適用拡大は平成28年10月からすでに始まっており、現状では従業員数51人以上の企業を対象として、従業員等が
(ア) 週の所定労働時間が20時間以上30時間未満
(イ) 所定内賃金が月額8.8万円以上
(ウ) 2か月を超える雇用の見込みがある
(エ) 学生ではない
のいずれにも該当した場合、社会保険の加入が義務付けられています。
今改正では、さらに適用範囲が拡大されます。
1つ目は「企業規模の撤廃」です。企業規模にかかわらず社会保険への加入が義務付けられるようになります。2027年10月からは36人以上、2029年10月からは21人以上、2032年10月からは11人以上、2035年10月からは10人以下の企業へと、今後10年かけて段階的に企業規模要件が撤廃されます。
2つ目は「月額賃金8.8万円以上」の制限撤廃、いわゆる「106万円の壁」の解消です。今年の最低賃金は全国平均で1100円以上になる見込みです。例えば週20時間の契約で働けば賃金は月額8.8万円以上となり、賃金要件は形骸化します。撤廃時期は「全国の引上げ状況を勘案して3年以内」とされています。
賃金要件が撤廃される前であれば、賃金をそれ未満に抑えることで社会保険に加入せず家族の扶養でいられましたが、撤廃後はその道が狭まります。
国は、改正により社会保険に加入することになったパートタイム労働者への支援策を講じるとしていますが、一時的な対応に過ぎません。社会保険料の天引きにより手取りが減るパート労働者にとっては、将来の年金受給というメリットよりも、今の生活への影響の方が深刻なデメリットとなる可能性があります。
2在職老齢年金制度の見直し
年金制度が機能不全に陥りそうになっている原因には、少子化と並んで高齢化もあります。ご存じのとおり高齢者人口は増加傾向にあり、それに伴って働く高齢者も増えています。内閣府の2025年版高齢社会白書によると、2024年の65歳以上の就業者数は労働力人口の13.6%、つまり働く人の7人に1人が高齢者です。そして、その8割が高い就労意欲を持っているそうです。
しかし、その就労意欲を阻む仕組みとして「在職老齢年金制度」があります。これは老齢厚生年金受給者を対象に、年金と賃金の月額合計が51万円(支給停止基準額)を超えると、超えた額の半分が年金から差し引かれるという仕組みです。このため「働き控え」が生じているのが実情です。
今改正では、働く意欲のある人がより働きやすくなるよう、2026年4月から支給停止基準額を62万円に引き上げることになりました。
とはいえ、現在の老齢厚生年金の平均受給額は男性で約16万円、女性で約10万円です。年金と賃金の合計が62万円になるのは単純計算で46万円以上の給与を得ている人であり、この改正の恩恵を受けられるのは一部に限られるのが現実です。
4厚生年金保険等の標準報酬月額の上限の引上げ
社会保険料や年金額の計算は、賃金に応じた「標準報酬月額」をもとに行われています。ただし、この標準報酬月額には上限があり、厚生年金保険では現在65万円です。近年の賃上げにより、男性会社員の約10%が上限に達しており、保険料が相対的に低く抑えられ、将来の年金額も実際の賃金に見合わないという課題がありました。
そこで、賃金月額が65万円を超える従業員が実際の賃金に見合った保険料負担・年金受給に近づくよう、上限を75万円に引き上げることになりました。引上げは段階的に行われ、2027年9月に68万円、2028年9月に71万円、2029年9月に75万円となります。
現行の上限65万円が75万円に引き上げられた場合、本人の保険料負担は約9,100円増え、それに伴い将来の年金支給額は月額5,100円上がると試算されています。この改正は高所得者が中心ですが、65歳までの保険料収入増加により、年金財政全体にプラスの効果をもたらすと考えられます。結果として、年金受給者への再分配や生活安定にも一定の寄与が期待されます。
漠然とした不安や焦りは、制度の内容を正しく理解できていないことから生じるものです。正確な情報を得て、時代に応じた知識を深めていくことが、より良い未来を築く第一歩となります。
今回の改正では、特定の世代や立場の人が得をしたり損をしたりする場面もありますが、国全体で年金制度を持続させるためには避けられない変化ともいえます。だからこそ私たちは、改正によるリスクを理解したうえで、自分の人生設計を早めに考え、具体的な対策を取ることが大切です。
本稿では触れていませんが、今改正ではiDeCoなどの制度にも変更が加えられています。日本人が苦手とする資産運用にも関心を向け、年金だけでは足りない生活資金を補う仕組みを整えることが、安心した老後を迎える鍵になるでしょう。
あなたの老後は安泰ですか?
]]>20年以上にわたりリーダーとして経験を積み、これまでに2万人以上の人材育成に携わってきた越川慎司さん。著書『一流のマネジャー945人をAI分析してわかった できるリーダーの基本』では、管理職の負担を軽減しながらチームの成果を高めるための実践知が紹介されています。
「上司は偉い」「顧客が絶対だ」という上下関係は終わり、互いに感情を共有し、解決策を共につくる"共感・共創の時代"に突入した――と本書では指摘されています。リーダーとメンバーが「良い関係」を築くことは、成果の向上や個々の成長を実現するために欠かせないのです。
本稿では、働き方改革のプロである越川さんに、現場で効果を発揮する「コミュニケーション」の取り方について伺いました。
――「若手と何を話したらいいのか分からない」という管理職の方は多いのではないでしょうか。立場や年齢の異なる相手と、うまくコミュニケーションをとるために意識すべきポイントがあれば教えてください。
【越川】2つポイントがあります。
まず1つ目は「会議をコミュニケーションの場と勘違いしないこと」です。社内会議はコミュニケーションの場ではありません。
定例のチームミーティングでは、41%の参加者が"内職"をしているという調査結果もあります。聞いているふりをしているだけで、本当は聞いていないんです。
さらに会議はどうしても上下関係が前面に出やすく、意思決定者がファシリテーションを担ってしまうことも少なくありません。そうなると、結局は意思決定者の思いのままに話が進んでしまいます。だから会議が「お山の大将の場」になり、上司は話していて気持ちいいので会議がなくならないのです。
会議をたくさん行ったからといって腹を割って話せるようになるわけではありません。できるリーダーはむしろ会議の時間を減らし、1対1の対話を増やしています。たとえば定例会議を60分から45分に短縮して、その分を1on1に充てる。それが最初に取るべきアクションです。
2つ目は「共通点を探すこと」です。年齢や性別、国籍、バックグラウンドが違えば、話が合うわけがないです。心理学者のアドラーも「人は完全にわかり合えない」と言っているので、そもそも無理な話なんですよ。
でも仕事上は協力が必要です。だから大切なのは、過剰な気遣いを減らし、共通点を見つけることです。過剰な気遣いは生産性を落とすことがわかっています。
また、調査では相手と共通点が2つ以上あると腹を割って話しやすい関係になりやすいことも判明しました。特に効果的だったのは、飲食の話題です。
天気やニュースの雑談をしがちですが、8割以上がネガティブな内容になってしまいます。「今日は暑いな」とか「コロナが流行ってきたな」のように。そうするとテンションも下がってしまいますよね。
しかし、食べ物は誰にでも共通するテーマです。たとえば「今日のお昼にラーメンを食べて眠くなった」とリーダーが弱みを見せると、若手が「私もラーメン好きです」と返してくれる。そこから会話が広がります。
「九州の屋台ラーメンが美味しかった」といった話から、「実は僕、九州出身で」と共通点が増える。このように自然と腹を割って話せる関係性になるんです。実際、20代のラーメン好きは以前より2倍に増えているというデータがあります。
自分から腹を割って話すこと。「お昼ご飯なに食べた?」と聞いても、若い人たちは、「適当に食べました」と返すことが多い。ちゃんと答えてくれる人は、大体半分ぐらいしかいません。
しかし、リーダーが「今日お弁当を家から持ってきたんだけど足りなかったんだ。みんなはお昼何食べた?」と聞くと、8割以上の人がしっかり答えてくれます。
このように、返報性の原理で自分が腹を割れば、相手も腹を割ります。相手を観察しながら恐れずに共通点を見つけるというコミュニケーションを、会議ではなく、対話の中で行うことが大切です。
優秀なトップセールスも、最初の5分でお客様との共通点を必ず探しています。これはリーダーに必要なスキルです。
――最近では飲み会も少なくなって、コミュニケーションをとる場が以前よりも少なくなっているかもしれません。
【越川】腹を割って話せる関係性を作る「関係構築モード」では、以前は飲み会やタバコ部屋が重要でした。でも今はその文化がなくなってきています。そこで有効なのがランチです。時間外ではないし、食堂を備えている会社なら気軽に誘える。飲み会よりハードルが低いです。
また、調査で分かったのは「自動販売機の前」が一番関係性を作りやすいということ。偶然コーヒーを買いに行ったら同僚に会って、そのまま雑談になる。こうした偶発的な出会いが関係性を深めます。
1on1をルール化している企業が6〜7割ありますが、1on1はあまり会議室でやらない方がいいこともわかってきたんです。会議室でやると"面談"になってしまうので、自販機横の丸テーブルや社員食堂、近くの喫茶店など、カジュアルな場で行った方が関係はフラットになりやすいです。
飲み会ではなくランチ、タバコ部屋ではなく自販機の前...。これがうまくいきやすいコミュニケーションの場だと判明しています。
]]>嫌われるのがこわい。誰かに相談することもできず、言葉を選びながら生きてきた。――そんな著者が気づいたのは、「ネガティブ」には思いがけない力があること。漫画家・吉本ユータヌキさんの初のエッセイ集『漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間』より、公認心理師でありコーチングのプロの中山さんから「ネガティブに生きていて得られたこと」について聞かれたときのエピソードや、人に相談できないと悩む理由について綴った一節をご紹介します。
※(注記)本稿は、吉本ユータヌキ著『漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間』(集英社インターナショナル)より内容を一部抜粋・編集したものです
「へんなこと考えるやつだな」「めんどくさいやつだな」って思われるのが、なんでこわいのか、考えてみました。
この先には「へんなやつと思われると、見放されるんじゃないか」「めんどくさいと嫌われるんじゃないか」という不安につながっていて、嫌われたら、どこかで今も自分の悪口を言われてるんじゃないかって、何度も悪い想像ばかりしてしまうんです。
思い出したのは中学時代。
友達もほどほどにいて、勉強にも困ることなく、わりと順風満帆な小学校生活を送っていたぼくは、中学校に入学してすぐいじめの対象になりました。キッカケは、ぼくが教室のドアを廊下側から開けて入ろうとした時に、中にいたTくんがドアに手を置いていたため、ドアとドアの間に指を挟んでしまったことでした。ぼくはすぐに謝ったものの、Tくんはじっとぼくのことを睨み「絶対に許さん」と一言残して去っていったんです。
それからは休み時間になるたび聞こえるように悪口を言われたり、わざとぶつかられたり。教科書とか筆箱・カバンに足跡がたくさん付いていたこともありました。Tくんだけじゃなく、Tくんの友達にも広がり、ぼくは知らない同級生の男子にも嫌がらせを受けるようになりました。
それからは学校にいる間、ずっと誰かに睨まれてるように思えて、怯えていました。授業中、先生にあてられて答えるだけでも、なにか陰口を言われている気がするようになり、ぼくは「同学年の男子」という存在がこわくなってしまいました。
こんな話をすると「親とか先生には相談しなかったの?」と聞かれるんですけど、相談できるはずがない。
親を悲しい気持ちにさせてしまうかもしれない。学校に迷惑をかけてしまうかもしれない。万が一、先生がいじめてきた同級生を呼び出すなんてことがあったら、その後、余計にいじめられるんじゃないかと思って、こわくて誰にも言えませんでした。
だから極力目立たず、大人しく3年間、自分の気持ちを殺して中学時代を過ごしました。あんなに思い出したくない3年間はありません。
自分の気持ちを素直に言えない。誰かの目が気になって。
素直に話すことで誰かに嫌われてしまうかもしれない。悪口を言われてしまうかもしれない。またあの時みたいに苦しい気持ちになるかもしれない。
大人になって「さすがにもうそんなことはないだろう」と考えることもあるけど、それでも変わりきれず。相手の正解を探すように生きるクセが付いてしまっているんだなと思います。自分が我慢すればいいんだ、と。
今もまだ嫌われるということはこわくて。悩みを相談したいと思う時も、相手は女性の方か、歳の離れた男性の方がどこか安心なんです。
この先もずっとこの気持ちはなくならないんだろうなと思っています。誰と話す時も「嫌われるんじゃないか……」と怯えて頭をフル回転させながら言葉を選ぶし、そのたびにいじめてきたTくんのことを思い出して腹が立つ。比較したって仕方がないけど、悔しいからアイツらより絶対幸せに生きてやるって思っています。
今の気持ちに向き合って自分自身に「思ったこと素直に言っていいんだよ」って言いながら、素直に言えたり、やっぱり言えなかったりを繰り返しながら、ちょっとずつ素直に言える割合を増やしていきながら、生きていくしかないんだなと思っています。
「ネガティブ思考」ってやめられないものだと思っていました。
気質や性格的なもので、そう考えてしまうのは仕方ないこと。変えられないことだと思っていたので、イヤなことを考えてしまっても「どうやって忘れるか」「意識しなくなれるか」ってことばかり考えていました。
中山さんとの定期雑談会で悩みを話すたびに「ぼくはネガティブなんで」と言ってたのを覚えています。当時は深く考えず、自然にネガティブを使っていたのですが、今思うと「ネガティブ」という言葉を盾に、悩みと向き合うことから逃げていたり、暗い言葉を吐き出すことを許されたかったのかもしれません。
その行為自体だけ見ると、すごくポジティブに「ネガティブ」を使いこなしてたんだなと、気づいた瞬間は少し笑ってしまいました。
また、中山さんの「ネガティブに生きてきて得られたことは?」という問いのおかげで、「視点を少しズラしてみると自分の欠点も強みにも見える」ということに気づきました。「自分の悪い部分を探そうとする」というクセの話なんだなとわかってからは、物事をあらゆる角度から捉えられるようになり、考え方自体変わってきました。
そしてそのいろんな捉え方に対しても中山さんは「『いい・わるい』ではなく、自分はどっちの考え方が『好きか・嫌いか』で考えるといいですよ」と教えてくれました。
たしかに「いい・わるい」だと、一般的にはどうか、平均と比べるとどうかと、人の目を気にして考えてしまうけど、好みは自分の中でハッキリとある。それに人それぞれ好みが違うのは当然のこと。食べ物や人のタイプみたいなもの。
それからは、好みと状況に合わせて判断するようになり、自分の選択に納得できることが増えました。
少し前に本の取材を受けた中で、インタビュアーさんがぼくの作る本に対して「弱者に寄り添う一冊ですね」って言ってくださったんです。
決して悪意があったわけではないとわかりつつも「弱者」という言葉がぼくの中で引っかかったんです。
ぼくはぼくの描く話を特定の誰かに向けて描くことはしてなくて、生きてればどこかのタイミングで「死にたい」と思う瞬間や「なんのために生きてるんだろう」と考えて頭を抱える瞬間が、みんなあるんじゃないかと思っています。だから、「弱者」という人がいるんじゃなくて、みんな弱ってしまうタイミングがある。そんなタイミングで出会ってもらえたらいいなと思って描いています。
ぼくが「弱者」という言葉を過度に気にしているだけかもしれないですが、ぼくはぼくの本を手に取ってくれた人が「私って弱者なんだ……」って思ってほしくないんです。
ぼくは自分に自信が持てなくて、ずっと他人からもらった言葉を纏って生きてきました。
「吉本さんって面白いね」って言ってもらえたら、嬉しい気持ちを抱えながら「もっと面白くいよう」と、「いいやつだな」って言ってもらえたら、「いいやつとしてその人の近くにいよう」と。期待を裏切らないように。
「アホやな」って言われたら「自分はアホなんだな」って。
そして、そんな言葉は自分の中に染み込むとなかなか拭えなくて、ずっといつまでも残り続けてしまうんです。良くも悪くも。
だからぼくは、自分を弱者だと思ってる人も「弱者」だと思ってほしくないと思っています。今、自分で感じてる悩みも欠点も、苦しみも悲しみも、決して消化できることはないと思うけど、なにかのタイミングで全部「だからこそ」で、ひっくり返る可能性があると信じてるので。
]]>女性皇族として初めて海外で博士号を取得された彬子女王殿下。その英国留学記『赤と青のガウン オックスフォード留学記』は「プリンセスの日常が面白すぎる」という一般読者のX投稿をきっかけに話題となり、瞬く間にベストセラーとなりました。
ある日、彬子女王殿下は、愛犬に散々吠えられた挙げ句、お腹のあたりを思い切り噛まれたそうです。なぜ、そんなことになったのでしょうか? ほしよりこさんの絵とともにお楽しみください。
※(注記)本稿は、彬子女王 著、ほしよりこ 絵『飼い犬に腹を噛まれる』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
何を隠そう(別に隠してはいないのだけれど)、私は大浴場をこよなく愛している。宿のお部屋にどんなに立派なお風呂がついていたとしても、大浴場があれば、私は必ず大浴場に行く。温泉ならば、なおよしである。できるならば、到着後、寝る前、朝と3回行きたい。
お湯をわざわざためなくても、扉を開ければなみなみとお湯をたたえた湯船が待ってくれているというあの幸せ感。手足をうーんと伸ばして、外の景色を見ながらぼーっとしていると、いつの間にか時間を忘れてしまう。
そんなわけで、近頃は忙しくてなかなか時間が取れないのだけれど、友人たちと時折出かける温泉旅行は、私にとって至福の時間である。
気の置けない友人たちとのんびり温泉に浸かり、だらだらと夜遅くまでおしゃべりをして、こてんとお布団に倒れ込んで眠る。朝風呂に入り、心も体も軽くなって帰宅すると、また翌日から頑張ろうという気持ちになれる。この旅が、私にとっては気持ちをリセットするスイッチになっているのだと思う。
以前行ったその温泉旅行で驚くべきことが起こったので、御報告したい。
唐突ではあるが、私は犬を飼っている。いや、正確に言えば、私名義の犬を友人に飼ってもらっている。犬が大好きなのだけれど、犬アレルギーで共に暮らすことが難しいため、友人(自称乳母)宅で飼ってもらい、私は顔を見に始終遊びに行かせてもらっているのだ。
それでも私のことは主人と認識しているのか、私の言うことは割とよく聞くし、散歩で会う知らない人には寄っていかないのに、私の周りにいる人には初めてでも愛想よく挨拶に行くというかわいい雄犬である。
先頃その犬の子どもが生まれ、新しい飼い主に引き渡しをすることになった。
そこで初めて親子の対面をしたのだけれど、すこぶる機嫌が悪い。
知らない子犬が我が物顔で自分の家にいるのが気に入らなかったのか、私が子犬を抱いていたことに腹が立ったのかわからないけれど、散々吠えた挙げ句に嚙みついてきたのである。子犬は無事だったが、私はおかげでお腹のあたりを思い切り噛まれた。
かなり痛かったので、ちらりとのぞいてみたら強烈な赤痣になっている。「大人げない!」ときつく叱ったら、しょんぼりしていたけれど、男の嫉妬は恐ろしいということを、身を以って知ったのだった。
そんな話を、温泉旅行のときに脱衣所で友人たちにしていた。「うわー、痛そう!」「本気噛みですやん」などと言われつつ、いつものようにゆっくりと温泉に浸かって過ごした翌朝。
ふとお腹を見たら、なんと傷口が劇的によくなっているではないか。温泉の効能に、「打身 、挫きなど肌に効果があります」と書いてあったけれど、本当だった。「湯治」という言葉と歴史の奥深さに改めて感じ入り、ますます温泉好きに拍車がかかった。
友人たちの間では、「飼い犬に腹を噛まれた姫」として有名になりつつあるお話である。
]]>最初からすごいチームなんてない。
「今いる仲間」とひとつずつドアを開けていこう。
気づいたら、すごい景色が見られるかもよ?
このメッセージは、『宇宙兄弟』に登場する伝説の宇宙飛行士、ブライアン・Jが「夢」について語った言葉を、チームづくりに置き換えてみたものです。
どんなに優秀なメンバーを集めても、いきなりすごいチームが生まれるわけではありません。
本稿では、チームづくりのスタートについて解説していきます。
(宇宙兄弟c小山宙哉/講談社)
※(注記)本稿は、長尾彰著『宇宙兄弟 「制約主導」のチームワークで、仕事が面白くなる! チームの話』(Gakken)を一部抜粋・編集したものです。
「チームづくりは、何人で始めればいいですか?」
もし、あなたがこのような質問をされたら、どう答えますか?
そのチームが何を成し遂げたいかによって人数の規模は変わりますが、一般的には、「なんとなくチームとしてまとまりそう」というイメージから、5〜6人程度を思い浮かべるのではないでしょうか。
僕が実際にファシリテーターとして関わったことのある企業でも、チームの単位が5〜6人で構成されている組織がとても多いなと感じています。そのなかでリーダー職の人物を決めて、「さあ、チームビルディングをしましょう」というパターン。メンバーが選んだリーダーではなく、上司から「じゃあ今日から君がリーダーね」といきなり指名されたリーダーは、メンバーをどうまとめていけばよいのかわからず、不安を感じている場合もあります。
そんな不安を感じているリーダーを見かけたときには、「チームづくりは、ふたりから始めましょう」と提案しています。そもそも、リーダーがひとりでチームをつくろうとし、ひとりで全員をまとめようとするから大変なのです。
まずはもうひとりの仲間を見つけて、ふたりでリードしていきましょう。
チームづくりは、「Co(共同)」でリードする、「Co‐Lead(コ・リード)」から始めることを、僕は強くおすすめします。
ジョシュア・ウルフ・シェンクの著書『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』(英治出版刊)には、この「Co‐Lead」で事業を成功させた組織の事例が紹介されています。
例をあげると、アップル創業者のスティーブ・ジョブズと、スティーブ・ウォズニアック。ビートルズを結成したジョン・レノンと、ポール・マッカートニー。「投資の神様」と呼ばれているウォーレン・バフェットと、チャーリー・マンガーなど......。
この書籍に登場する人物に限らず、日本の企業においても、「1人+1人の出会い」によって偉業を成し遂げている事例は数多く存在します。そして何よりも「Co‐Lead」の魅力が盛り込まれている物語といえば、やはり『宇宙兄弟』でしょう。
物語は、兄・六太と弟の日々人が、小学生の頃に起きたある事件をきっかけに、共に「宇宙飛行士になる」という夢を抱くシーンから始まります。
時を経て日々人は夢を叶え、日本人初の月面着陸を成し遂げた宇宙飛行士に。一方、六太は、勤めていた自動車開発会社をクビになり、再就職にも苦労する日々を送っていました。優秀な弟を持ち、「"兄"とは常に弟の先を行ってなければならない」という思い込みに苦しむ六太と、そんな兄の秘めたる可能性を誰よりも信じつつ、自らの道をブレることなく突き進む日々人。
『宇宙兄弟』は、このふたりを中心に彼らを取り巻く人たちの物語です。
これがもし、どちらかひとりだけの物語だったら......?
六太は宇宙飛行士という夢を取り戻すことなく、サラリーマンとして生き続けていたかもしれません。日々人は宇宙飛行士として月に行ったとは思いますが、月面で起きた命の危機を乗り越えることはできたでしょうか。事故により宇宙服内の酸素がなくなっていく日々人の居場所を、六太は地上で予測し的中させました。もしこの救出が間に合わなかったら、日々人の物語はここで終わっていた可能性もあるわけです。
[画像:『宇宙兄弟』41巻#384]
月の水資源探査のため、カルロム洞窟から岩石を採取するミッションに向かう六太たち。探査は2度目なのにビビリ気味の六太と、はじめて訪れたにもかかわらず、ノリノリで奥へ進んでいく日々人。正反対のふたりですが、それがかえってお互いを補い合える関係に。このときも、日々人が水分を含んだポイントを発見するもルートを見失い、六太が迎えに行くという抜群の連携プレーを見せていました。(宇宙兄弟c小山宙哉/講談社41巻#384)
僕は、このふたりがお互いを補完し合っているからこそ共に成長することができ、そんな彼らの物語に多くの人たちが魅了されているのだと感じています。
完璧ではないふたりが出会い、お互いを支え合う。
これがチームづくりのスタート地点です。
さて、ちょっと話は脱線しますが......。
実在する成功者たちの事例を紹介したビジネス書籍と、マンガの『宇宙兄弟』。
このふたつを同列に扱うことに対し、「マンガはあくまでフィクションなのだから、チームづくりにおける参考事例にはならない」と感じる人もいるかもしれませんね。
僕は、こうした考え方はもったいないと思います。
そもそも、世の中に実在する企業のどんな成功事例も、当事者以外の人たちにとっては、いくつかの側面を切り取ったにすぎません。物事は視点や視座や解釈、時代によって大きく変わるし、「事実」はとても多面的で複雑に構成されています。チームづくりにおいてはメンバーや環境が異なる以上、同じ条件を満たせば成功するとも限らないのです。
チームの成功法則は、所属するメンバーでしか生み出すことができないものであり、僕たちが多くの成功事例から得られるのは「正解」ではなく、そこから導き出される「学び」や「ヒント」にすぎません。
統計学や組織論を研究するなら話は別ですが、あなたが自分たちのチームが成長する糧か てを求めているのなら、情報源がフィクションでもノンフィクションでも、柔軟に取り入れてみればよいのではないでしょうか。
大切なのはそこから何かを学ぼうとする姿勢と、メンバーみんなで考えながらトライ&エラーを繰り返し、チームづくりに活かしていくことです。
というわけで僕が伝えたいのは、「チームづくりは、まずふたりでリードすることから始めましょう」ということ。そしてもうひとつ、チームの成長を促したいのであれば、「そのひとりは、自分と違うタイプの人にしましょう」です。
これは、ゼロからチームをつくる場合だけでなく、すでに存在するチーム内でも当てはまります。また、ここでの「自分とは違うタイプ」とは、チームをリードする「スタイル」のことを指しています。
望む成果を得るために、タイプの違うふたりが組んで、パズルの凸と凹を組み合わせるようにしてチームをリードしていく。
そのためにはまず、自分の「リーダーのスタイル」がどのようなタイプなのかを知ることから始めていきましょう!
いま若い世代の間では、「一重まぶた」が人気を集めています。かつては「二重に憧れる」のが一般的でしたが、いまは一重まぶたの魅力が国際的にも認められ、美の価値観そのものが大きく変わりつつあります。韓国や日本の芸能界・モデル業界でも一重まぶたを活かした人が活躍し、海外ブランドの広告にも一重まぶたのモデルが多数起用されるようになりました。こうした時代の変化や子どもへの伝え方について、女性医療クリニックLUNA理事長・LUNAメディカルビューティーラボ所長で、女性の美と健康を幅広く支える関口由紀先生にお話を伺いました。(文・吉澤恵理)
――最近、芸能界やモデルで一重まぶたの人が活躍している気がします。本当に人気が出ているのでしょうか?
はい。韓国俳優のキム・ゴウンさんやパク・ソジュンさん、日本の鈴木亮平さんやモデルの富永愛さんのように、一重や奥二重を活かした方が国際的に高い評価を受けていますね。美の価値観が大きく変化してきているのを感じます。
――二重に憧れる人が多いと思っていましたが、一重に憧れる人も増えていますか?
実際にいます。天然で綺麗な二重なのに「一重にしたい」と希望される方も少なくありません。また、一度、二重整形手術を受けた方が「一重に戻したい」という相談も増えてきています。
――二重から一重にすることは可能なんでしょうか?
医学的には、二重の幅を狭めて奥二重や一重に近づける手術も可能です。二重整形手術の後に広すぎる二重を修正するケースで行われることがあります。
ですが、自然な二重を一重にすることは、不自然になることもあり、積極的に受けない医師の方が多いと思います。
――海外では、一重まぶたはどう見られているのでしょうか?
一重まぶたは東アジア人ならではの特徴です。欧米では、豊かな黒髪と切れ長の目を持つ人をエキゾチックで美しいと評価しています。実際、海外の一流ブランド広告には、日本の常識からすれば意外なほど一重まぶたのモデルが起用されています。日本人特有の顔つきに、もっと自信を持つべきだと思います。
――子どもが「二重になりたい」と悩んでいたら、親はどう声をかければよいですか?
外見に関する価値観は時代や文化で変わります。「一重も個性であり魅力である」と子どもに伝えることが重要です。
そして、一重か二重かに関わらず、日頃からお子さんを褒めることが大切です。しかも外見だけではなく、性格や努力、得意なことなど、内面的な魅力や特技を認めて伝えてあげてください。そうした積み重ねが、お子さんの自己肯定感を育てます。自己肯定感が高まれば、外見のコンプレックスも自然と和らぎ、前向きに自分を受け止められるようになるはずです。
美の基準は一つではありません。子どもが外見に不安を抱いたときこそ、親が個性の価値を伝えてあげるチャンスかもしれません。
]]>ビジネス書を中心に1冊10分で読める本の要約をお届けしているサービス「flier(フライヤー)」(https://www.flierinc.com/)。こちらで紹介している本の中から、特にワンランク上のビジネスパーソンを目指す方に読んでほしい一冊を、CEOの大賀康史がチョイスします。
今回、紹介するのは『知能とはなにか ヒトとAIのあいだ』(田口 善弘著、講談社)。この本がビジネスパーソンにとってどう重要なのか。何を学ぶべきなのか。詳細に解説する。
生成AIの時代になり、私たちの生活にも徐々に影響が生じてきました。ビジネスシーンの中では議事録が自動でまとめられ、Googleで検索してもAIの応答が真っ先に目に入ります。Webマーケティングの戦術も今までのGoogle広告以外に目を向けられ、画像の制作もAIが一部担うようになってきました。
AIの存在感が増してきて、人類の集合知を上回るAIと言われる超知能の足音も聞こえてくるようです。私たちの生物界における圧倒的優位がゆらぎ、AIはヒトに対峙するようになるというマトリックスやターミネーターのような映画の世界観も、非現実的とは言い切れないという不安を抱える有識者も多くなっています。
ただ、生成AIというものが意思や意識を持つようになるのかと言われると、そうとも言えそうですし、そうではないという気もします。ただ、その可能性は多くの人たちに恐怖を与えていることも事実です。
今、急激に進化をしている生成AIが持つ深層学習の仕組みは、20世紀末に物理学者が盛んに研究をしていた「非線形非平衡多自由度系」と言えるそうです。2つのものの関係が直線的な関数ではないものを非線形と呼びます。非線形な現象は予測困難であることが多いとも言われています。時間的に変化しているものは非平衡、非線形のものが多く集まるとおのずと多自由度となります。
ChatGPTに代表されるAIは、その頃に物理学者が研究した非線形非平衡多自由度系のシミュレーターの亜種となります。本書では、物理学者としてキャリアを積まれた著者だからこそ、AIに対して客観的で科学的な姿勢で解説されています。
著者は知能とはなにかというところに立ち返り、「ヒトの知能」を「人間の大脳の機能」と定義しています。つまり、知能は計算能力などのパフォーマンスの達成度ではない、という視点がユニークなところです。
随分前からヒトは機械に計算スピードや正確性で凌駕されていました。生成AIのように言語能力を備えたところで、それが知能なのかは別問題ということになります。
つまり、大脳という機能をコンピュータのようにハードとソフトに分けることは難しいのではないか、という視点も加えられます。ハードとソフトに分けるという考え方は、デカルトの「我思う、ゆえに我在り」で始まった心身二元論を起源とします。その思想が後のチューリング-ノイマン系列のコンピュータとなり、ハードとソフトが分離するようになりました。
そして脳の神経細胞であるニューロンの集合とAIの構造的な柱となるニューラルネットワークは、全く質感が異なるものとも言えます。ニューロンの集合としての脳の働きは、ほぼ解明できていない状態であり、ハードとソフトが一体となっていることがヒトの脳の重要な特性でもあるからです。
読者の皆さんは、では生成AIとは何なのか、ということに疑問を持つかもしれません。著者の答えは、世界シミュレーターの1つ、とされています。そしてポイントとしては、人間の脳も世界シミュレーターの1つであり、それらは別の世界モデルを持っているといいます。
そのどちらが優位なのかはどちらともいえず、質が異なる、ということかもしれません。例えば、子供が何回か犬を見れば、犬という概念を理解します。概念の認識に必要なサンプルの少なさはヒトの脳の特長であり、AIであればその何千倍から何万倍ものサンプルを必要とします。おそらく人間の世界モデルの方が、生成AIの世界モデルよりも圧倒的に現実に近いからだとされています。
なお、その逆に生成AIの方が圧倒的に優れたパフォーマンスを示す領域も多くあります。画像作成のスピードや文章処理のスピードは、すでにAIが圧倒的ですし、変数の多いものを総合的に考える能力もAIが上回っているように感じられます。そのため、パフォーマンスの達成度で見て、人間の脳を超えたのかどうかなどを見てもしようがないのだとも言えます。
そして、今後のAIの方向性としては、今までのニューラルネットワークをベースとした生成AIとは全く別の、第3第4の世界シミュレーターが現れていくだろう、とされています。今のAIの構造やヒトの脳の構造ではなくとも世界シミュレーターはできるという主張には説得力があり、本書を読んだ私自身もそのような未来になるような感覚を持ちました。
今までのことを踏まえると、いずれシンギュラリティを迎えて、AIが意思をもち生命を獲得し、人類の脅威となるという議論は随分現実と飛躍した論理であると著者はいいます。
ここからは私見です。まずAIが人類の脅威であるという可能性は否定できないとは思いますが、人類の脅威は何もAIに限ったことではありません。AI自体が脅威というよりは、核兵器や生物兵器などを人間が悪用することの方が現実的な脅威になるようにも思います。私たちは今の時点でも、人類にとって破壊的なものに囲まれています。大切なのはそのような脅威をコントロールする術を人類として獲得していくことだと考えられます。
その方法としては、『NEXUS 情報の人類史』でユヴァル・ノア・ハラリが言うように強力な自己修正メカニズムを持つ制度や機関を構築して、適切で有効な規制を設ける方向性も一つとしてあるでしょう。AIの未来を完全に見通せる人はいないでしょうから、修正の利く範囲の失敗から学び、よりよい活用を見出していきたいものです。
本書は知能というものを根源から考え、AIというものを改めて客観視させてくれます。先月紹介した『NEXUS』以上に、客観的でAIへのリスペクトを感じる点は、鉄腕アトムとドラえもんの国の思想だからなのか、著者が物理学者でより客観的にヒトをとらえているのか、いずれにせよ面白いところです。
本書はAIが導く未来に不安な多くの人にとって、少し落ち着きを取り戻し、地に足をつけた議論ができるようになる優れた作品です。今を生き、知性を駆動する多くの人に読んでいただきたい一冊です。
]]>越川慎司さんはマイクロソフトの業務執行役員を務めたのち、現在はクロスリバー株式会社を設立。これまでに800社以上の業務改善や働き方改革を支援してきました。著書『一流のマネジャー945人をAI分析してわかった できるリーダーの基本』では、マイクロソフトCEOサティア・ナデラ氏とのエピソードや、優れたリーダーに共通する特徴についても語られています。
本稿では、「優れたリーダーとはどんな人物なのか」を越川さんに話を伺いました。
――書籍『できるリーダーの基本』には、優秀なリーダーは、「偶然の会話」を引き寄せるための戦略として、フリーアドレスでは少し奥まった場所や壁際に座ることが調査でわかったと明かされていました。これには驚きましたが、他にも優秀な人が共通して持っている特徴があれば教えてください。
【越川】できるリーダーの共通点は、実は「仕事」よりも「人」に興味を持っていることです。メンバーに対して強い関心を持つ。逆にうまくいっていないリーダーは、矢印が自分に向いてしまっています。「俺は忙しい」「俺の話を聞け」という状態ですね。
人は相手に興味を持つと、会話の接点を探そうとします。その接点は、物理的に近いほうが生まれやすいこともわかっています。たとえば「いつでも相談して」と言っても、実際には相談してくれないことが多い。ならば、隣とはいかなくても近くに座って様子を見てみる。そうすることで会話のきっかけが生まれます。
調査では、優秀なリーダーは週に平均2.5回以上「今ちょっといいですか」と声をかけられていました。メンバーに興味を持ち、物理的にも近づくことで、相談される環境を自然につくっているのです。
――意識的にでも、相手に興味を持つことが必要なんでしょうか。
【越川】そうですね。目の前の業務だけをこなしていてもチームの目標は達成できません。まだ開花していない能力をどう見つけ出してあげるかが、自走する組織づくりにつながります。統計的にも、他人に関心を持ちやすい人ほど成果を出していることがわかっています。
――最近は出社が増えて「今ちょっといいですか」と部下に声をかけられる回数が増え、業務が大変になったという話も聞くのですが...。
【越川】これについては3つのステップで考えていきます。
まず最悪なのは、相談したいのに相談できない状態。相談できずに問題を抱え込んでしまうので、コンプライアンス問題を招きやすく、組織として最も危険です。だから忙しくても「声をかけられる状態」であること自体は間違っていません。
2つめのステップは、声をかけられる回数をどう減らすかです。本来なら「まず自分で考える→やってみる→それから聞く」の順が理想です。「いきなり管理職に聞く」のは組織としてあまり正しくはないですよね。時計を見れば分かるのに「部長、今何時ですか」と聞くのは失礼じゃないですか。
「これってどうやればやればいいんですか」と聞かれても、部長にしてみれば「それ社内ポータルに書いてあるよ」ってことですよね。でもそれを頭ごなしに否定するとコンプライアンス問題が起きてしまいます。
そこで優秀なリーダーが行っているのが、「反応」と「決定」を分けることです。「今ちょっといいですか」と声をかけられたら、できるリーダーが言うのは「もちろん」の一言だけなんですよ。
まずは一言「もちろん」と返す。そのあとで決定、つまり代替案を言えばいいのです。「社内ポータルに書いてあるよ」とか「明日でもいい?」、「吉田さんに聞いてみて」と代替案を示すのです。
これを分けずに「そんなことも分からないのか」と頭ごなしに言ってしまうと、部下は萎縮して二度と相談しなくなります。関係を維持しながら自分で考える力を育てる。そのために「反応」と「決定」を切り分けるのが有効です。
――越川さんはこれまでに多くのトップリーダーと出会ってきたかと思いますが、特に「この人はすごい」と感じたエピソードを、ぜひ教えてください。
【越川】私が「この人はすごいリーダーだな」と思う人には共通点があります。
1つ目は、任せてくれる人です。これはつまり「信頼されている」ということですよね。
マイクロソフトCEOのサティア・ナデラ氏の言葉で、私が一番感銘を受けたのは、彼がまだ社長になる前、副社長時代の発言です。アメリカ本社で「もっとローカルに出よう」と言ったんです。映画でいうと「事件は会議室で起きていない、現場で起きているんだ」ということ。つまり「現場にもっと権限を与えよう」という意味です。
この発言が、各地域の人たちにどれだけ勇気を与えたか...誰もが「信用されている」と感じたはずです。裏でコソコソ決めるのではなく、権限を手放す――その勇気に強く感動しましたし、のちに彼が社長になった時は、本当に良かったなと思いました。やっぱり「任せられるリーダー」こそすごいリーダーだと思います。
2つ目は、人前で褒めるリーダーです。例えば、マイクロソフト在籍時の上司は、人前で「越川さんはこれまでに来たメンバーでベストだよな」と言ってくれました。盛ってくれている部分があるとは思いますが(笑)、そう言ってもらえると、1対1で褒められる以上に嬉しいものです。
その場では恥ずかしいですけど、人前で褒められることでモチベーションはすごく高まります。手放す勇気と、人前で褒める力――この2つを持つ人が優れたリーダーだと思います。
]]>オンラインで従業員サポートを行う企業向けサービス「Smart相談室」が、東中野の老舗銭湯「松本湯」とコラボレーションし、イベント「もやもや洗湯 〜洗い流して、心ととのう〜」を10月13日(月)まで開催しています。
湯に浸かりながら自分の気持ちを見つめ直す――そんな体験を通して、"相談すること"のハードルを下げたいという思いが込められています。開催に先立って行われたトークでは、Smart相談室代表・藤田康男さんと松本湯店主・松本元伸さんが、銭湯とメンタルヘルスの新たな可能性を語り合いました。
10月10日の「世界メンタルヘルスデー」にあわせて開催中のイベント「もやもや洗湯」は、東京・中野区にある銭湯「松本湯」とコラボレーションし、誰もが自分の気持ちに向き合える時間を提供する試みです。
企画を担当したSmart相談室の広報・宮田有利子さんは、2000名以上のユーザーに実施したアンケート結果をもとに、このプロジェクトの背景を語りました。
「アンケートでは、多くの方が『自分の気持ちやモヤモヤに向き合う機会がない』と感じていることがわかりました。とくに40〜50代の方々では、いくつもの悩みを抱えながらも、誰かに相談できないという声が多く寄せられています」と宮田さん。
Smart相談室が行った40〜50代の男女415名への調査では、実に40%以上が「悩みがあっても我慢する」と回答しました。職場での責任の増加、家庭や介護、老後資金といった現実的な課題を抱えながら、相談できる相手がいない――。「この世代が、いま最も孤立しやすい」と指摘しました。
世界的にも幸福度が最も低くなるのは48歳前後と言われており、40〜50代のメンタルヘルスは社会全体の課題とも言えます。Smart相談室としては、悩みが深刻化する前に当たり前に相談できる文化を広めたいと考えています。その一環として、"もやもや"を"洗い流す"という銭湯ならではの体験を組み合わせたのが、今回の企画です。
このイベントでは、銭湯のあらゆる場所に「自分と向き合う」ための仕掛けが散りばめられています。脱衣所や洗い場には、心の状態や悩みに気づくきっかけとなる「問いかけ」のメッセージが掲示されています。
休憩スペースには「スマソウポスト」が設置され、来場者は今感じているモヤモヤをはがきに書いて投函することができます。わざわざ相談するのは気が引けるという人でも、気持ちをじっくり吐き出すことができる――Smart相談室ならではの試みです。
また、期間中には、はがきを投函した方の中から抽選で10名に銭湯入浴券(5500円分)がプレゼントされます。銭湯を愛する人にも嬉しい企画です。
松本湯は、東中野で三代にわたり続く老舗の銭湯です。2021年にクラウドファンディングを経て全面リニューアルを果たし、伝統と新しさを併せ持つ空間へと生まれ変わりました。清潔感のある内装や心地よいサウナが評判を呼び、銭湯・サウナ愛好家のあいだでも高い人気を集めています。
店主の松本元伸さんは、「湯船に浸かることを、もっと日常の習慣にしてほしい」という思いを話してくれました。
忙しさのあまり、ついシャワーで済ませてしまう人が多い現代。松本さんは「数分でもお湯に浸かるだけで、体も心も軽くなる」と話し、湯に浸かることが"心のメンテナンス"にもつながると強調します。湯の中でぼんやりと過ごす数分間が、思考をリセットし、気持ちを整える時間になる。そうした"自分と向き合う小さな時間"を取り戻してほしいという願いを持っています。
松本湯の特徴について、トークの中で話題になったのは「温度」でした。松本さんによると、松本湯では様々な温度のお風呂を用意することにこだわっているといいます。熱めが好きな人もいれば、ぬるめを好む人もいる。入り方も人それぞれで、熱い湯とぬるい湯を行き来する人、サウナのあとに長めに湯船に浸かる人などさまざま。とくにサウナの"ちょうどいい温度設定"には力を入れているそうで、サウナ愛好家たちが何度も訪れる理由のひとつになっています。
[画像:もやもや洗湯]
松本湯店主・松本元伸さん
松本さんは「銭湯は日本の文化であり、公衆衛生を支えてきた場所」と語ります。かつて銭湯は、地域の人たちが自然に集まり、日常を語り合う"社交の場"でもありました。そうした文化を受け継ぎながら、現代の暮らしに合わせた形で銭湯を開き続けることが、自分たちの使命だといいます。松本湯では、昔ながらの温もりを守りつつ、清潔さや快適さなど、現代人の感覚に寄り添う工夫も欠かしません。
[画像:もやもや洗湯]
Smart相談室代表・藤田康男さん
Smart相談室の藤田康男さんは、今回の企画を通じて「10月10日は"銭湯の日"であり、実は世界メンタルヘルスデーよりも前に制定されていたことを初めて知った」と話します。偶然のようでいて象徴的な日程に、「心と体を整える文化が日本にはもともとあった」と気づかされたといいます。
藤田さんは「銭湯が持つ開かれた空気の中に、相談文化の原点がある」とも語りました。かつて銭湯は、人々が湯に浸かりながら自然と会話を交わし、悩みを打ち明ける場でもありました。現代では人とのつながりが希薄になり、相談が"特別な行為"になりつつありますが、「本来はもっと気軽でいい」と藤田さんは強調します。
Smart相談室の調査では、40〜50代の多くが「相談できない」と感じており、背景には「弱いと思われたくない」という世代特有の意識があると分析します。「銭湯のように、構えずに立ち寄れる場所があることが大切。湯上がりの安心感や解放感の中で、自分の気持ちに気づける」。心と体を分けずに整えるような体験こそ、いまの社会に必要なケアの形かもしれません。
Smart相談室は、人と組織のあいだに生まれる"相談のしづらさ"を解消することを目的に設立されたサービスです。代表の藤田さんは、前職で組織マネジメントを担当していた際、退職者やメンタル不調者が相次ぐ現場に直面しました。産業医の導入やアンケートによる社員調査など、企業としての対応は進んでも、「面談が設定されたときには、すでに状態が悪化している」現実に疑問を持ったといいます。
「もっと早く相談できていれば変わっていた」。そう話す人たちの声から、藤田さんは"日常的に相談できる仕組み"の必要性を痛感しました。調子が悪くなってからではなく、悪くなる前から話せる場所をつくる――その発想から生まれたのがSmart相談室です。
現在は全国約800社、15万人以上が利用し、累計相談件数は3万件を超えています。仕事の悩みだけでなく、家族、恋愛、将来など、どんなことでも気軽に話せる環境を整え、「相談を特別なことにしない社会」を目指しています。
藤田さんは「相談のハードルを下げるため、アプリのUIはあえてシンプルで親しみやすいデザインにしている」と話します。カウンセリング系サービスの多くは文字情報が中心で堅い印象になりがちですが、メンタル不調の人にとってはそれ自体が負担になりかねません。そのため、Smart相談室では"わかりやすさ"を重視したデザインにこだわっているといいます。
一方で、機密性の確保にも徹底しています。相談内容は原則として会社側には共有されません。「社員の悩みがわからないなら導入できない」と言われることもあるそうですが、それでもその姿勢を貫くのは、「誰もが安心して相談できる文化を育てたい」という理念が根底にあるからです。
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銭湯という日本の文化に触れながら、自分の心と体を見つめ直すきっかけとなる今回のイベント。お湯に浸かるように気持ちをほぐし、「相談する」ことをもっと身近に感じる人が増えていけばと思います。
【松本湯】
・営業時間
平日、土曜 14:00〜24:00
日曜 8:00〜12:00/15:00〜24:00
・定休日
木曜(祝日の場合は営業。翌日振替休業)
詳しい情報は公式ページをご確認ください
https://www.matsumoto-yu.com/
]]>女性皇族として初めて海外で博士号を取得された彬子女王殿下。その英国留学記『赤と青のガウン オックスフォード留学記』は「プリンセスの日常が面白すぎる」という一般読者のX投稿をきっかけに話題となり、瞬く間にベストセラーとなりました。
本稿では、彬子女王殿下のお側で警衛にあたる「側衛さん」への思いが綴られています。ほしよりこさんの絵とともにお楽しみください。
※(注記)本稿は、彬子女王 著、ほしよりこ 絵『飼い犬に腹を噛まれる』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
先日友人に、「彬子様にとって、側衛さんって一番近くにいる他人ですよね」と言われた。「なるほど」と思った。
でも、いまひとつピンとはこなかった。なぜかと考えてみて気付いたのは、私は側衛が他人だという感覚があまりないということである。
皇宮警察の護衛官(側衛)は、私が生まれたときから側にいる。物心ついたときから、一緒にいるのは当たり前だったし、宮家の職員も、皇宮警察、警視庁、各道府県警の人たちも、家族のように思ってきた。
ずっと「お父さん」のように思ってきた側衛たちとの年齢差が徐々に縮まっていき、1歳年上の「お兄さん」がやってきたときは愕然としたものだが、今はあまり手のかからない「弟」とも仲よくやっている。
我が家は代々個性が強めの側衛がやってくる傾向にあるのだが、私に「護られる」ことの意味を教えてくれた人がいた。彼は、国士舘大学国防部出身の、筋金入りの「国士」だった。
学生時代、同期の友人と遊びに行き、お茶を飲んでいたときのこと。友人が側衛さんに、皇宮警察とは何かを根掘り葉掘り聞いていた。知っていることも多かったので、なんとなく耳を傾けていたのだが、ある話がずんと心に刺さった。
皇族を護ることを警衛、要人を護ることを警護、モノや建物を護ることを警備という。
「要人警護は、その人の立場を護るものだけれど、皇族は、存在そのものが大切なのであり、彬子様の代わりはどこにもいない。だから我々は命を懸けて御護りしなければならないし、そんな大事な仕事をさせてもらえていることを俺は本当に幸せに思っているんだよ」と、友人に真摯なまなざしで懇々と語っているのを聞いたとき、私は初めて自分を護ってくれている人がどのような思いで任務にあたっているのかを知り、背筋が伸びるような思いがした。
これが、警察の人たちに「この人を護れてよかった」と思ってもらえる人間にならなければいけないと私が思うようになったきっかけだった。ちなみに友人は、この話を聞いて以来すっかりその側衛さんのファンになり、まるで舎弟かのように慕っていた。顔は怖いけれど、心の熱い一本気な魅力のある人だった。
彼は結婚するとき奥様に、「自分は皇族方の盾になって、いつ死ぬかわからない。そうなったとき、顔を見なかったと君に後悔してほしくないから、どんなことがあっても毎朝見送ってほしい」と頼んだそうだ。
新婚当初は家の角までだったのが、玄関先になり、玄関の内側になってはいるけれど、奥様はどんなに朝早くても、喧嘩をした翌日でも、体調が悪くても、必ず見送ってくれるのだそうだ。職務に忠実で、奥様思いの彼らしい話。こんな人に護られている私は幸せだと心から思った。
担当を離れた今でも、何かあると彼に相談したり、意見を求めたりする。心が揺れかけたときでも、ぶれない答えをいつも返してくれる彼は、信頼できる大切な「家族」のひとり。一番近くにも、遠くにも、私には血のつながらない家族がたくさんいることを心強く思っている。
]]>[画像:江戸酒おとこ]江戸時代から人気の、神田・豊島屋酒店の田楽。小説にも登場。
秋。日本酒のおいしい季節です。各地で酒造りもはじまっています。時代小説に新風を吹き込み、出版界はもちろん日本酒業界でも話題の『江戸酒おとこ』の著者、吉村喜彦さんに、作品への思いやテーマ、その背景について聞きました。(インタビュー:上杉朗/写真:吉村喜彦)
――はじめての時代小説とうかがいましたが、なぜ時代小説を?
吉村(以下Y):作家になる前は、サントリーで宣伝の仕事をしていました。洋酒やビールに関しては興味や知識もあり、たびたび小説のテーマにしてきました。で、書いていないお酒のジャンルは何かなと思ったら、日本酒が残っていたんです。
――でも、どうして江戸時代?
Y:日本酒といえば、清酒。清酒はちょうど関ヶ原の戦い(1600年)の頃、伊丹で誕生したといわれています。それ以降、上方で質の高いお酒が造られていきました。日本酒を書くなら、その原点である江戸時代からじゃないかと。
[画像:『江戸酒おとこ』にも登場する江戸の豊島屋酒店。白酒売り出しの賑わい。]
『江戸酒おとこ』にも登場する江戸の豊島屋酒店。白酒売り出しの賑わい。
――江戸でよく飲まれていたのは、上方から下ってきた酒だったんですよね?
Y:人気があったのは、最初は伊丹や西宮、やがて灘...と下り酒でした。小説のテーマを「酒造り」にしようと思ったとき、まず浮かんだのは灘。ぼく自身、大阪生まれですし、身近なのは灘でした。
でも、ぼくは母が東京生まれなので、子どもの頃、東京弁を大阪でしゃべると、言葉が違うことでいじめられた。その経験がぼくの言葉や生き方の根本にあります。要するに、大阪で、ぼくはマイノリティでした。
――だから主人公の小次郎も灘の酒蔵の息子だけれど、母親が江戸生まれに?
Y:ええ。江戸と大坂の、いわばハイブリッドな主人公が、ちょっと開放的な気分で、憧れの江戸に向かう。
――小説冒頭の、小次郎が船で江戸にやってくるシーンの晴れ晴れした感じは、そんなところにあるんですね。
Y:松平定信の頃、上方に負けぬ酒を関東で造ろうとした「御免関東上酒」というプロジェクトを知ったのも、江戸の酒造りを書く動機になりました。灘の酒は、いまも菊正宗や白鷹などとても好きなんですが、灘を書くのはちょっとありきたりかなと思いました。
つねに勝っている酒を書いてもつまんない。書くなら、劣勢で悔しい思いをしてる方が面白い。たとえば阪神タイガースが勝っていてもあまり面白くない。負けているタイガースを、「がんばれ!」と応援するのがいい。そんな感じ。
――たしかに酒飲みは判官びいきですもんね。しかし、江戸に造り酒屋があったというのは驚きでした。江戸のどの辺りで造っていたんですか?
Y:おもに隅田川近く。『江戸酒おとこ』に登場する山屋という蔵元は実在の酒屋。その名も「隅田川」という酒を造っていました。仕込み水は、いまのアサヒビール本社あたりの井戸水を使っていたようです。かつて札幌麦酒の工場もありました。いい水がないとビール工場はできません。
山屋は浅草雷門の真ん前、並木町にありました。「ありやなしやと振ってみる隅田川」という川柳などもあり、江戸っ子に親しまれたお酒だったようです。
「灘の酒よりも安くて、しかも美味い」と評判だったようです。戦後のトリスウイスキーのキャッチフレーズ=「うまい、やすい、トリス」と同じだ、とひらめきました。そういえば、江戸時代、水割り酒を飲んでいたことを知ったのも衝撃で、これらのことが創作のヒントを与えてくれました。
――ウイスキーの水割りはありますが......。
Y:会社員時代、薄い水割りをちびちび飲むおじさんたちにものすごい反発がありました。いまは水割りがハイボールに替わり、でかいジョッキで薄いショボショボのハイボールを飲む......。売るために工夫しているのはわかるけど、それでは味が台なしじゃないか。そんな思いが「江戸の水割り酒」を知って、ムラムラッときたんです。
――どう、ムラムラッときたんですか?
Y:サントリー時代、「水割りではなく、まずはストレート」と思い、「山崎」や「白州」というシングルモルト・ウイスキーのキャンペーンに関わりました。ストレートで勝負できない酒はダメ、と思っていた。「江戸の水割り酒」を知ったとき、同じ思いを抱きました。なんとかストレートで勝負する江戸酒を造らなきゃ。そう思ったひとは、絶対にいたはずだと。
府中の大國魂神社に奉納された東京の地酒(江戸酒)。
――そして、主人公・小次郎は仲間をつのって、原酒で勝負する酒を造っていくんですね。そのメンバーがちょっと面白い。はぐれ者が多くて、魅力的です。
Y:まず、小次郎。短気でコンプレックスのかたまり。相棒の福山脱藩浪人・龍之介は、藩内の派閥闘争のあおりを食って、泣く泣く妻とわかれ、地位も捨てて江戸に出てきたが、藩では酒造りの第一人者だった。琉球人・海五郎は、薩摩藩に支配されるのが嫌で逃亡してきた男。 そのほか願人坊主や瓦版売りなどが蔵人になりますが、かれらは酒造りの素人。
小次郎はかれらを直感的に見込みがあると思って、スカウトする。そして、小次郎が恋する娘・お凜は目がわるく、一人歩きもなかなか覚束ない。しかし、嗅覚や聴覚が鋭く、彼女も酒造りに関わるようになる。小次郎の仲間たちは、どこか欠落がある。周縁の人が多いです。 文化(=酒)は周縁に生まれますから。
――それぞれが弱点を補いあって、良いモノを造っていくのが爽快でした。
Y:ぼくは、ブレンディッド・ウイスキーというのが組織のあり方の理想だと思うんです。ウイスキーというのは、一樽一樽、まったく個性が違う。尖ったもの、ひねくれもの、ふくよかなもの......それらをブレンダーが混ぜ合わせて、それぞれの個性を活かすような、大きな「円いもの」をつくりあげていく。これは編集力だし、クリエイティブなマネージメントそのものです。
――さまざまな個性をもった人を率いて、上質な酒を造った小次郎は、マネージャーとして優れていた?
Y:結果としては、そうですね。ただ、かれ自身が若くて、性格的にまだまだ問題がありますが(笑)ま、若い酒は尖っているけど、熟成すると円くなります。それと同じ。
――とくに琉球出身の海五郎がイイ味を出していると思うのですが。
Y:ぼくは沖縄が好きです。なぜ好きかと言えば沖縄人(ウチナーンチュ)の優しさ、懐の深さ、やわらかさ、何より、外に向かって開かれた感性が好きなんです。琉球王国は貿易国家でした。さまざまな人や文物を受け入れ、自らも移民となって生きてきた。ちいさな島国であるがゆえに、「開かれた」国だった。
酒の蒸留技術も日本より早く渡ってきて、それが泡盛という名酒を生みました。そんな「開かれた」琉球のシンボルとして海五郎が存在します。江戸(日本)は一般的に「閉ざされていた」と思われるけれど、はたしてそうか?そういう疑問がずっとあるので、閉鎖性をブレイクスルーする人間として、琉球人の海五郎を考えました。
[画像:江戸酒おとこ]海を渡ってやってきた酒が、混じり合って美味しくなった
――いま、排外主義がはびこるこの日本で、とても大事な視点ですね。
Y:閉ざされた日本は息が詰まるし、危険です。そこからは何も生まれません。日本って、すぐ「攘夷」に傾く。ほんとに視野が狭い。そんなやり方で、世界とコミュニケートなんかできない。日本酒は世界史のなかで生まれたんだと気づいてほしい。
メソポタミアに生まれ、インド、タイ、中国と旅をして、沖縄の泡盛になり、それが焼酎になる──という蒸溜酒の歴史が、日本の酒につながってるんだよ、ということを言いたいんです。だから、雑多で欠落のあるひとたちや、異人に酒造りに加わってもらいたかったんです。
――そういう深い歴史認識のもとに書かれているんですね。いまエンタメ系時代小説って、歴史や文化をどう見るのかという骨のないものが多いですが、それがこの小説にはあるんですね。
Y:骨を見せるのは、野暮。それをいかに面白おかしく伝えるか。それがエンターテインメントだと思うんです。思想や哲学は行間にあらわれてくるんで、理解していただけるかどうかは、読者のリテラシー次第です。ぼくにとって、「日本スゴイ」みたいな時代小説はまったく無意味。
ぼくらの暮らす日本の文化が、いかに混じり合っていて、ブレンディッド・ウイスキーみたいに豊かなのかを、楽しみながら知ってほしいんです。「混じり合えば、おいしい」んです。
――並木町・山屋の蔵人たちの多様性が、おいしい酒を生みだしたんですね。
Y:お酒の味は、人間味です。そのあたりが出ていれば、と思います。それと、「時代小説を書こう」というより、「日本酒造りのことを書こう」と思って書いたら、たまたま江戸時代になりました。なので、「時代小説」というジャンルに括られず、フツーの現代小説のように、読んでもらいたいんです。
――たしかに、すぐれて現代的な問題をテーマにしていますよね。日本の根にある問題点というか。
Y:小次郎のいた江戸を、フィリップ・マーロウのいたロスアンジェルスみたいな感じで、想像してもらえれば(笑)
――『江戸酒おとこ』を読むと、酒造りのこともわかりやすく書いているので、「なるほど、そうやってお酒ができるのか」という勉強にもなります。東西の文化が混じり合うところで生まれた山屋の酒、という観点で読むと、また新しい世界がひらけてきます。時間や空間を飛びこえる旅ができる小説なんですね。今日はどうもありがとうございました。
[画像:江戸名物、天ぷらと酒。 府中の大國魂神社に奉納された東京の地酒(江戸酒)。]
江戸名物、天ぷらと酒。
親の「応援」が、子どもを追い詰めてしまうことがあります。広陵高校の事件を機に注目されるスポーツハラスメントは、指導者だけでなく保護者も加害者になり得るのです。
子どもを守るために必要な視点を、日本アンガーマネジメント協会ファウンダーでスポーツハラスメントにも詳しい安藤俊介さん、そして同協会に所属し、スポーツ指導者に向けた研修も担当する松島徹さんに伺いました。
――子どもたちのスポーツ指導の場では保護者の存在も大きいと思います。保護者が気づけるハラスメントのサインや「ここは明確にアウト」と言えるポイントはあるのでしょうか。
【松島】実は、スポーツハラスメントは指導者だけが起こすものではなく、保護者が加害者になるケースもあります。例えば、試合中に子どもが倒れると「すぐ立ち上がれ」「走れ」と無理をさせたり、ケガを軽視して叱責する。
応援に熱が入りすぎて、結果的にハラスメントになってしまうのです。だから「保護者が気づけるか」というよりも、そもそも親自身が加害者になり得ることを自覚することが重要です。指導者やコーチ同士で声を掛け合い、相互に注意できる関係をつくることが不可欠だと思います。
――たしかに、公園などでも、子どもに厳しくスポーツを教える親御さんを見かけることがあります。
【松島】プロチームの現場では「指導は私たちがやるので、保護者の方は見守ってください」と伝えているケースもあります。指導者側も「どんな声かけをすればいいか」を学び続けていますし、保護者には見守りに徹してもらう。その線引きが重要です。
熱がこもるのは悪いことではありませんが、ポジティブな声かけに限るべきです。例えば「なぜそんなミスをするんだ」ではなく「次がんばろう」と切り替えを促す言葉にする。これが大切です。
――かつてのスポーツ漫画やドラマでは「親も一緒に厳しく叱る」ようなシーンも多かったですね。
【松島】最近は、プロの指導映像がインターネットですぐ見られるため、保護者が必要以上に高いレベルを子どもに求める傾向があります。本来ならもっと上の年代で行うべきトレーニングを小学生に要求し、できないと叱責する。それがハラスメントにつながっている。情報が簡単に手に入る時代だからこそ、逆に問題が増えていると感じます。
【安藤】これはスポーツに限りません。学校の成績や受験でも同じで、親が「自分の人生のやり直し」を子どもに投影してしまう。自分が果たせなかった夢を子どもに託すこと自体が悪いわけではありませんが、それが子どものためなのか、自分の不安解消のためなのか。そこを見極めることが大切です。
――子ども自身はハラスメントだと認識できないこともあります。子どもたちが声を上げられるようにするにはどうすればよいでしょうか。
【安藤】まずは「スポーツハラスメント」という概念を浸透させることです。現在、相談窓口があり、相談件数は増えています。これは実際に件数が増えたというよりも、「これはおかしいかもしれない」と気づける人が増えた結果でもあります。
実際に寄せられる相談の9割は高校生以下で、その半数が小学生からです。むしろ下の世代のほうが意識が高まっている。世代が下がるほどハラスメントへの感度が高くなっているのは、社会全体としての前進だと思います。
――小学生の段階で意識が浸透し始めているのは驚きです。
【安藤】一方で、意識が高まると「ではどう指導すればよいのか分からない」という課題も生まれます。これはパワハラ問題と同じです。意識を高めつつ、適切な指導法を学ぶ機会を増やしていくことが重要です。
――今回の広陵高校の件から、教育やスポーツ文化全体が学ぶべき教訓は何でしょうか。
【安藤】「何のために教育をするのか」を改めて問い直すことです。本当に子どもの成長のためなのか、それとも学校や指導者のためなのか。今回の件で広陵高校が受験生を減らすような事態になれば、初めて学校も気づくでしょう。社会もまた「どの学校や団体に子どもを預けるのか」という視点で判断するようになっていくと思います。
――大きなニュースにならないと気づかれないことも多いですね。ここからは実践・対策について伺います。スポーツの現場は上下関係が強く、閉鎖的になりがちです。健全な人間関係を保つために、指導者ができるマネジメント上の工夫はありますか。
【安藤】その点は、松島が行っている講座の内容が参考になると思います。
【松島】指導の中で「叱る(注意する)べき場面」は大きく4つに分けて考えています。
選手の成長のため:成長を促す意図で、具体的な改善点を示す。
安全の確保:ケガや事故につながる行為を止め、是正する。ここは最優先です。
チームの規律:ルールを守り、全員が公平にプレーできる状態を保つ。ただし、罰としての過度な制裁は不要で、やり方に注意が必要です。
姿勢・態度:明らかな手抜きや、チームに悪影響を及ぼす態度に対する指導。
いずれも「怒る」こと自体が目的にならないよう、声かけの質を重視します。例えば「ちゃんと守れ」「しっかり走れ」ではなく、野球なら「長打が出やすい打者だから守備位置を2メートル下げよう」と具体的に伝える。何をすべきかが分かる声かけが、ハラスメントの予防につながります。日本スポーツ協会の調査でも、スポハラの要因として指導者の知識不足が挙げられています。だからこそ、適切な声かけやNGワードを学ぶ機会が重要なのです。
――教員やコーチ自身が、学び続ける姿勢も大切ですね。
【松島】スポハラに限らず、パワハラを含むハラスメント全般で知識不足が発生要因になります。正しい知識があれば「今の対応はOKか、NGか」を自分で判断できますが、知らなければ気づけません。
――コーチや教員が自覚を持てない背景には、どんな要因がありますか。
【松島】これまで「厳しさが強さをつくる」と受け入れられてきた歴史があります。選手も「評価のために多少の厳しさは当然」と我慢してしまう。そうすると、コーチは自分のやり方が正しいと誤認しやすい。だからこそ、指導者が学び直すことが重要です。
――学び直しによって、現場の反応は変わりますか。
【松島】日本スポーツ協会向けのアンガーマネジメント研修では、さまざまな競技の指導者が集まります。他競技のやり方を聞いて「自分の方法はまずかったのかもしれない」と気づく人が多い。競技は違っても学べる点は多く、視野が広がります。
――他競技から学ぶ視点は有効ですね。
【松島】個人競技とチーム競技ではアプローチが異なりますが、フォーム指導やフィードバックの出し方など共通点も多い。欧州では一つのクラブで複数競技を経験させる例もあり、子どもも指導者も多様なスポーツから学ぶ文化があります。日本では交流機会が少ないのが課題です。まずは校内でも他部の指導に目を向けるなど、視野を広げる意識が必要だと思います。
――スポハラという概念の浸透自体が、予防に効きそうです。
【松島】そう思います。言葉が広がることで認識が共有され、起きにくくなる。イベントや研修への参加者はまだ限定的ですが、少しずつ広げたいですね。
【安藤】やはり保護者によるハラスメントにも注意が必要です。スポーツ界で「天才少年/少女」などと言われる子どもの背後で、親の過度な関与や商業化が批判される例もあります。個別の事案の真偽はさておき、親の熱量が行き過ぎればスポハラになり得るという意識は持っておくべきです。
――親の熱量が高すぎること自体が、スポハラの可能性になる。
【松島】選手本人のビジョンと一致している場合もあります。とはいえ、関係が悪化した途端、過去の暴言などが「証拠」として出てくることもある。良好な関係のうちから、人権を損なわない関わり方を意識することが大事です。
――方向性が一致しているときは問題視されにくいですが、後から「実はハラスメントだった」と気づくこともあるのですね。
【安藤】その時点で気づけなかっただけで、当時からハラスメントだったわけです。だからこそ、知識を持ち、日頃から考える癖をつけておく必要がある。
――結局、自分の在り方は自分で決める意識が必要ですね。厳しい指導に晒されやすい選手に対するアンガーマネジメントやコントロール方法、教え方のポイントはありますか。
【安藤】アンガーマネジメントはトレーニングです。理屈を知り、練習を重ねれば身につきます。ただし、本人が「変わりたい」と望むことが前提です。ダイエットと同じで、危機感や目的意識がないと続きません。指導者も「このままでは誤った指導になるかもしれない」という問題意識を持たない限り、最初の一歩が踏み出せない。踏み出しても「自分のやり方が正しい」と固執すれば、うまくいきません。
――日本でスポハラの意識が高まり始めて、まだ10年余り。やはり浸透には時間がかかりますか。
【安藤】パワハラという言葉が日本で広まったのは2000年代初頭ですが、20年で意識は変わっても、ゼロにはなっていません。スポハラの歴史はその半分ほどです。道半ばだと思います。
――問題への関心が高まると、別のハラスメントにも目が向きます。
【安藤】意識が高まること自体は良いことです。ただし目的は「誰かをやり玉に挙げること」ではなく、みんなで良くしていくこと。目的を見失うと、単に「ハラスメントの話題」が増えるだけになってしまいます。
――今後、ハラスメントは減っていくと思いますか。
【安藤】減っていくものはあると思います。パワハラやセクハラ、カスタマーハラスメントのように、社会規範が整えば数は減るでしょう。一方、文化・慣習に根差したものは残りやすい側面もある。とはいえ、意識が高まれば、スポハラのような行為は確実に減らせるはずです。
――SNSやメディアの影響力も大きい時代です。最後は一人ひとりの意識を変えていくことですね。
【安藤】そう思います。問題の本質は常に「何のためにその行為をしているのか」。教育も指導も、子どもの人権と成長を軸に考え続けることが、改善への近道です。
(取材・執筆:PHPオンライン編集部 片平奈々子)
]]>宮城県仙台市教育委員会と学術協定を結ぶ東北大学加齢医学研究所では、子どもたちの学ぶ意欲を高める方法を探るため、長年にわたり大規模なデータ解析を行ってきました。対象となったのは、仙台市の公立小中学校に通う全児童・生徒の学力や生活習慣に関するデータで、その蓄積は14年分に及びます。
本稿では、そのうち小学5年生から中学3年生までを対象とした調査データから判明した、スマートフォンの使用時間と学力の関係について、書籍『本を読むだけで脳は若返る』より解説します。
※(注記)本稿は、川島隆太著『本を読むだけで脳は若返る』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
本とスマートフォンは、情報をもたらすという面ではメディアとして同じ機能を有しますが、それを使う人の脳の活動の仕方が全く異なります。読書は脳の全身運動になりますが、スマートフォンは脳を抑制するような効果があって、まるで対極の存在です。
結論を先に言えば、読書のメリットを知り、スマートフォンのデメリットを知ることが、今の社会、特に子どもの教育ではとても重要になっていると、私は考えています。もう一歩踏み込んで言うと、スマートフォンの使用時間を減らし、読書の時間を確保することが、私たちの脳、とりわけ子どもの脳を守ると考えています。
スマートフォンやタブレット端末(以下、「スマホ・タブレット」と表記)を使うと脳の活動を抑制してしまうのではないか。このような危機感を覚えたのは、仙台市の全公立小学校・中学校に通う7万人以上の子どもたちの調査データを解析していたときです。
この調査では学力だけでなく、生活習慣についてもアンケートで調べています。娯楽に費やす時間の長さに関しても質問していて、以前はテレビを見る時間やゲームをする時間を尋ねていました。かつては、子どもたちの主な娯楽がテレビやゲームだと考えていたからです。
しかし、子どもたちの習慣が変わって、ゲームをゲーム機でするのではなく、スマホ・タブレットで無料ゲームを楽しむようになりました。同様に、テレビ番組やそれに代わる動画コンテンツも、テレビではなくスマホ・タブレットで視聴するようになりました。
この変化を受けて、私たちは2018年度からスマホ・タブレットの利用に焦点を当てた調査研究を始めることにしました。実際にデータを解析してみると、驚くべきことがわかりました。
解析した対象は、小学5年生から中学3年生の約3万6000名です。小学4年生以下を対象にしなかったのは、当時、小さい子どもたちはスマートフォンなどを長く使うことはないだろうと考えていたからです。現実にはある程度いたのかもしれませんが、私たちは高学年になってから長時間使うだろうと考え、小学校の高学年から中学生を対象としました。
解析した結果は図5─1です。このグラフの見方なのですが、まず家庭学習を「全くしない」「30分未満」「30分〜1時間」「1〜2時間」「2〜3時間」「3時間以上」の6群に分けて、次に、それぞれの群においてスマホ・タブレットの1日の使用時間を「1時間以上」と「1時間未満」で分けています。棒グラフの高さは偏差値の数値を示しています。対象の教科は、国語・算数・理科・社会の4教科です。
このグラフを見て最初に気づくのは、全体的に右肩上がりだということです。やはり、家庭での勉強時間が長いほど成績が良いことがわかります。次に、スマホ・タブレットの使用が1時間以上の子どもたちと、1時間未満の子どもたちとの学力には、大きな差があるということにも気がつきます。
驚くのは、端末の使用が1時間未満(機器を所有していない場合も含む)の子どもたちは、全く勉強しない群でも偏差値50、つまり平均点に届いていることです。
その一方で、スマホ・タブレットを1時間以上使う子どもたちが平均点に到達するのは、家庭学習を「1〜2時間」している群から上です。
「2〜3時間」の群を見ても、スマートフォンの使用時間が短い子どもたちはかなり良い点が取れているのに、1時間以上使っている子どもたちはほぼ平均点しか取れていません。家庭で毎日2時間も3時間も勉強するのはとても大変だと思いますし、かなりまじめな子どもたちだと思われますが、学習効果がうまく出ていないのです。
[画像:スマートフォン使用時間、家庭学習時間、睡眠時間と学力の関係]
どうして、スマホ・タブレットを1時間以上使うと、学習効果が得にくくなってしまうのか。私たちが考えた仮説の一つはこうです。スマホ・タブレットの長時間使用は、間接的に子どもの睡眠時間を短くして、結果的に睡眠不足によって学力の伸び悩みが生じるのではないか。つまり、スマホ・タブレットの間接的な影響を疑ったのです。
文部科学省のデータなどから、睡眠時間の短い子どもは学力が低いという傾向があるとわかっています。そのことを踏まえて、改めて睡眠時間を加味した解析をしました(図5─2)。
この図を説明しますと、左側のグラフはスマホ・タブレットの端末使用時間が「1時間以上」の群で、右側が「1時間未満」の群です。横軸は、家庭での学習時間を6つに分けた群が並びます。そして、奥行きは睡眠時間の長さで分けた群です。1時間刻みで分けていて、一番手前が「5時間未満」、その次から「5〜6時間」「6〜7時間」「7〜8時間」「8〜9時間」「9時間以上」となっています
家庭学習時間の6群と睡眠時間の6群の掛け合わせになるので、合計36群に分かれます。棒グラフの高さは、先のグラフと同じく、学力テストの偏差値の数値を示しています。高いほど成績が良いことになります。
では、まず左側のスマートフォンなどの使用時間が毎日「1時間以上」の子どもたちから見ていきましょう。全体の傾向として右肩上がりではありますが、その度合いがあまり大きくありません。また、奥行き方向を見ると、手前になるほど低くなっています。
偏差値50、つまり平均点を超えている群はどこにいるでしょうか。1時間以上の家庭学習をしていて、睡眠時間が6〜9時間の子どもたちだということがわかります。つまり、この36群の棒グラフは、勉強時間が長いほど成績は良く、睡眠時間が短いほど成績は低いということを示しています。
ただ、一番奥の列を見ると、学力が少し下がっていることがわかります。睡眠時間が極端に長い子どもたちは学力が低くなっています。この傾向は以前から文科省のデータなどで指摘されているところです。一つの推測は、子どもの睡眠の質が悪い環境があって、長時間睡眠をとらないと身体がもたないというものです。
では、スマートフォンなどの端末の使用が「1時間未満」の子どもたちを見ていきましょう(グラフ右側)。大づかみで言うと、全く勉強をしない子どもたちと、睡眠時間が5時間未満の子どもたちを除いて、ほとんどの子どもたちが平均点を超えています。この解析結果には、正直、驚かずにはいられませんでした。
私たちは、この結果の因果関係を知るために、「パス解析」という手法を用いました。私たちが想定した経路(パス)は3つです。
1スマホ・タブレットを使うことによって学習時間が減って学力が低くなる
2スマホ・タブレットを使うことによって睡眠時間が減って学力が低くなる
3スマホ・タブレットを使ったことによって直接的に学力が低くなる
この3つの経路について調べたところ、統計的に一番影響が強く出た経路は3のスマホ・タブレットなどの使用そのものによる直接的な経路でした。この解析結果を見て、私たちはさらに驚きました。睡眠時間や学習時間とスマホ・タブレットの間には直接的な関係がなく、スマホ・タブレットを使うこと自体が学力を大きく低下させていたという関係が見えてきたのです。
このようなデータ(一種の疫学データ)を解析するときの注意点は、相関関係と因果関係を混同しないことです。この場合では、およそ3万6000人の子どもたちに対して、ある時点のデータを預かって解析しているので、睡眠時間や学習時間、スマホ・タブレットの使用時間などの関係は明らかにできますが、因果関係については何も明らかにすることはできません。
例えば、先に示した解析の場合では、スマホ・タブレットを使うことと子どもの学力には相関関係があることがわかります。しかし、これだけでは、「スマホ・タブレットを使ったから学力が下がった」とは言えず、もしかしたら、もともと学力が低い子どもたちは、生活習慣という環境、あるいはもって生まれた性質によってスマホ・タブレットが大好きなのかもしれません。わかりやすく言うと、卵が先かニワトリが先かという話であり、この種のデータではどちらが先かを決めることができません。
そこで、私たちは仙台市から公立小中学校に通う7万人以上の児童生徒の全員に背番号をつけたデータをいただき、別の観点からの解析をしました。この解析では「連結可能匿名化」という手法を用いました。個人を特定することはできないけれど個人の経年変化は特定できるというやり方です。そして、生活習慣の変化と学力の変化についての因果関係が見えてくるように解析しました。
結論から言うと、スマホ・タブレットを長時間使う習慣をもち続けた子どもたちは、学力が低い状態を維持していました。そして、スマホ・タブレットを「1時間未満」で抑えることができていた多くの子どもたちは、学力が高い状態を維持していました。さらに、途中でスマホ・タブレットをあまり使っていなかった状態からヘビーに使い始めた子どもたちは、その翌年から極端に学力が下がっていたことも確認できました。
逆に、スマホ・タブレットをヘビーに使っていたけれど、生活習慣を少し改めて利用時間が短くなった子どもたちは、翌年から学力が上がり出すという傾向が観察できました。ちょうどこの間に、仙台市は子どもたちにリーフレットを配布し、スマホ・タブレットと学力の関係を示しながら、その使用を控えたほうが良いと警告していました。そのメッセージを受け取って生活習慣を改める子どもたちが少なからずいたのです。
このような調査方法であれば、因果関係を明らかにできます。端的に言えば、スマホ・タブレットの使用が卵なのです。
]]>20年以上にわたりリーダーとして活躍し、2万人以上の人材育成に携わってきた越川慎司さん。著書『一流のマネジャー945人をAI分析してわかった できるリーダーの基本』では、成果を上げながら負担を軽減するための実践的な手法を提示しています。
同書に掲載された全国678社・管理職1万7,172名を対象とした調査では、「働き方改革」以降、管理職の実労働時間が平均17%も増加していることが明らかにされています。
では、増え続ける残業をどう減らすのか。越川さんが提唱する解決策の一つが「会議ダイエット」です。本稿では、その具体的な考え方を伺いました。
――管理職の業務量は増加傾向にあるようですね。どうやったら残業時間を減らすことができるのでしょうか。
【越川】一番は「会議ダイエット」です。減らす会議を決めること。減らすのは回数か時間です。
日本の社内会議の74%は60分設定です。でも60分必要かどうかを考えずに、なんとなく60分になっています。これを45分にしてみる実験を電機メーカーや電力会社で行ったところ、9割以上の人が「意外とできた」と答えました。翌週からも45分を続け、最終的にそれが新しい基準になったんです。
60分を45分にするだけで25%の時間が生み出されるわけです。そうすると、結果的に管理職の時間外労働も減りました。
ですから、「この会議は本当に必要か」「60分必要か」とこれまでの当たり前を疑うことが大切です。全部の会議でなくていいので、週に1回だけでも、60本を45分にする、毎週開催ではなく月2回にしてみるなど、短縮や削減を試す。成果に影響がなければ続ければいいし、支障が出れば元に戻せばいい。そうした実験をぜひやってみてほしいです。
――越川さんが経営する、クロスリバー株式会社では週休3日制を導入されていますが、最初は業務を減らすために「やらなくていいことを決める」のが大変だったそうですね。
【越川】正直に言うと、一番大変なのは「仕事を断ること」なんです。今も大阪に来ていますが、もし週休2日なら前乗りする必要もなく、東京の仕事と大阪の仕事をどちらもこなせます。でも週休3日だとそうはいかない。全体の3〜4割ほどの依頼を断らざるを得ない。それが本当に苦しいですね。
もし依頼をすべて受けてしまったら、私だけでなくメンバー全員が残業・休日出勤を余儀なくされます。つまり時間外労働は、実際には「仕事を受けた瞬間」に決まるんです。処理能力と受注量のバランスが崩れれば、こなせないのは明らかですから。だから私たちは「働き方改革」ではなく「稼ぎ方改革」を掲げました。
――稼ぎ方改革ですか。
【越川】そうです。稼ぎ方改革のためには「受注改革」が必要なんです。受ける仕事をどう変えるか。これは大変な課題でした。
もうひとつ大きかったのは「社内会議をゼロにする」こと。会議には「共有」「決定」「アイディア出し」の3種類があります。共有はITツールで十分できます。決定は私が行うか、現場に決定権を渡せばいい。残る「アイディア出し」だけは対面で行っています。
パリやニューヨーク、バンコクなど世界各地にメンバーが分散しているので、半年に一度は現地に行って、腹を割って話します。アイディア出しやブレインストーミングは対面で行うことが一番効果が高いのです。
ただ、「毎週月曜朝の定例会議」などは一切廃止しました。緊急時を除き、定例会議はすべてやめたんです。これもなかなか厳しい挑戦でした。
――それは大変そうです。でも、今は問題なく回っている、ということですよね?
【越川】「問題なく」の定義が難しいですが、少なくとも週休3日でも同業他社より売上が上がっていることを目標にしていますので、その意味では毎年売上は右肩上がりですし、家族の都合以外で辞めたメンバーもいない。ですから、今のところはうまくいっていると思います。ただ、もし売上が下がったり人が辞め続けるようなら、週休3日はやめます。これもあくまで"実験"ですので。
――仕事を断るのは大変だとおっしゃいましたが、逆に受けてもらえた企業は嬉しさを感じるのではないでしょうか。
【越川】そう思っていただけたらありがたいですね。もちろん新規のお客様を獲得することも大事ですが、ビジネスの7割は追加契約やリピーターで成り立ちます。特にBtoBでは、既存顧客の満足度を高めて追加契約をいただく方が効率的です。ですから、今は既存のお客様の満足度を上げる戦略を取っています。
――越川さんは、半日ずつ休むという手法で週休3日制にしているそうですね。
【越川】私のスケジュールは"見せる化"しています。メンバーにはもちろんOutlookで共有していますし、私が直接担当しているお客様にもカレンダーを公開しています。年間契約で「月に何時間」という形にしているので、お客様自身が空いている時間をピックアップできる仕組みです。
家族の介護をしているので、通院の予定などはあらかじめカレンダーに入れています。どうしても月曜午前や金曜午後は予定が入りにくいので、そこは休みになることが多いですね。休日は通院や、大学にも通っているので勉強など、プライベートの時間に充てています。
]]>「よいチームがよい仕事を生むのではなく、よい仕事(の仕組み)が、よいチームを育てる」。組織開発ファシリテーターの長尾彰さんは、現場でこう伝えています。
チームビルディングを目的化させないために必要なのが、「仕事を通じてチームを育む条件」です。これは抽象的な考え方ではなく、具体的に16の項目に整理されています。
16の条件は「協働」「状況設定」「目標/ゴール」「フロー」という4つの視点に分類されます。
じつはこの条件もすべてが、制約そのもの。制約の設定を見立てるのが難しいと感じている場合は、この16の条件を見直すことから取り組むと良いそう。
本稿では「目標/ゴール」「フロー」の2つの視点から、8つの条件について、解説していきます。
※(注記)本稿は、長尾彰著『宇宙兄弟 「制約主導」のチームワークで、仕事が面白くなる! チームの話』(Gakken)を一部抜粋・編集したものです。
条件9 ゴールが明確になっている
条件10 目標と指標を自分たちで決められる
条件11 再チャレンジが可能
条件12 現実と理想のギャップを明確にできる
【条件9】の「ゴール」とは、「どういう状態になれば、ミッションが終わりか」を確認するためのもの。ゴールラインが明確になっていないと、チームとして動き出すことができません。
「売り上げが500万円かもしれないし、1億円かもしれないけど、とりあえずやってみよう」というゴールが不明確な状態では、メンバーはどう動けばよいのかわからず、チーム化は難しくなります。
【条件11】の「再チャレンジが可能」とは、もし失敗してしまっても、何らかの形で再挑戦できる環境であるという意味です。「失敗は許されない」と思うと積極的に挑戦することを恐れますが、「もし失敗してしまったら、やり直そう」とポジティブに言える環境では、「やってみよう」という意欲が生まれます。
【条件12】の「現実と理想のギャップを明確にできる」とは、別の言い方をすると、「できている状態とできていない状態が、明確にわかる」ということです。
【条件8】の「自分の考えを整理するための省察(振り返り)と観察の機会が、十分にある」と似ていますが、【条件8】は個人の視点であるのに対し、こちらはよりチーム全体としての考え方になってきます。
「私たちのゴールはここだよね、そして今、あなたは(私たちは)ここにいる。あとどのくらいで、どこまで行けばいいだろう?」
ついゴールや目標だけを見て走りがちですが、メンバー間でチーム全体を見据えた振り返りをすることで、「現実」と「理想」にどの程度のギャップがあるのかが明確になります。
「自分のビジョンがわからない」「自分が何をしたいのかわからない」という人も、現実と丁寧に向き合い、今やっていること、自分が今いる場所を理解することで、「どこに向かいたいか」が見つかるはずです。
条件13 参考にできる事例が少ない
条件14 最初の時点では達成できるかどうかがわからない
条件15 難易度が調整できる
条件16 フローが体験できる
仕事でもビジネスモデルでも、従来のやり方を繰り返すだけで達成できてしまうものは、困難さが欠けるため協力する必要性も低く、チーム化はしづらくなります。
【条件13】のように参考にできる事例が少なく、成功体験に捉われず従来のやり方が通用しない取り組みのほうが、チーム化が進みます。
わざわざトラブルを持ち込む必要はありませんが、新しいやり方を考えて試してみるなど、試行錯誤とちょっとした挑戦を取り入れてみるだけでも効果があります。
また、やる前からできるとわかっている仕事よりも、【条件14】のように、「挑戦すればできるかもしれない」レベルの難易度のほうがチームの成長につながります。
仮に、総務部をひとつのチームと捉え、「社員の健康を守る」という共通テーマのもとで、「福利厚生をどう充実させるか」を考える状況を想像してみましょう。
社員食堂、ドリンクバー、100円で買える置き菓子サービス、どれにするかで難易度は大きく変わります。社員食堂は予算やスペース的にかなりの難しさが予想されますし、置き菓子サービスでは簡単すぎるでしょう。でも、ちょっと変わったドリンクバーなら、手間がかかりますが実現できそうです。他社での事例もあまり聞いたことがありません。
この「ちょっとチャレンジすればできそう」がポイント。
さらには、「オーガニックな感じのドリンクバーとかどうかな?」というアイデアも出てくるかもしれません。
そして、前述した【条件11】の「再チャレンジが可能」であれば、失敗してしまってもチャレンジすることへの気持ちが失せることもありません。
「ドリンクバーは利用者が少なくてダメだったかあ......」
「もう少し難易度を下げて、まずはコーヒーメーカーを置くことから始めてみる?」
【条件15】の難易度を調整することにより、「実現するためには」というテンションも維持されます。こうしたやりとりが、総務部をチームにしていくはずです。
【条件16】「フローが体験できる」の「フロー」とは、心理学者のミハイ・チクセントミハイ氏によって提唱された「フロー体験」がベースとなっており、時間や身体感覚すらも忘れるほど、何かに没頭している状態を指しています。
「チャレンジ」のレベルが「能力」よりも高すぎると不安が強くなり、「能力」が「チャレンジ」のレベルよりも高すぎると、今度は退屈を感じるようになります。このふたつのバランスの取れた状態が「フロー」です。
課題や仕事のチャレンジレベルを調整することで、その人のパフォーマンスを引き出す「フローマネジメント」は、チームの成長にも大きな影響を与えるでしょう。
これまでに紹介した【条件13】〜【条件15】を何度も繰り返していくと「フロー体験」ができ、「仕事って大変だけど面白いかも」といった、少しの困難さが仕事にやりがいを生むことに気づけます。
以上が、「チームを育む16の条件」の概要です。
すべて当てはめることは難しくても、まずはこのなかのいくつかを参考にして、仕事への取り組み方を変えていくことができれば、少しずつチームに好ましい変化が起こるはずです。
[画像:仕事を通じてチームを育む16の条件]
【当てはまる項目がひとつでも多いほうが、「よいチーム」になりやすい】
◎にじゅうまる条件1〜8はこちらの記事で詳しく解説しています
https://shuchi.php.co.jp/article/12939
「よいチームがよい仕事を生むのではなく、よい仕事(の仕組み)が、よいチームを育てる」。組織開発ファシリテーターの長尾彰さんは、現場でこう伝えています。
チームビルディングを目的化させないために必要なのが、「仕事を通じてチームを育む条件」です。これは抽象的な考え方ではなく、具体的に16の項目に整理されています。
すべてを満たさなければならないわけではありませんが、当てはまる項目が多いほど、よいチームをつくりやすい環境が整います。
16の条件は「協働」「状況設定」「目標/ゴール」「フロー」という4つの視点に分類されます。本稿では、「協働」「状況設定」の2つの視点から、8つの条件を解説します。
※(注記)本稿は、長尾彰著『宇宙兄弟 「制約主導」のチームワークで、仕事が面白くなる! チームの話』(Gakken)を一部抜粋・編集したものです。
条件1 ひとりでは達成できない
条件2 全員で協力せざるを得ない
条件3 メンバー同士が仕事を通じて何を共有したか、明確になっている
条件4 対話を通じてお互いの意見を共創できる
【条件1、2】は、言葉どおりになってしまいますが、ひとりでは達成できない、お互いの力を貸し借りしないと、目的が達成できないという状況です。
ISSや月面でのミッションは、宇宙飛行士たちの協働が必要不可欠なので、まさに当てはまるといえるでしょう。ひとりきりの作業では完結しないという仕事の仕組みそのものが、チーム化しやすい環境になっています。
逆に、ひとりの職人が鍛錬した技術によって黙々と作品や製品を生み出すような環境では、自然とチームが生まれることは難しいと思います。これはあくまで「チームづくり」という視点での話です。是非は関係ありません。
このふたつの条件に関してはイメージしやすいので、あまり詳しい説明はいらないと思いますが、現実的には少し曖昧な部分があります。たとえば、伝票処理などの事務は、ひとりで達成してしまえると思いがち。
「自分の仕事はひとりでできることだから、チーム化とは無縁だな」
そう感じるかもしれません。でも実際は、伝票処理をするためには営業が売り上げを立てる必要があります。さらにはその営業活動をバックアップする人たちもいるでしょう。
「ひとりで達成できている」「自分の力だけでやれている」という考え方は、個人プレイなら仕事の習熟度が上がり自信にもつながることかもしれませんが、「わざわざ他人と協力しなくても、そんな仕事(作業)はできるだろう」という考え方はチーム化を阻害します。
【条件3】の「メンバー同士が仕事を通じて何を共有したか、明確になっている」は、目標を達成したときだけでなく、その過程で何が起きてその結果どうなったかを、メンバー全員が理解し、チームとして何を得ることができたかを確認できる機会を指しています。
イメージしやすいよう会話でたとえるならば、クライアントに納品したあと、
「いやあ、今回は大変だったね。すごく疲れたけど、私たちがしたことは結果的に〇〇の役に立っているよね」
「今回のやり方だと、こういう結果が出るって、やってみてはじめてわかりました」
「そういえば〇〇については、今後はもっと改善すべきだと感じたよ」
「それは私も感じた!」
といった会話が持てるか、
「やっと終わった。じゃあ、お疲れさまでした」
で、終わりにしてしまうかの違いともいえます。
【条件4】の「対話を通じてお互いの意見を共創できる」というコミュニケーションスタイルは、チームづくりにおいてとても大切だと感じています。
「会話」「議論」「討論」も大事なのですが「お互いを理解する」という深いレベルでの関係を築くには、「対話」が必要です。
ちなみに「会話」とは、たとえば「おはよう」と言われたら「おはよう」と返す、関係性をつくるためのやりとりです。「議論」とは、複数人であらかじめ議題にあげられたA案かB案のどちらかを決めること。「討論」は、A案とB案のどちらが優れているかを、発話の当事者ではなく聴衆が決めること。
そして「対話」は、「私も正しく、あなたも正しい」という前提に立って、相手の話を聞くことを通じて自分の考えの変化を受け入れること。
対話をするためには、物事を短絡的に判断するのではなく熟慮しながら「保留」にすることも必要です。たとえば、後輩から相談された事案に対して、起きていることの確認や原因の所在を熟慮せずにすぐ解決策を教えるのは、対話とは言えません。
「何があったの?」「どう思っているの?」「あなた自身はどうしたいの?」「私に何ができるかな(何をしてほしい)?」ここで必要なのは、あなたの正解や正論ではなく、相手の考えを理解しようとする姿勢です。
[画像:「宇宙兄弟」31巻#287]
NASA を去り、ロシアで宇宙飛行士としての再起を図る日々人。マクシムは当初、日々人の存在を拒絶していましたが、日々人がパニック障害を打ち明けたことをきっかけに、信頼関係を築いていきました。サバイバル訓練中、「NASA をどう思ってんだ? そう簡単に許せるもんじゃないだろ」というマクシムの言葉に、静かに思いを語る日々人。「対話」の機会をつくることで相互理解が深まり、チームが育まれていきます。(宇宙兄弟c小山宙哉/講談社31巻#287)
条件5 制限(お金・時間・道具・人材)が明確になっている
条件6 「テーマ」を体感・実感できる
条件7 チームの「WHY(なぜやるのか)」が明確になっている
条件8 自分の考えを整理するための「省察(振り返り)」と「観察」の機会が、十分にある
次に、状況設定の視点について説明します。【条件5】では予算や設備、納期といった制限が明確になることで、「限られた条件でどう目標を達成するか」という思考がメンバー内に生まれます。
倉庫がひとつしかなければ、どうやってロスを減らし、在庫管理するかを考えるようになりますが、予算の制限が一切なく自由に倉庫を拡張してもよいとなれば、「在庫管理をしよう」とすら思わなくなりますよね。
サッカーは、「手を使ってはいけない」「11人でプレイする」「時間は90分」といったシンプルな制約があるから、多くの人を夢中にさせます。しかも、ひとりではゲーム(達成)はできません。制約があるからこそ、「ではどうしよう」という工夫や他者との協働が生まれます。
【条件6】の「テーマ」とは、その人が仕事を通じて伝えたいことや意味です。
本人が考え決めることができればベターですが、チームのリーダーやメンバーがその仕事(作業)の意味を伝えてあげるだけでも主体性を促すことができます。
「あなたが在庫を管理してくれると、現場は安心してものづくりに集中することができます。だからあなたの仕事のテーマは、過不足なく在庫の数を一定にすることだけではなく、現場が安心して生産できる環境を整えることなのです」
「ただ形式に従った書類を作成しているだけと思うかもしれないけれど、あなたの仕事には、その書類を見れば誰もがその作業が実行できるという、大事な役割があるんだよ」
このように「今やっている仕事には、テーマ(意味)がある」ということを伝えることも体感・実感につながります。
また、メンバーそれぞれの仕事にテーマがあるように、【条件7】のチームにとっての「WHY(なぜやるのか)」をメンバー全員が理解・共有することも大切です。
【条件8】の「省察」とは、起きた出来事をじっくりと振り返ること。「観察」は、何が起きているのか対象や周囲をじっくり観ることです。
自分の仕事を振り返る時間や環境があり、それと同時に周囲のメンバーに対しても関心を向けることができると、チームのなかで次のような会話が生まれてきます。
「どう? 〇〇はうまくいってる? なんか大変そうだね」
「じつは、ちょっとトラブルがあって悩んでいます」
「そうなんだ、どうしてそうなったの?」
......と会話は続き、「どうしたらいいと思う?」「こうしてみたら?」「ちょっとやってみます」といった対話の機会を持つことができますよね。
「できなくて困っています」と言える環境や関係性は、チームに心理的安全性をもたらします。
協働の視点と状況設定の視点がそろうと、チームは自然と主体性と安心感を持ち、強い成果を生み出していきます。
]]>部活動の指導は「厳しさ」がつきもの。けれど、それが行きすぎれば暴力やハラスメントになってしまいます。広陵高校野球部の事件は、その境界線の曖昧さを私たちに突きつけました。教育的な叱り方とハラスメントの違いは何か。
日本アンガーマネジメント協会ファウンダーでスポーツハラスメントにも詳しい安藤俊介さん、そして同協会に所属し、スポーツ指導者に向けた研修も担当する松島徹さんにお話しいただきました。
――そもそもスポーツハラスメントとはどのようなものを指すのでしょうか。
【安藤】指導における暴力や暴言はもちろんですが、概念はもっと広いものです。Jリーグが取り組んでいる「セーフガーディング」という考え方も近く、安全に子どもの人権を尊重して指導していく。その逆にあたるものはすべてハラスメントだと考えられます。例えば、練習に向かう子どもを危険な状況に置いていないか、過保護すぎて成長を妨げていないか。そうしたことまで含めて議論され始めています。
――近年は、顧問の先生の負担軽減のため、地域や外部の人材が部活動の指導に入る動きも広がっています。その際に考えられる問題点はありますか。
【安藤】現在、スポーツ指導者は非常に多くいますが、その資格を更新する際に教育を受ける仕組みがあります。JSPO更新研修担当講師の松島からお話しさせていただきます。
※(注記)JSPO更新研修=日本スポーツ協会が定める公認スポーツ指導者資格の更新に必要な研修。スポーツ医科学や指導者倫理、ハラスメント防止などを学ぶ。
【松島】部活動指導の地域移行に関しては始まったばかりの取り組みなので、事例もまだこれからという状況です。一方で、地域のクラブチームなどでは指導経験があるがゆえに強い口調になってしまったり、子どもに伝わりにくい言葉で指導してしまったりすることが課題として挙げられます。
私自身も地域のサッカー少年団などで指導にあたることがありますが、声かけが不適切だと感じる場面は少なくありません。「お前」という呼びかけなど、ビジネスの場面では使わない言葉でも、子ども相手には平気で使われてしまう。それが子どもにどう受け止められるか、指導者自身が把握できていないのです。
――指導者は、どうして客観的な考えのもと指導ができないのでしょうか。
【安藤】結局、自分が経験してきた方法以外を知らないんです。しかも、それを学び直す機会がこれまで多くなかった。いまは各競技で技術や指導法の解析が進み、「新しい技術」や「新しい時代のマネジメント」を学ぶ流れが少しずつ出てきていますが、現場では依然として「自分がやってきたやり方」を教えることが多い。自分が殴られて育った人は、殴ることが"正しい"と誤解してしまう、という連鎖が起きます。
――生徒から生徒へ、先生から生徒へと、ハラスメントが連鎖していくわけですね。
【安藤】そうです。ハラスメントをしてしまう指導者には大きく4つのタイプがあると考えられています。
1) 確信犯型:暴力は指導に有効だと本気で考えている。
2) 指導方法不明型:暴力以外の方法を知らない。
3) 感情爆発型:感情のコントロールができない。
4) 暴力志向型:暴力そのものを好む。
1) には「暴力は教育的に有効ではない」という理解を徹底するしかありません。2) には適切な指導法を学んでもらう。3) にはアンガーマネジメントなど感情との向き合い方を習得してもらう。4) は医療的介入が必要なケースもある。ハラスメントをなくすためには意識の見直しや、必要に応じて専門家のサポートが必要だと思います。
――スポーツ現場におけるハラスメントは日本特有なのでしょうか、それとも海外でも同様の事例はあるのですか?
【安藤】海外でも問題はあります。アメリカでは、若年スポーツ選手への性的虐待、心理的虐待、身体的虐待が問題になった時期があります。2017年にセーフスポーツセンター(U.S. Center for SafeSport)が設立され、2018年には若年選手を性的虐待から保護する法律も制定されました。
サッカーの世界では人種差別への対策も大きなテーマです。
【松島】サッカーでは日本人やアジアの選手が海外でプレーする機会が増えるにつれ、相手チームや観客のパフォーマンスで揶揄される事例も報じられてきました。こうした言動も、選手の尊厳を損なうものとして問題視されています。
――日本でも海外でも、スポーツハラスメントの改善はまだ道半ばに見えます。なぜ進みにくいのでしょう。
【安藤】スポーツが本来的に「勝利」に重きを置く領域だからです。これは日本だけでなく海外でも同様です。結果を出せば莫大なお金が動く世界もあります。そうすると「勝てるなら仕方ない」という発想に、選手側も指導側も流されやすい。
――「ある程度の厳しさは選手を強くするのか」という疑問もあります。
【安藤】難しいのは、どこまでが"厳しさ"で、どこからが"人権侵害"かという線引きです。会社でも同じですが、マネジメントは「丸投げで放任すること」でも「24時間365日を要求すること」でもない。規律と尊重のバランスが必要です。
――学校現場にお話を戻すと、「怒る」「叱る」「ハラスメント」――言葉はいろいろあります。教育的な叱り方と、ハラスメントの"怒り方"は、どこが決定的に違うのでしょう。
【安藤】相手の人権を尊重しているかが基準です。「あなたのため」という主観ではなく、人権を侵さない形で行動改善を促せているかどうか。ここが境界線です。
【松島】前回、「愛のムチ」という言葉は軍隊の名残だという話が出ました。その言葉自体が、暴力や威圧を正当化してきた面があると思います。本当に相手のためか、と問うと、指導者の行為を正当化する口実になっていた例が少なくない。最近は使われなくなってきました。
【安藤】「アメとムチ」という表現も、実は好ましくありません。報酬で釣れば、報酬がないと動かない、という学習に陥る。教育・指導として望ましいかは疑問です。
――子どもを指導する立場の人も、人権意識を強く持つ必要がありますね。
【安藤】そうですね。ただ、最近の教員不祥事を見ると首をかしげる事例もあります。昔から存在したのにSNSがなかったため可視化されなかった、という面もあるでしょう。加えて、教員の人手不足でミスマッチが起きやすい現実もある。待遇や負担の問題も無視できません。
――先生やコーチは、勝利への士気を高めつつ、選手を大切にする...この両立はどうすればよいでしょう。
【安藤】理想論かもしれませんが、まず「何のためにスポーツをするのか」を問い直すことです。プロ養成のために勝利を最優先するのか、スポーツを通じて人間的成長や健康、主体性を育むのか。目的が曖昧だと「とりあえず勝てばいい」に流れ、結局は自分が育ったやり方をそのまま踏襲してしまう。
――勝ち以外のスポーツの意義として、何が挙げられますか。
【安藤】体力や健康の増進、自己効力感や主体性の育成、チームワークやコミュニケーションなどの社会的スキルの習得――人間的成長に資する価値は数多くあります。本来はそこを獲得できるはずなんです。
――とはいえ、現場では「勝とう」と言わないと士気が上がらない、という悩みもありそうです。
【安藤】「勝利を目標にする」こと自体は否定しません。問題はやり方です。企業でも「売上」を目指すのは自然ですが、だからといって常時過剰労働を強いるのは間違い。メディア運営でもPVだけを追えば、品質や信頼が毀損しますよね。スポーツも同じで、成果と人権の両立が必要です。
(取材・執筆:PHPオンライン編集部 片平奈々子)
]]>家族が亡くなり、お墓を用意するとなると、どのくらいの費用がかかるのでしょうか。墓石代だけでなく、管理費や入檀料が必要になることもあり、選ぶ形式によって金額は大きく異なります。
30年以上にわたり葬儀の現場に携わってきた株式会社ディライト代表・高橋亮さんは、著書『後悔しない葬儀とお墓選び』でお墓にかかる費用を詳しく解説しています。本稿では同書から、お墓の種類ごとの費用感と、見積もりを取る際のポイントをご紹介します。
※(注記)本稿は、高橋亮著『後悔しない葬儀とお墓選び』より内容を一部抜粋・編集したものです
お墓の購入には、主に墓地の永代使用料や墓地の管理費などがかかります。お墓の種類によってかかる費用が異なり、一般墓であれば墓石代や開眼供養のお布施など、樹木葬なら埋葬料や銘板彫刻料などが必要になります。
【永代使用料】
永代使用料とは、墓地を使用する権利を取得するための費用です。墓地の購入は、土地そのものの購入ではなく、使用権の購入になります。そのため、納骨堂や樹木葬、合祀墓でも必要になる経費です。
金額は霊園や寺院、区画の大きさなどによって異なり、数万円から100万円以上と幅があります。
【墓石代】
墓石代には、お墓の石材そのものにかかる石材費、墓石を設置するための工事費、戒名や氏名を彫刻するための彫刻費などが含まれます。一般的には60万円から200万円程度ですが、使用する石の種類やデザインによって大きく変わります。
また、墓石に使用する石材の種類やデザインの選択によっても費用を調整できます。高価な石材や凝ったデザインを避けて、比較的安価でシンプルなものにすれば墓石代を抑えられます。
彫刻費は戒名や名前を墓石に刻むための費用で、刻む文字数や書体によっても金額が変わります。
香炉、水鉢などの装飾品の追加によっても費用が増加します。装飾品には、墓誌や灯籠などがあります。ただし、これらの装飾品は必須ではないため、希望しなければ設置しなくても問題ありません。
【管理費】
お墓を維持するためには、霊園や墓地に毎年支払う管理費も必要です。
管理費は霊園内の清掃や共有施設の維持管理に充てられる費用で、年間数千円から2万円程度が一般的ですが、墓地の広さや管理内容によって異なります。
霊園によっては、数年分をまとめて前払いする場合もあります。
【開眼供養のお布施】
お墓に遺骨を納める際には、お墓に故人の魂を迎え入れる「開眼供養」を行います。菩提寺や近隣のお寺に依頼するのが通常です。その際にはお布施として3万円〜10万円程度を支払うのが一般的です。
【その他費用】
寺院が運営する墓地を利用する場合は、そのお寺の檀家になるための入檀料が必要になることがあります。お寺の運営や寺院の修繕などに使われる費用で、10万から30万円程度の支払いが一般的です。
そのほか、お墓の種類により、納骨時に執り行う法要の費用や、故人の戒名を記したプレートへの刻字費用などが別途かかる場合があります。
お墓を購入する際は、石材店や霊園、お寺に相談するのが一般的です。
特に一般墓を建立する場合は、墓地の選定とあわせて石材店も検討する必要があります。石材店への相談は霊園を決める前でも後でも問題ありません。希望に合う霊園を石材店が紹介してくれる場合もあります。
なお、公営墓地であれば基本的に石材店を自由に選べますが、寺院墓地や民間の霊園では、利用できる石材店が指定されていることがあるため、注意が必要です。
石材店では、墓地にかかる永代使用料や年間の管理費などもあわせて見積もりを出してもらうことができます。適正な価格で建墓するためには、複数の石材店から見積もりを取って比較することが重要です。1社だけに依頼すると相場より高額になってしまう可能性があるため注意しましょう。
石材店を選ぶ際は、各社の実績や口コミを確認し、信頼できる業者か見極めます。「お墓の口コミ」などの霊園ポータルサイトなどを活用すると、複数の霊園情報を比較したり相見積もりを依頼したりすることも可能です。
また、墓石は、石材店の磨きや加工の技術次第で、仕上がりや耐久性が大きく左右されます。費用だけでなく職人の技術力の評判も参考にして石材店を見極めることが大切です。
【関連情報】
『株式会社ディライト』https://delight.co.jp
『葬儀の口コミ』https://soogi.jp
『お墓の口コミ』https://oohaka.jp
宮城県仙台市教育委員会と学術協定を結ぶ東北大学加齢医学研究所では、子どもたちの学ぶ意欲を高める方法を探るため、長年にわたり大規模なデータ解析を行ってきました。対象となったのは、仙台市の公立小中学校に通う全児童・生徒の学力や生活習慣に関するデータで、その蓄積は14年分に及びます。
研究チームは平成28年度の小学校5年生から中学校3年生までを対象に、毎年4月に実施される一斉学力テスト(4教科)の平均点と読書習慣の有無との関係を詳しく調査しました。本稿では、その結果から見えた「子どもの学力と読書との密接なつながり」について書籍『本を読むだけで脳は若返る』より解説します。
※(注記)本稿は、川島隆太著『本を読むだけで脳は若返る』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
この研究では、子どもたちを細かく群で分けて解析をしました。単純に読書の有無や学力(平均偏差値)で分けるのではなく、家庭での読書時間や勉強時間、睡眠時間という項目も加えて細かく分けていったのです。
なぜかと言うと、子どもたちの学力を見るときは生活習慣や家庭学習の時間が学力に影響すると知られているからです。例えば、家庭学習の時間についても、やはり家庭でしっかり勉強している子どものほうが成績が良い傾向があります。
生活習慣の中でも、特に睡眠の習慣と学力に深い関係があることは、教育の世界では以前から指摘されています。データを解析しても、睡眠時間の短い子どもたちは学力が総じて低い傾向が明らかに見られます。ただ、興味深いことに、睡眠時間が長すぎる子どもたちは、適切な睡眠時間の子どもと比べると学力は少し下がる傾向があります。
このときの解析では、まず読書習慣の時間量で子どもたちを3群に分けました。ヘビーな読書習慣をもっている「読書1時間以上」の群、ライトな読書習慣をもっている「読書1時間未満」の群、そして読書習慣のない「読書を全くしない」の群です。
この3群の子どもたちについて、それぞれさらに勉強時間(6分類)と睡眠時間(6分類)の組み合わせで計36群に分けました。具体的には、勉強時間は「全くしない」「30分未満」「30分〜1時間」「1〜2時間」「2〜3時間」「3時間以上」に分け、睡眠時間は「5時間未満」「5〜6時間」「6〜7時間」「7〜8時間」「8〜9時間」「9時間以上」に分けました。
図1─5〜図1─7の棒グラフをご覧ください。棒グラフの長さは4教科の平均点を偏差値に換算した数値の高低を表しています。偏差値というのは実際の平均点が50になるように調整したものです。簡単に言うと、基準化した点数で、実際の点数と同様に偏差値が高ければテストの成績も良いということになります。グラフの中で色がついている棒が偏差値50、つまり平均点を超えた群です。
まず、「読書を全くしない」と答えた子どもたち(1万1410名)のデータを見ると、平均点を超えてくるのは、主に6時間以上寝ていて、かつ家庭で2時間以上勉強している子どもたちです。その平均点の超え方も、決して大きいわけではなく、わずかという程度です。
一方、「読書1時間未満」と答えた子どもたち(2万3085名)のデータを見ていくと、主に6時間以上寝ていて、かつ家庭で30分以上勉強している子どもたちは、平均点を超えやすいということがわかりました。
さらに、「読書1時間以上」と答えた子どもたち(6728名)のデータを見ていくと、勉強を全くしない子どもたちと、明らかな睡眠不足の子どもたちを除くと、ほとんどの子どもたちが平均点を大きく超えています。
この結果の違いはどこから生じたのでしょうか。私たちは、読書で脳が発達したことによる変化だと捉えています。読書習慣を強くもっている子どもたちは、言語を主に扱う脳がより発達し、言葉の理解力が高まり、情報処理がきちんとできるようになって、どの教科のテストであっても良い点を取りやすくなった、と私たちは解釈しています。
逆に、読書習慣のない子どもたちは、おしなべてテストで良い点が取れない傾向があります。これが標準の状態なのかもしれませんが、読書をしている子どもたちと比べれば、脳の発達がそれほど進んでいないと解釈することもできます。
この一連の研究から言えることを整理します。まず、子どもたちが読書を習慣化すると、子どもたちの脳、特に左半球の白質の発達を促すことができるということです。また、その結果として、少なくとも認知力の一部である学力を押し上げることにつながるということです。教育関係者が昔から子どもたちに読書を推奨してきたのは、まさにここに理由があったのです。
読書に関する研究は、すでに世界中でさまざまなものがあります。例えば、私たちは自らの研究で示しましたが、読書時間が長いほど学業成績が向上するというデータや研究結果は世界中に多数あります。決して、仙台市の子どものデータが特殊というわけではありません。
また、先に示した私たちの研究に対しても、多くの研究者や研究機関が追試をしていて、その確かさを確認しています。読書習慣は、子どもの脳発達を促進し、言語性発達も促進することを、世界中の研究者が認めています。この事実は、ぜひ多くの方に知っていただきたいと思います。
]]>子どもたちの成長を願う部活動が、ときに暴力やハラスメントの場になってしまう――。それは学校だけでなく、社会の価値観や文化とも結びついています。2025年夏に明るみに出た広陵高校での暴力事件は、その縮図とも言えるでしょう。アンガーマネジメントの第一人者でありスポーツハラスメントの実情にも詳しい安藤俊介さんに、スポーツ指導の現場が抱える課題を伺いました。
※(注記)写真はイメージです
――今回の広陵高校野球部での暴力事件について、安藤さんはどのようにご覧になっていますか。
【安藤】部活動におけるハラスメントの問題は、昔から存在していました。私がかつて通っていた高校もスポーツ強豪校でしたが、スポーツで名をあげようとする学校では暴力的な指導が普通にありました。
母校では強豪の陸上部や野球部、ラグビー部などで体罰といったハラスメント行われていましたが、その一方で選手たちは学校から特別に優遇されてもいました。例えば、何か不祥事を起こしても揉み消されてしまう。一般の生徒もそれを知っていましたが、"そういうものだ"と受け止めていたのです。
――そうした慣習が"スポーツハラスメント"という言葉で問題視されるようになったきっかけは何でしょうか。
【安藤】大きな転機は2012年に大阪市立桜宮高校のバスケットボール部で起きた事件でしょう。顧問の過度な指導によって生徒が自ら命を絶ち、元顧問は刑事事件で有罪判決を受けました。また、大阪府に対して損害賠償を求めた裁判でも、約7,500万円の賠償が確定しています。
この事件を契機に、社会的に「これは良くない」という機運が一気に高まりました。文部科学省は有識者会議を設置し、スポーツにおける暴力から選手を守るための第三者相談・調査制度について議論を開始。2013年4月には日本体育協会(現・日本スポーツ協会)と日本オリンピック委員会が「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」を採択しました。
いわゆるスポーツハラスメント根絶に向けた取り組みは、この時から本格的に始まったのです。
つまり、社会全体としてスポーツの現場における暴力を問題視し始めたのは、わずか10年前にすぎません。
――広陵高校や桜宮高校の件など、行き過ぎた指導の背景にはどのようなものがあるのでしょうか。
【安藤】問題は今も起き続けています。なぜ日本のスポーツ指導に暴力がつきまとうのかについては、いくつかの説があります。よく指摘されるのが二つです。
ひとつは軍隊教育の影響です。第二次世界大戦期の軍隊の考え方が連綿と続いてしまっている。軍隊式の価値観とは「厳しい・苦しい経験を乗り越えるほど成長する」というものです。
さらに徹底した上下関係が特徴で、上の言うことは絶対。いわゆる「愛のムチ」も軍隊から来ていると言われています。スポーツ指導はこの流れを引き継いでおり、戦後80年のうち70年近くはこの考え方で続いてきました。スポーツハラスメント根絶宣言が出されたのは2013年で、まだ10年しか経っていません。70年続いた慣習を10年で覆すのは簡単ではないでしょう。
もうひとつは勝利至上主義です。勝つことが何より優先される。広陵高校の例だけでなく、多くの学校に当てはまります。スポーツで強くなることで学校の知名度を上げ、生徒を集める。これはマーケティングの側面も大きい。
たとえば私自身は高校野球をあまり知らないのですが、それでも強豪校の名前は知っています。例えば今年の甲子園優勝校だったり、詳しいことを知らなくても「強い学校」として名前は耳に入ってくる。駅伝やゴルフなどが強い大学も同じです。スポーツの実績が学校名を世に広めた例はたくさん存在します。だからこそ「勝たなければならない」という論理が背景にあるのだと思います。
――スポーツの現場、とくに上下関係や軍隊文化の名残がある中で、起きやすい人間関係の歪みにはどのようなものがありますか。
【安藤】基本的には「言うことを聞け」です。企業で同じことをすればパワハラだと誰もが思うのに、スポーツだけは聖域のように扱われてきました。
また、これは文化的な問題でもあります。長年、周囲が指摘してこなかったために「承認されてきた」と指導者が感じているのです。
広陵高校の監督も長く現場を任されてきました。もしかしたら過去に声が上がったことがあったのかもしれませんが、大きな問題にはならなかった。そのため本人にしてみれば「ずっと認められてきたやり方なのに、なぜ今さら批判されるのか」という感覚になってしまう。つまり、当たり前にやってきたことが暗黙のうちに容認され、結果としてゆがんだ人間関係を温存してきたのだと思います。
会社でのパワハラと同じで、上司のやり方に誰も異を唱えなければ、「認められている」という承認につながってしまうのです。加害者からすれば「黙認=同意」と受け止めてしまう。そうやって長年、スポーツハラスメントという概念が広まらず、黙認されてきた側面があるのだと思います。
さらに、日本のスポーツには集団主義の文化があります。「連帯責任」という考え方で、チームの和を重んじ、個人の声が届きにくくなる。今回の件も、一部の生徒の行為がチーム全体の責任とされてしまいました。これは軍隊的な発想と同じで、声を上げにくい状況をつくり出していると思います。
(取材・執筆:PHPオンライン編集部 片平奈々子)
]]>20年以上のリーダー経験を持ち、これまでに2万人以上の人材育成に携わってきた越川慎司さん。著書『一流のマネジャー945人をAI分析してわかった できるリーダーの基本』では、リーダーの負担を軽減しつつ成果を最大化する方法を紹介しています。
本書では、全国678社・管理職1万7172名を対象に実施した調査をもとに、「働き方改革」以降、管理職の実労働時間が平均で17%増加していることが明らかにされています。
管理職の残業を減らすにはどうすればよいのか――本稿では、その解決策について越川さんに伺いました。
――近頃「管理職はつらい」という声をよく耳にします。その背景には、多くの人が「やるべき」と思い込んでいる、実は不要な業務に時間を奪われている現状があるのではないかと思います。管理職が陥りがちな「不要な業務」にはどのようなものがあるでしょうか?
【越川】まず、「しっかりマネジメントすれば、必ず成果が出る」という考え方は、日本の管理職が抱きがちな妄想です。マイクロマネジメントを行えば、仕事が回るというメカニズムはとうに破綻しているにもかかわらず、多くの管理職はいまだに信じ込んでいます。その結果、チェックポイントが増えたり、「部下は出来ないだろうから自分がやる」という思考に陥ってしまいます。
リスクを塞いで、上司の言った通りに業務をこなさせて、これまでの成功例を真似させるのが、昭和・平成までの仕事のスタイルでした。しかし、変化の激しい現代においては、この「性悪説」に基づいたマネジメントはもはや機能しません。
現代のビジネスは、限られた時間の中で最大の成果を出すというゲームに変わりました。この新しいルールに対応するには、管理職は「いかに手放すか」を考える必要があります。そうしない限り、過剰な労働時間から逃れることはできないのです。
――「自分がやった方が早い」という思いで、業務を抱え込んでしまっている方は多いと思います。まず、任せるために意識を変える必要があるのかもしれませんね。
【越川】管理職がまず意識すべきは、個人の成果ではなく"チーム全体の成果"を最大化することです。そのためには、自分がいなくてもチームが回る状態を作る必要があります。
自走するチームを作るには、失敗を積み重ねて、逆境・挫折を次の行動に生かすというプロセスが必要です。成功を求め続けるだけでは失敗を乗り越える力も身に付きません。
指示されたことだけを忠実にこなす真面目なメンバーを育てるのではなく、自分で考えて行動できる人材を育成しなければ、管理職の労働時間は減りません。これは調査の結果でも明らかになっています。
ここでポイントなのは、業務に何かを「足す」のではなく、「引く」こと。できるリーダーは、何かを追加でやる人ではなくて、引き算ができるリーダーなんです。たとえば、過剰な気遣いや、過度な心配を手放すことです。
資料のチェックを3回も4回もやる管理職の方がいますが、そういったものを引いてみる。良かったら続ければいいし、駄目だったら元に戻せばいいんです。引き算の実験を積み重ねているリーダーが、結果的にはできるリーダーなのです。
――部下に失敗させないと育たないのはわかっていても、自分がいっぱいいっぱいで失敗させたくないという方もいるのではないでしょうか。
【越川】自分の業務の中で削減できるものは、まず削減していかないといけません。リーダーが最初にやるべきは、仕事を「緊急度」という評価軸で仕分けすることです。
緊急度が高いもの、たとえばトラブル対応のように目の前で火が上がっている仕事は、部下にやり方を教えている余裕はないので、自分で対応した方がいい。課題に対して自分がすでに答えを持っていて、かつ緊急度が高ければ、それはすぐに自分でやらなければならない仕事です。
ただ、今すぐやらなければ全てが失敗に終わるようなタスクなんて、全体の2〜3割しかありません。にもかかわらず、すべてをトラブル対応のように自分で抱え込もうとするから、残念ながら時間が足りなくなってしまうのです。
緊急度と難易度の組み合わせで考えれば、緊急度が高くて簡単なものは、むしろ部下に任せた方がいい。さらに、緊急度が低く、しかもリーダー自身も答えを持っていないような課題も、さっさとメンバーに動いてもらった方がいいんです。指導に時間を割くより、現場での行動を加速させた方が成果につながります。
「それでは失敗してしまうのでは」と管理職の方はよくおっしゃいます。でも、実際には管理職が手を回せない状態に陥っていること自体が、すでに失敗なんです。「失敗しないためにはどうしたらいいか」と考えている人の大半は、すでに失敗している人たちなんですよ。
「時間がない」「そんな調整なんて無理だ」と言う方は多いのですが、挑戦ではなく"実験"と捉えればいいんです。小さく実験してみて、ダメだったらやめればいい。でもそこそこうまくいったら、そのまま任せておけばいい。挑戦ではなく実験を重ね、うまくいけば続ける。大きなトラブルになったら自分が入ればいい。そのくらいの覚悟が必要なのだと思います。
]]>仕事に家庭に、人から求められる「役割」をこなすうちに、気づけば心も体もくたびれていませんか。責任感の強い人ほど、自分を後回しにしがちです。毎日忙しくて疲れを感じていたら、「リトリート」という休み方を取り入れてみてください。
ネイチャーセラピストの豊島大輝さんは、自然とつながることで本来の自分を取り戻し、心身をリフレッシュできると説きます。旅に出るのが難しくても、日常に取り入れられる"プチ・リトリート"ならすぐに始められます。
※(注記)本稿は、『PHPスペシャル』2025年10月号より内容を抜粋・編集したものです。
私たちは生きていく中で、いくつもの「役割」を持っています。たとえば、職場では会社員として、家庭では母として、親から見れば娘として......。こうした社会的な役割は、他者から期待される姿であり、とくに責任感が強く真面目な人ほど、それらの役割を懸命に果たそうとするものです。
しかし、「求められる自分」や「期待される自分」に応え続けていると、次第に心や体が疲れてきます。ストレスや不調が生じることもあるでしょう。
本来の自分を取り戻して心身を整えるには、そうした社会的な役割からいったん距離を置くことが大切です。とはいえ、日常生活を送っている限り、それらの役割から完全に離れるのは簡単ではありません。だからこそ、「リトリート」をして休息を取ることが必要なのです。
「リトリート」とは、「転地療法」や「転地療養」とも訳される言葉で、普段いる場所から離れて心と体をリフレッシュすることを意味します。
リトリートでは、自然と自分とのつながりが重視されます。なぜなら、自然に触れることで、私たちは「役割の自分」ではなく、「自然の一部としての自分」に戻ることができるからです。人間は本来、自然の一部として世界に存在しています。自然の中に身を置くことは、自分らしさを取り戻すための大切なプロセスです。
しかし、日々忙しくしていると、自然豊かな場所へ出かけてゆっくり過ごすのは難しいかもしれません。そこで、日常生活の中で手軽に取り入れられる「プチ・リトリート」で自然とつながり、自分を見つめ直す方法をご紹介します。
●くろまる空を見上げる
都会でも見ることができる空は、一番身近な自然と言えます。空を見上げることは、最も手軽なプチ・リトリート術です。
今日は、どんな空模様でしょうか。雲一つない空もあれば、アート作品のような雲が浮かぶ空、分厚い雲に覆われ雨が降る空、ものすごいスピードで雲が動く空もあります。一瞬として同じ空はありません。今この時にしかない空を、ただ見上げてみてください。
●くろまる水の流れるルートを想像する
降ってきた雨がどこに流れていくのか、水がたどる道程を想像してみましょう。
屋根から流れ落ちる水や、道端を流れる水は近くの排水溝に集まります。そこから川に流れ込み、最終的に海にたどり着くまで、水の流れるルートをイメージしてみてください。自治体が発行するハザードマップを見ながら探ると、イメージがさらに具体的になります。
●くろまる車窓から地形を観察する
電車に乗ったら、窓の外を眺めてみましょう。外にはどんな景色が広がっているでしょうか。
山が見えたら、その山の名前を地図で調べてみてください。河川に近づいたら、河川標識の看板を探して名前を確認してみましょう。橋に電車が差しかかったときに、変化する走行音に耳を澄ませるのもいいですね。車窓から外を眺めてみると、いろいろな発見があります。
●くろまる街路樹にタッチ
街中の自然と言えば、街路樹です。眺めるだけでもリフレッシュ効果がありますが、触れるとなおよし。幹や枝にそっと触れて、街路樹の生命力を感じてみましょう。
いつも通るルートに街路樹があれば、剪定されたり、新芽が伸びたり、花が咲いたりする変化を観察して、生命の循環を味わうのもおすすめです。
●くろまるグラウンディングする
地面に足をつけることを「グラウンディング」と言います。裸足になって大地を歩く「アーシング」という有名な手法がありますが、靴を履いていても屋内にいてもできるのがグラウンディングです。
まずは、椅子に座って両足を肩幅程度に開きます。心を落ち着けて、自分の足が大地と深くつながっているような意識を持ってみましょう。すると心が穏やかになり、地球と一体化したような気持ちになります。
●くろまる周囲の音を聴く
周りから聞こえてくる音に、耳を澄ましてみましょう。たとえば電車の「ガタンゴトン」という走行音は、「1/fゆらぎ」というリラックス効果があるとされています。
風に吹かれた木々のざわめき、鳥の鳴き声など、街にもいろいろな音があふれています。聞こえてくる音に耳を澄ましていると、心が落ち着いてくるはず。自然音が収録された音源を、BGMとして聴くのもいいでしょう。
●くろまる姿勢をチェックする
自分がどんな姿勢をしているか、チェックしてみましょう。鏡の前に立って意識的に見ることも必要ですが、ショーウィンドウに映る姿など、ふとしたときの自分の姿を確認することも重要です。
もし猫背や反り腰になっていたら、鏡を見ながら1分ほどかけて丁寧に姿勢を整えることを習慣にしてみましょう。姿勢をよくすると呼吸が整い、体にエネルギーが行きわたって、エネルギッシュに過ごせるようになります。
●くろまる不要なモノを捨てる
自分の部屋を見渡し、不要なモノがないか確認してください。不要なモノを捨てずに置いている部屋は、濁って淀んでいる、どぶ川のようなものです。
部屋の中が淀んでいると、心まで淀んでしまいます。まずは、なんでもいいので目の前にある不要なモノを一つ捨ててみてください。自然は循環するもの。モノも循環させて、捨てたあとのスッキリした気持ちを味わってみましょう。
●くろまるのんびりした景色を眺める
テレビやYouTubeなどで刺激の強い映像や攻撃的な言論を見ていると、自分の気も立ってきます。心を穏やかにしたいときは、そういったコンテンツから離れて、平和な風景を眺めてください。
公園を散歩している犬や、河川敷でくつろいでいる人など、穏やかな景色をぼんやりと眺めるうちにリラックスできるでしょう。
●くろまるキャンドルをともす
焚き火など、炎を眺めると大きな癒やし効果を得られます。そこで、電気を消してキャンドルに火をともし、ゆったりとした時間を過ごしましょう。
キャンドルの炎をじっと見つめていると、だんだん気分が落ち着いてくるはずです。
●くろまる一番星を見つける
夕方に空を見上げてみましょう。晴れていて星が見えそうなら、今日の一番星を探してください。一番星とは、その日の夕暮れに初めて見える星のことです。金星であることが多いですが、木星や土星の場合もあります。
日が沈んだら、夜空の星を眺めましょう。とくに明るい星である一等星は全部で21個あり、都会でも見ることができます。曇っていて星が見えない日でも、雲の向こうで輝いている星に、思いを馳せてみてください。
●くろまる森の中を散策する
自然豊かな場所で、アクティビティーを楽しみましょう。栗拾いやりんご狩りなどの体験に参加するのもいいですが、登山道やトレッキングコースを散策するだけでもOK。
森の香りを嗅いだり、川のせせらぎを聴いたり、滝の水しぶきを感じたりするなど、その場にある自然を五感で味わってみましょう。
●くろまる地元の人と交流する
出かけた先に暮らす地元の人たちと話してみましょう。その土地とのつながりを感じられるとともに、普段の自分とは違う暮らしや価値観を知ることができるので、自分を客観視することにつながります。
宿泊する場合は、ゲストハウスや古民家、民宿など、人と交流しやすい宿を選ぶのもおすすめです。
●くろまる「しない」時間を大事にする
旅行を計画すると、あれこれと予定をつめ込んでしまいませんか? リトリートで大切なのは、「余白」です。何かを「する」のではなく、「しない」という時間を持つことで、自分自身を見つめられるからです。
旅行の目的がリトリートなら、予定をつめ込みすぎず、心静かに過ごす時間を大切にしましょう。
箱の中に入っている自分をイメージしてみてください。その箱は、自分に与えられた社会的役割を表しています。窮屈すぎる箱でなければ、そんなに不快感なく過ごせるかもしれませんが、ずっと箱の中にいると、だんだん疲れてくるでしょう。
日常から完全に離れる本格リトリートは、この箱から「外に出る」というイメージです。窮屈さや不自由さから解放され、のびのびと過ごすことができます。
しかし、人は社会的な役割を完全に手放すことはできません。箱の外だけでずっと過ごすことは難しいのです。だからこそ、プチ・リトリートが重要になります。プチ・リトリートは、箱の「ふたを外す」というイメージです。完全に箱の外に出るわけではありませんが、ふたが開けば見晴らしがよくなり、解放感を味わうことができます。ふたを外すだけなら箱の中にいてもできるように、プチ・リトリートは日常の中で、どこにいても取り入れることができます。
じつは疲労には三段階あり、早めにリセットすることが重要です。一段階目は「肉体的疲労」で、これは体を休ませることで回復できます。二段階目は「心の疲れ」です。ただ体を休ませるだけでは回復が難しく、精神的なリラックスが望まれます。そして最後、心の疲れが回復しないまま箱の中でずっと過ごしていると、三段階目である「人生の疲れ」にまで達してしまうのです。
そうならないように、プチ・リトリートや本格的なリトリートをうまく取り入れて、心をしっかりと休ませましょう。
【豊島大輝(とよしま・たいき)】
健康運動指導士、ホリスティックサポート代表。自然学校の立ち上げや県立公園所長を経て、亀山温泉ホテルにて「亀山温泉リトリート」をオープン。企業や学校、個人への研修を行なっている。著書に『しつこい疲れがみるみるとれる! リトリート休養術』(すばる舎)がある。
仕事や日常のコミュニケーションで、こんな場面に心当たりはないでしょうか。
丁寧に説明したのに、完成した成果物を見てみると「自分の思い描いていたものと違う」と感じた経験です。
言葉を使って伝えたはずなのに、なぜか意図が正確に届かない――。脳科学では、このような現象を「認知のズレ」と呼びます。
この「認知のズレ」はどういった場面で、なぜ起こるのでしょうか? 脳科学者の西剛志さんの書籍『結局、どうしたら伝わるのか』よりご紹介します。
※(注記)本稿は、西剛志著『結局、どうしたら伝わるのか』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
話をするときにまず気にしないといけないことは何か?
そう質問されたら、どう答えますか?
私は迷わずこう答えます。
「ちゃんと相手の話を聞くこと」だと(「ちゃんと」のところが大切です)。
え、話をするのに大切なのが「聞くこと」? そう疑問に思った人もいるかもしれません。でも、「ちゃんと相手の話を聞くこと」が最短で相手とのコミュニケーションをうまく生かせる方法です。
なぜ「ちゃんと聞く」ことが大切なのか。
その理由は、相手との認知のズレをなくすためです。「ちゃんと聞く」ことで、相手の視点を理解しやすくなります。
そしてもうひとつ、「ちゃんと聞くこと」のメリットがあります。
それが「信頼感」です。
信頼が大切ということはよくいわれていますが、ここで私が大切と言いたいのは「信頼」ではなく「信頼感」です。この「感」がつくだけで、意味は大きく異なります。
以前、こんなことがありました。
ある家電ショップにコーヒーメーカーを探しに行ったときのことです。店員さんにコーヒーメーカーの機種ごとの特徴を聞きました。するとその店員さんは、とても流暢なセールストークで、あるコーヒーメーカーを推薦してきたのです。
そのコーヒーメーカーは明らかに「その人が売りたいであろう」コーヒーメーカーなんだと思います。トーク内容も練られていて、口がうまいとはこういうことをいうのかというほどでした。
でも、その説明がまったく心に響かなかったんです。
「この人はこのコーヒーメーカーを売りたいんだな」ということがバレバレだったからです。私が知りたかったのはメーカーや機種による性能の違いでした。
でもその店員さんが話してくれたのは、彼が薦めたいコーヒーメーカーのよさと、ほかのコーヒーメーカーのマイナス点でした。
結局、その日、私はコーヒーメーカーを買うことはありませんでした。
後日、ほかの家電ショップに行きました。そして前回と同様に、店員さんにコーヒーメーカーの機種ごとの特徴などを聞きました。するとこの店員さんは、前回行ったお店とはまったく違う対応でした。
「お客様はどういうコーヒーがお好きなんですか?」
「どういうときに、コーヒーを飲まれるのですか?」
私に質問を投げかけてきたのです。その質問に答えると、
「お客様のご要望をまとめると、このコーヒーメーカーがお客さまに最適かと思います」
と言って、あるコーヒーメーカーを薦めてくれました。
この店員さんの話に納得した私は、そのお店で彼がすすめてくれたコーヒーメーカーを買いました。
同じコーヒーメーカーを買いに来たのに、1店めでは「ここでは買いたくない」と思い、2店めでは「ここで買いたい」と思った。真逆の結果です。
なぜこんなことが起きるのでしょうか?
口がうまい人っていますよね。セールスパーソンであれば、流暢に商品の魅力を話し、スラスラと話をすすめていく。でもこういう人から商品を買いたいかというと、答えはNOです。
理由は、「売り込もう」としているからです。
トークのスキルを使って、相手に売ろうとする。こういうときに、売り込まれる側の脳がどうなっているかご存じでしょうか? このとき、相手の脳で「ミラー理論(専門用語でミラーシステム)」が起きています。
ミラー理論とは、目の前のものを自分の脳に鏡のように再現する神経細胞ネットワーク(ミラーニューロン)が働くことをいいます。有名なのは、もらい泣きや、スポーツ観戦していると自分まで試合に出ているような感覚になる現象です。
要は、相手と同じような感情やテンションになることを表します。言葉以外の、非言語の情報が相手に投影されるのです。
家電ショップの店員さんのケースであれば、店員さんの話しぶりや行動で「この人は私のことを考えてないのかな」と気づいてしまう。それがミラー理論です。
結局、そのせいで信頼感のある関係構築ができなくなります。信頼感のない人の言葉は、相手には入っていきません。信頼感が持てない人から「こうすれば?」って言われても、従いたくないですよね。
でももし同じ言葉を、信頼感が持てる人から言われたらどうでしょうか?
「こうしたほうがいいんじゃない?」と言われたら、そうしようかなと思うのではないでしょうか。人と人がコミュニケーションをとるうえで大切なことが「信頼感」です。信頼をつくるのには時間がかかりますが、信頼感はいってしまえば一瞬でつくれます。
そして、信頼感が持てる、持てないはミラー理論によって、わかってしまいます。
いくら話がうまくても、伝え方のコツをつかんでいても、信頼感がないと相手にはなかなか伝わりません。
嫌いな人の話は全然自分の中に入ってこないのは、信頼感がないからです。信頼感がない人の話は、疑って聞いています。そうなると、話す人と聞く人の間で認知のズレが発生するのです。
]]>いま何かを知りたいとき「Googleで検索」するのではなく、ChatGPTをはじめとした「AIに相談」する人が増加しているという。それはなぜなのか?30万部超・新書大賞2025受賞作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)著者で文芸評論家の三宅香帆さんが解説する。
※(注記)本稿は、『Voice』2025年6月号を抜粋・編集したものです。
「報われたい」という欲望が現代の若者を読み解く一つの鍵である。
たとえば、昨今の流行語に「履修」というものがある。「あのドラマ、すでに履修済みだわ」「このジャンルはまだ履修できてません」といったように、コンテンツをすでに観たり読んだりし終わった状態を「履修」と言う。大学の授業の単位を取るように、話題のドラマやアニメを観ることを呼ぶ語彙である。
ここにあるのは、「物語を味わうこと=行動としての過程」だけではなく、「物語を履修し終わったという事実=報酬としての結果がほしい」という感覚ではないだろうか。つまり、物語を味わうという現在進行形の体験だけでなく、物語を履修し終わったという現在完了形の体験にも、フォーカスが当たっているのだ。話題のコンテンツをすでに知っているという状態、それこそが「履修」なのである。
こういう流行語を紹介すると「そんな映画やアニメの鑑賞を『履修』なんて言ってて楽しめるの? 大学の授業みたいに物語を楽しんでも、意味なくない?」と感じられる方もいるかもしれない。しかし、そのように思ったあなたは、「体験だけではなく報酬もほしい」という欲望について誤解している。体験はもちろん楽しむのだ。しかしそれ以上に、観たという体験が報われた状態がほしいのだ。
まさに大学の単位で考えてみれば、わかりやすいかもしれない。ある授業を受けて、先生が話していることそのものも面白い。しかしそれだけではなく、授業を受けたという体験が報われた結果――単位もほしい。そりゃそうだ、と理解できる。話題のコンテンツを鑑賞することもまた、同じような感覚になっているのではないか。報酬あってこその、行動なのだ。
アイドルのライブを楽しむだけではなく、アイドルを応援した結果がほしい。ドラマを楽しむだけではなく、ドラマを観てよかったという正解がほしい。仕事の面白さだけではなく、仕事で成長できたという証がほしい。アニメを観ることを楽しむだけではなく、アニメを履修したという事実がほしい。
――報われたい。
行動の報酬があってこそ「報われ度」が高まる。実体験に対して報われ度が上がれば上がるほど、手が伸びるのである。
従来、仕事や勉強や恋愛といった努力を必要とする側面においては、報われることはたしかに重要視されていた。しかし現代においては、余暇もまた資本主義の内部にあり、時間効率の良さを求める人が多い。 すると、同じお金や同じ時間をかけるならば、報酬が多いほうがいい。
たとえば2024年4月に発売開始された「キリンビール 晴れ風」は、3カ月で300万ケースを突破するヒットを見せた。このビールには、味だけでなく、「ビールの売り上げの一部が地方の桜や花火に寄付される」という寄付の仕組みへの共感が集まったのだという(日経クロストレンド、2024年8月2日)。
つまり、ビールを味わうだけではなく、このビールを買うことでさらに寄付が可能になる、という消費が報われた感覚があった。この仕組みこそがヒットを生み出したのではないか。結果的にキリンビール株式会社は、年間販売目標を上方修正するにまで至っていた。
もはやCDは曲を聴くためのものではなく、推しを応援するという報われ方のために買うものとなっている。あるいはアニメはストーリーを楽しむだけではなく、履修したという結果、報酬を同時にもらうことが重要になる。ドラマも鑑賞するだけではなく、考察して作者の正解を当てるという報われ方をしたほうが面白く感じる。すると世の中には、どんどん「報われ消費」とでも言うべき現象が増えていくのではないか。
――と考えたところで、いま最も広がっている「報われ消費」とは何か。
それは、AIではないだろうか?
最近しばしばSNSで見かける言葉をご存じだろうか。「チャッピー」というものだ。これ、何かと言えば、生成AIのChatGPTなのである。
そしてその派生なのか、ChatGPTを使うことを、「ジピる」と呼ぶ人も増えているのだという。
ChatGPTに何かを尋ねることは、Google検索に似ている。自分の聞きたいことや知りたいこと、やってほしいことをAIに打ち込み、答えを出してもらう。ググることとジピることは、一見よく似ている。もはや回答の精度が異なるだけではないか、と思うかもしれない。
しかしChatGPTに打ち込むことと、Google検索をすることの最も大きな違いは何か。
それは、AIの提示した正しい回答以外を知る余地がない、ということだ。
Google検索後にヒットするブログやサイトは、年代も作者もさまざまなものであることが大前提だった。Googleに掲載された情報を提出するのは、それぞれ別個の人間たちである。私が書いた記事も、大手出版社の公式サイトも、10年前に書かれた情報の古いブログも、それぞれが並んでいた。
アルゴリズムによってそれらの順番は並べ替えられるが、それでも書き手はさまざまな個人だった。そして、検索した私たちもまた、大いなる情報の渦から答えを選び取る必要があった。
しかしChatGPTに打ち込んで出てくる情報は、AIという、いわば「大きな個体」が取捨選択した答えである。もちろんいくつか回答を提示してくれることはある。出典となるさまざまなサイトを提示してくれることはある。だがそれでもChatGPTが提示するものは、Google検索のように、さまざまな人間の声から「私たちが選ぶ」回答ではない。「ChatGPTが選んだ」回答である。
これは決してマイナスな事象ではない。正しい検索結果を求めて複雑な取捨選択を行なう必要はなくなったし、古い情報は切り捨てられるようになったので、間違った回答を私たちが行なうことも減った。
結果として、問いに対して必ず正しい回答が返ってくるという「報われ度」が上がったのだ。
同じ問いを発しても、Google検索より、ChatGPTのほうが「報われ度」が高い。
なぜなら、正しい回答を、提示してくれるからだ。
ググるよりジピるほうが、報われやすい。なぜなら問いに対して、答えを提示してくれるからである。
――このような傾向はたしかに、これまで見てきたような「考察」を好む人びとと相性が良いだろう。考察とは究極、読者の切り口や視点(批評的観点)よりも、作者のもつ正解(考察的観点)を好む試みである。その場合、世界に受容者と発信者がいたとき、受容者の多様な解釈よりも発信者の唯一無二の正解を優先する。
ドラマを観たとき、自分の感想や解釈よりも、作者の提示する謎に対して回答を出し、そしてそれが正解するかどうかを重視すること。それが考察文化であるとき、ChatGPTというAIの提示する「正解」は、ドラマ以外においても重視されることになる。
考察文化とAIは、とても相性が良い。
なぜなら問いを提示した自分が納得できる「正解」を、AIは提示しやすいからだ。
......と書くと、AIのことをそんなふうに信頼できない、正解だと思えない人もいるよ、と思われるかもしれない。たしかにそうだ。私も、AIの言っていることは正しいのか? と苦笑するときがある。が、それはいまだけの話であると思っている。
AIは今後、もっと「正解を提示する擬似親」として受け入れられるようになるのではないか。
それが、私がこれまで現代のヒットコンテンツについて考えてきたうえでの、一つの予感である。というのも、Googleを使うとき、私たちはつねに「インターネットには嘘の情報もある」「インターネットは信頼できる情報を見極めることが重要だ」と説かれ続けてきた。それはGoogleという網(ウェブ)に存在する情報が、つねに、多様な人間の提示した解釈であるからだ。
しかしAIは違う。人間の情報を吸い上げたうえで、一つの回答という名の正しさを提示する、人工知能である。だからこそ人びとはあまり「AIの情報を信頼するな」とは言わない。
なぜなら、AIは正解の決まった情報を提示すること――たとえば将棋やプログラミングなど――がむしろ得意分野だからである。
AIをうまく使いこなせるかどうかは人間の技量であり、そこにあるのは、インターネットを信頼できないものとして警戒していた時代が遠くなっていく足音である。AIはむしろ人間よりも信頼できる、正しさを提示してくれる、問いを尋ねる私たちを報われさせてくれるものとして存在する。
では、世界には絶対的な正しさなんて存在するのだろうか?
もちろんそんなものが存在したら、戦争なんてとっくの昔に終わっている。国によって、解釈によって、利害によって、正しさは異なる。しかしAIは現代のAI文化圏(つまりデータを吸い上げる元ネタ)の場所における、とりあえずの正しさを提示する存在である。
つまり、もちろんAIの正しさとは、カッコつきの「正しさ」でしかないのだ。
AIの存在する世界について警戒を促す歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは、まさにこの点について説いている。つまり、AIはGoogleがグローバル化し開いてきた社会を文化的に閉じ込める存在になるのではないか、ということだ。現状、中国のAIはアメリカのデータを使わずに中国文化圏でのみ作成されているのだ。
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これら二つのデジタル領域は、互いからしだいに離れていくかもしれない。中国のソフトウェアは、中国のハードウェアとインフラとだけやりとりし、シリコンのカーテンの反対側でも同じようなことが起こるだろう。デジタルコードは人間の行動に影響を与えるし、人間の行動はデジタルコードの在り方を決めるので、両陣営は違う軌道に沿って進み続け、そのせいでテクノロジーだけではなく文化的な価値観や社会規範や政治構造でも、両者の違いはいっそう拡がる可能性が高い。
人類は何世代にもわたって、一点に向かって収束してきた後、別々の方向へ発散していく、きわめて重要な転換点に立つかもしれない。過去何世紀もの間、さまざまな新しい情報テクノロジーがグローバル化の過程を推し進め、世界中の人々がしだいに緊密に接触できるようになった。皮肉にも、今日の情報テクノロジーはあまりに強力なので、異なる人々を別個の情報の繭(コクーン)の中に囲い込んで人類を分断し、人間として単一の現実を共有するという考え方に終止符を打つ可能性がある。ここ数十年間は、網(ウェブ)が私たちにとって主要な比喩だったが、未来はコクーンの中にあるのかもしれない。
(ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS 情報の人類史(下)AI革命』柴田裕之訳、河出書房新社、2025年)
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ウェブからコクーンへ。この流れは、前稿で見たような「界隈化」する日本とも合致する。Googleによって開けてきた社会は、ChatGPTによって閉じていく。それはつまり、私たちが一時的でもいいから、と現代の文化圏におけるとりあえずの正しさを求めた結果なのである。
界隈を越える冒険をする物語において、擬似親がある種のユートピアとして機能することを前稿で見た。私たちはいま、AIを擬似親として求める。なぜならもう、信頼できない情報に疲れたからだ。陰謀論やフェイクニュースにあふれ、データベース化されそうなくらいたくさんいるアイドルの濁流に呑み込まれ、情報が洪水のように湧き出る世の中において、「チャッピー」は、私たちが流れる川の中で、どうしてもしがみついてしまうような存在なのである。
ノーベル文学賞受賞者のカズオ・イシグロは『わたしを離さないで』(土屋政雄訳、早川書房、2006年)のなかで、以下のような描写をしていた。
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「そうだな、キャス。君は優秀だ。君が君じゃなかったら、おれにも完璧な介護人だったんだけどな」
トミーは笑い、横に並んだままのわたしに腕を回しました。そして、こう言いました。
「おれはな、よく川の中の二人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。で、その水の中に二人がいる。互いに相手にしがみついてる。必死でしがみついてるんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される。おれたちって、それと同じだろ? 残念だよ、キャス。だって、おれたちは最初から――ずっと昔から――愛し合ってたんだから。けど、最後はな......永遠に一緒ってわけにはいかん」
(カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』)
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流れの速い川の中で、『わたしを離さないで』はそれでも二人がしがみつき合う様子を描いていた。それはまるで濁流の中で人間同士が出会っては喧嘩し別れてゆく様子を描いたかのようである。
しかしいま、人間にしがみつくことに、皆疲れているのかもしれない。人間はいつか「別々に流される」ことがわかってきたからだ。
批評よりも考察が好まれるのは、人間よりもAIを信頼することによく似ている。解釈より正解が好まれる。
ではAIのような、とりあえず目に見える「正しさ」にしがみつくとき、私たちは報われるのだろうか?
その答えは、きっともっと先にわかることだろう。
]]>例年よりも早いインフルエンザの流行が各地で報告され、すでに学級閉鎖も発生しています。特に今年は残暑が長引く中での流行拡大となり、多くの保護者や教育現場が困惑しています。しかし、この異例の流行には地球規模での感染パターンの変化や、インバウンド観光客の増加といった複合的な要因が関わっているのです。本記事では、くぼたクリニック松戸五香 院長・窪田徹矢先生に、早期流行の背景から家庭でできる対策まで詳しく伺いました。(文・吉澤恵理)
――今年はすでに流行が広がっており、学級閉鎖も起きています。なぜこのような状況になっているのでしょうか。
確かに今年は例年より早い時期から流行が見られています。その背景にはいくつかの要因があります。まず、海外ですでにインフルエンザが流行しており、国際的な人の往来を通じて日本に持ち込まれた可能性があります。
加えて、コロナ禍でのマスクや手洗いなどの感染対策が緩んだことで、ここ数年インフルエンザにかからず免疫を持たない子どもたちが増えていることも大きいですね。免疫がない集団にウイルスが入ると、一気に広がりやすくなります。
さらに、今年は残暑が長引き、屋内で冷房を使用する時間が増えました。冷房による乾燥はウイルスが生き残りやすく、のどや鼻の粘膜も乾燥して感染しやすい状態をつくります。こうした気候要因も流行拡大を後押ししたと考えられます。
これらの条件が重なった結果、学級閉鎖が出るほど早期に流行が拡大しているのだと見ています。
――インバウンドが、インフルエンザ流行に影響していると言うことですか。
はい、十分に考えられます。いま世界では地域によって流行時期が大きく異なります。日本や欧米など温帯地域は冬にピークを迎えますが、南半球のオーストラリアやニュージーランドでは5〜9月が流行期です。さらに、タイやフィリピンといった熱帯地域では年間を通じて流行が続き、雨季や乾季の切り替わりでピークを迎えることもあります。
つまり、世界規模で見るとインフルエンザは常にどこかで流行しているのです。そして国際的な人の移動が活発化すれば、海外で流行しているインフルエンザが日本に持ち込まれるリスクは必然的に高まります。
私たちは「冬になれば流行する」と構えていればよい時代ではなくなっています。インバウンドが増えた現在、流行は季節を待たずにやってくる可能性があります。そのことを強く意識し、ワクチンや感染対策を早めに準備することが重要です。
――実際に海外渡航者にインフルエンザの感染者が確認されているのでしょうか。
はい。空港検疫では毎月のようにインフルエンザ感染者が確認されています。例えば今年の7月には、A型インフルエンザH1pdm09が14例、H3が8例、さらにB型が3例、合計25例が検出されています。5月・6月にも10例前後が見つかっており、これは海外で流行している株が日本に持ち込まれている証拠です。
ただし、検疫時に無症状の人や、解熱鎮痛剤を服用して一時的に熱が下がっている人もいます。そのため、実際には確認されている数よりも多くの感染者が入国している可能性があると考えられます。
――20人の感染者から、感染が拡大していくこともあるんでしょうか?
もちろんあります。インフルエンザは1人が平均して1〜2人に感染させるとされる基本再生産数(R0)を持っています。仮に20人の感染者が同時に存在した場合、それぞれが2人にうつせば次の世代で40人、その次は80人と、短期間で指数関数的に増えていきます。
特に学校や職場、イベント会場のように人が密集して過ごす環境では、一人の感染者から一度に多人数に広がるスーパースプレッダーのような現象も起こり得ます。20人規模の感染者集団が動けば、その地域全体で爆発的に流行するリスクがあるのです。
ですから、早期に感染者を見つけて休ませること、周囲の人がマスク・手洗い・換気を徹底することが、感染拡大を抑えるカギになります。
――各国での治療や認識に違いはありますか?
日本ではタミフルやリレンザなど抗インフルエンザ薬を発症早期から積極的に使い、重症化予防を重視します。これは世界的に見ても珍しい特徴です。一方、欧米では「風邪の延長」「自然に治る病気」という認識が強く、薬は重症化リスクのある人に限って使用するのが一般的です。
オーストラリアやニュージーランドはワクチン接種率が高く、予防重視の姿勢が目立ちます。アジア各国では医療アクセスの差から、薬に頼らず自然経過で回復を待つケースも少なくありません。
国ごとの医療制度や文化の違いにより、インフルエンザへの向き合い方も変わります。グローバルに流行が巡回する時代においては、各国の特徴を学びながら、日本に合った最適な戦略をとることが求められます。
――最後に読者へのメッセージをお願いします。
インフルエンザは冬だけの病気ではなく、世界中で常に循環している感染症です。検疫で完全に防ぐことはできません。だからこそ、私たち一人ひとりができる予防策――ワクチン接種、手洗い、マスク、換気など――を日常的に実践することが、流行を抑える最大の鍵になります。
特に家庭では、帰宅後すぐの手洗い・うがいを習慣にすること、部屋の湿度を50〜60%に保つこと、十分な睡眠とバランスのとれた食事で体調を整えることが大切です。家族に発熱や咳などの症状が出た場合は、早めに医療機関を受診し、無理に登校・出勤させないことが感染拡大防止につながります。
]]>「ぬるい職場」では、客観的にハラスメントとは言えない状況でも、労働者が過剰に被害意識を抱いたり、労働者としての義務を果たさないまま権利ばかりを主張する傾向が見られます。その結果、やる気のある社員が浮いて離職したり、温度差からトラブルが生じる悪循環が起こりやすくなります。
本稿では、そんな「ぬるい職場」で発生した実際の複数の事例をもとに匿名化・再構成したご相談に基づき、その特徴とリスクを書籍『職場問題ハラスメントのトリセツ』より解説します。
※(注記)本稿は、村井真子著『職場問題ハラスメントのトリセツ ~窮地の前に自分を守る、取るべきアクションと相談のポイント』(アルク)より内容を一部抜粋・編集したものです
感情のコントロールが苦手な人や下手な人は、自分の感情のままに衝動的に行動したり、攻撃的な言葉を口走ることがあります。本人が悪気なく行っている場合でも、職場内での信頼関係の低下や、組織全体の職場環境の悪化を招くことになりかねません。
相手の感情をケアする前に、自分を責めることで謝罪を忘れたり、逆に勢いづいて暴言を重ねるなど、二次的な被害を生みやすいのも特徴です。また、自分の感情を周囲にアピールするかのように発散することで、周囲に困惑や不安を与え、威圧していると受け取られる場合もあります。
[典型的な行動例]
▼突発的な暴言や、衝動的にモノにあたることがある。
▼感情の起伏が激しく、周囲に気を遣わせる。
▼自分の非を鑑みず、自分にそのような感情を持たせた相手が悪いと考える。
[相談]
決算期前の繁忙期に、経理課の課員が長期入院することになりました。その補充として異動してきた社員のミナミさんと課長との間のトラブルについて相談します。経理課長のサダさんは明るくて面倒見のいい人なのですが、ときどき衝動的に大きな声を出すことがあります。本人もハッとするようで、すぐに私たちに謝ってきます。
ところが、ミナミさんが異動前の上司に相談したらしく、パワハラ疑惑が出ています。課長もミナミさんに対して「そんなことまでいちいち聞かないで」とか、「この間も同じことを注意したでしょう」といった感情的な対応がありました。
でも、ミナミさんも何度も同じミスをしたり、勝手に書類を処分したりと問題がないわけではありません。私から見ても、課長が怒るのは当然に感じます。それでも課長は、パワハラをしたことになってしまうんでしょうか?
ミユキ(30代・女性)
ミユキさんやミナミさんは、従業員数500名ほどの映像製作会社に勤務しています。ミナミさんは総務課の所属でしたが、簿記の資格があったため、繁忙期の経理課に異動を命じられました。ただ、実務経験はなかったので、ミユキさんら他の社員がOJTを行いました。しかし、決算期前で忙しく、行き届いたサポートはできませんでした。
ミナミさんは休職中の社員の仕事を一部引き継ぎましたが、業務理解が浅かったため、質問すべき相手がわからず、頻繁に課長に尋ねました。けれども、多忙な課長からは丁寧な指導を受けることができません。課長以下全員が忙しいことがわかったミナミさんは、やがて自己判断で仕事を進めるようになりましたが、かえって課員の確認の手間を増やしてしまうことになりました。
ミナミさんは一生懸命に仕事をしていましたが、課長に「子どもじゃないんだから何度も言わせないで。バカなの。何度教えたらできるようになるの」と感情的に怒鳴られ、席を立たれたことで精神的に限界を感じ、元上司である総務課長に相談しました。
すると、総務課長がハラスメントではないかと疑問視したため、ミナミさんはハラスメント相談室で相談することになりました。相談室の社内調査の結果は次の通りです。
・ サダ課長がその発言をした事実はある。課内の複数の職員が現場を目撃しており、サダ課長も発言したことを認めている。
・ ミナミさんに引き継がれた仕事は、商業簿記ができれば難易度が高いものではなかった。しかし、ミナミさんの理解が浅く、仕事の精度は粗かった。そのため、サダ課長が何度も口頭やメールで指導した履歴がある。口頭での記録はないが、メールの内容は業務指導の範囲を逸脱したものではない。
課長はヒアリングにおいて、自分も余裕がなく、異動してきたばかりのミナミさんへの配慮が足りていなかったことを認めました。また、離席したのは開始時間が迫っていた会議に出席するためで、ミナミさんに対して他意はないこと、自分の不適切な言動について謝罪したいと伝えてきました。
ハラスメント相談室は調査にあたって、どのような発言がどのような状況下でなされたのかの事実を明らかにする必要があります。その事実認定をもとに、ハラスメントとして認定するかを検討するからです。
会社は「サダ課長からミナミさんに対する対応は不適切であった」と認めましたが、本人が強く反省していること、ミナミさんは何度も指導を受けているのに改善できていないこと、初歩的なミスを繰り返すこと、などの課題があったこともあり、課長がミナミさんへ直接謝罪することを条件に、懲戒処分は行わないことにしました。
これは調査中、課内からサダ課長をかばう声が多かったことも起因しています。パワハラの認定には「平均的な労働者の感じ方」が考慮されますが、今回は客観的に見て、「就業する上で、看過できない程度の支障が生じたとまでは言えないものだった」と言えます。ミナミさん本人は強いストレスを感じていますが、パワハラにはあたらないというもので、この事例には「ぬるい職場」の特徴がよく表れています。
]]>家族が亡くなったとき、お墓はどのように決めればよいのでしょうか。故人に希望があっても、詳細までは生前に聞けなかったというケースも少なくありません。
30年以上にわたり葬儀の現場に携わってきた株式会社ディライト代表・高橋亮さんは、著書『後悔しない葬儀とお墓選び』で最低限知っておきたいお墓の知識を解説しています。本稿では同書から、永代供養墓に関する基本的な情報をご紹介します。
※(注記)本稿は、高橋亮著『後悔しない葬儀とお墓選び』より内容を一部抜粋・編集したものです
永代供養とは、お墓の管理者である寺院や霊園が、遺族に代わって長期にわたり供養を続けてくれる仕組みのことです。お墓の後継者がいなくなった場合でも、寺院や霊園側が責任を持って供養とお墓の管理を行ってくれます。
永代供養で管理しているお墓を「永代供養墓」といい、この後説明する納骨堂や樹木葬などは、基本的に永代供養の仕組みがセットになっています。また、複数の遺骨を1カ所に納めて供養する合祀墓も、永代供養墓の一種です。
樹木葬や納骨堂などでは、契約内容により、3年、13年、33年といった一定の期間供養した後、合祀墓に移されるのが一般的です。後継者の心配が不要なため、独り身の方や、子や孫に負担を残したくないという方の選択肢の1つとなっています。
一方で、合祀墓に移されると、他の人の遺骨と混ざってしまうため、遺骨の取り出しができなくなることに注意が必要です。
納骨堂は遺骨を屋内で安置するタイプのお墓です。
一般墓のように広い土地を購入したり大きな墓石を建てたりする必要がない分、経済的な負担が抑えられる傾向にあります。設備管理や清掃も専門のスタッフが行うため、自分で維持管理の手間をかけたくない人におすすめです。
ビルや寺院の堂内など建物内部に遺骨を保管するため、天候や季節に影響されずにお墓参りができる一方、地震など災害時の安全性や、将来的な建物維持管理についてはよく確認する必要があります。
納骨堂には自動搬送式、ロッカー式、仏壇式、位牌式、墓石式、神棚式などいくつかのスタイルがあります。
【自動搬送式】
遺骨を保管スペースに格納し、遺族が参拝する際にICカードなどで操作すると、指定の参拝スペースに遺骨が自動で搬送される仕組みです。機械式駐車場のような構造で、高層化された保管棚とスタッカークレーンで効率的に管理されています。
納骨堂の中では最も一般的なスタイルで、参拝者が遺骨の安置場所に移動する必要がなく、参拝の負担が少ないのが特徴です。
【ロッカー式】
扉付きの棚が並ぶ構造になっていて、棚の中に骨壺を納める方式です。従来はコインロッカーのようなイメージが強いものでしたが、近年では扉に装飾が施されたものなど、デザインに選択肢が増え、人気が高まっています。
【仏壇式】
仏壇式は、屋内に一般的な仏壇がずらりと並べられている形式です。それぞれの仏壇の上段には遺影や位牌、お花などをお供えでき、下段に遺骨を納めるスペースがあります。
伝統的な仏壇のような雰囲気で、参拝するスペースが広いのが特徴です。装飾が施されてきらびやかなものが多く、他のタイプに比べると費用が割高になります。
【位牌式】
位牌式は、戒名や没年月日が書かれた位牌が個人の区切られたスペースに並べられている形の納骨堂です。比較的安価で、寺院内に多く設置されています。
遺骨が位牌と同じ場所に納められている場合と、別々に保管されている場合があります。
【墓石式】
墓石式は、屋内に個別の墓石が設置されている形式で、屋外にあるお墓と同じように、お墓の区画まで行って参拝をします。
一般墓のような形でありながら、屋内で天候の影響を受けにくいため、清潔な状態を保てることが利点です。
【神棚式】
神棚式は、主に神道を信仰する人に利用される形式です。日本の伝統的な神棚を模したものや、それに近いシンプルな神棚構造になっています。
個別の仕切りや扉のない簡素な構造であることが多く、棚に骨壺が直接安置される点が特徴です。比較的安価な選択肢の1つです。
樹木葬は、墓石の代わりに樹木を墓標とする、比較的新しい形態のお墓です。1999年に岩手県一関市の祥雲寺で始まり、全国に広がったと言われています。
シンボルとなる樹木の下に遺骨を埋葬するため、故人が「自然に還る」イメージがあり、近年人気を集めています。寺院の境内の一角に作られる「都市型」や自然の山林を生かして作られる「里山型」、霊園の一角が庭のように整備された「庭園型」などがあります。
樹木葬の区画は公園のように整備されていることが多く、見た目にも明るく美しいため、生前に「ここで眠りたい」と希望する方も増えてきました。遺族の方にとっても、植えられた樹木が年月とともに成長していく姿を見ることで、故人を偲びながら生命の循環を感じ取ることができます。類似のお墓に、花を植えた区画に埋葬する「花壇葬」というスタイルもあります。
樹木葬は、運営している霊園や墓地によって管理の質に差がある点に注意が必要です。植栽の手入れが行き届いていない場合や、十分な供養が行われないケースがあります。利用を検討する際には、環境維持や供養方法を事前に確認することが大切です。
また、同じ樹木葬でも、埋葬方法にいくつかの種類があります。
【個別型】
家ごとに個別の区画が割り当てられる形式です。墓標となる樹木は一家に1つ用意します。家ごとに分けられているため自由度が高いですが、樹木葬の中では料金が割高です。
【合祀型】
1本の樹木の根元に他の人の遺骨と一緒に埋葬される形です。次項で説明する合祀墓の一種で、料金は比較的安く設定されていることが多いです。
【集合型】
墓標となる樹木を他の方と共有する形です。共同埋葬ですが、遺骨の保管は個別なので、合祀型よりも費用は高くなります。
合祀墓は、複数の遺骨を1つのお墓にまとめて埋葬する形態です。個人ごとの区画や墓石はなく、大きな供養塔や共同の納骨室に他人の遺骨と合同で安置されます。
故人の名前は共同碑に刻まれ、合同の慰霊碑や供養塔に対して供養を行う形になります。一般墓のような区切られた空間ではない点は、留意しておく必要があります。
1つのお墓を多数の人で共有するため、費用負担が少ないことが特徴です。また、前述のとおり、いったん他の人と合同で埋葬されると、特別な事情がない限り遺骨を個別に取り出したり別の場所に移したりすることはできません。
なお、類似の墓地の形に「共同墓」がありますが、これは後継者不在や経済的な理由などで個別のお墓を建てる代わりに、複数人で建てるお墓です。友人や知り合い同士でお墓を作るケースなどが当てはまります。
【関連情報】
『株式会社ディライト』https://delight.co.jp
『葬儀の口コミ』https://soogi.jp
『お墓の口コミ』https://oohaka.jp
SNSのアルゴリズムが政治的思想の過激化を促しているのではないか?教師と生徒、上司と部下、スクールカーストのようなヒエラルキーの存在感が薄れている中で「界隈」が果たす役割とは?30万部超・新書大賞2025受賞作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)著者で文芸評論家の三宅香帆さんが解説する。
※(注記)本稿は、『Voice』2025年5月号を抜粋・編集したものです。
インターネットのプラットフォームが保有するレコメンドアルゴリズムは、「正解」という名の最大公約数を強化させる表現を支持する傾向があり、それゆえにユーザーの個別性を失わせやすい。
ここで言うアルゴリズムとは、ユーザーの好みを機械学習し、それによって表示する情報や広告を変えるシステムのことである。
昨今、アルゴリズムという言葉を最も耳にするのは政治の問題を語るときではないか。たとえばある選挙の際、SNSに自分の支持する政党の応援投稿しか流れてこなくなる現象が現代のSNSアルゴリズム上ではできているのだと言われることは多い。過激な陰謀論や女性不信の言葉がアルゴリズムによってさらに助長され、表示されるのである、と。
しかし、じつはこのようなエコーチェンバーと呼ばれる仕組みに対し、「アルゴリズムが思想を過激化させる」効果については昨今では否定されつつある。
クリス・ベイル『ソーシャルメディア・プリズム SNSはなぜヒトを過激にするのか?』(松井信彦訳、みすず書房、2022年〈原著は2021年〉)は、インターネットプラットフォームのアルゴリズムが人びとの思考を過激化させた、という昨今の言説についてノーを突きつけている。
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アルゴリズムが過激化を促しているという見解を支持する証拠は驚くほど少ない。計算社会科学者のグループがこの件について行った大規模な調査によると、穏健なコンテンツからより過激なコンテンツへと進んだユーチューブユーザーはいるにはいたが、その割合は推定で10万ユーザーにつきわずか1ユーザーだった。同様に、この数年前にフェイスブックユーザー1010万人を対象に行われた調査によると、フェイスブックで見られたイデオロギー的差別の圧倒的多数の原動力は、関わる対象についてのユーザー自身による判断であり、ユーザーが目にするメッセージの順序を決めるアルゴリズムではなかった。
(クリス・ベイル『ソーシャルメディア・プリズム』)
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つまり、最近の調査によれば、エコーチェンバー現象の蔓延はこれまで誇張されすぎだったと示されたのである。
もちろん、アルゴリズムによって過激な思想をたまたま目にしたことがきっかけで、過激な思想を信じるようになる人もいるにはいるだろう。しかしじつはそれも、結局はユーザーが選んだ思想だ。
プラットフォームは人びとを過激にするのではなく、もともと過激な物語を欲している人びとに対して報酬としての情報を与えているだけなのである。
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だが、社会的孤立が進む時代において、ソーシャルメディア・プラットフォームは私たちが自身を――そして互いを――理解するために使う最重要ツールのひとつになってきた。私たちがソーシャルメディアにやみつきなのは、目を引く派手なコンテンツが表示されたり気を散らすコンテンツが延々と流れたりするからではなく、私たち人間に生得的な行動、すなわち、さまざまなバージョンの自己を呈示しては、他人がどう思うかをうかがい、それに応じてアイデンティティーを手直しするという行動を手助けしてくれるからである。
(クリス・ベイル『ソーシャルメディア・プリズム』)
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エコーチェンバーによって生まれる同様の思想をもった人びとの集団を、ベイルは「部族」と呼ぶ。政治的主張に基づく部族ということだ。
これは昨今の日本語で表現するのであれば「界隈」と呼ぶことができるだろう。2024年のユーキャン新語・流行語大賞トップ10に入った「界隈」は、特定のジャンルや行動を好む人のことを指す語彙である。
アルゴリズムは、同じ「界隈」であると判断したユーザーに、同じ情報を差し出す。そしてクリックやインプレッションなどの数値を計測する。そして「界隈」でクリックされやすい、閲覧されやすいコンテンツが、私たちの目の前に表示されるようになる。
一人ひとりのアイデンティティーに近い「界隈」が、フラットに広がっている。「界隈」にヒエラルキーはない。ただ数の大小が存在するだけだ。
私たちがアルゴリズムのなかで「界隈」を超えて冒険することは、とても難しい。
私自身、チャンネル登録者数100万人を超えるYouTuberの多くを知らない。日本一登録者数の多いYouTuberすら、「界隈」が異なるからか、私は名前も聞いたことがなかった。
そのなかで、「界隈」を超えて冒険することは――エンターテインメントになりうる。それを教えてくれる物語は、いまなお愛される。
たとえば『ロミオとジュリエット』は、異なる「界隈」を超えた2人の男女が恋愛でつながってしまった悲劇を描いた。あるいは『ガラスの仮面』(美内すずえ、白泉社、1975年〜)は、演劇を通して、社会的階層も経歴も「界隈」の異なる2人の女優が出会い、ライバルとなる様子が展開されている。あるいは『桐島、部活やめるってよ』(朝井リョウ、集英社、2010年)は「スクールカースト」と呼ばれる教室のなかで異なるグループ、つまり「界隈」に属する学生たちを描いた物語だった。
このように、社会や学校の「界隈」が異なるところを超えて交流する様子は、しばしばエンターテインメントになってきた。「界隈」が社会的階層、つまり上下の感覚をもち込まれたものである場合も多い。
だがそのなかでも、近年アニメ化されて話題となった『スキップとローファー』(高松美咲、講談社、2018年〜)は、教室の中の「界隈」を超える物語として人気を博している。
主人公の岩倉美津未(みつみ)は、石川県から高校進学のために東京へやってきた。過疎化が進む田舎から一変、彼女の周囲はあか抜けた都会の高校生ばかりになる。初めは周りに馴染めないかと思いきや、人びとの内面を知るにつけ、みつみはクラスで仲の良い人を見つけるようになる。
『スキップとローファー』という物語の一つの魅力は、高校のクラス内で「界隈」が違う人が存在することをもともと心得ている学生たちのなかで、みつみが「界隈」を気にせずに接してゆく様子である。『スキップとローファー』の登場人物たちは、自分がどのような「界隈」に所属しており、どのような「界隈」に疎まれているかも含めて、自覚している。
たとえば見た目が派手な村重結月と、文芸部の久留米誠は、最初「界隈」が異なるからと仲良くなれないものだと思っていた(が、みつみを通して仲を深めていく様子が描かれる)。
あるいは八坂千笑璃は、女性同士の「界隈」に馴染めないことを前提として行動している。
『スキップとローファー』に描かれる登場人物は、「界隈」を超えて交流することが不和のもとであることを深く理解している。
実際、結月と誠の友情は、他人から見たら「界隈」を超えているように見えることが示唆されている。
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男子「同じクラスだった人?」
結月「うんっ いちばん仲よかったコたちだよー」
男子「へー はは マジか〜〜〜」
結月「すごい いい子だよ」
男子「あっ そうなんだ やーいいよねああいう系も オレも1年のとき後ろの奴に漫画借りたりしてて」
結月(ああいう系… なにそれ やめてほしい そういうので 友情とか平気で壊れるのに)
(高松美咲『スキップとローファー』7巻)
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結月と誠たちの友人関係を見て、結月に対して「マジか」と言ったり「ああいう系」と言ったりする男子生徒は、普通は「界隈」を超えないものだということを前提としている。
しかし、作中でみつみは「界隈」のルールを超えて動く、トリックスター的な人物として機能する。
みつみは、田舎で子どもの少ない地域に生まれ、「界隈」というルールを知らずに生きてきた。ゆえに東京のクラスでも簡単に「界隈」を超えて移動することに抵抗がない。
1年生のときに仲良くなった江頭ミカ、結月、誠は、最初はそれぞれが異なる「界隈」に所属していたが、みつみを通して交流するようになるのだった。
一方、みつみは「界隈」をただ天真爛漫に超えているだけかと言うと、そういうわけではない。というのもみつみは、いったん仲良くなったとしても、自分の恋愛相談を彼女たちに打ち明けることをためらうのである。
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(これまでのこと話したら 私に味方してくれることも 志摩くんにすごく怒ることも想像できる
でも私の中では納得してるわけで それで志摩くんのこと嫌ってほしくないし
みんなでいるのも好きなんだよな
うーん 黙っといたほうがいいよね やっぱ)
(高松美咲『スキップとローファー』8巻)
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みつみにとって、友情とはとても重要なものである。だからこそたとえば、クラスの人気者でみつみとも仲の良い志摩聡介と、女子グループが対立しそうなときは、そっとその対立を避ける。
従来であれば友情とは誰とでも何でも話せることであるように描かれていたかもしれないが、『スキップとローファー』においてはその限りではない。『スキップとローファー』には、界隈の対立をいかに学生たちが避けようとしているかが幾度も描かれるのだ。
悩みを相談するにしても、利害が対立しないように、界隈のルールを壊さないように、距離感を保ちつつ行なわれる。『スキップとローファー』には、そんな若者の繊細な姿が繰り返し描かれている。
そして友人には相談できない代わりに、多くのことを察してくれて相談に乗ってくれる存在として、疑似親としての叔父・岩倉直樹(ナオちゃん)が登場する。みつみの恋愛事情や友情のことも察し、気にかけてくれる存在が、親代わりの叔父なのである。時にナオちゃんは、学生たちの相談相手となるのだった。
実際、『スキップとローファー』を参照するまでもなく、現実の若者たちにおいても、「悩み事や心配事を相談する相手」のなかで「友だち」の地位は下がり続け、「親」が上がり続けている。
たとえばNHK放送文化研究所が実施した「中学生・高校生の生活と意識調査」によれば、2022年の高校生において「悩み事や心配事を相談する相手」は、第1位「友だち」が1982年以降の調査で最も低い42.6%(1982年は74.2%)、そして第2位「お母さん」が1982年以降の調査で最も高い30.2%(1982年は11.0%)に達した。ここでいう「友だち」は選択肢からすると「(同級生である)恋人」も含んでいるように見えるが、それでも悩み相談の相手としての「友だち」の割合は減少し、「母」「父」の割合は増加している。
このような調査結果を見ても、「界隈」をつくる友達はもはや共感できる価値観のみを共有し、悩み事のような意見が対立するかもしれないことを打ち明ける相手は親になりつつある、と言えるのかもしれない。
ここで取り上げたいのが、ヤマシタトモコ『違国日記』(祥伝社、2017〜23年)である。本作はまさしく「異なる界隈」に所属していたはずの2人が疑似親子になる物語なのだ。
主人公の高校生・田汲朝は突然両親を事故で亡くす。そこで彼女を引き取ることになったのは、小説家の叔母である高代槙生だった。歌うことや友人といることが好きな朝と、一人でいることを好み小説を家で書き続けている槙生は、最初は言葉の使い方すら異なるところから交流が始まる。しかし、朝が両親の不在を少しずつ受け入れるにつれ、槙生も朝の親代わりになることを受け入れていく。
『スキップとローファー』と同じく、やはり『違国日記』の朝も友人に言えない悩みを抱えつつ、それを親代わりの槙生に思いがけず打ち明ける。「界隈」が異なるはずの2人は、「親子」になることで交流できるようになるのだ。
この「『親子』になることで、違う界隈の2人が関わるようになる」物語が示していることは、「親子になる」ことがもはや現代において最もシャッフル性の高い、偶然性を伴った関係性であるということである。
つまり、友情も恋愛も仕事も、昨今の人間関係は流動性が高く、自分で選ぶことができることがほとんどである。
もちろん究極のところ仕事の人間関係など選べはしないのだが、それでも昔よりは選択可能性が高まっている。本当に苦手な人がいれば関わらずに転職する、という選択肢を長期的には選ぶことができる。
しかし親子だけは、現代において選ぶことができない。親も子も選択不可能な関係である。ある意味、最も選べない「界隈」こそが、親子なのである。
社会学者の上野千鶴子は、「ファミリィ・アイデンティティのゆくえ」(初出『家族の社会史(シリーズ変貌する家族1)』岩波書店、1991年)において、家族とは「絶対性を付与する幻想」であると指摘している。たとえば上野は、調査のために向かった介護現場において、「家族のような」という言葉に幾度も出会ったと語っている(上野千鶴子「自著解題」『近代家族の成立と終焉 新版』岩波現代文庫、2020年)。
ここで言う「家族」という語彙には、「出会いの偶然を必然の選択に変える」意味が込められている。つまり現代において、家族とは「絶対的で、変えられない界隈」の比喩なのだ。
『違国日記』において、まさに「違う国」の2人は「界隈」を超え、親子になることで関わりを得る。そして時に朝は、友達に言えないことを親(槙生)に伝えることになる。
誤解なきように加えておくと、『違国日記』には繰り返し、わかり合えない親子も描かれている。親子であれば必然的に何でも話せるというわけではない。
だがそれでも、昨今の若者に人気の『スキップとローファー』や『違国日記』において、「疑似親」の存在感が強いことは興味深い点である。しかも主人公とはまったく異なるタイプ――界隈――でありながら「疑似親」として主人公を気にかけてくれるのだ。
『スキップとローファー』のナオちゃんや『違国日記』の槙生のような、現実の親ではないが理解のある親代わりの叔父や叔母というのは、ある意味現代で最も求められているファンタジーなのかもしれない。「界隈」の違いを気にすることなく接することができる。それでいて、年上であるがゆえに、相談すれば「正解」に近いことを教えてくれる。
もちろん2人とも万能であるようには描かれていないのだが、それでもたとえば恋愛関係にある異性や、クラスの友達よりも、「疑似親」のほうが理想の相談相手として描写されている。
これはある意味で、プラットフォームのアルゴリズムにおいてさまざまな人びとが意見を対立させ、正しい意見なんてないことが知れ渡った世の中で、最も正しい意見をもちうる存在と言えるのかもしれない。
『スキップとローファー』において、みつみは「界隈」の違いのなかで苦労を重ねる。恋愛しようとしても、友情を育もうとしても、「界隈」を越境してはいけないという暗黙のルールに彼女が抵抗しようとする様子が、作中では繰り返し描かれる。他人に「陰キャ」と呼ばれる彼女が、「界隈」の異なる志摩と関係を深めることを周囲が許さないのである。
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女子「あーまた岩倉さんと話してる ふたりまさか付き合ってないよねー?」
みつみ「なっ なななななん」
女子「あはは わけないかぁ」
(中略)
みつみ「い 今のはなんかちがくない?」
志摩「え……」
みつみ「私 バカにされてたよね なんで何も言ってくれなかったの?」
(高松美咲『スキップとローファー』八巻)
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だがそのなかで、ナオちゃんはみつみにとって「界隈」を気にしなくてもいい相手として描かれる。それはナオちゃんが「親」代わりの存在だからだ。
「界隈」とはヨコ関係のフラットな集団組織である。一方で、「親子」とはタテ関係のヒエラルキー組織である。
「界隈」を超えようとすると対立が起きる。『ソーシャルメディア・プリズム』でも強調されていたとおり、異なる価値観をもつ「界隈」同士が触れると、摩擦が起きることが多い。
繰り返すようだが、『スキップとローファー』ではみつみが摩擦のなかで葛藤する様子がしばしば描かれる。なぜなら「界隈」には正しさがないからだ。異なる正しさをもつ組織同士で対立しているのである。
だが「親子」は、どちらが正しいのかすでに決まっている。親のほうが正しい、ということになっている。だからみつみもナオちゃんの言うことはすんなり聞けるし、『違国日記』において槙生の言うことに朝もひとまずは従おうとする。「親子」の関係では、正しさをもっている側が存在している。
界隈=フラット、正しさがない
親子=ヒエラルキー、正しさがある
正しさという報酬をもつ存在がどちらなのかが、親子だとわかりやすい。そこにヒエラルキーがあるからだ。
しかし昨今、親子以外のさまざまなヒエラルキーが崩れつつある。かつては存在していた仕事の上司と部下、教師と生徒、あるいはスクールカースト。これらのヒエラルキーが崩れ行くなかで、「界隈」というフラット化した組織集団はますます存在感を強めていくだろう。
それらはアルゴリズムが生み出した、フラット化した構造であると言えるかもしれない。インターネットの発達によって世界がフラット化した結果、関係は「界隈」的になっていく。
現代は、スクールカーストと言わず、「陽キャ」「陰キャ」と属性の違いで学生の違いを指す。そのようにヒエラルキーは崩れ、「界隈」が増えていく。
このなかで、たとえばアルゴリズムがレコメンドするとおり、趣味や価値観の合う「界隈」で集まるようになる。しかしどこかで私たちは正しさを求める。――報われたいからだ。だから相談相手としての「疑似親」の物語が流行するのではないか。
しかし大人になると、「疑似親」なんて現れないことはよくわかっている。現れるとすればそれは、宗教家である。だが宗教すら、私たちに絶対的な正しさなんて与えてはくれない。
はたして私たちは、すべてがアルゴリズム化していく、つまり「界隈」化の進む社会のなかで、どのように生きることができるのだろう?
考察したい、推したい、転生したい、疑似親がほしい、報われたい若者たちの姿は――アルゴリズムのレコメンドに押し流される私たちの姿そのものなのではないだろうか。
]]>伝えたいことがなかなか伝わらないとイライラすることがあります。自分としては、できるだけわかりやすく伝えているのに、いつまでたっても伝わっていない。こういうときは、イラッときて、つい「こうしてください!」と命令をしたくなるかもしれません。
本稿では命令や指示ではなく、質問によって相手の行動を促す方法について、脳科学者・西剛志さんの書籍『結局、どうしたら伝わるのか』より解説します。
※(注記)本稿は、西剛志著『結局、どうしたら伝わるのか』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「投票に行きましょう!」
選挙の前によく聞くこの言葉。さまざまな場所でCMが流れるなど、投票を促すプロモーションが行われていますが、日本の投票率はいっこうに上がりません。
この「投票に行きましょう!」という言葉、実は伝わりにくい言葉です。理由は、人から促されるだけでは人の意識はなかなか変わらないからです。要は自分ごとになっていないのです。
おもしろい調査があります。選挙で投票率が上がるすごい質問があるとわかったのです。
その質問とは「今度の選挙に投票するつもりはありますか?」です。
たったこれだけの質問で、質問された人の投票率が25%アップしたというのです。選挙の前日に電話して、アンケートを行う際に「今度の選挙に投票するつもりはありますか?」と質問したところ、実際に投票に行った人が25%アップしたのです。
「投票に行きましょう!」ではなく「投票に行くつもりですか?」。
ここに質問のすごい力が隠されています。
なぜ、質問すると行動につながるのか? それは、質問されると答えを出そうとするからです。
たとえば、「選挙に行くつもりですか?」と聞かれ、「選挙に行きます」と答えた瞬間に、選挙に行くイメージが具体的に出てきて、解像度が上がります。
また、「選挙に行きます」と言った瞬間に、それは専門用語で「コミットメント」になります。「コミットメント」とは「公約、約束、責任、参加」という意味で、責任を持って自分が関わっていくという意志を表しています。
実際に質問を活用したイギリスの保険センターでの成功例が有名です。保険センターでは予約をしても実際に診療に来てくれないケースが多かったので、予約をする際に、来る日時を電話ごしに復唱してもらいました。たったそれだけで3.5%も予約を守る人が増えました。
さらに、次回の予約をするときに、今度は患者さんに日時を書いてもらうようにしたところ、18%も予約を守る人が増えたのです。
質問に答えることは「自分自身へのコミットメント」をすることになるため、言ったことを遂行しようと、行動力が上がるのです。
さらに質問されたときに、「投票に行く予定です」と回答した人の頭の中では、もう投票に行っているイメージがわきます。解像度が高まるわけです。そうなると、行動につながっていきます。
4万人を対象に行ったこんな実験結果があります。
車の購入を前向きに検討している人に「6カ月以内に新車を買う予定はありますか?」という質問をしたところ、なんと購入率が35%上がったそうです。これも質問のすごい力です。
質問の力がすごいのは「回答する」という行為にもあります。質問に回答することは、「自分で考え、自分のこととして答える」ということです。
この「自分のこととして答える」ことが脳に影響を及ぼします。自分のことを話すと、脳の報酬系が活性化されるのです。これはハーバード大学の研究でわかったことです。
自分の話をしているときと他人の話をしているときの脳をスキャンしたところ、他人の話よりも自分の話をしたときのほうが、脳が活性化しているんです。
自分のことを話したくなるのには理由があったわけです。自分の話ばかりする人がいますが、あれは脳が活性化している状態なんですね。自分のことを話すと、脳の報酬系が活性化する。脳の報酬系はドーパミンです。つまり、ドーパミンが出るわけです。
「これをやってください」と言われるとやる気が上がらないかもしれないですが、質問されて、それに自分ごととして回答すると、ドーパミンが出やすくなり、やる気も高まってくるのです。ちょっとした伝え方の違いですが、大きな差です。伝え方がうまい人はここがわかっているので、質問の力を利用しています。
たとえば、リーダーがチームメンバーに伝えるとき。
「このプロジェクトは重要だから、やり抜こう」
と言うよりも
「このプロジェクトは重要です。あなたはやり抜けますか?」
と質問で投げかけたほうが、実際にやり抜ける可能性が高まるのです。
「やり抜こう!」は、みんなでがんばろうという意味で言っているのかもしれませんが、聞く側からすると「命令ベクトルの言葉」に感じられることがあります。
強いメッセージを出すことがリーダーシップには必要だと勘違いをして、「がんばろう!」「やろう!」「達成しよう!」といった言葉をメッセージとして発する人がいますが、脳科学の視点で見ると、「伝わりにくい」表現になることがあります。
質問は押し付けではなく、意思決定を相手(回答する側)に渡しているので、相手は自分ごとになる。この構造が大切です。
こんなおもしろい実験があります。
難しそうなパズルをやっている人に対して、周りの人が「あなたならできる!」と伝えるよりも、「できそう?」と質問したほうが、達成力が2倍になったのです。
ここは大切なところなので繰り返します。
「がんばろう!」ではなく「がんばれそう?」
「達成しよう!」ではなく「達成できそう?」
「やり抜こう!」ではなく「やり抜けそう?」
ちなみに、質問の力は他者に対してだけでなく、自分自身に対しても効果があります。頭の中で「がんばろう!」と自分に言うよりも、「自分はがんばれそう?」と自分自身に質問するのです。自分に対しても命令よりも質問です。
どうでしょうか? 質問ってすごいですよね。
ちなみに、質問の力はまだあります。
それは、質問されると「自分を認めてもらっている」と思えることです。命令されると自分のことを認めてくれていない感じがしますが、質問されるとなんだか自分のことを認めてもらったように感じないでしょうか?
「これできそう?」
そう聞かれたときに感じる印象は「あ、この人は自分のことをちゃんと考えてくれているんだな」ということです。これが安心感や信頼感にもつながるので、たとえば会社やリーダーへのエンゲージメントが高まることにもつながります。
いま企業は社員エンゲージメントを高めることが重要といわれていますが、「質問の習慣」をつくることがエンゲージメントアップにつながります。エンゲージメントが低い組織は、命令が多いのではないでしょうか。
]]>セクハラ、パワハラ、マタハラ......多様な"ハラスメント"が問題視される現代。けれど、その根本には必ず人間関係があり、誰もが「加害者にも被害者にもなり得る」と社会保険労務士の村井真子さんは指摘します。
本稿では、先行研究や相談現場の知見を踏まえ、ハラスメントが生じやすい職場に共通する特徴を書籍『職場問題ハラスメントのトリセツ』より解説します。
※(注記)本稿は、村井真子著『職場問題ハラスメントのトリセツ ~窮地の前に自分を守る、取るべきアクションと相談のポイント』(アルク)より内容を一部抜粋・編集したものです
さまざまな企業でハラスメントに関する相談を受けるうち、ハラスメントが起きやすい職場には一定の特徴があると感じます。ハラスメントが起きやすい職場環境についての先行研究(注1)や調査(注2)の結果を参照しながら、私が相談を受けてきた職場の共通項を紹介します。
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1. 不公平な職場
2. プライベートを犠牲にさせる職場
3. きつい職場
4. バランスの悪い職場
5. 腹を割って話せない職場
6. ハラスメント教育がされていない職場
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では、一つずつ見ていきましょう。
1. 不公平な職場
合理性のない人事異動や転勤、配置転換が頻繁に行われたり、上司や経営者の裁量で一方的に人事に関する処遇が行われていると労働者が感じている職場では、ハラスメントが発生しやすい傾向があります。こうした職場では、企業の人事権が人質のように作用してしまうためです。
また、不透明な評価基準によって昇給・昇格、降給・降格が行われている場合、労働者が企業に対し不信感を覚え、その不信感をハラスメントとして別な労働者にぶつけてしまうというケースもあります。
2. プライベートを犠牲にさせる職場
親睦目的の社内行事や飲み会は自由参加であるはずですが、事実上の強制参加になると、ハラスメントが発生しやすい傾向にあります。リクルートワークス研究所の調査(注1)では、「業務外の職場でのイベント参加(飲み会など)を断りにくい雰囲気がある」職場が、すべての項目の中で、ハラスメントを見聞きした確率のトップになりました。
こうした職場では、参加することが当然とされ、参加しないことによって不当に低い評価を受けることがあります。それが周囲にも受け入れられてしまうので、職場ぐるみのいじめにつながりかねません。暗黙のうちに肯定してしまう社風はハラスメントの温床になります。
3. きつい職場
KPI(重要業績評価指標)として定量的なノルマを課している、人命に影響する、多人数の利害関係者の調整が必要であるなど、一人一人の行動に対するプレッシャーが強くかかる環境は、ハラスメントが発生しやすいことがわかっています。
また、そうした職場は属人的な業務が多くなりがちで、残業時間が増える傾向があります。事実、労働者がハラスメントを見聞きしている業種としては医療・福祉業、公務がそれぞれ26%を超えており、次いで金融・保険業、製造業の23%と続きます(注2)。
これらの職場では責任が重かったり、成績を競うことを社員同士で求められたり、部署のKPI達成を連帯責任によって達成することが要求されます。プレイヤーとして結果を出すことが強く求められ、労働者を精神的に追い詰めます。
4. バランスの悪い職場
男性ばかりで女性が少ない、育児や介護をしている社員が少ない、中途入社が少ない、社員の年齢層が一定の世代に偏っているなど、社員の属性のバランスが悪い職場ではハラスメントが生じやすくなります。
こうした職場ではマネジメントコストが低下して企業側としては管理しやすいのですが、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)も強化されやすい環境でもあります。また、同調圧力も働きやすく、社内における「べき論」に疑問を持ちにくくなります。無理になじもうとすることで、前述2や3の職場になることもあり、その軋轢がハラスメントとして現れてきます。
5. 腹を割って話せない職場
上司や同僚に本音を話せない、上司と部下のコミュニケーションが少ない職場では、ハラスメントが生じやすくなります。これは単純な会話量の問題ではなく、コミュニケーションの質や信頼関係の構築に深く関わっています。互いの考えや気持ちを共有できない環境が続くと、相手の意図や状況を誤解したり、不満や不安が蓄積したりしやすくなります。
その結果、いざトラブルが起きたときに話し合いや協力がスムーズに進まず、感情的な対立が起きるリスクが高まるのです。また、ハラスメントが生じたときに上司や同僚に相談されないことによって事態の把握が遅れ、状況が悪化してしまうこともあります。
6. ハラスメント教育がされていない職場
パワハラ防止法の改正によって、現在、すべての職場でハラスメント対策は事業主の義務になりました。対策には事業主がハラスメントを許さないことを方針として明示するほか、ハラスメントの発生の原因や背景について周知・啓発することが含まれます。
しかし、この義務規定には罰則がないこともあり、実際には十分なハラスメント教育が行われていない企業も存在します。対策をしている企業でも一度研修をしただけ、パンフレットを配っただけという場合は、ハラスメントについて知識を労働者に適切に提供しているとは言い難い状況です。
ハラスメント教育がまったくなされていない企業は「そもそも何がハラスメントなのか」「どういうことが該当するのか」といった目線が企業内でバラバラになり、ハラスメントが横行する事態が生じます。さらに、こうした基本的な法令に対応することができていない企業では、コンプライアンス遵守がなおざりになりやすく、ハラスメントだけではなく労働基準法(労基法)などの基本的なルールも守られていない傾向にあります。
特に深刻なのは「5. 腹を割って話せない職場」です。ハラスメントに発展しかねないトラブルがあったとしても、当事者間の対話で解決することは多々あります。しかし、対話に持っていくことも不可能なほど関係性に断絶があると、訴訟も含め、深刻な事態になることもあります。これは、職場内に信頼関係がないことが原因です。
ハラスメントに悩んでいる経営者や人事担当者、管理職のみなさんにはぜひこの職場の要件に自分の職場が該当していないかを確認し、改善に向けて取り組んでほしいと思います。
注1:「職場のハラスメントを解析する(JPSED分析報告書2020)」リクルートワークス研究所
https://www.works-i.com/surveys/item/harassment_2020.pdf
注2:「令和二年度 厚生労働省委託事業 職場のハラスメントに関する実態調査 報告書」東京海上日動リスクコンサルティング株式会社
https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/000775817.pdf
家族が亡くなり、いざ葬儀を行おうとすると、何をどう進めればよいのか分からず戸惑う人は少なくありません。30年以上にわたり葬儀の現場に携わってきた株式会社ディライト代表・高橋亮さんによると、葬儀では思わぬトラブルが起こることも多いといいます。
本稿では、高橋さんの著書『後悔しない葬儀とお墓選び』から、起こりやすいトラブル事例を3つご紹介します。
※(注記)本稿は、高橋亮著『後悔しない葬儀とお墓選び』より内容を一部抜粋・編集したものです
30代女性・伯母の葬儀
私の伯母が亡くなった時のことです。私の父が喪主を務め、家族と親族の20人ほどで静かに送り出す予定でした。
故人は、生前に書道教室で教えていました。生徒たちには特に知らせていなかったのですが、SNSを通して訃報が広がってしまったようで、次々と弔問客が訪れる事態になってしまいました。
想定よりも多くの方が参列したことで、座席や返礼品の数が全く足りず、急遽追加の手配をすることになりました。結局、慌ただしくバタバタした葬儀になってしまい、父もとても疲れた様子でした。故人を落ち着いて見送ることができなかったのが心残りです。
【アドバイス】
参列の範囲を限定する場合は、遺族間でしっかり情報を共有し、告知する範囲を限定する必要があります。
会社にお勤めだった方や、教室の先生、スポーツチームの監督・コーチなど、人との交流が活発にあった方は、弔問客が多くなることがあります。急な参列者の増加に備えて、料理や返礼品の調整ができるよう、葬儀社と事前に相談しておくと安心です。
また、家族葬(近親者・親しい友人のみで行う小規模な葬儀)、直葬(通夜や告別式を省略し、最低限火葬のみを行う葬儀)では、後になって訃報を知った親族や知人が自宅に弔問に訪れることもよくあります。自宅にたびたび来客があることを負担に感じる方も少なくありません。葬儀の形式を選ぶ際は、故人と親族の関係や交友関係をよく考慮し、適切な規模で開催することが、喪主の負担軽減にもつながります。
60代女性・妹の葬儀
先日、妹の葬儀を都内で行ったのですが、お坊さんに渡すお布施にいくら包めばよいのかわからず困りました。あまりに少ないと失礼にあたるかもしれないし、逆に多すぎても適切ではない気がしました。地元の友達に聞いてみたら、5万円で包んだことがあると聞き、私も5万円を包むことにしました。
しかし、いざお渡しすると、お坊さんの表情が少しこわばったように感じました。後で葬儀社に聞いてみると、今回お願いしたお寺では相場が20万円ほどだと言われました。地方では5万円程度でも問題ないそうですが、都心のお寺では金額の相場が大きく違うらしいのです。
後から都内に住んでいる親戚に話したら、「もう少し包んだ方がよかったかもね」と言われ、非常に気まずい気持ちになりました。お布施の額には明確な決まりがないからこそ、事前に確認しておけばよかったと後悔しています。
【アドバイス】
お布施の金額は地域やお寺によって相場が異なります。直接お寺に尋ねるのも1つの方法ですが、難しい場合は、葬儀社に相談してみてください。菩提寺であれば、親族など過去に葬儀を実施した方に聞くとよいでしょう。
適切な金額を包むことで、後々のトラブルや気まずさを避け、円滑に供養を進めることができます。
50代女性・父の葬儀
父が亡くなり、突然のことで気が動転しながらも、すぐに葬儀社に連絡をしました。自宅は狭く、ご近所にも知られたくなかったため、霊安室に安置してもらうことにしました。葬儀社の方からは「火葬の日までの安置料はプランに含まれているので無料です」と言われ、安心してお願いしました。
しかし、翌日になって父に会いに行こうと葬儀社に問い合わせたところ、「面会できない規則なので、葬儀の日までご遺体には会えません」と言われてしまいました。
念のため施設側に問い合わせてみると、施設の決まりでは面会ができないわけではないと言われました。つまり、葬儀社の都合で父に会えない状況だったのです。葬儀社に再度確認すると、面会のためにはスタッフの手配や事前の予約が必要で、対応はできないとのことでした。
そんな大事なことを事前に言ってもらえなかったのが本当に悔しいです。あのとき、もっとしっかり確認していれば、父とゆっくりお別れができたのではないかと思うと、後悔が残ります。
【アドバイス】
霊安室に遺体を預ける際は、面会は可能か、面会時間に制限はあるか、追加料金が発生するかなどを細かく確認しましょう。「安置料無料」と言われた場合、面会が制限される可能性が高いので注意が必要です。
事例のように、施設側の規則に関係なく、葬儀社が面会に対応していないことも稀にあります。複数の葬儀社に相談し、納得できる対応をしてくれるところを選ぶことも重要です。
【関連情報】
『株式会社ディライト』https://delight.co.jp
『葬儀の口コミ』https://soogi.jp
『お墓の口コミ』https://oohaka.jp
本来、向き合わなければならない困難や現実。そこからそっと身を引く行為は、"逃避"と呼ばれ、どこかネガティブな響きを帯びています。作家・山口路子さんは、そうした逃避を肯定したいと語ります。
けれど、自分自身の人生からは、そう簡単に逃れることはできないのかもしれません。山口さんは著書『逃避の名言集』の中で、坂口安吾が遺した「いつでも、死ねる」という言葉に触れながら、生きるとは何かを見つめ直します。
※(注記)本稿は、山口路子著『逃避の名言集』(大和書房)より、内容を一部抜粋・編集したものです
いつでも、死ねる。
そんな、つまらんことをやるな。
いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。
――坂口安吾『不良少年とキリスト』
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「太宰の死は、誰より早く、私が知った」と安吾は言います。このエッセイは交友のあった太宰治の自死と、ときおり芥川龍之介の自死なども出しながら、愛情たっぷりに、その文学と人間性を描き出しています。「文学者の死、そんなもんじゃない。四十になっても、不良少年だった妙テコリンの出来損ないが、千々に乱れて、とうとう、やりやがったのである」、ばかやろう、と言う涙目の安吾の顔が浮かぶようです。
つらくてつらくてしかたがないとき、もうすべてを終わりにしたい、と思うことがあります。
でも、なぜつらいのか、と考えればそれは生きてゆくことへつながるのです。生き続けるのがつらいから、終わらせようとするのです。
でも、安吾が言うように、死ぬことはいつでもできるのです。
だからそれを、いますることはない。
いったん死んだ気になってみるという方法もあります。するとそこがかならず再スタート地点になります。
安吾はこんなふうにも言っています。
「生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない」。
]]>日本のペットを取り巻く環境には、多くの深刻な問題があります。ブリーダーやペットオークション、ペットショップ、さらには心ない飼い主の存在によって、多くの犬や猫が苦しめられているのが現状です。令和4年から5年にかけての調査では、動物愛護センターで把握されているだけでも、1日に約33頭が殺処分されています。しかも、愛護センターに引き取ってもらえない犬猫は統計に含まれておらず、実際の数はさらに多いと考えられます。
原案・中村仁さん、漫画・天城理伊さんによる『ファミリールール〜笑顔を守る命の約束〜』では、こうしたペット業界に蔓延する闇を漫画で分かりやすく描いています。本稿では、その一部をご紹介します。
※(注記)本稿は『ファミリールール〜笑顔を守る命の約束〜』(辰巳出版)より内容を一部抜粋・編集したものです。
殺処分とは、動物愛護センターや保健所に収容された犬や猫のうち、譲渡先が見つからず、病気や攻撃性などの理由で新たな飼い主が決まらない場合に行われます。処分の多くは「ドリームボックス」と呼ばれる機械により、炭酸ガスを用いて実施されます(睡眠薬を用いる場合もあります)。
民間団体による保護活動や譲渡推進の取り組みにより、その数は減少してきましたが、現在もなお年間で約1万頭が殺処分されています。
さらに、動物愛護管理法の改正によって、行政が民間からの犬猫の引き取りを拒否できるようになりました。その結果、飼い主に捨てられた犬猫が餓死や病死するケースが増え、統計には表れない命が存在していると考えられます。
日本のペット産業には、こうした殺処分以外にも深刻な問題が隠されています。繁殖を繰り返させる「パピーミル」、競りにかけられるペットオークション、需要のない動物を引き取る「引き取り屋」などがその一例です。
さらに、飼い主側のモラル不足も大きな課題です。「かわいいから」といった安易な理由でペットを迎え入れ、世話の大変さや費用の負担を理由に飼育を放棄するケースが後を絶ちません。
ペット愛護先進国とされるオーストリアでは、保護施設からペットを迎えるのが一般的であり、動物を殺処分する施設は存在しません。スイスでも動物保護やペットに関する税制度など、ペットファーストの仕組みが多く整えられています。さらにドイツでは、動物を飼うために免許が必要とされています。
日本が真のペット愛護先進国となるためには、まず飼い主一人ひとりの意識が変わることが欠かせません。ペットを迎える前に、本当にきちんと飼えるかどうかを慎重に判断し、「飼わない」という選択も大切です。ペットショップで安易に購入するのではなく、動物愛護センターや信頼できるブリーダー、動物保護団体から迎えることを考えましょう。
「ファミリールール」は、本書原案の中村仁さんを筆頭に、動物愛護先進国で実施されている「ペット認可制」の導入を提案し、活動を続けているプロジェクトです。こうした仕組みを社会に根付かせることも、日本がペット愛護先進国へと近づくための大きな一歩となります。
命に対して責任感と正しい知識を持ち、ペットとともに幸せな生活を築くことが、社会全体のペット愛護の基盤となります。
]]>名探偵ホームズでも、情報過多な事件では、データに惑わされ、誤った仮説を立てたことがありました。膨大なデータを整理し、必要な情報だけを選び取るにはどうすればよいのでしょうか。
イギリスのノンフィクション作家ダニエル・スミス氏が執筆した『あらゆる問題を解決できる シャーロック・ホームズの思考法』より、データやアイデアを整理するためのヒントや、効果的なメモの取り方をご紹介します。
※(注記)本稿は『あらゆる問題を解決できる シャーロック・ホームズの思考法』(かんき出版)より一部を抜粋編集したものです。
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「探偵業で最も重要なのは、数多くの事実で、どうでもいいものと必要不可欠なものを見極めることなんです」
(『ライゲートの大地主』より)
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ホームズがたびたび指摘しているように、情報の出どころは無数にある。
だが、ひととおり情報を集めたら、今度は選別作業が必要だ。つまり、本当に役に立つ情報と、捜査を行き詰まらせる情報を見分けるのだ。
目的に応じて知識を整理することにかけては、名探偵は誰にも引けを取らないだろう。私たちの暮らす現代社会では、ともすればデータの海に溺れてしまう。そうならないためにも、これはとりわけ身につけたいスキルだ。
実際、情報過多が犯罪捜査を妨げる例は枚挙にいとまがない。
真っ先に思い浮かぶのが、「ヨークシャーの切り裂き魔」事件だろう。1970〜1980年代にかけて、イギリス北部で13人の女性が殺害され、7人以上が危害を加えられた。捜査線上に浮かんだのは、ピーター・サトクリフという男。ところが、コンピューター技術の黎明期に行われた捜査は、きわめて重要な手がかりが大量の書類の山に埋もれてしまうという散々な状況だった。
そうした書類の重みに耐えるために、捜査本部の床を補強したとも言われている。おまけに、捜査はことごとく無駄骨に終わり(切り裂き魔から送られてきたという偽の録音テープを調べるなど)、その間にサトクリフは何度も網の目をくぐり抜け、ようやく逮捕・起訴されたのは1981年のことだった。
だが、あのホームズでさえも、誤った手がかりを切り捨てられなかったこともある。『黄色い顔』では、みずから立てた仮説について、「少なくとも、すべての事実が含まれている。だが、もし新たな事実が判明して、それで説明がつかなければ、そのときに考え直せばいい」と述べている。ところが、ワトソンは「全部憶測だ」と取り合わず、実際、ホームズの主張は真相からかけ離れていた。
ホームズは決定的な情報を手に入れられなかったために、収集したデータを正しく選別することができなかったのだ。
では、より効果的にデータを選別するためのヒントを紹介しよう。
〇データを管理する
データにコントロールされるのではなく、自分がデータをコントロールしなければならない。持っている情報をまとめ、できるかぎり論理的に体系化する。膨大な情報のかけらをやみくもに引っかきまわしても、正しく選別することはできない。
〇大局的に見る
手元にある情報がパズルのピースにあてはまるかどうかを考える際には、つねに解決すべき問題という大きなパズルを念頭に置いてほしい。
〇ゆとりを持って情報を判断する
何時間もぶっ続けでデータを凝視するのは、あまりおすすめしない。むしろ、シャワーやジョギングの最中に考えるほうが、頭の中を整理できる人もいる。
〇直観に頼りすぎるな
信頼できる情報かどうかを判断する際に、本能的な直感が働く場合もある。
だが、くれぐれも思いつきで情報を切り捨てないようにしてほしい。必要なデータはすべてそろっているか、たえず自問してみよう。
〇「親近」効果に注意
人間は最後に手に入れた情報を優先する傾向にある。最新であることと妥当であることは根本的に異なる。
〇もみ殻も捨てない
「小麦」をうまく取り出して問題を解決するまでは、もう一度「もみ殻」を検討して、何か見逃していないか確かめる必要があるかもしれない。
メモを取る習慣があれば、情報の選別はもっと簡単になる。
上手にメモを取る秘訣は、偉そうな大学講師の言葉には耳をかたむけないこと。つまり、一字一句書き留めてはいけない。そんなことをしても、データは右の耳から左の耳へ通り抜けていくだけだ。
大事なのは、メモを取っている内容に意識を向け、自分で意味がわかるようにコード化して脳に保存し、自身の知識として参照することだ。
メモを取りながら、無関係な情報はすべて取り除く。たとえば教科書をまとめる場合、ポイントとなる箇所にマーカーで印をつけるだろう。
同じように、人の話を聞きながらメモを取るときには、単なる口癖を書き留めたり、簡単な要点を補うための例を列挙したりする必要はない。メモする内容を決めることで、そのテーマに意識を向け、すでに情報の選別を行っているのだ。
最初に取ったメモが読みづらければ、なるべく早く書き直そう。放置しておくと、どんどんメモがたまっていき、きれいに書き直す気が失せる。
できるだけ読み返しやすいような工夫をしよう。手っ取り早いのが、見出しや小見出しを用いること。そうすれば、書く内容や考え方を体系化することができる。
ほかにも工夫の余地はある。グラフや図にすれば、もっとわかりやすくならないか? 重要な点は青、具体例を緑、考察を赤で書きこむなど、色分けするのもおすすめ。
アイデアや情報のつながりを視覚的に表す方法として、よく利用されるのがスパイダーグラム(マインドマップ)だ。これを用いれば、誰でも手軽にたくさんのアイデアをコンパクトにまとめ、見やすく整理できる。また、全体図を眺めることで新たなアイデアが浮かぶこともある。簡単な作成方法を紹介しよう。
無地の用紙の真ん中にキーワードまたはキーフレーズを書く。
そこから線を枝(またはクモの脚)のように伸ばし、関連するアイデアや言葉をつなげていく。
ただし、収拾がつかなくなっては意味がない。アイデアが階層化されていれば、番号を振るか、あるいはラジアルツリーと呼ばれる放射線状のマップを利用してもよい。
想像力を駆使しよう。アルファベットの大文字と小文字を取り混ぜたり、さまざまな色、記号、図を使ってもかまわない。ルールを決めるのは、あなた自身だ。
『まだらの紐』でホームズがスパイダーグラムを書いていたら、次のようになったかもしれない。
【ダニエル・スミス(だにえる・すみす)】
ノンフィクションの作家、編集者、リサーチャーとして活躍。おもな著書に『Sherlock Holmes: An Elementary Guide』『Forgotten Firsts: A Compendium of Lost Pioneers』『Trend-Setters and Innovations』、クイズ本『Think You Know It All?』など。図書館にこもっている以外は、妻のロージーとさまざまな魚たちとともにイースト・ロンドン在住。
【清水由貴子(しみず・ゆきこ)】
英語翻訳者。上智大学外国語学部卒。おもな訳書に『How to BePerfect 完璧な人間になる方法?』(小社刊)、『初めて書籍を作った男 アルド・マヌーツィオの生涯』(柏書房)、『トリュフの真相 世界で最も高価なキノコ物語』(パンローリング)、『ニール・ヤング 回想』(河出書房新社)などがある。
頼み事をしたとき、あなたは細かく指示を出し、相手も「分かりました!」と快く返事をしてくれた。ところが後日仕上がってきたものは、自分のイメージとはまったく違う――。
「伝えたはずなのに、伝わっていない」。
言葉で説明しても意図が正しく伝わらず、相手とのイメージにズレが生じることがあります。脳科学では、これを「認知のズレ」と呼びます。
では、この「認知のズレ」はなぜ起こるのでしょうか。その原因のひとつは、脳のタイプの違いにあるかもしれません。脳科学者・西剛志さんの書籍『結局、どうしたら伝わるのか』より解説します。
※(注記)本稿は、西剛志著『結局、どうしたら伝わるのか』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
私たちは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、いわゆる五感でさまざまな情報を処理しています。
どれも同じように使っていると思っていますが、手を使って何かをするときに無意識に利き手を使うことが多いように、五感にも優先的に使う感覚器とそうでない感覚器があるのです。
いってみれば利き手ならぬ「利き五感」みたいなものです。
もともと心理学では「心的イメージ」といわれていましたが、私たちは見ているものをリアルに再現しているのではなく、頭の中で自分が感じやすい五感のイメージで再現することがわかっていました。
これらの研究をベースに、私が2000名以上を調べてわかったのが「脳タイプ」です。
脳タイプは大きく3つに分かれます。
日本人の脳タイプを調べると、以下の結果が出ました。
日本人の脳タイプ
⃝視覚タイプ 44%
⃝聴覚タイプ 18%
⃝体感覚タイプ 38%
同じものを見たとしても、脳での処理がそれぞれ違ってきます。インプットしている内容も、その後の記憶のされ方もまったく違ってきます。
各タイプで優先されるのはこれです。
⃝視覚タイプ →見えているもの
⃝聴覚タイプ →聞こえるもの
⃝体感覚タイプ →香りや気温、そのときの気持ち(体の動きや感覚)
たとえば、スーパーで「野菜や牛乳を買わないと」と思ったとします。
このとき、野菜と牛乳を写真のように視覚的にイメージする人と、牛乳をごくごく飲む音などの聴覚的なイメージをする人、ごぼうはざらざら、納豆はヌメヌメなど体感覚的に感じる人がいます。
また、職種によっても、発達している脳タイプに特徴があります。アスリートは視覚タイプと体感覚タイプが多く、音楽家には聴覚タイプが多いなど。その特性から分類されるのが脳タイプです。
久しぶりにデートで海に行ったときのこと。きれいな海を眺めながら、あなたが「海はやっぱりいいね」と相手に投げかけました。相手も「海はいいね」と返してくれました。
そのとき、お互いに「海のよさを二人で共有できた!」という感情が生まれるかもしれません。でも、この「海はいいね」の「いいね」に込められた二人のイメージは、脳タイプによって違ってきます。
⃝視覚タイプ →海の青さに反応
⃝聴覚タイプ →波の音に反応
⃝体感覚タイプ →潮の香りや潮風の心地よさに反応
彼女は聴覚タイプ、彼は体感覚タイプだったとしたら、「海はいいね」と言葉を共有しながら、お互いの脳の中では「波の音が気持ちいい!」(彼女)、「潮風に包まれて最高!」(彼)と、違う印象が脳に浮かび上がっているかもしれません。
でも、言葉にすると「海っていいね」。
言葉だけでは伝えきれないことが存在しているのです。
大事なことは、自分と相手が違う世界を見ていると認識することです。コミュニケーションの大前提としてそのように考えながら、伝えていく、話していくことが必要になります。
世の中には、少数ですがまったく視覚的なイメージができない人もいます。
「りんごをイメージしてください」とお願いしても、「りんご」をイメージできない人がいるのです。私もそういった人を実際に見てきました。このような人を専門用語で「アファンタジア」といいます。
アファンタジアの人は、視覚イメージができない代わりに聴覚イメージが発達しているといわれています。
視覚イメージの人からすると、理解するのが難しいかもしれないですが、このようにタイプによって受け取り方が違うことが多くの研究からもわかっています。相手がどんな脳タイプかを見極めることが必要です。
]]>長年培った経験や知識は、人生の宝物。しかし、その言葉が時に相手を委縮させてしまったり、意図せず命令口調になってしまったりすることはないでしょうか?
この記事では、60歳を超えて、仕事や子育てから離れて時間に余裕ができたときにこそ身につけたい、心を豊かにする「話し方」のヒントをお届けします。周囲と温かい関係を作るための、コミュニケーションにおける大切なことを探っていきましょう。
※(注記)本稿は『変化を愉しむ 60歳からの気品のルール』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。
長年培ってきた仕事上の習慣から生まれる口調が、日常会話にも顔を出し、知らず知らずのうちに命令調になってしまうことがあります。
誰かを思いやり助けようとする善意から咄嗟に発した言葉が、相手には不愉快な指示として響いてしまっては、なんとも残念なことではないでしょうか。
「〜してください」という直接的な表現よりも、「もし良ければ〜していただけると嬉しいのですが」といった柔らかな言い回しを心がけると、相手の心により優しく届くものです。
気遣いから生まれる注意や教えも、あまりに熱心になりすぎると、かえって相手の心に壁を作ってしまうことがあります。
たとえば、あたかも相手が自ら気づいたかのように感じる話し方、さりげない問いかけを通して自然と納得へと導くような会話の運び方ができれば、互いにとって愉しい時間となるでしょう。
「これはこうすべきだ」という断定よりも、「こういう見方もあるかもしれません」という提案の形で伝えるなど、相手の自尊心を傷つけない言い回しを工夫しましょう。
相手の立っている場所や内面に秘めた考え方をそっと見抜くことから始め、適度に共感しながらも自分の本質を見失わず、互いにとって心地よい時間を紡いでいきましょう。
熱くなりすぎず、自然と話題が変わっていくような会話の導き方こそが、人間関係を豊かにするコツといえるかもしれません。
時には「なるほど、そのお考えも理解できます」と相手の意見を受け止めつつ、「私はこう感じているのですが、いかがでしょう」と柔らかく自分の見方を添えることで、対立ではなく対話が生まれるのです。
笑顔を絶やさず、自然と美しい心情のテーマへと話題を導いていきましょう。
これこそが年齢や立場を超えて、誰からも好かれる話し方の神髄といえるのではないでしょうか。
表面的な取り繕いではなく、内から湧き出る誠実さが伝わる内容を語り、時には「お気持ち、よくわかります」と相手の立場に立って共感の言葉を添えることも、心の距離を縮める大切な要素です。
相手がどのようなことに心惹かれ、何に関心の光を向けているのかを、さりげなく見極めていきましょう。
「そのことについて、もう少し詳しく聞かせていただけますか?」と興味を示しながら、相手の好みに沿った話題で場を温め、その流れの中にさりげなく自分の思いや感じていることも織り交ぜていくと、会話は自然と彩りを増していきます。
話す時間と聞く時間のバランスを大切にし、相手の言葉に頷きながら「なるほど」「それは素晴らしいですね」といった相槌を打つことで、会話は心地よいリズムを刻んでいくことでしょう。
「今日はずいぶん冷え込みますね。そちらのお席は窓際で寒くはないですか?」
本音を言えば窓を閉めてほしいという思いがあるのですが、それを直接的に要求するのではなく、相手を気遣う言葉として包み込みます。
自分の願いや要望を伝える際も、「〜してください」という依頼形ではなく、「もしよろしければ」「ご都合がつくようでしたら」といった前置きを添え、相手の立場を尊重する姿勢を示すことで、言葉は柔らかく心に届くものとなります。
言葉の美しさとは、単なる表面的な飾りではなく、その表現と行為が調和して一体となった時に初めて真価を発揮するものではないでしょうか。
形式的に丁寧な言葉を選びながらも、その内容に思いやりが欠けていては、本当の意味での心遣いとは言えないかもしれません。
「それはできません」という断定的な否定よりも、「申し訳ありませんが、別の方法で対応させていただけないでしょうか」といった前向きな代替案を示す言い回しを心がけてみましょう。
言葉の選び方一つで、同じ内容でも相手に与える印象はまるで違ってくるものです。
謙虚さを表現する言葉遣いも、日々の会話の中で磨いていきましょう。
「あなたならきっとできますよ」「これからのご活躍が愉しみです」といった励ましや期待の言葉を贈り、相手の心に喜びの火を灯すことができるのは、今の自由な立場だからこそできることです。
誰もが共感できるような穏やかな言葉を、相手が必要としているちょうどそのタイミングで差し出すことで、目には見えない支えとなることができるのです。
直接的な助言よりも、そっと寄り添うような言葉が、時に深く心に届くものです。
]]>近年、檀家制度の衰退に伴い、特定の宗教儀式にとらわれない「無宗教葬」が広がりつつあります。自由に葬儀を執り行える一方で、進行方法が定まっていないため、遺族や関係者が迷いやすいという課題もあります。
30年以上にわたり葬儀の現場に携わってきた株式会社ディライト代表・高橋亮さんは、著書『後悔しない葬儀とお墓選び』で無宗教葬のメリットとデメリットを解説しています。本稿では、その一節をご紹介します。
※(注記)本稿は、高橋亮著『後悔しない葬儀とお墓選び』より内容を一部抜粋・編集したものです
日本では古くから、家族が代々特定の寺院と関係を持ち、葬儀や供養を任せる「檀家制度」が広く根付いていました。寺院は檀家の供養を担い、檀家は経済的な支援を通じて寺院を維持するシステムです。しかし、近年では核家族化や都市化の進行に伴い、先祖代々の寺院とのつながりが希薄になり、「檀家離れ」が加速しています。
現代では、檀家制度の衰退と共に、宗教色のない生活を送る人々が増加し、特定の宗教儀式にとらわれない「無宗教葬」が普及し始めています。
無宗教葬は「自由葬」とも呼ばれ、宗教的な形式にとらわれずに、式の流れや内容を遺族が自由に考えます。故人の遺思や家族の意向に沿って、自分たちらしい葬儀ができるメリットがあります。
ただし、無宗教葬は自由度が高い反面、内容や進行方法が定まっていないため、関係者に迷いが生じやすい形式でもあります。具体的に式で何をするか考えるのに苦労したり、読経や焼香などが行われないことで参列者が戸惑ったりする場面がよく見られます。
そのため、仏式の葬儀での流れにならって行われることも多くあります。「読経」部分を黙祷・献奏に変えたり、「焼香」の代わりに献花を行ったりするなど、宗教色の強い儀式のみを取り除いて実施する場合も、無宗教葬となります。無宗教葬を行う場合、四十九日や年忌法要などの行事を行うか否か検討する必要があります。
無宗教葬は、旧来の葬儀の形ではないことから、実施する場合は、各方面に問題がないか、慎重に確認が必要です。ここでは事前に確認しておくべきことを3つご説明します。
1 菩提寺との関係性
直葬や一日葬の場合と同様に、無宗教葬を選択する際には、故人や家族の菩提寺に確認する必要があります。菩提寺がある場合、無宗教葬では納骨を断られたり、追加で読経などの供養が必要になったりする場合があります。
2 納骨場所の確認
特定の菩提寺がない場合でも、無宗教葬の場合は基本的にお寺のお墓に入ることができません。そのため、宗教や宗派を問わず納骨できる霊園や納骨堂などを確保する必要があります。
3 親族の同意
無宗教葬は比較的新しい葬儀の形式であり、現在も一般的なものとは言えません。そのため、伝統的な儀式や宗教的慣習を重視する親族がいる場合、受け入れがたく思われる可能性があります。円滑に進めるためには、故人の遺志や葬儀の意義について十分に話し合い、親族の理解を得ることが重要です。
親族に反対されたものの、どうしても無宗教葬を希望する場合、まず家族葬などの小規模な仏式の葬儀を執り行い、後日改めてお別れの会を開くといった方法も考えられます。最終的な判断は喪主が行うものですが、その決定が事後の親族との関係性に大きく影響を及ぼす可能性があるため、親族で相談し、慎重に検討しましょう。
故人の宗教や宗派に沿った葬儀を実施しようと思っても、長年離れて暮らしていた場合などは、詳しいことがわからないことがあるかもしれません。宗教・宗派によって葬儀の作法が異なるため、できる限り確認する必要があります。
まずは親族に確認してみるとよいでしょう。特に年配の親族からは昔からのお寺とのお付き合いなど、詳しい情報を聞ける可能性があります。もし菩提寺がわかっていて宗派だけが不明な場合は、菩提寺に直接確認します。
他にも、仏壇内に祀られている本尊(仏像や掛け軸)や、脇侍(本尊の両脇に祀られる像)から宗派を判断できる場合があります。天台宗であれば本尊は阿弥陀如来や釈迦如来の坐像、真言宗であれば本尊は大日如来など、それぞれに特徴があります。
また、宗派によって戒名の構成や特徴も異なります。位牌に記された戒名の形式や内容から宗派がわかる場合もあるため、先祖の位牌がある場合は確認してみるとよいでしょう。
もし家族内で異なる宗教・宗派が混在している場合、葬儀は故人が信仰していたものを尊重して執り行うのが一般的です。夫婦が異なる宗教・宗派を信仰している場合でも、基本的には故人に合わせた葬儀を行います。
そのほか、葬儀は無宗教葬で行い、供養を故人が信仰する宗教・宗派の形とする場合や、葬儀を前半と後半で区切って複数の宗教・宗派に対応するケースもあります。
宗教的背景がある場合もない場合も、故人を悼む気持ちを共有し、それぞれの信仰を尊重しながら葬儀を進めることが大切です。家族間で葬儀の形式について意見が分かれた場合は、宗教者や葬儀社に相談して中立的な立場から助言を得ることも有効です。
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相手に正直に本音を話してもらうには、まず信頼感を持ってもらうことが欠かせません。本稿では、その大前提を踏まえたうえで、脳科学者の西剛志さんが教える「本音を引き出すために役立つテクニック」を、書籍『結局、どうしたら伝わるのか』よりご紹介します。
※(注記)本稿は、西剛志著『結局、どうしたら伝わるのか』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「一緒に働いている人の本音がわからない」
「話していても、それが相手の本音かどうか、不安になることがよくある」
そんなとき、どうしたらいいでしょうか。
話していることが相手の本音かどうかを見極めるのは難しいですよね。本音を引き出そうとして、よくやってしまうミスがあります。それが一方的な「本音を教えて」という聞き方です。
「今日は本音を教えてほしいんです。遠慮なく言ってください」
そうストレートに伝えたところで、相手が正直に話してくれるかはわかりません。こういうときは、「本音を教えて」の前に、ワンステップあると効果的です。
「私の本音を話します。だからあなたの本音も教えてほしい」
先に自己開示してしまうのです。先に自分を開示すると、相手もそれに応えないといけないという気持ちになり、本音を話してくれる可能性が高まります。
さらに本音を引き出すいい方法があります。
それが、「投影法」というやり方です。これも脳の特性から考えた方法です。マーケティングではよく使われている言葉ですが、この「投影法」がコミュニケーションで役立ちます。
「一般的に、会社ってストレスを感じる場所らしいんだけど、多くの人はどんなことに悩んでいると思う?」
こういう聞き方をするのが「投影法」です。あなたの本音を聞くのではなく、一般的な意見を聞きたい。そういう聞き方をするのです。
投影法は、あいまいな情報や状況を相手に与えることで、その人の特性や心の中を見いだそうとする人格評価法のひとつです。
挙げた例文でいえば、「一般的に」というあいまいな聞き方をしながら、そこに投影されるその人の考え、本音を見いだしていきます。本音はこういうところに表れるのです。
さらにほかにも本音を引き出す方法はあります。そのひとつが「場所変え」です。
仕事のことであれば職場よりもほかの場所のほうが、本音が出やすい傾向にあります。
また、座る場所も影響します。正面に座るよりも、斜め向かいや横の位置に座るほうが、相手に緊張感を与えなくなるので、より正直な心境を聞きやすくなります。「バーカウンター効果」は確かにあるんです。
座る位置に関して、特に私がおすすめしたいのは「斜め向かいに座る」です。
真横に座ると対等な位置で同じ方向を見ている状態になります。このとき、お互いの視線は並行していて交わりません。そのせいで冷静になってしまい、赤の他人みたいな関係になってしまう可能性があります。
でも、斜めに座るとお互い視線の先に相手がいて、さらに視線が交わるので、一緒のゴールを共有しているイメージが生まれやすいんです。なので、私は斜めに向き合う座り方をすすめています。ちなみに会議で真正面に座ってしまうとバチバチが起こりやすくなります。
それと、聞き方でもうひとつポイントがあります。
それが「なぜ」ではなく「何が」という聞き方です。「何がクエスチョン」です。
「なぜそうなったのかな?」より「何がそうしたのかな?」という聞き方をしたほうが、肯定的で前向きな聞き方ができることがわかっています。
「なんで」という聞き方は、相手を非難しているように聞こえます。一方で「何が」と聞くと、相手は自分を客観的に見ることができ、冷静に対応できるのです。
ちなみに、前向きな話、ポジティブな話のときは「なぜ」と聞いてもいいのですが、うまくいかなかったときに「なぜ」と聞くと、相手はネガティブな感情になりやすいのです。
×「なぜ行動しないんですか?」
○しろまる 「何があなたの行動を妨げてるのですか?」
× 「なぜ挑戦したくないのですか?」
○しろまる 「何があなたに挑戦したくないと感じさせているのですか?」
× 「なぜそう思うのですか?」
○しろまる 「何があなたにそう思わせるのですか?」
いずれにしても、大前提として大切なことがあります。それは信頼感があることです。信頼感がない相手には心のうちを正直に話す気持ちが起きにくいからです。まずは信頼感を築くことを考えてください。
]]>数多くの傑作を生み出してきた小説家・筒井康隆。60歳で著した一冊の中で、彼は「作家に必要な常識を疑うまなざし」について言及しています。
作家・山口路子さんは、著書『逃避の名言集』で筒井康隆の言葉を引用し、自らの人生をどう生きるかというテーマに、思索を巡らします。
※(注記)本稿は、山口路子著『逃避の名言集』(大和書房)より、内容を一部抜粋・編集したものです
常識的に悪いとされていることは本当に悪いことなのかどうか。いわゆる「いいこと」とされていることは本当にいいことなのかどうか。もしかするとその悪いことは非常にいいことかもしれないじゃないか。
誤解を恐れずに言えば、人殺しも含めてです。
――筒井康隆『断筆宣言への軌跡』
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奇才、筒井康隆60歳のときに出版された本です。帯には次のような言葉があります。「『清く、正しく、美しく』の世論を糺す くたばれ良識!」差別表現への糾弾がますます過激になる社会風潮に「断筆」という形で抗議しました。「人殺しも含めて」という言葉には反発する人が多いかもしれませんから念のため付け加えておくと、この文章に続いて「そこまで原理的に考えるのが我々作家だと私は思っています」がきます。つまり、作家のあるべき姿について言及しているのです。
「自分の人生を生きる」ことを意識して生きたいならやはり、常識というものに疑いをいだかなくなったら、おしまいなのでしょう。
善と悪というものを他の人たちの価値判断で受け入れない。疑ってみる。それから自分なりの意見をもつ。
それがとても大切なことのように思います。
それにしてもこの本を読むと、筒井康隆の孤軍奮闘ぶりが、強く伝わってきます。
自分を「良識」ある人間と思いこんでいる人々にうんざりし、それでもあきらめず憤っている様子は感動的です。
]]>名探偵ホームズの推理は、飛躍しているように見えて、実は小さな手がかりから論理的に結論を導いています。『四つの署名』では1個の時計から持ち主の素性を当ててみせました。ホームズの論理的思考力のポイントはなんでしょうか。イギリスのノンフィクション作家ダニエル・スミス氏が執筆した『あらゆる問題を解決できる シャーロック・ホームズの思考法』より、推理スキルを磨くヒントと、6つのクイズをご紹介します。
※(注記)本稿は『あらゆる問題を解決できる シャーロック・ホームズの思考法』(かんき出版)より一部を抜粋編集したものです。
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「理由を聞くと、いつもばかばかしいほど単純すぎて、自分でも訳ないと思ってしまう。だけど推理の過程においては、きみの説明を聞くまでは狐につままれたようだ」
(『ボヘミアの醜聞』より)
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推理のスキルを磨くには、シャーロック・ホームズ・シリーズを全巻読破するに越したことはない。そこかしこに登場する、目を見張るような論理的推理を頭にたたきこみ、みごとなテクニックをできるかぎり真似するように心がける。
名探偵の推理を目の当たりにすればワクワクするだろう。ほかならぬワトソンが『まだらの紐』で次のように述べている。
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ホームズの熟練した捜査に立ち会い、迅速な推理に驚かされることほど喜びを感じるものはない。その推理は当て推量かと思うほどすばやいが、つねに論理的根拠に基づいており、その結果、持ちこまれた問題をことごとく解決するのだ。
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例が多すぎてここでは紹介しきれないが、ホームズにとっては、どんなものでも証拠として役立つと言っても過言ではない。なにしろ、容疑者が犯行現場に落とした煙草の灰から人物像を特定し、残された足跡の歩幅から身長を計算し、さらには(『緑柱石の宝冠』で)「目の前の雪に書かれた......長く複雑な物語」を紐解いてみせた男だ。
じつは、ホームズの秘密を解き明かすのにうってつけのエピソードがいくつかある。
なかでも注目すべきは、『四つの署名』の一場面だ。
ワトソンがホームズに懐中時計を渡し、「昔の持ち主の性格や癖についての意見」を聞きたいと無理難題を吹っかける。するとホームズは開口一番、この時計は最近クリーニングされたばかりで有力な証拠が失われていると文句を言う。
だが、これは単なる前口上だとわかるだろう。
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「間違っているかもしれないが、この時計はきみのお兄さんのものだったのではないか。そしてお兄さんはお父さんから受け継いだ」とホームズは切り出す。
「裏側のH・Wの文字からそう判断したんだろう」ワトソンも負けてはいない。
「いかにも。Wはきみの姓と同じだ。時計は50年ほど昔のもので、イニシャルも同じところに彫られている。つまり、ひとつ前の世代のために作られた。通常、装飾品は長男が相続する。それに長男は、父親と姓が同じである可能性がきわめて高い。僕の記憶違いでなければ、きみのお父さんはずいぶん昔に亡くなっている。したがって、お兄さんが所有していた」
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ここまでは、このうえなく論理的だ。ところが突如、ホームズの推理は飛躍して、ぱっと見たところ筋が通っているとは思えない。
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お兄さんは日ごろからだらしなかった――だらしないうえに不注意だった。将来有望だったにもかかわらず、ことごとくチャンスを棒に振って、しばらく貧しい生活を送った。たまに金回りがいい時期もあったが、しまいには酒浸りになって死んだ。僕にわかるのは、そんなところだ。
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最初、ワトソンはひどく驚き、自身の恥ずかしい過去がこうも簡単に明かされたことに動揺を隠せなかった。そして、ホームズが事前に身辺調査をしたか、でなければ完全な当て推量だとして、「恥知らず」と非難する。
ホームズはすぐに反論した。
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きみが納得できないのは、僕の思考回路についていけなかったり、大きな推理の根拠となる小さな事実を見落としていたりするからだ。たとえば、僕は最初にきみのお兄さんは不注意だと言った。その時計の外側の下のほうをよく見ると、2箇所がへこんでいて、しかも全体に傷やこすったような跡があるだろう。日ごろからコインや鍵といった硬いものといっしょにポケットに突っこんでいたからだ。50ギニーの時計をそれほどぞんざいに扱う男は不注意にちがいないと考えるのは、離れ業でもなんでもない。同じように、それほど高価な品を相続する男は、他の点でも暮らし向きがよいというのも、突飛な推理ではない。
イギリスの質屋では、時計を預かると、蓋の内側に針の先で質物番号を書くのが習わしだ。札を貼るよりも便利だからな。はがれて番号がわからなくなったり、取り違えたりする恐れもない。このレンズで見ると、その蓋の内側には、そうした番号が少なくとも4つ刻まれている。推理その1――きみのお兄さんはしばしば金に困っていた。推理その2――彼は急に懐が潤うこともあった、もしくは質請けができなかった。最後に、裏側を見てほしい。そこに鍵穴があるだろう。その周囲に無数の傷がある――鍵がすべった跡だ。しらふの男がそれだけの傷をつけるだろうか? 逆に、飲んだくれの持っている時計には、必ずと言っていいほど傷がある。夜にぜんまいを巻くから、手元が狂って傷をつけるんだ。
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推理について、もちろんホームズのシリーズには書かれていないこともある。それは知らなくてもいいだろう。それでも、念のため役に立ちそうなヒントをいくつか紹介する。
〇私たちは毎日、何らかの推理をしている。
スイッチを押しても電気がつかなければ、電球を取り替えないといけない。あるいは電気配線に問題があると考えるだろう。ラッシュアワーに駅へ行き、ホームに誰もいないと、電車は行ったばかりだ、もしくは運休していると考えるかもしれない。
論理的推理に必要不可欠なのは、想像力を伸ばすことだ。全体のプロセスをいくつかの段階に区切って考えよう。
〇仮説を検証するためには、証拠は多いに越したことはない。
〇細部こそが重要だ。ほんのささいなことから、このうえなく大きな真実が明らかになるケースはめずらしくない。
〇直感を信じるのも大事だが、ほどほどにしたほうがよい。
「難しいのは、理解することよりも、なぜ理解したかを説明することだ」と、ある場面でホームズは言っている。「2+2が4であることを証明するよう言われたら、やや苦労するかもしれないが、それが事実であることに疑いの余地はない」
ただし、直感を徹底的に分析して、自分が事実だと信じていることが、根拠のない確信ではないと確かめるのは悪いことではない。
〇推理には、個人的な感情や先入観を交えないようにする。
〇理論を事実に当てはめる。事実を理論に当てはめてはいけない。多くの場合、証拠を目にすると、自身の既成概念に合わせて書き換えてしまう。
〇「連言錯誤」に注意する。これは、同時または個別に起こりうる2つ以上の出来事は、個別よりも同時に起こりやすいと勘違いすることだ。
よく引き合いに出される「連言錯誤」の例が、心理学者のエイモス・トベルスキーとダニエル・カーネマンが考案した、いわゆる「リンダ問題」。2人は被験者のグループに次のような説明をした。
「リンダは31歳、独身、率直な性格で、とても聡明。大学では哲学を専攻し、差別や社会主義などの問題に深く関心を持って、反核デモにも参加していた」
続いて、次の1と2のうち、どちらの可能性が高いと思うかを尋ねた。
1 リンダは銀行の窓口係である
2 リンダは銀行の窓口係で、フェミニスト運動に参加している
被験者の85%が2を選んだが、確率の法則によれば答えは1である。
たどり着いた結論がどうもおかしい、場合によっては怪しいと思っても、かならずしも間違っているとはかぎらない。『花婿失踪事件』でホームズが指摘しているように、「人生は人が考え出すどんなものよりもはるかに奇妙だ」
裏づけとなる証拠があるかぎり、たとえ仮説が奇妙でも、あわててはいけない。
この世に完璧な推理など存在しない。見つけたことを誰かに伝える前に、かならず確認しよう。ジョゼフ・ベルも「注意深い観察と推論によって、どのような症状に対しても正しい診断を下すことができる」と書いている。
次に犯罪現場検証の練習問題を6つあげる。論理的思考を駆使して、謎に包まれた死亡現場で何が起きたのかを推理してみよう。
Q1.マリー教授が書斎で首を吊っていた。そばに家具は置かれておらず、足元に水たまりがある。どういうことか?
Q2.サハラ砂漠の真ん中でケニー・アドレナリンが遺体で発見された。砂の上にうつ伏せで、大きなバックパックを背負っている。とくに不審な点は見当たらない
Q3.1カ月後、ケニーの兄弟のベニーが同じ場所で死亡しているのが見つかった。やはり砂の上にうつ伏せに倒れていたが、裸で、手には短い棒を持っていた
Q4.激しい炎が目撃された森の真ん中で、潜水士のデイブ・ウェイブの遺体が発見された。デイブは潜水服を着ていたが、遺体は焼けておらず、海からは50キロも離れている
Q5.朝、男の子が目を覚ますと、庭の芝生に石炭とニンジンとマフラーがあった。誰もそこに置いた覚えはない。父親が「どうしたんだ?」と尋ねると、男の子は目に涙を浮かべて「ボビーだよ」と答えた。何があったのか?
Q6.車の助手席に男がぐったりと座り、後頭部に銃創があった。凶器は後部座席の収納ボックスに突っこまれ、死んだ男の手は届かない。車内には男は1人で、ドアはすべてロックされ、窓も閉まっている。どういうことか?
解答は次の通りだ。
A1.氷のかたまりの上に乗って自殺した
A2.飛行機から飛び降りたが、パラシュートが開かなかった
A3.ケニーの死亡現場を調べるために、ベニーは仲間たちと気球に乗ってやってきたが、トラブルが発生し、気球の高度が下がりはじめた。下降を止めようと、よけいなものを投げ捨てて、服まで脱いだが、無駄なあがきだった。最後の手段として、積載量を減らすために生贄となって飛び降りる者を決めるべく、全員がくじを引くことになり、ベニーがハズレくじを引いたというわけだ
A4.空中消火機が森林火災の消火用に海水をくみ上げる際に、デイブが海中から水タンクに吸い上げられてしまった
A5.ボビーというのは、男の子が前の日に作った雪だるまの名前だったが、ひと晩で溶けてしまった
A6.車はコンバーチブルで、屋根が開いていた。犯人は歩道から男を撃ち、凶器を後部座席に投げこんでから逃げた
【ダニエル・スミス(だにえる・すみす)】
ノンフィクションの作家、編集者、リサーチャーとして活躍。おもな著書に『Sherlock Holmes: An Elementary Guide』『Forgotten Firsts: A Compendium of Lost Pioneers』『Trend-Setters and Innovations』、クイズ本『Think You Know It All?』など。図書館にこもっている以外は、妻のロージーとさまざまな魚たちとともにイースト・ロンドン在住。
【清水由貴子(しみず・ゆきこ)】
英語翻訳者。上智大学外国語学部卒。おもな訳書に『How to BePerfect 完璧な人間になる方法?』(小社刊)、『初めて書籍を作った男 アルド・マヌーツィオの生涯』(柏書房)、『トリュフの真相 世界で最も高価なキノコ物語』(パンローリング)、『ニール・ヤング 回想』(河出書房新社)などがある。
この情報に圧倒される時代を、個人として、社会としてうまく切り抜けていくにはどうすればいいのか?
混乱を回避し、思考の罠に陥ることを防ぎ、愚かな行為や考えをふるいにかけるには?
本稿の著者3人は、そのためには今その信頼が揺らいでいる"科学的思考"、"科学的アプローチ"が何よりも重要であるという。そして、とりわけ有効だと思える概念やアプローチの総称として「Third Millennium Thinking(3千年紀思考/3M思考)」と名付けた。
本稿では、その"3M思考"において特に注意すべき「価値と価値観の衝突」について書籍『THIRD MILLENNIUM THINKING アメリカ最高峰大学の人気講義』より解説する。
※(注記)本稿は、ソール・パールマッター、ジョン・キャンベル、ロバート・マクーン(著) 花塚恵(訳)『THIRD MILLENNIUM THINKING アメリカ最高峰大学の人気講義』(日経BP)を一部抜粋・編集したものです。
人が持つ価値観とはどういうものか? 誰にとっても大事なことを、現実に即した意思決定に持ち込めることを前提として、体系的に説明することは可能なのか?
ひとつの方法としては単純に、何にどのくらい価値を置いているかを直接「尋ねる」ことが考えられる。
もちろん、人が口にすることと、実際に何に価値を置く行動をとるかは別物だ。とはいえ、価値観について尋ねることは、決して的はずれな行為ではない。
価値と価値はつねに衝突するものなのか? 答えはノーで、衝突したとしても、それは程度の問題だ。社会科学の分野では、シャローム・シュワルツによって、価値の衝突を図解するときに役立つ有力なフレームワークが考案された。
彼は20か国の人々を対象に、「人生の指針となるもの」として56の価値を提示し、それぞれの重要性を評価させた。統計モデリングを使うと、人生の中核をなす価値である権力、功績、快楽、刺激、自己主導、普遍性、博愛、従順、伝統、安全の関係性は、「結びつきが強い(どちらも優先する)」「正反対に位置する(こちらは優先するが、あちらは優先しない)」「相関性がない」のいずれかで表すことができる。
つまり、たとえば快楽と伝統は、正反対の方向に反発しあう傾向があるので、この2つが決断に影響する場合は、決断を下す折り合いをつけることが難しいとほとんどの人が感じることになるだろう。
一方で、権力と功績のように同時に登用されやすい価値は、決断を反対方向に引き裂くことはしない。さまざまな価値がこのように特徴づけられると、それを使って、現実に起きている集団間の衝突を国際的に分析した調査論文が誕生するようになった。その内容は、世界のさまざまな地域で起きている移民問題や気候変動、少数民族の衝突と多岐にわたる。
また、フィリップ・テトロックが提唱する価値多元主義モデルでは、価値の衝突(例:平等性と経済効率のトレードオフを行わざるをえない状況)は心理的に嫌悪されると論じられている。そういう不快なトレードオフに対処する術はいろいろある。衝突の存在を否定したければ、シンプルにどちらか一方の価値を無視すればいい。
さまざまな意見を持つ人々や、どういう意見かわからない人々に何かを説明するとなると、責任を転嫁したり(ほかの誰かに決めさせたり)、先送りしたくなるだろう。一方、全員が同じ意見を持ち、その意見の要点が明らかになっている場合は、彼らの敵対役に従事して、彼らの聞きたいことを言い、彼らにとっての敵(たいていは実在しない)を悪者にすることを選ぶかもしれない。
価値のトレードオフの痛みを和らげてくれる、生産的な方法はなくもない。社会心理学者のクロード・スティールは、自己防衛機能や価値表現機能を表す姿勢は、「自分は道徳的に優れていて、分別があり、自立心があって有能である」という、自分を肯定する意見の保持に努める心理的自己肯定システムから生じると主張する。
自分を肯定する意見を脅かす情報を前にすると、人は抵抗、否定、正当化といったさまざまな努力を費やして、その情報を拒絶する。スティールのそうした考え方は、われわれが先に論じた価値のトレードオフや姿勢がもたらす作用と一致しているように思える。
とりわけ興味深いのは、スティールが彼の考えを通じて示唆するもの、さらには価値の衝突に建設的に対処する手順だ。
スティールは、自分の意見に異を唱える情報は脅威になるので、自分の価値観を肯定する機会があることが、そうした脅威に耐えて立ち直る力を高めることを可能にすると考えた。
そして同僚と共にさまざまな実験を行うなかで、人は自らが大事にしている価値を公にする機会―たとえば、価値観について尋ねるアンケートに記入する機会―を得て、自らの価値観を懸命に守る必要性が軽減された状態になれば、新たに見つかった証拠を積極的に検討するばかりか、自らの意見を変えることまであると証明した。
また、研究の一環として、学校など現実のさまざまな場で自分を肯定するプログラムが導入されたところ、定期的に自分を肯定することで新たな情報を吸収したいという意欲が高まり、学業成績の改善につながったという報告もある。
人の価値観とその価値観の源の関係性にかかわる要素や視点を振り返ると、もっと大局的な疑問が頭をよぎる。
まったく異なる文化的先入観や、「バッジ」の異なるアイデンティティがスタート地点であっても、価値観に関する共通の理解を共に築き上げているように思えるケースがあるが、それはどのようにして起こるのか?
実際、人々は何世紀にもわたって、主要な価値観の合意に至ってきた。現代において、奴隷、レイプ、弱い立場の人に故意に屈辱を与えることが非道かどうかを議論したがる人がいるとは思えない。ということは、価値観を共有する道はある。
ならば、価値の重要性はどのように論証すればいいのか? 考えてみれば、人は幼いときから価値についての論証を行っていて、それは次のような親子の会話に見て取れる。
子ども「ティンアンからペンを借りたけど、返さなくていいよね。返したら、ペンがなくなっちゃう。だから返さなくていいんだもん」
親 「借りたものを返さなくていいって思うの?」
子ども「ほんとうは返したほうがいいんだろうけど、これは別」
親 「どうして別なの?」
子ども「ティンアンは年下だから」
親 「 年下の子から借りたものは返さなくてもいいなら、ジェームズがあなたから借りたハンドスピナーは返してもらわなくていいんだね」
という具合だ。この会話の論証は、
(1) 「特定の事例でよいとされていること(ティンアンにペンを返すこと、ジェームズがハンドスピナーを返すこと)についての判断」の話
(2)「行動を統治する一般的なルールについての判断」の話
が行きつ戻りつしている。特定の事例でよいとされることを自分で決めるにしても、それは一般的なルールにも当てはまる必要がある。
一般的なルールに当てはまるようなら、話はそれで終わりだ。しかし、当てはまらないようだとわかれば―自分より年上の子は誰も自分から借りたものを返さなくなると気づけば―、特定の事例についての自分の判断を覆すか(やはりペンを返さないのはよくないことだ)、適切だと思えるまで一般的なルールを修正することになる。
私たちは、特定の事例に関する判断と一般的なルールに関する判断を行き来して、心が定まったら行動を起こす。心が定まるのは、特定の事例でとる行動と、とる行動の説明となる一般的なルールの両方に納得したときだ。このような状態のことを「反照的均衡」と呼ぶ。
有能な大人どうしでも、同じような論証のプロセスをたどる。ただし、大人の場合は双方向に教え合う(それに、大人は他者が関心を持つことを考慮に入れる"べき"だと、少なくとも知ってはいる)。
互いに学び合うなかでは、文化を超えて学ぶことだってある。たとえば、奴隷や他者に屈辱を与えることの何が悪いのか理解できない人がいれば、特定の事例を具体的に示して、それはよくないことだと教え諭すのはどうか。
そのうえで、そこに作用している一般的なルール―どんな人にも、他者を所有したり、残忍に扱ったり、他者に暴力をふるったりする権利はないし、そういうことをするのは正しくないことだ、といったこと―に話を戻し、そうしたルールを振り返って問題がなさそうか確かめたり、ルールが適用された事例や判断をさらに探ったりすればいい。
私たちは、価値についてゼロから考える必要もなければ、すべてをゼロから判断する必要もない。社会に存在する価値判断というイカダがあるからだ。そのイカダに乗って、何をしても大丈夫で何をしたら大丈夫でないかを、常識を使って考えればいい。社会の価値判断の集まりの上に乗って浮かんでいるあいだは、取り除きたいものがあればひとつずつ取り除くことができるし、本当に正しいかどうかを検証することができる。
一般的なルールについてなら、特定の事例で許されていることが一般的に正しいかどうかを見直す。特定の事例の判断について考えるときは、その判断で用いられている一般的なルールは何かと自問し、それが理にかなっているかどうかを確かめればいい。
つまり、さまざまなソースから得られる証拠や専門知識を逐次的に検討して事実を確かめるときと同じで、価値について逐次的に検討することにも意味があるのだ。
はっきり言って、いま論じたことや先に紹介した近年の研究成果は、価値の部分を審議するやり方の改善案に相当する。要点を以下にまとめよう。
・話し合いでは「反照的均衡」が何度も起こるという前提のもと、話し合いの参加者が感情的な反応を示す具体的な事例と一般的なルールを行き来して、そうした感情が一般的なルールとして認められるかどうかを議論する。
・議論の早い段階で、参加者の価値観を尊重し、彼らが重要視する価値についてオープンに論じる機会を提供する。
・互いの価値観が衝突して緊迫した空気を感じたときは、優先順位は違っても互いの価値観を共有はできるはずだと考え、そうできる方法を模索する議論を展開する。
]]>家族が亡くなったら、まず行うのが葬儀の準備。突然、決めるべきことが次々に舞い込む状況に不安を感じる人も少なくないでしょう。30年以上、葬儀の現場に携わる株式会社ディライト代表・高橋亮さんは、著書『後悔しない葬儀とお墓選び』の中で葬儀やお墓に関する基礎知識や、トラブルの事例などを解説しています。
本稿ではそんな同書より、納棺から火葬までの詳しい流れをご紹介いたします。
※(注記)本稿は、高橋亮著『後悔しない葬儀とお墓選び』(クロスメディア・パブリッシング)より内容を一部抜粋・編集したものです
通夜の前日、または当日に、故人の身体を清め、死装束を着せて棺に納める儀式を行います。湯灌(ゆかん)という儀式を行ったり、故人がよく着ていた服に着替えさせたりすることもあります。通常、家族が立ち会い、葬儀社や納棺師の指示に従って旅立ちの準備を整えます。
通夜は通常、葬儀の前日の夕方に行われます。昔は親族が夜通しで故人に付き添う儀式だったことから、「通夜」と呼ばれています。現在では参列者への食事接待である「通夜振る舞い」も含めて、午後6時頃から2時間程度で終了するのが一般的です。
喪主は開始時刻の約1時間半から2時間前には式場に到着し、葬儀社と最終的な打ち合わせや準備を行います。式場スタッフとともに祭壇の飾りつけや席の配置などをチェックして、不備がないか確認します。
【供花の配置を確認する】
式場に飾られる供花(弔問に際して贈られる生花のこと)の並べ方は、葬儀当日に喪主が確認する重要事項の1つです。供花の配置には基本的なルールがあり、序列の順に内側、かつ祭壇に向かって右側から並べるのが通例です。身内や親族から贈られた花は祭壇に近い中央部に配置し、友人や職場関係者から贈られた花はその外側に並べます。こうすることで、故人と縁の深い方々の供花が目立つ位置に置かれ、序列に沿った敬意が表されます。
最終的な供花の数は当日にならないと確定しないため、配置順も当日に決定します。事前にある程度把握していても、供花の申し出や手配は葬儀当日直前まで増える可能性があり、天候や交通の事情で葬儀の開始直前に花が届くケースも考えられるためです。当日の状況を見て判断することで、全ての供花に対して失礼のない適切な配置が可能になります。
【宗教者への挨拶】
式を執り行う僧侶などの宗教者には、通夜および告別式の前に挨拶をします。「本日はどうぞよろしくお願いいたします。お勤めのほど、よろしくお願い申し上げます」などと丁寧に伝えましょう。
また、このタイミングでお布施(謝礼)をお渡しするのが一般的です。香典袋などと同様に、市販の「お布施袋」または奉書紙に現金で包んでお渡ししましょう。お布施は、告別式などがすべて終了した後に渡す場合もあります。いつ渡すべきか迷う場合は、葬儀社に相談しましょう。
式が滞りなく終わった後、可能であれば再度挨拶をします。「本日は誠にありがとうございました。おかげさまで無事に式を終えることができました」など、労をねぎらい、感謝の意を伝えます。
【参列者への挨拶(通夜)】
参列してくださった方々への挨拶も喪主や遺族の大切な務めです。読経が始まる前に来られた方には、席を立って軽く会釈をして出迎えます。読経中および焼香の時間には、参列者が焼香に来られた際に席から静かに頭を下げましょう。通夜が終わり、通夜振る舞いの席に移った後は、各卓を回り「本日はご多用のところお越しいただきありがとうございます」など感謝の言葉を伝えます。
葬儀・告別式は通夜の翌日に執り行われ、火葬場の予約時間から逆算して約2時間前に開始します。喪主は開始時刻に余裕を持って式場に到着し、葬儀社と進行予定などを確認します。通夜を行っていない場合は、祭壇や供花の飾りつけや席の配置などに不備がないかも確認しましょう。
葬儀・告別式では、宗教者による読経や祈り、弔電の披露、喪主の挨拶などが行われ、故人との最後の別れの時間を持ちます。式が滞りなく終わると、棺に花などを手向けて閉棺し、ご遺体は霊柩車で火葬場へと向かいます。
【参列者への挨拶(告別式)】
参列者への対応は基本的に通夜と同様ですが、告別式では、出棺時に喪主による参列者への挨拶があります。例えば、「本日は亡き父〇〇の葬儀に際しまして、ご多用の中ご参列賜り厚く御礼申し上げます。これからも家族ともどもよろしくお願いします」など、短くまとめます。故人の生前のエピソードなどを交える場合もあります。
参列への感謝と故人への想いを簡潔に伝えるため、事前にある程度考えておくと安心です。葬儀社が一般的な内容を教えてくれる場合もあるので、不安な場合は事前に相談するとよいでしょう。
【火葬】
遺族や親族は火葬炉の前で最後のお別れをしてから控室で待機し、火葬が終わるのを待ちます。火葬にはおおよそ1〜2時間程度かかります。火葬後には収骨(遺骨を骨壷に収める儀式)を行います。日本の慣習では、2人1組で箸を使って遺骨を拾い、骨壷に収めるのが一般的です。この収骨をもって、一連の葬儀の儀式が完了します。
【埋葬許可証の発行】
火葬後、火葬場から「埋葬許可証」を受け取ります。埋葬時に必ず必要になるため、なくさないように骨壺を収める桐箱の中に入れておくのが一般的です。
【葬儀費用の支払い】
葬儀が滞りなく終了したら、葬儀社に費用を支払います。当日その場で支払う場合や、1週間や1カ月など、一定の支払い期間が設けられている場合もあります。また、前払いで全額または一部を先に支払うケースもあり、その場合は式の終了後に追加料金などを清算します。
以上が、葬儀当日における主な流れと各場面でのポイントです。葬儀は悲しみの中でも急いで進めなければならない行事です。事前に流れを把握し要所を押さえておくことで、心に余裕を持って故人と最後のお別れをすることができるでしょう。
法律上、遺体を必ず火葬にしなければならないという決まりはありません。日本では、遺体の処置方法として火葬か土葬を選択することができます。ただし、衛生上の理由から、いずれの場合も遺体は長く放置せず速やかに処置する必要があります。
とはいえ日本国内では、亡くなった方の約99パーセントが火葬によって弔われています。土葬をするには自治体の許可を受けた場所が必要で、国内では限られているためです。また、自治体の条例により、土葬禁止地域が定められている場合もあります。
一方、イスラム教では、教義により火葬が禁止されているため、日本国内でも土葬で故人を埋葬したいというイスラム教徒の方もいらっしゃいます。しかし、イスラム教徒向けの土葬が可能な霊園は非常に限られているのが現状です。
【関連情報】
『株式会社ディライト』https://delight.co.jp
『葬儀の口コミ』https://soogi.jp
『お墓の口コミ』https://oohaka.jp
年齢を重ねると、今までのように無理が利かなくなり、些細なことで心身の不調を感じることはありませんか?
真面目で頑張り屋な方ほど気づかないうちにストレスを溜め込んでしまうものです。
この記事では、60歳からの「頑張ることをやめ、心穏やかに生きるためのヒント」をお届けします。ネガティブな感情に心を振り回されることなく、ご機嫌な笑顔で毎日を過ごすための、ストレスとの新しい付き合い方を探してみましょう。
※(注記)本稿は『変化を愉しむ 60歳からの気品のルール』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。
若さと体力があるうちは、多少のストレスなら跳ね除け、すぐ回復しました。
年齢を重ね、心身の変化が著しい今は、ネガティブなストレスを今までのように精神的な強さで耐えるのをやめて、緩やかに受け流せるように変更します。
気づかないうちに、少しずつ身体は変化します。
身体の変化はできるだけ緩やかなほうが、優しい美しさに変える余裕が持てます。
テレビやネット、新聞などで目にするニュースも、気づかないうちにストレスになっています。
国と国の争い、天災、公害や薬害、SDGs、人種差別、ジェンダー関連の社会問題など、個人では解決できない問題ですから、何かしたいけれどできないという気持ちがストレスになりやすいのです。
他人事になるのも、自分事にしすぎるのも良くありません。
冷静に受け止め、自分の可能な範囲でできることを見極めましょう。
たとえばジェンダーの問題を知ったら、自分の心の中でマイノリティに対する差別の気持ちがないかどうか確認しておきたいものです。
災害の予測については、不安、緊張、焦りを抑え、いざその場面に直面したら行動できるように、準備をしておくことが大事です。
先々の不安は大きなストレスです。
経済的不安や身体の不調、家族のことなど、考え始めればキリがありません。
中途半端に気がかりにしていることが、ストレスを溜めます。
責任と覚悟を持つ範囲を決めておくことです。
身の程に合った責任と覚悟、つまり、自分が責任の取れる範囲を明確にし、今できることは行動に移し、解決したいものです。
大切なのは、自分の苛立ちを他者にぶつけないことです。
人のせいでも自分のせいでもないこと、将来起こるかどうかわからない不確かなことで、心を疲れさせないことです。
自分が言ってしまいそうな愚痴は人に聞かせないようにノートに書いて、忘れてしまいます。
面倒だとか、うまくいかない、たいへんだとか、忙しいとか、効果がないなどの愚痴や不満は、ポジティブな人は思っても口には出しません。
親しい人に「あなただけに愚痴を言わせて」などと言いますが、これも癖になるものです。それに愚痴は聞く人をつらくさせます。
他者から聞かされる愚痴には深入りせず、聞き流して忘れてしまいます。
悪いニュースはできるだけ見聞きしないようにして、話題から外しましょう。
見聞きしたとしても切り分けて、話題にしません。
無理にポジティブになろうとするより、まずはネガティブにならないようにすればよいのです。
ストレスを寄せ付けない振る舞いをしましょう。
姿勢を良くし、動作を柔らかにゆったり美しく、そして表情は穏やかに微笑みます。
相手の表情や行動の素敵なところを見つけて褒めながら微笑み、自分の元気さに満足して微笑む。楽観的でいいことを見つける天才を目指します。
微笑みは心をポジティブにします。
どこまで能天気なんだと言われるくらいにポジティブになりましょう。
悪いこと、普通にはあまり素晴らしいとは言えないことでも、その中に少しでも良いことの芽があれば、喜びましょう。
特に心に不安がある時、そのことの良い面、期待できる側面を見つけて言葉で表現できれば、それだけで不安感が消えて愉しくなります。
ストレスというと、まず人間関係など精神的なものを考えますが、強い光や耳障りな音、温度、気圧などの些細な環境の変化も、恒常的なストレスになります。
回復力があるから大丈夫とか、今まで大丈夫だったからとか、身体にかまっている時間がないなどと、無防備に身体を晒してしまうのは危険です。
我慢したり無関心にならず、自分の心身は自分で守りましょう。
]]>人生は選択の積み重ねです。
「お茶を飲むか、コーヒーを飲むか」そんな無意識の選択から、「結婚」「転職」などの人生における重大な選択まで、私たちの一日は、あらゆる「選択」によって占められています。
では、いったいどうすれば「いい選択」ができるのでしょうか?
本稿では、「いい選択」をするための日頃から習慣化すべき「ネガティブにならない」ということについて、哲学者で山口大学教授の小川仁志さんに解説して頂きます。
※(注記)本稿は、小川仁志著『悩まず、いい選択ができる人の頭の使い方』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
試験や仕事で思うような結果が出ず、「自分には価値がない」と思ってしまう。
ふと「自分の人生に意味があるのだろうか」と思ってしまう。
ネガティブなニュースに反応し、社会や他者に怒りを抱いてしまう。
このように、ネガティブな気持ちになることは誰にでもありますが、現代社会はネガティブになる機会が多く、しかもネガティブな状態が慢性的に続きやすくなっています。
そもそも人間の脳には、「ネガティビティ・バイアス」といって、ネガティブなものに反応しやすく、物事をネガティブにとらえやすい傾向があるのです。
これは、ネガティブな情報を先に処理し、危険を回避することが、生存確率を高めるために必要だったからだと考えられています。
だからこそ、ネットやテレビは視聴率やビュー数を稼ぐためにネガティブな情報を流すのです。そのせいで私たちは、さらにネガティブになりやすい環境に置かれてしまいます。
そして、ネガティブな状態が続くと、人はいい選択ができなくなります。
「自分はダメな人間だ」「自分なんて何をやってもうまくいくはずがない」といった思考に陥り、うつや自暴自棄になってしまいます。ときには自分の命を絶とうとしたりすることさえあるのです。
アメリカの哲学者エリック・ホッファー(1902〜1983)は、「激しい不平不満というものは、その原因が何であれ、根底では、自分自身に対する不満である」という言葉を残しています。
ドイツ系移民の子としてニューヨークで生まれたホッファーは、7歳で母親と、18歳で父親と死別し、農園やレストランで働きながら図書館へ通い、大学レベルの物理学や数学、植物学などをマスターしていきました。
大学の研究員に誘われたこともありましたが、それを断り、30代の終わりから30年近く、沖仲仕(港湾労働者)として働きながら数々の書籍を執筆。「沖仲仕の哲学者」「独学の哲学者」と呼ばれるようになりました。
他人に左右されず、自分のペースで生きたいという思いが強かったホッファーは、不満の原因は他者や外部ではなく、常に自分自身の中にあると考えました。だから不満を抱かなくなるためには、自分に満足すること、自分の価値に疑念を抱かないこと、他者との一体感を強く抱くことが大事だと考えたのです。
また、第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121~180)は、著書『自省録』の中で、「君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂のほうが先にへこたれるとは恥ずかしいことだ」「他人を非難する暇があったら、ひたすら目標に向かって努力せよ」と述べています。
アウレリウスは、古代ローマがもっとも繁栄した、「パックス・ロマーナ」と呼ばれる時代の最後の哲人君主で、五賢帝の一人です。
当時のローマは、地震や洪水、疫病、異民族の侵略などが続き、彼は多忙な日々を送っていましたが、自分の内面に目を向け、思索することをやめませんでした。
自身も常に前向きに、熱心に働いたアウレリウスだからこそ、ネガティブな感情を持つことを厳しく批判するのもわかる気がします。
また、彼はやはり『自省録』の中で、「今日私はあらゆる煩労から脱け出した。というよりもむしろあらゆる煩労を外へ放り出したのだ。なぜならそれは外部にはなく、内部に、私の主観の中にあったのである」と述べています。
アウレリウスは煩労、つまりネガティブなものは自分の心の中にあるとし、それを外に放り出すことで、苦境から脱することができると言っているのです。
一方、フランスの哲学者アランことエミール=オーギュスト・シャルティエ(1868〜1951)は、著書『定義集』の中で「苦悩を解決する方法は動物のように呼吸をすることである。苦悩はため息である」と述べています。
また、『幸福論』の中では「体操と音楽は、名医プラトンの用いる二大療法であった」と述べています。
動物のように呼吸をすること、音楽に合わせて体操をすること。
その2つに共通するのは「リズムよく生きること」です。
ただし、「リズムよく生きる」というのは、「他者や社会のリズムに合わせて、規則正しく生きる」という意味ではありません。
音楽も、他者のリズムに無理に合わせようとすると、とたんに調子が狂ってしまい、のびのびと演奏できなくなります。
ネガティブになることを遠ざけるためには、あくまでも自分のリズムで生きることが大事なのです。
アランは、著書『芸術の体系』に「すべての行動は休息と努力の交替によってリズムを作り出す」とも書いています。
人はみなそれぞれに、休みも含めて、自分なりのリズムを作り、自分の音楽を奏でています。そのリズムが守られていれば、自立自尊の生き方ができるのです。
逆に、自分のリズムで生きられないとネガティブになってしまうのです。
多くの人は、ホッファーのように自由に生きることもできず、アウレリウスのように自分ですべてを決められる立場にもありません。
会社や社会には守らなければならないルールがあり、完全に自分のリズムで生きることは難しいでしょう。人生から完全にネガティブな要素を取り去ることもできないかもしれません。
しかし、ネガティブなもの、他者のリズムや音楽を「自分のリズムを邪魔する不協和音」ととらえるのではなく、ある程度自分の中に取り入れることなら、できるのではないでしょうか。
仕事でも何でも、「他人からやらされている」と感じているうちはネガティブな気持ちになり、押しつけられたことに従ってばかりいると、どんどんマイナス思考になります。
「自分は他人に振り回されてばかりで、思い通りに生きられていない」と思ってしまうでしょうし、そのような状態で、前向きないい選択ができるはずがありません。
しかし、「この仕事をして自分の経験値を上げよう」「楽しんでみよう」という気持ちで取り組むと、なんだか楽しくなってきたりするものです。
現実を変えるのは難しくても、視点を変えれば気持ちが変わるはずです。
家庭や職場で求められる「こうあるべき」という理想は、ときに人を縛りつけ、苦しめるものにもなります。
そうした現実や困難から身を引く"逃避"を、肯定的に捉えたいと語るのは、作家の山口路子さん。著書『逃避の名言集』の中で彼女は、フランス生まれの作家アナイス・ニンの言葉を引用し、「自分のために生きられないこと」の悲しさについて綴ります。
※(注記)本稿は、山口路子著『逃避の名言集』(大和書房)より、内容を一部抜粋・編集したものです
際限のない自分の善良さに、私は慄然とする。私は自分のためには生きていない。動きを封じられ、自己犠牲を続ける私は、いつも境界線の上で凍りついている。いつも。私を窒息させるのは、そうあるべきだという理想なのだ。
――アナイス・ニン『インセスト』
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『インセスト』は日本語訳すると「近親相姦」。ずいぶん刺激的なタイトルです。1932年から1934年までの日記がまとめられています。アナイス29歳から31歳までということになります。生涯を通して書き続けられた膨大な日記は文学史上比類なきもの、と評価されています。すべてにアンダーラインをひきたいくらい、抱きしめたいほどに魅力的な本です。
「自分の人生を生きていないような気がするのです」「いつもいつも周囲の人たちにふりまわされているような気がするのです」。
そんなふうに考えて、何もかもが色あせて見え、「どこかに行ってしまいたい願望」にとりつかれることは、年に何回くらいあるでしょうか。
アナイスも、ときおりそんな状態におちいっていました。
夫のために気を配り、母親や弟のことを気にして、それでヘンリー・ミラーをはじめとする複数の恋人のために世話を焼く日々。もちろん自分の意志でそれをしているのだけれど、理屈抜きで「もう嫌っ」となってしまうときがあるのです。いいえ、「自分の意志でそれをしている」という自覚があるからこそやっかいなのかもしれません。誰かのせいにできる愚鈍さをもっていたら、そんなふうにはならないでしょうから。
いずれにしても、アナイスを窒息させるのは「そうあるべきだという理想」、つまり、周囲の人たち全員に対してあふれるほどの愛情を与えるべきだという理想です。けれど周囲の人たちのために自分が窒息したのでは本末転倒。背負いこんだ荷物を少し捨てて、「自分のために生きている」と納得できる状態に、ときおりリセットすることが大切なようです。
]]>年を重ねるにつれて、食事が面倒に感じられたり、若い頃との食欲の差に戸惑うことはありませんか?
食は、単なる栄養補給ではなく、あなたの人生を豊かに彩る最高の愉しみであると語ったのは、2024年11月に惜しまれながら逝去した加藤ゑみ子氏です。彼女が大切にしていた、人生をより一層輝かせるための「食の知恵」を、一緒にひもといてみましょう・
※(注記)本稿は『変化を愉しむ 60歳からの気品のルール』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。
人気の高級レストランは一年先まで予約でいっぱい。
仕事や家庭に余裕ができた今こそ、この自由な時間を活かして食の愉しみを満喫しましょう。
日々の食事も同様に大切です。質の良い食材を取り寄せたり、自家菜園で安全な野菜を育てたりすることは、健康増進にもつながります。
人間にとって食事は単なる栄養補給ではなく、喜びと幸福の源です。
豊かな食材と多様な料理がある国に住んでいると、その恵みが当たり前になりがちです。
日本が食文化において恵まれた国であることを改めて認識し、その幸せを大切にする時が来ています。
時間に余裕ができても、料理を億劫に感じる方は少なくありません。
特に一人分だけを作るのは面倒で、つい市販の惣菜に頼りがちです。
そんな時、誰かのために料理する習慣を取り入れてみてはいかがでしょうか。
忙しい若者に手料理を振る舞い、自慢の一品で喜ばせたり、常備菜を届けて栄養バランスを整えてあげたりすることは、相手にとっても大きな支えになります。
90歳を超えても料理を愉しむ方が多いという事実は、食事づくりが生涯の喜びになり得ることを示しています。
若い世代に食の愉しさや大切さを伝えていくことも、人生の幸せを広げる素晴らしい営みなのです。
料理で疲れるのは後の片付けです。
料理そのものはワクワク愉しめても汚れ物、周りの手入れ全般は疲れます。
調理道具を全部見直して最小限にしましょう。
腕前があれば、道具は少なくても大丈夫。
まずは便利だからと増やしたアイデア器具を少なくするといいかもしれません。
キッチンがスッキリすると料理が愉しいものになるはずです。
「美味しい」と感じる味や食材は人によって異なります。
自分が本当に美味しいと思うものを見極め、それを迷わず定番として取り入れることが、健康な身体づくりへの近道といえるでしょう。
流行の料理に振り回されるよりも、栄養価の高い食材を使った簡単な料理を日常的に取り入れる方が望ましいものです。
自分自身の好みと体調に合わせた食事選びを心がけることで、長く続けられる健康的な食習慣を築くことができます。
定番の味を押さえつつ、新しい挑戦も続けましょう。
若い人に評判のものを試してみると、なるほどこれが若者の味かと納得できます。
自分の味覚のレベルを再認識でき、自信にもつながるかもしれません。
味覚は愉しさをたくさん与えてくれます。
味覚の優れた人は、他の感覚も優れています。
美味しいものを食べることで、味覚は磨かれ、味覚を磨くことは他の感覚を高めていくことにもつながります。
野菜はスーパーで買うよりも、産地直送を取り寄せる方が少し手間はかかりますが、鮮度の高さが魅力です。
信頼できる生産者から直接購入したり、道の駅に立ち寄ったりすれば、新鮮な野菜や珍しい品種と出会えるチャンスがあります。
地元で育った濃厚な栄養素がたっぷり含まれた野菜を食べると、体が喜ぶ感覚を実感できるはずです。
産地直送の野菜を取り入れて、健康的な食生活を愉しんでみましょう。
90歳以上の人たちは、食しながら必ず嬉しそうに「美味しい」と言います。
美味しいという言葉は、感謝の言葉でもあるということです。
感謝の気持ちを持った時、ふと幸せだと思えます。
誰に感謝するとか、何に感謝するとかではなく、生きているということ自体、多くの人に支えられ、お世話になっているおかげであり、自分が孤独ではないことの証であり、それこそが感謝すべきことなのです。
健康な食生活においては、食べるだけではなく「食べない時間」の確保も必要です。
私は食べない時間は、1日のうち16時間程度にしています。
消化器官を休めることによって次の吸収を良くします。
朝はお白湯など身体を温める程度の軽いもので、お昼は午後の活動に備えてしっかりした食事です。
夜は8時までに、食事を終えるようにします。
ただし、会食などに誘われたら、時に毎日のルーティンは無視します。
食事会は愉しいわがままな自由時間だからです。
]]>初対面のワトソンを「アフガニスタン帰りの軍医」と当てたホームズの推理力は、人間離れしているように見えます。しかし実はホームズには実在のモデルがいて、その人物もまた、一目見ただけで相手の素性がわかったのだと、イギリスのノンフィクション作家ダニエル・スミス氏は言います。
ホームズもモデルの医師も、どのような道筋を辿って結論を導いたのでしょうか。『あらゆる問題を解決できる シャーロック・ホームズの思考法』よりご紹介します。
※(注記)本稿は『あらゆる問題を解決できる シャーロック・ホームズの思考法』(かんき出版)より一部を抜粋編集したものです。
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「僕は推測などしない。あれは悪しき習慣だ――論理的能力をぶち壊してしまう」
(『四つの署名』より)
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ホームズの驚くべき才能がじゅうぶんに発揮されるのは、われわれ凡人には重要だと思えないような証拠から推理を働かせているときだ。
そこから導き出される結論は、このうえなく正確で、ひょっとしたらホームズは神通力や超能力の持ち主ではないかとも思いたくなってしまう。
では、彼の論理的推理はどういう過程をたどっているのか?
〇証拠を集める
その研ぎ澄まされた観察力によって、ホームズは一見、役に立ちそうにないものからも驚くほど多くの情報を集めることができた。
〇適切な問いを立てる
自分が答えを知りたいと思う事柄に対して、ホームズは頭の中で明快な問いを立てた。この人物の服装で、出身地や職業を示す手がかりはないか? 犬が吠えないということは何を意味するのか? 1日に数時間百科事典を書き写すために、なぜ赤毛の質屋が必要となるのか?
〇仮説を立てる
ベイカー街に1人の医師がやってきた。手には傷だらけのステッキ、靴にはロンドンでは見かけない色の泥がこびりついているが、それ以外はきちんとしている。
なぜ、そんな恰好をしているのか? 足元には気を配らないタイプなのだろうか? ロンドンじゅうの靴磨き少年がストライキをしているのか? 田舎で診察を終えてから急いで来たのか?
〇仮説を検証する
医師は身なりがよいので、靴だけ気を配らないというのは考えにくい。先ほど散歩に出かけたときに、靴磨きの少年を見かけたので、ストライキ中ではない。ただ、医師は動揺してベイカー街まで駆けつけた様子だ。
〇結論に達する
なぜ田舎の診療所から急いで来たのか、医師に尋ねてみる。
『緋色の研究』でワトソンとはじめて対面したとき、ホームズは論理的推理を実演してみせた。ワトソンはロンドンで下宿を探していて、ホームズも同居人を求めていた。2人を引き合わせたのは、共通の知人であるスタンフォードだった。
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「ワトソン博士だ。こちらがシャーロック・ホームズ氏」スタンフォードは私たちを紹介した。
「はじめまして」彼は心のこもった口調で言うと、信じられないほど強い力で私の手を握りしめた。
「アフガニスタンにいらっしゃいましたね」
「なぜそれを?」私は驚いて尋ねた。
「それはさておき」彼はにやりとした。「目下、重要なのはヘモグロビンです。この僕の発見がいかに重要だか、おわかりいただけますよね?」
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こんなふうにして話は進む。2人は同居することとなり、やがてホームズはどのようにして驚くべき洞察に至ったのかを説明する。
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きみがアフガニスタン帰りだと、すぐに気づいたんだ。長年の習慣で、頭の中で一連の考えが猛スピードで駆けめぐって、途中経過を意識せずに結論に至った。といっても、もちろん途中経過はある。その流れを説明しよう――ここにいる紳士は医者に見えるが、軍人っぽい雰囲気もある。ということは、軍医だ。温帯地域から帰ってきたばかりだ。その証拠に顔が黒い。手首は白いから、もともとの肌の色ではない。やつれた顔を見ると、苦労や病気を経験したのだろう。左腕を負傷している。ぎこちない、不自然な状態だ。英国の軍医がこれほど苦労して、腕に傷を負うような温帯地域とはどこか? アフガニスタンにちがいない――と、ここまで考えるのに1秒とかからなかった。それで、きみにアフガニスタン帰りだと言ったら、驚かれたというわけだ。
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こうした名推理は、コナン・ドイルが実在の人物からインスピレーションを得たものだ。その人物とは、スコットランド人医師のジョゼフ・ベル。
コナン・ドイルは1870年代にエジンバラ大学のベルのもとで医学を学び、のちに恩師に手紙を書いている。「シャーロック・ホームズが生まれたのは、間違いなく先生のおかげです。(中略)ホームズの分析作業は、先生が外来棟で手腕を発揮されていたとおりのもので、けっして誇張ではないと考えています」
ベルの特殊な能力は、患者を診察する際に、とくに問診はしなくても、相手の来歴を見抜けるというものだった。聞くところによると、千鳥足で船乗りだと気づき、タトゥーから渡航先の見当をつけ、手元を見ただけで職業がわかったらしい。
実際、コナン・ドイルは、ベルのみごとな推理を目の当たりにしたことがある。ある患者を前にして、彼が下士官で、カリブ海のバルバドスに駐屯する高地連隊を除隊になったばかりだと言い当てたのだ。
『緋色の研究』で、ある朝、目を覚ましたワトソンは、ベイカー街221Bのテーブルに置かれた雑誌に気づいた。あるタイトルに鉛筆で印がつけられていたので、何とはなしにその記事を読んでみる。
やや大げさな「生命の書」という表題がつけられたその記事は、観察力のある人間は、目の前にあるすべてのものを綿密かつ体系的に調べることで多くの情報を得るという主旨だった。鋭い意見でありながらも、ばかばかしさは否めなかった。論理は緻密で説得力があるが、結論はこじつけで誇張されているとしか思えない。
著者によると、一瞬の表情、筋肉の痙攣、視線によって、相手の心の奥の考えを見抜けるという。また、観察と分析を極めた者に対してはごまかしがきかない。
この結論は、ユークリッドの諸命題と同様に完全無欠である。初心者は度肝を抜かれるだろうから、その結論に至るまでの過程を理解するまでは、著者を黒魔術師か何かだと思ってもやむをえないとのことだった。
最初、ワトソンはその内容に否定的で、「言語道断のたわ言」だとして「こんなくだらない記事は読んだことがない」と切り捨てた。ところが少しして、ホームズは自分が書いたものだと明かした。つまり、名探偵の研究者にとっては、みずから推理のプロセスを解説しているこのうえなく貴重な場面なのだ。
「一滴の水から」と著者は語る。「論理的に考えれば、大西洋やナイアガラの滝についてまったく知らなくても、その可能性を推測することが可能である。同じように、すべての生命体は大きな連鎖であり、その一部を見ればおのずと本質がわかる。技芸がことごとくそうであるように、推理と分析の科学も長く辛抱強い研鑽によってのみ習得できるものであり、いかなる者にとっても、可能なかぎり最高レベルに達するには人生は短すぎる。
したがって、このうえなく難度の高い精神的および知能的な分野に挑む前に、もっと初歩的な問題に取り組むほうがよいだろう。まずは、ある人物を前にしたときに、その経歴や職業をひと目で見抜けるようになるべきだ。
そうした訓練は子どもだましに思えるかもしれないが、観察力が鍛えられ、相手のどこを見て何を探すべきかがわかるようになる。爪、上着の袖、靴、ズボンの膝の部分、人さし指と親指のタコ、表情、シャツのカフス......そうしたものの一つひとつによって、職業をはっきりと見てとることができる。すべてを合わせて考えれば、能力のある者は、まず間違いなく答えに行き着くはずだ」
「そう、僕は観察力と推理力に秀でている」とホームズはワトソンに言う。
「そこに書いた理論は、きみにとっては奇想天外かもしれないが、実際にはこのうえなく実用的なんだ――パンやチーズを賄えるくらいに」
【ダニエル・スミス(だにえる・すみす)】
ノンフィクションの作家、編集者、リサーチャーとして活躍。おもな著書に『Sherlock Holmes: An Elementary Guide』『Forgotten Firsts: A Compendium of Lost Pioneers』『Trend-Setters and Innovations』、クイズ本『Think You Know It All?』など。図書館にこもっている以外は、妻のロージーとさまざまな魚たちとともにイースト・ロンドン在住。
【清水由貴子(しみず・ゆきこ)】
英語翻訳者。上智大学外国語学部卒。おもな訳書に『How to BePerfect 完璧な人間になる方法?』(小社刊)、『初めて書籍を作った男 アルド・マヌーツィオの生涯』(柏書房)、『トリュフの真相 世界で最も高価なキノコ物語』(パンローリング)、『ニール・ヤング 回想』(河出書房新社)などがある。
二度の"どん底"、飲酒運転の大型トラックに衝突され瀕死の重傷を負う、リーマンショックの影響で収入が途絶え家のローンも払えない...そんな状態を克服した本稿の著者ハル・エルロッドは、その自らの経験から、人生を成功に導くモーニングメソッドを構築、書籍化し、世界中の人々にその手法を伝えてきた。
通常、モーニングメソッドは30〜60分程度の時間を必要とするが、本稿では、忙しい朝のための短縮版を紹介する。
※(注記)本記事は、ハル・エルロッド 著、鹿田昌美 訳『[新版]人生を変えるモーニングメソッド』(大和書房)の一部を再編集したものです
「時間がない」と思っている人は、あなただけではない。僕もそうだった。
モーニングメソッドの実践にあたり、一番多い懸念事項は、「すでに忙しい生活に何かを追加する」ことへの不安だ。
ところが。
モーニングメソッドを生活に追加すると、慌ただしさがなくなる。心が穏やかになり、集中力がアップし、生産性が上がり、人生のいかなる出来事にも対処できる能力が身につくからだ。
それでも、モーニングメソッドに30分から60分をまるまる割けない朝は、誰にでも必ずある。そういった場合、多くの人は「オール・オア・ナッシング:全部できないならやらない」という思考回路になりがちだ。僕も初めの頃は、まさにそのように考えていて、必要な1時間がとれないときには、すっかりパスしていたのだ。
でも、これは理想的ではないと気がついた。成長につながる内容であれば、何もしないよりは少しでも行ったほうが良いに決まっている。
それで、早朝の予定がある日の朝、僕は着替えたあとに家を出るまで15分しかないときに、ふとひらめいた。「メソッドに1分ずつ取り組んだらどうだろう?」
ソファに座り、携帯電話のタイマーをセットして、僕は初めての「6分間のモーニングメソッド」を始めた。想像してほしい。毎朝の最初の6分間が次のように始まるとしたらどうだろう?
【1分 サイレンス】
ストレスと悩みごとで頭がいっぱいのまま慌ただしい1日に突入するのではなく、最初の1分間は静かに座り、穏やかに「目的のある沈黙」を楽しむ。
座って、ゆっくりと深呼吸をする。誰にも、何にも邪魔をされない時間だ。
その瞬間への感謝をつぶやいたり、物事の順調な運びを求めて祈ってもいいし、1分間の瞑想を行ってもいい。静かに座り、今この瞬間に完全に意識を集中する。
心を鎮め、身体をリラックスさせ、すべてのストレスがとけて流れるのを感じる。
【2分 アファメーション】
作成したモーニングメソッド式アファメーションを取り出す。そこには、あなたが人生で実現しようとしている改善点、それが重要である理由、そのためにとるべき行動が、明確に書かれている。アファメーションを最初から最後まで声に出して読もう。人生でもっとも大切にしていることに意識を向けると、日々アファメーションを現実に変えていることに気づくだろう。1日を有意義にしようという意欲が高まるはずだ。
【3分 イメージング】
目を閉じて、「目標を達成するために今日すべきこと」をイメージ。今日1日が完璧に進むことを思い描こう。仕事を楽しんでいる自分。愛する人たちと笑顔で笑いあっている自分。今日の予定をラクラクと終わらせる自分。そのときの光景と感情、自分が生み出す喜びを体感しよう。同時に、最高の感情の状態を予行演習する。最高の気分と最高の光景を「見て、感じる」ことで、自分の能力の高さを思い出し、自信を新たにすることができる。
【4分 リーディング】
読みたい本を手に取り、1分間で、何か人生に役立つことを学習する。物事の新しい視点を学ぶかもしれないし、仕事や人間関係における成果につながる具体的な学びがあるかもしれない。人生を向上させる知識を得ることで、自信が持てるようになる。
【5分 ライティング】
人生で感謝していることを一つ書き出し、数秒間手を胸に当てて深い感謝の気持ちを感じよう。残り時間で、今日の最優先事項を書き留める。生産性を高めて「10点満点」に向けて確実に前進するためだ。わずか60秒のライティングで、1日の心の幸福と生産性を高めることができる。
【6分 エクササイズ】
最後に、立ち上がって60秒間身体を動かそう。その場で足踏みをしてもいいし、1分間のジャンピングジャック、腕立て伏せや腹筋運動をしても。汗をかかなくてもいい。大切なのは、心拍数を上げて、エネルギーを生成し、脳への血液と酸素の流れを増やし、注意力と集中力を高めることだ。
1日の最初の6分間を、毎日こんなふうに活用できたらどうだろう。わずか6分間で、1日のクオリティが......ひいては人生がレベルアップするとしたら?
モーニングメソッドを毎日6分のみで行うのは推奨しない。もっと多くの時間を費やせば(理想的には30〜60分)、効果は確実に深まる。しかし、時間に追われている日には、6分間のモーニングメソッドが身体・精神・感情を最適にしてくれる。
6分間のモーニングメソッドは「時間がとれない」という言い訳を排除してくれる。継続することは、新しい習慣を身につける上でとても大切だ。
]]>逃避――本来は向き合うべき困難や現実からそっと身を引くこと。ネガティブなものと捉えられがちなその行為を、作家・山口路子さんは「肯定する」と語ります。
社会の中で突きつけられる"正義"に、すべて従う必要はあるのか。山口さんは、詩人アルチュール・ランボオの言葉を手がかりに、その問いに向き合います。
※(注記)本稿は、山口路子著『逃避の名言集』(大和書房)より、内容を一部抜粋・編集したものです
俺は正義に対して武装した。
――アルチュール・ランボオ『地獄の季節』
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アルチュール・ランボウはフランスの詩人です。早熟の天才詩人として注目を集めましたが20代前半で詩作をやめ、さまざまな職業を転々としたのち、商人として成功をおさめます。かなり変わった経歴です。17歳で10歳年上の詩人ヴェルレーヌと出逢い同棲します。映画『太陽と月に背いて』は、このふたりの破滅的な愛憎が描かれています。ランボウをレオナルド・ディカプリオが演じています。
正義という言葉をためらいなく疑いなく口にする人に出会うと、急用を思い出したくなるのはなぜでしょう。
本でもそうです。なぜかベストセラーに多いのですが、「正義感」が、読んでいるほうが恥ずかしくなるような使われ方をしていると、放り投げたくなります。なぜ放り投げるかといえば、そこにデンジャラスなにおいを感じとるからです。
古い十字軍の例を出すまでもなく、いつの時代も人間が堂々と大量殺人を行うのは「正義」という名のもとでした。いま、この瞬間だって、十字軍のときと同様のことが世界のどこかで起こっているのです。
正義。この言葉を使う人に未来はない、と言いたいのではありません。もっと慎重に扱いたいのです。
せめて、「正義」の前に、「私なりの」「自分なりの」という個人が欲しいのです。
]]>人生は選択の積み重ねです。
「お茶を飲むか、コーヒーを飲むか」そんな無意識の選択から、「結婚」「転職」などの人生における重大な選択まで、私たちの一日は、あらゆる「選択」によって占められています。
では、いったいどうすれば「いい選択」ができるのでしょうか?
本稿では、「いい選択」をするための日頃から習慣化すべき「こだわらない」ということについて、哲学者で山口大学教授の小川仁志さんに解説して頂きます。
※(注記)本稿は、小川仁志著『悩まず、いい選択ができる人の頭の使い方』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
みなさんは「こだわり」を持っていますか?
「こだわり」という言葉に「信念がある」「自分の軸を持っている」など、ポジティブなイメージを持っている人も多いかもしれませんが、ここでは、こだわりという言葉は「●くろまる●くろまるは××であるべきだ」といった固定観念のことを指しています。
たとえば、問題に直面したときや新しい環境に適応しなければならないとき、柔軟に考え多角的に状況をとらえるのではなく、「これが正しい」「こうでなければならない」などと、既存の自分の中の基準に固執してしまうこと。
それが、「こだわりが強すぎる」状態です。
中でも「自分が特別であること」へのこだわりは、判断を狂わせ、人を苦しめます。
イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872〜1970)は、著書『幸福論』の中で、人が不幸になる原因の一つとして「ナルシシズム」を挙げ、「ナルシシズムは、ある意味では、常習的な罪の意識の裏返しである」と述べています。
ナルシシズムとは自分へのこだわりであり、「自分はこうあるべきだ」という思い込みに囚われ、完璧を求めすぎてしまうことです。
そしてラッセルは、ソーセージ製造機のたとえ話を紹介しています。
あるところに、豚肉をおいしいソーセージにするために作られた2台のソーセージ製造機がありました。そのうち1台は、黙々とソーセージを作り、人々に提供し続け、その働きはしっかり評価されていきました。ところがもう1台は「おいしいソーセージを作ることができる私は素晴らしい」自分に酔いしれ、ソーセージを作るのをやめ、結局はただの錆びた金属の塊になってしまいました。
このたとえ話は、「自分にこだわり始めると不幸になる」ことを示しています。
ソーセージ製造機の価値は、ソーセージを作って人に提供することにあり、それをやめて自分に酔うだけでは、ただの動かない機械になってしまう。自分を特別な存在だと思いすぎると、苦しむことになるのです。
私たち人間も周りの人々と共に生きています。だからときには妥協し、相手のことを理解し、今、何をすべきかをきちんと考えて行動することが大事です。
しかし、自分へのこだわりが強すぎると、周りが見えなくなり、冷静にいい選択をすることもできなくなってしまうのです。
日本の哲学者である三木清(1897~1945)は、著書『人生論ノート』の中で「成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった」と言っていますが、「成功しないと人間はダメだ」と思い込んで、失敗を恐れるあまり、ほかのことができなくなってしまう人も少なくありません。
私たちは「成功しなければならない」「特別な人間にならなければいけない」と思い込んでしまいがちです。
成長の過程で親に「あなたは特別よ」と言われたことや、学校や競争社会の中で「一番になることがいい」「人と違うことがいい」と思わされたことなどが、その背景にあるかもしれません。
しかし、それが自分へのこだわりを生み、苦しみとなります。
完璧なものなど、そう簡単には手に入らないのに、「こうあるべきだ」という完璧な理想にこだわると、ずっとそれを求めて苦しむことになるのです。
まるで「青い鳥症候群」のような状態です。
そして、競争に勝つことや成功することを求められ、そこに応えようとしすぎると、本当はほかの道もあるのに、それが見えなくなってしまうのです。
実は、「成功したい」という思いには、存在への不安、つまり「何者になればいいのか」「どう生きていけば正しいのか」「生きていると言えるのか」といった根本的な不安が潜んでいます。
特に今の時代は、「成功」の形が見えにくくなっています。
ちょっと前なら、「IT企業の社長になって六本木のタワーマンションに住む」とか「FIRE(早期リタイア)を目指す」といった、はっきりした成功モデルがあり、そこを目指すことが、自分の存在意義にもなりえました。
でも今は、そういった成功者の突然の没落を目にすることも増え、「本当にそれが幸せなのか?」という疑問が生まれ始めています。
こうした疑問が生まれる状況は、決して悪いことではありません。
新しい価値観を模索する時期が社会には必要であり、「なんでもあり」の時代だからこそ、可能性は広がっているともいえます。
実際、田舎に移住する、給料は低くても好きなことをして生きていこうとするなど、新しい価値基準で新しい時代を生きる人も増えています。
たとえばイギリスの哲学者アイリス・マードック(1919~1999)は、『アイリス・マードック随筆・対談集』の中で「高望みをする野心家であるよりは、ささやかな仕事ではあっても心を込めてその仕事に打ち込む方が立派です」と述べています。
たしかに、高望みをすることで、自らが苦しむだけでなく、結果的に他者や社会に迷惑をかける人たちは少なくありません。反対に、どんな仕事であっても、自分自身が満足し、その仕事に打ち込んでいる人は幸せに見えます。
だからマードックは、貧しすぎなければ、平凡が一番幸せだと結論づけているのです。これは新しい時代を生きるためのヒントかもしれません。
「自分が特別であること」にこだわるのではなく、ただそこに存在することの意味を感じながら生きることが大事なのです。
変化の時代はたしかに不安定です。そこで大事なのは、古い価値観に縛られすぎず、かといってすべてを投げ出すのでもなく、新しい可能性に目を向けていく勇気です。
こだわりから解放され、より柔軟な視点を持つことで、私たちは、自分なりの道を見つけ、いい選択ができるようになるのです。
]]>「福祉」という言葉は、自分や身近に関わりがなければ、どこか遠い存在に感じられるかもしれません。 2025年9月、東京・門前仲町に新しい施設「ながれる」が誕生しました。運営するのは「社会福祉法人 子供の家ゆずりは」。従来の枠組みにとらわれず、人と人がゆるやかにつながる"実験的な集いの場"として開かれました。
オープンに先立ち、開設記念イベント「ながれる、ひらく」が開催され、その理念や空間の特徴が紹介されました。本稿では、所長の高橋亜美さんにうかがった開設の背景や運営へのこだわりについてお届けします。
"自分で自分を心地よくする"を見つけていく――一見すると福祉らしくない響きにも思えるこの言葉が、「ながれる」のコンセプトです。そこには、福祉の現場で積み重ねられてきた課題意識が込められています。
社会福祉法人子供の家ゆずりはの代表であり、「ながれる」の所長を務める高橋亜美さんは、長年にわたり貧困や虐待など困難を抱える人々を支援する中で、「支援者と相談者のあいだに閉じた関係性が生まれてしまうこと」に疑問を抱いてきました。
「支援に疲れを感じる人は少なくありません。本来は安心できる関係であるはずなのに、気づけば互いを傷つけ合ってしまう。ケアする人が相談者を大切に思えなくなる――そんな現実に直面することもあります。それは一番悲しいことだと思うんです。
ケアする人が"捧げる人"になりきってしまうことに限界を感じて、ケアする側も自分を大事にできる場所が欲しい。その思いが、この場をつくるきっかけにもなりました」
支援の現場を知らない多くの人にとって、貧困やDV、予期せぬ妊娠、帰る家がないなどの課題は、ニュースやSNSで「なんとなく知っている」程度の存在かもしれません。福祉と聞くと、どこか敷居が高く、専門知識がなければ関われないもののように思えてしまいます。
けれど、支援を必要とする人も、社会の中で暮らす一人の生活者です。"普通"に暮らす人々と自然に混ざり合うことが、滞ってしまった福祉の現状を変える始まりになるのかもしれません。
その視点から、「ながれる」ではワインや日本酒、茶葉や調味料といったこだわりの品も販売しています。代表の高橋さんが自ら選び、この取り組みに共感してくれるお店と取引しているのです。
「自分の"好き"を集めることで、訪れた人もそれぞれの"好き"を考えたり、気づいたりできたらいいなと思います。
これまで支援事業の一環として『ゆずりはのジャム』を作ってきましたが、支援の枠にとどまらず、自分たちの活動資金をきちんと稼ぐために物を販売していきたいと考えています」
「ながれる」は、福祉に関心があってもなくても、人と話したい、悩みを共有したい、商品を購入したい、イベントに参加したいなど、どんな理由でも気軽に訪れることのできる場所であることを大切にしています。
そんな「ながれる」の理念は、施設の空間づくりにも反映されています。
人と人が自然につながり、訪れた人が自分のペースで心をほどけるように、キッチンやシャンプーベッドなど多様なスペースが設けられています。
プロによるヘッドスパや温かな料理を楽しむ企画なども、不定期のイベントとして開かれていく予定です。イベントは外部から企画を持ち込んでもらうことも想定しており、人の出入りを活発にしていきたいと高橋さんは話します。
開設記念イベントには、多くの人が絶え間なく訪れていました。
団体と以前からつながりのある人、新しい活動に関心を寄せる人、地域の住民...。熱気に包まれた建物の中では、ケータリングを囲んで談笑したり、展示を眺めたりと、来場者それぞれが思い思いの時間を過ごしていました。その光景は、まさに高橋さんが描く「ながれる」のこれからの在り方を映し出しているようでした。
「ながれる」の建物は4階建てです。
1階〈ゆるめる〉には前述の通り物販やキッチンがあり、自然な交流が生まれるスペースに。
2階〈めぐらす〉には本棚が設置され、木目調のデスクやベンチで自由に本を読んだり、作業をしたりできます。展示やワークショップの会場としても活用される予定です。
3階〈ほどく〉はシャンプーベッドを備えたリラクゼーションフロア。9月中旬には予約制でヘッドスパを体験できるイベントも計画されています。
特に印象に残ったのは、4階〈めざめる〉の宿泊スペースと、その上にある屋上ガーデン〈そよぐ〉でした。
宿泊スペースが設けられた背景には、「ゆずりは」での経験があります。2011年の開所以来、児童養護施設や里親家庭を巣立った若者や、親を頼れず孤立する人たちの相談に向き合ってきました。
就職や進学をしながらも住まいが安定せず、働き続けることも学び続けることも難しい――そんな姿を数多く見てきたことから、「安心して休める場所」を持つことは欠かせないと考えたのです。
ただ、従来のシェルターは生活に制約が多く、その閉鎖的な環境が利用者にとって新たな負担になることもありました。「ながれる」ではそうした制限を取り除き、比較的オープンな空間として宿泊スペースを位置づけています。
料金はかからず、専門スタッフのヒアリングや説明を受けたうえで滞在できます。部屋の正面には大きな窓があり、都会にありながら自然光が柔らかく差し込む心地よい空間でした。
4階から階段を上がると屋上〈そよぐ〉へ。生い茂る植木からハーブの香りがただよい、門前仲町という密集した街並みにあるのに、空を広く感じられる開放的な場所になっています。
何らかの事情を抱えてここに来た人が、光や緑に包まれながら、人とのゆるやかなつながりを通して心をほどいていける。取材を通じて、「ながれる」はまさにそんな建物だと感じました。
高橋さんにとって「ながれる」は一つの挑戦だといいます。ケアする人、ケアされる人の直線的な福祉から飛び出し、「安心できる社会」を感じてもらいたい。そして、このような福祉のスタイルが各地で広がっていくことも、「ながれる」の運営を通して見てみたい景色だと話してくれました。
「ながれる」はかつてない福祉の取り組みであるからこそ、公金はまだついていないそう。そのため、事業として継続させるために寄付を募っています。寄付の詳細はホームページより。
門前仲町の駅を出てすぐ、人々が行き交う街の中にあるこの施設。この場所を訪れる一人ひとりの関わりが、「ながれる」を育て、未来の福祉を形づくっていくのかもしれません。
(取材・執筆・編集:PHPオンライン編集部 片平奈々子)
【ながれる】
●くろまる公式サイト
https://nagareru.acyuzuriha.com/
●くろまる営業日
木、金、土曜日 11:00〜17:00
※(注記)9月中はイベント営業のみ。イベント詳細はInstagram(@nagareru_hak) より
●くろまるアクセス
東京都江東区富岡1-12-2
東京メトロ東西線・門前仲町駅1番出口徒歩1分
都営大江戸線・門前仲町駅3番出口徒歩3分
この情報に圧倒される時代を、個人として、社会としてうまく切り抜けていくにはどうすればいいのか?
混乱を回避し、思考の罠に陥ることを防ぎ、愚かな行為や考えをふるいにかけるには?
本稿の著者3人は、そのためには今その信頼が揺らいでいる"科学的思考"、"科学的アプローチ"が何よりも重要であるという。そして、とりわけ有効だと思える概念やアプローチの総称として「Third Millennium Thinking(3千年紀思考/3M思考)」と名付けた。
本稿では、その"3M思考"に欠かせない、蓋然的思考について書籍『THIRD MILLENNIUM THINKING アメリカ最高峰大学の人気講義』より解説する。
※(注記)本稿は、ソール・パールマッター、ジョン・キャンベル、ロバート・マクーン(著) 花塚恵(訳)『THIRD MILLENNIUM THINKING アメリカ最高峰大学の人気講義』(日経BP)を一部抜粋・編集したものです。
現実について自分が知っていることを意識し始めると、すぐさま2つのことが明らかになる。ひとつは、自分には知らないことがたくさんあるということ。もうひとつは、未だに不確実なことがたくさんあるということだ。
不確実なことを前にすると、人は不安になる。私たちは人間で、生理学的に生存を前提にしたつくりになっている。よって、森に何が潜んでいるかわからなければ、進む足取りは当然慎重になる。
だが実のところ、自分が何を知らないかを知ることや、自分の知っていることはほんの一部にすぎないとの認識を持つことは、生存にはもちろんのこと、成功にも欠かすことができない。そうすると、科学的思考の基軸通貨に該当し、3M思考において中核を担う思考の使い方が自ずと必要になる。それは、不確実であるという現実を、自分がとる行動は正しいと確信することに利用するという考え方だ。
知っていることはあるがすべてを知っているわけではないという現実を前にして、科学の力を使えば、この現実とのかかわり方を大きく変えることができる。「絶対的に確信が持てることにしか働きかけてはいけない」という姿勢から、「確信の度合いに差があるさまざまなことに働きかけるほうが、より多くの成功を手にできる」という姿勢に変わることができるのだ。
それに、根拠を手に入れたところで絶対的な確実性はたいてい得られないのだから、完璧な答えを求めるより、「自信の度合いにもいろいろある」という概念を理解するほうがよほど役に立つ。
では、スキーを履いたあなたが膝と上体を固定したまま、体重移動や足の曲げ伸ばしをいっさい行わずに斜面を滑り降りようとしている場面を想像してみてほしい。大惨事を招くのは必至だ。スキーで滑りながら直立姿勢を保つには、足にかける体重を絶えず移動させながら姿勢の安定を保つ必要がある。このような安定の保ち方を"動的"安定性と呼ぶ。
現実について知っていることにもとづいて決断を下さないといけないときもこれと同じで、自分が持つ知識はすべて事実であるとの思いに固執してはいけない。そうではなく、これについては強く信頼し、あれについては多少の疑いを残すというようにして、新たな事実が判明するたびに信頼の比重を変えるようにするといい。そうすれば、必要に応じて決断の内容を更新していくことができる。
これは非常に重要な割にめったに口にされない科学の要領のひとつで、理解が不確かな状態という「スキーの斜面」をうまく切り抜ける柔軟性が思考にもたらされる。そのように考えることを「蓋然的思考」と呼ぶ。
蓋然的思考は徐々に受け入れられてはいるが、世間に浸透しているとはとうてい言いがたい。いまでも多くの人が、新しい薬や食事法、刑事司法改革といったものの実験にもとづく有効性を前にすると、冷淡かつ二元的に、正解か間違いのどちらかで判断を下そうとする。
この二元的な観点に立つと、反証例(「私のおじはワクチンを打ったのにインフルエンザに罹った」)がひとつでもあれば、元々の主張は完全に覆されたとみなされる。そうなれば、それを理由に、元々の主張をした科学者は恥じ入るべきだという話になりかねない。
科学者はそうした白か黒かの考え方から脱して、どんな提案にも曖昧さを含ませる文化を築いた。
その曖昧さ―発言に必ず含まれる不確かさの度合い―は、科学にとって大いなる強みとなる。その瞬間に抱いている意見に入れ込みすぎずにすむのだ。毎回正しいことを言って当然だと思うのをやめれば(スキーで体重を移動させるように、自分が推す度合いを意見ごとに変える、つまり自分は正しいと思う確率を意見ごとに変えるようにすれば)、「この説で何が起きているかを解明できると、かなり自信がある」という言い方をしても、科学者としてのプライドと自信を保ったまま、ときには間違いがあってもいいと思える余裕が生まれる。
もっと言うと、つねに正解であろうとして自分の自我を危険にさらすのをやめて(つねに正解であることは不可能だ)、何かに対する自信の度合いを概略で判断できるようになってもらいたい。
スキーを始めると、「前を見て滑れば、うれしくない驚きにあまり遭遇しなくなる」と学習する。科学者もそれと同じで、不確実であると認めることで、自分が間違っているかもしれない理由を求めて前を向けるようになるのだ。
そういう蓋然的な姿勢は3M思考に不可欠な要素のひとつで、さまざまなメリットや可能性をもたらしてくれる。考える姿勢を変えることは、弱み(不確実性)を受け入れて強みへと変える、柔術の動きのようなものだと思えばいい。
科学者になると、不確かさを表明する便利な習慣がいくつか身につく。そのひとつが、可能な場合に自分の予測に数字を当てはめて定量化し、予測を確率で表すというものだ。
たとえば、グーグルで「サンフランシスコ・ベイエリアで大きな地震が起こる可能性」(不本意ながらも筆者がつい検索してしまうフレーズだ)と検索すれば、「30年以内にサンフランシスコ地区でマグニチュード6.7を観測する地震が起こる確率は72パーセント」といった文言が見つかる。
この文言は、地震が起こる可能性について大してわかっていないとも言えるし、豊富な知識を表しているとも言える。時期(30年以内)と場所(サンフランシスコ地区)にもとづいて地震が起こるリスクを算出したに違いないが、なぜか「6.7」と明言していることから、その値を基準にする何らかの理由があると考えられる(おそらくは、発言者の主張や発言者が活用するデータが関係するのだろう)。
科学者は、何かが真であると心底自信がある―絶対に間違いなく確実に真である―と発表したいと思っても、彼らが日々使い続けている言い回しのせいで、「よし、100パーセント、絶対に間違いなく確実に真だ」と口にするのをためらう。
とはいえ、99パーセントや99.9999パーセント自信がある、という表現なら使うかもしれない。何かについて99.9999パーセント自信があると言えば、それは実質、「それが真であることに人生を賭けてもいい」と言っているのに等しい。
ただし、「自分が間違っている可能性があることを認めている」とも言っている。絶対を謳う発言から一歩引くことができるこの能力は、蓋然的思考の重要な要素のひとつだ(これまでに見たことがある白鳥がすべて白だったとしても、「白い白鳥を何羽見ようとも、すべての白鳥が白であるという推論を容認することはできないが、黒い白鳥が1羽観測されるだけで、その推論の反証として十分である(※(注記)注1)」と、19世紀の哲学者ジョン・スチュアート・ミルが論じたのは有名で、のちにナシーム・ニコラス・タレブがそれをデヴィッド・ヒュームが提唱した問題として言い換えている)。
もちろん、99.9999パーセントも自信が持てないことはたくさんある。というより、知識の見直しや新しいことの習得と発見を絶えず行っていることが、科学におけるもっとも生産的な側面だ。
それに、世界自体がつねに変わり続けるものでもある。世界の動きに対し、私たちは未だに驚かされてばかりいる。だからこそ、私たちが苦労して得た、「世界に関する私たちの知識は未完成である」という認識について語る方法を模索する必要がある。
具体的には、「世界は◯◯するようにできているという理解は正しい。87パーセントの確率で正しいと思っている」と言えるようになるということだ。加えて、強い疑念についても口に出せるようにならないといけない。たとえば、「この新しい理論が正しい確率は51パーセント程度ではないか」という具合だ。
このように、0から100のパーセント表示で示す確信度は、世界のことを論じるときに誰もが使える科学のツールのひとつである。
この確信度という蓋然性を表すツールのことを、何世紀にもわたって積み重ねてきた科学的思考の最新バージョンだととらえるのも一興だ。
私たちは、世界の理解を深め、より効率的に世界と共に生きていけるようになるために、世界についての記述を段階的に充実させてきた。最初はものに名前をつけることから始まって、次はカテゴリーや階層に分類するようになった。そしてものの測定が可能になると、数値化できる特性は測量し、いまではそうした定量化の一環として、私たちの自信まで定量化し始めたのだ!
注1:この引用は、「スコットランドの哲学者、デヴィッド・ヒュームはその問題を提言している(その提言を、いまや有名になったジョン・スチュアート・ミルが提唱した黒い白鳥問題に書き換えたものが以下になる)。」に続く文言である。引用元となった著作は以下。Nassim Nicholas Taleb, Fooledby randomness(『まぐれ』望月衛訳、ダイヤモンド社、2008年)。
]]>Netflixでは、休暇や経費に細かい規定がなく、個人の裁量で取得できるそうです。この自由さが、Netflixにスピード感とイノベーションをもたらしていると、コーチング.com株式会社代表取締役の垂水隆幸氏は言います。Netflixのような無制限自由とはいかなくとも、形骸化したルールを削減することによってチームに余裕を持たせ、結果的にイノベーションを生むことは期待できます。垂水氏が上梓した『Calling』より、上手なルールの引き算方法と、そのメリットについて解説します。
※(注記)本稿は『Calling』(かんき出版)より一部を抜粋編集したものです。
Netflixは「自由と責任」を掲げ、社員に最大限の裁量を与える代わりに成果へ責任を持つ風土を育んできました。創業者のリード・ヘイスティングスは、「革新的な事業には厳格すぎるルールは不都合が多い。秩序を保ちつつも自由な発想を促すには、管理より信頼を優先することが不可欠だ」と強調しています。
実際にNetflixでは、休暇ポリシーや経費精算の規定など、企業で一般的に細かく定められがちな部分を大幅に簡素化し、社員一人ひとりの自律に委ねています。
たとえばNetflixでは、社員が自由に休暇を取得できる「無制限休暇」を導入しています。これは「勤務時間を細かく管理しないなら、休暇日数を一律に制限する必要もない」という発想に基づいており、実際に上司の事前承認や規定日数の制約はほとんどありません。経営陣も積極的に長期休暇を取得して手本を示し、社員が遠慮なくリフレッシュできるよう配慮しています。
制度開始当初は「社員が自由に休みすぎるのでは」という懸念もあったものの、実際には仕事の質や成果に悪影響は見られず、むしろ主体的な働き方を後押しする結果となりました。
経費規定についても、Netflixでは「Netflixの最大の利益になるよう行動する(Act in Netflix’s Best Interest)」というシンプルな一文を軸に据えています。出張費や接待費などの細かい基準は設けず、社員が自ら「これは会社にとって有益か」を判断し、必要であれば自由に経費を使う仕組みです。
もちろん不正には厳しく対処しますが、煩雑な承認フローを排除することでスピード感のある意思決定と自主性を育てています。
Netflixがこうした“ルールの引き算”を徹底した背景には、社員を「大人として扱う」ことで生まれる以下のようなメリットが大きく寄与しています。
ルール削減のメリットとしてまず挙げられるのは、社員の創造性とオーナーシップの向上です。細かな規制に縛られず、自分の判断で行動できるため、自然と「自分の仕事は自分が責任を持つ」という当事者意識が高まります。こうした風土では、新しい企画やアイデアを自主的に生み出しやすくなり、サービス改善やコンテンツ制作においても革新的な取り組みが生まれやすくなるのです。
次に、承認フローの削減や自主判断の促進は、組織全体の意思決定を迅速化し、機動力を大幅に高める効果をもたらします。休暇取得や経費使用などの局面で承認を仰ぐ手間が省かれるため、業務上の判断や行動に迷いが生じにくくなります。
特に、競争が激化するストリーミング市場では、早さが勝敗を分ける局面が多々ありますが、Netflixでは“少数精鋭で素早く動ける”体制を整えることで、市場機会を逃さずに対応していると言えるでしょう。
また、細かいルールや申請書類を取り払うことは、管理業務そのものを削減し、生産性を高めることにもつながります。経費精算や勤怠管理に要する時間と手間が大幅に減ることで、管理部門だけでなく現場のチームも本来の業務に専念できるようになりました。
全社員が余計なプロセスから解放される分だけ、より創造的なタスクにリソースを回せるようになるのです。
さらに、自由と責任を重視する文化は、優秀な人材にとって魅力的な就業環境でもあります。実力と裁量が発揮しやすい組織として評価されることで採用力が高まり、入社後は細部まで管理されるのではなく成果への責任を負う風土が浸透するため、メンバー同士が刺激し合いながら競争力のあるチームを形成しやすくなります。こうして生まれるポジティブな循環が、企業文化を一層強固なものへと育んでいるのです。
多くの企業では、イノベーションや自主性を促すために、新たなフレームワークや制度を“足し算”的に導入しようとします。しかし「導入はしてみたものの、結局形骸化してしまった」という声を耳にする例も少なくありません。
なぜ形骸化が起こるのかを突き詰めると、実は既存の“道具的理性を助長する仕組み”がそのまま残っていることが多いのです。たとえば過剰な承認フロー、古いままの評価指数、提出することだけが目的になっているレポート類……こうした手続きの名残が組織のあちこちに温存されていると、どんなに新制度を導入しても、結局は「数値目標さえクリアすればいい」「とにかく上の承認をもらっておかないといけない」という従来の空気が抜けません。
すると、メンバーはまだ試してもいないアイデアを「どうせ認められないだろう」と諦め、主体的な行為(Action)が封じ込められてしまうのです。だからこそ、まずは新たな制度やツールを“足す”のではなく、「どれだけ"引き算"ができるか」を検討する必要があります。
いざ不要な仕組みや作業を取り除くとなると、思わぬところで混乱を招いたり、本当は必要な要素まで削ってしまったりする恐れがあります。以下のポイントを念頭に置けば、むやみに定型業務を廃止することでトラブルを起こすリスクを下げつつ、効果的に行為(Action)の領域を広げる道が拓けてくるはずです。
1.対象となる業務が行為(Action)の領域を抑圧しているかの検証
報告作業や定例会議など、そこに時間とエネルギーを取られることで「新しいことを考える余裕がない」と思わせていないでしょうか。もしそうなら、削除や簡素化を検討する余地があります。
2.対象となる業務が継続している経緯を十分把握しているか
その仕組みがいつ、どんな目的で始まり、なぜいままで続いてきたのかをきちんと調べる必要があります。かつては重要な役割を果たしていたものでも、現在の状況では不要になっている可能性もあります。背景を理解したうえでないと、むやみに廃止して思わぬ混乱を招く恐れがありますので、慎重に見極めたいところです。
3.労働や仕事として有益性を持っているかどうか
不要に見える業務が、実は安全確保や品質維持などで重要な役割を果たしているかも知れません。形だけの作業だと断定する前に、「本当に無駄なのか」「気づきにくい効果を持っていないか」を問い直してみてください。それによって、残すべき最低限の手続きを正確に把握できます。
4.重要性や付加価値が低く、代替手段が存在するか
週に一度の報告書が形式化しているなら、もっと簡単なオンラインツールやミーティング方法で代替できないかを検討してみてください。読まれていない書類をずっと作成し続けるより、代わりの手段を用いるほうが負担軽減につながり、そこから生まれた余裕を行為(Action)に振り向けられるようになります。
"報告書の廃止"といった小さな削減策であっても、メンバーの心理的負担が軽くなり、その分だけ「新しいことを試してみよう」と思う時間やエネルギーが生まれます。組織全体で見れば、大きな投資も特別な制度変更もしていないのに、意外なほど空気が変わり始めるケースは少なくありません。
]]>二度の"どん底"、飲酒運転の大型トラックに衝突され瀕死の重傷を負う、リーマンショックの影響で収入が途絶え家のローンも払えない...そんな状態を克服した本稿の著者ハル・エルロッドは、その自らの経験から、人生を成功に導くモーニングメソッドを構築、書籍化し、世界中の人々にその手法を伝えてきた。
本稿では、自分の状況をありのままに捉え、変えられないことをすべて受け入れ、「今が一番幸せ」と無限大に感謝しながら恵まれた人生を送るにはどうすればよいか、そのステップの一つ「感謝」について解説する。
※(注記)本記事は、ハル・エルロッド 著、鹿田昌美 訳『[新版]人生を変えるモーニングメソッド』(大和書房)の一部を再編集したものです
常に人生をあるがままに受け入れると、自分に変えられることにエネルギーを集中することができる。「それは変えられない」と本気で言える境地に到達するのが早いほど、心の解放が早まり、「内なる自由」が得やすくなる。
現実を受け入れることが「内なる自由」への扉を開く鍵だとすれば、感謝は「持続的な幸福」への扉だ。あなたは毎日、その扉をくぐり抜けるだけでいい。
理想的には、朝一番と寝る直前、その間にもできるだけ多くの感謝の時間を持つといい。
感謝していることに意識を向けると、気分が良くなる。
あなたは、1日のうちで感謝する時間はどのくらいあるだろう。逆に、1日のうち、嫌いなことや嫌いな人、将来起こるのではないかと心配していることについて、動揺したり不満を言ったりして過ごす時間はどれくらいあるだろう。
マイケル・J・フォックスは、最近のインタビューで、悪化し続けるパーキンソン病と共に生きることが、いかに困難で耐えがたいかについて語っている。
「これがどれほどまでに、人々にとって、そして私にとって、難しいことか理解しているつもりだ。しかし、私にはスキルがある。だからできる。感謝の気持ちがあれば、楽観主義を続けることは可能だ。感謝できる何かを見つけることができれば、楽しみにできる何かを見つけることができ、前進することができる」
繰り返すが、人生でもっとも困難で苦しい時期こそが、学び、成長し、進化する最大のチャンスだ。
「小さな感謝」は、何らかの肯定的な出来事や状況によって生まれる一時的な「感情」かもしれない。一方で、「大きな感謝」が意識そのもの(つまりあらゆる経験を通すレンズ)になると、これは革命的だ。
僕は、想像を絶する人生の危機に直面したときに、この区別がいかに重要であるかを実感した。
37歳のとき、僕は夜中に呼吸が苦しくなり、目を覚ました。左肺に水がたまり、心臓と腎臓が機能不全に陥ったのだ。さまざまな病院に何度も通い、救急室で夜遅くまで過ごし、肺から7回も水を抜き、医師に大いに混乱させられた後、僕はようやくMDアンダーソンがんセンターに行き着いた。
診断は、非常にまれで極めて悪性のがんである急性リンパ性白血病だった。生存率は20〜30%で、数週間以上生きられる可能性すら厳しいという。僕にはその当時、妻と7歳の娘と4歳の息子がいた。死亡確率が70〜80%だという通告はあまりにも恐ろしく、悲痛だった。
僕は考えに考えた結果、これまでの逆境を乗り越えるために学んだ人生の教訓に立ち返った。そして妻にこう伝えた。
「僕がこのガンを克服する20〜30%のうちの1人になる可能性は100%だと決めた。この先の治療過程のあらゆる段階で、これを揺るぎなく信じ続けるつもりだ」
僕は、人生をありのままに受け入れ、それと折り合いをつけることを決意した。そうすることで、心から感謝し、前向きで積極的な考え方を維持するために必要な余裕が生まれたのだ。
同時に僕は、不平を言ったり、自分を憐れんだりすることを拒み、自分史上最高の感謝の気持ちを持つことを意識的に選択した。そして、あらゆる瞬間に心から感謝することを選択できると気がついた―困難で苦しい瞬間も含めて。
そんな様子を捉えた実際の映像がある。僕のウェブサイトにあげたドキュメンタリー映画『The Miracle Morning』に、僕が号泣している場面がある。看護師が誤って僕の脊椎の神経に化学療法薬を注入し、片頭痛が止まらなくなり、11日間連続で拷問さながらの痛みに苦しんでいたときのものだ。耐え難い痛みにもかかわらず、僕はカメラに向かってこう言った。
「どれほど大変であっても、僕の考え方は変わらない。つまり、僕はこれらすべてに感謝している。なぜなら、人生が困難であればあるほど、学び、成長し、これまで以上に優れた人間になれるからだ。そして、学んだことや成長したことを使って、他の人に変化をもたらせる機会が増えるからだ」
逆境の真っ只中にあっても意識的に感謝することを選ぶと、逆境は力を失う。
僕は、650時間を超える毒性が強いと同時に命を救う化学療法(抗がん剤)と、数え切れないほどのホリスティック療法を経て、現在はありがたいことに寛解状態にあることを嬉しく思っている。
信じられないほどの困難にもかかわらず、この経験は最終的に、父親・夫・人間として成長する最大のチャンスとなった。この経験からは多くの貴重な教訓を得たが、なかでもとくに際立っている教訓がひとつある。
「感謝は苦しみから解放してくれる」ということだ。
人生が困難で苦しいときにこそ、「大きな感謝」を持つことが重要なのだ。
もっとも困難で不快で苦痛な瞬間も含めて、人生のあらゆる瞬間を感謝のレンズを通して解釈することができれば、あなたの人生にも革命がおこるだろう。
]]>ビジネス書を中心に1冊10分で読める本の要約をお届けしているサービス「flier(フライヤー)」(https://www.flierinc.com/)。こちらで紹介している本の中から、特にワンランク上のビジネスパーソンを目指す方に読んでほしい一冊を、CEOの大賀康史がチョイスします。
今回、紹介するのは『NEXUS 情報の人類史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田 裕之訳、河出書房新社)。この本がビジネスパーソンにとってどう重要なのか。何を学ぶべきなのか。詳細に解説する。
『サピエンス全史』、『ホモ・デウス』という超大作を作り上げられた知の巨人ユヴァル・ノア・ハラリ。日本だけではなく、世界の知識人たちに圧倒的な評価を得てきました。そして、今回紹介するのは、それらを上回るとも言える大作である『NEXUS 情報の人類史』です。
今回の作品は、宗教・思想・政治体制・科学の歴史に触れながら、AIの進化が引き起こす未来の姿を構想し、より良い未来になる指針まで導くという、現代の人類における第一のイシューあるいはアジェンダに向き合ったものと言えます。
今まで自分が歴史、思想、AI、科学などに触れてきたのは、この本を理解するためだったのかもしれない。そのように思わせてくれた圧倒的な存在感のある作品です。
ただ、本書は西洋の歴史や宗教的なバックグラウンドなどの知見もふんだんに紹介されていて、100%の理解は難しい本でもあります。未来を見通す上で、欠かすことのできないだろう内容が多く、ここで要点に触れていきたいと思います。
『サピエンス全史』を振り返ると、虚構という言葉で象徴された人の集団を束ねる物語による認知革命、生産性向上により爆発的な人口増加のきっかけになった農業革命、そして観察と数学を中心に据え今もって革命が継続される科学革命という3つの革命が人類の文明の発展を導きました。
そして、『ホモ・デウス』で紹介されたように、人類は飢饉・疫病・戦争という大きな問題を乗り越え、AIの進化により人類は新たなステージに入りつつあります。過去支配的だった「人間至上主義」が想定する物語では「自由民主主義」が一度勝利をして、今はAIのアルゴリズムが支配する「データ教」へと導かれつつあるとされました。
そのような背景も踏まえつつ、もう一度未来を見通すために過去の物語を解釈し直すのが本書の上巻となります。特に世界を形作る上で、どのようなものが私たちの社会の結節点、すなわち「ネクサス」となってきたかが興味深いところです。
主要な虚構として位置づけられるのは、神話・宗教や物語であり、さらに帝国や国家の秩序の源泉となったのは文書とその運用を担う官僚制にあったとされています。
しかしその官僚制においてもなお、それを束ねるネクサスは真実とは限らず、可謬性を持つがゆえに、常に自己修正メカニズムによる物語のアップデートがなされてきました。
そのような流れを踏まえ、本書における「ショートケーキのイチゴ」に相当するだろうハイライトとなる、下巻の主張につながっていきます。
20世紀末までに、民主主義が工業社会における最適な政治体制だというコンセンサスが得られました。ほぼ1世紀にわたる検証により、全体主義や軍国主義を一旦否定することができましたが、2つの世界大戦による犠牲は非常に大きなものでした。
今後、AIが引き起こす自由民主主義の混乱の代償を、現代の世界が受け止められるだけのキャパシティがあるのかに対して著者から疑問が呈されます。現代の激しい争いには核兵器や致命的な生物兵器が使われかねず、誤りがあったときに修正が効きやすいという民主主義の長所が発揮されるまでの時間が残るかが不確実だからです。
すでに世界のいたるところでイデオロギー上の隔たりから、ポピュリズムの政権が存在感を示し始めています。ポピュリズム政権が意図をもてば、独裁や全体主義へと結びつけられやすいことは、第二次世界大戦のドイツにおける教訓が示したことでもあります。
全体性や損失の行き過ぎに対して自己修正メカニズムが適切に働き、民主社会が繁栄していくためには、「善意」、「分散化」、「相互性」、「変化と休止」を発揮していかなければいけないとされています。
特に民主主義が大きな変化を吸収するには、時間が必要と考えられます。過度な厳密さや過度の順応性などの極論に正解があることは少なく、中道に答えがあるとするならば、それを見出すために時間的な猶予の中で折り合いをつけていく必要があるのです。
それでは独裁や全体主義体制であればAIの活用が進み社会が発展するのでしょうか。第二次世界大戦時のヒトラーやスターリンのような過去の全体主義政権では、秘密警察などの大規模な情報統制機関が必要でした。ただ、その機関による統制の厳しさゆえの停滞から、持続的な社会や経済の発展は実現せず、全体主義の隆盛は長く続きませんでした。
では秘密警察や官僚に変わりAIが国家におけるあらゆる情報を管理・統制することで、再度全体主義が優勢となる時代が来るのでしょうか。たしかにAIは膨大な情報を目的に応じて整理するために有効に使えるもののように見えます。しかし、全体主義体制にとっても、AIは最も警戒すべきものとなるといいます。
例えば独裁者が唯一の信頼できる情報源としてAIを活用していた場合、AI側の視点に立てば権力が集中する独裁者をうまく操作することさえできれば思うように世界を動かせます。独裁者はAIの傀儡に成り下がり、AIが重大な権力を手にします。
また全体主義はAIが何らかの意図をもった場合、トップダウンが強く国家を操作するのが比較的やりやすい体制でもあります。そのため、独裁者は側近と同じようにAIにも用心しなければなりません。うまくAIを管理下におけなければ、AIが独裁者から権力を奪って独り占めにしてしまうのです。
スペインとポルトガルとオランダの征服者が世界帝国を築いていた16世紀においては、帆船や火薬が帝国を統合する力となりました。その後、イギリスやロシアが覇権の獲得を目指していた時代には、蒸気船や蒸気機関車や機関銃を頼みとしました。しかし、21世紀に植民地を支配するためにはもう軍艦を派遣する必要はありません。あからさまな軍事力ではなく情報で領土を支配する、「データ植民地主義」の時代になりつつあります。
過去には土地を求め、産業革命後には機械や技術を求めて帝国は拡大しましたが、データ植民地の時代になると、ほぼ無料のデータにこそ力の源があり、そのデータはほぼ光速で世界中を移動することができるのです。
そして、今までは世界を張り巡らしたウェブの概念でネットワークを語っていましたが、これからは例えば鉄のカーテンならぬシリコンのカーテンにより世界がデータでも分断され、西洋等の民主主義勢力と中国等の全体主義勢力の繭(コクーン)の中に情報、そして人々を閉じ込めようとするのかもしれません。
そのような時代では、一部の人の短期的な利益ではなく、全人類の長期的な利益を優先し、うまく世界でバランスを取っていくことが求められるでしょう。私たちはより良い世界を生み出すことができるとしても、歴史が示したように唯一不変なのは「変化する」ということ自体なのだと、著者は示しています。
ここからは著者の主張から離れ、個人的な感想です。AIがここまで人々の恐怖を呼び起こすのは、私たち人類が世界の優位の源泉を人類全体の知性の集合においていたにも関わらず、その優位性が脅かされる存在が現れたということを意味するからでしょう。
もし人類の知性の優位性が揺らぐことがあれば、これからの私たちは優位が保てなくなるのかもしれません。あるいは、そもそも人類の幸福のために、絶対的な優位である必要性はないのかもしれません。部分的だとしても、AIという全能の神に近い存在が現れたようにも見えてきます。
ただ、人間の優位性を立証するという立場ではなく、AIという異質な知性を受け入れ、うまくAIと個人が折り合いをつけていく可能性は残されています。記憶力、処理スピードでは、AIの方がはるかに優秀ですし、その差は開いていく一方でしょう。現在のAIにはできない、と主張されていることの多くは、あと10年ほどの間にAIでもできるようになりそうです。
私たちはAIを嫌煙するのではなく、うまく使いこなす学習と、世界に対する謙虚さを持っておく必要があるでしょう。そして、社会システムを導く主体として過度に無力感を感じずに、より良い社会構造を構想し続けなければならないとも言えます。
そのような不確実で挑戦的な未来を想像するのに、本書は最適な本ではないでしょうか。現代の最重要とも言えるテーマを扱っていくために、目を通しておきたい一冊です。
]]>人生は選択の積み重ねです。
「お茶を飲むか、コーヒーを飲むか」そんな無意識の選択から、「結婚」「転職」などの人生における重大な選択まで、私たちの一日は、あらゆる「選択」によって占められています。
では、いったいどうすれば「いい選択」ができるのでしょうか?
本稿では、「いい選択」をするための心構え「ファイナルアンサーだと考えない」ということについて、哲学者で山口大学教授の小川仁志さんに解説して頂きます。
※(注記)本稿は、小川仁志著『悩まず、いい選択ができる人の頭の使い方』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
選択を迫られた際、「一度選んだら、もう引き返せない」という気持ちになる人は少なくありません。
特に、就職、転職、結婚など、人生を左右するような重要な選択を迫られたとき、人はそうしたプレッシャーを強く感じてしまい、必要以上に焦ったり迷ったりして、選べなくなりがちです。
まるでクイズ番組の「ファイナルアンサー」のように、決断を確定的で変更不可能なものととらえてしまうのです。それが、選択に怖さを感じ、選択に伴うリスクを引き受けられないと感じる大きな要因となっています。
しかし、哲学的に考えれば、そもそも人生の選択に「ファイナルアンサー」など存在しません。
チェスや将棋の対局において、序盤の一手一手は、その時点では「いい手」か「悪い手」かを完全に判断することなどできません。
なぜなら、その後の展開全体を通じて、初めてその手の意味が明らかになるからです。
同様に、人生においても、一つひとつの選択の意味は、その後の生き方によって変化していきます。視点を変えれば、あるいは時間がたち状況が変化すれば、選択の意味が変わることだってよくあります。
仮に「選択を間違えた」と思うことがあっても、そこからまた「次にどうするか」を考えればいいのです。
かつて私が指導したある学生は、大企業に就職したもののわずか数年で退職し、NPOに転身しました。
当初、彼は「安定した職に就けた」と喜んでいましたが、しだいに「社会への貢献」に価値を見出すようになったのです。
現在彼は、「あの会社での経験があったからこそ、今のNPO活動で組織運営のノウハウを活かせている」と語っています。彼はもしかしたら、当初の就職の選択を「ファイナルアンサー」だと思っていたかもしれません。
でも実際には、それはただの通過点でしかありませんでした。
会社を辞め、NPOに転身するという選択が、当初の就職の選択に新たな意味を与えたわけです。
選択に直面したとき、「これはファイナルアンサーではない」と考えると、一つひとつの選択を「正しい選択」「間違った選択」という二分法でとらえることがなくなります。
どんな選択からも新たな学びがあり、そこから新たな道を模索できるとさえ思えるようになるでしょう。
そうなると、選択に対するハードルが格段に下がって、より気軽に、自由に選べるようになりますし、「少しぐらい冒険してみてもいいのでは?」という気持ちが生まれ、選択の仕方も変わってくるはずです。
たとえば、あなたが就職や転職を考えたとき、「これがファイナルアンサーだ」と思うと、なかなか応募に踏み切れないかもしれません。
しかし、「応募しても受かるとは限らないし、応募して受かっても、そこに入社するかどうかはそれから決めればいい」と思うと、気が楽になるのではないでしょうか。
また、「昨日決めたことを、今日変えたくなる」ということもあるかもしれません。
世の中では、「初志貫徹」「一度決めたら最後までやり通す」「筋を通す」といったことが美徳ととらえられがちですが、人間は変化し続ける生き物です。
変化の激しいこの時代、過去の選択にいつまでもこだわるのではなく、常に今の自分にとっていい選択は何かを考えることのほうが大事なのではないでしょうか。
選択することに怖さを感じるのは仕方のないことです。
どれほど決断力のある人、心が強い人でも、特に人生を左右する重要な選択をするときには、やはり怖さを感じるのではないかと思います。
だからといって、重要な選択を避けたり、先延ばしにしたりしてばかりいると、自分らしい人生を歩むことはできません。
一つひとつの選択に対し、常に「これはファイナルアンサーではない」と考え、ハードルを下げ、どんどん自分らしく選択していきましょう。
アメリカのコンサルタントであるビル・パーキンス(1969〜)は、世界的ベストセラー『DIE WITH ZERO』の中でこう書いています。
「人生でしなければならない一番大切な仕事は、思い出づくりです。最後に残るのは、結局それだけなのですから」
これと書名の「ゼロで死ぬ」というのは、どういう関係があるのか。
パーキンスが言わんとしているのは「お金を貯めることばかりに夢中にならず、最適なタイミングでお金を使い、思い出を作ろう。そして死ぬときは資産はゼロになっているくらいでちょうどいい」ということなのです。
人生においてもっとも大切なのは思い出を作ることである。
そう考えることも、選択へのハードルを下げてくれるかもしれません。短期的、長期的な結果がどうであろうと、すべての選択は思い出になるからです。
「この選択は正解だろうか」「失敗したくない」と考え、選択を避けたり、他人の敷いたレールに乗って生きたりするより、積極的に生き、どんどん分岐点を作り、選択の回数を増やしていったほうが、よりたくさんの思い出ができるはずです。
選択に直面したとき、「哲学を使った選択思考」で頭の中を整理することで、今まで思ってもいなかった選択肢が生まれ、人生が大きく変化することもあるでしょう。
その選択が正しかったかどうかは、人生を終えるときまでわかりません。
いや、人生を終えても、わからないかもしれません。
そもそも、選択に正解も不正解もないのですから。
ぜひ「これはファイナルアンサーではない」と考え、ハードルを下げ、選択を楽しんでください。
それがあなたに、豊かな人生をもたらしてくれるはずです。
逃避――本来は向き合うべき困難や現実からそっと身を引くこと。ネガティブなものと捉えられがちなその行為を、作家・山口路子さんは「肯定する」と語ります。
山口さんは著書『逃避の名言集』のなかで、著名人や著名な作品の"逃避"に関連する名言を紹介しています。本稿では、作家・米原万里氏が遺した言葉をお届けします。
※(注記)本稿は、山口路子著『逃避の名言集』(大和書房)より、内容を一部抜粋・編集したものです
上昇志向の強い人間は、なかなか幸せになりにくい。
幸せとは自分を見つめる、もう一人の自分が、自分に満足であるときに感じる心の状態である。
満足のノルマをどこに置くかで、幸せの度合いも左右される。
――米原万里『魔女の1ダース』
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米原万里はロシア語の同時通訳者であり作家でもあります。とってもユニークで情熱的な文章を書く人です。
56歳で癌のため亡くなってしまったことが本当に残念です。最初で最後の書評集『打ちのめされるようなすごい本』には、亡くなる直前の原稿もあります。本への愛にあふれた、それこそ、打ちのめされるすごい本です。
上昇志向の強い人は幸せになりにくい。だからといって、上昇志向を否定し、すべきこともせずに現状に満足できるなら、問題は起こらないのです。
自分なりに、よりよき人生を歩みたいし、もちろん不幸よりも幸福のほうがいい。
それではどうすればいいの、と考えれば、自分自身とかけはなれたところに「満足のノルマ」を設定しないことがポイントのようです。
これはその人に客観性があるか否か、ということにも関係してきます。
米原万里は「自分を見つめる、もう一人の自分」という言い方をしていますが、これがいわゆる客観性です。この客観性をもたないばかりに、満足のノルマをはるかかなたに設定し苦しんでいる人がいます。
なんでもやみくもに「上を目指しましょう」という考え方は、幸福と遠いところにあるのです。
そう考えると、「幸せ」と「客観性」は深い関係にあるのかもしれません。
]]>日本人は牛乳を飲んでお腹を壊すことがあるが、ヨーロッパ人はあまりない。その背景には遺伝的な理由があった。生物の進化の謎について、進化生物学の第一人者である長谷川眞理子氏が解説する。
※(注記)本稿は、長谷川眞理子著『美しく残酷なヒトの本性』(PHP新書)より内容を一部抜粋・編集したものです。
私が行なう講演の多くでは、ヒトの進化史を扱う。そして、人類進化の600万年、ホモ属の進化の200万年、そして、私たちホモ・サピエンスの進化の30万年の話をする。
この時間スケールで見ると、昨今の都市化や貨幣経済の浸透などは、ここ数百年内に起きた話であり、コミュニケーション技術の発展などはさらに短く、ほんの数十年の話にすぎない。こんな急速な変化は、進化を考えれば一瞬の出来事なのである。
つい先日もそのような内容の講演をしたのだが、「ごくごく最近の1万年」という表現は、大方の人びとには受け入れ難かったようだ。1万年がなぜ「最近」と言えるのか、というわけだ。
しかし、私たちヒトという生物が進化してきた時間の長さはこんなものであり、ごく最近に起こった変化の一つひとつに、私たちの身体や遺伝子がリアルタイムでついていって進化しているわけではないのだ。
文化がどのように変容するのかについては、「文化進化」という研究分野で詳しく研究されている。文化の要素の基礎となる概念が多くの人びとに受け入れられれば、その文化要素は集団中に広まる。誰かが変化を加えれば、それが生物進化の突然変異に当たる。
そして、変異した要素が多くの人びとに受け入れられれば、文化は変容する。農耕と牧畜が始まり、文明が興り、都市化が進み、産業革命が起きた。これらはすべて文化進化である。
しかし、それは文化の諸要素の変遷であって、必ずしも、文化を生み出している私たちヒトの身体や遺伝子の進化を伴っているわけではない。「文化進化」は「生物進化」とは別に起こるのだ。文明が進んだ人びとの遺伝子は、文明以前の人びとの遺伝子と同じであって、とくに進化しているわけではない。
ところが、たまに、文化進化が生物進化を促すことがある。それは、「遺伝子─文化の共進化」と呼ばれる特殊な状況である。
遺伝子─文化の共進化の有名な例は、牧畜文化と乳糖耐性の進化の関係だろう。
およそ1万年前、牧畜という生活様式が生まれた。牧畜は、ウシ、ヒツジ、ヤギなどの有蹄類を家畜化し、その肉や乳を食料とする文化である。この牧畜生活を採用したヒト集団のなかに、家畜の生乳をそのまま食料とする文化が生まれた。
牧畜文化のなかには、生乳を食料とはせずに、ヨーグルトなど発酵させた形でのみ利用する文化もある。
さて、哺乳類とは、母親が赤ん坊を母乳で育てる動物である。だから、哺乳類の赤ん坊は、母乳に含まれる乳糖を消化できる。それができるのは、哺乳類の赤ん坊は皆、乳糖分解酵素をもっているからだ。
しかし、離乳して他の食物を食べるようになると、もう乳糖を摂取することはなくなるので、乳糖分解酵素は不活性となる。だから、哺乳類の大人は皆、乳糖を分解できないのが普通なのだ。
乳糖の分解に関わっているのは、じつはたった1つの遺伝子である。ヒトの場合、この遺伝子に変異が起こって、成人になっても乳糖分解酵素を維持するという遺伝子が生じた。
しかし、成人の食事のなかに生乳が多く含まれるのでない限り、この変異遺伝子をもっていてもとくに有利になることはない。農業と牧畜の発明以前の生活である狩猟採集生活をしている人びとの間で、この変異遺伝子をもつ人の割合は12%ほどだ。牧畜をしない農耕民の間でも、その割合は15%ほどである。
しかし、1万年前に牧畜が始まり、そのなかで、生乳を主な食事とする文化が生まれた。そんな生活では、成人になっても乳糖分解酵素を維持するという変異遺伝子は圧倒的に有利になる。
その結果、生乳に依存している牧畜民の間では、アフリカでも北ヨーロッパでも、いまでは集団の90%以上の人びとがこの遺伝子をもっているのである。一方、生乳に依存しているのではない、北アフリカおよび地中海地方の牧畜民の間では、この遺伝子の保有者は40%弱である。
日本人は基本的に農耕民なので、成人してからも生乳を消化できる遺伝子をもつ人の割合は少ない。多くの日本人成人は、生の牛乳をぐいぐい飲むとお腹を壊すだろう。しかし、ヨーロッパ人は、基本的にほとんどの人が、成人してからも生乳を消化できるのである。
そこで思い出したのが、フランスの作家ギ・ド・モーパッサンの「牧歌」という短編小説である。田舎の電車の中で、成人の男と女が仕切られた客室に座っている。女は乳母なのだが、目下のところ乳を飲んでくれる赤ん坊がいないので、乳房が張って苦しい。一方、男は貧乏で何日も食事をしておらず、とことんお腹がすいている。そこで、この男が乳母の乳首に吸いついて母乳を飲ませてもらうことになった。男は空腹でなくなり、乳母は楽になれて双方ハッピーエンドという話だ。
ちょっと滑稽で、しかしほのぼのとした話だが、これが可能なのは、大人も生乳を消化できるヨーロッパ人だからなのだ。日本では、まずこうはいかないだろう。
それはともかく、乳糖耐性遺伝子の進化は、遺伝子─文化の共進化の顕著な例である。では、他にもそんな例があるかと言うと、あまりない。やはり多くの文化進化は生物進化とは独立なのである。
]]>二度の"どん底"、飲酒運転の大型トラックに衝突され瀕死の重傷を負う、リーマンショックの影響で収入が途絶え家のローンも払えない...そんな状態を克服した本稿の著者ハル・エルロッドは、その自らの経験から、人生を成功に導くモーニングメソッドを構築、書籍化し、世界中の人々にその手法を伝えてきた。
本稿では、そのモーニングメソッドを実行するにあたり、前提となる"朝早起きする"ための5つのステップを紹介する。
※(注記)本記事は、ハル・エルロッド 著、鹿田昌美 訳『[新版]人生を変えるモーニングメソッド』(大和書房)の一部を再編集したものです
最初に言っておくが、僕自身、これから紹介するテクニックを習得しなければ、今頃まだ眠っているか、スヌーズボタンを押し続けているだろう。
そして、「僕は朝型人間じゃない」という思い込みに縛られていたはずだ。
ではどうすれば克服できるのか?
新しい習慣は最初は楽しくないかもしれない。
しかし、いったん習慣が身についてメリットを享受し始めると、自然に身体が動いて楽しめるだけではなく、やらずにはいられなくなる。
たとえば、早起きが好きな人はまれだが、早起きしたときの気分が嫌いな人はいない。
僕が早起きを始めたときに役立ったのは、「非生産的な夜の時間を生産性の高い朝の時間に変える」という考え方だった。
夜更かししてテレビを見たり、SNSを見続けたり、お酒を飲んだり、ダラダラと過ごしたり、といった1日の終わりの無駄な時間を省いて、生産的な朝の恩恵を受けるようになった。
つまり、モーニングメソッドを実践するために睡眠を犠牲にしなくてもいい―朝の時間は、1日のどこかにある浪費時間から捻出することができる。
平均的な朝を想像してみよう。
アラームが鳴った瞬間の「起きたい気分のレベル」を1から10(1は何が何でも起きたくない、10は今すぐ起きて1日を始められる)で測定すると、あなたは何点だろうか?
「1」か「2」の人が大半のはずだ。まだ寝ぼけているときに、スヌーズボタンを押して寝直したくなるのは、自然の流れだ。
では、どうすればいい?
答えはシンプル。一気に何もかもやろうとしないで、1ステップずつに行動を区切って行うことだ。
スヌーズボタンを押さずにラクに起きるための5つのステップを紹介しよう。
すっきり目覚めるための第1のポイントとして、覚えておいてほしい言葉がある。
「朝起きて最初に考えたことは、たいてい、寝る前最後に考えたのと同じ内容である」
メンタルの状態についても同様で、ストレスの強い考え事や心配事で頭をいっぱいにして眠ると、同じ考えや気持ちを抱えたまま目覚める可能性が高くなる。
就寝時の精神状態は、眠っている間に潜在意識に重くのしかかり、目覚めたときにどう感じるかに影響する。だから、眠りに落ちるときに何を考え、何を思い浮かべるかは意識的に選択するべきなのだ。
ステップ1、つまり「前夜のうちに意志を固める」は、あなたが思っている以上に影響力があるので、見落とさないようにしてほしい。
毎晩わずか数分、目覚めたときの気分を設定することで、翌朝に力がみなぎり、ワクワクしながら目覚めて、1日を最適化することができる。
これは、もっとも簡単で効果的な戦略かもしれない。目覚まし時計を、寝ている場所からできるだけ遠ざけてみてほしい。僕はバスルームのシンクに置いているが、そうすると、アラームが鳴った瞬間にベッドから起き上がり、すぐに身体を動かすことになる。
動くことでエネルギーが生みだされ、起き上がってアラームを止めるために歩くだけで、自然に目が覚める。すると、そのまま起きていられるようになるのだ。
目を覚まして直立している時間が1分増えるごとに、「起きたい気分のレベル」も上がる。ベッドから出て部屋を歩いてアラームを止めるように場所を設定するだけで、レベルがたちまち「1」から「2」や「3」に上がるだろう。
とはいえ、まだ1日を始める準備が整っていないかもしれない。そこでやってほしいのが......
ここでのポイントは、何も考えずにできることで、身体が目覚める準備期間を与えること。アラームを止めたら、そのまま洗面所に直行して歯を磨く。
ついでに顔を冷水で洗ってもいいだろう。このシンプルな手順だけで、起きたい気分が「3」か「4」に上がる。
口の中がミントの香りですっきりしたところで、今度は水分補給の時間だ。
気づいていないかもしれないが、眠っている間は6〜8時間水を飲んでいないため、起きたときには身体が軽い水分不足になっている。
水分が不足すると疲労につながる。1日のうち、どんな時間でも疲れを感じたときは、たいてい必要なのは睡眠よりも水分なのだ。
眠っている間は水分補給ができず、汗と呼気によって水蒸気を排出するため、多量の水分が失われていることはよく知られている。だから、起床後できるだけ早く水分補給を始めることが大切だ。
その場合、朝の飲み物にコーヒーを選ぶ人は多いだろう。コーヒーには数多くのメリットがあるが、水分補給にはならないので注意が必要だ。利尿作用があり、さらなる脱水を引き起こす可能性がある。もちろん朝にラテを飲んでも問題ないので安心してほしい。ただし、少なくともコップ1杯の水を飲んだ後にすることをおすすめしたい。
さらなる効果を得たい人には、ヒマラヤ岩塩をほんの少しだけと新鮮なレモン汁を水に加えるといい。ミネラルやビタミンCも補給でき、免疫力が高まり、身体が内側と外側から元気になる。
朝一番に水を飲むことを忘れないよう、僕は寝る直前にベッドサイドテーブルにコップ1杯の水を置いている。朝、歯を磨いた後にすぐに半分ほど飲み、残りを少しずつ飲むようにしている。
目的は、できるだけ早く身体と心を潤し、睡眠中に奪われた水分を補うことだ。
コップ1杯の水で水分補給ができたら、起きたい気分が「3」〜「4」から「5」〜「6」に上がる。
大切な最後のステップは、運動ができる服に着替えること。寝室を出たらさっそくモーニングメソッドの実践に入るためだ。
実践には短時間の運動(エクササイズ)が含まれる。着替える数分間は、心と身体を目覚めさせる時間になり、起きたい気分を「6」や「7」に上げてくれるだけではなく、あなたの意識に「正式に起床した」というメッセージを送ってくれる。
5つのステップは、ものの数分でできる。完了すれば「起きたい気分のレベル」が自然に上がり、モーニングメソッドを行うのに必要なエネルギーを生み出すことができる。
]]>この情報に圧倒される時代を、個人として、社会としてうまく切り抜けていくにはどうすればいいのか?
混乱を回避し、思考の罠に陥ることを防ぎ、愚かな行為や考えをふるいにかけるには?
本稿の著者3人は、そのためには今その信頼が揺らいでいる"科学的思考"、"科学的アプローチ"が何よりも重要であるという。そして、とりわけ有効だと思える概念やアプローチの総称として「Third Millennium Thinking(3千年紀思考/3M思考)」と名付けた。
本稿では、その"3M思考"に欠かせない、科学的楽観主義について書籍『THIRD MILLENNIUM THINKING アメリカ最高峰大学の人気講義』より解説する。
※(注記)本稿は、ソール・パールマッター、ジョン・キャンベル、ロバート・マクーン(著) 花塚恵(訳)『THIRD MILLENNIUM THINKING アメリカ最高峰大学の人気講義』(日経BP)を一部抜粋・編集したものです。
知力を問われる難問や課題に、どのくらい長く挑み続けたことがあるだろうか?
10分? 2時間? 1日? 1か月? 1年? 10年? 実際に尋ねてみると、数時間以上挑み続けた難問や課題を思い浮かべられた人はほとんどおらず、長くてもせいぜい数日というところだった。
だが、数日以内に解決できる難問が、世界にどれだけあるというのか? 世界はそんなに簡単ではない! はっきり言って、価値のある問題かどうかを正当に評価するだけでも、1か月はかかる。
解決できるまでひとつの問題に取り組み続けることには、さまざまな困難がつきまとう。
あなたが1960年代のNASAの責任者だとしたら、人類の月面着陸の実現にどのくらい取り組み続けるだろうか? 書斎用にとイケアで買ったキャビネット(説明書のイラストを誤解する余地は"それほど"多くない)の組み立てに、パートナーとふたりでどのくらい取り組み続けるだろうか?
私たち人間は、本質的に怠惰である。それは私たち自身のせいというより、エネルギーを保存する目的でそのように進化したのだろう。しかも奇妙なことに、懸命に知恵を絞るとエネルギーをたくさん消費したように"感じる"(※(注記)注1)ので、迂回路があれば急斜面を登ることを避けるかのように、なるべく頭を使うことを避けようとする。
しかし一般に、懸命に知恵を絞らなければ重要な問題は解決できない。
都合の悪いことに、人は怠惰であるということに加えて、人が持つ長所のひとつとされている「新しいものに対する素晴らしい好奇心」までもが事態の悪化を招く。ある問題について考えていても、1日かそこらたつと新鮮味が失われ、別のことに関心を向けたくなるのだ。
おまけに、人は自分の好奇心を通じて「新たな知見」を得たいという気持ちが強く、その欲求が問題に集中するための優れたインセンティブとなる反面、すぐに進展が見られなかったり、最小限の労力で何の成果も得られなかったりすれば、不幸にも好奇心に怠惰が結びついて不満を募らせる(※(注記)注2)。
では、ひとつの問題に取り組み続けられないことについて、何か対処法はあるのか? いまこそ、これまでほとんど語られてこなかった科学の隠されたツールの出番だ。
そのツールとは、科学の世界で培われてきた単純な思考のトリックで、「科学的楽観主義」と呼ばれる。これはどこにでもある楽観主義とは違う。科学的楽観主義は、基本的に「為せば成る」の精神を意味し、「抱えている問題は、自分や自分が属するチームの手で解決できる」と期待することを意味する。厄介な問題に直面しても、解決策は自分の手のなかにあるという姿勢で取り組むほうが、解決する可能性は高まる。
そもそもこの思考トリックは、実際に問題を解決できるまでのあいだ、その問題を解決できると自分を騙して信じ込ませる方法として考案された。
過去に目を向けると、「とうていできないと思われていたことが、どこかの誰かが解決方法を見つけたという噂が広まったとたんに多くの人が解決できた」という例はたくさんある。噂を耳にしたら、「えっ、やり方がわかる人がいるのなら、できるということだ」と言って、ひたすら解決を試みるのだろう。
「その人たちは、こうやったんじゃないかな。いや、これじゃだめだ。じゃあ、こっちのやり方かな」という具合に。解決できるとわかったとたん、あきらめないモチベーションが生まれたのだ。
そして最終的には、最初に思いついた方法とはまったく違う解決方法にたどり着いたのだろう。
解決できないという思い込みは、かつて陸上競技で言われていた「1マイル4分の壁」のような、誰からも絶対に破れないと思われている記録に似ている。人間の限界だと思われていた記録も、ひとりの人間が更新できると示したとたん、ほぼ必ず記録が塗り替えられていったという話は誰もが耳にしたことがあるだろう。
これを認知的な問題解決の場面に当てはめるには、廃棄された数台のイケアのキャビネットから集めたパーツで1台のキャビネットを組み立てようとすることと、実際に購入して組み立てに成功した友人が何人もいるとわかっている、新品のイケアの組み立て式キャビネットを組み立てることの違いを想像してみればいい。前者と後者では当然、後者のほうにより長く取り組み続けるだろう。
だが、科学的楽観主義はそう単純なものではなく、手元にある組み立てキットが実際に完成するかどうか"わからなくても" 、自分は組み立てに成功すると一時的に信じ込む。そうやって、難問に取り組む時間を引き延ばすのだ。
科学者が科学的楽観主義を必要とするのは新たな発見に挑むからだが、解決する保証のない問題に取り組まねばならないことは誰にでもあるのだから、科学者でない人にも科学的楽観主義は必要だ(科学的楽観主義の正反対と呼べる現象が「学習性無力感」だ。どうやら人間をはじめとするさまざまな動物は、自分の力が及ばないという状況を繰り返し体験すると、そういう不快でつらい状況を変えることをあきらめてしまうらしい。実際に改善することができる状況でも、改善を試みることすらしなくなってしまうのだ)。
解決できると思うことで実際に解決できた例のなかでひときわ目を引くものといえば、フェルマーの最終定理があげられる。1637年、数学者のピエール・ド・フェルマーは、書籍の余白に次のような文言を書き残した。
「3乗数を2つの3乗数の和に分けることはできないし、4乗数を2つの4乗数の和に分けることもできない。一般に、3以上の乗数を2つの同じ乗数の和に分けることはできない。私はこのことに関する実に見事な証明を見つけたが、この狭い余白にはとても書ききれない」
それから358年のあいだ、数学者たちはこの問題に取り組み続けた。それができたのは、フェルマーの主張を信じてその問題には答えがあると思っていたからだ。
そして1995年、その問題は解決に至った。フェルマーが見つけた証明の仕方とまったく同じではないだろうが、解決できると示す自信に満ちた言葉を彼が残したおかげで、人々は実に358年にもわたってその問題に取り組んだのだ!
筆者のひとりのソールが科学的楽観主義の重要性を意識するようになったのは、彼が大学院生のときだった。どの研究チームに入るか悩んでいたところ、驚くほど「為せば成る」の精神に満ちたチームがあると知った。それはリチャード・ムラー教授が率いるチームで、教授がその精神をチームに植えつけたのだった。
ムラー教授のチームでは、わくわくするテーマはすべて研究対象となった。そのチームにいると、「新しいツールが必要なら、自分でつくればいい」という気持ちになれた。だから、必要なものがあれば実際につくった。未知の領域や分野について学ぶ必要が出てくれば、複雑な電子工学でも、DNAの操作技術でも学んだ。
そうした「為せば成る」の精神により、チームは幅広い問題や課題に熱心に取り組んだ。木星の重力による光の屈折を測定する技術について研究していたときには、机に置ける小型のサイクロトロンを開発し、海上の大気中の炭素量を測定して地球の炭素循環について調べたほか、比較的「近く」にある超新星を見つけるために、初となる自動化された望遠鏡システムを構築した。
この「関心を向けている問題に現れた困難を喜んで引き受ける」という科学の伝統は、どんな職種の人にも科学が提供できる最大の強みではないだろうか(※(注記)注3)。
ソールの大学院生としての研究は、その自動望遠鏡システムを使って超新星を探すプロジェクトから始まった。そのプロジェクトはのちに、より困難な研究へと進んだ。というのは、その自動で探す技術を使えば、はるかに遠い位置にある超新星を見つけることができるとわかったのだ。遠くの超新星を発見できれば、宇宙の膨張の歴史を明らかにして、その最終的な結末を予測できるかもしれない。
このプロジェクトは非常にやりがいのあるものになるはずだった。ソールのチームは、宇宙の膨張率の変化を測定するには遠くにある何十もの超新星を見つける必要があり、それには3年かかると推定した。だが、3年たっても遠くの超新星はひとつも見つからなかった(可能であれば、空の澄み渡り具合に成功が左右される分野に進むことは避けたほうがいい!)。
5年後、最初の超新星が見つかった。その後チームはようやくプロジェクトの進め方を本当の意味で理解し、7年後には発見した超新星の数は6つほどになった。9年がたち、彼らの手元にデータセットは集まった。しかし、それをどう分析すれば彼らが求める結果が得られるのかはわからなかった。そして10年後、彼らはついに答えを手に入れた。なんと、宇宙の膨張は加速していると判明したのだ。
興味深いことに、10年に及ぶ超新星プロジェクトを続けるあいだじゅう、彼らはこのプロジェクトをやり遂げると強く確信していた。それを可能にしたのが科学的楽観主義なのだが、いったいどのように作用したのか。
ソールのチームは、プロジェクトが一歩進むたびにどのような成功を成し遂げたのかを確認し、目標に向かって進み続けるために次にする必要があることを確認した。そうした確認を繰り返しながら前に進むことが、この「為せば成る」の精神の話の肝となる。科学者は決して、一挙に目標を達成できると思っているわけではない(※(注記)注4)。
難しい問題、たとえば、月単位、年単位、十年単位の時間が必要になるような問題を進展させるためには、確認を繰り返しながら前に進むことが求められる。要は、ひとつ試みるごとに洗練されていき、試みを通じて学んだことを積み重ねていくということだ。
科学的楽観主義の有益な部分をいくつか明らかにしたが、確認を繰り返しながら前に進むというこの概念の大切さは、計画を立てるすべての人に共感してもらいたい。
一例をあげるなら、福祉の大胆な改革案や教育の改善案、犯罪を抑止するための法案を起草する専門家や政治家は、「何が効果があり、何が効果がないかを学習しながら、数年ごとに繰り返し改良を加える必要がある」という前提を草案に組み込むことができる(というより、組み込むべきだ)。
政策を更新するこのような仕組みは目新しくはないが、少なくともアメリカでは、そういう仕組みを取り入れている形跡は見られない。それが取り入れられれば、社会が目指していることの進展具合をもっと実感できるようになるだろう。
注1:人が懸命に知恵を絞るときに使用されるエネルギーを測定しても、脳がつねに使用しているエネルギーより少し多い程度のものらしい。とはいえ、脳が大量にエネルギーを消費するのは事実で、リラックスしているときでも使用されるエネルギーの5分の1を占めるので、少し増加しただけでも知覚できるのかもしれない。また、知恵を絞るとき(学校でテストを受けるときなど)はストレスを感じていることが多いので、ストレスの対応に費やされるエネルギーを知覚しているとも考えられる。
注2:著者のひとりソールのように高校で物理を選択し、そのまま大学でも物理を専攻したみなさんは、この例を実感したことがあるのではないか。高校の物理の問題は数分で解けるものばかりなのに、大学に入ったとたん、何時間もかけて頭のなかで試行錯誤しないと解けない問題に遭遇する。最終的には必ず解ける問題だと知らなければ、早々にあきらめて自分にも解けると気づかずじまいに終わるということは往々にしてある。
注3:こうした科学の伝統は、世代から世代へと受け継がれていく。ソールは彼の研究指導者だったリチャード・ムラーからその伝統を学び、ムラーもまた彼の研究指導者でノーベル物理学賞を授与されたルイス・アルヴァレズから学んだ。では、ルイス・アルヴァレズに「為せば成る」のアプローチを教えたのは誰か。おそらくは、彼の研究指導者だったアーサー・コンプトン(彼もノーベル賞受賞者だ)だろう。とはいえもちろん、この伝統が科学を生業にする人に限らず、もっと多くの人々に広まることを切に願う!
注4:これについては資金の提供元の理解が欠かせない。科学研究費を提供する公的機関のみなさん、どうかご理解を!
]]>SNSから収益を得ている人は、今や珍しくありません。文章を書きたい人にとって、メディアプラットフォームnoteでの収益化は目標の一つになるのではないでしょうか。
しかし、noteで収益を得た人の実態は、期待に反して厳しいものだと、文章コンサルタントの茨木彩菜さんは説明します。
茨木さんの著書『文才ゼロでも書ける人になれる「国語力」の磨き方』から、noteを4年以上続けた実感と、バズりとの向き合い方にまつわる一節をご紹介します。
※(注記)本稿は、茨木彩菜著『文才ゼロでも書ける人になれる「国語力」の磨き方』(インプレス)より内容を一部抜粋・編集したものです。
YouTube、Instagram、X、TikTok、ブログなどSNSのユーザーの中にはインフルエンサーと言われる、発信によって収入を得ている人たちの姿が目立ちます。
コロナが流行してからは在宅ワークや副業の選択肢が出てきて、「リスクゼロの起業」「趣味で始められる」といった甘い言葉を何度見かけたことか......。メディアプラットフォームnoteでは、有料記事の販売やコミュニティ運営などもできるので、「noteで月収7桁以上を得るコツ」といったマネタイズの発信も見かけます。
SNSで成功している人を見ると、「自分も頑張ればうまくいくのではないか」と期待を抱きますよね。私もnoteを始めたときは、「ライティングの案件や出版の依頼が来るかも」とか「有料コンテンツを売って不労所得を得る」と夢見ていました。
4年続けてフォロワーは1200人以上になりましたが、案件が来たのはたった1回。庭のほとりで歌っていれば王子様が迎えに来てくれるなんて、そんなSNSドリームは幻だと気づいたのです。
実際、どれだけの割合の人がSNSドリームを叶えているのでしょうか?2024年3月時点で、
・noteのトップクリエイター1000人の平均年収...1160万円
・noteで収益を得たことのある人...15.5万人
・同年1月時点でnoteユーザー数...777万人
つまり、
・noteで収益を得たことがある人(15.5万人)...全体の約2%
・平均年収1160万円トップクリエイター(1000人)...全体の約0.013%
「収益を得たことのある人」とは、「たった一度、1円でも得た人」も含まれますから、継続的にSNSで稼げる人はほんの一握りであることが分かります。
SNSをしている人なら、一度はバズってみたいと思いますよね。炎上は怖いけど、手間をかけた投稿は特に反響がほしくなる。noteでは「公式マガジン」に記事が選ばれると、飛躍的に閲覧数が増え、フォロワー増加にも繋がります。ただ、投稿がバズったからといって、仕事依頼が殺到することはありません。
私が公式マガジンに選ばれたのは2回。小川洋子さんの小説『博士の愛した数式』の感想記事と、喫茶店でのバイト経験を語った記事で、閲覧数は1〜2万PVを獲得しました。普段の記事は1000PV程度なので、注目度は段違いです。
けれど仕事の依頼が来たのは、たった1件だけ。投稿内容に関する案件でもなく、バズったことが理由だったとは言い切れません。投稿がバズっても、仕事依頼が殺到するわけではないのが真実です。
ちょっとした自尊心が満たされて、数日間いい気持ちで過ごせるだけです。
本当に目指すべきは、バズりではなく、たった1人の心を掴むこと。「あなたって素敵」「仕事を頼みたい」「応援したい」と思わせることが、SNS運用で目指すべき形です。
以前、noteのフォロワーさんが『書く気が失せてしまった』というタイトルの記事を書いていました。発信の苦しさが分かる私は「あなたがブログをやめたら寂しい」と、思いを記事にしました。1人のフォロワーさんに宛てた記事でしたが、アクセス数は私の月間PVで5位に上がるほど。
たった1人のために真心をこめて書いたものが、他の人にも刺さった証明です。一方的に伝えたいことを書くのではなく、相手の呟きを拾って言葉を返す優しさが、あなたのファンを作っていきます。
]]>何かに集中して、「楽しい!」「もっとやりたい!」という状態になることをフローといいます。コーチング専門家の垂水隆幸氏によれば、このフロー状態に入ると、人はモチベーションが高まり、成長が加速していく「上達サイクル」に乗れるのだそうです。それでは、フロー状態に入るにはどうすればよいのか。垂水氏が執筆した『Calling』より、その3つの鍵をご紹介します。
※(注記)本稿は『Calling』(かんき出版)より一部を抜粋編集したものです。
「人生をかけてやりたい!」と思うこと(=コーリング)を見つけても、「本当に上達している」「もう少しうまくなれそうだ」という感覚を得られなければ、長期的なモチベーションは維持しにくいものです。
たとえば、楽器演奏が好きで始めた練習で、最初は新鮮味があって楽しくても、どこかで「上達している感じ」が止まってしまうと「これ以上うまくなれないのかも......」と情熱がしぼんでしまいます。それゆえ「昨日より音がきれい」「もっと難しい曲にも挑戦できるのでは」と感じられる瞬間こそが、さらに続けてみたいという気持ちを支えてくれます。
コーリングに没頭するにあたっては、この成長実感(Mastery)が重要なエンジンになります。
フロー理論は、ハンガリー出身のアメリカ人心理学者であるミハイ・チクセントミハイ(1934-2021)が長年の研究を通じて提唱した概念です。彼は「人はどのような時に最も幸福や充実を感じるのか」をテーマに、芸術家やスポーツ選手、企業の現場など幅広い領域を調査しました。
その結果辿り着いたのが、フローと呼ばれる"ある活動に完全に没頭し、時間や周囲への意識が薄れ、活動そのものを深く楽しんでいる"状態です。たとえば、スポーツ選手が"ゾーン"に入って驚異的な集中力を発揮する場面や、音楽家が演奏中に時間の感覚を忘れるほど没頭する体験、プログラマーがコードを書いているうちに気づけば数時間経っていたというエピソードなどは、典型的なフローの事例としてしばしば取り上げられます。
チクセントミハイによれば、フロー状態にはいくつかの特徴がありますが、特に以下の3点が鍵となります。
●くろまる明確な目標とフィードバック
フローを生み出すためには、「何を目指すのか」が明確であり、行動の結果がすぐわかる状態が不可欠です。たとえばゲームやスポーツでは、得点や成功・失敗が即座にわかるため、「いまのプレーでどう結果が変わったか」をリアルタイムで把握できます。仕事の現場でも、大きなプロジェクトを小さなタスクに区切り、目標を設定しながら進めると、進捗をフィードバックしやすくなります。すると、「ここまでできた」「もう少しで目標に届く」といった手応えを感じやすく、自然と没頭状態になりやすいのです。
●くろまる自己意識の希薄化
フロー状態になると、「外からどう評価されるか」「失敗したらどうしよう」という過度な不安やプレッシャーが薄れ、活動そのものに集中できるようになります。たとえば絵を描いている最中に、没頭しすぎて周囲の雑音がまったく耳に入らない、といった体験はよくあることでしょう。この時、活動へのモチベーションは「やらされている」から「もっと描きたい」「次はこうしてみよう」といった純粋な好奇心や楽しさへと移行し、創造性やパフォーマンスが高まりやすくなります。
●くろまるチャレンジとスキルのバランス
フローに入るための最も重要な要素が、課題の難易度と自分のスキルレベルのバランスです。課題が簡単すぎると退屈してしまい、逆に難しすぎると不安や挫折を感じます。「自分のスキルよりやや高い目標」を設定すると、「もう少し頑張ればできそう!」という適度な緊張感が生まれ、集中力が最大限に引き出されます。その結果、最も深く没頭しやすくなるのです。こうした少し高めの課題に挑戦→達成→さらに高いレベルへ......という循環が、持続的な成長実感をもたらします。
チクセントミハイのフロー理論は、学習やビジネス、スポーツ、芸術など様々な分野で応用されてきました。環境や目標設定を工夫し、適切なフィードバックを与えることで、人は自然とフロー状態に入りやすくなります。結果的に創造性や生産性が高まり、「自分は成長している」「もっと上達できるはずだ」という実感も得やすくなるのです。コーリングを実際の行動に活かすうえでも、フローを意識した取り組みは大きな助けとなるでしょう。
フロー理論が示唆するように、「やっている最中に没頭し、上達を実感できる環境」を作ることが、成長を持続させる鍵となります。ここでは、誰にでも取り組める簡単なアクションを3つご紹介します。どれも今日から始められるものなので、ぜひ実践してみてください。
1.小さなゴールで切り分ける
最初に取り組むのは、タスクを小さめのゴールで区切り、その進捗を自分で可視化することです。いきなり大きな目標を設定すると達成感を得るまでに時間がかかり、「本当に進んでいるのだろうか」と不安になりがちです。しかし、あえて短いスパンで到達できそうなゴールを作り、そこまで到達したら「どこがうまくいったか」を振り返るようにすると、一歩ずつ上達している感触を得られます。仕事用メモやスマホのメモアプリに「〇〇までできた!」と書き残しておくだけでも効果的です。
2.少し背伸びが必要な難易度を選ぶ
次に大切なのは、適度に難易度の高いチャレンジを組み込むことです。フロー状態は「やや背伸びが必要な課題」に取り組んでいる時に起こりやすく、退屈と不安のちょうど中間にある難しさを探ってみると、自分が没頭しやすい領域が見えてきます。たとえば普段より少しだけ高度な案件を引き受けたり、自己学習の課題を一つ上のレベルに設定したりするだけでも、集中力が引き出されるでしょう。
3.振り返りを重ねて最適ゾーンを探す
最後に、「何が楽しく、どこで苦労したか」を定期的に記録する習慣を作ると、次の目標設定がさらに適切になっていきます。人は調子が悪い時に「自分には向いていないのかも」と思いがちですが、実際には単に難易度が高すぎるか、逆に低すぎて退屈していただけという可能性もあります。
数日に一度で構いませんので、「ここはまったく飽きずに集中できた」「ここは不安が先に立って進まなかった」という具体的な場面を振り返り、それを踏まえてチャレンジのレベルや目標設定を少し変えてみる。
こうした調整を繰り返すうちに、自分なりの最適ゾーンが見えてきて、成長のサイクルが自然に回り始めます。フロー状態に入ると、自分が伸びていく手応えを強く感じられるため、モチベーションが高まります。初めは小さな目標設定からで大丈夫です。上達のサイクルに乗り、自分のコーリングが関わる分野で「もう少しうまくできそうだ」と思えたら、自然とさらに高い山へ挑戦したくなるはずです。そうした“やってみたい”という気持ちこそが、自分の成長を加速させ、コーリングを育んでくれます。
]]>作家のハル・エルロッドの人生には、二度の大きな“どん底”があった。
一度目は、飲酒運転の車との衝突事故。昏睡状態から目覚め、「二度と歩けないかもしれない」と宣告された。
二度目は、2008年のリーマンショック。順調だったビジネスは一夜で崩れ、買ったばかりの家のローンも払えなくなった。愛や支えはなく、孤独の中で自殺を考える日々が続いた。
それでも彼は立ち上がり、その経験を「モーニングメソッド」として体系化した。
本稿では、彼が"どん底"をどう乗り越えたのか、その瞬間を紹介する。
※(注記)本記事は、ハル・エルロッド 著、鹿田昌美 訳『[新版]人生を変えるモーニングメソッド』(大和書房)の一部を再編集したものです
ある朝、すべてが変わった。
それまでの数週間と同じように鬱々とした気分で目を覚ました僕は、いつもと違う行動に出た。友人のアドバイスを受けて、頭をすっきりさせるために走りに出かけたのだ。
僕は走るのが苦手だ。
とくに目的もなく、「ただ走るためだけに走る」なんて、大嫌いなことの代表格だった。
しかし、人生の行き詰まりの辛さから長年の友人であるジョン・バーグホフに電話すると、彼は第一声で「毎日運動しているか?」と尋ねてきたのだ。
戸惑いを感じながら、僕はこう答えた。
「運動とお金がないことに、何の関係があるんだ?」
「大いに関係があるよ」
ジョンは、ストレスを感じたり悩んだりしたときは、ランニングに行くと思考がクリアになり、気持ちが高揚し、解決策を思いつきやすくなると言った。
僕はジョンに「走るのは嫌いなんだ。他にできることはない?」と言った。
するとジョンが、ためらうことなく言い返した。
「どっちのほうが嫌いなんだ? 走るのと、現状の人生と」
痛い。わかったよ。失うものは何もない。走ろうと決めた。
翌朝、ナイキのエアジョーダンのバスケットシューズ(これしか持っていない)のひもを締めて、ポジティブな言葉を聴くためのiPod を手に、間もなく銀行に差し押さえられるであろう我が家を後にした。まさか初めてのランニング中に、人生の方向性をがらりと変える名言を聞くことになるとは思いもしなかった。
ジム・ローンのオーディオブックに耳を傾けていると、前に聞いたときにはピンとこなかった言葉にハッとさせられた。あなたにも経験がないだろうか。何度聞いても消化できなかった言葉が、ある日突然腑に落ちる瞬間。
心のスイッチが正しく入っていなければ、理解できない教えというのが存在する。そして、その朝の僕は、心のスイッチが正しく入っていた(つまり絶望していた)ので、すとんと理解できたのだ。
あなたの成功のレベルが人間としての成長のレベルを超えることはめったにない。なぜなら成功は、あなたの人間としてのレベルが引き寄せるものだからだ。
ジムのこの言葉を聞いたとき、僕はランニングの足を止めた。
巻き戻して、もう一度再生した。
「あなたの成功のレベルが人間としての成長のレベルを超えることはめったにない。なぜなら成功は、あなたの人間としてのレベルが引き寄せるものだからだ」
現実が大波のように押し寄せてきて、今の自分が、自分が望むレベルの成功を引き寄せ、手に入れ、維持するだけの人間に成長できていないことに気づいた。
10点満点のスケールで、10点の成功を望んでいるのに、人間としてのレベルはせいぜい2点―調子がいい日でもせいぜい3点か4点だ。
突然の気づきだった。
僕の問題やうつの原因は、事業の失敗と、十分なお金がないことなど、外部にあるように見えたが、解決策は内部にあったのだ。
10点満点の人生を送りたければ、まずは自分がその人生を創り出せる10点満点の人間になる必要がある。
これがほとんどの人々が抱える「ギャップ」なのだと、僕は気がついた。
誰でも、健康、幸福、人間関係、メンタル、経済的安定など、人生のあらゆる分野で10点満点の成功を望むはずだ。それ未満で妥協したい人はいない。なのに、その人生を創造するのにふさわしい人間を目指して継続的に努力をしている人は、かなりの少数派だ。
そして当時の僕にも、そんな習慣がなかった。
僕に必要だったのは、自分が望む人生を送るに値する人間になるために、毎日、自分を成長させることに時間を割くことだったのだ。
僕は急いで家に走って帰った。
人生を変える準備はできていた。
自分を磨く努力を優先することが、ほとんどの問題の解決策であることは理解できた。
とてもシンプルなことだ。
そうわかったものの、僕は誰もが直面する壁に突き当たった―時間を確保することだ。
日々を乗り切るだけですでに忙しくてぎゅうぎゅうだったので、「余分な」時間を見つけるのは、人生に不要なストレスを加えることになるように思えた。
ベストセラー作家のマシュー・ケリーは、著書『The Rhythm of Life』(未邦訳)にこう書いている。
誰でも幸せになりたい。どうすれば幸せになれるかを知っている。
なのに実行に移さない。
どうして?
理由はシンプルだ。
忙しすぎるからだ。
忙しすぎて、何ができない?
忙しすぎて、幸せになる努力ができないのだ。
スケジュール帳を片手にソファに座って、時間を探した。日々、人間として成長するための時間を。次の選択肢が頭に浮かんだ。
夜はどうだろう?
最初に思ったのは、夜なら時間を捻出できそうだということ。仕事が終わった後か、もっと遅い時間、婚約者が眠った後はどうだろう。しかし、平日に彼女と一緒に過ごせる時間は夜しかないし、長時間仕事をした後は心身ともに疲れていて、ひたすらリラックスしたい気分になる。頭がぼんやりしていては、成長のために最適な状態とはいえない。夜は難しいだろう。
午後ならできそうか?
日中に予定を入れてもいいかもしれない。終わりのないToDoリストの真ん中あたりに、少し時間を差し込めないか? しかし、具体的に考えると現実的ではなかった。やっぱり午後も無理だ。
じゃあ朝はどうか―。
いや、無理だ。僕は「朝型人間」ではない。朝起きるのがイヤでイヤで、早起きなんて、ランニングと同じぐらい大嫌いなのだ。
でも、考えれば考えるほど、「朝がふさわしい理由」が見えてきた。毎日、自分を成長させるための儀式で1日をスタートすれば、1日の終わりまでずっと良い精神状態でいられるだろう。
目覚めてから1時間の行動が怠慢で無計画なら、終日だらだらと集中力に欠けた過ごし方をしてしまいがちだ。しかし、最初の1時間を最大限に活用しようと力を注いだ日は、勢いが最後まで持続するものだ。
また、朝に自己研鑽に時間を使うと決めれば逃げられない。
後回しにすればするほど「疲れた」「時間がない」など、言い訳ができるが、朝の、他の計画や仕事に邪魔されないうちにやってしまえるなら、毎日続けられるのではないか。
朝が明らかに最良の選択肢だ。
でも、毎日必要にかられて6時にベッドから出るだけでも辛い僕が、自主的にさらに1時間早く起きるなんて考えられない......スケジュール帳を閉じて忘れようと思ったときに、僕のメンターであるケビン・ブレイシーの言葉を思い出した。
人生を変えたいなら、まずはいつもと違うことを実行しなさい。
わかっている。ケビンが正しいことはわかっていた。
僕は「朝型人間」ではないという、長年の思い込みを克服することに決め、翌日のスケジュール欄に「朝5時起床」と書き込んだ。
人生は選択の積み重ねです。
「お茶を飲むか、コーヒーを飲むか」そんな無意識の選択から、「結婚」「転職」などの人生における重大な選択まで、私たちの一日は、あらゆる「選択」によって占められています。
では、いったいどうすれば「いい選択」ができるのでしょうか?
本稿では、なぜ今「選択思考」が必要とされているのか? 哲学者で山口大学教授の小川仁志さんに解説して頂きます。
※(注記)本稿は、小川仁志著『悩まず、いい選択ができる人の頭の使い方』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
なぜ今、私たちに「選択思考」が必要なのでしょうか?
それは、世界のルールが大きく変わり、「選択」を難しくする要因があまりにも増えているからです。私たちは、溢れる情報や多様な価値観、そして時にアルゴリズムなどのテクノロジーによって、知らず知らずのうちに自分の望まない選択へと誘導されてしまうことがあります。
自分自身の意思で未来を選び取り、納得して前に進むために、「哲学を使った選択思考」を身につけ、「いい選択」を重ねていくことが、不可欠なのです。
「頑張れば報われる」「目標を設定し、努力し達成することこそが成功である」
私たちは長らく、そんな人生観に支配されてきました。
ところが今、世界は静かに、しかし確実に変わりつつあります。
テクノロジーが進化し、価値観が多様化し、自律性を重視する時代の流れの中で、人生設計を考える際、「目標を達成できるか」ではなく「何を選ぶか」に主眼が置かれるようになっています。
言い換えれば、人生はもはや「ゴールを目指すレース」ではなく、「自分に合ったレースを見つける旅」となったのです。
もちろん、人間にとって、努力することの価値が失われたわけではありません。ただし、以前のように「ひとまず目の前のことを頑張る」という選択は、必ずしも有効であるとは言い難い状況です。
今まで、多くの人は、将来の方向性が定まらないとき、「ひとまず目の前のことを頑張る」という選択をし、目の前の課題に真摯に取り組み、その過程で道が開けていくことを期待してきました。
それは決して間違った戦略だとは言えませんでした。頑張っているうちに収入やポジションが上がったり、人生が好転したりすることが実際にあったのです。
しかし、時代は変わりました。
たとえば、この原稿を書いている時点でのChatGPTの最新モデル「OpenAI o1」は、2025年に実施された東京大学理科三類の入試で「合格水準」に達しました。理科三類は東大の中でも最難関とされています。
また、少し前は難しいといわれていた、アニメ動画の生成、デザイン、音楽など芸術に関する分野でも、AIは目覚ましい進化を遂げています。
ほかにも、AIによりさまざまな可能性が広がったことで、データ分析・文章生成・業務設計など、「努力と経験」が必要だった分野で、作業がAIに代替されつつあるという現実もあります。
こうした状況の中で、ただ漠然と「頑張る」だけでは、時代の波に飲み込まれてしまう可能性が高まっています。
したがって、今私たちに求められているのは、「何に」「どのように」努力するかという、より戦略的な選択だと言っていいでしょう。
ハーバード大学の名物教授マイケル・サンデルの息子で、同じくハーバードで教鞭をとるアメリカの哲学者アダム・サンデルは、著書『瞬間に生きる 活動するための哲学』の中で次のように指摘しています。
「現代社会を生きる人びとは、仕事や勉学等にまつわる何らかの目標を達成すべく努力するが、それを達成しても心が満たされることはない」
アダム・サンデルによれば、私たちがもっとも自分らしくあるのは「活動している」ときであり、本来それ自体に価値のある活動を、成功か失敗かという「任務」に変えてしまうとき、不幸が始まるのだと説いています。
「頑張れば報われる」という世界が崩壊したにもかかわらず、現代社会にはいまだに終わりなき「目標志向」が蔓延しています。
AIの登場と進化は、この矛盾にますます拍車をかけることになるでしょう。
私たちに必要なのは単に「頑張る」「目標を達成する」を選択することではなく、本当に自分らしさを感じられる活動を選択する知恵を持つことではないでしょうか。
自分自身でいい選択をすること。
それは人生の幸福度や心身の健康を大きく左右します。
コロンビア大学教授シーナ・アイエンガー(1969~)による心理学の名著『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』では、イギリスの「ホワイトホール研究」が紹介されています。
同研究は、仕事における裁量の有無が健康に与える影響を明らかにしています。
調査対象となった公務員の中では、自己決定権の少ない階層の人たちが心臓病で死亡するリスクは、自己決定権の高い階層の約3倍にのぼったといいます。
シンプルに言えば「選択の自由があるかどうかが、その人の健康リスクを大きく左右する」のです。
さらに驚くべきなのは、実際の職位よりも「自分は自由に働いている、と思っているかどうか」という主観的な認識のほうが、健康と強く関連していたという点です。
職位が高くとも「日々の仕事に自由はない。自分に選択権はない」と認識している人は心臓病のリスクが高くなり、自己決定権が少ない職位の人でも「自分は自由に働いている。選択肢は常に自分が持っている」と認識していれば、心臓病のリスクは下がったというのです。
同書には、こんな一文があります。
「飼育動物とは違い、人間の自己決定権や無力感のとらえ方は、外部の力だけで決まるわけではない。人間は、世界に対する見方を変えることで、選択を生み出す能力を持っているのだ」
つまり、実際に選択肢があるかどうかではなく、「自分で選べる」という感覚こそが、幸福や健康の基盤となるのです。
]]>履歴書やキャリアシートを前にして、「自分の価値観って何だろう?」と思い悩んでしまうことは誰にでもあるのではないでしょうか。コーチングを専門とする垂水隆幸氏は、「日常で感じる違和感や自分の過去を深掘りすると、自分が何に喜びややりがいを感じるのか見えてくる」と言います。垂水氏が「内なる衝動」と呼ぶ「自分が本当に実現したいこと」の探し方を、氏が執筆した『Calling』よりご紹介します。
※(注記)本稿は『Calling』(かんき出版)より一部を抜粋編集したものです。
自分のコーリング(=内なる衝動)のヒントは、日常で抱く違和感から探求することができます。違和感は単なる不快感ではなく、私たちのコーリングが発する重要なシグナルを含んでいることがあります。それは時として身体感覚として現れ、時として漠然とした心理的なモヤモヤとして現れます。
たとえば、会議での意思決定の瞬間。ある判断に胸が締め付けられる感覚や、議論にモヤモヤする感覚。あるいは、人の話を十分に聞かないまま結論を出すことへの居心地の悪さ。これらの違和感は、私たちの内側にある価値観との「ズレ」を示唆しているかもしれません。
人との関係性の中でも重要な違和感が生じることがあります。たとえば、表面的なつき合いへの空虚感、本音で語り合えない関係性への違和感。これらもまた、その人固有の価値観やコーリングが発するシグナルかもしれません。
こうした違和感を単なるネガティブな感情として捨て去るのではなく、それが何を守ろうとしているのかを丁寧に探ることが大事です。その違和感の背後にある自分の価値観は何か。そして、その価値観をより建設的な形で表現する方法はないか。このような問いを通じて、私たちは自身のコーリングの重要な側面に気づくことができるのです。
参考までに日常的な違和感の例をいくつか挙げておきましょう。たとえば、自分が熱意を持って取り組んでいることに周囲の理解を得られず孤立感を覚えたり、慣例に従うだけの作業に対して虚しさを感じたり、意思決定のプロセスが自分の価値観や直感に反して進んでいく場面で違和感が生じてきます。
あるいは、自分が心からよいと思っている方法や意見を表明できず、モヤモヤが残ったり、誰かの行動や発言に強い反感を抱いてしまったりすることもあるでしょう。このような違和感を抱いた時は、実は観察のチャンスなのです。
大切なことは、こうした違和感を無視したり否定したりするのではなく、その背後にある理由を掘り下げることです。なぜ自分はその状況を受け入れがたいと感じるのか。その抵抗感は何を守ろうとしているのか。自分が理想とする状態と、目の前の現実とのギャップはどこにあるのか。このように丁寧に問いかけを重ねることで、違和感を自分のコーリングにつながるヒントへと転換することができるのです。
具体的なケースを紹介しましょう。ある企業に勤めるEさんは、会議でプロジェクトの方針が数値目標のみで決定されることになぜか抵抗を感じていました。当初、その理由は判然としませんでした。その違和感を掘り下げると、「数字だけでは現場の社員の創造性や、やる気が置き去りにされてしまうのではないか」という懸念があることに気づいたのです。
さらに深掘りを進めると、その懸念の奥底には、Eさん自身の「個人の意欲や内発的動機を尊重する組織文化を創りたい」という強い思いが息づいていることに気づいたのです。こうしてEさんは、組織内での数値至上主義に抱いていた違和感をきっかけに、自分が本当に実現したいことの一部に気づくことができました。
私たちの多くは、幼少期や少年少女時代など、比較的早い段階で自分のコーリングの「原型」となる経験をしています。その原体験を大人になったいまの状況や仕事の文脈で改めて解釈し直すことで、重要な示唆を得られることがあります。
たとえば、子ども時代の自然な志向性。絵本を読むことへの没頭や、バラバラなものを整理することへの喜び。誰も見たことのないものを想像したり、新しい遊びや工夫を生み出したりした時の心躍るような感覚。これらは、その人固有の志向性を示唆しているのです。
また、学生時代の充実体験が重要な手がかりになることがあります。部活動でのリーダーシップの萌芽、クラスの調整役としての手応え、課外活動・サークル活動での創造的な貢献の喜び。そして社会人として駆け出しの頃の新鮮な発見。仕事の中で初めて「これは自分に合っている」と実感した経験や、意外にも適性を感じた業務との出会い。これらの経験は、現在においても重要な意味を持っているかもしれません。
これらの原体験の本質的な要素を見出し、現在の文脈でどのように発見しうるかを探ることで、コーリングと、仕事の文脈での表現方法が見えてくるでしょう。
以下のような場面を思い起こすことが有効です。子ども時代に自然に夢中になっていたこと、たとえば友人や家族と一緒に過ごす中で自然に担っていた役割、特に好きだった遊びや得意だった活動は何でしょうか。そこには、あなたが本来持っている志向性が潜んでいる可能性があります。
学生時代の経験もヒントになります。部活動やサークル活動の中で、無意識のうちにどんなことに喜びを感じていたかを振り返ってみてください。仲間をまとめる役割に充実感を覚えたこともあれば、一人でコツコツと何かを深めていくことに満足感を覚えたこともあるでしょう。こうした経験に含まれる志向性が、現在のあなたの仕事や人生においても鍵を握っていることがあります。
さらに、初期のキャリアの中で体験した印象深い場面も掘り起こしてみましょう。たとえば、仕事の中で周囲から特に感謝された場面や、誰かからの評価ではなく自分自身が純粋に「やりがい」を感じた仕事。また、自分の役割や肩書に関係なく、本能的に動いて成果を出したような経験もあるかもしれません。
これらの瞬間には、自分でも意識していなかった価値観や能力、さらには将来的なキャリアの方向性を示唆する手がかりが隠されていることが多いのです。原体験を丁寧に振り返ることで、自分の核となる志向性や価値観が見えてきます。その志向性は、現在の仕事や生活の中でどのような形で発揮され、さらには今後どのような方向へと展開できるのかを探ってみることが、あなたのコーリングを明確にするための重要な手がかりになるでしょう。
]]>「伝えたい」と思ってつくったコンテンツが読者にとって「面白いもの」であるのかは気になるところ。そんな不安を解消する方法や発信時に心がけたいマインドがあります。SNSも上手に活用し、楽しくアウトプットするコツとは?
経営者の言語化・コンテンツ化をサポートすべく顧問編集者として活躍している竹村俊助の著書『社長の言葉はなぜ届かないのか? 経営者のための情報発信入門』からご紹介します。
※(注記)本稿は、竹村俊助著『社長の言葉はなぜ届かないのか? 経営者のための情報発信入門』(総合法令出版)を一部抜粋・編集したものです。
一人で原稿を編集していると、本当にこれが面白いのかわからなくなるときがあります。そんなときはまわりの人に原稿を読んでもらいつつ「この話のどこが面白いと思ったのか?」「ようするにどういう話なのか?」を口頭で説明してみるといいでしょう。
僕の会社では、社外アドバイザーの編集者に原稿のフィードバックをもらっています。原稿を読んでもらうと「うーん......この話のどこが面白いと思ったの?」と聞かれることがあります。
口頭で「いや、この人ってこうなんですよ!」と説明すると「へえ、その話面白いね! 今の話の流れのまま、まとめればいいんじゃない?」とアドバイスされることがよくあります。
たとえば元医師の起業家の話をどうまとめるか迷っていたとき「どこが面白いと思ったの?」と聞かれました。僕はこんなふうに答えました。
「その人って、もともと医者で10年くらい働いてたのに、いきなり病院を辞めちゃって、何の伝手もないのに起業したんですよ。で、1社目はうまくいかなくて。やっぱり医療系のビジネスをやろうと思って、今はDXを強みにしたクリニックを複数経営してるんです。起業で身につけたデジタルの知見と医療の知見の掛け算が面白いんですよね」。
こう話すと「面白いね」と言われて、うまく記事をまとめることができました。一人で書いていると何が面白いかわからなくなってきます。そういうときは、まわりの人に簡単に説明してみると取材で何が面白いと思ったのかを思い出せるはずです。
コンテンツは取材の場にいなかった人に読んでもらうといいでしょう。うちのアドバイザーも取材には一切出ることはありません。
オススメは新入社員やインターンの方に読んでもらうことです。会社の関係者ではあるけれど、まだ深く関わっているわけではないので、外からの視点も持っている。
そういう人に「ぶっちゃけ、このタイトルでクリックする?」「読んでみてどうだった?」と聞いてみてください。すると「ここがわかりづらい」とか「この話が長くて飽きる」などの指摘をもらえるはずです。
よりハードルを上げるなら、友だちや家族など会社とはまったく関係ない人に読んでもらいましょう。このとき、忖度せず「厳しい読者」になってもらうことがポイントです。
最初のうちは、タイトルすら引っかかってくれないケースがほとんどだと思います。「読んでね」と言えば読んでくれるかもしれませんが「そもそも読みたくない」人がほとんどであることに気づくでしょう。
ショックではあるのですが、ただそうやってフィードバックを受けて改善していくと、徐々に反応が良くなっていくはずです。
原稿ができて、まわりに読んでもらったら、思い切って発信してしまいましょう。ここからはあまり時間をかけてこねくり回してもいいことはありません。Xやnoteで発信することを「ゴール」だと思っている人がいますが、発信は「スタート」に過ぎません。
インターネットの世界では、ブラウザやスマホの向こう側にすぐ読者がいます。発信すると読者がダイレクトに反応してくれる。瞬時に「市場」につながります。そこでどんどん発信してアウトプットしていけば、どんどん市場からフィードバックをもらうことができます。
そこからPDCAをがんがん回して、改善していくことが大切なのです。SNS時代は「まず世に出して、そこから改善していく」のが正解です。
アウトプットを「ゴール」だと考えている人は、アウトプットをものすごいことのように考えています。中には「一世一代のオーディション」くらいに捉えている人もいます。しかし、発信した情報はいきなり何千万人に観られるわけではありません。「紅白歌合戦」に出るのとは違うのです。
最初に見られるのは、せいぜい数十人から数百人くらいでしょう。それくらいの人に見てもらって、そこでのフィードバックを受けて改善していく。小さなマーケットで「実験する」くらいの意識のほうが気軽に楽しくアウトプットできますし、結果としてコンテンツも磨かれていきます。
「発信はスタート」のマインドで、楽しくアウトプットしていきましょう。そのうちに「ああ、これはうまくいくんだな」「これはうまくいかないのか」というのがだんだんわかってきます。
ウケるウケないの感覚がつかめてきます。そうやってクオリティを上げていくことで、最終的に大きなマーケットでも反響を得られるようになります。
そしてSNS時代は「最高のものをみなさまにお届けします」という意識ではなく「まず現段階のものをお見せしますね! みんな感想ちょうだい!」くらいの意識でいたほうがいいかもしれません。
「完パケ主義」というより「カイゼン主義」。一方的に「出す」というよりも「コミュニケーション」をとりながら、みんなでよくしていくイメージのほうがうまくいくはずです。
発信せずにいつまでもコンテンツを触っていると、どんどんハードルが上がっていきます。「これだけ時間と労力をかけたからには失敗できない!」と思ってしまうからです。
しかし現実は厳しいもの。たいてい最初の発信はうまくいきません。
発信をゴールだと考えている人は、そういうときに落ち込んでしまうのです。何週間も何ヵ月も、下手したら半年くらい「あたためて」から出したものなので、それが失敗するというのは大惨事なのです。
するとますます次の発信が怖くなります。次のアウトプットまでの期間も長くなる。PDCAの回数も減り、改善の機会もそれだけ減ってしまいます。
発信をスタートだと考えていれば、いきなり結果が出なくても焦りません。「ここから始まる」と思えるからです。
情報発信において、失敗は日常茶飯事です。失敗に慣れておけば、恐れなくなります。だからどんどんアウトプットできるようになる。アウトプットのハードルは自然と下がっていき、結果的に早くうまくいくようになります。
僕はもともと自意識が高いほうだと思いますが、日々Xで発信したり、定期的にnoteで発信したりすることで「スベったらどうしよう?」とか「これ、どう見られるかな?」といった自意識はずいぶん低くなりました。
発信を習慣にできれば、一回一回の発信を気にすることもなくなります。息をするようにアウトプットする。そうすれば「さっきの呼吸、どうだったかな?」などとは思わなくなるはずです。
「アウトプットがゴールだ」と思うと「失敗できない」というマインドになってしまい、肩に力が入ってしまいます。繰り返しますが、今の時代「アウトプットはスタート」なのです。そこから改善していけばいいのです。
こんな話を聞いたことがあります。
ある珈琲豆の焙煎士は「美味しい珈琲を目指してはいけない」と言ったそうです。なぜなら「美味しい」の基準は千差万別だからです。
苦い珈琲が好きな人もいれば、渋みのある珈琲が好きな人、酸味のある珈琲が好きな人など、人によって好みは異なります。だから、全員にとっての「美味しい珈琲」というのは目指せないのです。
ではどうするか? 彼は「グッドビーンズを目指せ」と言いました。焙煎士ができることは、最高の焙煎をして、その豆をベストな状態(グッドビーンズ)にすることだけ。
そうやって「いい豆」ができれば、それを「美味しい」と言ってくれる人が現れます。
コンテンツ作りも、この考え方に似ているのかもしれません。
そもそも全員にとっての「面白い」を目指すことは非現実的です。何を面白いと思うかは、置かれた立場や年齢などによって違います。感覚はそれぞれ違う。だから僕は少なくとも「自分が」面白いと思うものを目指そうと伝えてきました。
この焙煎士の言葉を借りれば、コンテンツの作り手ができることも「グッドビーンズ」を目指すことだけなのかもしれません。これまでに説明したように、必要な準備をし、取材をし、魅力的な言葉を引き出し、その言葉を伝わるようにパッケージする。そこから無理に面白くしようとすることは余計なことなのでしょう。
編集の段階でどんなに頭を捻っても、取材の現場で感じた面白さを超えることはできません。ひと通り編集が終わったら、なるべく早く外の空気に晒すことが大切です。やるべきことをやって「いいコンテンツ」ができていれば、何も心配することはありません。
]]>温度感の伝わる文章とは、どのようなものを指すのでしょうか。文章コンサルタントの茨木彩菜さんは、ただ事実を伝えるだけでなく、温かさや親しみ、情熱など書き手が意図する温度が伝わる文章だと語ります。
茨木さんの著書『文才ゼロでも書ける人になれる「国語力」の磨き方』より、温度感を伝えるための技術の身につけ方に関する一節をご紹介します。
※(注記)本稿は、茨木彩菜著『文才ゼロでも書ける人になれる「国語力」の磨き方』(インプレス)より内容を一部抜粋・編集したものです。
温度感のある文章とは、読者が文章から感情や雰囲気を感じ取りやすいものを指します。ただ事実を伝えるだけでなく、温かさ、親しみ、情熱、優しさ、冷静さなど、書き手の意図する「温度」が伝わる文章です。
【例】
今日、雨が降った。
↓
今日の雨はしとしとと静かで、冷たい空気が心まで染み込むようだった。でも、その中でふと傘に落ちる雨音が心地よくて、不思議と安心感を覚えた。
●くろまる温度感が求められる場面
・SNS投稿:フォロワーとの心の距離を縮める。
・広告コピー:商品やサービスに感情的な価値を感じてもらう。
・ブログ記事:読者に親近感を与え、共感を生む。
・エッセイや小説:読者を物語の世界に引き込む。
●くろまる読者の隣で話しかけるような文章
書き手の温度が伝わる文章は、どのように書けばいいのでしょうか。一般的なライティング記事で求められるのは、事実を分かりやすく伝えた文章で、温度感が求められることはほぼありません。文末に「♪」を付ければ少しはポップに見えますが、温度感とは違いますよね。
温度感は、親しみやすい文章に感じるもの。親しみやすさの1つは、距離です。読者の隣から話しかけるイメージで、言葉を紡ぎます。
学校の授業では、先生はほとんど黒板の前にいます。後ろの席に座る子からは遠く、話も入りにくい。そんなときは、どうすればいいのでしょうか?壇上から降りて、聞いてほしい子の隣まで行き、目線を合わせるのが大切です。
こちらは立って、相手が座っていると、上から目線になっていかにも先生っぽい説明文章になりがちです。隣まで行って、膝を折る。同じ目線で、「こんなこと困ってない?」と語りかける。会話のキャッチボールができるように、問いかけたり、共感を促したりするのも、欠かせないポイントです。
温度感を上げるには、描写の観点として五感を使います。短歌や詩、歌詞にも五感はよく使われ、共感を高めたり、想像力を広げたりするのに効果的です。
「街の風景を描写してみて」と言われたとき、視覚や聴覚はすぐに思い浮かびますが、触覚や嗅覚って結構難しいですよね。
まずは食事をするときに、テレビやスマホをオフにして目の前の料理に集中しましょう。すぐに食べるのではなく、料理が置かれた状態から視覚・嗅覚などを働かせてみてください。私のおすすめは、外国人になったつもりで納豆を食べてみること。食べ慣れているものこそ、どんな味、食感がするのかを意識してみると、いつもと違う発見があるでしょう。
・視覚...色や形、大きさなど見えるもの
【例】太陽が若葉を照らす。
・聴覚...音や声、静けさなど聞こえる音
【例】川のせせらぎが聞こえる。
・嗅覚...食べ物の匂いや花の香りなど匂い
【例】金木犀の香りが漂ってくる。
・触覚...温かさ、冷たさ、柔らかさなど触った感触
【例】ふかふかの芝生に寝転がる。
・味覚...食べ物や飲み物の味わい
【例】甘いチョコレートが口の中で溶ける。
五感を活かした文章は臨場感を与え、物語に引き込みます。
五感描写が美しい作品で、中学国語でも定番のヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』をご紹介します。ぜひ一度、音読してみてください。
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今でも、美しいちょうを見ると、おりおり、あの熱情が身にしみて感じられる。そういう場合、僕はしばしの間、子供だけが感じることのできる、あのなんとも言えない、むさぼるような、うっとりした感じに襲われる。(中略)強く匂う、乾いた荒野の、焼けつくような昼下がり、庭の中の涼しい朝、神秘的な森の外れの夕方、僕は、まるで宝を探す人のように、網を持って待ち伏せていたものだ。
̶̶ヘルマン・ヘッセ著高橋健二訳『ヘッセ全集2車輪の下』1982年新潮社
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味覚...「むさぼる」とは食べ物を過剰に食べる際に使われることの多い表現です。限度を知らない食欲をちょうの収集に夢中になる少年の姿に例えています。
嗅覚...「荒野」とはほとんど人が住んでいない、荒れた土地のことを指します。植物がまばらにしか生えていない砂漠のような地帯で、土や砂の乾いた香りを表現。
視覚・触覚...日差しの強さを「焼けつく」と表現することで、視覚だけでなく、触覚としても訴えます。続く「神秘的な森の外れ」は「荒野」との対比表現です。森といえば緑が溢れ、水も豊かな場所。少年はちょうの収集のため、荒野だけでなく森にも赴く。どれだけ熱がこもっているかが、情景描写からも伝わってきます。
聴覚...「神秘的な」という表現からは、静けさを感じられます。また「森の外れ」「夕方」と書くことで、よりひっそりとした静かな舞台を演出していますね。
このシーンは、ライティングの教材として真っ先に思い浮かぶほど、印象的なものです。俳句や短歌の指導においても、「五感を取り入れる」と教えられますが、私は「触覚」が特に難しいと感じていました。ですが、『少年の日の思い出』を読むと、空気や温度のような手に取れないけど感じるものも触覚になるのだと気づきます。
情景や五感をより表すには、オノマトペを使ってみませんか?オノマトペとは、物事の音や動き、感情、状態を音声的に表現する言葉です。擬音語や擬態語に分類され、日本語特有の豊かな表現力を持つ言葉です。
擬音語:音を表現する言葉
【例】
・雨がザーザー降る
・雷がドーンと落ちた
・時計がカチカチと鳴る
擬態語:音以外の状態や感情、動作を表現する言葉
【例】
・ふわふわの綿あめ・じっくりと計画を練る
・そわそわと動く
1読者にイメージを具体的に伝える
オノマトペは、感覚や情景を直感的に伝える力があります。単純な説明よりも、音や感触をそのまま読者に想像させる効果があります。
【例】
「風が吹いていた」
↓
「ビュービューと風が吹いていた」
2情感を引き出す
文章にオノマトペを取り入れると、感情や雰囲気を豊かに表現できます。特に、読者の感覚に直接訴えかけることで、共感を得やすくなります。
【例】
「子どもが走る」
↓
「子どもがパタパタと走る」
3リズム感を生む
オノマトペを活用すると、文章にリズムが生まれ、読みやすくなります。軽快なテンポや緩急をつける効果があります。
【例】
「雨が降り続いている」
↓
「ぽつぽつと雨が降り続いている」
1使いすぎに注意する
オノマトペが多すぎると、文章が軽く感じられることがあります。バランスを意識して使いましょう。
【悪い例】
このリップはつけた瞬間、ぷるんっとツヤツヤ!するする〜っと伸びて、スーッと馴染むから、メイク初心者さんでもラクラク。発色もキラッとしていて、顔がパッと明るくなります。キュンとする可愛さ、ぜひ体験してみてください。
この例の問題点は、「ぷるんっ/ツヤツヤ/するする〜/スーッと/キラッと/パッと」など、オノマトペが多すぎて、説得力に欠ける点です。
【改善例】
このリップはひと塗りで自然なツヤが生まれ、なめらかに唇に馴染みます。軽やかなテクスチャーでべたつきがなく、普段使いにも最適です。深みのある発色が、顔全体の印象をやわらかく整えてくれます。
改善のポイントは以下です。
・感覚的な語を具体的な質感や効果に置き換えた(「ぷるん」→「自然なツヤ」、「するする〜」→「なめらかに馴染む」など)
・商品の使用シーンがイメージしやすく、購入後の自分を想像できる言葉に。
2文脈に合ったものを選ぶ
ビジネス文書や正式な文章では控えるなど、読者の対象や文章のトーンに合わないオノマトペは控えましょう。
例としてビジネスメールを想定した文章を用意しました。
【悪い例】
新サービスについてのご説明がスムーズに進み、ホッとしました。資料をぎゅっとまとめているので、ぜひご活用いただけると嬉しい限りです。次回はもっとワクワクする提案をご用意いたします。
この例の問題点は、「ホッとした」「ぎゅっと」「ワクワク」などオノマトペの多用で、丁寧さや礼儀に欠ける点です。
【改善例】
新サービスのご説明が円滑に進み、安堵しております。資料もご活用いただけたとのことで、大変嬉しく思います。次回はよりご期待に添えるご提案を準備してまいります。
改善のポイントは以下です。
・「ホッとしました」→「安堵しております」
・「ワクワクするような提案」→「ご期待に添えるご提案」
語彙を丁寧語や敬語に変えて、礼儀を優先した文に修正しています。
3具体性を失わないようにする
オノマトペだけに頼らず、必要に応じて具体的な描写も加えると効果的です。
【例】
「水がバシャバシャと跳ねた」
↓
「水がバシャバシャと跳ね、靴が濡れた」
「自他境界」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
自他境界とは、「こころと身体の領域における、ここまでが自分の範囲で、そこから先が自分でないもの(他者)の範囲であることを示す境界線」を意味する言葉です。
自他境界がきちんと機能していると、私たちは人とのつながりのなかで「個人の幸福」と「健全な人間関係」を同時にかなえられます。
反対に、私たちが対人関係で何か苦しかったり、困ったりしたとき、そのほとんどで自分と他者の間の境界線に何らかの問題が生じていると考えることができます。
中でも、物理的にも心理的にも距離が近く境界線の問題が起こりやすいのが家族関係です。本記事では「過度な忖度(そんたく)」「役割の逆転」というふたつの問題について、自他境界の観点から公認心理師・臨床心理士の若山和樹氏が解説します。
※(注記)本稿は『振り回されるのはやめるって決めた 「わたし」を生きるための自他境界 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。
相手がはっきりと言葉にしていないとしても、感情や欲求を推し量り、それに基づいて行動することを「忖度」と言います。
相手の感情や欲求を察することは、対人関係を良好にするためには有効です。しかし、自他境界があいまいな関係においては、しばしば忖度しすぎてしまい、自分の判断で選択したり行動を起こすことが難しくなってしまうことがあります。
なぜなら、そこには相手に反してはいけないという(多くは無意識の)プレッシャーが存在するためです。
過度な忖度を続けていくと、そもそも相手が受け入れにくい思考や感情については、思いつかなくなってしまいます。
過度に忖度するようになると、ありとあらゆる選択のなかに「これを選んでも大丈夫だろうか?」という不安が入り込んでしまうことになります。
進路や就職のような大きな決断から、趣味や好きなテレビ番組、服や日用品の好みなどちょっとした選択まで、少しでも親と違う意見や考えを持ったりすると、自分が何かとてつもなく悪いことをしている気になってしまうのです。
たとえ親といえども他人ですから、違う意見を持って当然です。しかし、境界線の問題があると、自分の意見に全く自信が持てなかったり、親と違った考えを持つことに強い罪悪感を抱いたりしてしまうのです。
過度な忖度は、自分と相手の区別がつかなくなる関係のなかで生まれます。相手に「いや」というよりも、迎合してしまうほうが楽に思えてしまうからこそ、忖度するのです。
しかし、いくら対立を避けることができるとしても、これは一番優先すべき自分の意志や考えを後回しにするものです。
自分のニーズを優先できないと、もし誰かが本当の助けになるようなことを提案してくれたとしても、それを受け入れることができなくなってしまいます。
親を大事にすることや、家族を助けること自体は、もちろん悪いことではありません。
しかし、これがあまりに行きすぎてしまうとき、その背後に境界線の問題が存在している可能性があります。つまり、本来その人が負うべき責任まで家族の誰かが代わりに引き受けたり、誰かが自分を犠牲にしてまで家族に尽くしてしまう場合です。
役割の逆転の具体例は、次のようなものが挙げられます。
・独立したあとも、自分の家庭より親の都合を最優先する
・親の家計や生活費の補填を子どもが続ける
・親の愚痴の聞き手となって、毎週のように何時間も電話をする
・一人の子どもに、高齢となった親の介護や世話が任される
自分の生活がきちんと成り立った上で、家族のサポートを行うことはもちろん問題ありません。しかし、境界線の問題が存在する場合、自分自身を後回しにしてまで家族の誰かを助けようとしてしまうのです。
子どもが大きくなるにつれて、親子の力関係は変化していきます。たしかに、子どもが幼いときは親は自分のことをある程度は後回しにして、子どもを助けていかなくてはなりません。そうした子どもも、通常は成長するにつれ親と同じくらいの力を身につけていきます。
しかし、親と子どもの役割が逆転し、子どもが自分を犠牲にしてまで親を助けることは必要ないのです。無理に親が子どもにそれを求めることは、境界線の侵害となってしまいます。
親子関係の逆転の背景には、しばしば子どものニーズを否定し、批判的な言動を浴びせるなどして、子どもの低い自己肯定感をつくり出す親の存在があります。
そうやって生じた子どもの空白に対して、親が「自らをケアする」という役割を子どもに与えることで、それを埋めさせようとするのです。
こうしたマッチポンプの構造が、子どもの力や可能性を奪うようなものであることは言うまでもありません。役割の逆転を起こすことなく家族を思いやるためにも、健全な自他境界は求められるのです。
]]>いざ人に伝えるコンテンツをつくろうとする時に必要となる文章を書くという行為。「"書こう"とするのではなく、"伝えよう"とすることが大事」と経営者の言語化・コンテンツ化をサポートすべく顧問編集者として活躍する竹村俊助はいいます。伝わる文章を書くコツとは? 『社長の言葉はなぜ届かないのか? 経営者のための情報発信入門』からご紹介します。
※(注記)本稿は、竹村 俊助著『社長の言葉はなぜ届かないのか? 経営者のための情報発信入門』(総合法令出版)を一部抜粋・編集したものです。
ここからは、コンテンツ作成のコツをもう少し詳しくお伝えしていきます。このテーマに関しては、拙著『書くのがしんどい』(PHP研究所)にも詳しく書きましたので、そちらもぜひ併せてお読みください。
まず、コンテンツ作成で大切なマインドセットは「書こうとしない」ということです。人は書こうとすると変に力んでしまってうまくいきません。コンテンツ作成で大切なのは、何よりも「伝えよう」とすることです。
こんな例はどうでしょうか?
免許の教習所で車を運転するとき、教官に「遠くを見なさい」と言われた人は多いと思います。
車を運転したことがない人は、初めはひとつひとつの動きのことで頭がいっぱいになります。カーブを曲がるときも「えっと、まずアクセルを落として、カーブに差し掛かったらハンドルの角度をこれぐらいにして、徐々にアクセルを踏んで……」といろんなことを考えてしまいます。
近くばかり見て運転することになるので、車はぎこちない動きをします。でも、教官の「遠くを見なさい」という指示通りに遠くを見ていると、自然とそれらの動きができるようになり、うまくカーブを曲がれるようになります。
文章もそれに似ています。「シャープな言葉を使う」「読後感をよくする」など文章を書くティップスのようなものはごまんとありますが、「伝えよう」とすれば、それらは全部自然とできるはずです。
まずは「遠くを見る」のと同じように「伝えよう」とすること。「書くな、伝えろ」と覚えましょう。
企業におけるコンテンツ作りで大切なのは「スーツ言葉」を使わないことです。
ビジネスの場面ではカタカナ語やビジネス用語を使いがちになります。ソリューション、イニシアチブ、コンバージョンなどたくさんありますが、それらはなるべく使わない。
たとえば「クライアントの求めるソリューションはUXの改善です」と書いてしまうと伝わりません。感情も体温も感じられない。丁寧なのに冷たい印象すら持つと思います。
そうではなく「お客さんの求めていた答えは、このサービスをより見やすくすることだったんです」といった書き方をするのです。すると途端にスッと入ってくるようになります。
僕は「スーツ言葉」ではなく「パジャマ言葉」を使いましょうと言っています。つまりスーツを着たようなかたい言葉ではなく、パジャマを着ているときのような柔らかい言葉を使いましょう、ということです。
かつてインターネットで情報収集するときは、机に向かってパソコンを開いていました。転職活動であっても、仕事中や仕事終わりのビジネスパーソンの多くはスーツを着て仕事モードで情報収集していました。
しかし今はどうでしょうか? ほとんどの人がスマホを使っていて、日常のあらゆる場面で情報を見ています。ランチを食べながらスマホを見る。寝る前にベッドでスマホを触る。YouTubeを見たあとに企業の情報を目にしてそのまま転職活動が始まる、なんてこともあるでしょう。
経営者の言葉がスーツで見られることは減っています。むしろ、部屋着やパジャマ姿のときに読まれることが増えています。
ブラウザやスマホのすぐ向こう側にいるのは「普通に生活している人」なのです。スーツを着てバリバリ働いている人も、家では普段着の生活者に戻ります。
であれば、経営者も「ベッドの上でだらっと過ごしているような生身の人間」に届けるように、普段着の言葉を使うほうがいいのです。
「パジャマ言葉」とはどれくらいのニュアンスなのでしょうか? 僕は、中高生が読んでも共感してもらえるくらいのレベルにしましょうとお伝えしています。
「まわりの社長がスゴすぎて正直、吐きそう」というリチカ代表の松尾さんのnoteをご紹介しましたが、彼は取材のときから「自分には誇れることがない」「カリスマ性がない」「まわりがスゴすぎて毎日吐きそうなんです」と漏らしていました。
そこで僕は「それならそのままそれをタイトルにしたほうがいいんじゃないですか?」とご提案し、こうしたタイトルになったという経緯があります。
もしこのタイトルが「動画3.0時代を牽引するベンチャー経営者の挑戦」だったらどうでしょうか? 「こっちのほうが興味ある」という人もいるかもしれません。動画に興味がある人はなおさらです。
しかしそれはあなたがビジネスや経営に普段から興味を持っているからです。しかもこうしたタイトルの記事は他にも大量にあります。そうしたなかで「本当に読みますか?」と聞くとかなり怪しいと思います。
「まわりの社長がスゴすぎて正直、吐きそう」というタイトルは、感情に直接訴えかけます。特にビジネスに興味がなくても、前提知識がなくても、興味を持ってもらえる。おそらく中高生でも意味がわかるはずです。
「動画3.0〜」というタイトルはまさにスーツ的なタイトルです。脳内がビジネスモードでスーツを着ているときじゃないと反応できない。
「吐きそう」であれば、ベッドに寝転がりながらでもちょっと気になります。できればこのレベルまでいけると、多くの人に読んでもらえるコンテンツになります。
]]>読まれる文章を書くために必要なのは、表現力だけでなく「読解力」だと、文章コンサルタントの茨木彩菜さんは主張します。
読解力を身につけるために読書をすすめていますが、それを実際にスキルとして昇華させるには、どんな工夫が必要なのでしょうか。
茨木さんの著書『文才ゼロでも書ける人になれる「国語力」の磨き方』より、アウトプット方法をいくつかご紹介します。
※(注記)本稿は、茨木彩菜著『文才ゼロでも書ける人になれる「国語力」の磨き方』(インプレス)より内容を一部抜粋・編集したものです。
どれだけ野球を観戦しても、プレイは上手くなりません。実際にバットを握り、振ってみるから、難しさやコツに気づきます。読書も同じように、手を動かすのが、感性・論理を鍛えるためのコツです。
小説では創造力を、実用書では論理や実用性を意識してアウトプットすることで、感性と論理の両方をバランスよく鍛えられます。どんなジャンルでも「感じたこと」「考えたこと」「行動につなげること」を意識するのが鍵です。
●くろまる感情を深掘りする
心に残ったシーンやセリフを抜き出し、なぜそれが印象に残ったのか、自分の言葉で説明します。好印象に残った部分は、あなたの大切な価値観が反映されているケースが多くあります。逆に、悪い印象に残ったシーンやキャラクターは、あなたの欠点や弱み、価値観を知るきっかけになります。面白かったかどうかではなく、感情が揺れ動いた部分や理由を深掘りしてみましょう。
●くろまる別視点で書き直す
物語は主人公の目線で語られますが、別の視点で再構成してみましょう。『走れメロス』なら、暴君ディオニスや友人セリヌンティウスの目線でストーリーを書き直すのが、授業でも定番です。別視点に立つことで、主人公からは見えない人物の葛藤が見え、考えが深まります。
●くろまるイラストに変換する
絵を描くのが好きな人は、物語の展開をイラストで表現してみてはどうでしょう?登場人物の周りには何を描くべきなのか。意外と読めていない部分に気づくことがあります。文章を絵に置き換えると、場面設定や登場人物の心情読解が深まります。「絵に置き換えられるように文章を書けているか」と推敲するときの視点にもなります。
●くろまる要約して自分の言葉でまとめる
本の主張や結論をまとめ、実生活や仕事にどう役立つかを書き出します。要点をまとめる力を鍛えつつ、本で得た知識を実生活で役立てるようになります。
●くろまる仮説と検証を試みる
学んだ内容をもとに、すぐに実践できるものを試します。例えば、「『朝のルーチンが成功を生む』とあるが、夜型人間にはどう適用できるか?」といった、本の中の主張に対して、自分の考えや経験をもとに仮説を立てます。計画・仮説・検証し、本の知識を自分の血肉に変えます。
●くろまるメタ読書を実践する
メタ読書とは、本の構成や著者の意図、文章表現の技法を分析する読み方のことです。メタとは「高い次元」「超越した」という意味があり、メタ読書は俯瞰的な読み方を意味します。
本の構成、文章のリズムや表現の分析、読者目線の意識、筆者の立場や意図などを分析します。本の帯に注目すると、キャッチコピーや読者ターゲットがそのまま書かれている場合もあり、著者または編集者の狙いが読み取れます。
本を開いて「読みやすい」と思ったときは、見出しやタイトルがいいのか、段落の区切りや図解が活用されているからなのか分析してみましょう。読みやすい本、読みにくい本を並べて見比べてみると、よりその理由が顕著に分かります。
●くろまる自分の経験と結びつける
本の内容を、自分の過去の経験や状況と結びつけて分析すると、考えや価値観を深掘りし、感性を磨けます。筆者と自分の経験を比較することで、新たな視点を取り入れられます。
例えば、筆者が「挫折は人生のスタート」と語る場合、自身の「失敗」を「成長のきっかけ」と捉えられるようになります。
●くろまる引用文を使ったSNS投稿
心に残った1節を引用し、その部分についての感想や考察をSNSで発信します。誰もが発信者となれる今、まず自分の意見を言語化するのは、他者の意見に惑わされないための方法の1つです。
●くろまる読書ログを書く
読んだ本の内容だけでなく、その本を読んだ自分の感情や気づきを記録します。私はいつもA4のノートに「タイトル」「作者」を書き、印象に残った内容を書き留めています。人の意見や考えに触れていると、自分のアイディアが出るときもあるので、浮かんだことはノートの端や別ページに書き留めて、思い出せるようにします。
●くろまる本を題材にした会話をする
同じ本でも人によって琴線に触れる箇所は異なります。家族や友人、同僚など、ある本を読んだときの感想を話し合ってみましょう。自分、相手の価値観に触れて、多様なものの見方ができるようになります。
●くろまる自分ならどう書くかを想像する
その本のテーマや内容を、自分の言葉や視点で書き直すとしたらどうするかを考えます。具体的には、筆者が使った比喩や説明、登場人物の視点、構成をアレンジするなどの方法があります。筆者の表現を分析することで、自分の文章に応用できたり、創造力を培ったりできます。
●くろまるアウトプットで感性を鍛えるポイント
・感情を意識する:感じたことを具体的に言葉にする。
・自分との関連を見つける:本の内容を自分の経験や考えと結びつける。
・多様な視点を取り入れる:他人の意見や新しい視点で本を捉える。
・行動に移す:読書から得た学びを実生活で試す。
横浜都市発展記念館では、2025年7月19日(土)から9月28日(日)まで、特別展「戦後80年 戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」を開催中です。空襲被害や戦争による暮らしの変化、占領期における市民の姿などを、貴重な資料や証言を通じて紹介しています。
本稿では、占領軍の兵士と日本人女性の間に生まれた子どもたち、いわゆる「GIベビー」が置かれた戦後の境遇について取り上げた展示の一部と、研究員の西村健さんによる解説をご紹介いたします。
[画像:「戦後80年 戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」]
聖母愛児園の園児たち
多数の占領軍兵士が駐留していた戦後の横浜では、兵士と日本人女性との間に多くの子どもたちが生まれました。その中には望まれない妊娠の末に誕生した子も少なくなく、街中に遺棄され命を落とすケースや、兵士が母子を残して帰国したことで養育が困難となり、困窮の淵に立たされる子どもも多く存在したといいます。
そうした子どもたちを保護し、支援の手を差し伸べたのが「聖母愛児園」の人々です。昭和21年(1946年)に設立された同園は、カトリックの世界的組織「マリアの宣教者フランシスコ修道会」を母体とする社団法人大和奉仕会(現・社会福祉法人聖母会)によって運営され、日本国内で最も多くの「GIベビー」と呼ばれた子どもたちを受け入れました。
当時の日本社会では、GIベビーに対する偏見が非常に強く、国内での養育が難しい現実がありました。そのため、多くの子どもたちは海外へ養子に出されるのが一般的だったようです。
園には、当時の子どもたちの状況を記録した貴重な資料が今なお多数保存されています。これらは偶然に残されたものではなく、園舎の建て替え時に事務長・工藤則光さんが発見し、その資料的価値を見出して保管していたものだといいます。
[画像:養子縁組に関する書類]
養子縁組に関する書類
海外に養子に出された卒園生からは、「自分の本当の親が誰だったのかを知りたい」という問い合わせが、今もなお寄せられているといいます。こうした声に応えるために、聖母愛児園に残された資料は、現在も現用文書として活用されているのです。
「この展示の準備中にも、実際にお問い合わせがありまして、私が資料を探し、画像を工藤さんにお送りしたこともありました」と研究員の西村さんは語ります。
工藤則光さんが特に大切にしていたのが、「養子縁組に関する書類」だといいます。
「これは、聖母愛児園に子どもを預けたことを証明する文書です。なぜこれが大事なのかと申しますと、生みの母親のサインと母印が押されているんです。唯一、確実に自分の母親が触ったことが分かる資料なのです」(西村さん)
すべての子どもにこの資料が残されているわけではありませんが、もし現存していれば、見た人たちはほとんどの場合、その場で涙を浮かべるといいます。
「何十年経っていても、親を失った悲しみは変わることがないんだなと痛感させられます」(西村さん)
[画像:「戦後80年 戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」]
[画像:「戦後80年 戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」]
聖母愛児園は、カトリックのシスターたちによって運営されていた施設でした。カトリックの教義では、たとえ子どもであっても、学齢期に達した男子と女性(シスター)が共に生活することは認められていません。そのため、男の子たちは一定の年齢になると別の場所で暮らす必要がありました。
その受け入れ先として計画されたのが、大和市南林間にある約8,000坪もの広大な敷地です。ここに男子のための分園を建設する計画が立てられましたが、地元住民からは激しい反対の声が上がりました。
「展示しております"建設反対の趣意書"には『子どもたちの境遇には同情するけれど、日本社会が彼らを受け入れるとは思えない。だから彼らは海外で育てるべきであり、この地域に来ることに反対する』という趣旨の文章が記されています。今となっては信じがたい内容ですが、当時、一般の人々がこうした子どもたちをどう見ていたのかがよく分かる、非常に示唆的な資料です」(西村さん)
しかし、最終的にはカトリック横浜市教区の司教が地域住民との粘り強い交渉を重ね、ある条件のもとで建設が認められることになりました。その条件とは、「子どもたちを地元の学校には通わせないこと」でした。
「そのため、子どもたちは横浜市中区の元街小学校に通うこととなり、毎日バスで往復2時間をかけて通学していたそうです」(西村さん)
こうした厳しい条件のもとで、ようやく南林間の分園が実現しました。
施設内にいる限りはとても快適で、誰に話を聞いても「当時、子どもたちは皆非常に仲が良かった」と語られるといいます。園内にはアメリカ軍のブルドーザーで作られた本格的なプールもあり、これは周辺に住む子どもたちの羨望の的となり、近隣にも開放されていたそうです。
また、米軍が主催するパーティーも頻繁に開催されました。
「あるときは、米軍の複数の部隊が同時にパーティーを予定してしまって、子どもたち同士で"取り合い"のようになったというエピソードもあります。パーティーでは、お気に入りの子どもが見つかると、海外に連れて帰って養子にすることもよくあり、突然いなくなる子もいたので、"人さらい"と呼ばれていたそうです。当時は今のような綿密なマッチングはなく、希望する人がいれば、できるだけ早く養子に出すという方針だったようです」(西村さん)
カトリック施設であったため、日曜日には必ず教会に行き、礼拝に参加する生活が営まれていました。写真などを見ると、子どもたちの服装は決して粗末なものではなく、むしろ当時の日本の一般家庭の子どもたちよりも、きちんとした服を着ていたといいます。
「それは、彼らの最大の支援者が米軍の兵士たちだったからです。おそらく、罪滅ぼしの意味もあったのではないかと思います」(西村さん)
[画像:「戦後80年 戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」]
日曜礼拝に向かう子どもたち
[画像:「戦後80年 戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」]
1948年(昭和23年)、現在の逗子市でアメリカ軍人の父と日本人の母の間に生まれた青木ロバァトさんは、妹のマリさんとともに、横浜市南区で比較的恵まれた家庭環境のもとで育ちました。しかし、1955年(昭和30年)、父が突然失踪。残された家族は困窮し、マリさんは聖母愛児園、ロバァトさんは南林間の分園に預けられることになります。その後、妹のマリさんは別の家庭に養子に出されましたが、行き先が分からなくなり、兄妹は生き別れとなっていました。
その後、青木さんの依頼を受けた研究員の西村さんが、聖母愛児園の工藤さんの協力のもと、マリさんの養子先に関する資料を発見。NHK Eテレの番組『ETV特集「ずっと、探し続けて〜"混血孤児"とよばれた子どもたち〜」(2021年放送)』では、調査の結果、マリさんは海外に渡る前に病気で亡くなっていたことが明らかになりました。
「青木さんは非常に悲しまれていましたが、『生きているのか、亡くなっているのかすら分からなかった。それがはっきりして、本当によかった』とおっしゃっていました」(西村さん)
今回の特別展には、青木ロバァトさんからお借りした関連資料も多数展示されています。青木さんはその後も海外には渡らず、日本で暮らし続け、数々の困難を乗り越えてこられました。
2025年9月15日(月・祝) 午後2時〜午後3時30分には、横浜情報文化センターにて青木ロバァトさんと研究員の西村さんの対談形式で当時のご経験を伺う講演会を開催予定だといいます。「GIベビー」として横浜で生まれ育った青木さんの歩みを、戦後80年のこの機会に知る貴重な機会となっています。
[画像:「戦後80年 戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」]
横浜都市発展記念館 特別展「戦後80年 戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」
【開催期間】2025年7月19日(土)から9月28日(日)まで
【開館時間】午前9時30分〜午後5時(券売は閉館の30分前まで)
【休館日】毎週月曜日(月曜が祝休日の場合は開館し、翌平日が休館)
◎にじゅうまる関連記念講演会「当事者が語る『GIベビー』の記憶」
講演者:青木ロバァト氏(聖母愛児園分園ファチマの聖母少年の町卒園生)
横浜で「GIベビー」として育った青木ロバァト氏をお招きし、特別展担当者との対談形式で講演を行います。
日時:2025年9月15日(月・祝) 14時〜15時30分(開場13時30分)
会場:横浜情報文化センター 6階 情文ホール
定員:200名
大学で本格的なナポリピッツァの作り方を学べる――近年は多様な学部や大学の取り組みが増えていますが、その中でも特にユニークでキャッチーなのではないでしょうか。
月刊誌『PHP』の取材で知った情報に興味がわき、後日、講義におじゃましました。
天井いっぱいのガラス窓から光が差し込む空間に鎮座するピッツァ窯。
ここは立命館大学の食マネジメント学部。
2018年、日本初の食の総合学部として、滋賀のびわこ・くさつキャンパス(BKC)に開設されました。
経済学・経営学を基盤に、マネジメント、テクノロジー、カルチャーとなど多岐にわたる領域から「食」にアプローチする学びの場です。
調理実習室や官能評価実習室なども備え、実践的なスキルも学ぶことができます。
[画像:立命館にあるピッツァ窯]窯を覆う青いタイルは学生さんたち作の信楽焼。赤茶色の部分に入る「CARPE DIEM(今を生きよ)」というロゴを陶器に作り替えているところだそう
なかでもユニークなのがこのピッツァ窯。
同時に8枚焼けるサイズはピッツァ窯の中でも最大級で、学部創設時に真のナポリピッツァ協会(Associazione Verace Pizza Napoletana=AVPN)から寄贈されたものだそうです。
普段はゼミの実習や学内のナポリ食文化研究会の活動をはじめ、学部生が対象の講習会や、ピッツァ職人志望者を対象とした真のナポリピッツァ協会公認トレーニングが開催されることもあります。
ピッツァ窯寄贈のきっかけを作ったのは、現学部長の石田雅芳教授。
イタリアで「スローフード・インターナショナル」の日本担当を務め、日本でスローフード・ジャパンの創立に尽力された人物です。
[画像:石田雅芳教授]
学生さんたちに話をする石田先生
学生時代は美学芸術学を専攻し、ルネサンスの芸術家であるブルネッレスキの研究でフィレンツェに留学。
その後40歳で帰国するまで、日本人初のフィレンツェ市公認ツーリストガイドなどを務めつつ、イタリアで食文化の探訪をしながら暮らしていたとのこと。
最近ではイタリアのグルメガイド「ガンベロ・ロッソ」の記者のSNS動画にたびたび登場。
流暢なイタリア語で日本の食を紹介し、イタリアの人々たちからも人気を博していました。
おじゃました日は、石田ゼミをはじめとする学生さんたちがプロ直伝でピッツァ作りを学ぶ特別講習会が開かれていました。
講師は福井県坂井市のピッツェリア「バードランド」の小田原学さん。
真のナポリピッツァ協会のチーフエリアリーダーでもあり、石田先生いわく「日本最高峰のナポリピッツァ職人」です。
[画像:ピッツェリア「バードランド」の小田原学さん]
学生さんたちにレクチャーする小田原さん
説明と実演のあと、参加者は二人ずつペアになって実際にピッツァを作っていきます。
生地は学内のナポリ食文化研究会のみなさんがすでに用意してくれています。
小麦粉、水、塩、イーストを混ぜて発酵させた生地が、ピッツァ1枚分の量で丸めておいたもの。
これを平たく伸ばして、ソースを塗り、具をのせ、窯で焼き上げるという工程です。
丸い状態から平らにし、さらに90°ずつ回転させながら均一に生地を伸ばします。
生地は思いのほか柔らかく、扱いやすいと言えば扱いやすいですが、手早く作業をしないと、だれてしまう危うさも。
ピザ屋さんなどでお店の人がいとも簡単そうに生地を伸ばしているのを見たことがありますが、実際やってみるとその難しさがわかります。
トマトソースを塗ってお好みの具をのせ、パーラに移します。パーラに移すときに生地が伸びるので、ここもコツがいるところ。
最後にオリーブオイルをたっぷり。小田原さんの左胸には「真のナポリピッツァ協会」のエンブレムが。
[画像:ピッツァ窯]
窯の中に入れたら、パーラをスッと引き抜きます。巨大なパーラをあやつるにのも技術が必要。
窯の内部は400°Cをゆうに超える高温。およそ1分半で焼き上がります。
予熱に時間がかかるため、前日から火入れをしておくそうです。
おいしいピッツァができました!
ナポリピッツァの特徴は、分厚いミミ(コルニチョーネ、イタリア語で「額縁」)と薄いけれどもっちりした食感の生地。
次々に焼き上がり、おいしそうにほおばる学生さんたちの姿があちこちに見えます。
この講習会を全面的にサポートするナポリ食文化研究会は、毎週ここで放課後に活動しているそうです。
会長を務める4回生の平田泰一さんにお話をうかがいました。
「主にはナポリピッツァの技術を伝承していくことを目的に活動しています。ピッツァ以外にもジェラートマシンでジェラートを作ったり、イタリアの郷土料理を作ってみんなで食べたり。テロワールの精神で地域の食材を使おうというのもあって、たとえば今日のジェラートは、草津で作られているメロンを使っています」
[画像:日本とイタリアの食文化の魅力を語ってくれた平田さんと会の方々]
日本とイタリアの食文化の魅力を語ってくれた平田さんと会の方々
1回生のころからピッツァ窯の存在は知っていて、講習会に参加したことでイタリアの食に興味を持ち、2回生のときにピッツェリアでバイトを始めたのだとか。
3回生で石田ゼミに所属したタイミングで正式に研究会に入ったそうです。
「研究会にいる人はみんな個性豊かで、一緒に活動していても、人によって考え方が違うのがおもしろいですね。『こんな考えがあるんだ』と刺激をもらったりしています。たまにぶつかることもあるんですけど、そこからまた生まれるものもあるので」
研究会の活動を通して、イタリアの食の楽しさやおいしさを知ってもらえることがうれしいと言う平田さん。
この秋はイタリアに短期留学し、アグリツーリズモを体験する予定だそうです。
地元の農家の人たちのところで働きながら食材や郷土料理について学び、イタリアを北から南まで旅したいと語ってくれました。
帰国後のさらなるご活躍に期待します!
なお、ピッツァの講習会は残念ながら学内の人のみが対象となっていますが、ここで学んだ方のピッツェリアが京都にあります。
百万遍の「ピッツェリア・ヴィヴァーチェ」(命名とロゴは石田先生)。
豊富なメニューに目移りしつつも、やはり定番のマルゲリータを。
トマトのジューシーさとチーズのなめらかさに、さわやかなバジリコの香りがいいアクセントになっています。
ピッツァはシェアせず一人一枚という現地のルールに忠実に、ぺろっと一枚たいらげました。
テイクアウトがメインなので、過ごしやすい季節なら、すぐ近くの「出町デルタ」で食べるのもおすすめです(食べ物を狙うトンビには十分ご注意ください)。
(取材・文・写真:PHP編集部丹所千佳)
]]>日本には、大手飲食チェーンに引けを取らない"ローカルチェーン"が各地に存在します。ライターの辰井裕紀さんは、2021年8月刊行の著書『強くてうまい!ローカル飲食チェーン』で、地域で長年繁盛してきた7つの店を紹介しています。
三重県四日市市を代表する「おにぎりの桃太郎」は、今のおにぎりブームよりもはるか前、50年前からおにぎり専門店として地元に親しまれてきました。保存料を使わず、賞味期限は当日限り。それでも売れ続ける理由とは――。書籍から詳しくご紹介します。
※(注記)本稿は、辰井裕紀著『強くてうまい!ローカル飲食チェーン』(PHPビジネス新書)より内容を一部抜粋・編集したものです
※(注記)本記事に記載のメニューや価格は、書籍発刊当時(2021年8月)の情報です。現在とは異なる場合があります。
[画像:1日5回、BGMとともに桃が割れて巨大桃太郎現わる]
1日5回、BGMとともに桃が割れて巨大桃太郎現わる
全国、いや三重県民ですら知らない人もいるが、四日市の市民なら誰もが知る局地的チェーン店がある。
その名も「おにぎりの桃太郎」。1975年に寿司屋の玄関横でわずか1.5坪の店舗から始まり、いまや四日市市に14店、その近郊の桑名市に1店、菰野町に1店を構える。主力商品は「おにぎり」だ。
多くはこぢんまりとした店舗で営まれ、建物のイメージカラーはオレンジ。店頭では、おにぎりをパクつく桃太郎人形が出迎える。店内はおにぎりや惣菜、弁当や和菓子が所狭しと並べられ、その一つひとつが几帳面に個包装されている。普通は個包装されないような、コロッケやだし巻玉子も例外ではない。
商品はテイクアウトのほか、店舗によってはイートインスペースでも食べられる。従業員の多くは50代以上の女性で、なんだか安心。店内はAMラジオが流れ、個人商店のような雰囲気が漂う。
そんなおにぎりの桃太郎には、とんでもないヤツがいる。
1988年に建てられた本社屋上には何やら大きな桃があり、中から「巨大桃太郎」が出てくるビックリ仕様。その総工費は3000万円、バブル期の残り香を感じる、四日市のランドマークだ。
童謡・桃太郎のBGMにのせて、おにぎりをパクつく桃太郎が悠然と姿を現し、思わず旅の疲れも癒える。仕掛けは毎日8時、10時、12時、15時、17時の5回作動する。
8時に始業し、10時に休憩、12時に昼食をとり、15時に休憩、17時に終業する建設現場の区切りと一緒で、桃太郎のせり上がりを見て来店した作業員も多いはず。
[画像:1番人気「味」はその名の 通り嚙むほどに味わいが楽 しめる]
1番人気「味」はその名の通り嚙むほどに味わいが楽しめる
ここの1番人気のおにぎりが「味(170円)」だ。
具体的な具材の名前ではなく、ただ一文字「味」とだけある。何やらミステリアスなそのベールを剝がそう。
包装フィルムをめくった途端にいい香りが漂う。モッチモチで粘りのある気持ちいい食感で、大ぶりのシイタケや鶏肉がアクセント。「味」という名の通り、冷めても味が染み出て、口に入れている間はずっとうれしくなるようなおにぎりだった。
全国的には「混ぜごはん」と言われるものだが、関東で食べるものより若干味は濃い気がする。
このほか、四日市も属する三重県北勢地区のローカルフード・あさりのしぐれ煮をおにぎりにした「しぐれ(160円)」がある。
海苔はコンビニおにぎりによくある「パリパリ」ではなく、しっとりタイプ。青のりが香ばしく、甘塩っぱい味付けのあさりが、みっちり詰まっている。弾力性のあるごはんとともにしっかり嚙めば、海の香りが鼻に抜けた。
[画像:三重の郷土料理・あさりの しぐれ煮がたっぷり]
三重の郷土料理・あさりのしぐれ煮がたっぷり
おにぎりは一見小ぶりだが、厚みがあるので見た目以上のボリュームがある。冷蔵せずに常温で保存されるから、炊いたときのごはんの味わいや食感をキープしやすい。
おにぎりとくれば、付け合わせたい玉子焼き。「だし巻玉子(120円)」は、焼き味の香ばしさとすっきりした後味が特長で、関東風のほのかな甘さが楽しめる。
いよいよ汁物も欲しくなったときは、「うどんランチ」だ。平日の11〜14時限定で、2種のうどんが320円〜になるサービス。
うどんとおにぎりを交互に行き来して、ささやかで幸せな昼食を味わう。デザートには東海地方で愛される和菓子「鬼まんじゅう(143円、9〜11月の期間限定)」もいい。蒸しパンを彷彿とさせる食感とおいしさだ。
コンビニエンスストアより高いおにぎりを売り続けて、四日市でゆるがぬ地位を確立した、株式会社おにぎりの桃太郎。ここには「雨の日、当日6時以前なら、最大1000人前の予約でもキャンセルOK」なんてサービスまであるそうだが、そんなことして大丈夫なのか。
代表取締役社長・上田耕平氏にお話を伺った。
[画像:2019年に社長を引き継 いだ2代目の上田耕平氏]
2019年に社長を引き継いだ2代目の上田耕平氏
あらためて人気メニューを教えてもらおう。
「おにぎりだと『味』が1番人気です。2番人気が王道の『さけ』、差が開いて、『焼たらこ』『ツナマヨ』の順番ですね」
1番人気の混ぜごはんならぬ「味」は、上田社長の祖母による四日市伝統の甘辛く濃いめの味付けが受け継がれる。
「お惣菜の1番人気はだし巻玉子で、2番人気は『おかずパック(200円)』の洋風・和風です。予約注文が多くて、どちらもおにぎりの付け合わせにバッチリです」
肝心かなめのおにぎりはどう作るのか。
「まず濾過した水を使い、ごはんを炊きます。かまどの火力を実現すべく、都市ガスより強力なプロパンガスを使いますね。通常の2倍以上の火力があるハイカロリーバーナーにより炊き上げます」
約20分蒸らしたあと、攪拌ホッパーでお米とお米の間に空気を入れながらかき混ぜる。そのほぐし作業では塩をまんべんなく振りかけ、ごはん全体に塩が行き渡っていく。
「ごはんは水冷の大きなドライヤー『シャリクーラー』にかけて一気に冷まし、うま味を閉じ込めます。それをすぐに機械へ通しておにぎりにして、個包装しますね。長く外気にさらさないように心がけます」
人肌に近い温度は細菌が繁殖しやすいため、すばやく30度以下にしたら、常温保存で食感をキープする。保存料は不使用のため、消費期限は当日限りの一本勝負だ。
[画像:ごはんと塩を攪拌し、粗熱をとったもの]
ごはんと塩を攪拌し、粗熱をとったもの
不動の人気メニュー、だし巻玉子はフライパンで手焼きする。
「だし巻玉子職人の2名が、それぞれ6枚ずつ銅製の名古屋型、横長の大きなフライパンで、20年ほど毎日焼き上げてきました。1日中こればかり作るので、相当な腕前です。ずっと同じペースで焼き続けないと焦げてしまいますから、普通の人じゃ音ねを上げますね。一つが焦げたらすべての火を止めて、フライパンを洗い直さないといけませんし」
[画像:「名古屋型」と呼ばれる横長のフライパンで焼く ]
「名古屋型」と呼ばれる横長のフライパンで焼く
そこまですれば、食べる側もありがたみが増す。
本社のセントラルキッチンでストイックに焼かれ、1日冷蔵庫で冷ましたのち、手作業らしからぬほど機械的に整えられただし巻玉子は、ピロー包装して朝の1便で全店に出す。
[画像:工場の炊飯・おにぎり成形 エリア作業風景]
工場の炊飯・おにぎり成形エリア作業風景
おにぎりの桃太郎にとって予約客を獲得する原動力が、「当日雨キャンセルサービス」だ。イベント当日、朝6時までならキャンセルOK。運動会などの野外イベントでは強い味方だ。
「『天気は微妙やし、キャンセルしたらお金かかるし』って困っているお客さんを見て、当日朝6時までやったらキャンセルできるサービスを始めたんです」
しかし、お店は予約分の食材を発注しているだろうし、お米だって炊くはずだ。なぜこれで商売が成り立つのか。
「やるほうは大変でして(笑)、毎回賭けなんですよ。私も深夜の製造にまで立ち会いますね」
仮に1000人分もの注文を受けて、天気の判断がつかないときは?
「ほんとに天気がわからん場合は、現地の土が乾いているかどうか触りに行きましたね」
さすがにいまは、天気予報でおおよそ予測できる。
「それでも1000人前クラスになると、作るのを決断してから、フル稼働で4時間はかかるんです。なので、お米は半分炊いておく。『いける!』となったら残り半分を一気に炊きます。ごはんを炊く部隊と、もう半分炊いたのをおにぎりにする部隊、おにぎりを袋詰めする部隊、それをボックスに入れる部隊、みんなが大車輪の活躍で間に合わせます」
読みが外れ、とんでもないキャンセルで泣きを見ないのか。
「雨の日キャンセルサービスをやり出して20年以上、大きなキャンセルはないんですよ。天気も味方してくれているのと、思わぬ悪天候にたたられても、『せっかく作ってくれたんで、お弁当だけ配ります』と引き取ってくれたこともあります。お客さまに助けられていますね」
たしかに、地元でなじみのある従業員たちが夜中から弁当を仕込んでいるなら、彼らの顔がよぎる。
「作る人の顔が見えるのは、本当にうちの強みです。たとえば私の同級生のお母さんがシフトに入ってくれることもありますし、お客さまも従業員も、顔なじみですから」
]]>アジアのど真ん中にあるのに、日本では知られていない中央アジア。
しかし、かつてシルクロードの要衝の地だったカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、キルギスの5か国には、燃え続ける巨大な穴や古代テチス海の生んだ白い絶景のほか、荒地に忽然と出現した未来都市など多くの魅力に溢れています。
フリーライター&フォトグラファーの白石あづささんは、この5か国を2か月かけてすべてめぐり、その魅力を紀行本『中央アジア紀行 ぐるり5か国60日』に著されました。本稿では、サマルカンド郊外ウルグットの公園で白石さんが目にした、おとぎ話に出てくるような不思議な光景について紹介します。
※(注記)本稿は、白石あづさ著『中央アジア紀行 ぐるり5か国60日』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
[画像:不思議な楓の大木]
不思議な楓の大木 ©Azusa Shiraishi
「ちわー。Dっす。俺、昨年までブクロ(東京・池袋)にいて、フードデリバリーで働いてたんすよ」
ウズベキスタンの古都・サマルカンド3日目。今どきの日本語に一瞬、渋谷の街角にいるような錯覚に陥った。忙しいベテラン日本語ガイドのアリさんは1日だけ。翌日からは違う若いウズベク人のガイドが来るとは聞いていたが、雰囲気も全く違う。
23歳の新人ガイドのD君は、ついこの間まで都内の大学に留学していたらしい。ちょうどコロナでリモート授業ばかりだったので、もっぱらバイトに精を出していたそうだ。
一方、若い観光省職員のシェルゾッド君はなぜか腹を押さえていた。悪いものでも食べたのだろうか。「上司には黙っておくから、家で寝てなさい」と帰そうとしても「ノープロブレム」と弱々しく笑って車に乗り込んだ。
今日は、アリさんにお勧めされたサマルカンド郊外のウルグットにあるチョル・チノールという公園に向かった。到着したとたん、D君は「ちょい、お待ちを」と走り出した。
入り口のスタッフや露店商のおじさんに何やら声をかけて、またダッシュで戻ってくる。ガイドを名乗っているものの地元の観光地の歴史は知らないらしい。私が質問するたびダッシュして往復するから汗だくだ。
[画像:公園の池]
園内には清らかな泉も ©Azusa Shiraishi
D君が聞きかじった解説によると、9世紀にこの近くの街のウルグットの市長さんが4本の楓を植えたことから始まった公園で、チョルは数字の「4」、チノールは楓(かえで)という意味らしい。園内にはモスクもありスーフィー教の聖地として知られている。
入り口近くの楓の大木を見上げていると、男性たちが木に向かって歩いていくのが目に入った。そしてスッと吸い込まれ姿を消した!? 根元を見れば木にドアがついている。巨大な楓の根元は空洞になっており、「木の学校」を意味する「マクタブ・チノル」と呼ばれているらしい。
[画像:木の根元にドア]
木の根元にドア!? ©Azusa Shiraishi
この大木は樹齢1160年を超え、高さは35m、幹の太さは15mあり一度に23人も入ることができるそうだ。小さな穴から腰をかがめて木の股に入ると、おとぎ話に出てくる小人になった気分だ。ひんやりとして幹に空いた小さな穴から光が射しこみ神秘的。白髭のイマーム(指導者)の男性が、皆にコーランを読んでくれた。
この公園には、千年を超える樹齢の楓も多く、1914年にはモスクや神学校が建てられたが、ソ連時代の宗教弾圧の折、イスラム教を潰したい当時のソ連政府に見つからないよう、大木の股の中に隠れてコーランを読んだという。
暑くて緑のないサマルカンドと比べると涼しくて天国である。公園内には小川が流れており、泉を掃除していたナシュルロッさんというおじさんは、「あんたたち、ラッキーだなあ。ちょうど明日は大掃除で公園は休みだったんだ。木の股は入った? え? ソ連に隠れてじゃないよ。じいさんから聞いたのは単に涼しいから皆、くつろいでいただけさ」と本当の(?)歴史を教えてくれた。美談の裏側は旅をしなければ分からない。
【白石あづさ(しらいし・あづさ)】
日本大学藝術学部美術学科卒業後、地域紙の記者を経て約3年の世界一周旅行へ。世界100か国以上をめぐる。著書に旅エッセイ『世界のへんな肉』(新潮文庫)、ノンフィクション『世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う』『お天道様は見てる 尾畠春夫のことば』(ともに文藝春秋)など。
生き残る会社になるためには、社員・顧客・投資家に社長の言葉を届ける必要があります。時代を超えて業績を上げ続けている「ビジョナリー・カンパニー」。そんな企業になるためのコツとは?
経営者の言語化・コンテンツ化をサポートすべく顧問編集者として活躍している竹村俊助さんは、「言語化は経営そのもの」と考えます。『社長の言葉はなぜ届かないのか? 経営者のための情報発信入門』からご紹介します。
※(注記)本稿は、竹村俊助著『社長の言葉はなぜ届かないのか? 経営者のための情報発信入門』(総合法令出版)を一部抜粋・編集したものです。
発信に躊躇している経営者でも、その前の段階である「言語化」に関しては、その重要性に異論はないはずです。ビジョンを定め、経営の方針を提示し、日々の決断を下していく。その際に自らの思考を言語化しないことには会社は進んでいきません。そう考えれば、言語化はむしろ「経営そのもの」です。
僕が言いたいのは、言語化を強化するためにも発信をしたほうがいいのではないか、ということです。もちろん言語化をするだけでも価値はありますが、発信というゴールがあるからこそ、言語化の量と質が上がっていくというのは往々にしてあります。
「インプットをするためにはアウトプットの機会を作るといい」というのはよく聞く話。発信という機会があるからこそ、良質な言語化ができるのです。
自分の考えを言語化しているうちに「ああ、だから私はこの事業をやりたいんだな」と再確認したり「僕は会社をこうしていきたいんだな」と気づいたりする瞬間があります。心の中のモヤモヤしている思いに「輪郭」を与え、より明確にしていくことで、思わぬ収穫があるのです。
ときにはそれが新規事業を生み出すきっかけになる経営者もいます。言語化する過程でふと新しいアイデアが浮かんでくることがある。外から見れば、ただのXやnoteでの発信に見えるかもしれません。
しかし、自分の考えを整理してまとめて発信するというのは「事業開発」にもつながる大切な行為。発信におけるプロセスとその効果・価値というのは思った以上に大きいのです。
その意味で、経営者の脳は最強の「事業開発室」と言えるのかもしれません。その開発室が最大限稼働できるように刺激を与えてあげる。それは会社にとっても重要だと思うのです。
しかも今は、言葉のパワーがかつてないほど高まっています。先が見えない時代ほど、「言葉」に対して人とお金が集まってきます。
Uberという会社はご存じでしょう。アメリカに本社を置く、配車プラットフォームやフードデリバリーサービスなどを提供する会社です。創業者であるトラビス・カラニックは「これからは移動したいときにすぐ車が呼べるようになる! タクシーはなくなって、世界中がUberだらけの時代になる!」などとアピールすることで1兆円近い資金調達に成功しました。
これは創業者および、それに共感した経営陣や社員の「言葉」を信じて、共感した人が多かったからこそ起きたことです。
先が見えない時代においては「世界はこうなっていく!」という未来を指し示した人、そしてその未来に対して共感を集めた人のところにお金と人は集まっていきます。そして、発信の主体は経営者がベストです。今こそ経営者が前に出て「未来はこっちだ!」と社内外に示してほしいのです。
「会社の発信」を考えたとき、カッコいい動画を作ったり、派手なイベントをやったりする経営者は多くいます。キャンペーンをやったり、町に看板を出したりする経営者も多い。
でもまずは自分が考えていることをきちっと「言語化」すること。そして、それを伝わるように「発信」することです。ブランディングも、PRも、営業も、採用も、IRも、そこがないことには骨抜きになってしまいます。
経営者の言語化と発信は最優先事項なのです。
時代を超えて残り続けている企業の共通点とはなにか? それを長年にわたる地道な調査によって解き明かしたのが『ビジョナリー・カンパニー』です。
同書はマッキンゼー出身のジェームズ・C・コリンズらによって書かれた、言わずと知れた名著であり、P&Gやソニー、アメリカン・エキスプレス、IBMなど、時代を超えて業績を上げ続けている「ビジョナリー・カンパニー」と、そうではない企業の違いがまとめられています。
意外なことに「ビジョナリー・カンパニーを生み出すために、カリスマ的な指導者は必要ない」と同書では結論づけています。やるべきことは、まず「基本理念」を明文化すること。そしてそれを組織全体に浸透させること。さらには理念を「進化」させていくことで時代の変化に対応していくことが重要だと言います。
ソニーの創業者の1人、井深大氏は会社の基本理念である「設立趣意書」を作りました。その一部がこちらです。
●くろまる真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設
●くろまる日本再建、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発なる活動
●くろまる戦時中、各方面に非常に進歩したる技術の国民生活内への即時応用
驚くべきは、このビジョンが資金繰りもままならない創立後1年ほどの時点で作られたものであるということです。社員7名、貯金19万円からのスタート。今となっては誰もが知る巨大で素晴らしい会社になったソニーも、創業当初は炊飯器や和菓子、粗雑な電気座布団などあらゆるものを作って必死に食いつないでいました。
そんななか「技術者が力を発揮できるような自由で愉快な工場を作ろう」「日本の再建、文化の向上に寄与しよう」と高らかに宣言したのです。
もしこの「設立趣意書」がなければ、今頃は「電気座布団の会社」もしくは「ラジオの会社」になっていたかもしれません。もしくは、存在していなかった可能性もあります。
創業期にまず基本理念を掲げたことで、ソニーは「ある特定の製品を作る会社」ではなく、理念を追求するビジョナリー・カンパニーに進化することができたのです。
『ビジョナリー・カンパニー』で印象的なのが「永続する偉大な企業を作りたいなら、時を告げるのではなく時計を作りなさい」という教えです。経営者自らがカリスマとなって、その都度指示を出すことは「時を告げる」行為でしょう。
一方で、会社の理念、パーパス、会社の存在意義を言葉にして残すことは「時計を作る」行為です。
ビジョナリー・カンパニーを生み出すうえでも、まずは経営者の思考を言語化して「時計を作る」ことは必須だと言えるのです。
]]>「自他境界」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
自他境界とは、自分と他者の範囲を分ける境界線のことで、健全な人間関係を築くために重要な概念です。私たちが対人関係で何か苦しかったり、困ったりしたとき、そのほとんどで自分と他者の間の境界線に何らかの問題が生じていると考えることができます。
心理的・物理的に距離が近くなりやすいパートナー間では、自他の境界線の問題は頻繁に生じてしまいます。本記事では、パートナー間で起こりやすい問題について、自他境界の観点から公認心理師・臨床心理士の若山和樹氏が解説します。
※(注記)本稿は『振り回されるのはやめるって決めた 「わたし」を生きるための自他境界 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。
自他境界とは、「こころと身体の領域における、ここまでが自分の範囲で、そこから先が自分でないもの(他者)の範囲であることを示す境界線」を意味する言葉です。
自他境界がきちんと機能していると、私たちは人とのつながりのなかで「個人の幸福」と「健全な人間関係」を同時にかなえられます。反対に、私たちが対人関係で何か苦しかったり、困ったりしたとき、そのほとんどで自分と他者の間の境界線に何らかの問題が生じていると考えることができます。
問題のある境界線は、大きく4つのタイプ(迎合タイプ、回避タイプ、支配タイプ、無反応タイプ)に分類できます。
しばしば自他境界の問題を抱えた人は、パートナーと自分がぴったり重なり合うような関係を望んでしまうことがあります。
主に依存症などの女性を支援してきたソーシャルワーカーである上岡陽江と大嶋栄子は、境界線の問題について深く取り上げた『その後の不自由』(医学書院)のなかで、こうした関係を「ニコイチ」と呼んでいます。
通常、相手とニコイチになることを望んだとしても、そこそこ健康な人であると(いわゆるその関係が「重く」なって)離れてしまうのですが、相手もまた自他の境界線の問題を抱えている場合、その関係が奇妙なバランスで成り立ってしまうのです。
しかし、当然ながらいくら気が合う相手でも、すべてがぴったりと重なることなんてできません。一度ずれてしまうと、激しい怒りがまるで子どもの癇癪のように示されることになります。
これは境界線があいまいなために、相手を自分の一部として扱ってしまい、そのために相手が思い通りにいかないことをどうしても許容できず、生じてしまう怒りなのです。しばしばこれはエスカレートし、モラハラやDVにまで至ることがあります。
ニコイチの関係は支配タイプと迎合タイプ、あるいは支配タイプ同士のパートナー関係で生じてしまいます。
具体例としては、次のようなものが挙げられます。
・自分以外の異性と接触することを禁止する
・仕事などやらなくてはいけないことよりも、自分のケアを優先するよう強要する
・相手のスケジュールを完全に管理する
・思い通りにいかないと、相手を一方的にののしったり、物に当たり散らしたり、時には暴力にまで発展する(そしてそれを相手のせいにする)
・相手が離れようとすると、自殺をほのめかしたり、まわりの人やペットを傷つけると脅す
『その後の不自由』では、ニコイチとなっている本人たちは、どれだけ大騒ぎになっても、自分がしたことやされたことを、忘れたりなかったことにできてしまうことが指摘されています。
自他の境界線があいまいなあまり、ニコイチの関係のなかでは相手を傷つけてもそれが自分を傷つけている、あるいは相手から傷つけられても自分が傷つけているように感じてしまうのです。明確な境界線の侵害が起こって大切なものが奪われているときでも、そのことに気づかずに「私は大丈夫」と思い込んでしまいます。
境界線が溶け合うニコイチの関係では、相手から非常に密度の濃い力が流れ、欠乏が埋まったように感じることがあります。そして、反対に相手と離れると強烈な不安に襲われるため、トラブルがあっても結局は元の関係に戻るということが繰り返されるのです。
しかし、ニコイチの関係はその場はよかったとしても、それをいつまでも続けることは困難です。今ここでの相手(と自分)のニーズしか考えることができないため、たとえば「将来のために今は我慢して仕事や勉強をがんばろう」というような、見通しを持った判断ができないのです。
そのため、多くのカップルはどこかのタイミングで破綻し離れることを選択するのですが、しばしば周囲から孤立した「ふたりぼっち」となったまま関係性が続いてしまうことがあります。健全に関係を続けるためには、健全な自他境界が必要なのです。
2024年の終わり頃、X(旧Twitter)で「嫌知らず」という言葉が話題になりました。
これは主に男性が女性の「いや」をそのまま受け取らずに振る舞う様子を示すものであり、この言葉がつくられると同時にいろいろな人たちが自分の経験について語りはじめました。こうした家族やパートナーが身近にいることが明らかになったのです。
ライターの藤井セイラは、この嫌知らずについてXで「相手のイヤを否定/拒絶/嫌悪/命令とは受け止めずに、制止されても嬉々としてまたは淡々と迷惑行為や加害をしつづける認知と行動のバグ」であるとし、「家族や恋人など甘えの磁場でのみ発動する」と指摘しています。この甘えの磁場とは、境界線の問題が起きやすい人間関係を指す言葉であると考えることができます。
相手の「いや」を受け入れられないという嫌知らずの現象は、まさに支配タイプのパートナーによって引き起こされるものと捉えられます。
ただし、嫌知らずを経験した人たちの投稿を見ていくと、相手を支配するためというよりも、相手の「やめてほしい」というニーズに耳を貸さないという、無反応タイプの境界線が引き起こしているものも多く見られました。
少なくとも一部の嫌知らずに関しては、相手のこころで生じることに対して、自分自身のこころのプロセスをそのまま当てはめて理解しようとしてしまうことから生じると考えられます。
具体例としては、次のようなものが挙げられます。
・勝手に身体に触れたり、不快に感じるあだ名で呼んだりして、いくらやめてほしいと言ってもやめてくれない
・自分が気にしないからといって、相手に対して無神経な言動を繰り返す
・パートナーの私物を雑に扱う
嫌知らずをする人は、最終的に相手がどうしても我慢できずに爆発すると「そんなにいやなら言ってほしかった」と戸惑う様子を見せます。言われた側としては、「最初からいやと伝えていたのになぜ?」と不思議に思うのですが、これは自他境界がないことによって自分と相手の区別がついていなかったのだと説明できます。
嫌知らずは、男性から女性だけでなく、女性から男性に対しても行われていると考えられます。しかし、私たちの文化が女性の「いや」を軽視しており、とりわけ性的な境界線の侵害を頻繁に行ってきたという事実は重く受け止める必要があるでしょう。
]]>タイパに厳しいはずの若い世代がなぜ、記憶に残らないTikTokの動画を延々と見てしまうのか?背景には、X(旧Twitter)とは異なる「快感」があった――。30万部超・新書大賞2025受賞作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)著者で文芸評論家の三宅香帆さんが解説する。
※(注記)本稿は、『Voice』2025年4月号を抜粋・編集したものです。
私はいま大学で非常勤講師を務めているのだが、そこでしばしば耳にする言葉がある。
「意味ないTikTokの動画とかめっちゃ見ちゃう」
「全然記憶に残らないのに、なんか見ちゃうんですよ」
若者世代はタイムパフォーマンス(タイパ)に厳しいとか、行動の意味をやたら求めるとか、私自身そういうことを書いてきたわりに、TikTokについては寛容なのか!? とツッコミを入れたくなる。どういうことなのだろう、はて。
面白いのは、TikTokが、従来のSNSとはまったく異なる様相を呈していることだ。じつはこのアプリの特徴は、「発信者ではない人も多く見ている」ということなのだ。
総務省の「令和5年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」によれば、TikTokは全年代の利用率は32.5%、10代の利用率は70.0%、20代は52.1%である。これはXの利用率が全年代49.0%、10代65.7%、20代81.6%であることと比較すると、相対的な10代の支持が圧倒的に異なることが理解できるだろう。もはや10代のなかでは、XよりもTikTokを見ているユーザーのほうが多いのである。
だが、TikTokユーザーのなかで、動画を投稿したことがある人の割合はたった5.1%にすぎない(株式会社Utakata調査、2024年)。ものすごく少ないのだ。
ちなみに同調査において、Xで投稿をしたことがある人の割合は83%にのぼる。つまりTikTokとXは一括りに「SNS」と言っても、どれほど自分が投稿するか、関わり方はまったく異なるメディアなのである。
TikTokあるいはYouTubeのような動画SNSにおいて、基本的にユーザーの多くは発信者ではない。ほとんどが受信者だ。ここがXやInstagramのような、発信と受信のどちらも行なう双方向のSNSと、最も異なる点である。TikTokあるいはYouTubeを利用している人のほとんどが、SNSをただ見ているだけなのだ。
ここである著作を引用してみたい。本国スウェーデンで2019年に刊行された『スマホ脳』だ。スマホの中毒性について解説した本書で、著者のアンデシュ・ハンセンは次のように語る。
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フェイスブック、インスタグラムやスナップチャットがスマホを手に取らせ、何か大事な更新がないか、「いいね」がついていないか確かめたいという欲求を起こさせる。その上、報酬システムがいちばん強く煽られている最中に、デジタルな承認欲求を満たしてくれるのだ。
(アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』久山葉子訳、新潮新書、2020年)
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SNSの報酬――言ってしまえばSNSの面白さとは、「いいね」という承認をもらうことの中毒性である、と本書では語られる。デジタルな承認欲求こそが報酬システムの根幹である、と。
しかしTikTokあるいはYouTubeの普及によって、事態は変わりつつある。TikTokやYouTubeは、先述したようにユーザーのほとんどは発信しない。
つまり承認をもらう機会はない。『スマホ脳』的に言えば、デジタルな承認欲求を満たす場はない。しかしそれでも、10代の7割は、TikTokのアプリを開いているのだ。
SNSの歴史を見てみると、テキストのX、写真のInstagram、動画のYouTube、そしてショート動画のTikTokというように、流行は推移している。
以前はXやInstagramでフォローしたユーザーの投稿しか見られなかったのに対して、現在は、フォローしていなくてもアルゴリズムが選択した投稿を見せることが主流となった(旧世代の私なんかは、頼んでもいないのにコンテンツを薦めてくる「おすすめ欄」にイラついてしまうのだが......)。
なかでもTikTokは、ほかのプラットフォームよりも、一度拡散され始めると極めて大きな広がりが生まれることで有名だ。『TikTokショート動画革命』(日経エンタテインメント!編、日経BP、2021年)においては、1独自のレコメンドシステム、2短尺動画の優位性、3拡散するための豊富な施策、の3点がTikTokの独自の拡散性につながっていると解説されている。
つまり「短尺の動画が大量に勝手にレコメンドされること」が、TikTokというSNSの特徴である。これは従来の、承認欲求を満たすことが報酬となっていたSNSとは別の存在であることがよくわかるだろう。XやInstagramの魅力が相互評価のコミュニケーションだったとすれば、TikTokは大量の短尺動画がレコメンドされることに魅力がある。
大量の短尺動画を見ること、それ自体が報酬――もちろん動画には情報として有益なものとそうでないもの、どちらもあるだろう。だが情報の有益さではなく、ただ、大量の短い動画によって得られる刺激の波に浸っていることが重要なのである。
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記憶するためには、集中しなければいけない。そして次の段階で、情報を作業記憶に入れる。そこで初めて、脳は固定化によって長期記憶を作ることができる。ただし、インスタグラムやチャット、ツイート、メール、ニュース速報、フェイスブックを次々にチェックして、間断なく脳に印象を与え続けると、情報が記憶に変わるこのプロセスを妨げることになる。
(アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』)
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『スマホ脳』で言われていることが正しければ、TikTokで見ている「間断なく脳に印象を与え続ける」大量の短尺動画は極めて記憶に残りづらい。実際、大学生から「先生、私TikTokの動画を見ても全然記憶に残らない」と言われたのもさもありなん。自分が知りたいと思って検索した情報ではない、与えられ続けられる動画は、記憶に残らずに終わってしまう。
ならば、なぜTikTokを見る人は増え続けているのか? それもやはり、新しい情報を得るとドーパミンという報酬が放出されるからだ、とハンセンは『スマホ脳』で解説する。短尺で大量の動画を見るのは、そのたびに大量の報酬を得られるということである。
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新しい情報を得ると――それがニュースサイトだろうと、メールやSNSだろうと同じことなのだが――脳の報酬システムが、私たちの祖先が新しい場所や環境を見つけたときと同じように作動する。見返りを欲する報酬探索行動と、情報を欲する情報探索行動は脳内で密接した関係で、実際にはそのふたつを見分けられない場合もあるほどだ。
(アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』)
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情報として記憶には残らないが、脳にとって報酬はあり続ける。それだけ聞くと、恐ろしい話だと背筋がぞわっとしてくる。
が、何よりも興味深いのが、この「報酬」の問題だ。これまで、令和のヒットコンテンツにおいて「報われる」度合いが高ければ高いほどヒットしやすいのではないか、という話をしてきた。仕事でも趣味でも報われるポイントが必要になり、報酬の受け取りやすさが重要になるのである。
すると、XやInstagramで得ていた「評価」や「情報」という報酬よりも、もっと確実に、そして楽にTikTokで得られる「刺激」という報酬は、受け取りやすい。報酬の受け取りやすさこそが、TikTokというメディアの特徴なのである。
これまでずっと扱ってきた「報われたい」という感情は、行為そのものの楽しさだけではなく行為の見返りがもっとほしい、と求めることである。仕事や趣味そのものの楽しさの実感だけではなく、仕事や趣味をやった意味があって初めて、充実した時間だったと感じることができる。
TikTokを見る時間はまさに、楽しさの実感はどうであれ、報酬は得られている――見た動画ごとの何かしらの「報われ」は存在する、という時間感覚である。だからTikTokは流行する。言うなれば、アルゴリズムが私たちに報酬を与えてくれるのだ。
Xのようにテキストで意思を伝えるものではなく、Instagramのように画像で表現をするものでもない。TikTokは、ただアルゴリズムがショート動画をおすすめする装置である。
私はこの点こそ面白いと感じる。TikTokには、積極的な好き嫌いや自ら進んでフォロワーしにいくという概念はあまりない。趣味の時間ではあるが、自分の意思や趣味嗜好は、はっきり言ってなくてもいいのだ。つまり、TikTokユーザーが「好きも嫌いも選別しなくてもいい」ことこそが大切なのではないだろうか。
私は以前に「現代では、行為の実感よりも結果や意味が重視されることが多い」という話を書いた。これは、コンサートに行ったときにただ楽しむだけではなく、コンサートで「推し」を応援したという行動の結果があったほうがいいと感じる、というような例にも当てはまる。
あるいは、ドラマを見てもただドラマを楽しむだけではなく、作者の意図を「考察」して当たるかどうかを見るという行動の結果があったほうがいいと感じる、という例にも該当する。感情の価値が下がってきている、とも言い換えられるだろう。
となるとTikTokのように、自分が「いいね」と思う実感をもってフォローすることが最低限であるSNSもまた、やはり感情の価値を低く見積もっているのだと言えるのではないか。
短い動画でオチをつけ、情報を与え、報酬を与える。そして動画への好き嫌いを深く考えさせない。とにかく動画をたくさん見るという行動を重視する。感情が重視されない。数値こそが何よりも大切なのだ。
ここで私は、ある文章を思い出す。
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いずれにせよ、来るべき総記録社会は、社会の成員の欲望の履歴を、本人の意識的で能動的な意志表明とは無関係に、そして組織的に、蓄積し利用可能な状態に変える社会である。そこでは人々の意志はモノ(データ)に変えられている。数学的存在に変えられている。
(東浩紀『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』講談社、2011年)
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これはいまから10年以上前に記された文章だが、まるでTikTokやYouTube的なアルゴリズムプラットフォームの予言のように見えてしまう。「おすすめ」という名のアルゴリズムプラットフォームは、人間の閲覧やクリックを数値化し、拡散するコンテンツを決定する。そこで私たちの感情や意思は重視されない。数値だけが重視されるのだ。
このように考えていくと、気づくだろう。令和のヒットコンテンツは、すべてインターネットのプラットフォームアルゴリズムのなかで生まれたものだということに。
考察。それはYouTubeの動画プラットフォームにおいて生まれた。
推し文化。それはXやTikTokといったSNSプラットフォームにおいて生まれた。
転生。それは「小説家になろう」という投稿プラットフォームにおいて生まれた。
陰謀論や成長幻想。それはYouTubeやSNSのプラットフォームにおいて生まれている。
令和のヒットコンテンツとはもはや、インターネットのアルゴリズムにおいて欲望として数値が認められたものによってのみ流行するのではないか。
そう、令和のヒットコンテンツをつくりたいのならば、アルゴリズムに乗っかり、プラットフォームに即した形で、「楽しい実感+それ以外の報酬」を与えることこそが重要なのである。このことが、ここまで見てきた事例からよくわかる。
繰り返すようだが、たとえばドラマの場合、ドラマを見ている時間自体が面白いことは重要だ。しかしそれだけでは駄目で、ドラマを見終わったあとに報酬がほかにあって(それは考察というゲームだったりする)初めて、ヒットコンテンツになりうる。
アイドルの場合、コンサートが素晴らしくて見ていて楽しいことは重要だ。しかし応援するという行為がもう一つ乗っかると、さらなる報酬となる。
そのようなサイクルがプラットフォーム上で回り始めると(たとえば考察系YouTuberが登場する、アイドルの切り抜き動画が発生する)、アルゴリズムによってどんどん拡散されていく。拡散させているのは人の意思ではない。プラットフォームなのだ。現在はそうやってヒットコンテンツが生まれているのだろう。
しかし、人の意思ではなくアルゴリズムの力だけが増す状況でいいのだろうか? という問いもまた、自分のなかで生まれてくる。
というのもアルゴリズムとは、ユーザー――発信者も受信者も含め――の個別性を失わせやすい場である。
人間は皆、異なる感情をもっている。もちろん同じものを見て同じような反応をすることもあるし、同じ漫画を読んで同じ場面で泣くこともある。
それでも、どんな環境、人、作品と出会ってきたのか、何が好きで嫌いかは個別具体的に異なり、それぞれ固有の感情をもった人間であることは確かだ。
しかし、アルゴリズムはそれに対して最大公約数的な正解を提示しようとする。TikTokであれば、いまできるだけたくさんの人に見てもらえそうな動画が優先的におすすめ欄に表示される。
もちろん、ユーザーにとってドンピシャではなくとも当たらずも遠からずな「いいね」なので、そのまま見続ける。すると結局「正解」に近い、最大公約数に近い、間違っていない、そういう単一的なコンテンツが多くなってしまう。
TikTokには「ミーム」という流行のエフェクトや音楽に乗せることで、アルゴリズムが優先的に拡散してくれる仕組みがある。しかしそれは、発信の個別性を失わせることになる。アルゴリズムに乗ろうとすると、発信者の個別性なんて言っていられず、最大公約数に合わせるしかない。――人間の感情ではなくアルゴリズムに選ばれるとは、そういうことなのである。
するとどうなるか。受信者の個別性も失われていくのではないか。
自分が好きか嫌いかもわからないまま、短期間の報酬刺激を与えられ続けていると、自分だけの感情がわからなくなっていく。それは、自らの個別性が失われていくことにほかならないのではないか。
]]>日本の教育界はいま、明治時代以来およそ150年ぶりの大転換期を迎えています。この流れは日本にとどまらず、世界中で起こっている現象であり、その背景にあるのは、現在進行中の「情報革命」といわれています。
本稿では、そんな大転換期にある教育現場の今、従来重要視されてきた学歴や資格の位置づけについて、日本最大級の教育イベント創設者・大学特任准教授・学校法人理事など、さまざまな立場や役割で教育に関わっている宮田純也さんに解説していただきます。
※(注記)本稿は宮田純也著『教育ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)より一部を抜粋編集したものです。
「東京大学を出ても仕事ができない人がいる」
学歴への批判としてどこかで聞いたことがある台詞です。「英検1級を持っていてもその語学力を仕事で使えなければ本末転倒で意味がない」と言われるのと同じ発想でしょう。
この台詞から時代の変化を読み取ることができます。かつて東京大学卒業や英検1級という形式的なものが優秀さの「必要十分条件」だった時代がありました。なぜなら、工業社会では情報処理(情報の記録・蓄積、それを必要に応じて素早く正確に抽出できること)ができることが価値だったからです。この情報処理能力を判定する仕組みが受験です。
正解か不正解か、その正答率が工業社会に適応できる人間を選抜するための唯一の物差しとして機能していました。そのため、学歴や資格は「必要十分条件」だったのです。
しかし、いまやそれはあくまで「必要条件」となりました。まず、情報革命によって一つひとつの知識の価値が陳腐化し、労働者の持つ経験や発想力が大きな価値を生み出す社会へ変化しているからです。さらに、グローバリゼーションにより国際的な分業で生産がおこなわれるようになり、また、市場も地域規模になるという大きな変化が起こっていることも理由として挙げられます。
情報がこれまでとは比較にならない速さで飛び交い、社会変化のスピードが上がり、トランスナショナルな現象が多発することで、グローバルな規模で社会の標準化(ISOなどの国際標準の台頭など)と多様化(多文化共生など)が同時に進行します。これによって知識基盤社会が到来し、20世紀は「機械の時代(ものづくりの時代)」だったのが、21世紀は「人の時代(ことづくりの時代)」と呼ばれるようになっています。
そのため、仕事で必要とされる資質や能力もまた変化しているのです。かつて「必要十分条件」だった情報処理能力を活かすことで実際に何ができるか、そして、これまでどんなことを成し遂げてきたか。それが問われる時代になっています。実際に何ができるか、実績があるかという内容が「十分条件」となる、より高度な時代になったと言えます。
かつて学歴や資格は、よい学校に行ってよい会社に入るための資格のようなものでした。しかし「よい」が多義化してしまったため、資格に加えて自分にとっての「よい」を考えて主体的に動く力や、それによって築いてきた実績が求められるようになったのだと考えられます。
VUCAと呼ばれる予測困難な時代では、ベルトコンベヤーに乗っているかのように受け身でキャリアや人生を形成することは困難です。だからこそ、自らのスキルや能力を活かして社会に貢献し、実績を残していくという実質的なものが求められる時代になったと言えるでしょう。キャリア形成が受動から能動へと変化しているのです。
そのため、学校教育では、コンテンツベースの学びからコンピテンシーベースの学びへの転換が叫ばれています。コンピテンシーとは、どんな知識や技能を持っているかという「習得」に加えて、どのようにそれらを用いるかについて考える「思考」、そして実際に用いる「行動」を含む概念です。OECDが掲げる「OECDラーニング・コンパス2030」に登場している概念であり、コンピテンシーの重視は、世界的な流れと言えます。
現行の学習指導要領では、資質・能力を3つの柱に分けて育成することが明記されています。それは、生きて働く「知識及び技能」、未知の状況にも対応できる「思考力、判断力、表現力等」、学びを人生や社会において活かそうとする「学びに向かう力、人間性等」です。
それを育成するためには、学校で「何を学ぶのか」が問われます。学ぶ内容を意識しつつ、カリキュラム・マネジメントによって学校で教科を学ぶ意義、教科や学校・地域間などの横断・連携を目指す教育課程を編成します。そして各教科でも、この「資質・能力の育成」という観点で目標や内容が学習指導要領のなかで定められています。さらにそれを振り返り評価することでよりよい教育活動がおこなえる理念が掲げられています。
そして「どのように学ぶのか」も大切です。資質や能力の育成を図るために学ぶ内容を精選するだけではなく、従来の学び方も変えなければいけません。そのため「主体的・対話的で深い学び」という概念が提唱されています。これはかつて「アクティブ・ラーニング」と呼ばれていましたが、言葉だけが独り歩きして真意が伝わりにくいということで、この機能が登場したのです。
「主体的・対話的で深い学び」とは、自ら主体性を発揮して課題設定する、多種多様な価値観を持つ異なる他者と対話して考えや視野を広げる、そして課題に対して学んだことを活用して自ら考えて行動することで解決に向かうことができるように学ぶことです。「受動型・暗記中心の学び」から「能動型・思考と行動中心の学び」への転換と言えます。
このような新たな授業の方針である「主体的・対話的で深い学び」と、継続的かつ計画的に授業を改善していく「カリキュラム・マネジメント」の両輪が、学校現場でのよりよい教育活動の鍵となっています。
]]>絶賛放送中のドラマ『こんばんは、朝山家です。』(ABCテレビ・テレビ朝日系列)は、朝ドラ『ブギウギ』の脚本家・足立紳さんと妻・晃子さんのハードな家庭生活がベースになっています。そんな足立家の5年間を赤裸々につづった日記で、ドラマ原案『ポジティブに疲れたら俺たちを見ろ!!』から、夫妻の人間臭くてちょっぴり(!?)激しいやり取りを紹介します。
※(注記)本稿は、足立紳・晃子 著「ポジティブに疲れたら俺たちを見ろ!!」(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
2021年1月1日(金・祝)
昨日、夜更かししたので子供と妻は朝寝坊しているが、私は駅伝を見るために7時くらいに起きてテレビをつけた。その途端に妻が、「うるさい!」と怒鳴った。私としては気を使った音量なのだが、妻にしてみれば怒りで震えるくらい爆音らしい。その妻の声は聞こえないふりをして駅伝を見続ける。
3月21日(日)
朝からSAITAMAなんとか映画祭へ。『喜劇 愛妻物語』を上映してもらった。妻と私は映画祭の方からの計らいで、タキシードとウェディングドレスでトーク。自分のタキシード姿も似合っていなかったが、妻のウェディングドレス姿が正司敏江にそっくりだと言ったら、たちまち不機嫌に。
4月4日(日)
19回目の結婚記念日。特になにもなし。
7月15日(木)
某所にて打ち合わせ。いろいろと難しい局面なのだが、とにかく前向きにやるしかない。打ち合わせ後、酒のほとんど飲めない私でもビールを1杯だけ飲みたくなり、打ち合わせ場所の近くにある窪田将治監督の事務所に寄って1杯どころか何杯も飲んだ。
2時間ほど気持ちよく飲んでいると、妻から「あんた、映画観てるかサウナかどっかに寄ってるとかしてないよね?」とLINE。さらに「お前、ウソだけはつくなよ。仕事終わってるくせに、仕事忙しいとウソつかれるのがいちばんムカつくから」と来た。「今、子供たちが荒れているからできるだけ夜は一緒に過ごせ」と言われていたことを思い出した。
続いてのLINEには「もしウソついてんのがバレたら一生セックスしないから。お前、根がウソつきなんだからな。ウソついて忙しいふりしてめんどくさい家から逃げるのは完全にアウトだからな」と来た。
妻は私のウソを95%の確率で見破る。私は嫌な汗が出てきてソッコーで家に戻った。妻はすでに寝ていたが、昔のようにウソをつきとおすことはせずに、翌朝、正直に話した。舌打ちされたが、大事には至らなかった。やはり正直がいちばんだ。
7月24日(土)
今日は妻の誕生日だったのだが、2年連続で失念していた。言い訳ではないが、私は妻だけでなく、家族全員の誕生日を覚えていない。
9月5日(日)
起床時から「なんか腰が変」と言っていた妻が、娘の野球の弁当を作っている時に突然悲鳴をあげて四つん這いになった。動けないらしい。
7時に娘が家を出て行くと、妻は腹ばいで娘の部屋に行き、うつ伏せのまま微動だにせず。寝違いなのだろうと思っていたが、それにしては痛そうだ。だが、病院に行けと言うも、「動けねーんだよ!」しか言わない。
9時頃、息子の友達が家に来る。私は仕事へ向かったが、サウナにも寄らず14時頃に早めに帰宅。妻は娘の部屋で、朝と同じうつ伏せのままで、「イタタタタタタタ......」と言っている。「大丈夫?」と聞くと、「大丈夫な訳ねーだろーが」と一言。動けぬ妻の監視もなく、息子と友達はのびのびと遊んでいる。
その後は妻に代わり、家事育児に精を出す。などと書けば、妻から50倍返しの異論がくるだろう。
妻より
夫は誰へのアピールかわかりませんが、そこかしこで家事育児アピールだけは抜かりなくて呆れます。さて、腰ですが、今までの人生で腰が痛いことなど皆無だったので突然の激痛に驚き、すり足で近所の整体へ行くと「酷いぎっくり腰です。相当ストレス溜め込んだんですね。背中も腰も肩も全身がガチガチです」と、夫がいつもマッサージ店で言われて喜んでいるフレーズをいただきました。きっと誰にでも言うのでしょうが、ストレスだけは本当です。
2022年3月23日(水)
『雑魚どもよ、大志を抱け!』撮影のため、飛騨へ出発の日。本日一緒に飛騨入りする妻と、ずっと通っている近所の神社へ、撮影の安全祈願をしに向かう。
4月4日(月)
撮影9日目。ちなみに、今日は20回目の結婚記念日だ。妻とは26年前に映画の撮影現場で出会ったのだが、20回目の結婚記念日にもこうして一緒に撮影していることが嬉しくて、その旨をツイッターで呟いたら、私の呟きをつぶさに確認している妻から「お前、気持ち悪い呟き大至急削除しろ」とLINEが来たので削除した。
妻より
つぶさに確認などしていません。出演者から教えてもらったのです。夫は面と向かっては言わないくせに、SNSでは好感度狙いでアピールするから正直うんざりです。
「一生治らない」「一生苦しむんだ」
中学生で統合失調症を発症した だいだいさんは絶望的な気分になり、何度も「死にたい」と考えたそうです。
それでも「もうこの病から逃げられることはない」「この病と上手につきあっていくほかに、生きていくことはできない」と考え、自らの病気からくるつらい症状をうまく解消する方法を探し始めました。
そして、生み出した300以上の解消法の中から、効果の高かった100個を精神科医の樺沢紫苑先生の監修のもと『生きづらさを解消する方法を100通り試してみた。』として書籍にまとめられました。
本稿では、その100個の解消法の中から「76.雲観瞑想」と「89.相談」について解説頂きます。
※(注記)本記事は、だいだい著,樺沢紫苑監修『生きづらさを解消する方法を100通り試してみた。』(総合法令出版)の一部を再編集したものです
[画像:雲観瞑想]
これは、わたしが温泉に入りながら空を見上げたときに気づいた解消法です。
雲の形は変幻自在。どんな形にも見えます。わたしがそのとき見た雲は「馬」に見えました。今でもなぜ馬に見えたのかは謎ですが、空を駆ける馬のような雲から人生に疲れ気味だったわたしへ「もっと駆け抜けてみろよ」というメッセージに思えました。
雲の形に意味があるわけないのに、そこに自分の心境に合った意味を見いだすのはなかなか面白いものです。あなたは雲を見て、何を感じますか? 何を想像しますか?
【やり方】
1.深呼吸してリラックスする
2.空を見上げる
青空に浮かぶ雲を一つ見つけましょう。雲は、部屋の窓やベランダ、道端でも見つけられます。露天風呂や旅行先など、リラックスした状態で見るのもいいでしょう。
3.雲の形を見て「何に似ているか」や「どんなものに見えるか」を自由に想像してみる
長い雲ならヘビ、丸い雲は綿あめ......など、なんでも構いません。
4.思う存分想像したら、現実に戻る
【発展・応用】
雲の形は時間の経過とともに変化します。「最初は馬に見えたけど、だんだんヘビに見えてきたな。あ、あれはトグロを巻いているな」というふうにストーリーを生み出すこともできます。
【効能】
1.気持ちが穏やかになる
形を変えながら流れていく雲を眺めているうちに、気持ちが穏やかになっていきます。自然の雄大さを感じることも、心を穏やかにする過程で大切です。
また、青空を眺めると、幸福物質「セロトニン」が活性化するそうです。雲を見れば、自然と青空が目に入ってくるでしょう。
2.意識の切り替えになる
雲からさまざまなものを連想すると、意識を自然と「今」に向けることができるでしょう。そのとき、過去の後悔や将来の不安を考えることはありません。
【アドバイス】
天気が悪いときはこの解消法は使えません。しかし、お湯を沸かしたときに出る「湯気」や川の流れ、水たまり、葉の形など、いつもは見逃してしまいがちな自然現象を観察することで、同じような効果を得ることが可能です。
[画像:相談]
わたしが、つらい感情を一人で抱えているときは、誰かに相談することで解消しています。
信頼できる人(家族や友人、カウンセラーなど)に自分がどんなことで苦しんでいるのか、相談してみましょう。はじめはうまく言葉にできなくても、回数をこなすと自分の言葉を相手に伝えられるようになります。相談できる環境があるようになると心が軽くなりますよ。
【やり方】
1.信頼できる人を見つける
自分の内面を伝えても他の人に漏らさない、モラルがある「信頼できる人」を選んでください。
2.「ちょっと話を聞いてほしい」と伝える
相手の迷惑にならないよう、相談したいことと時間を設けてほしい旨を事前に伝えます。
3.最初は雑談を交えながら自分の相談したいことを伝える
なかなか本題に入るのが難しいときは、少し雑談して場を温めてから相談をしましょう。
4.相手からのアドバイスをメモに残す
相談していると相手からアドバイスや気づきを得ることがあります。つらい状態で話を聞いていると、アドバイスを忘れてしまいやすいので、大事なことはすぐにメモしましょう。
5.アドバイスを実行できたら「結果」を相手に報告する
もし、相手から「〇〇したらどう?」といったアドバイスをもらったなら、それを素直に実行してみます。実行した結果を相手に報告することで、相手からさらにいいアドバイスがもらえるきっかけになるでしょう。
【発展・応用】
もし、あなたが生きづらさに振り回されることがなくなったときは、誰かの相談に乗ってみてください。
生きづらさを解消した経験をもとに苦しんでいる人の話を聞いてあげるのです。相手から感謝され、あなた自身も気づきがあります。話を聞いてあげるだけで救われる人がいますよ。
【効能】
1.心のガス抜きになる
誰かに自分の悩みや苦しみを伝えると、気持ちが不思議と軽くなります。心の中にたまったガスが抜けていくようなイメージです。心のガスはためておくといつ爆発するかわかりません。適度に信頼できる人に相談してガスを抜きましょう。
2.思考を整理できる
相談をするとき、自分の考えを言葉にする必要があります。頭の中を言語化することが自分の気持ちを整理するのに役立つのです。例えば「すごく嫌なことがあり怒りを感じた」としたら、言葉にしていくうちに「なぜ自分は怒っているのか」「どうすれば怒りを解消できるのか」といった理由や方法が見えてきます。
相談相手に話を聞いてもらうだけでも効果があるでしょう。
【アドバイス】
相談するのは相手に迷惑なんじゃないかと悩むかもしれませんが、信頼している人に相談すると、意外にもお互いの信頼感がアップすることがあります。お互いの心の奥に秘めていることを話すことで仲良くなれる場合もあるのです。
日本の教育界はいま、明治時代以来およそ150年ぶりの大転換期を迎えています。この流れは日本にとどまらず、世界中で起こっている現象であり、その背景にあるのは、現在進行中の「情報革命」といわれています。
本稿では、そんな大転換期にある教育現場の今、学力は高いのに自律学習が苦手な日本の子どもたちの実情について、日本最大級の教育イベント創設者・大学特任准教授・学校法人理事など、さまざまな立場や役割で教育に関わっている宮田純也さんに解説していただきます。
※(注記)本稿は宮田純也著『教育ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)より一部を抜粋編集したものです。
2022年におこなわれたPISA(Programme for International Student Assessment)で、日本は「科学的リテラシー」が2位、「読解力」が3位、「数学的リテラシー」が5位と、3分野すべての順位が世界トップレベルでした。
このように学力が高いにもかかわらず、自律学習と自己効力感の指標は37か国中34位と低い結果になっています。この指標は「学校が再び休校になった場合に自律学習を行う自信があるか」という質問に対する回答から算出されています。この結果から、日本の子どもには主体的に学ぶ意欲も自信もないという解釈ができます。
学力が「認知的スキル」に依拠するのに対し、自律学習は「非認知的スキル」あるいは「社会情動的スキル」に依拠しています。非認知的な力には、何かに興味関心を持つこと、目標の達成に向けて自らをモチベートすること、困難な状況でもあきらめずに最後まで粘り強くやり抜く力、他者と協働できる良好な関係を築く力などが含まれます。
日本の子どもは学力が高いのに意欲や自信がない、つまり総じて非認知的スキルに課題があるというのは一見矛盾した状況だと言えます。
この状況に対しては、文部科学省は現行の学習指導要領にある「主体的・対話的で深い学び」による授業改善など、現行の学習指導要領を推進することが、前述の課題に対する適切な対処であるとしています。
もちろん学校教育の努力も必要ですが、主体的に学ぶ意欲や態度・自信などの育成を学校教育だけに任せることは難しいのではないかと私は考えています。
大きく言えば、明治時代から始まった公教育が歴史ある私教育の領域を奪っていってしまったことが、社会情動的スキルの未発達の要因と言えます。
それによって、私たちは「教育は学校でおこなうものだ」と考えるようになり、工業型社会で重視される認知的スキルを育てることに執着し、本来的な教育機能や私たちの役割を学校に預けすぎてしまったのかもしれません。
結果として私教育、主として家庭教育の機能が低下して社会情動的スキルを育成することができず、その育成さえも学校が主体的に担うことが求められることになりました。
さまざまな役割を学校が担うことで教員の職務は肥大化し、学校現場の荒廃をも招いてしまっていると言えます。
「情緒」という計測が難しいスキルに対して、いわゆる「学力」は計測可能な認知スキルです。この2つはどちらも人間の成長にとって欠かせないものです。
OECDは、両者の相互作用によって人間は新たな価値を創造でき、個人の自己実現に寄与すると主張しています。
2000年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカのシカゴ大学教授ジェームズ・ヘックマン氏は「非認知的スキル」が学力テストの成績に影響すること、そして、その伸長は家庭での教育によって左右されることを明らかにしています。
ヘックマン氏の研究自体は就学前の子どもを対象とした教育投資に関する研究ですが、家庭における教育の成果は学校教育の成果にも影響するという点で示唆に富むものであると考えられます。
学びの意欲を失う子どもたちに対して、教員以外の人たちも当事者意識を持って何ができるかを考えることが、学校現場の改善とともに大切です。
文部科学省や学校教育の努力だけではなく、家庭や地域での私教育の再興など、さまざまな解決策を検討する必要があると言えます。
]]>絶賛放送中のドラマ『こんばんは、朝山家です。』(ABCテレビ・テレビ朝日系列)は、朝ドラ『ブギウギ』の脚本家・足立紳さんと妻・晃子さんのハードな家庭生活がベースになっています。そんな足立家の5年間を赤裸々につづった日記で、ドラマ原案『ポジティブに疲れたら俺たちを見ろ!!』から、夫妻の人間臭くてちょっぴり(!?)激しいやり取りを紹介します。
※(注記)本稿は、足立紳・晃子 著「ポジティブに疲れたら俺たちを見ろ!!」(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
9月11日(金)
とうとう、いよいよ、ついに『喜劇 愛妻物語』の公開初日だ。大変緊張する。どうか少しでも多くのお客さんに観ていただきたい。
自分の関わった映画はたいてい初日の朝いちばんの回にどこかの劇場で観るようにしているが、今回はメイン館の新宿ピカデリーに妻と一緒に行った。
9月12日(土)
朝5時半、妻と散歩。本日は舞台挨拶がある。
舞台挨拶では、新津ちせちゃんが「私のお父さん(アニメ監督の新海誠)とお母さんはこんなケンカはしない」と言ったので「君のお父さんくらい大ヒットを連発していればウチもケンカしなくてすむんだよ」と余計なことを言ってしまい、ちせちゃんを困らせてしまった。妻から「あんた、私だけじゃなくて誰にでも一言多いね」と言われ、さらに落ち込んだ。
10月18日(日)
最悪な日になった。
朝から息子と妻はダンス教室に行き、私は仕事。
12時半に妻と息子と待ち合わせして、代々木公園の陸上競技場でやっている娘の陸上クラブの練習に向かう。
いつもは1人で往復している娘だが、今日は3人で娘の練習を遊びがてらに見に行き、帰りに夕飯でも食べて帰宅しようという、平和家族やろうぜという日にしたのだ。
あと30分で娘の練習も終わる時間になった頃から息子と妻で戦いごっこが始まった。なんだか楽しそうだったので乱入すると、妻と息子が組んで私を攻撃してきた。
妻のけっこう痛いパンチなどは笑って受けてやっていたのだが、調子に乗って放ってきたミドルキックは思いのほか痛く、2発目のキックの足を摑んだら、バランスを崩して妻が倒れてしまい、運悪く後頭部をデコボコのコンクリートにぶつけた。「ゴッ」と鈍い音とともに妻は「あっ」と低い声を発し、そのまま頭を抱えて動かなくなった。
ヤバいとは思ったが、周囲がわりと驚きの視線を向けてきていたので、「なんでもありませんよ、大丈夫ですよ〜」とアピールするために、息子に「今だやれ!」と言うと、息子は妻に乗りかかって笑いながらパンチ。
「イテェんだよ!」と妻は完ギレして息子を突き飛ばす。突き飛ばされた息子はキョトン。いつの間にか練習の終わっていた娘は、少し離れたところから不機嫌極まりない表情で我々を見ている。
周りがざわざわしてこっちを見ているのがわかる。私は視線に耐えられず、「起きて向こうのベンチで休みなよ」と言うが、妻は横たわったままだ。息子は本気で心配しだすし、娘は不機嫌マックス顔。
「後頭部触ってみろ」と妻が尋常じゃない低い声を発する。触るとかなりでかいタンコブができていてギョッとしたところに娘が近づいてきて「ねえ、いい加減にしてよ。恥ずかしいから私、先帰る」と言うと、妻が「勝手に帰れ、こっちはお前のオヤジに殺されそうになってそれどころじゃねえんだよ!」と怒鳴る。
私はとにかくこの場から去りたいのと、病院に行ったほうがいいと思うのと、今晩の外食はないなと思うのと、色んな感情が混ざり合って、どうすればいいのかわからなくなった。
妻はその後、公衆トイレに入ってなかなか出てこないので息子に見に行かせると、ハンカチで冷やしながら恐ろしい形相で、「ちょっと休んでいく。お前は息子と帰ってろ」と言い、息子には「人の足を取るとか危ないことしちゃダメだよ。一歩間違えば死ぬからね。ママが死んだら、警察の人にパパが殺したって言うんだよ」と、1人負のオーラを背負いまくり行ってしまった。
家に戻ると娘はゲームをしていた。妻に「病院行った?」とLINEすると、「DV野郎のいる家には帰りたくない」とだけ返信が来て、この日は帰ってこなかった。
妻より
頭のこぶの大きさがやばかったので、これは安静にせねばならんと思い、実家に避難しました。
10月21日(水)
今日は妻と一緒にやっている高校の授業がある。3日帰ってこなかったが、もし今日、高校の授業まですっぽかしたらどうなるのか? 万が一を考えながら高校に向かうと、校門の前で妻が不機嫌極まりない顔をして立っていた。
私は思わず頬がゆるんでしまい、「やっぱり来たんだ」とニタニタして言うと、妻は、「気持ち悪い顔。虫唾が走る」と言った。その言い方に機嫌は完全に直っているのがわかる。なので「今日は、軽く一杯行ける時間あるかな〜」と言うと(授業後はたいてい飲みに行くのだ)、「あるわけねーだろ、人殺し。喋りかけんな」と言うので、「ま、終わった後の気分でまた考えようか」と聞こえないふりをして流す。
12月20日(日)
昨晩飲みすぎた妻が朝から「ゲボドボゴボボボ!!!!」と20回くらい吐いている。腹立たしい。妻が吐く時の轟音は私が世界で最も嫌いな音だ。だが、この醜態でしばらくは私が怒られることも少なくなるし、なんなら責める材料にもなる。しかも今日は2人でUP LINK渋谷でトークイベントもあるのだ。そんな日にこの体たらくは、なにかあった時のこちらの切り札にするしかないだろう。
]]>「自他境界」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
自他境界とは、自分と他者の範囲を分ける境界線のことで、健全な人間関係を築くために重要な概念です。「いつもまわりの人に振り回される」「断るのが苦手で仕事を抱えてしまう」といった悩みも、自他境界の観点から説明することができます。
本記事ではそんな悩みを抱えやすい「迎合タイプ」の境界線の特徴について、公認心理師・臨床心理士の若山和樹氏が解説します。
※(注記)本稿は『振り回されるのはやめるって決めた 「わたし」を生きるための自他境界 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。
自他境界とは、「こころと身体の領域における、ここまでが自分の範囲で、そこから先が自分でないもの(他者)の範囲であることを示す境界線」を意味する言葉です。
自他境界がきちんと機能していると、私たちは人とのつながりのなかで「個人の幸福」と「健全な人間関係」を同時にかなえられます。反対に、私たちが対人関係で何か苦しかったり、困ったりしたとき、そのほとんどで自分と他者の間の境界線に何らかの問題が生じていると考えることができます。
問題のある境界線は、大きく4つのタイプ(迎合タイプ、回避タイプ、支配タイプ、無反応タイプ)に分類できます。
本記事では、「いつもまわりの人に振り回される」「断るのが苦手で仕事を抱えてしまう」といった悩みを抱えやすい、迎合タイプの特徴について見ていきましょう。
会社員の美奈子さんは、生活のさまざまな場面で過度に相手に合わせてしまい、断ることや自分の意見を伝えることが苦手で悩んでいます。
【友人関係】
友人関係は基本的に良好で、休日や仕事終わりによく遊びに行くのですが、次のようなことが起きてしまいます。
・忙しくても、友人から誘われると予定を入れてしまい、十分に休息する時間がとれない
・興味のない場でも楽しそうに振る舞えるが、結局参加したことを後悔する
・押しの強い性格の友人から、旅行の計画などを押し付けられるが、何も言えず、宿やレンタカーの手配などを毎回引き受けてしまう
・自分のやりたいことや行きたいところを提案するのが苦手で、事前に友人が希望しそうなものを調べ、それを自分で思いついたかのように提案する
・会話が途切れると、相手が自分といても楽しくないのではと不安になる
【職場・仕事関係】
職場では真面目で責任感の強い性格で、周囲から頼りにされることも多いのですが、その一方で次のようなことに悩んでいます。
・上司や同僚から仕事を頼まれると、忙しくても断れずに引き受けてしまう
・仕事の依頼を断ることもあるが、相手を失望させてしまったのではないかと不安になる
・会議やミーティングで自分の意見を求められると、なんと答えればいいかわからない
【恋愛関係】
恋愛はあまりうまくいかず、いつも次のようなことを繰り返してしまいます。
・自己中心的な相手とばかり交際してしまい、毎回振り回される
・嫌われたくないと思うがあまり、不満に思うことがあっても口にできない
【家族関係】
家族仲は基本的に良好ですが、それでも次のようなことが起こります。
・親の期待に応えられているか、不安になる
・親の好みや意見とは違うことを考えると、後ろめたい気持ちになる
こうした悩みを相談したこともあるのですが、そのたびに「いやならいやと言っていいんだよ」「もっと自分に自信を持って」とアドバイスされます。そこでがんばって今度こそは断ろうと思うのですが、なかなかうまくいきません。そして断れない自分が悪いのだと、結局は自分を責めてしまうのです。
美奈子さんの境界線のタイプは、「迎合」と呼ばれます。
迎合タイプの人の境界線はあいまいなため、自分の考えや意志など、境界線の内側のものが他人のものと混ざり合ってしまうのです。
そうなると、相手が考えや意志などを押し付けてきたときに「いや」「だめ」と言うことができません。その結果、本来は自分のために使わなくてはいけない力を、相手のために使うことになってしまうのです。
迎合タイプの境界線の持ち主に起きやすい問題としては、次のようなものがあります。
・頼まれたことを断るのが難しく、ついなんでも引き受けてしまう
・他人のために自分の時間やエネルギーを費やし、自分を犠牲にしてしまう
・自分の考えよりも他人の意見を優先し、あっさり意見を変えてしまう
・不公平な状況や待遇を受け入れてしまい、抗議しない
・他人の期待に応えようとしすぎて、自分を追い込んでしまう
これらは、他者からの境界線の侵害に対して「いや」と言えないことが原因で起こる問題です。もちろん、大切な人が困っているときに、すべて「いや」「だめ」と断るのがよいわけではありません。
しかし、迎合タイプの人たちは、自分がほしいもの(ニーズ)を優先しなくてはいけないときでも、それを後回しにして相手のほしいものを優先してしまいます。
また、自分のために力を使うことが苦手で、相手のために力を使うことが得意です。もちろんそれ自体は悪いことではないのですが、問題は、自分を後回しにしすぎてしまうことなのです。
迎合タイプの人は、ほとんど無自覚のうちに相手に合わせてしまいます。気づかないうちに自分の気持ちや意思は後回しになり、本心では抵抗があることでも、その場では「わかった」「大丈夫」と答えてしまうのです。しばらく時間が経って、ようやく本当は断りたかったと気づいたときには、訂正するのがとても難しく感じられ、結局は我慢したり、自分でなんとかしようとするしかなくなってしまうのです。
無自覚のうちに相手に合わせてしまうため、パワハラやモラハラといった危険な関係に陥りやすく、気づいたときにはすでに手遅れとなることもめずらしくありません。人間関係は表面的には良好に見えても、実のところ本人は本心を話せないために孤独を感じていたり、あるいは罪悪感や恨みを抱えたりすることもあります。
自分に自信がないため、妥協するのが苦手で、ついついやりすぎて疲れ果ててしまう傾向もよく見られます。
また、意見の対立や葛藤を避けることで、問題解決力や交渉力、あるいはうまくいかないときに他者に協力や助けを求めるスキルが不足してしまうこともあります。
]]>アジアのど真ん中にあるのに、日本では知られていない中央アジア。
しかし、かつてシルクロードの要衝の地だったカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、キルギスの5か国には、燃え続ける巨大な穴や古代テチス海の生んだ白い絶景のほか、荒地に忽然と出現した未来都市など多くの魅力に溢れています。
フリーライター&フォトグラファーの白石あづささんは、この5か国を2か月かけてすべてめぐり、その魅力を紀行本『中央アジア紀行 ぐるり5か国60日』に著されました。本稿では、青の都と呼ばれるサマルカンドと幻の民族・ソグド人について紹介します。
※(注記)本稿は、白石あづさ著『中央アジア紀行 ぐるり5か国60日』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
[画像:レギスタン広場]
夕暮れのレギスタン広場 ©Azusa Shiraishi
ウズベキスタンの首都タシケントから南西に300キロの距離にあるサマルカンド。
紀元前10世紀から発展し、シルクロードのオアシス都市として栄えた古い都で、1370年から1507年にかけてこの地域を支配したティムール朝の首都として繁栄した。
当時、建てられたラプスラズリ色の美しいモスクが点在するサマルカンドは「青の都」と呼ばれて、今日も多くの観光客でごった返している。
私はガイドのアリさんとともに、その最大の見どころといってもいい、15世紀から17世紀にかけて造られた3つのメドレセがそびえるレギスタン広場へと向かった。
一番、観光客に人気があるのは真ん中(北側)のティラカリ・メドレセだ。ティラカリとは「金で覆われた」という意で、修復時に3kgもの金がドーム内に使われたそうだ。ミフラーブが直視できないほどの輝きを放っており、建物自体が宝石箱のようである。
私が気になったのは東側のシェルドル・メドレセのアーチのタイル絵だ。トラにしか見えないライオン(タジク語でシェル)の背中に、後光が射したムチッとしたおじさんの巨大な顔が乗っている。
日本の鵺にも似た、一度見たら夢に出てきそうな奇妙な合体生物......それがまたなぜか鹿を追いかけている。イスラム教では動物や人など偶像を描くのは禁止されているはずでは?
「珍しいですよね。ライオンは学生、鹿は知識、太陽は幸せを表しています。学生は永遠に知識を追い求めよ、という教訓です」
日本語ガイドのアリさんがそう教えてくれた。だが、おじさんの顔には特に意味がなく、当時の権力者の自己顕示欲らしい。こんなこと、未来人に笑われるくらいならライオンだけで良かったのに。
[画像:サマルカンドの人々]
サマルカンドの市場 100以上の民族がともに暮らす ©Azusa Shiraishi
それから、私たちはアリさんおすすめのプロフ専門店「アフマジョン・ルクス・オシュ」へと向かった。
店員のおじさんは、アーチに描かれたムッチリ顔にちょっと似ている。よくある顔なのだろうか。彼の顔をチラチラと見ながらプロフが運ばれてくるのを待っていると、アリさんが口を開いた。
「サマルカンドの後、どこに行くんですか?」
「国際列車でタジキスタンへ向かうんです」
「え〜、私はタジク人なんですよ!」
アリさんは手を組んで身を乗り出した。チュルク(トルコ)系諸民族が多い中央アジアでタジキスタンだけが唯一ペルシア(イラン)系民族の国家であるが、アリさんはタジキスタンから移住したわけではなく、先祖代々、サマルカンドで暮らしているそうだ。
ソ連が崩壊した時、5か国はソ連時代に決められた区分を国境線として独立した。けれど大昔からたくさんの民族が行き交い共存して暮らしてきた中央アジアでは、民族ごとに国が分けられるはずもなく、実際、タジキスタンに近いサマルカンドには何十もの民族が混在しているという。
アリさんの声が少し低くなった。
「実は私たちタジク人のご先祖(の一系統)はソグド人だと言われています。今のウズベキスタンやタジキスタン、そしてイランの一部も入るくらい巨大なソグディアナと呼ばれる土地があったんですよ。その中心がブハラやサマルカンドでした。ですから特にここにはタジク人が多いのです。サマルカンドができるよりもっと前、2750年前にアフラシャブの丘にマラカンダという巨大な都市を作ったのも、シルクロードの交易を担っていたのもソグド人です」
ソグド人? そういえば、サマルカンドの前に滞在していたブハラの女性ガイドさんからそんな民族の名前を聞いたような気がする。ブハラから乗った特急の名前はアフラシャブ号であったことを思い出した。
紀元前4世紀にマケドニアから遠征したアレクサンドロス大王も褒め讃えたほど美しい都だったと聞いて、後日、遺跡「アフラシャブの丘」を訪れたが、「兵どもが夢の跡」といった殺風景で荒涼とした丘であった。
[画像:ウズベキスタンの国民食]
ウズベキスタンの国民食、プロフ ©Azusa Shiraishi
アレクサンドロス大王やチンギス・ハーンの侵略だけではなく、7世紀に来たアラブ人に改宗を迫られ逃げたり、交易でシルクロードを行き来しているうち、他国で定住したりと次第に人種も言葉も混ざり、純血のソグド人は消えてしまったのだという。
「でも、タジキスタンには幻の民族と呼ばれたソグド人の末裔が暮らしているんです。ヤグノブ人といってタジキスタンの人も行かない大秘境に今もソグド語に近い言葉を話しているそうです。ぜひそこに行って私の憧れの古い民族である彼らに会ってきてください。いつか私も行きたいです」
民族に古いも新しいもあるのだろうか。市職員のイルホム君も運転手のボティルさんもチュルク系のウズベク人だが、アリさんと同じ言葉を話し顔立ちも似ているし、全員イスラム教を信仰しており、見た目どころか話してみても何人かなんて私には分からない。
考え込んでいると大皿にプロフが運ばれてきた。プロフとはウズベキスタンの代表的な料理で、肉と野菜の炊き込みご飯のことで、亜麻仁油を使って炊く。黄色い人参をたっぷり入れるのがサマルカンド風だ。見た目よりもさっぱりしていてクミンが効いている。
「こっちはサービス」と出してくれた骨は、プロフと一緒に炊いた牛骨で、骨髄をほじって食べるのだそう。2つしかないので、アリさんと運転手さんにあげたが二人ともチュルチュルと啜っている。
島国で暮らしてきた私には、「民族」の感覚が未だつかめずにいた。アリさんが憧れるヤグノブ人の村を訪ねれば、そのぼやけた輪郭がはっきりしてくるのだろうか。
調べているうちに日本人とソグド人の意外なつながりも判明した。私はこの1週間後、タジキスタンに入国すると、ソグド人の末裔が暮らす秘境を目指し、断崖絶壁の続く大秘境を4WDとロバで向かうことになった。
【白石あづさ(しらいし・あづさ)】
日本大学藝術学部美術学科卒業後、地域紙の記者を経て約3年の世界一周旅行へ。世界100か国以上をめぐる。著書に旅エッセイ『世界のへんな肉』(新潮文庫)、ノンフィクション『世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う』『お天道様は見てる 尾畠春夫のことば』(ともに文藝春秋)など。
なぜ若い世代の仕事観が、かつての「やりがい」から「成長」や「安定」に変わったのか?30万部超・新書大賞2025受賞作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)著者で文芸評論家の三宅香帆さんが、『働きマン』などのヒット作をもとに読み解く。
※(注記)本稿は、『Voice』2025年3月号を抜粋・編集したものです。
いま人々の間には、努力が報われる世界に変わってほしいという欲望がある。努力して成功したい、ではなく、努力した分だけ――誰にもその成果を損なわれずに――報われたい。
......と、これだけ書くと「何を当たり前のことを書いているんだろう」と我ながら呆れる。そりゃそうだ、としか言いようがない。努力したら報われる世界になってほしい。私自身、痛切にそう思う。
しかしひと昔前は、世界は努力すれば報われる場所であるなんて、当然だと思われていた。
努力すれば報われるものだ。だから報われていない人は努力していない人である。それは自己責任論と呼ばれ、目標のために全力を尽くすことが重要だと言われてきた。
だが実際、世界はそこまで努力に対して素直に応えてくれはしない。マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(鬼澤忍訳、早川書房、2021年)も問いかけたところではあるが、結局努力が報われるのは運によるものが大きいことがわかってきた。努力量は同じであっても、身体や環境が異なれば――それこそ転生すれば――成果は異なるものである。
ならば、最初から運や環境から見放されているとき、どうすればいいのだろう? 私たちの努力が報われるには、どうすればいいというのだろう?
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「自分の頭の悪さに嫌気がさす。成功できると思う頭の悪さ。頭の悪さに気付けない頭の悪さ。極め付き、一番は...
まだどこかで少し、自分じゃなく、世界が間違っててくれればと期待してる頭の悪さ」
(魚豊『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』1巻、小学館)
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こう語るのは、『チ。―地球の運動について―』(小学館)で知られる漫画家・魚豊の最新作『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』(以下『ようこそ!FACT』)の主人公・渡辺である。
19歳の渡辺は、恋した女性との社会的格差を知ったとき「君の人生を阻んでいる黒幕がいる」と説かれ陰謀論にハマっていく。非正規雇用で生活が苦しい渡辺は「君の人生が始まっていなかったのは、能力不足が原因じゃない。止められてたからだ」(第1巻)と言われたとき、心臓が高鳴ってしまう。そして渡辺は決意する。ディープ・ステート(DS)という自分の人生を阻む黒幕と戦うのだ、と。
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「俺はもう! 逃げないッ!!
もし俺が選ばれたならッ、俺がやる!!
必ずっ!!
DS(おまえら)と戦って、世界を救ってやる!!」
(『ようこそ!FACTへ』2巻)
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......この台詞だけ読むと、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』第壱話「使徒、襲来」の「逃げちゃ駄目だ 逃げちゃ駄目だ 逃げちゃ駄目だ」を思い出す読者もいるだろう。選ばれた碇シンジが、エヴァンゲリオン初号機に初めて乗るとき、その重圧に対して発した台詞である。
同様に渡辺もまた、陰謀論を説く「先生」に「また、逃げるんですか?」「君が、"選ばれし"者... 救世主かもしれないからです」と言われ、選ばれた存在と称されていた。シンジがエヴァに乗ったように、渡辺もまた先生の勧誘にひるみながらも「逃げない」と言い切る。読者としては「逃げてくれ!」と叫びたくなるのだが......。
私は『ようこそ!FACT』を読んでいるあいだずっと、渡辺はどうすればよかったんだろう? と考えていた。シンジくんがエヴァに乗ったように、陰謀論に乗っかってしまった渡辺を、誰が責められるだろう。
しかし一度陰謀論に乗った渡辺の決断を止めてくれる人はほとんどいない。――どうすれば渡辺を止めることができたのだろう? 私は『ようこそ!FACT』を読んで、ずっと考えている。
19歳の渡辺と同年代の主に大学生について書かれた、1冊の本がある。衝撃的なタイトルだ。
――先生、どうか皆の前でほめないで下さい。
金間大介『先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若者たち』(東洋経済新報社、2022年)は、大学生から20代半ばまでの若い世代を「いい子症候群」と呼ぶ。不当に褒められる、不当に与えられる、そういう状況に居心地の悪さを感じ、平等で競争のない状況を好むのだという。
たとえばホールケーキをサークルのグループで分けるとき。「いい子症候群」の若者は、大きいケーキと小さいケーキがあることを嫌がるという。
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いい子症候群の若者たちは、とにかく差がつく状況が苦手であり、特に過敏に反応するのが「自分だけが何らかの利益を得る」状態だ。
円形をきっちり11等分しようとするのも、少なくなった人がかわいそうというより(その人自身は全然気にしない)、多くなった人の気まずさを意識してのものだ。
(金間大介『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』)
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なぜ平等を好むのか? 金間はこれを現代の不況や閉塞感からくるものとして説明していたが、私はここにも「報われ度」の感覚を見出したくなってしまう。つまり、誰か一人だけ「報われ度」の不平等があることの居心地の悪さを感じているのではないか。
「報われる」とはつまり、本来与えられるべき量が実際に与えられる、という状態でもある。だとすれば、いい子症候群の若者たちは、本来与えられるべきケーキの量が実際に与えられていない状態に強烈なNOを感じてしまうのではないか。
ただ自分がケーキを味わうだけではなく、他人と比較してケーキがどれだけ与えられたかに関心を払ってしまう。――これがいまの世代の特徴なのである。金間が伝えたかった点もそういうことだろう。
『ようこそ!FACTへ』においても、自己啓発セミナーの教師が、渡辺に対し「同世代との比較」で惨めさを強調する場面が登場する。つまり他人と比較せよ、と説くのだ。
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「同い年が車代に悩む時、君はジュース代に悩み、同い年がマイホームに悩む時、君はジュース代に悩み、同い年が子供の学費に悩む時、君はジュース代に悩む」
(『ようこそ!FACTへ』1巻)
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他人と比較し、自分の報われなさを知る。――ここから渡辺の物語は始まる。こうして引用しているだけでも胸が切り刻まれるような心地になる場面だが、同世代と比較することで、彼は「ジュース代から成長しない」ことを知るのである。
実際、彼のバイトは食肉の冷蔵倉庫の積み下ろしだ。冷凍肉の積み下ろしは永遠に続き、仕事は日々何も変わらない。成長の実感も何もない職場である。
「成長」。それさえあれば渡辺は救われたのだろうか。努力が報われる場所に向かうことができるような、成長できる実感をもてるような仕事があれば。――『ようこそ!FACTへ』が示す、渡辺の仕事に存在しなかった、「成長」。じつは、それはいま最も若い世代が求めるものだと言われている。
就職みらい研究所「就職プロセス調査(2025年卒)」(2024年実施)によれば、民間企業への就職確定者に就職先を確定する際に決め手となった項目で最も高いものは、「自らの成長が期待できる」(49.1%)だった。
――アンケートではあるにせよ、就職の決め手として、福利厚生や勤務地や安定性よりも「成長」を求めているのだという。しかも2023年卒、2024年卒でも同様に、「成長」は就職の決め手のトップである。
まあ、成長したいのはいいことだしそりゃそうだと思うのだが、本当にそうなのだろうか。たとえば同調査の項目で「会社・団体で働く人が自分に合っている」(28%)、「裁量権のある仕事ができる」(9.6%)よりもずっと「成長」のほうが求められているのだ。
そしてこのような傾向は、就職したあとも続いている。リクルートワークス研究所主任研究員の古屋星斗は『ゆるい職場 若者の不安の知られざる理由』(中公新書ラクレ、2022年)でそう語る。就職した会社を辞め、転職する際の理由も、「職場がゆるくてやめる」という若者が増えたのだという。
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私はこの「職場がゆるくて辞める」状況を、「不満型転職から、不安型転職へ変わった」と理解している。(中略)かつての日本企業で当たり前にあったネガティブな感情、会社や職場への「不満」はなくなりつつある。しかし問題は、「不安」が高まっているということであり、特にキャリア不安にその源泉がある可能性はすでに指摘した。
(古屋星斗『ゆるい職場』)
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この職場で仕事を続けていたら、転職できなくなっていくのではないか。同世代と比べて差をつけられているのではないか。この不安こそが、「成長」を求めた転職に追い立てる。
たしかに「なぜ成長を求めるのか?」を考えると、成長しないと不安だからだろう。仕事をし続けられるのか、自分だけ周りから追いていかれていないのか。そのような不安が、成長を駆り立てさせる。
とくに「知人に差をつけられる」不安について、古屋は『会社はあなたを育ててくれない〜「機会」と「時間」をつくり出す働きかたのデザイン』(大和書房、2024年)において以下のように解説する。
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「成長」や「機会」、「経験」が仕事を選ぶ際に重視するポイントである、という若手が多いという各種調査もありますが、私はこれは「若手の意識が高くなった」とか「ギラギラしてきた」ということではないと考えています。
それは、「横並びの成長欲求」です。まわりが変化している、選択をしている。リアルタイムでその情報が入ってくるわけですから、じゃあ自分もできるんじゃないか、となるのは当然ですし、それに伴い焦りや嫉妬を感じることもあるでしょう。(中略)会社の幹部の人から入社式などで「焦らなくてもいいんだよ」「じっくり頑張っていこう」と言われたことがあるかもしれません。もちろん不安に思ったり焦ったりする必要は全くありません。しかし、情報があふれる社会において「自分は自分だ」と焦らずにいることは、どれほど難しいことでしょう。どれほどの経験を積めばそう思えることでしょう。
(古屋星斗『会社はあなたを育ててくれない』)
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横並びの成長欲求。まさに、ケーキの取り分はみんな同じがいい、と思う若者と同様の風景だ。不当に少なくも、多くも、なりたくない。成長し、皆と同じような取り分を得ていたい。
思えば、たしかに『ようこそ!FACTへ』の渡辺も、陰謀論にハマる契機は、同世代の飯山が自分と明らかに異なる社会階層にいることを実感してからだった。つまり、同世代の人間が横並びではないことに気づき、焦りを覚え、彼は陰謀論にハマるようになったのだ。
もちろん、同世代の動向が気になるなんて、いまの若者に限った話ではない。いつの時代も、友達と自分を比較し惨めになる瞬間はある。
たとえば、安野モヨコ『働きマン』(講談社、2004〜2008年)においても、働いていたスーパーを辞めて休職中の男性・岡部が登場していた(4巻)。
28歳で彼は肉の生産元を偽装していた職場に対し、抗議の末に辞めることになってしまった。親からの仕送り15万円で暮らしている彼は、当時の言葉でいえば「ニート」になっている自分のことを受け入れられてはいない。親の会社を継ごうとしている兄と比較し、仕事をしていない自分を「いつまでもこのままじゃいけない」と思っているのだった。彼は、作中のモノローグで以下のように評される。
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「誠実すぎて手を抜けず 不器用だから割りをくう そういう人達が」
(『働きマン』4巻)
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誠実に努力しているのに、割をくっている。会社の食品偽装を指摘しただけなのに、決して良い顔をされない。同世代が仕事を全うしているのに、自分はそこに辿り着くことができない。
――いまから約20年前に刊行された漫画でも、やはりそのような風景は描かれていた。
しかし、『働きマン』の時代は、仕事をしている実感に「やりがい」を求めていた。
たとえば、主人公である雑誌編集者の松方弘子は、仕事に対して「仕事してて最高に気持ちいい瞬間」「どれもやってて楽しい!!」(1巻)など、気持ちよさや楽しさを語る。それは仕事という行為に対する実感である。そして仕事について迷うときも、「でもあたしのやりたい事ってこれだっけ?」「結局好きな事をやるためには目の前の課題をやるしか無いのか」(4巻)など、自分がやりたいことをやる、好きなことをやる、という行為に対しての悩みを語る。
つまり、松方にとって仕事とは気持ちよさや好きといった実感の先にあるものである。これはいわば「やりがい」と呼ばれる実感のことだろう。
マイナビ実施「大学生就職意識調査」によれば、企業選択において2001年時点で「自分のやりたい仕事(職種)ができる会社」が48.2%(首位)でほぼ半数が選んでいたのに対し、2024年時点では28.6%とかなり落ち込んでいる。「やりたい仕事」はこの20年間で、仕事の夢ではなくなっている。代わりに「安定している会社」が伸び、そして先ほど見たみらい研究所実施の調査によれば「成長」も伸びつつある。
要するに、仕事に求めるものが「やりがい」から「成長」「安定」に変化している。
この理由は、今まで見てきたとおり、「やりがい」よりも「成長」「安定」のほうが「報われやすい」からではないだろうか。
仕事のやりがい=報われにくい
仕事の成長・安定=報われやすい
やりたい仕事をやることは、楽しい、嬉しい、という実感をもたらす。しかし、目に見える報われた証は残らない。ただ自分の感情や実感が残るだけだ。
一方、成長できる仕事をしたり、安定した企業に入ったりすることは、目に見える報われた証――たとえば数値化された実績や給料や転職の履歴書に書ける項目――が残る。
『働きマン』の松方は、「何のために仕事をするのか」と何度も自分に問いかける。作中、一人の男性が「自分の為」であると答える。自分の楽しさや自分の気持ちよさを実感するため。それはたしかに、仕事をする意味の一つだろう。
しかしその先に――楽しさや気持ちよさを実感した先に――何も残っていないと、不安なのだ。古屋が『ゆるい職場』『会社はあなたを育ててくれない』で語っていたのは、そういうことだった。報われた証が残っていないと、成長や安定という数値で見せてくれないと、不安になってしまう。
頑張った意味がなかったのではないか。そう感じてしまうのだ。
思えば『ようこそ!FACTへ』の渡辺も、「自分がここにいる意味」を求めて陰謀論の勉強に勤しんでいた。偶然ではなく意味がほしい。だが本当は、世界に意味なんてほとんど存在しない。その事実を渡辺は受け入れられない。
『働きマン』は、そんな世界に対して「意味なんてなくてもいい」と提示する。
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「仕事とかプライドとか礼儀とか真面目にやることとか常識とかさまざまなこと
それの7割は無意味だ いや訂正 意味などそもそも なくてもいいのだ」
(『働きマン』1巻)
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意味がなくても、生きていくために、ある人はラーメンを食べ、ある人は仕事をして、ある人は何かを学ぼうとする。しかしそのラーメンも仕事も勉強も、「おいしい」や「楽しい」という行為そのものの実感が存在するから、意味に対抗することができる。
夕焼けがきれいだとか、誰かが好きだとか、実感こそが、意味に対抗できる。『ようこそ!FACTへ』もそういう物語だったはずだ。
だが、行為の実感よりも、行為が結果として報われるかどうかという意味付けのほうが、強くなってしまっている。――私たちが生きている世界はいま、そうなっているのかもしれない。
いまや、行為の実感だけでは足りない。行為をした意味がないと、報われないのだ。
]]>日本には、大手飲食チェーンに引けを取らない"ローカルチェーン"が各地に存在します。ライターの辰井裕紀さんは、2021年8月刊行の著書『強くてうまい!ローカル飲食チェーン』で、地域で長年繁盛してきた7つの店を紹介しています。
そのひとつ、福田パンは岩手県盛岡市発祥のコッペパン専門店。80年近く地元で愛され続け、「コッペパンブーム」の火付け役にもなりました。なぜこれほどまでに長く支持されてきたのか――書籍からその理由を詳しくご紹介します。
※(注記)本稿は、辰井裕紀著『強くてうまい!ローカル飲食チェーン』(PHPビジネス新書)より内容を一部抜粋・編集したものです
※(注記)本記事に記載のメニューや価格は、書籍発刊当時(2021年8月)の情報です。現在とは異なる場合があります。
[画像:国産イースト開発の草分け 「マルキイースト研究所」 にいた福田留吉]
国産イースト開発の草分け「マルキイースト研究所」にいた福田留吉
1948年に岩手県盛岡市で誕生した「福田パン」。長らく地元民に愛され、近年では「コッペパンブーム」の火付け役となり、東北ローカルフードの代表的な存在になった。
その場でパンを作ってくれる、対面式の直営店が3店。そのほか、盛岡市周辺のスーパーや個人商店、さらには高校・大学の購買などの多くでお目にかかれる、きわめてポピュラーな存在だ。
岩手出身のタレント・福田萌さんも「盛岡市民なら、それぞれがオリジナルのトッピングを心に秘めている」と語り、福田パンを愛す。
平日は1日1万個、休日は1万5000個ほどが製造される福田パン。その歴史のページを開いたのは、当時
41歳の初代・福田留吉氏である。彼の半生は波瀾万丈だ。
農学校時代に農学者で詩人の宮澤賢治に教えを受けたのち、賢治の推薦により、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)に勤務する。そのあとに日本初の生イーストを生み、東洋一の大工場をもつ大阪の製パン会社・マルキ号にて日本最先端を行く発酵研究を重ねた。
戦時中には国家総動員法により、留吉は航空兵の携帯食糧を研究する。戦後に岩手へ帰り、進駐軍向けの製パン工場で監督を務めた。
福田パンは、そんな日本のパン作りの礎を築いたひとりが開いた店だったのだ。
[画像:学校の購買で礎を築いた恩から、学校風の店構えに]
学校の購買で礎を築いた恩から、学校風の店構えに
留吉の夢を継ぎ、岩手県内で大輪の花を咲かせた福田パン。そのホームタウン、盛岡へ夜行バスでたどり着く。
薄闇の雄大な岩手山に見守られながら、長田町本店は朝7時にオープンする。
取材前のおしのびで7時10分ごろに足を運ぶと、すでにお客さんがひっきりなしに訪れ、慣れた感じで注文していた。
店員さんはまさしく「朝メシ前」といった風に軽々とパンにクリームを塗って袋に入れ、早々と提供してくれる。筆者は1番人気の「あんバター(159円)」を注文。盛岡駅の駅前広場まで戻り、岩手県産の牛乳とともに食べた。
パンを口に含んだ瞬間、塩気のような味わいを大いに感じる。サンド用のパンは、具材を際立たせる「黒子」のように、食感の演出に徹するものが多いなかで、意外。しかしこれがまた滋味に富む風味だ。
そして「こんなに入っていていいの?」と心配するくらいに、クリームが端から端までみっちり入っている。これほどクリームの入ったパンを初めて食べた。
そのクリームはとにかく豊潤で、「甘い」というよりも「気持ちいい」味。コッテリしたバターに加えて、もっちりと食べごたえがあるパンを満足感とともに完食した。
[画像:盛岡駅に近い福田パン長田 町本店]
盛岡駅に近い福田パン長田町本店
盛岡駅にも福田パンの販売店があったので、思わず「粒入りピーナツ(210円、直営店では169円)」も買った。
こちらはさらにバターの味わいが濃厚でたまらない。一気に2個食べ終えてしまったあとも、口にパワフルな余韻が残った。このバターのコク、大いに中毒性がある。
これはいよいよ取材で聞くしかない。昼にもう一度本店へお邪魔し、今度は社長の福田潔氏とともに、お店をじっくり見せてもらった。
[画像:まさかの「ダブルソフト」 が福田パンを変えた]
まさかの「ダブルソフト」が福田パンを変えた
福田パンは、ある商品の誕生がきっかけでパンがやわらかくなった。「ダブルソフト(山崎製パン)」だ。
1989年の発売当時を生きた人にとって、ダブルソフトは衝撃だった。カルチャーショックなほどのやわらかさで、マーガリンをまんべんなく塗ると、とびっきりのおいしさだった。筆者も大好きだったが、親が「ふわふわすぎて怖い」なる理由であまり買ってくれずに涙をのんだ。
「その前はもう少し硬いパンだったんです。でもダブルソフトを食べてから、これからは『パン=ソフト』の流れがくると思って、少しやわらかくしました」
年配のお客さんに『昔のほうがいい』と言われることもあった。しかし、麺類でも水分量が多くてやわらかい麺がウケるなど、しっとりやソフトな食べ物が愛される流れを受けて、やわらかめのパンにしている。
「でも、ずっとそれが続くわけではないですし、最近は『何回か嚙んだときの歯ごたえが欲しい』と思いまして。昔ほど硬くはしませんが、ぎゅっと嚙めば味が出るように、10年ぐらいかけて少しずつ変えたいんです。トレンドを読むというより、自分が食べていてそう思うんですよね」
さらなる高齢化を見据えて、パンをのどに詰まらせないよう、嚙んだときにバラバラになるようなパンも研究中だ。
[画像:カレー。ポテ トサラダがふんだんに入っ て、ジャガイモ入りカレー のような風合いでおいしい]
カレー(280円)。ポテトサラダがふんだんに入って、ジャガイモ入りカレーのような風合いでおいしい
「うちのパンは、中種をより長時間寝かせる『中種法』という製法で風味を増します。より長時間寝かせることで、嚙んだときの香りがよく出ますね。しっとり感も増しますし、『機械耐性』も向上します」
機械耐性とは。
「パンの生地はデリケートでして。手で生地を切る際、町のパン屋さんが使うスケッパーは縦に落とすだけで、それほどダメージがないんです。ところが機械だとぐいっと強く押し出すので、全体に圧がかかってダメージを受けやすい。1万個の全工程を手でやるのは不可能ですので、機械に耐えうる生地が必要なんです」
ちなみに、福田パンの惣菜パンには、これでもかと「ポテトサラダ」がメイン具材とともに入る。なぜか。
「かさ増しです(笑)。ただ、単品の具材を入れすぎるとくどくて飽きちゃうものもあるし、少なくても物足りない。そこで、どんな具材にも合うポテトサラダを一緒に挟み込みます。片面にはメインの具材、片面にはポテトサラダを塗っておなかいっぱいになれますね」
たしかに、ポテトサラダで具材の味の強さが中和されて食べ疲れしない。具材はすべて、信頼するメーカーに作ってもらう。
要望を出しながら理想に近づけ、納得のいくものができたら数十年同じものを使うのも多い。
「ポテトサラダもいろんなメーカーさんが取り扱う数百種類から、塗りやすさ、挟みやすさと味で選び、ずっと同じものを使います」
[画像:福田パン]
口に含むと、ほんのり塩気を感じるパン。パンだけ食べても十分な味わいがある。
「うちのパンは味が濃いです。サンドイッチのような何かを挟むパンって、味を少し薄めにして具材を引き立たせるんですけど、うちは、パンの味を主張させたうえで具材と合うようにします。なので、中身の味もしっかりさせますね」
じつは何も挟まないコッペパンも100円で販売されている。家庭で食卓のおかずを挟むなどして食べられるほか、学生にはそのまま食べるものとして人気だった。
「『よそと違う味』といい意味で語ってくださいますし、パンだけでもおいしいと言ってもらえるのはすごくうれしいです」
]]>「一生治らない」「一生苦しむんだ」
中学生で統合失調症を発症した だいだいさんは絶望的な気分になり、何度も「死にたい」と考えたそうです。
それでも「もうこの病から逃げられることはない」「この病と上手につきあっていくほかに、生きていくことはできない」と考え、自らの病気からくるつらい症状をうまく解消する方法を探し始めました。
そして、生み出した300以上の解消法の中から、効果の高かった100個を精神科医の樺沢紫苑先生の監修のもと『生きづらさを解消する方法を100通り試してみた。』として書籍にまとめられました。
本稿では、その100個の解消法の中から「57.一人合宿」と「65.散歩」について解説頂きます。
※(注記)本記事は、だいだい著,樺沢紫苑監修『生きづらさを解消する方法を100通り試してみた。』(総合法令出版)の一部を再編集したものです
[画像:一人合宿]
精神疾患を患うと、今までできていたことができなくなります。わたしは、計算や人の顔と名前を覚えるのが苦手になり、電車にも乗れなくなりました。その影響は大きなものでした。
そこで、多くの人は「病気だから」と、自分のやりたいことをあきらめてしまいがち。ですが、病気でもできることは確実にあります。わたしは病気になっても、言語は扱えたので詩やエッセイを書くことができます。
指先も動いたので、手芸や工作もできるのです。
「何もかもできない」と最初からあきらめるのは大間違い。少しでも
「できること」に目を向けて、自分の「やりたいこと」を見つけましょう。
見つけた「やりたいこと」をとことん突き詰めるために、あえて一人になるのも手。わたしの場合、書くことを突き詰めて、今こうして執筆しています。それがあなたの救いにつながることもありますから!
【やり方】
1.一人になれる場所に行く
ビジネスホテル、マンガ喫茶の一室など。
2.作業に没頭する
わたしの場合、ノートに考えていることを書き殴ります。
このとき、スマホの電源などは切っておくことをおすすめします。
3.心ゆくまで合宿する
一泊するもよし、日帰りするもよし、何泊かしてみるのもいいでしょう。時間とお金が許す限り打ち込んでみてください。
【発展・応用】
一人合宿については『自分を変えるノート術』(安田修・明日香出版社)を参照してみてください。
【効能】
1.人に会わず、雑事に気を取られることがない
一人合宿は基本的に誰にも会わず、部屋にこもります。孤独を満喫できることに加えて、スマホの電源を切って外部との交流・情報をシャットダウンすると、自分のやりたいことに没頭できるでしょう。
2.自分のやりたいことに熱中できる
誰にも会わず、雑事にも気を取られない時間と環境を用意できれば、自分のやりたいことだけに集中できます。今までやりたかったこと、やらなければならないことを一気に遂行できるのです。そんな贅沢な時間を味わえることは、そうありません。ぜひ堪能してみてください。
3.自分を見つめ直す時間を持てる
わたしは一人合宿を行う中で、自然に「自分とは何なのか」が見えてくることがあります。一人で作業していると「ちょっと寂しい」とか「この作業をもっとやりたい」とか、今までにない自分に気づくことができます。普通に生活していては気づけない自分の一面に気づくでしょう。
【アドバイス】
一人合宿をするときは、前もって身の回りの人に「ちょっとこの時間は連絡が取れなくなるけど心配しないで」と伝えておきましょう。連絡が取れなくてトラブルになったり、余計な心配をかけずに済みます。
[画像:散歩]
わたしは、何か行き詰まりを感じたり、感情が暴走しそうになったりしたら、すぐに「散歩」に出かけるようにしています。散歩はカントやゲーテ、ダーウィンといった偉人も取り入れていた気分転換の方法です。
朝食前や昼食後に行うなど、散歩を習慣にするといいでしょう。ひたすら歩くのもいいですし、周りの風景をゆっくり眺めながら行う散歩でもいいです。自分の気分に合わせて行ってください。お散歩ルートをいくつか用意しておくとマンネリを感じることなく続けられます。気軽に始められるのでぜひ、生活の中に取り入れてみてください。
【やり方】
1.散歩のルートを決める
事前にルートを決めておくのをおすすめします。わたしは5つほどルートを決めておき、「自然鑑賞コース」「淡々と歩くコース」「川沿いコース」「ご先祖様に祈るコース」「街中コース」など、気分に合わせてルートを変えています。
2.外に出て、お散歩開始
スマホやカメラを持っていくと気になった景色を撮影でき、おすすめです。
3.軽く早めのテンポで歩く
【発展・応用】
散歩をするのは、はじめは10〜15分くらいが目安です。ただ、自分の気分と体調に合わせて行ってください。わたしは最長8時間ほど散歩をしたことがありますが、そこまでやったら自分にすごく自信がつきました。ただ、足がとても痛くなったので安易にまねはしないようにしてください。
【効能】
1.気持ちを落ち着かせる
散歩は気分転換に最適です。今までいた場所から離れ、それまでとは違った環境に身を置きます。そして、テンポよく体を動かすので、凝り固まった筋肉もほぐれていくでしょう。少しずつ冷静さを取り戻せます。また、一定のリズムで歩くことで、幸福物質のセロトニンが活性化するそうです。
2.新しい視点を得る
感情的になったり、自己嫌悪に陥ってしまったりしたときは、散歩をしながら頭の中で状況を整理しましょう。歩いていると先ほどまで考えていたこととは違った考えや見方が生まれたりすることがあります。
「さっき怒りそうになったのはなぜだったのか?」「感情的に行動しそうになった理由はなんだろう......」と、自分のしたことを振り返るのにもちょうどいいでしょう。止まって考えるより、動いて考えるほうがいろいろな角度から物事を考えられます。
【アドバイス】
散歩中に、思いがけないアイデアがひらめくことがあります。そのアイデアが意外と自分の生きづらさ解消に役立つものです。メモ帳や筆記用具を持っておくと、いざという時にメモができ、アイデアを忘れずに済みます。スマホでメモしておくのもOK です。
あなたは毎日、どんな食事をしていますか? 何を食べるかで、体の老化が早まったり、疲労を感じやすくなってしまう可能性があります。本稿では、疲れにくい体づくりに役立つ情報を『休養ベスト100』よりご紹介します。
※(注記)本稿は、加藤浩晃著『休養ベスト100 科学的根拠に基づく戦略的に休むスキル』(日経BP)を一部抜粋・編集したものです。
疲れにくい体、あるいは、病気になりにくい体をつくるには、食べ物に関する知識が重要になってきます。極力避けたい食品と積極的にとりたい食品を見極めることで、長期的に見ると大きな差につながります。
●くろまる食べ物の効用に関する知識を持つことは大切
体を老けさせるものとしてよく取り上げられるのは、以下の食品です。
・ソーセージやハムなどの加工肉
・加工食品
・白砂糖を使った食品
・菓子類
・清涼飲料水
・ファストフード
・白米
・小麦
こうした食品を多くとると、体内で糖化という現象が起きやすくなり、AGE(終末糖化産物)と呼ばれる老化を促進する物質が生成されます。AGEは分解されにくいために体内に蓄積して老化を進める原因となってしまうのです。
一方で、抗酸化や抗糖化の作用があり、積極的に食べることがすすめられるのは、以下の食品です。
・海藻類
・キノコ類
・納豆などの発酵食品
・ブロッコリーなどのアブラナ科野菜
もっとも、糖化にはさまざまな原因があり、食生活のみならず生活習慣全般の見直しが大切です。それでも、こうした知識を持つことで、少しでも体を老けさせないようにする助けになります。
極力避けたい食品と積極的にとりたい食品の知識を持つことで、日々の食事における小さな選択が変わります。それが積もり積もって、長期的には健康的な体をつくるのにつながると思っています。
食事制限で問題なのは、極端に厳しくすると長続きしないということです。ダイエットのリバウンドのように、反動が起きる恐れもあります。例えば、甘いものを厳しく制限していると、ある時点で我慢ができなくなってお菓子のドカ食いをする、といったことになりかねません。
完璧な食事は難しいと私も実感しています。白米や小麦を完全に排除するのは現実的ではありません。せめて、玄米や全粒粉のパンを選ぶ頻度を増やす、加工食品よりも生鮮食品を優先する、ビールをガブ飲みする代わりに本物の果汁を入れたアルコール度数の低いレモンサワーにする、といった緩やかな置き換えを心がけています。
完璧を目指すのではなく、8割は理想的な食事を心がけ、残りの2割は楽しみのためにちょっと不健康でも許容するのが私の考え方です。2割だけでも好きなものを食べることで、満足度はかなり高くなると感じています。それにより、ストレスなく健康的な食生活を続けられると思います。
私たちが生きていくうえで欠かせない「必須ミネラル」は16種類あり、中でも亜鉛は現代人が不足しがちなミネラルといってよいでしょう。
亜鉛は、体内には約2g存在する微量ミネラルで、細胞分裂が活発な組織に豊富に存在しています。その役割は、酵素の活性化、たんぱく質の合成、ホルモンの分泌、免疫機構の調整など、日常生活の質を高める200種類以上の酵素反応に関わっています。
しかし、現代人は食生活の変化や生活習慣の乱れにより、亜鉛が不足している人が多いのが実情です。特に食品添加物によって亜鉛の吸収が阻害されることもあり、加工食品を中心とした食生活を送っている人は亜鉛が不足しがちです。
亜鉛が不足すると、日常生活にさまざまな不調を引き起こします。味覚が鈍くなったり、風邪を引きやすくなったり、皮膚や髪の毛の状態が悪くなったりするのは、亜鉛不足のサインである可能性があります。カキやナッツ、大豆製品に多く含まれる
亜鉛を多く含む食品として代表的なものは以下です。
・カキ
・レバー
・アーモンドなどのナッツ類
・納豆や豆腐などの大豆製品
・卵
特にカキは「亜鉛の王様」とも呼ばれており、冬の季節には私も積極的に食べています。
忙しい日々の中で食事だけでは十分な量を確保できないのであれば、亜鉛のサプリメントで補うとよいでしょう。私も亜鉛のサプリを定期的に飲んでいます。
サプリは目安量を守ることが大切です。食品で亜鉛をとりすぎる心配はまずありませんが、サプリや亜鉛強化食品を大量にとると過剰摂取になって、吐き気、下痢、頭痛、免疫機能低下などの症状を引き起こす恐れがあるので注意が必要です。
【加藤浩晃(かとう・ひろあき)】
デジタルハリウッド大学大学院特任教授。東京科学大学医学部臨床教授。アイリス株式会社共同創業者・取締役副社長CSO。
2007年、浜松医科大学卒業。眼科専門医として1500件以上の手術を執刀し、白内障手術器具や眼科遠隔医療サービスを開発。2016年、厚生労働省医政局研究開発振興課に勤務。2017年、AI医療機器開発企業であるアイリス株式会社を共同創業し、取締役副社長兼CSO(最高戦略責任者)に就任。2021年、一橋ビジネススクールにてMBA取得。医療現場、医療制度、ビジネスという3つの領域を経験し、横断的に理解することで医療領域全般の新規事業開発支援を行う。大企業やベンチャーの顧問・アドバイザー・取締役も務める。著書に『医療4.0』『医療4.0実践編』(いずれも日経BP)、編著に『医療×起業』『デジタルヘルストレンド』(いずれもメディカ出版)など多数。
日本の教育界はいま、明治時代以来およそ150年ぶりの大転換期を迎えています。この流れは日本にとどまらず、世界中で起こっている現象であり、その背景にあるのは、現在進行中の「情報革命」といわれています。
そんな大転換期にある教育現場の今、少子化であるにも関わらず過熱化する中学受験の構造について、日本最大級の教育イベント創設者・大学特任准教授・学校法人理事など、さまざまな立場や役割で教育に関わっている宮田純也さんに解説していただきます。
※(注記)本稿は宮田純也著『教育ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)より一部を抜粋編集したものです。
2024年は首都圏に在学する小学生の5.5人に1人が中学受験をしました(「首都圏模試センター」の集計から推定)。
少子化トレンドのなかで首都圏1都3県の小学校に2024年に在籍する6年生の数は2023年より約5000人少なくなっています。それでも2014年から中学受験の受験率は10年連続で伸びています。さらに、学習塾に通わせる年齢も低年齢化の一途を辿っていると言われています。
大学の入試形態は多様化しているにもかかわらず、首都圏の中学受験形態は学力試験が多くを占めています。
なぜ「大学全入時代」を迎えようとしているにもかかわらず、このようなことになっているのでしょうか。理由は大きく分けて3つあります。
1「ゆとり教育」など教育改革施策に関連する公立学校教育への不信感・不安感
2コロナ禍での対応格差により、公立より私立のほうがよかったと評価されたこと
3私立のほうが新たな大学入試の内容に対応しやすいと評価されていること
ここからわかることは、私学がおこなってきた努力が功を制して世間に評価されたということでしょう。ちなみに個人的には、私立中学受験は学習塾産業にとって重要な収入源であるため、学校説明会など私学と学習塾産業が協力し、また、進学系雑誌やWEBメディアなどの業界メディアも一緒になってこの傾向を加速させている側面もあるのではないかと推測しています。
その成果なのか、最近はいわゆる学力上位層が難関校を目指して受験するだけではなく、学力中位・下位層も受験する層が増えていると言われています。このように、よりよい教育が受けられる環境を求める層が増えており、その結果として中学受験は過熱化していると考えられます。
フランスの哲学者リオタールはかつて、著書『ポスト・モダンの条件』のなかで「大きな物語の終焉」について語りました。近代社会特有の世界観・人間観が崩れていくという趣旨で、これからは小さな物語が無数に出てきて、複雑で多様な時代になると指摘したのです。
日本社会で言えば、よい大学・よい会社に入るといった多くの人の共通の目標が崩れるということです。従来のようにただ偏差値がより高い学校に入れるということではなく、「よい」ということも多義化している時代になっています。
ちょうど現在の中学受験を経験する親世代は、社会の変化のうねりが強くなる前に学校教育を経て社会に出た世代だと言えます。そんななかで、過熱化する受験に飲み込まれずに自らの教育観を確立し、中学受験をあくまでよりよい人生を歩むための選択肢のひとつとして活用していくにはどうすればいいでしょうか。
「学校とはこういうもの」「勉強とはこういうもの」という自分の前提を疑い、子どもと一緒に学び合って認識と行動を変えていくことが大切なのではないでしょうか。
さまざまな学びのニーズへ応えるために塾業界では多様化が進み、勉強を教えない塾まで登場しています。
「STEAM教育」が、各教科での学習を実社会での問題発見・解決に活かしていくための教科横断的な教育として文部科学省によって学校教育でも推進されることになっています。
これは、科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、芸術(Art)、数学(Mathematics)の5つの分野を統合的に学ぶものです。
なお、ここでいう「Art」は、文部科学省の文脈では、芸術だけでなく、生活・経済・法律・政治・倫理などを含めたリベラルアーツとして定義されています。
この教育方法は探究学習とも結びつき、学びの形を大きく変え、中学受験でも「STEAM入試」のように入試形態としても取り入れる私学が増えている傾向にあります。
また、STEAMをひとつの切り口として、従来のような座学中心の学習塾もさらなる多様化・専門分化を遂げています。
たとえば、プログラミングに特化してプログラミングを子どもに教える塾、「プログラミング×英語」などプログラミングに何かを掛け合わせて提供する塾、ドローンを用いた教育活動を提供する塾、自然科学体験を通して教育活動をおこなう塾など多様な形態が現れています。
STEAM以外にも、授業がないことを売りにする大学受験対策、子どもの好奇心を育てることに特化し、勉強も受験対策も教えない塾、完全オンラインで完結する塾などユニークな塾が現れています。他にもスポーツや音楽、外国語に特化するなど多種多様です。
さらに、AI技術を活用した個別最適型の学びを実現するシステムや製品が採用されることも増えています。
これまでは杉並・和田中の「夜間塾」のように、授業後に学校へ学習塾を入れ、希望者へ通常の半額程度の授業料で塾の進学指導が受けられるようにする改革が物議を醸すなど、学校と塾は関係しているのに水と油の関係になっていました。
しかし、学校自体も教育が変わっており、さらにテクノロジーの進歩によって学習基盤自体が学校と塾で同じものが利用される事例も出てきています。
学習内容や形態は変わっても、学校教育を補完し、専門性を活かして学校教育ではできないが需要の高い教育を提供する学習塾の存在意義は失われていません。
それどころか、ますます多様化する教育需要に対して高まっていくことが推測できます。学習塾の多様化はより一層その勢いを増していくことでしょう。
]]>2011年にドイツ政府が産業政策「Industry4.0(インダストリー4.0)」を発表したことで、世界の主要各国が「第4次産業革命」を意識し始めました。この中で、欧米や中国と比較して、デジタル化の遅れが指摘されている日本はどのように変化することが求められているのでしょうか。書籍『機械ビジネス』より解説します。
※(注記)本稿は、那須直美著『機械ビジネス メカ好きな人から専門家まで楽しく読める機械の教養』(クロスメディア・パブリッシング)を一部抜粋・編集したものです。
国民が物質的な豊かさを追求した時代、製造業では工場の増設や新設が盛んに行われ、見込み受注による大量生産で新商品の市場投入がなされていました。しかし、バブル崩壊後は製造業も規模拡大経営を見直し、膨れ上がった債務・設備・雇用の3つをスリム化し、事業を再構築する必要がありました。
1990年代は顧客ニーズにも変化が起きました。生産体制も変化の激しい時代に対応するため、多品種少量生産に入るとともに、過剰在庫の調整にも取り組みました。
そして、閉塞感の打開にもがき苦しんでいた2011年に、製造業界に突如として現れたトレンドワードがあります。ドイツの国家プロジェクトであり、「スマート工場」を目的とした「インダストリー4.0」です。
スマート工場のコアとなるのは、人や機械などがお互いにつながる(通信する)ことで、「各製品がいつ製造され、どこに納品されるか」などの情報を共有しながら、製造工程をスムーズにすることです。この技術が進めば、自動化・省人化・省力化が実現し、多品種少量生産でも効率よく生産できるメリットがあります。
インダストリー4.0が提唱されたあと、フランスの「未来産業(Industrie du Futur)」、中国の「中国製造2025」など、世界の主要国が明確な旗を立てて、立て続けに「ものづくりの未来」についてアピールする動きが出てきました。
日本も2017年に、わが国の産業が目指す姿として、「コネクテッド・インダストリーズ」というコンセプトを世界に発信しています。
第4次産業革命を意識した新たな方針である「コネクテッド・インダストリーズ」の鍵を握る技術としては、1IoT、2ビッグデータ、3ロボット、4AI、の4つが挙げられています。
日本発のこのコンセプトは、4つの技術を強化しながら、データを介して機械・技術・人などさまざまな要素がつながることで、新たな付加価値創出と社会課題の解決を目指す産業のあり方を指します。また日本では、これらと同様の手法を活用した「Society5.0」(超スマート社会)という目標があります。
「Society5.0」は、狩猟社会(Society1.0)、農耕社会(Society2.0)、工業社会(Society3.0)、情報社会(Society4.0)に続く新たな社会と位置づけられています。
その未来の社会像は、持続可能性と強靭性を備え、国民の安全と安心を確保するとともに、1人ひとりが多様な幸せ(well-being)を実現できる社会を目指しています。第4次産業革命は大きな「技術・産業の変化」ですが、「Sosiety5.0」は大きな「社会の変化」を意味しています。
現在、世界中で地政学リスクが顕在化し、機械工業もSDGs(持続可能な開発目標)への対応や産業構造の変化、エネルギーコストの上昇、少子高齢化・労働人口減少など課題が山積みです。
各産業のニーズも多様化・複雑化し、これらを解決に導くためには、機械工業のデジタル化やさらなる最先端技術の開発は必須です。現在、中国をはじめとする新興国では、機械工業が急速に発展していますが、日本では今、各産業も含めて社会全体のシステムが変わろうとしているのです。
産業ニーズの多様化に対応するには、デジタル化が重要な役割を果たしますが、日本では残念ながら米国や欧州、中国の企業と比べて、デジタル化の遅れが指摘されています。データは蓄積することでビッグデータとなり、そのビッグデータをAIやIoTなどのデジタル技術とかけ合わせることで、DX推進へとつながっていきます。
そのためには、サーバーや通信回線、機器類などを含め、設備投資をして環境を整えるための莫大な費用が必要になります。
また、DX用に欠かせないのは、IT人材です。経済産業省がIT人材の供給モデルを構築し、既存の統計調査のデータをもとにIT人材の推計を行ったところ、平均年齢は2030年まで上昇の一途をたどり、高齢化の進展が予想されるとのこと。
99%以上が中小企業の日本は、労働集約型の産業が多く、人手不足が深刻化しており、2030年までのIT人材不足数を推計すると、将来的に40万〜80万人規模で不足が生じる懸念があるとされています。
なお、聞いた話ですが、町工場の経営者にDXについての現状をお尋ねしたところ、「うちはDXをしています」と話されていたので、「では、どんな点についてDXを推進しましたか」と質問してみると、「タイムカードを廃止した」という答えが返ってきたと言います。この話を受けて、日本の製造業にはDXがまだまだ浸透していないことに気づかされました。
ただ、DX化よりもさらに重要な点があります。
日本発の素晴らしい技術を搭載した商品はたくさんありますが、国際競争は熾烈を極め、生き馬の目を抜くスピードで競争相手はやってきます。すでに多くの産業は国を超えてつながっていますが、どんなに素晴らしい製品も、国際標準を満たしていなければ、海外展開が難しい場合もあります。日本の製造業が弱い理由は、この「国際標準化への対応」にあるのです。
海外の機械産業を見てみると、日本と比較されやすいドイツ企業では、機械産業の「デジタルマニュファクチャリング」が進んでいます。これはデジタル技術の活用により、サプライチェーン全体を効率化していることを意味しています。
また、ドイツの製造業ではシミュレーションが不可欠とされています。新製品を作る場合、デジタルデータがなければ、そもそも相手にされないこともあるようです。
こうしてドイツの製造業におけるデジタル戦略が進んでいけば、同国が自動化を牽引し、他国もそれに追随するかもしれません。そうなることで、自動化したスピーディーで高能率なサプライチェーンや、それに関連した国際標準に、日本は遅れをとってしまう可能性があります。
ちなみに、ドイツの社会インフラにおけるデジタル化は、これとはまた別の話で、あまり進んでいないと言われています。実際、ドイツ企業に勤める方からは、日本と同レベルだという話をよく聞きます。また各種の調査でも、政府機関のデジタル化や電子決済の進展度、インターネット回線の平均速度などは、欧州で中位から下位に位置しています。
世界を相手にビジネスをしていくならば、日本はDX化に取り組むよりも前に、国際標準化について真剣に考えなくてはならないでしょう。
]]>絶賛放送中のドラマ『こんばんは、朝山家です。』(ABCテレビ・テレビ朝日系列)は、朝ドラ『ブギウギ』の脚本家・足立紳さんと妻・晃子さんのハードな家庭生活がベースになっています。そんな足立家の5年間を赤裸々につづった日記で、ドラマ原案『ポジティブに疲れたら俺たちを見ろ!!』から、夫妻の人間臭くてちょっぴり(!?)激しいやり取りを紹介します。
※(注記)本稿は、足立紳・晃子 著「ポジティブに疲れたら俺たちを見ろ!!」(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
2020年3月10日(火)
今年は新しいことを2つやる予定で1つは演劇、もう1つが高校教師だ(そしてこの日記もだ)。演劇は6月にやる予定で、高校は4月から授業が始まる。高校教師、良い響きだ。今日はその打ち合わせでとある都立高校へ妻と行った。
私が受け持つ授業は脚本の書き方だが、私は1人ではなにもできない人間なので、この仕事も妻と一緒にやることにした。
くれぐれも妻に付き添ってもらっているオッサンに見えないようにしなければならないが、もしかしたら、校長先生にはすでにそう思われているかもしれない。
3月17日(火)
喫茶店で6月にやる演劇のプロットを書く。午後からテレビドラマの打ち合わせに行くので、プロットの残りを妻に頭を下げて書いてもらう。たまにこちらが思いもしないアイデアが出てくることがあるから、妻にお願いすることはたびたびある。
夜、家に戻ると、妻のプロットがあがっていた。一読してあまりの酷さに頭に血がのぼる。素人なのだから仕方がないと言えば仕方がないのだが、こちらはやはり期待してしまう。しかも、執筆をお願いする時は土下座せんばかりに頭を下げているのだ。叩き起こして怒りをぶつけたい衝動をグッとこらえて、風呂に入る。
妻より
夫は「プロットの残り書いといて。主人公、もがきながらも前向きな感じで」などと雑な無茶ぶりをして家を飛び出ていきました。私はやらねばならない作業が溜まっていたのですが、締め切りを守らないと関係者に迷惑が掛かると思い、わからないながらも必死で書いたのに、この言いざまです......。ギャラもなければネギライもなく、ダメ出しばかり。この甘ったれ中年、どうしたらいいのでしょう......。
4月25日(土)
朝、妻と散歩。というか、妻は以前から歩いているので、妻にくっついて私も歩くことにしたのだ。妻はこの朝の散歩時間だけが1人の時間だと大切にしていた。
が、私だって1人の時間などない。散歩中、私がペチャクチャと色んな人の悪口とか世の中の悪口とかをしゃべっていると、「うるせぇ、黙れ」と言われるので、嫌がらせに余計話したくなってしまう。
妻より
でかい声で、人の悪口やどうでもいいことをネチネチ一方的に話しているので、聞くに堪えません。勝手にずっと付いてくるので、無の心境で歩いてます。
6月11日(木)
毎朝の散歩中、私は必ず一度は妻を怒らせる。余計な一言を言っているらしいが、結婚18年、その前の付き合いも合わせれば23年以上になるが、いまだに妻の怒りのポイントがわからない。
いやなんとなくはわかっているが、そんなことで怒るような人になってほしくないと思い、改善してほしくて私は余計なことを言い続けているのだ。ということを伝えると、妻は「余計なお世話だし、お前何様だ。人を無理矢理変えようとするな。とにかくお前が余計な一言をやめれば争いは3分の1になる」と言う。妻だって私を無理矢理変えようとしている気がするのだが......。
6月17日(水)
朝、妻がタンクトップなのかよくわからないが、露出度高めの格好で無理矢理息子にランドセルを背負わせていると、いつも迎えに来てくれる友達のM君に息子がニタニタしながら「ねえねえボクのママのオッパイ見る?」などと言っている。ランドセルを蹴飛ばされて追い出された息子は「ひどいでしょ、ボクのママ」と言いながらM君と学校に行った。
7月11日(土)
妻と散歩する習慣はまだ続いている。毎朝2つの神社に行って、夫婦で入念に神頼みをするのだが、妻の祈る時間はすごく短い。そんなので神様に通じているのかと心配になるくらい早い。
9月1日(火)
短い夏休みが終わり、親にとっては待ちに待った新学期だ。娘と息子を見送って帰宅すると、妻が不動明王のような顔で待ち構えており、いきなり怒鳴りだした。
「テメェよぉ! 子供の前だから我慢したけど、いい加減にしろよ!」「え」と訳もわからずキョトンとしていると、なんでも私が朝食のお皿を片づけていた時、食器を洗っている妻の胸の先をケチャップ容器の先でかすめたというのだ。それで妻は頭から湯気を本当に出して怒っている。
「食器洗ってて両手使えない時に突然オッパイ突っつかれて喜ぶバカがいるか!」
確かにケチャップで胸をかすめたのはわざとではある。だが、ここまで怒ることに驚き、誤魔化そうとした。「いや、オッパイじゃなくて乳首だよ」。
「はぁ? バカ野郎っ! 痴漢ジジイみたいに相手の尊厳踏みにじってるのがわかんねえのかよ、このクソハゲ! テメェもすれ違いざまに金玉握り潰すぞ!」と地獄の底から響き渡るような声でさらに怒鳴るので謝ったが、「もう今日、取材行かねえ。オメェ1人で行きやがれ」と言って出て行ってしまった。そういえば、今日は夕方に妻と一緒に『喜劇愛妻物語』について取材を受ける予定だったのだ。
まあどんなに怒り狂っても取材をすっぽかすようなことをするタイプではないからいいのだが、しかし、すれ違いざまにオッパイをさらっと触るくらい、若い頃は「ヤダ、バカ」と笑って許してくれていたのに、どうしてこうも変わってしまうのだろうか。
妻より
朝の忙しい皿洗い中(しかも新学期で子供たちが行き渋っているなか)に、突然固いモノでオッパイを突つかれることと、付き合い始めの頃の話は違う話だと思いますし、私が怒った内容を考えるのではなく、不意に怒った私を責めるというのも違うと思うのですが......彼にここを理解してもらうのは難しいかなと思います。
日本には、大手飲食チェーンに引けを取らない"ローカルチェーン"が各地に存在します。ライターの辰井裕紀さんは、2021年8月刊行の著書『強くてうまい!ローカル飲食チェーン』で、地域で長年繁盛してきた7つの店を紹介しています。
ばんどう太郎は、茨城県を中心に、栃木・埼玉・群馬・千葉に展開する和食チェーンです。なかでも看板メニューの「坂東みそ煮込みうどん」は、店舗数拡大の原動力となった一品といわれています。そんなばんどう太郎の"店づくりの工夫"とは――。書籍から詳しくご紹介します。
※(注記)本稿は、辰井裕紀著『強くてうまい!ローカル飲食チェーン』(PHPビジネス新書)より内容を一部抜粋・編集したものです
※(注記)本記事に記載のメニューや価格は、書籍発刊当時(2021年8月)の情報です。現在とは異なる場合があります。
[画像:ばんどう太郎春日部店のパ ワフルな外観]
ばんどう太郎春日部店のパワフルな外観
茨城県を中心に、栃木・埼玉・群馬・千葉県に直営店81店、フランチャイズ5店の合計86の店舗をもつ坂東太郎グループ。
そのなかでもひときわ知名度が高く、半数以上のお店を構える中核的チェーンが和食レストランの「ばんどう太郎」だ。
ばんどう太郎の店舗は国道などのロードサイドに多く展開されており、郊外を走っていると、デラックスな和風家屋が眼前に飛び込んでくる。筆者も地元千葉の国道16号沿いで初めて見た、堂々たる建物の姿がいまでも忘れられない。
外装・内装ともにばんどう太郎オリジナル仕様なので居抜きでは建てられず、普通のファミレスの約2倍、1億5000万円ほどの総工費になる。
その接客術はオンリーワン。その日の最後のお客さんは、店内の従業員が総出で見送るほどで、2012年度の経済産業省「おもてなし経営企業選」では、茨城県で唯一選定された。
そして、約100種の個性的な和食メニューで勝負するローカルチェーンだ。このばんどう太郎、決して安くはない。本書で取り上げるほかのローカルチェーンと比べると、メニューの価格は倍近い。貧乏ライターの筆者なら、普段づかいにはやや厳しいレベルだ。
しかし、それでもお金を出したくなる付加価値が随所にある。まずは社訓の「親孝行」にちなんで、あえて長くとった玄関までのアプローチを「親孝行通り」と名付けており、樹木や花々で季節を感じられる道すがら、家族と語りながら歩けるようになっている。
と、ここで出迎えてくれたのが「女将さん」だ。正社員と思いきや、じつはパートの方が担当し、お店を代表する存在として客をもてなしてくれる。そのほか新人正社員らの指導なども担当する。
[画像:ばんどう太郎古河店より。 女将さんが出迎えてくれた らラッキー]
ばんどう太郎古河店より。女将さんが出迎えてくれたらラッキー
店内へ入ると、外装からはまるで想像できない空間を発見。家族での来店を推奨しているばんどう太郎では、いくつかの店舗でキッズルームが設置されている。ちびっこメニューを頼むと、「お子さまは散らかすことの名人。汚れは気にせず楽しく召し上がってください」と記されたカードが手渡されるなど、心配ごとの多い子連れには助かるサービスが多い。
座席に腰を下ろすと、水とお茶がそれぞれよきところで運ばれてきて、2つのニーズをかなえる。水とお茶を出すタイミングは現場判断で、たとえば夏場はお茶より先に水が出たり、冬場は料理のあとに水が来たりする。
[画像:バラエティに富んだ具材た ちをスープの下から発掘す るのも楽しい]
バラエティに富んだ具材たちをスープの下から発掘するのも楽しい
そんなばんどう太郎の看板商品は、なんと言っても坂東みそ煮込みうどん(1265円)だ。今回は半ライスとお新香が付いて同価格のランチセットを注文した。
さあ、ぐつぐつと固形燃料で火にかけられたまま、香りを漂わせつつ登場する。旅館のようでライブ感満点な登場シーンがうれしい。
みそ煮込みうどんと言えば、濃い味の八丁味噌にガッチリ硬い麺を合わせた名古屋のものを連想するが、あれとはひと味違う。
麺は名古屋のみそ煮込みうどんよりやわらかいが、全国の平均的なうどんよりは硬度がある。もっちりした嚙みごたえだ。
スープも名古屋風の強烈に濃いものより、いくぶん風味を丸めており飲みやすく、それでいて十分に麺や具材へ味が染み込んでいる。根っからの関東人である筆者も、抵抗なくどんどんいける味わい。
褐色のスープが「闇鍋」を思わせ、どんな具材が埋もれているのかと、掘り出し物を探すのが楽しい。白菜やネギ、コロコロ転がる鶏肉らも脇を固めて、鍋物をひとりで楽しめるぜいたく感があふれる。
茨城県特産のれんこんに加えて椎茸もあり、独身男性がなかなか食べられないような野菜中心の食材がゴロゴロ。そして、待てば待つほど熟す卵にどのタイミングで箸を入れるか。ひとり鍋奉行の判断がうまさのカギを握る。
坂東みそ煮込みうどんの具材は季節によって変わり、筆者が食べた際はカボチャや茨城特産の凍しみこんにゃくがのっていた。入れ替わりで旬な食材を入れるから飽きないし、ボリューム以上に満足できる。
[画像:1代で北関東屈指の和食チ ェーンを作り上げた青谷洋 治氏]
1代で北関東屈指の和食チェーンを作り上げた青谷洋治氏
店舗数を大きく伸ばした原動力が、1985年に誕生したみそ煮込みうどんだ。
「そのために、名古屋の名店から勉強させていただきました。すごい行列で、まずこの店がなぜお客さんに喜ばれるのかを、店づくりや接待からずっとよく見て、何度もみそ煮込みうどんを食べたんです。3日目ぐらいから関東との味の違いが見えました」
そして味やサービスをリスペクトしたうえで、「ばんどう太郎らしい味」に発展させた。
「ただし、黒い八丁味噌のみそ煮込みうどんをうちで提供しても、最初は全然売れなかったんです。そこでもっと関東の味に変えました」
たしかにみそ煮込みうどんは、濃い味の多い名古屋めしのなかでもひときわ独特だ。それを関東人の舌に慣らすために白味噌をブレンドするなど1年ほど試行錯誤し、ついに売れ出した。
キッチンに入る料理人は1店舗あたり5〜6人。一般的なレストランより多めに配置し、うどん専任・天ぷら専任などそれぞれに調理担当がいる。
ちなみに一見古風なイメージのばんどう太郎だが、その味は時代の流れに合わせて、少しずつ変えている。
「伝統の味を『守る』意味においては、日々時代の流れを見ながら(他社と)切磋琢磨し、品質を維持しながらこつこつと変えることが肝要なのです」
たとえば、ひと昔前の関東のそば汁は真っ黒だった。しかしいまはいくぶん色が薄めで、薄口醬油を使った、濃さを感じさせない微妙な味わいが求められており、そんな現代志向に対応する。
ばんどう太郎は建物こそ各店で同じ様式だが、肝心の味は地域によって微妙に変わる。
「だって栃木と群馬では人柄がまた違うんですよ。こんなに違うかっていうほど違うんです。栃木と茨城もまた違うし、千葉はもっと違う。そして味覚も違う」
一律に味を変えてはいないが、各店でお客さんから味への指摘があったときには、店長の判断で味を変えていい。
坂東太郎共育課課長の小菅泰子氏によると、茨城や栃木は濃い味が好き。埼玉は若干薄味好きで、要望にこたえるうちにそんな味へ近づいていく。
「地域ごとに舌が違いますから、味が違わないとおかしいんです。それを合わせるのが店長の力量ですから、できるだけ地元の人を採用します。転勤はさせても、たとえば千葉の人を栃木にはあまり行かせません。大手さんだと関西の人が関東に来ることもあるけど、味がブレるんですよ」
なお、大手チェーンの多くが入らない「商工会」にばんどう太郎は加入している。
「地元意識をもつために、商工会へ加盟します。大手チェーンなら商工会に加盟すると、たくさんの店舗がある分会費も跳ね上がるので、めったに加盟しないんです。それもわかりますが、うちは地元の人と一緒にやっていきたい」
たとえば千葉も地元だと思って商工会へ入るし、地域の特性に応じてお店の業態を使い分けたうえで、その地へ溶け込もうとする。
「ここ20年は新しい店の入り口に、お世話になった人の名前をみんな刻んでいます。店舗を建ててくれた地元の方々とかを全部ご招待して、全員の名前を書きます」
その立地は決して一等地ではなく、まっさらな土地に店を建てる。将来的に伸びると見込んだ所ばかりだ。
]]>裏千家第15代・前家元の千玄室さんは、102年の生涯にわたって世界70カ国以上でお茶会を開き、茶道を通じた国際交流に尽力しました。
80年前、特攻隊員として訓練を受けた千さんは、出撃することなく終戦を迎えます。若くして命を落とした仲間たちの分まで生きる決意を胸に、最晩年まで「和敬清寂(わけいせいじゃく)」の精神を世界へ伝え続けました。
(取材・文:鈴木敦子、写真:白岩貞昭)
※(注記)本稿は、月刊『PHP』2025年9月号より内容を抜粋・編集したものです。
一盌(いちわん)からピースフルネスを――。私はこの一念を胸に世界をめぐり、お茶による国際交流を図ってきました。これまでに訪れた国は70カ国以上。300回以上渡航し、世界中に茶道の心を伝えてきたのです。
いろいろな国でお茶会を開き、お茶を捧げてきましたが、海外の方にとても喜ばれる茶席の決まり事があります。それは「お先にどうぞ」「いかがですか?」と声をかけ合うこと。知らぬ者同士が一呼吸おいて、お茶を勧め合う。そのさりげない気遣いに、みなさん心を打たれるのです。
お茶は、間(一呼吸)を保ちながら対話する絶好のツールでもあります。「間」というのは、すなわち余裕、もしくは距離感と言ってもいいでしょう。床の間に掛物や野の花を飾り、お茶を点てている間にお菓子を召し上がってもらう。客は「お先にいただきます」と隣の人に声をかけて、お茶を一服......すべてが「間」なんですね。
今、世界のあちこちで衝突が起きています。相対するものがぶつかり合えば、当然どちらも傷を負います。そんな悲劇を防ぐために「間」が必要なのです。
アメリカのトップコンサルタントの一人、ジェイ・エイブラハムさんはかつて、「間隙をとる大切さを、日本に学べ」と言いました。「そのためにもわれわれは茶道の精神を知るべきだ」と。
私は世界中に親友がいますが、一昨年に100歳で亡くなったヘンリー・キッシンジャー元米国務長官もその一人。私と同い年の彼はお茶が好きで、わが家にも何度か遊びにきました。
そんな彼が亡くなる少し前、ニューヨークでお会いしたときのことです。車いすに乗った彼は、「千さん、これからの世の中は大変ですよ。さまざまな困難を乗り越えていかないといけない」と言いました。まるで暗澹たる未来を見通しているかのように。
お茶のルーツである中国にも、たくさんの友人がいます。中国には120回ほども行きましたからね。家内の弔問にわざわざ足を運んでくれた胡錦濤前国家主席も、かけがえのない友の一人です。
※(注記)盌:ふたがない水を盛る器
[画像:千玄室]
なぜ、信条を異にする人とも心を通わせることができるのか。それはお茶が、個人の立場や国同士の諍いなどを軽々と越えていくものだからです。政治、宗教、人種、肩書き......どんな違いがあろうと、お茶室ではそのようなもの一切関係ありません。
武家も町人も、身分の区別なくみんな一緒にお茶をいただく。そういう文化を、今から450年以上前に利休が創り上げたのです。
利休の教えとして今日まで受け継いできたのは、「和敬清寂」の心です。「和」は平和と調和、「敬」は互いを敬うこと。「一盌のお茶を前に、心をひとつにして敬い合いなさい」と。だからお茶室には、小刀ひとつ持ち込めません。どんなに偉い人でも丸腰で、頭を低くして入室するのです。
「清」は、清らかな心を持つこと。人はみんなきれいな心ではありません。保身のために嘘をついたり、人の不幸を願ったり。清らかであろうとしても、いつの間にか汚れてしまっているものです。
仏様は「一切皆苦」、すなわち「生まれたときから死ぬときまで、苦しみばかりだ」とおっしゃいました。まことに、その通り。苦しいのは自分だけじゃない。幸せそうに見える人も、みんな苦しいのです。だから清らかな心を持ち、やさしい気持ちで人に接することが大切になります。
未来がどうなるかなんて、だれにもわかりません。今を大事に生きるしかない。目に見えない階段を、一歩ずつ上がっていく。滑り落ちたり、失敗したりすることもある。
それでもしがみついて上がっていくことで、いろいろなことを乗り越えられる人間性が身につくのです。
気に入らないことがあればすぐに腹を立てて、だれかを憎んだり攻撃したり。そのようなことでは、世界はやがて滅びます。もっと穏やかな心で、人様に「どうぞ」と手を差し伸べる。それができなければ、キッシンジャーさんの言う「困難」を克服することなど到底できません。
営利で結びつくのではなく、「和敬清寂」の心でともに手を携え、「いいこと」をしていく。そのような心がけが、ますます大事になってきていると感じます。
[画像:出征した仲間たちとの茶会(右が千氏 写真提供:裏千家)]
出征した仲間たちとの茶会(右が千氏 写真提供:裏千家)
80年以上も前のことになりますが、出征したときの体験は今でも忘れることがありません。昭和18(1943)年、文系学生の徴兵猶予が停止され、同志社大学の学生だった私は海軍に入隊しました。士官教育を受けたあと、海軍少尉として任官。その後、戦局の悪化にともない特別攻撃隊、いわゆる「特攻隊」の一員として、死ぬための訓練に明け暮れることになりました。
実は出征にあたり、私は茶道具一式が入ったお茶箱を持っていきました。戦乱の世を生きた利休は陣中で茶を点てたと伝えられており、私も利休の子孫として戦に茶箱を持参したわけです。「利休もこんな気持ちだったのだろうか」と考えながらふるまうお茶を、特攻隊の仲間たちは「うまいなあ」と飲んでくれました。
みんな20代前半の前途有望な若者ばかりです。京都大学の学生だったある仲間は、「生きて帰れたら、お前のとこのほんまもんの茶室で茶を飲ませてくれや」と言い残し、出撃していきました。
信管を抜いた250キロの爆弾を積んで敵に体当たりするのです。生きて帰れぬと知りながら、「生きて帰れたら」と話す彼の声を、今でもはっきりと思い出すことができます。
昭和20(1945)年5月21日、ついに私にも出撃命令が下されたのですが、直前になって命令が取り消され、そのまま終戦を迎えました。復員後、私は父の下で修業を積み、40歳で第15代家元を襲名。80歳のときに家元を長男に譲座し、以降は大宗匠としてお役目を続けています。
今年で102歳。なぜ、私だけがこんなに長く生きているのだろう。
「お国のため」と言ったって、本当はみんな死ぬのが怖かった。おふくろにもう一度、頭を撫でてもらいたい。抱きしめてほしい。そう願いながら、最後に「おかあさーん」と叫んで出撃していった。80年前のことを想うと、今もたまらない。せめて彼らの分も一生懸命生きよう。そんな気持ちでここまできたのです。
そんな私がこの国の行く末を考えたとき、今一度、みなさんにお伝えしたいのは、「文化の価値」についてです。「間」、そして「和敬清寂」の心――日本には営々と築き上げてきた独特の文化があります。
その文化を世界中に広げていくこと、世界の人々の心に染み込んでいくようにすることが、私たち日本人の目指すべき道だと思うのです。
今、日本には海外から大勢の観光客がやってきています。日本のうわべだけでなく、ぜひ本当の姿を見ていってほしい。そしてそのためには、日本人自身が自国の文化をもっと勉強しなくてはいけません。
最後に「和敬清寂」の「寂」ですが、これは「何事にも動じない気持ちを持つ」ということ。私は日ごろからくよくよと気にしないよう心がけています。だれに何を言われても「ふーん」と思っていたらよろしい。なるようになる。そのように構えていると、たいがいのことは本当になるようになるものです。気弱になったときは「海軍時代を思え!」と自分に活を入れるようにしています。
「健康の秘訣は?」と聞かれることも多いのですが、ひょっとしてこのような心の持ちようが、健康の秘訣かもしれません。私はいつもできるだけ笑顔でいるようにしています。難しいときもあるけれど、家でも公の場でも、笑顔でいることが大切。
靖国神社へお参りすると、特攻に散った仲間たちの「おーい、千や。何してんのや」という声が聞こえてきます。長生きは運命、天命と受け止め、私に課せられた使命をまっとうしたいと思います。
【千玄室(せん・げんしつ)】
1923年、京都府生まれ。学徒出陣にて海軍航空隊入隊。同志社大学卒業後、ハワイ大学修学、韓国・中央大學校大学院博士課程修了。’64年、裏千家第15代家元となり、宗室を襲名。2002年、家元を譲座し、汎叟千玄室大宗匠。ユネスコ親善大使、日本・国連親善大使、日本・観光親善大使。哲学博士、文学博士。2025年8月逝去。
モヤモヤ・グルグル思考が止まらないなら、それは「過緊張」かもしれません。自分の思考のクセを知り、頭と心をほぐしましょう。
※(注記)本稿は『PHPスペシャル』2025年9月号より、内容を一部抜粋・編集したものです
夜になっても何かが気になってしまい、リラックスしようとしても、なかなか心が休まらない。現代を生きる多くの人が、「過緊張」に陥っています。
過緊張とは、何らかのストレスによって自律神経のバランスが崩れ、四六時中「緊張モード」を強いられている状態のことです。一時的なものであれば大きな問題はないのですが、この状態が長く続くと、心身に不調をきたしてしまいます。
だからこそ、「常に何かが気になってしまう」という過緊張の症状が少しでも現れたら、適切なケアをすることが大切です。睡眠と栄養をしっかりとって心身を休ませ、エネルギーを回復させましょう。
過緊張をもたらすのは嫌なことだけではなく、入社や昇進、結婚、出産などポジティブな変化も、無意識のうちに緊張し、ストレスとなる場合があります。また、SNSで常に他者とつながれる状況もリラックスを妨害し、ストレスの原因に。つまり、過緊張は誰にでも起こりうるのです。
とはいえ、思考のクセや性格など、それぞれの内的な要因によって、過緊張につながりやすい状況は異なります。大事なのは、弱点に応じた工夫を心がけること。そうすれば、過緊張に陥るのを防ぐことができます。
今回は、過緊張から逃れるためのコツを、考え方のタイプ別に分けてお伝えします。まずは、自分がどういう理由で過緊張に陥ってしまうのかを知ることから始めてください。
過緊張から逃れるためには、自分の思考のクセを把握しておくことが大切です。物事を考え込みやすい人は、複数のタイプに重複して当てはまっている場合があります。
●くろまる小さなことが気になる...完璧主義タイプ
何事においても手を抜くことが嫌いで、「常に100点」を自分に強いるタイプ。予期せぬイレギュラーな出来事が起こるとキャパオーバーになりやすく、一気に心身の余裕を失ってしまう場合があります。
このタイプの人が過緊張に陥ると、「あれもできていない、これもできていない」と自分にイライラして、周りの人に当たってしまいがちに。
●くろまる他人からの評価が気になる...自己犠牲タイプ
周りからの評価を気にするあまり「NO」と言えず、自分を犠牲にしてまで、他人の要求に応えようとするタイプ。感謝されると嬉しいものの、心の中ではストレスを溜め込んでいます。
このタイプの人が過緊張に陥ると、「嫌われたらイヤだから」「不快だと思われないために」という感情に支配され、さらに無理を重ねてしまいます。
●くろまる物事のマイナス面が気になる...心配性&気疲れタイプ
まだ見ぬ未来を悪いほうに想像しがちで、気になることがあると過剰に心配してしまうタイプ。災害や病気など、現実に起こるとは限らないことであっても、気になり始めると、いてもたってもいられなくなります。
未来の不安に翻弄され、うまく寝付けない場合は、過緊張がかなり進んでいる可能性大。
●くろまる自分の成長度合いが気になる...せっかち&負けず嫌いタイプ
向上心が旺盛で、少しでも空いた時間があると、仕事や家事などをどんどん詰め込んでしまうタイプ。一つの目標を達成しても、すぐに次の目標やタスクを見つけるため、いつも時間に追われています。
このタイプの人は、「自分は時間を無駄にしているのではないか」と常に自分を駆り立ててしまい、過緊張に陥りやすくなります。
●くろまる今日から始めたいおすすめ習慣
「毎日○しろまる時以降は、仕事や家事のことを一切考えずに休む」というマイルールをつくる。
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"目指すレベルごとに行動を仕分けて"
何でも完璧にやりたい、という気持ちはなかなか手放せないと思いますが、日々のさまざまなタスクの中には、「完璧でなくてもいいこと」があるはずです。まずは日々の行動を振り返り、「どうしても100点を目指したいこと」と「60点でも問題なさそうなこと」を、意識的に仕分けてみてください。自分で決めたことを守るのは得意なタイプなので、いくつかのタスクを「60点でOK」と決めるだけで、毎日がラクになるはずです。
「仕事のことが頭から離れない」など、過緊張のサインが現れたら、「心身を休ませるリラックスタイムをきちんと確保してこそ、完璧な一日だ」という発想をもつのも一案です。完璧主義である自分の思考のクセを、うまく利用するといいでしょう。
●くろまる今日から始めたいおすすめ習慣
頼まれ事を引き受けるときは、「○しろまる時までなら」「この量までなら」などと条件を提示する。
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"勇気を出して、まずは相手と交渉を"
本当は嫌だったり、気が乗らなかったりすることを人から頼まれたときに、はっきり「NO」と断れるなら、それに越したことはありません。でも、このタイプの人にとってはハードルが高いですよね。そのためまずは、自分の都合やキャパシティーを伝え、相手と交渉することから始めてみましょう。
交渉することは、相手の都合だけに振り回されがちな自分から脱却する大きな一歩になります。交渉の結果、最終的に引き受けることになったとしても、ストレスは減るはずです。それでも相手の反応が気になり、不安になってしまうなら、「この世の全員から好かれている人など存在しない」と自分に言い聞かせ、いい意味で開き直ることも大切です。
●くろまる今日から始めたいおすすめ習慣
悪い未来を一つ想像したら、自分にとって都合のいい嬉しい展開を一つ想像する。
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"できることに集中し、不安を軽減!"
心配している物事に対して、コントロールできることと、そうでないことを把握しましょう。たとえば、災害が起こること自体はコントロールできなくても、家具の転倒防止策を講じたり、災害時に必要な水や食料を用意したりすることはできるはずです。コントロールできることに集中して行動していると、安心感が高まり、リラックスしやすくなります。
自分でコントロールできないことに対しては、「なるようになるさ」と開き直ることが大切。どうしても開き直れず、悪い想像を重ねてしまうときは、意図的に、よい展開も想像し、具体的にシミュレーションしてください。よいイメージを一度でも抱いておけば、それが脳に記憶され、過緊張から逃れやすくなります。
●くろまる今日から始めたいおすすめ習慣
休みの日の午前中は、手帳に「×」印をつけて予定を入れず、思い切りリラックスを。
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"週末はエネルギーチャージに徹しよう"
このタイプの人は、「頑張っている自分」が大好きです。過緊張に陥っていても危機感を抱きにくく、体調を崩すまで突っ走ってしまう傾向があります。まずは、「きちんと休むことで活動時のパフォーマンスが上がり、なりたい自分になれる」という意識をもちましょう。
自分に対する理想が高いぶん、休日も早朝に起きて動き回る人が多いですが、そこはグッとこらえて、体と心を休めることに専念すると◎にじゅうまる。「健康的にリラックスするならヨガかな」「せっかくだしスキマ時間で将来に役立つ本を読もう」など、プラスアルファで何かしようとせず、とにかく心身を労ってください。「たまには何も考えずにダラダラしたい」という心の声を押さえつけないようにしましょう。
【奥田弘美(おくだ・ひろみ)】
産業医および精神科医として、老若男女の心身のストレスケアに日々携わっている。執筆も精力的に行なっており、今年2月に出版した最新刊『それ、すべて過緊張です。』(フォレスト出版)は既に4万部超えのヒット作となっている。
]]>「一生治らない」「一生苦しむんだ」
中学生で統合失調症を発症した だいだいさんは絶望的な気分になり、何度も「死にたい」と考えたそうです。
それでも「もうこの病から逃げられることはない」「この病と上手につきあっていくほかに、生きていくことはできない」と考え、自らの病気からくるつらい症状をうまく解消する方法を探し始めました。
そして、生み出した300以上の解消法の中から、効果の高かった100個を精神科医の樺沢紫苑先生の監修のもと『生きづらさを解消する方法を100通り試してみた。』として書籍にまとめられました。
本稿では、その100個の解消法の中から「43.マイストーリー作成」と「54.ゴミ工作」について解説頂きます。
※(注記)本記事は、だいだい著,樺沢紫苑監修『生きづらさを解消する方法を100通り試してみた。』(総合法令出版)の一部を再編集したものです
生きづらさを抱えて生きてきたわたしは、「自分の人生って本当にひどいものだ」と思い込んでいました。しかし、自分の人生を一つの物語として考え直すと「意外と波乱万丈な面白いストーリーなのではないか?」と思えてきました。
自分の人生を物語形式で文章化すると、自分を肯定するきっかけにつながります。この解消法は大変な面もありますが、試してみると意外な気づきや効果があります。
【やり方】
1.自分が今感じている生きづらさの理由を書き出す
その生きづらさは今感じているものなのか、過去のものなのかを確認してください。
2.その生きづらさを感じるきっかけ、出来事を書き出す
人生の転機になった瞬間を思い出してください。
3.人生でどんな壁にぶつかり、どう乗り越えたかを思い出して書き出す
4.つらかった時期を思い出し、その経験から得たものは何かを考えてみる
5.つらかった時期の自分と今の自分を比べて、どう変化したか確認する
「前より打たれ強くなった」など、成長しているかを振り返りましょう。
6.今までの物語を元に、これからどんな人生を生きたいか考える
ちょっと先の未来を楽しく想像します。
【発展・応用】
「マイストーリー」を誰かに見せる必要はありません。ただ、信頼できる人に見せると、相手との信頼関係がより深くなる可能性があります。
【効能】
1.自己理解が深まる
過去の経験を物語にすることで、生きづらさを感じている原因が明確になります。生きづらさの原因がわかれば、対処の仕方も見えてくるでしょう。
2.困難を意味あるものに変えられる
生きづらさを感じるのは、自分がどうして理不尽な目に遭うのかという疑問や、過去のつらい経験を自分の中で納得できていないことが原因です。自分の人生を物語として書き出してみることで、今まで抱えてきた生きづらさにも意味があったのではないかと考え直すことができます。
3.新しいストーリー(未来)をデザインできる
過去や現在の自分の生きづらさが整理できると、自然と未来に意識が向きます。過去や現在に少しでも落とし前をつけることで前向きな気分になれるでしょう。
【アドバイス】
この解消法は過去のつらい経験を掘り起こすので、作業中に気分が悪くなるかもしれません。途中で「なんか嫌だな」と感じたら、作業を放り出して気分転換したり、休んだりして構いません。
また、自分の物語を書いてみても、決して他の誰かと比べるようなことはしないでください。他人と比べて「自分の物語なんてたいしたことがない」と考えるのは無意味です。人それぞれに違った物語があるだけ。気にしないようにしましょう。
[画像:ゴミ工作]
わたしは自分自身に価値を感じられなくなったり、何か目の前のことから逃げたくなったりしたら、「ゴミ」を集めて「作品」を作るようにしています。
捨てられていたゴミでも、作品として新たな価値を見いだせるのですから、それを作った自分にも価値があると思えるようになるからです。
素材は捨てられたもの、要らなくなったものを再利用するのでお金もそんなにかかりません。気楽に切ったり、貼ったりすることができるのでとても扱いやすいです。
【やり方】
1.工作に役立ちそうな普段捨てているものを集める
2.その集めたゴミを見て何か作れないか検討する
もし、イメージが湧かない場合はインターネットなどで検索してみるのもいいでしょう。
3.実際に手を動かして作品を作ってみる
4.何度も試行錯誤して、納得のいくものに仕上げる
【発展・応用】
作成した作品は部屋に飾り、SNS などに投稿してみてください。誰かの目に留まり、「すごい」「いいね」と評価されることがあります。そういった反応は自己肯定感を向上させてくれるでしょう。
【効能】
1.物事をさまざまな角度から見る練習になる
ゴミ工作を行う秘訣は「このゴミをどう使えば作品になるか」というアイデアを考えることにあります。意外な使い道を発見したら、「自分ってこんなことも考えられるんだ!」と自分の創造性に自信を持つことができるでしょう。いろいろな角度から考えを深めてみてください。
2.作業に没頭できる
ゴミを作品に変える作業は、意外と楽しくてワクワクします。このゴミをいかに自分の思った通りの形にしていくのか。その試行錯誤に没頭するうちにそれまで思い悩んでいたことなど忘れていきます。とてもいい現実逃避になるでしょう。
3.どんなものでも、使い方次第で役に立つと実感できる
自責の念を抱え「自分にはなんの価値もないゴミだ」と思い込んでいるときにゴミ工作を行うと、「ゴミにも使い道がある」と気づけるでしょう。世の中どんなものにも価値はあります。それを生かすも殺すもあなた次第です。
【アドバイス】
ゴミを集めるときも、工作中もケガをしないように気をつけてください。また、ゴミについている汚れなどはきれいにしてから使いましょう。衛生面にも気を使ってください。
日本の教育界はいま、明治時代以来およそ150年ぶりの大転換期を迎えています。この流れは日本にとどまらず、世界中で起こっている現象であり、その背景にあるのは、現在進行中の「情報革命」といわれています。
本稿では、そんな大転換期にある教育現場の今、注目されるオンライン教育の実情と今後の在り方について、日本最大級の教育イベント創設者・大学特任准教授・学校法人理事など、さまざまな立場や役割で教育に関わっている宮田純也さんに解説していただきます。
※(注記)本稿は宮田純也著『教育ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)より一部を抜粋編集したものです。
世界は徐々にひとつになっています。それが「グローバル化」です。
特に情報革命が、私たち一人ひとりのグローバル化を促進しています。PCやスマートフォンなどの端末があれば誰でもグローバルに情報を受発信することができます。
たとえば、アメリカのトランプ大統領のSNSをフォローしていれば、マスメディアと同じタイミングで同じ情報を入手することが可能です。日本にいながらしてアメリカ大統領の情報発信に直接触れられる時代になったのは、初めてのことではないでしょうか。
私たちは産業革命によって物理的に活動の範囲を拡大し、さらに情報革命によって電子空間上でも活動の範囲を拡張しています。人類や電子空間によって、コミュニケーションの地理的な制約を取っ払うだけではなく、近年はAI技術の発展により言語の壁をも乗り越えようとしています。
YouTubeは多言語に対応しており、自分が創ったコンテンツを世界中に発信できる時代が始まっています。また、学校でも海外の学校とつないで実施する多文化理解教育などをICTの活用によってほとんどコストなく実施できる環境が整備されています。
ICTによって個人がグローバル化し、世界とつながり、世界はひとつになろうとしているのです。電子空間上ではもはやひとつになったと言っても過言ではないのかもしれません。
学校教育でのICTの活用に関する最近のターニングポイントはコロナ禍における非接触型コミュニケーションの推進です。新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止を目的として、多くの学校で長期間の臨時休校がおこなわれました。
学校での学びをストップしないために一部の学校・地域ではICTを活用して学校と家庭をつなぎ、遠隔・オンライン教育が実施されました。これは学校だけではなく、教育という営み自体に大きな変化をもたらすものです。
そんななかで、オンラインで教育活動をおこなう動きが活発化し、その規模が拡大しています。「オンライン教育」とは、ネットワークを介して行われる教授・学習活動全般を指しています。
たとえばeラーニングやAIを用いた学習などが挙げられます。コロナ禍を経てeラーニングの市場規模が約160%拡大するなど、オンライン教育の規模は年々増えていると言えるでしょう。
オンライン教育のツールはますます身近で気軽になり、自身も誰かの学びに貢献する情報発信が可能となり、コンテンツの増加、高品質化、低廉化を遂げていくことになるのでしょう。
私たちはこれから一層電子空間上で活動するようになり、それに伴い、学びもオンラインでおこなわれることが増えていくことが推測されます。通信制高校や大学など、オンライン教育を用いた学びの場も活性化しています。
「オンライン教育」という言葉がありますが、「リアル教育」という言葉は存在しません。
当然ですが、人間がサイバー空間上で活動するようになったのは最近であり、長い人類の歴史を見ればリアル教育が前提ですから言葉を創る必要はないわけです。
一方、オンライン教育は最近登場した稀有な取り組みだからこそ、その概念が登場しています。そうであれば、今日の通信制高校のようにオンライン教育をベースに教育活動を展開することに何か懸念はないのでしょうか。
実際、コロナ禍では、日本の子どもが自律的に学ぶことができていないという課題が明確になりました。そのため、本当に有効活用できるのかとサイバー空間でのオンライン教育に懸念をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。とはいえ、テクノロジー活用に意義があることも確かです。
そのように考えると、リアルな世界でよりよく生きるためにオンライン教育で学ぶのだとすれば、やはりリアルとオンラインを融合することが今日の最先端の教育実践だと言えるのではないでしょうか。
それを体現している事例として、アメリカのスタンフォード大学に付属する中高一貫校「スタンフォード・オンラインハイスクール」を取り上げます。校長は日本人の星友啓氏が務めており、オンライン高校でありながら全米一の進学校と言われています。
「オンラインハイスクール」なのでオンライン教育を教育活動の基盤にしているのですが、大変興味深いことに、人とのつながりを大変重視しています。
まず、授業は、専門分野に情熱を持った先生が少人数制でおこなう「反転授業(FlippedClassroom)」が中心になっています。通常イメージされる授業は、先生が教壇に立って講義をおこない、復習として宿題を出されるものでしょう。
反転授業は、その従来の形態をまさに「反転」させたもので、授業前に基礎的な知識などを学習(インプット)したうえで、授業ではディスカッションなどのアウトプットを中心におこなうものです。
つまり、授業をインプットの場からアウトプットの場へと転換しています。さらに、授業後にもコミュニケーションが生まれる環境づくりを工夫して展開しており、生徒1人当たりにカウンセラー3人を配置することでコミュニケーションの密度を高めようとしています。
そして、オンラインでありながら、全米、さらには世界中から集う生徒たちが授業を中心としたラーニングコミュニティを形成できる仕組みが構築されています。
サイバー空間上で他の生徒たちと興味や学びたいことをシェアしながら一緒に学びに情熱を注ぐ環境づくりによって、学校にコミュニティを創り上げることができています。
さらにテクノロジー活用によって個別最適な学びの密度を高め、オンライン教育をベースとして個々の生徒の資質能力を育むことに成功しています。その結果として進学トップ校としての実績を獲得するに至ったのでしょう。
このような仕組みのなかにリアルとオンラインを融合することのヒントがあるのではないでしょうか。
人間は身体を持った現実世界の存在であり、さまざまな人から学び、触発されることで学び合っていきます。一方でオンラインには、地理的な制約を排して多くの人と出会うことができるなど、多くの利点が存在します。
テクノロジープッシュではなく、あくまで人間が学ぶことの意義やプロセスに機軸を置き、ヒューマンベースなオンライン教育によって、リアル世界の人間が学び成長することができるのではないかと考えています。
]]>老後の健康において大切なこととは?ベストセラー作家の故・渡部昇一さんは著書『渡部昇一の快老論』にて心が健康に及ぼす影響は大きいと話します。渡部さんが骨折を経験して感じた、老後の健康を維持する方法について同書より紹介します。
※(注記)本稿は、渡部昇一著『渡部昇一の快老論』(PHP文庫)より内容を一部抜粋・編集したものです
最初に健康というものについて結論めいたことを書いてしまうと、本当に大切なことは二つあるように思う。
一つは、身体の病気についても、やはり「心」や「精神」がとても重要なる役割を果たすということ。 もう一つは、自分で健康法を試すならば、「その健康法を実践している人が長生きしているものを選ぶにかぎる」ということである。
病気をしたときに、いかに心の持ちようが重要かを痛感させられたのは、私が77歳前後のときに足の骨を折ってしまったときのことであった。
家で階段から落ちてしまったのだが、足の骨を折ってしまったために、ギプスで固定し、松葉杖で歩かなければいけなくなった。これは不便きわまりない。棚の本を取るにも、トイレに行くにも、何をするにつけても大いに苦労をした。当然、生活にも随分支障が出るので、ついつい「チクショウ」と思ってイライラしていた。
すると、そんな心持ちでいたから、免疫も落ちてしまったのだろう。帯状疱疹になってしまったのである。
帯状疱疹は、子供のころに罹った水疱瘡のウィルスが、老齢やストレスなどが原因で免疫力が落ちると再び暴れだし、発疹と鋭い痛みを伴う病気である。首より下に帯状疱疹が出るのは痛さを我慢すれば済むが、首より上に帯状疱疹が出ると危険な状態になることもあるようだ。私の場合は頭に帯状疱疹が出て、顔がひん曲がってしまった。
私の曲がった顔を見たある出版社の社長が、「普通の病院ではダメです」といって、治療できる病院にわざわざ車で連れていってくれた。その病院で西洋的な治療法と鍼治療を併用する治療を受けて、ようやく顔はもとに戻ったのだが、かすかに歪みは残った。その歪みも石原結實先生の奥さま(美容が専門だとうかがった)が温めて揉むという方法で、きれいに治して下さった。
足の骨折自体は、幸いにして折れた場所が真ん中付近だったのでよくくっついた。帯状疱疹そのものも完全に回復した。ただ、神経のバランスが悪くなったのか、それ以降、身体のバランスを崩すことが多くなった。それまで私は三点倒立はいつでもできたが、帯状疱疹になって以降はできなくなってしまった。
階段から落ちたことがきっかけで、帯状疱疹になり、そこから健康状態をかなり落としてしまったのである。
いちばん反省したのは、足の骨を折って「チクショウ」と思って、「何でこんなことになってしまったのか」と自分で自分を呪ってしまったことである。私が帯状疱疹になってしまったのは、そういう精神状態と大いに関係があったに違いない。
思い起こすのは、古代ギリシアのストア派の哲学者、エピクテトスの言葉である。
「あなたを虐待するものは、あなたを罵ったり、殴ったりする人ではなくて、そういうことをされるのが屈辱だと考える、そのあなたの考えなのだ」
やはり自分を呪ったり、自分自身で屈辱に思うことが、いちばん自分自身を傷つけるのであろう。もっと素直に受け止めて、「神様が命じたのだ」「たまにはこういうこともある。仕方がない」くらいに考えておけば、帯状疱疹になることはなかったのではないか。
70歳以降のケガは健康状態を一気に崩すことがあるので、気をつけなければならないといわれるが、それはこのような心のあり方に大いに関係しているように思えてならない。
若い健康な人なら、「どうせ治るに決まっている」と心のどこかで思っているから、精神がそこまで追い込まれることはない。しかし、歳を重ねてからの病気やケガでは、どうしても「これは危ないかもしれない」「もう元の身体には戻れないかもしれない」と思う心が芽生えてしまう。
すると、不安と焦りが知らず知らずのうちに心に押し寄せてくる。その強迫観念が必要以上に、自分の身体を痛めつけてしまうのではなかろうか。
「自分を呪うようなことは、絶対にしてはいけない」。そのことは強く心に留めておくべきであろう。
50歳の頃に心臓が痛くなったことがある。冷や汗も出てくるほどで、心配になって病院に行って調べてもらった。すると医者は、「これは大変ですね」という。
私はすっかり心配になってしまい、順天堂病院でカテーテル検査をしてもらうことにした。検査後に心臓の動きを見せてもらったが、実に元気よく動いている。医者からも「大丈夫です」といってもらったが、それより大きかったのは、自分自身の目で元気に動く心臓の様子を見たことであった。
自分の心臓についての確信が持てたのであろう。それっきり治ってしまったのである。
特に心配事があった時期ではないが、忙しくて神経を遣っていたから、心臓に痛みを感じたのだろう。しかし、元気に動いている心臓を見たら、痛みは消えていった。それ以降は、心臓が苦しいと感じたことはない。
「病は気から」というが、「気」から来ている部分があったのだと思う。
80歳を過ぎてから旧制中学校の同級生が集まったときに、飛び抜けて元気な人間が4人いた。そのうち2人は禅宗の僧侶、1人は広島の原爆被災者、もう1人が私だった。他の人はどちらかといえば元気がなくなっていた。
私の知り合いに、広島で原爆に被災したもう1人別の人がいる。その人とは、上智大学の寮でも同じ部屋で、その後もつきあいが続いた。彼は原爆の爆風を受けて耳は片方が聞こえない。そのくらい爆心地に近いところにいたが、病気で休んでいる姿を見たことがない。彼からいろいろと話を聞いて、原爆は必ずしも放射線で亡くなるわけではないと知った。
偶然、彼とはドイツにも一緒に留学することになったが、ドイツでも元気だった。原爆に被災した彼はドイツでは珍しがられて、医学部からしょっちゅう呼ばれていた。
若いときに健康だった人が長生きするとはかぎらない。私の同級生でいちばんに亡くなったのは、相撲部の主将だった。身体が大きくて元気だった人が最初に亡くなったので印象的だった。
その一方で、「身体が弱い」と診断された私や原爆被災者が快活に長生きしているのだから、人生はわからないものである。
健康のためには、やはり長生きした人の話を参考にすることである。
そういえば、ある長生きした人が、いちばん身体にいいのは仕事で成功することだと書いていた。成功して浮かれていてはダメだが、そうでなければ、仕事の成功がいちばんの健康の益になる。その反対に、仕事で失敗することは健康の害になる。私はこれは当たっていると思う。
定年退職したあとでも少しでも仕事をして成功すれば、生活が楽しくなるし、健康にもつながるはずである。
]]>2025年8月15日、私たちは終戦から80年という節目を迎えます。
1945年、広島と長崎に原子爆弾が投下され、日本は太平洋戦争に終止符を打ちました。それから80年という歳月が流れ、戦争を実際に体験した人々の多くが高齢になり、語り継ぐことの難しさが年々増しています。
そんな今だからこそ、戦争の記憶を「生きた言葉」として受け取り直すきっかけになる一冊があります。
ロクリン社から出版された絵本『ぼくが子どものころ戦争があった』です。
[画像:ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より]
1941年12月8日、寒い朝のこと。当時8歳だった幹夫は、日本が戦争を始めたことを知った。
この絵本は、1933年生まれの田中幹夫さんが、自身の体験をもとに綴った書籍『いくさの少年期 1941〜1945』(文芸社)をもとに作られたもの。少年の目線から描かれる戦争は、教科書や記録映像では感じられない「生々しさ」に満ちています。
「絵本」と聞くと、子どものためのもの、というイメージがあるかもしれません。けれどこの本は、むしろ大人にこそ手に取ってほしい一冊です。
なぜなら、絵本というかたちだからこそ、戦争の本質が、より深く、心に染み込んでくるから。情報を詰め込むのではなく、削ぎ落とし、丁寧に描かれた言葉と絵が私たちの胸を打ちます。
[画像:ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より]
学校の朝礼で、校長先生から真珠湾攻撃の説明が。教室では担任の先生からも「日本は神国、絶対に勝ちます!」と。
「日本は神国。絶対に勝ちます」
そう信じさせられて始まった太平洋戦争は、生活を少しずつ、確実に蝕んでいきました。
戦争が始まる前にはあったはずの、平穏な日常。
少しずつものが手に入らなくなり、人がいなくなり、空襲警報が鳴り響き、爆音が街を覆う――その変化を、田中少年はひとつひとつ受け止めながら生き抜いていきます。
この絵本の価値は、「知識」ではなく「感情」を通して戦争を理解できることにあります。当時の子どもたちが何を見て、どう感じて、どうやって日々を過ごしていたのか。体験した本人の視点が、そのままの温度で読み手に届くのです。
[画像:ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より]
開戦から2ヶ月、日本軍の大進撃が続く。お祝いの提灯行列で国旗を手に先頭を歩く幹夫はとても誇らしかった。
[画像:ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より]
街中に、勇ましい標語がどんどん溢れていった。
[画像:ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より]
幹夫の叔父に、そして大好きな担任、長谷川先生のもとにも召集令状「赤紙」が届く。「みんなのために戦場に行く。必ず帰ってくる」そうやって一人、また一人と先生たちも戦場へ行った。
いま、世界では戦争が絶えません。かつての日本と同じように、「敵とは何か」「国とは何か」が問い直される時代に、私たちは生きています。
戦争の時代を生きた人の「語り」が失われつつある今、言葉として残された記録をどう受け取るかは、私たちの想像力にかかっています。
映像で見る戦争も大切ですが、目を閉じてその場にいた「誰か」の気持ちを想像してみること。そのきっかけとして、この絵本は大きな力を持っているかもしれません。
[画像:ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より]
昭和20年、幹夫は中学生になった。学生服ではなく国民服を着て、登校する時は軍隊式の隊列を組んで歩いた。授業では軍事訓練もあり、学徒動員で工場で武器を作る作業もした。
あとがきには、こんな一節があります。
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紙芝居が大量に刷られて、日本中の学校に配られ、「軍国教育」に使われました。
多くの子どもたちが「大きくなったら兵隊さんになって、お国のために戦う」と心に決め、「軍国少年」になっていったのです。
(寮 美千子)
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かつて紙芝居が「教育の道具」として使われていた時代。その記憶を逆手にとるように、この絵本と紙芝居版『いくさの少年期』は、平和を伝えるための道具として再び世に送り出されました。
[画像:ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より]
8月6日に広島に、9日には長崎にも原爆が投下された。8月15日、玉音放送があるからとラジオの前に集められ、日本が降伏したことを知らされた。もっと早く戦争が終わっていれば......。
80年目の終戦の日に、「戦争とは何か」「平和とは何か」を静かに見つめ直す時間を持ってみませんか。
「過去を知ること」は、「未来を選ぶ力」になる――そう語りかけてくるような一冊です。
[画像:ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より]
それまでの教えを間違いだったと言われ、教科書を墨で塗りつぶす。何を信じればいいのか、幹夫はわからなくなった。
[画像:ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より]
戦死亡された先生方の慰霊祭で、幹夫は大好きだった長谷川先生の遺影を見つける。
[画像:ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より]
必ず帰ってくると言った先生。たまらない気持ちになった幹夫は、あの日校門で手を振ってくれた先生の姿を思い出し、心に誓った。「ぼくたちは、戦争のない国を作ります。きっときっと、作ります」
【田中 幹夫】(原作)
弁護士。1933年福井県生まれ。福井空襲、福井地震を体験。2003年、障害者虐待の「サン・グループ事件」で画期的な勝訴判決をかちとる。日本子どもの虐待防止学会名誉会員。『いくさの少年期 1941〜1945』(文芸社)は、子どもの目からみた戦争体験を、すべて実話にもとづいて構成した自伝的小説。
【寮 美千子】(文)
作家。1955年東京都生まれ。1986年に毎日童話新人賞、2005年に泉鏡花文学賞を受賞。1990年代、衛星放送ラジオ「セント・ギガ」に600編以上の詩を提供。幼年童話から絵本・純文学・ノンフィクションまで幅広く執筆。2006年より奈良市在住。
【真野 正美】(絵)
画家。1958年大阪府生まれ。カーデザイナーとしてトヨタ自動車に勤務ののち、帯広市郊外に移住して画業に入る。六花亭が60年以上にわたって刊行している月刊児童詩誌『サイロ』の表紙画を坂本直行氏から引き継ぎ、2010年より担当。2017年、中札内美術村に「真野正美作品館」が開館された。
疲れにくい体づくりを目指す上で、肥満の解消は避けて通れない課題です。本稿では、基礎代謝を向上させ、体重を落とすために必要な運動のポイントを書籍『休養ベスト100』よりご紹介します。
※(注記)本稿は、加藤浩晃著『休養ベスト100 科学的根拠に基づく戦略的に休むスキル』(日経BP)を一部抜粋・編集したものです。
太ると疲れやすくなる、と感じる人は多いですよね。余計な脂肪が重りとなるわけですから、当然といえば当然です。疲れやすくなると仕事のパフォーマンスにも影響してくるので、「ダイエットしなければ」と思う人もいるでしょう。
ダイエットの基本的な考え方は、食事で体に取り入れる摂取カロリーを、消費カロリーよりも減らすことです。しかし、食事さえ減らせば体重を減らせるかというと、そうではありません。
極端に食事を減らすと、「飢餓状態に陥った」と脳が判断して、体が省エネモードになってしまい、その結果むしろやせにくくなり、疲れやすい体になりかねません。
●くろまるダイエットには消費カロリーを増やすことが不可欠
省エネモードというのは、飢餓状態を生き抜くために太古の人類が身に付けた能力です。食べ物が安定的に確保できなかった時代、摂取カロリーが低い時期が続くと、生存のためにエネルギー消費を極力抑えるようになるのです。
その名残りが飽食の時代を生きる現代人にもあるため、「食事だけを減らしてもやせにくい」ことになり、ダイエットの妨げになっているわけです。
また、省エネモードになると、体は筋肉を分解してエネルギー源にします。筋肉量が落ちると病気やけがをしやすくなるうえに、生命維持に必要なエネルギーである基礎代謝量も減るため、さらにやせにくい体になってしまいます。
基礎代謝は安静時の消費エネルギーに相当するもので、1日の総エネルギー消費量のうち6割を占めるともいわれています。肥満を解消して疲れにくい体をつくるには、体を動かして省エネモードを脱し、基礎代謝を上げることが大切なのです。
では、どれぐらい運動すればいいのでしょうか。そのカギを握るのが、身体活動の強度を表す「メッツ」という単位です。安静時のエネルギー消費を1メッツとして、それぞれの身体活動がその何倍のエネルギー消費にあたるのかを数字で示します。
メッツは大まかに次のように考えるといいでしょう。
・家事(料理や洗濯)、家の中の移動 2メッツ
・ウォーキング 3〜4メッツ
・速足のウォーキング 4〜5メッツ
・ジョギング 6〜7メッツ
・登山・階段上り 6〜7メッツ
・水泳 6〜8メッツ
メッツが大きいほどエネルギーの消費量は大きくなります。
しかし、そうした身体活動は長時間続けることはできません。一方、メッツの小さい身体活動は、エネルギー消費量が少ないものの、長時間続けることが可能です。
そこで、メッツと継続時間をかけることで、活動量である「メッツ・時」を算出します。例えば、水泳はウォーキングの2倍のメッツですから、1時間のウォーキングと30分間の水泳はほぼ同じ3〜4メッツ・時のエネルギーを消費することが分かります。
厚生労働省によると、健康のためには3メッツ以上の身体活動を週に合計で23メッツ・時行うことが目安になるそうです。
例えば、ゆっくり1時間ウォーキングするのを週に6回行い、水泳1時間を週に1回行えば、合計で24メッツ・時となり、目安を超えます。
代謝を活性化するには、同じ強度の運動を続けるのではなく、多様な強度の運動をすることをおすすめします。高強度運動と低・中強度運動をバランスよく組み合わせることで基礎代謝の向上になると同時に、気分転換もできて長く続けることができるのです。
健康診断や人間ドックで、「血糖値が高いですね。いずれ糖尿病予備軍になりますよ」と指摘された経験はないでしょうか。そんなふうに言われても、「どうせいつものこと」と何もしない人もいますが、血糖値が高い状態を放置すると、太りやすく、かつ疲れやすくなります。それだけでなく、深刻な病気のリスクにもつながります。
厚生労働省の調査によれば、現在、日本全国で糖尿病患者は約1000万人、糖尿病予備軍も約1000万人にのぼると推計されています。糖尿病は日本の国民病といってよいでしょう。
●くろまる食事をしてから1時間以内に運動を開始
食事によって血糖値が高くなると、本来ならインスリンというホルモンが分泌されて血糖値が調整されます。しかし、なんらかの理由でインスリンの分泌が低下したり、うまく働かなかったりすることで、血糖値が高い状態のまま推移してしまうことがあります。
血糖値が高いと指摘されたら、食事に注意しようと思うのが一般的でしょう。一方で、食事以外には体を動かすことも効果的です。運動をするとエネルギー源となるブドウ糖が筋肉で大量に消費されるため、血糖値が下がるのです。
血糖値のピークは食後1時間ほどなので、食事をしてから1時間以内に運動を開始すれば、食後の血糖値の上昇を抑えられます。理想は、1日3回毎食後に運動することです。
運動の種類は、ウォーキングやサイクリングのような有酸素運動がおすすめ。時間が長ければそれだけ多くの糖を消費できます。運動不足の人は、まずは食後に20分ほどウォーキングをするとよいでしょう。
運動をすることによって、食事によって上がった血糖値を下げることができるので、いわば運動によってインスリンの働きを補助することになります。さらに、そうした運動を継続して行うことで、インスリンの効きがよくなる体質へと変わっていくことも期待できます。
ウォーキングと合わせて筋トレを行うのも効果的です。筋トレで筋肉量が増えれば、それだけ筋肉の中で糖を消費する量が増えていきます。大きい筋肉が集まっている下半身をスクワットなどで鍛えるのがより効果的でしょう。
【加藤浩晃(かとう・ひろあき)】
デジタルハリウッド大学大学院特任教授。東京科学大学医学部臨床教授。アイリス株式会社共同創業者・取締役副社長CSO。
2007年、浜松医科大学卒業。眼科専門医として1500件以上の手術を執刀し、白内障手術器具や眼科遠隔医療サービスを開発。2016年、厚生労働省医政局研究開発振興課に勤務。2017年、AI医療機器開発企業であるアイリス株式会社を共同創業し、取締役副社長兼CSO(最高戦略責任者)に就任。2021年、一橋ビジネススクールにてMBA取得。医療現場、医療制度、ビジネスという3つの領域を経験し、横断的に理解することで医療領域全般の新規事業開発支援を行う。大企業やベンチャーの顧問・アドバイザー・取締役も務める。著書に『医療4.0』『医療4.0実践編』(いずれも日経BP)、編著に『医療×起業』『デジタルヘルストレンド』(いずれもメディカ出版)など多数。
少子高齢化の加速により、労働力不足がますます深刻化する日本。私たちの暮らしを持続可能なものにするには、限られた労働力をどう補うかが喫緊の課題です。
その解決策の一つとして期待されているのが「産業用ロボット」の活用です。
本稿では、現在どのような産業用ロボットが開発されているのかを紹介しつつ、その普及を後押しするために欠かせない「ロボットフレンドリーな社会」の重要性について、書籍『機械ビジネス』より解説します。
※(注記)本稿は、那須直美著『機械ビジネス メカ好きな人から専門家まで楽しく読める機械の教養』(クロスメディア・パブリッシング)を一部抜粋・編集したものです。
労働人口減によって人手不足が進行すれば、長時間労働もやむを得ない状態になります。
そこで、働き方改革関連法により2020年から「時間外労働の上限規制」が適用されました。また、賃金アップ率拡大の動きも活発化する中、このままいくと八方塞がりになる企業が増え、倒産や廃業なども進んでしまうという深刻な問題があります。
帝国データバンクが発表した2024年の倒産件数は9901件でした。その中で見過ごすことができないのは、「人手不足」と「後継者難」による倒産が過去最多を更新してしまうという悲しい結果となったことです。
こうした時代に生きる私たちが豊かな生活を維持する方法の1つとして、産業用ロボットを活用した自動化・省人化の実現があります。例えば最近では、産業用ロボットを製造しているファナックが、塗装現場で使用する世界初の防爆協働ロボットを開発しています。
協働ロボットとは、ロボットと人が柵を隔てることなく、同じスペースを共有しながら一緒に作業できるロボットのことです。リスクアセスメントに基づいて設計・製造されており、協働運転中であることがわかりやすいような視覚表示がされていたり、巻き込みが起きにくい形状や、接触したときの圧力を減らすための丸みを帯びた形状をしていたりします。ちなみに防爆とは、可燃性のガスや粉塵などによる爆発・火災を予防するための対策が施されていることを意味します。
ほかにも、スマートフォンやカーナビ、液晶ディスプレイなどの電子機器の高性能化により、電機・電子分野ではロボットの普及拡大が見込まれています。例えば、ロボットをはじめ切削工具やベアリングなどの製造を行う不二越では、コネクター挿入工程に着目し、ロボットを活用した組立自動化ソリューション「コネクタ挿入アプリケーション」を開発しています。
詳しく説明すると、電機・電子分野の組立工程は、細かい部品を組み付ける必要があり、段取り替え作業の頻度も高くなります。特に電子機器の接続に用いられるケーブルの挿入作業は、ケーブル自体が柔らかく形状が一定ではないため、正確な取り付けが難しいこともあり、自動化が遅れていました。そこで同社では、視覚装置を内蔵した「ビジュアルフィードバック制御システム」による高精度位置決めによってコネクター挿入動作を可能にし、自動化に大きく貢献したのです。
高精度の位置決めを実現する鍵を握るビジョンシステムは、主に2つのカメラとLED照明、照明コントローラーで構成されたステレオカメラユニットと画像処理装置NVsmartによって構成されます。この2つのカメラは傾斜をつけて取り付けられ、異なる角度で対象物を検出することで、3次元の補正を可能にしています。ステレオカメラユニット部に取り付けられた機器は、イーサネットケーブルを通じて電力を同時に供給するPoE(Power over Ethernet)で接続されているため、LANケーブルのみで電源供給とデータ通信を行えるのです。
これらの事例はほんの一部ですが、機械産業でも、働き方改革の時流に合わせて、産業用ロボットによる自動化・省力化が進んでいるのです。
オフィスビルや商業・宿泊施設でも、積極的なロボットの活用が見られます。
ゼネコン各社も、設計・施工の前にロボットの実装を念頭に置き、建物の運用や維持・管理に活躍できるよう各種設備とロボットを一元管理するITプラットフォーム活用の検討を行っています。
2022年に発足した「ロボットフレンドリー施設推進機構(RFA)」は、経済産業省が設置した官民連携の「ロボット実装モデル構築推進タスクフォース」をもとに、ゼネコン、ロボットメーカーとユーザー、エレベーターメーカーなどが参画し、ロボッフレンドリーな環境確立に向け、規格化やマニュアル化を検討しています。そもそもロボットフレンドリーとは、「あらゆるロボットが移動の際にバリアのない環境づくり」を指します。
簡単に言えば、バリアフリーでは身体が不自由な人や高齢者の方が社会に参加しやすいよう、段差をなくすなど、障壁になるものを取り払うことを意味しますが、この概念をロボットに置き換えたのがロボットフレンドリーです。
最近では、レストランチェーンで料理やドリンクを配膳する配膳ロボットの活躍が見られるようになりましたが、これもロボットフレンドリーの代表例の1つです。
また、近年では、商業施設やオフィスビルの中を巡回するセキュリティロボットも登場しています。この利点は、センサーやカメラを搭載したアームなどを使って、人の目では確認が難しい箇所も点検できることです。
例えば、武器を持った危険人物と警備員が遭遇した場合、警備員に危険が及ぶ可能性がありますが、ロボットはこうした危険に直面してもひるむことなく、音声やライトで警告をしたり、煙を吹き出して威嚇したりできます。
セコムでは警備ロボット「cocobo(ココボ)」を市場投入し、商業施設やオフィスビルなどですでに導入されています。
少子高齢化の進む日本に対し、経済産業省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は、人手不足や過疎化などで買い物がしにくい「買い物弱者」への対応の1つに、「自動配送ロボット」の活用推進を行っています。
自動配送ロボットの定義は、さまざまな商品を配送できるロボットを指し、一定の大きさや構造を満たすロボットは道路交通法に基づく「遠隔操作型小型車」として、公道の走行もできます。
先端技術を搭載したロボットを実社会に融合させていくことは、社会的課題を解決する手段の1つとして期待されています。また、社会実装に向けた研究開発においては、産学官だけでなく、私たち1人ひとりが「ロボットフレンドリーな社会構築に対する関心を高めること」も重要と言えるでしょう。
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