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4連敗で借金「10」の西武・松井監督 失策絡みの決勝点に「攻めていったミスということもある」1点差は3勝13敗「月も変わるので何とか」
2024年04月30日 21:54(Updated:2024年04月30日 21:54)
◆だいやまーく西武1―2日本ハム(30日、ベルーナドーム)
またも1点差に泣いた。西武が4連敗で12球団最速で借金2桁に到達。首位ソフトバンクとのゲーム差も11に広がった。
日本ハム・山崎に5回までパーフェクトに抑えられた。長谷川信哉の遊撃内野安打で初めて走者を出した6回2死二塁から金子侑司の6試合連続安打となる左前適時打で同点に追いついた。松井稼頭央監督は「(山崎に)テンポ、緩急というところで抑えられた。でも、平良が頑張っていたから、よくあそこで追いついてくれた」とワンチャンスを生かした打線の粘りに連敗脱出への光明を見いだしていた。
しかし、終盤の1点を争う展開の中で致命的なミスがチームの足を引っ張った。8回表先頭の万波の左中間安打を長谷川が捕球できずに後逸(記録は安打と失策)。三塁まで走者を進めてしまい、マルティネスの左犠飛で決勝点を奪われた。
「攻めていったミスということもある。これも経験。さらに大きくなっていってもらわないといけないので、(今後も)ミスを恐れず思い切ってやってほしい」と松井監督は21歳の長谷川をかばった。
平良海馬の7回1失点の好投を勝利に結びつけることができず、これで先発投手がすべて7回2失点以下に抑えながら4連敗。1点差の試合は3勝13敗と大きく負け越している。
あと1点がわずかな差なのか、それとも重いのか。松井監督は「結果としては1点が重いということになるがピッチャーがこれだけ頑張っている。その中で何とか勝ち越し点をとれるか、そこだと思う。明日から月も変わるので何とかやっていきたい」と一つ一つ言葉を選ぶように話し、窮地の出口を見つけようとしていた。(安田栄治)
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記者
1961年、静岡県磐田市生まれ。 甲子園大会出場を夢見て幼少のころから野球に打ち込むも実現できず、ならば甲子園大会の生を知りたいと新聞記者に。 読売新聞中部本社では中日ドラゴンズ、高校野球などを担当。1994年に中日新聞社(東京新聞)に移籍し、大相撲、ゴルフ、Jリーグ、アマチュアスポーツを担当。 1998年長野五輪、2000年シドニー五輪を現地取材した。 趣味のゴルフで力士や親方らと腕前を競い、プロゴルファーに手ほどきを受けたが一向に上達せず、最近は100を切るのがやっとで月2ほどのラウンドを楽しんでいる。 2022年に東京新聞を退社。同6月から西日本新聞社でプロ野球や高校スポーツなどを取材している。
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