ぼくらの「値段」は、
資本主義のルールでこう決められている
教養として知っておきたい『資本論』のエッセンス
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商品の値段は「メリット」ではなく、作るのにどれだけ「手間をかけたか」で決まっている。メリットで考えることに慣れたビジネスパーソンには意外に思えるが、これこそ資本主義経済のルールである。そして、労働者の"値段"もまた同じ仕組みで決められていた。
「価値」だけでも、
「使用価値」だけでも、商品にならない
第1回で紹介したように、マルクスが主張したのは、「商品には、"価値"と"使用価値"がある」ということでした。これは逆に言うと、「価値」と「使用価値」がなければ、そのモノは「商品」にはならないということです。
前回のおさらいですが、使用価値とは「使用メリット」のことであり、価値とは「労力の大きさ」のことです。例えば、パンの「おいしさ」が使用価値であり、「作るのにどれくらい手間がかかったか」というのが「価値」でした。
商品とは、(自分以外の)他人に売るものです。言い換えると、「価値」と「使用価値」がないものは、他人に売ることはできない、ということです。
具体例で説明しましょう。たとえば、「使用価値(使うメリット)」がないものは商品になりません。使うメリットがなければ、誰も買ってくれません。道端に落ちている小石や、ぼくが描いた絵が商品にならないのは、「使用価値」がないからです。
役に立たないものは買ってもらえないというのは、当たり前の話ですね。でも、その当たり前の話が、とても重要なのです。
マルクスは、生産したモノが商品となるために、「命がけの跳躍」をしなければいけないと説きました。
商品には、「使用価値」が必要です。しかし、この「使用価値」があるかどうかを決めるのは、他人(お客さん)です。でき上がってみないと、お客さんはその商品を使うことができません。けれど、つくってしまったらもう変更できません。
自分の思い込みで、「これは使用価値があるはず!」と考えて生産しますが、実際の「答え合わせ」は商品ができ上がってからなのです。
そして、そのテストに合格しなければ、モノはモノで終わります。商品となることはできず、誰からも買ってもらえず終わるのです。このテストに合格しなければ、商品になれず死んでしまうのです。これが「命がけの跳躍」です。
使用価値がないモノは、即無意味なものになるのが資本主義経済なのです。