古都奈良の文化財 法隆寺地域の仏教建造物 紀伊山地の霊場と参詣道
「日本のはじまりの地」といわれ、1300年歴史を誇る古都・奈良。たくさんの寺社仏閣をはじめ歴史的建造物、文化財の宝庫である奈良県には、3つの世界遺産があります。まず、日本ではじめて登録された「法隆寺地域の仏教建造物」。2つめに、東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡という奈良市を代表する8つの資源で構成される「古都奈良の文化財」。3つめは、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場とその参詣道で構成される「紀伊山地の霊場と参詣道」。
現在日本には19の世界遺産がありますが奈良県の3つは全国最多のうちの1つです。豊かな自然を背景に日本の国づくりの原点である奈良の地で太古のロマンを感じてみませんか。
世界遺産登録30周年(令和5年度) 法隆寺地域の仏教建造物
「法隆寺地域の仏教建造物」は、1993年、姫路城とともに日本で最初の世界文化遺産として登録されました。"世界最古の木造建築群"と言われ、推古天皇と聖徳太子により607年に建立された法隆寺は、多数の仏像、宝・重要文化財に指定の建物や宝物類を有し、その数は2300点を超えます。その法隆寺の北東にある法起寺も、聖徳太子建立七大寺の1つであり、国宝である三重塔を有しています。
世界遺産に登録されている建造物は、法隆寺の国宝19棟を含む47棟と、法起寺の三重塔を加えた48棟。そのうち法隆寺の金堂、五重塔、中門、回廊、法起寺の三重塔など11棟は飛鳥時代に建造されたもので、現存する日本最古級の木造建造物です。その中には唐の時代に中国で発展した建築様式が見られ、当時の中国と日本、東アジアが密接に交流していた証を見ることができます。
法隆寺と法起寺が、ともに仏教伝来直後の日本における最初の仏教建築物で、その後1400年にわたる日本の宗教建築に深い影響を与えたこと、中国文化を受け入れ、そこから日本独自の様式を確立した代表的な例であることなどが高く評価されています。
古都奈良の文化財
1998年に登録された「古都奈良の文化財」は、東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡の8つの資産から成ります。これらは、寺院及び神社の境内・宗教建造物群、春日大社及び春日山原始林の神道思想に関連する文化的景観、平城宮跡の考古学遺跡と実に多様です。単一施設ではなく、8つの資産全体がひとつの文化遺産として登録されていることが特徴です。古都奈良のまち全体が世界遺産、と言っても過言ではありません。
元明天皇の命令により710年にそれまで都だった藤原京から平城京への遷都が行われました。平城京を中心とした74年間は奈良時代と呼ばれており、日本の首都として政治・文化の中心であった平城京内とその周辺には多くの寺院や神社が造営されました。平城宮は当時最も文化の進んでいた中国の唐の長安に習って造られたとされ、中国や朝鮮半島との交流を通じて日本の文化は大きく発展しました。
「古都奈良の文化財」が文化遺産として高く評価された理由は、日本の歴史に政治的・文化的変化をもたらした奈良時代と平城京の様子を今に伝えていること、神社仏閣などの建物だけでなくその遺産が神道や仏教などと密接に関係し、その伝統が今もなお人々の生活に息づいている点などにあります。
世界遺産登録20周年(令和6年度) 紀伊山地の霊場と参詣道
2004年に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」は、奈良県と三重県、和歌山県にまたがる世界遺産です。修験道の根本道場とされた「吉野・大峯」、神仏習合の聖地として繁栄した「熊野三山」、弘法大師によって開かれた「高野山」の3つの霊場と、それらを結ぶ「大峯奥駈道」「熊野参詣道」「高野参詣道」の参詣道で構成されています。奈良県には霊場「吉野・大峯」と、大峯奥駈道、熊野参詣道のひとつ小辺路(こへち)が所在します。「吉野・大峯」は、紀伊山地の最北端、吉野山、吉野水分神社、金峯神社、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺から成り、修験道の寺や、南朝ゆかりの史跡、源義経ゆかりの地、西行法師や松尾芭蕉が逍遥した文学の史跡など見どころが多数あります。また古来より日本一の桜の名所としても知られ、雄大な山々を背景に山肌を覆いつくすように咲き誇る桜は3万本とも言われます。4月上旬から下旬にかけて下千本、中千本、上千本、奥千本と順に開花し、咲き誇る様は圧巻です。
紀伊山地は、標高千数百メートル級の高く険しい山々が続く修験道の聖地として、すでに10世紀の中頃から日本第一の霊場として信仰を集めていました。「紀伊山地の霊場と参詣道」は、これらの資産と、自然と人々の営みが作り出した風景が一体となった文化的景観であり、その伝統が古代から現代まで受け継がれている点が高く評価されています。