岩手山の噴火の歴史
江戸時代にかかれた岩手山の絵図。西側で噴火しているのがわかる。(盛岡市中央公民館所蔵)
歴史に残っている
岩手山の噴火
1686年
(江戸時代)
たくさんの灰がふり、北上川が泥流洪水になった。
1687年
(江戸時代)
昼も夜も地震がつづいて、泥流や溶岩も流れた。
1732年
(江戸時代)
たくさんの溶岩が流れて「焼走り」ができた。
1919年
(大正時代)
水蒸気爆発がおこり、火山灰が10cmぐらいつもった。
(参考資料:平成12年版「岩手年鑑」-岩手日報社)
岩手山は、今から約70万年前にできたと考えられています。今までに何度も噴火をくり返しているのですが、縄文時代(1万2000年前〜2000年前)ごろから、東側と西側の2つにわかれて噴火するようになりました。記録に残っている岩手山の一番古い噴火は、1686年の大噴火です。このときから1919年までに4回の噴火の記録がのこっています。1732年の噴火は、たくさんの溶岩が流れて「焼走り」ができたといわれています。このときは、盛岡にも火山灰がふりましたが、その後約270年間マグマ噴火はおこっていません。また、一番新しい噴火は1919年の水蒸気爆発で、その後噴火はおこっていませんが、ときどき噴気(山から水蒸気がふき出ること)が出ることがあります。(参考資料:岩手山の地質-岩手県滝沢村教育委員会)