50周年。
その年数より、
救えた患者さんの数を誇りたい。
50周年。
その年数より、
救えた患者さんの数を誇りたい。
JCRファーマ株式会社。
おそらく、あまり聞き馴染みのない社名ではないでしょうか。
一言で自己紹介すると、私たちは製薬メーカー。ただ、一般的なそれとは少し異なります。
世の中には国内で5万人未満、およそ0.04%未満の方だけがかかる
「希少疾病」と呼ばれる病気が存在します。
私たちはその領域における医薬品開発を手がけている会社。
創立から50年。独自のバイオ技術や細胞治療・再生医療技術で、
多くの新薬創製を実現してきました。
社名が表に出ることは少ないですが、業界では「バイオ医薬品のJCR」
そう呼んでいただける存在です。
一方で、希少疾病はその名のとおり症例が少ない病気のため、
ひとつひとつの研究や開発は非常に難易度が高く、莫大な費用や時間が求められます。
ビジネスとして考えれば、非効率な部分は多い分野かもしれません。
しかし、それでも私たちには効率より優先したいことがある。
今も苦しむ患者さんやそのご家族の想いに、誰よりまっすぐ、愚直に、ひたむきに向き合うこと。
そして希少疾病の方はもちろん、これからを生きるすべての人々にとって、
「治療薬がない」 という絶望がない世界を本気でつくっていくこと。
それが、50年の歩みの先に見据える、私たちJCRファーマの使命です。
JCR Mission Next 50
まだ誰も治せない病気に、私たちは、何ができるだろうか
世界には、希少疾病と向き合う人々が約3億5000万人います。
これは、世界人口のおよそ25分の1にあたる割合です。希少疾病の多くは、まだ治療法が確立されていません。
限られた選択肢の中で、多くの患者さんとそのご家族は「希望」を探し続けています。
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- 希少疾病の種類
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5 ,000 ~8 ,000 種類
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- 世界における
希少疾病の患者数 - 3.5 億人
- 世界における
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- 未確立の治療法
- 95 %
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※(注記)出典:IFPMA(国際製薬団体連合会)2017年作成資料「希少疾患ー誰も置き去りにしない未来を創る」
治療法のない病気に挑み、患者さんの未来に希望を灯す
私たちは、研究から製造、開発、販売までを一貫して手がける、日本でも数少ないバイオ医薬品メーカーです。研究開発力とモノづくりの力を強みに、数々の限界を乗り越えてきました。希少疾病への取り組みは、終わりのない挑戦かもしれません。それでも、少しでも多くの患者さんに希望を届けるために、JCRはこれからも「新たな治療の選択肢」を形にし続けます。
Message from CEO CEOメッセージ
常に前進するベンチャースピリットで
次の50年も患者さんの想いに応え続ける
世の中で求められている治療薬は何か。
社員が数名だった1975年の創業時から約1,000人となった現在まで、常に私たちは考えてきました。その根幹にあるのが、研究・開発に多くのリソースを投じながら、失敗を責めず常に前へ進むことを重視したベンチャースピリットです。象徴ともいえるのが、独自技術の「J-Brain Cargo®※(注記)1」 。この技術は、希少疾病であるライソゾーム病※(注記)2をはじめとする様々な疾患への応用が期待され、今後の創薬の幅を大きく広げる可能性を秘めています。私たちが注力している希少疾病領域への挑戦は、ビジネスとして必ずしも効率的だとは言えません。それでもなお歩みを止めないのは、今この瞬間も苦しんでいる患者さんやそのご家族の想いに応えることが使命であると考えているから。創業時から変わらぬ強い覚悟のもと、この先50年、100年と新たな歴史を切り拓いていきます。
- 代表取締役会長兼社長
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[画像:芦田信]
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※(注記)1当社が独自に開発した血液脳関門通過技術であり、中枢神経系にバイオ医薬品を送達することを可能とする
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※(注記)2特定酵素の欠損やその機能低下によってさまざまな症状を引き起こす病気
History 50年の軌跡
1975年 ウロキナーゼ精製事業の存続をかけて奔走した創業期
JCRのはじまりは、一つの事業の存続をかけた一人の研究者の奮闘でした。1975年、現会長の芦田は当時勤めていた製薬会社でウロキナーゼ精製のプロジェクトを担当していましたが、会社都合で突如中止に。ウロキナーゼは、尿由来のタンパク質分解酵素です。採取した大量の尿と立ち上げたばかりの精製工場が宙に浮きかけましたが、芦田は諦めませんでした。会社を辞め、自ら取引先の確保に奔走したのです。
その後、フランスの企業となんとか取引が決まったのをきっかけに起業を決意。そうして設立したのが、JCRの前身となる「日本ケミカルリサーチ」でした。社屋は木造2階建て、社員は6名というこぢんまりとしたスタートでしたが、ウロキナーゼ原体の国内でのニーズは高く、販売は順調に推移していきました。
その後、尿中から効率よくウロキナーゼを抽出・精製する手法を確立し、ウロキナーゼ製剤および原液の製造承認も取得。また、営業活動の際には、販売後の精製技術も教えるサービスを付けるなど、新規顧客開拓でも工夫を凝らしながら国内外で販売を拡大し、事業の基盤を着々と築いていったのです。
1985年 成長ホルモン事業が拓いた遺伝子工学への道
1985年には、現在の主力事業である成長ホルモン(GH)ビジネスに参入しました。当時国内では、「成長ホルモン分泌不全性低身長症」のお子さんをはじめ、ヒト成長ホルモン(hGH)投与を待つ患者さんは多かったものの、輸入品頼りで供給量が不足していました。
JCRは「待っている患者さんやご家族のために」と奮起し、まずはhGH製剤の輸入許可を取得。1993年には遺伝子組換えのhGH製剤の製造承認を取得しました。以降、生体由来から遺伝子組換え製剤への移行を進め、それが後のJCRの遺伝子工学への本格的な取り組みにつながっていくのです。
一方、成長ホルモン治療薬の開発はその後も続き、適応症を徐々に増やし、現在は小児から成人までより多くの患者さんのニーズに応えられるようになりました。また、成長ホルモン治療は製剤自体もさることながら、患者さん自身が毎日行う注射のための注入器(デバイス)の利便性向上も重要な課題だったため、デバイスの改良にも注力。患者さんの痛みや苦しみを「何とかしたい」という気持ちが、今もなお進化を続ける主力商品の原動力となっています。
2010年 より安全な治療薬を。完全無血清培養による国産初のバイオ後続品の承認を取得
「私たちならできるはず」。バイオ医薬品への転換が進む中、次に挑んだのが、遺伝子組換えエリスロポエチン(EPO)製剤の開発でした。
当時は「バイオ後続品※(注記)3」という申請区分がなかったため、初めは新薬としての開発を目指していましたが、中でもこだわったのが、「完全無血清培養」。まさに狂牛病が社会問題となっている中、安全性の高い技術の確立を掲げました。より高度な技術が必要とされるため、その過程は一筋縄ではいきませんでしたが、「自分たちの技術があれば、新薬を生み出せるはずだ」と研究者たちは前を向き続けました。創業からのウロキナーゼ精製で磨き上げてきた精製技術、目的とする品質のEPOを細胞に効率よく作らせるための技術を土台に試行錯誤を繰り返し、2年越しで技術を確立したのです。
その後、2009年には国が「バイオ後続品」のガイドラインを策定、国産初のバイオ後続品として承認されました。
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※(注記)3国内で既に新有効成分含有医薬品として承認されたバイオテクノロジー応用医薬品(先行バイオ医薬品)と同等・同質の品質、安全性、有効性を有する医薬品として、異なる製造販売業者により開発される医薬品
2016年 13年間の研究開発の末、ついに日本初の他家由来再生医療等製品を生み出す
13年にもおよぶ開発期間を支えたのは、「患者さんのために、まだ誰も成し遂げたことない治療薬の開発を」という情熱でした。はじまりは2003年、芦田がある米国企業の研究に感銘を受けたことをきっかけに、従来のバイオ医薬品と全く異なる領域の「ヒト間葉系幹細胞」の研究開発に取り組むようになりました。
JCRとしては初となる海外からの生産技術移転では、3名が半年間の実地研修を経て技術を持ち帰りました。しかし、帰国後は、持ち帰った方法がそのままではうまくいかなかったり、原材料が国内販売中止になったりさまざまな困難がありました。治験中、一時は研究・生産規模が縮小されることになりましたが、治験を通して治療薬への期待の高さを感じていた研究者たちは粘り強く研究を続けました。
潮目が変わったのは2012年の山中伸弥氏によるノーベル医学・生理学賞受賞。再生医療に対する世の中のムードが変わり、2015年にはついに日本初の他家由来※(注記)4の再生医療等製品として承認されました。重篤な病気である急性移植片対宿主病(急性GVHD)※(注記)5の治療の選択肢を世の中に一つ増やせたこと。JCRにおいても細胞製品という新たな分野へ踏み出すきっかけとなったこと。半ば執念のような想いは、次へとつながる大きな一歩となりました。
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※(注記)4患者以外(他人)の組織由来であること
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※(注記)5同種造血細胞移植時にドナー由来のリンパ球が引き起こす合併症
2020年 未曾有のパンデミック・コロナウイルスのワクチン原液製造に参画
「世の中の混沌とした状況を変えたい」。2020年当時は、新型コロナウイルス感染症による世界的混乱の真っ只中。日本国内での受託製造先を独自調査していた英・アストラゼネカ社から打診を受けたJCRは、「社会のために」とワクチン原液製造に参画することを決めました。
しかし、その頃はコロナウイルスに関する情報が圧倒的に少ない状況。さらに一刻も早いワクチンの供給が待たれる中、平常時では考えられないような短期間での製造プロセスの構築が急がれました。世界的な原材料不足、技術移転元となる海外企業とのカルチャーの違いから生じるジレンマ、JCRとしても複雑な法令への対応など、次々と降り掛かる難題。平均年齢20代という若手中心の現場の負担は計り知れないものでしたが、メンバー同士で励まし合ったり、経験豊富な先輩社員からアドバイスをもらったりと、チームJCRを体現しながら、試練を乗り越えていきました。
結果として、ロットアウトなし(失敗なし)で供給することができ、アストラゼネカ社製のワクチンは、世界で最も打たれたコロナワクチンになりました。パンデミックの収束に貢献したことはもちろん、国の補助金を用いて新たに原薬工場を新設したことで、有事にはワクチンを迅速に生産できる体制を整備。JCRはこれからも社会の平穏を守り支えていきます。
2021年 JCRの力を結集。独自技術から待望の治療薬を生み出す
はじまりは、患者さんの両親からの「何とかならないか」という切実な願いでした。2005年、当時研究員だった薗田研究本部長が希少疾病のライソゾーム病※(注記)6に苦しむ患者さんのご家族からその想いを直接聞き、新薬の必要性を強く認識し、研究をスタートしました。
治療薬の完成には、脳に存在するバリア機構、血液脳関門を通過させて脳内に薬剤を届ける技術の確立が必須。前人未到の難題をクリアするために、地道な研究が続きました。アドバンテージとなったのが、JCRがこれまで培ってきた数々の技術。すなわちバイオ医薬品の精製技術やバイオ後続品で培った細胞を用いた生産技術、抗体や糖鎖デザインなどの遺伝子工学のノウハウ技術でした。
2014年頃、臨床試験の準備に入ってからは、「1日でも早く、待っている患者さんのために」と急ピッチで新薬の承認を目指しました。さまざまな部署が連携し、臨床試験におけるソフト・ハード両面のさまざまな課題を解決し、2021年ついに治療薬が国内での承認・販売に至ったのです。現在は国外でも臨床試験を行い、グローバル展開も見据えています。また同時に、血液脳関門を通過させる技術については、神経変性疾患など他の治療薬への応用も目指しています。世界中で今も治療薬を待つ方々に向けて、JCRはこれからも挑戦を続けていきます。
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※(注記)6特定酵素の欠損やその機能低下によってさまざまな症状を引き起こす病気
Beyond50th 未来への挑戦
JCRの技術を世界へ。世界とつながり、新たな治療法を生み出す。
JCRが開発した独自技術「J-Brain Cargo®」は、さまざまな疾患の治療に貢献できる可能性を秘めています。
他社とのパートナリングを軸に、技術を世界へと広げ、治療の選択肢は今、世界中の患者さんへと広がりつつあります。
世界中の患者さんとそのご家族に希望を届けること。
それが、第2の創業期を迎えたJCRファーマの使命です。
JCR People 新たな希望をつなぐ人たち
世の中にまだ存在しない価値を生み出すJCR。その原動力となっているのは、社員一人ひとりの挑戦の積み重ねです。
「あなたに新しい視点や価値観をもたらしたものは何ですか?」
新たな可能性を切り拓く社員たちの声を、インタビューでご紹介します。
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JCR Movies JCRファーマの挑戦
Hopes of a breakthrough for the families of Hunter syndrome patients(日本語字幕・6分45秒)
Introduction Movies