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KYORIN VOICE

野球部マネージャーと看護の勉強に打ち込んだ4年間

保健学部看護学科看護養護教育学専攻4年
鈴木青空さん

(2025年3月取材)

(2025年3月取材)

野球が繋いだ人々との出会い

祖父と伯父の影響で幼い頃から球場に足を運び、小学生の頃は野球を習っていました。常に野球が身近にあったことが硬式野球部のマネージャーになる一番のきっかけでした。マネージャーとしての4年間は、部員との時間だけでなく、球場管理者、動画配信担当者、審判員、記者、スポーツメーカーの関係者など野球を支える様々な立場の方々とお付き合いし、ご指導をいただきました。

野球への理解が深まった連盟の活動

3年生の時、東京新大学野球連盟の連盟長の話をいただき、悩んだ末に引き受けることにしました。連盟の仕事を通じて感じたのは、野球界はまだ"男社会"だということでした。学外の人から「女なんだね、男だと思っていた」と言われたり、大事なことを役職者の私にではなく付き添いの男子部員に伝えたりする場面もよくありました。一方で、連盟役員や指導者は私の気持ちを理解し支えてくれましたし、チームのマネージャー仲間はどんな時も味方をしてくれました。連盟長として全日本大学野球選手権大会では公式記録員とアナウンス、関東地区大学野球選手権大会では公式記録員を担当しました。運営役員を経験したことで視野が広がり、自分たちの当たり前をいい意味で疑える機会にもなりました。

思い出深い戦いの日々

令和6年春季リーグの開幕戦は、創価大学から23季ぶりの2試合連続勝利をあげ、勝ち点1を獲得しました。チームの最終戦となった共栄大学との優勝争いは、あと一歩及びませんでしたが、届かなかった全日本への道は後輩たちに託します。同年の秋季リーグは3位となり、10年ぶりに関東地区大学野球選手権大会への出場を果たしました。目標だった上位の大会への出場がラストシーズンに叶いました。これまでの全ての努力や苦労が報われた瞬間でした。1回戦、準々決勝と、スタンドにいた選手たちの懸命な応援が、グラウンドで戦うナインの大きな力になったと思います。4年生最後の試合のあと、「勝てなくてすみません」「4年生ともっと野球がしたかった」と言ってくれた後輩たちの言葉を忘れません。「絶対」がないから真剣になれる勝負の世界に、仲間と共に挑むことができてとても幸せでした。毎日毎日、野球部のことを考える生活はとても充実していました。楽しいだけでなく、たくさん悩み、考え、もがいた4年間でしたが、今でもチームに戻りたいと思います。私にとって硬式野球部での経験はかけがえのない財産です。

タスク管理と仲間の助けで勉強と両立

看護学科での勉強と野球部の両立は想像以上に大変でした。転学科も考えるほど悩んでいた私に、当時の監督は「看護学科だから(両立が)難しいではなく"看護学科でもつとめきったマネージャー"になってほしい」と励ましてくれました。この言葉のおかげで今の私があります。野球部の活動と並行して看護師と教職課程(養護教諭)の勉強や実習に対応するのに役立ったのは、手帳に予定をしっかり書き込むタスク管理でした。空きコマを利用して、授業を受ける井の頭キャンパスとグラウンドのある八王子キャンパスを頻繁に行き来するのにもこのタスク管理が活躍してくれました。それに、同じ学科生のグループラインで、「明日これ締め切りだよ」と知らせてもらうなど、仲間の助けも両立の強力な武器になりました!(笑)

経験から多くを学び成長を実感

家族や親戚に「高校まではふわふわしていたけど、大学に入ってから強くなったね」と言われます。自分の考えをしっかり持って周りに流され過ぎないこと、何か起きた時にはまずは落ち着いて冷静になることの大切さを4年間の様々な経験から学びました。また、マネージャーも選手も同じ方向を向かなければチームに一体感は生まれません。何か目的を達成するためには、みんなが同じ方向を向くことが大切であることも学びました。

野球部後輩たちへのエール

令和7年度のチームは、創部初のリーグ優勝という周囲からの熱い期待を背負い、練習に励んでいます。道は平坦ではなく様々な葛藤の繰り返しだと思います。うまく行かないことやできなかったことに目が行きがちですが、不安な時こそ"できるようになったこと"を意識してほしいと思います。今のチームには、練習中に少しでも疑問があれば集まって話し合うとか、試合後に内容を細かく振り返って改善点を出し合うとかの良い変化も感じられます。溝口監督など杏林の指導者も、そうした選手たちの前向きな姿を見守り、足りない点を指摘してくれます。4年生の引退試合となった、第20回関東地区大学野球選手権大会準々決勝の白鴎大学戦のあと、ロッカールームでのミーティングで、当時の主将が後輩たちに向けて「自分たちは1番のファンとしてみんなを応援している」と伝えました。この言葉の通り、私も後輩たちのことをずっと応援しています。敗戦で涙を流した後輩たち、次はみんなの素敵な笑顔をたくさん見せてください!

杏林病院で社会人スタート

4月から看護師として杏林大学病院に入職します。実習等でお世話になった多くの方々からいただいた言葉を胸に、医療現場の様々なニーズに寄り添った看護を提供することが目標です。そして、再び野球に関われる日を夢見ています。「チャンスは必ず巡ってくる。巡ってきた時にすぐ応えられる準備をしなさい」。これは進路を迷っている時に看護の先生がかけてくれた言葉です。いつの日か再び野球に関わるチャンスがやって来ることを胸に抱きつつ、目の前の仕事に全力投球しながら看護師としてのキャリアを積み重ねたいと考えています。

これからも初心忘れず

看護師国家試験、養護教諭第一種免許状を獲得し、卒業できました。卒業時には、杏林大学特別表彰学生として、硬式野球部での活動を表彰していただきました。これは、硬式野球部の指導者、選手、マネージャー、大学野球の関係者の皆様、そして、ずっと見守ってくれた家族、友人のおかげです。今後も初心を忘れず、精進してまいります。本当にありがとうございました。

(注記)記事および各人の所属等は取材当時のものです

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