Course 01
山里の風景が広がる剣聖の里「柳生」を訪ねるコース。
柳生一族が眠る菩提寺や家老屋敷、2つに割れた巨石「一刀石」などが見どころ。
芳徳寺
一刀石
旧柳生藩陣屋跡
旧柳生藩家老屋敷
コース総距離:約5km
所要時間:約1時間10分(バスでの移動時間及び見学時間を除く)
JR・近鉄奈良駅から柳生・邑地中村・石打(月ヶ瀬)行きバス(約50分)
1638年、柳生宗矩が父・石舟斎供養のために創建。以後柳生家代々の菩提寺となり、本堂裏には柳生家歴代の墓がある。本堂には、釈迦如来像や宗矩、沢庵和尚の像が安置されている。
天石立神社の奥に、縦に真っ二つに割れた約7m四方の巨石がある。この辺りは昔、柳生家の修行地といわれ、柳生石舟斎が天狗だと思い斬りつけたのがこの岩だったという伝説が残る。
寛永19年(1642)年に柳生宗矩が築き、延亭4(1747)年に火災により全焼、仮建築のまま明治の廃藩を迎え、取り潰された。現在は公園として整備され、街道の休憩地として利用されている。
江戸時代末期に柳生藩の財政再建に尽力した家老、小山田主鈴の旧邸。昭和39年、作家・山岡荘八の所有となったが、没後、奈良市へ寄贈された。現在は一般公開され、柳生家にまつわる武具や資料を展示。
日本を代表する剣術流派の一つ。上泉信綱が編み出した新陰流を、柳生宗厳(むねよし、号は石舟斎)が受け継ぎ、新たに人を傷つけることなく取り押さえる無刀の術を究め、「柳生新陰流」を創始した。宗厳の五男・宗矩(むねのり)が将軍家の兵法指南役として徳川秀忠や家光の将軍側近をつとめたことで、柳生新陰流の名は世に知れ渡ることとなった。
宗矩の長男で本名は柳生三厳(みつよし)。小説やドラマで有名。文武両道に優れた剣豪で、父と同じく徳川家光の兵法指南役をつとめていたが、後に各地を旅すること10年余り、柳生に帰って正木坂に道場を開いた。全国に門弟13600余人を数え、柳生新陰流の奥義「月乃抄」を書き残した。
柳生のシンボルとしても知られる「二蓋笠」の家紋、もともとこれは津和野城主であった坂崎出羽守直盛の家紋で、柳生家の家紋ではなかった。直盛は、大坂夏の陣に端を発した徳川家康の孫娘千姫の輿入れにまつわる争いごとの結果切腹を命じられたが、幕府はそれを直盛に伝える使者として、直盛と懇意であり、武道の達人でもあった柳生宗矩を指名した。宗矩は誠意と友情を尽くして直盛に自刃を承服させ、断絶となった坂崎家の後処理を行うとともに、その子や家臣の一部を引き取った。この功績を高く評価された宗矩は、直盛の邸宅や武器類とともにこの「二蓋笠」の家紋を賜り、以降柳生家の家紋になったと伝えられている。