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JCRファーマ株式会社 50th ANNIVERSARY

50周年。
その年数より、
救えた患者さんの数を誇りたい。

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50周年。
その年数より、
救えた患者さんの数を誇りたい。

JCRファーマ株式会社。
おそらく、あまり聞き馴染みのない社名ではないでしょうか。
一言で自己紹介すると、私たちは製薬メーカー。ただ、一般的なそれとは少し異なります。
世の中には国内で5万人未満、およそ0.04%未満の方だけがかかる
「希少疾病」と呼ばれる病気が存在します。

私たちはその領域における医薬品開発を手がけている会社。
創立から50年。独自のバイオ技術や細胞治療・再生医療技術で、
多くの新薬創製を実現してきました。
社名が表に出ることは少ないですが、業界では「バイオ医薬品のJCR」
そう呼んでいただける存在です。

一方で、希少疾病はその名のとおり症例が少ない病気のため、
ひとつひとつの研究や開発は非常に難易度が高く、莫大な費用や時間が求められます。
ビジネスとして考えれば、非効率な部分は多い分野かもしれません。
しかし、それでも私たちには効率より優先したいことがある。
今も苦しむ患者さんやそのご家族の想いに、誰よりまっすぐ、愚直に、ひたむきに向き合うこと。
そして希少疾病の方はもちろん、これからを生きるすべての人々にとって、
「治療薬がない」 という絶望がない世界を本気でつくっていくこと。
それが、50年の歩みの先に見据える、私たちJCRファーマの使命です。

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JCR Mission Next 50

まだ誰も治せない病気に、私たちは、何ができるだろうか

世界には、希少疾病と向き合う人々が約3億5000万人います。
これは、世界人口のおよそ25分の1にあたる割合です。希少疾病の多くは、まだ治療法が確立されていません。
限られた選択肢の中で、多くの患者さんとそのご家族は「希望」を探し続けています。

  • 希少疾病の種類
    5 ,000 ~
    8 ,000 種類
  • 世界における
    希少疾病の患者数
    3.5 億人
  • 未確立の治療法
    95 %
  • (注記)出典:
    IFPMA(国際製薬団体連合会)2017年作成資料「希少疾患ー誰も置き去りにしない未来を創る」

治療法のない病気に挑み、患者さんの未来に希望を灯す

私たちは、研究から製造、開発、販売までを一貫して手がける、日本でも数少ないバイオ医薬品メーカーです。研究開発力とモノづくりの力を強みに、数々の限界を乗り越えてきました。希少疾病への取り組みは、終わりのない挑戦かもしれません。それでも、少しでも多くの患者さんに希望を届けるために、JCRはこれからも「新たな治療の選択肢」を形にし続けます。

Message from CEO CEOメッセージ

常に前進するベンチャースピリットで
次の50年も患者さんの想いに応え続ける

世の中で求められている治療薬は何か。
社員が数名だった1975年の創業時から約1,000人となった現在まで、常に私たちは考えてきました。その根幹にあるのが、研究・開発に多くのリソースを投じながら、失敗を責めず常に前へ進むことを重視したベンチャースピリットです。象徴ともいえるのが、独自技術の「J-Brain Cargo®(注記)1」 。この技術は、希少疾病であるライソゾーム病(注記)2をはじめとする様々な疾患への応用が期待され、今後の創薬の幅を大きく広げる可能性を秘めています。私たちが注力している希少疾病領域への挑戦は、ビジネスとして必ずしも効率的だとは言えません。それでもなお歩みを止めないのは、今この瞬間も苦しんでいる患者さんやそのご家族の想いに応えることが使命であると考えているから。創業時から変わらぬ強い覚悟のもと、この先50年、100年と新たな歴史を切り拓いていきます。

代表取締役会長兼社長
[画像:芦田信]
  • (注記)1
    当社が独自に開発した血液脳関門通過技術であり、中枢神経系にバイオ医薬品を送達することを可能とする
  • (注記)2
    特定酵素の欠損やその機能低下によってさまざまな症状を引き起こす病気

History 50年の軌跡

1975年 ウロキナーゼ精製事業の存続をかけて奔走した創業期

JCRのはじまりは、一つの事業の存続をかけた一人の研究者の奮闘でした。1975年、現会長の芦田は当時勤めていた製薬会社でウロキナーゼ精製のプロジェクトを担当していましたが、会社都合で突如中止に。ウロキナーゼは、尿由来のタンパク質分解酵素です。採取した大量の尿と立ち上げたばかりの精製工場が宙に浮きかけましたが、芦田は諦めませんでした。会社を辞め、自ら取引先の確保に奔走したのです。
その後、フランスの企業となんとか取引が決まったのをきっかけに起業を決意。そうして設立したのが、JCRの前身となる「日本ケミカルリサーチ」でした。社屋は木造2階建て、社員は6名というこぢんまりとしたスタートでしたが、ウロキナーゼ原体の国内でのニーズは高く、販売は順調に推移していきました。
その後、尿中から効率よくウロキナーゼを抽出・精製する手法を確立し、ウロキナーゼ製剤および原液の製造承認も取得。また、営業活動の際には、販売後の精製技術も教えるサービスを付けるなど、新規顧客開拓でも工夫を凝らしながら国内外で販売を拡大し、事業の基盤を着々と築いていったのです。

1985年 成長ホルモン事業が拓いた遺伝子工学への道

1985年には、現在の主力事業である成長ホルモン(GH)ビジネスに参入しました。当時国内では、「成長ホルモン分泌不全性低身長症」のお子さんをはじめ、ヒト成長ホルモン(hGH)投与を待つ患者さんは多かったものの、輸入品頼りで供給量が不足していました。
JCRは「待っている患者さんやご家族のために」と奮起し、まずはhGH製剤の輸入許可を取得。1993年には遺伝子組換えのhGH製剤の製造承認を取得しました。以降、生体由来から遺伝子組換え製剤への移行を進め、それが後のJCRの遺伝子工学への本格的な取り組みにつながっていくのです。
一方、成長ホルモン治療薬の開発はその後も続き、適応症を徐々に増やし、現在は小児から成人までより多くの患者さんのニーズに応えられるようになりました。また、成長ホルモン治療は製剤自体もさることながら、患者さん自身が毎日行う注射のための注入器(デバイス)の利便性向上も重要な課題だったため、デバイスの改良にも注力。患者さんの痛みや苦しみを「何とかしたい」という気持ちが、今もなお進化を続ける主力商品の原動力となっています。

2010年 より安全な治療薬を。完全無血清培養による国産初のバイオ後続品の承認を取得

「私たちならできるはず」。バイオ医薬品への転換が進む中、次に挑んだのが、遺伝子組換えエリスロポエチン(EPO)製剤の開発でした。
当時は「バイオ後続品(注記)3」という申請区分がなかったため、初めは新薬としての開発を目指していましたが、中でもこだわったのが、「完全無血清培養」。まさに狂牛病が社会問題となっている中、安全性の高い技術の確立を掲げました。より高度な技術が必要とされるため、その過程は一筋縄ではいきませんでしたが、「自分たちの技術があれば、新薬を生み出せるはずだ」と研究者たちは前を向き続けました。創業からのウロキナーゼ精製で磨き上げてきた精製技術、目的とする品質のEPOを細胞に効率よく作らせるための技術を土台に試行錯誤を繰り返し、2年越しで技術を確立したのです。
その後、2009年には国が「バイオ後続品」のガイドラインを策定、国産初のバイオ後続品として承認されました。

  • (注記)3
    国内で既に新有効成分含有医薬品として承認されたバイオテクノロジー応用医薬品(先行バイオ医薬品)と同等・同質の品質、安全性、有効性を有する医薬品として、異なる製造販売業者により開発される医薬品

2016年 13年間の研究開発の末、ついに日本初の他家由来再生医療等製品を生み出す

13年にもおよぶ開発期間を支えたのは、「患者さんのために、まだ誰も成し遂げたことない治療薬の開発を」という情熱でした。はじまりは2003年、芦田がある米国企業の研究に感銘を受けたことをきっかけに、従来のバイオ医薬品と全く異なる領域の「ヒト間葉系幹細胞」の研究開発に取り組むようになりました。
JCRとしては初となる海外からの生産技術移転では、3名が半年間の実地研修を経て技術を持ち帰りました。しかし、帰国後は、持ち帰った方法がそのままではうまくいかなかったり、原材料が国内販売中止になったりさまざまな困難がありました。治験中、一時は研究・生産規模が縮小されることになりましたが、治験を通して治療薬への期待の高さを感じていた研究者たちは粘り強く研究を続けました。
潮目が変わったのは2012年の山中伸弥氏によるノーベル医学・生理学賞受賞。再生医療に対する世の中のムードが変わり、2015年にはついに日本初の他家由来(注記)4の再生医療等製品として承認されました。重篤な病気である急性移植片対宿主病(急性GVHD)(注記)5の治療の選択肢を世の中に一つ増やせたこと。JCRにおいても細胞製品という新たな分野へ踏み出すきっかけとなったこと。半ば執念のような想いは、次へとつながる大きな一歩となりました。

  • (注記)4
    患者以外(他人)の組織由来であること
  • (注記)5
    同種造血細胞移植時にドナー由来のリンパ球が引き起こす合併症

2020年 未曾有のパンデミック・コロナウイルスのワクチン原液製造に参画

「世の中の混沌とした状況を変えたい」。2020年当時は、新型コロナウイルス感染症による世界的混乱の真っ只中。日本国内での受託製造先を独自調査していた英・アストラゼネカ社から打診を受けたJCRは、「社会のために」とワクチン原液製造に参画することを決めました。
しかし、その頃はコロナウイルスに関する情報が圧倒的に少ない状況。さらに一刻も早いワクチンの供給が待たれる中、平常時では考えられないような短期間での製造プロセスの構築が急がれました。世界的な原材料不足、技術移転元となる海外企業とのカルチャーの違いから生じるジレンマ、JCRとしても複雑な法令への対応など、次々と降り掛かる難題。平均年齢20代という若手中心の現場の負担は計り知れないものでしたが、メンバー同士で励まし合ったり、経験豊富な先輩社員からアドバイスをもらったりと、チームJCRを体現しながら、試練を乗り越えていきました。
結果として、ロットアウトなし(失敗なし)で供給することができ、アストラゼネカ社製のワクチンは、世界で最も打たれたコロナワクチンになりました。パンデミックの収束に貢献したことはもちろん、国の補助金を用いて新たに原薬工場を新設したことで、有事にはワクチンを迅速に生産できる体制を整備。JCRはこれからも社会の平穏を守り支えていきます。

2021年 JCRの力を結集。独自技術から待望の治療薬を生み出す

はじまりは、患者さんの両親からの「何とかならないか」という切実な願いでした。2005年、当時研究員だった薗田研究本部長が希少疾病のライソゾーム病(注記)6に苦しむ患者さんのご家族からその想いを直接聞き、新薬の必要性を強く認識し、研究をスタートしました。
治療薬の完成には、脳に存在するバリア機構、血液脳関門を通過させて脳内に薬剤を届ける技術の確立が必須。前人未到の難題をクリアするために、地道な研究が続きました。アドバンテージとなったのが、JCRがこれまで培ってきた数々の技術。すなわちバイオ医薬品の精製技術やバイオ後続品で培った細胞を用いた生産技術、抗体や糖鎖デザインなどの遺伝子工学のノウハウ技術でした。
2014年頃、臨床試験の準備に入ってからは、「1日でも早く、待っている患者さんのために」と急ピッチで新薬の承認を目指しました。さまざまな部署が連携し、臨床試験におけるソフト・ハード両面のさまざまな課題を解決し、2021年ついに治療薬が国内での承認・販売に至ったのです。現在は国外でも臨床試験を行い、グローバル展開も見据えています。また同時に、血液脳関門を通過させる技術については、神経変性疾患など他の治療薬への応用も目指しています。世界中で今も治療薬を待つ方々に向けて、JCRはこれからも挑戦を続けていきます。

  • (注記)6
    特定酵素の欠損やその機能低下によってさまざまな症状を引き起こす病気

Beyond50th 未来への挑戦

JCRの技術を世界へ。世界とつながり、新たな治療法を生み出す。

JCRが開発した独自技術「J-Brain Cargo®」は、さまざまな疾患の治療に貢献できる可能性を秘めています。
他社とのパートナリングを軸に、技術を世界へと広げ、治療の選択肢は今、世界中の患者さんへと広がりつつあります。

世界中の患者さんとそのご家族に希望を届けること。
それが、第2の創業期を迎えたJCRファーマの使命です。

JCR People 新たな希望をつなぐ人たち

世の中にまだ存在しない価値を生み出すJCR。その原動力となっているのは、社員一人ひとりの挑戦の積み重ねです。
「あなたに新しい視点や価値観をもたらしたものは何ですか?」
新たな可能性を切り拓く社員たちの声を、インタビューでご紹介します。

(注記)
2025年9月時点の情報です
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    Interview 01 営業本部 西日本営業部 九州・沖縄エリア T.U (注記) 2025年9月時点の情報です 支えられて、 支える人へ

    Q1 現在のあなたのお仕事について教えてください

    2025年4月より、九州・沖縄エリアのエリアマネージャーとしてマネジメント業務に従事しています。
    この業務において大切にしているのは、目の前の業務やエリア内だけのマネジメントにとどまらず、「営業本部」「西日本営業部」「エリア」それぞれの視点から、必要な業務の取組みや人財育成、メンバーが携わる業務に対する"目的の明確化"を意識することです。
    上司・先輩・課員の皆さんのサポートもあり、4月当初より建設的な会議・研修になってきており、課員全員で課題を創出し、目的意識を持って業務に取り組めていることに大きなやりがいを感じています。

    Q2 あなたに新しい視点や価値観をもたらした人または出来事はありますか?

    当時、上司に相談する中で、今思えば失礼だったかもしれない内容も否定することなく、いつも受け入れてもらっていました。
    さらに後になって、その上司が私の知らないところで、私のミスのフォローをし、陰ながら守ってくれていたことを人づてに知りました。
    そのとき初めて、自分は本当に多くの人に支えられて活かされているのだと実感しました。
    この経験を通して、目に見えることだけでなく、目には見えないところで支えてくれている存在にも意識を向け、感謝するようになりました。
    そうした「見えない支え」に気づこうとする姿勢こそが、本当の謙虚さなのだと感じています。今ではそれが、私にとって大切な価値観のひとつとなっています。

    Q3 仕事を通じて自分自身が変化したと感じた瞬間はありますか?

    指示権がない中でいかに人や組織を動かすか、この課題に対して、1年前から常に考え続けています。現時点での答えは、「最前線で本気で理想を追い続けること」だと感じています。
    ここでいう理想とは、営業目標や課員のキャリアパス、そしてJCRの次の50年のあり方を指します。この理想を常に念頭に置きながら、営業活動や会議、研修、さらにはメンバーとの面談に取り組んでいます。
    この考え方が実際に人や組織を動かしているかどうかはまだ判断が難しいですが、「I message」から「We message」へ自身の意識が変わったことで 、多様な視点や視野、視座から物事を考える習慣が身についたと感じています。

    Q4 この会社で、どんなものを生み出していきたいですか?

    年齢に関係なく誰もが「こうありたい」という希望を持って働ける、そんな組織をつくっていきたいと考えています。そのためには、管理職が中心となって、一人ひとりのキャリアパスに紐づいた役割を創出すること、そして何よりも、私自身が「こんな先輩になりたい」「この人のために頑張りたい」と思ってもらえるように、日々の行動で信頼を築いていくことが大切だと感じています。
    これまで、多くの方々の支えがあったからこそ、「希望」を持って働くことができました。その感謝を胸に、今度は私が誰かの支えになれるよう、自ら考え、自ら行動を起こしていきます。

    NEXT INTERVIEW

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    Interview 02 開発本部 臨床開発ユニット T.I (注記) 2025年9月時点の情報です 仲間とともに、 患者さんの笑顔のために

    Q1 現在のあなたのお仕事について教えてください

    新薬の臨床開発において、開発戦略の立案から治験計画の検討、治験結果の科学的解釈に至るまで、製造販売承認の取得に向けた多様な課題に取り組んでいます。
    特に希少疾病領域での医薬品開発は制約が多く、困難を乗り越えるための挑戦が続きます。それでも、志を共にする仲間や熱意ある専門家の先生方、規制当局との議論を重ねながら治験計画を磨き上げていく過程は、非常に刺激的でやりがいがあります。
    開発戦略を担う使命感と、多様なメンバーと協力しながらプログラムを前進させていく達成感の両方を実感できる、非常に意義深い仕事だと思っています。

    Q2 あなたに新しい視点や価値観をもたらした人または出来事はありますか?

    あるプログラムの開発戦略検討をリードした経験が、私に「チームワーク」の重要性を教えてくれました。
    当時の私は人に業務を依頼することに不慣れで、何をどのように進めればよいか、まったく手探りの状態でした。そんな中、戦略検討に携わっていた数名の同僚が私を積極的に支えてくれました。「あの先生と会ってみるのはどう」「スライド作っておこうか」「これ調べておくわ」など、たくさんの提案が大きな助けとなりました。そのおかげで、多くの関係者を巻き込みながら戦略を取りまとめることができました。
    この経験を通じて、周囲の支援を得ながら成果を生み出すことの意義とチームで協力し合うことの力強さを学びました。また、お互いを支えあおうという気持ちが感じられるのがJCRの魅力だと思います。

    Q3 仕事を通じて自分自身が変化したと感じた瞬間はありますか?

    開発ステージのグローバル化に伴い、開発本部の組織と人材のグローバル化が進んだこの数年は、私たち一人ひとりに大きな変化をもたらしました。
    コミュニケーションスタイルや物事の捉え方・進め方の違い、さらに言語の壁などは、日本のメンバーと海外のメンバー双方にとって大きな挑戦でした。時にはすれ違いや衝突もありましたが、互いに勇気を持って歩み寄り、努力を重ねながら少しずつ変化を受け入れてきました。その積み重ねがあったからこそ、現在グローバルプログラムを前進させることができる開発本部が築かれました。
    そんな変化に真摯に向き合い、挑戦を乗り越えてきた開発部員一人ひとりを心から誇りに思っています。

    Q4 この会社で、どんなものを生み出していきたいですか?

    JCRでの業務を通じて、これまでに多くの患者さんやご家族の思いに触れてきました。
    その経験を重ねる中で、私の挑戦の原動力となっているのは、「私の仕事が、一人でも多くの方の笑顔につながったら、こんなに素敵なことはない」という想いです。そしてもうひとつ、「たとえ自分ひとりでは力が及ばなくても、一緒に挑んでくれる仲間がいる」と思えることも、大きな支えになっています。
    これからもJCRが、そんな仲間とともに挑戦し続けられる会社であってほしいと願っていますし、私自身もその一員として、前を向いて歩み続けていきたいと思っています。

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    Interview 03 研究本部 創薬研究所 トランスレーショナルリサーチ推進ユニット第二グループ兼 研究本部プロジェクト推進室 A.Y (注記) 2025年9月時点の情報です 多様な発想で、 未来をデザインする

    Q1 現在のあなたのお仕事について教えてください

    トランスレーショナルリサーチ推進ユニットではグループ全体のマネジメントを、プロジェクト推進室ではAAVをはじめとする研究本部内のプロジェクト推進をリードする役割を担っています。
    日々の業務において特に意識しているのは、報告・連絡・相談をとにかく「早く、適切に」行うこと、そして「皆さんのモチベーションをいかに高められるか」という2点です。
    グループやユニットのメンバー、プロジェクト関係者、その他日々の業務で関わる多くの方々に信頼してもらい、余計なストレスなく安心して業務に取り組んでもらえるよう、報連相は早く、そしてオープンかつ適切に行うことを心がけています。
    また、メンバーのモチベーションが下がらないように、業務の調整や声かけにも細やかに気を配るようにしています。

    Q2 あなたに新しい視点や価値観をもたらした人または出来事はありますか?

    マネージャー研修で会った先輩社員からのアドバイスが転機となりました。
    研修で悩みを話す機会があり、私の「間違った判断をすることが怖い」という悩みに対して、「いくら年を重ねても間違いだらけ。自信を持ってその時に自分にできる最良の判断をすればOK。どうにかなる」と言っていただきました。マネージャーになりたてで責任感や不安が大きかった私にとって、その言葉で心がすっと軽くなったのを覚えています。
    「完璧でなくてもいい」「間違いを恐れず、自分を信じて判断することが大切」という視点を得て、肩の力を抜いて楽しみながら取り組めるようになりました。

    Q3 仕事を通じて自分自身が変化したと感じた瞬間はありますか?

    人とのディスカッションの中で、個人の成果ではなく会社や組織としての成果を重視していることに気づいたときです。
    私にとってのターニングポイントは異動でした。基礎研究以外を経験し、研究本部内あるいは全社プロジェクトを取りまとめる業務を実施することで、「組織・プロジェクトとしてどう成果を出すか」「会社にとっての価値とは何か」を意識して考えるようになりました。
    これらの経験を通じて、組織・プロジェクトとして成果を出すことを大目標とし、その達成に向けてメンバーとどう接するか、どうすれば動きやすくなるかを深く考えるようになり、チーム運営への考え方が変わりました。

    Q4 この会社で、どんなものを生み出していきたいですか?

    これからの挑戦として、年次や役職にとらわれず、多様で自由な発想が自然と生まれ、それが前向きに受け入れられる組織をつくっていきたいと考えています。
    一人ひとりが主体的にアイデアを出し合い、それを皆で精査し、形にしていく。そんなボトムアップの力とトップダウンの視点が融合することで、新たな価値を生み出せる組織を目指していきたいと思っています。

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    Interview 04 事業開発本部 事業開発部 アセットライセンス&アライアンスグループ T.S (注記) 2025年9月時点の情報です 個から全体へ、 判断に力を

    Q1 現在のあなたのお仕事について教えてください

    当社開発品目(ライソゾーム病)のライセンス業務を担当しています。開発後期の品目について、海外での販売をお願いするパートナーを探し、契約まで導く役割です。現在の当社の状況を考えると、極めて責任の重い部門だと認識しています。
    機会を逃さないよう、間違った判断をしないよう、また一日一日の業務に全力を注げるよう、自身の体調や精神状況に気を配っています。一方で、そのプレッシャーを楽しむことも心がけています。

    Q2 あなたに新しい視点や価値観をもたらした人または出来事はありますか?

    部署異動は、新たな視点・価値観を必ず与えてくれるものであり、尊いものだと思います。
    私は研究所から始まり、臨床開発、経営戦略、プロジェクト推進、事業開発を経験し、若手の頃には東京勤務も体験できました。そのおかげで、社内・社外を問わず常に新たな視点を持てたと感じています。
    特に転機となったのは、研究所勤務9年目の終わり頃、エリスロポエチン製剤の治験が最盛期だった時期です。当時の臨床部門長から「臨床開発に興味はないか? 東京に行ってくれないか?」と声をかけていただいたことでした。
    この異動以降、新たな部署で仕事を教わったり、その部署・グループの役割を一から考えながら仕事をしたりすることに抵抗がなくなりました。また、新たな部署で新たな仲間ができる楽しさを知りました。

    Q3 仕事を通じて自分自身が変化したと感じた瞬間はありますか?

    考え方の変化は、11年間R&D部門に所属した後、経営部門(経営戦略部)に異動したタイミングが大きかったと思います。
    企業は販売中の品目と開発品の両方があります。R&D部門は、基本的には開発品のみに関与し、開発をいかにはやく進めるかを考える立場です。その状況から、販売中の品目の状況、財務状況、提携企業、事業環境など、すべてを把握すべき立場になりました。この経験を通じて、配属された各部門で全社的に物事を考える癖がつきました。単一の視点ではなく、会社全体の視点から物事を捉え、判断することの重要性を学び、現在の事業開発業務にもその視点が活かされています。

    Q4 この会社で、どんなものを生み出していきたいですか?

    挑戦したいことはたくさんあります。ただし、いまは気持ちを分散させず、目の前にある「事業開発部の命題」を自分の挑戦と位置づけて取り組んでいます。大好きなゴルフもそれを達成するまでは封印しています(笑)。
    課題となっているライセンスの達成は、全社の財務状況に直結します。R&D費を潤沢に使える状態だからこそ、研究部門の方々がお金のことを気にせず自由な発想で研究できると思います。この流れがなくなれば、もうJCRではなくなってしまう気がします。
    まわりの方々とともに、この「命題」を実現したとき、自分の次の目標が自然に湧いてくると思っています。

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    Interview 05 生産本部 製剤ユニット 製剤グループ T.N (注記) 2025年9月時点の情報です 患者さんのために、 当たり前を守り抜く

    Q1 現在のあなたのお仕事について教えてください

    神戸工場に勤務し、主にエリスロポエチン製剤の調製・充填工程の工程責任者として製造作業を行っています。
    また、成長ホルモン製剤や開発品の製造にも携わるようになりました。製造工程で異常がないかを常に注視し、自分自身も製造作業に携わりつつ、現場の雰囲気やメンバーの様子にも気を配りながら 日々業務に励んでいます。
    2024年からは開発品プロジェクト業務や新製剤工場の設備導入にも参画し、より幅広い視点から製造業務に関わることができ、やりがいを感じています。

    Q2 あなたに新しい視点や価値観をもたらした人または出来事はありますか?

    入社5年目の頃に製造工程責任者を任されたことが、私にとってのターニングポイントになりました。
    工程に対して責任を持つ立場に立つことは非常にプレッシャーでした。当初はうまく現場をまとめることができず、また自分と周囲の意識や考え方のギャップに戸惑うこともありました。工程責任者として周囲の意見を聞き、様々な考え方に触れることで「周囲を変えようとするのではなく、自分の捉え方や視点を変えてみる」ことの重要性を知りました。
    自分を変えてみる意識を持つことで、相手の考え方や行動の背景をよりポジティブに理解でき、お互いに納得感を持って仕事ができるようになりました。

    Q3 仕事を通じて自分自身が変化したと感じた瞬間はありますか?

    もともと私は、自分の考えや気づきを積極的に伝えることがあまり得意ではありませんでした。
    そんな中、あるとき製造設備の些細な変調に気づき、先輩に相談したことで、大きなトラブルを未然に防げた経験があります。
    この出来事をきっかけに、たとえ小さなことでも「伝える」「行動する」ことの大切さを実感しました。
    それ以来、ちょっとした声かけから、部署を巻き込むプロジェクトの提案に至るまで、自分の気づきを行動につなげることを意識しています。
    多忙な日々の中では、「誰かがやるだろう」と流してしまいそうになることもありますが、あえて「誰もやらないかもしれない」と考えるようにし、自分にできる一歩を踏み出すようにしています。

    Q4 この会社で、どんなものを生み出していきたいですか?

    私の最重要ミッションは、高品質の医薬品を安定的かつタイムリーに製造・供給することです。薬を待つ患者さんに届けるために、入社当初からこの使命は揺るぎません。
    商用品製造は当たり前のことを当たり前にこなすことの難しさを日々痛感しますし、開発品製造も一筋縄ではいかず挑戦の連続です。
    思いがけないトラブルや困難に直面することも多いですが、現場作業を支えるメンバーの一員として、工程責任者として、これまでの関わり合いを通じて得た価値観を大切にしながら、また自分が得た経験を周囲に還元しながら、会社に貢献していきたいと考えています。

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    Interview 06 信頼性保証本部 QMS室 M.Y (注記) 2025年9月時点の情報です 広い視野で、 変化をチャンスに

    Q1 現在のあなたのお仕事について教えてください

    2024年7月に発足した信頼性保証本部 QMS室に所属し、全社のGxP業務(注記)における品質マネジメントシステムの維持管理を担当しています。
    具体的には、全社で使用するシステム(文書管理、教育訓練、品質管理システム)のメンテナンスや品質文化(Quality Culture)醸成活動、品質方針や品質関連文書の管理を通じて品質保持に努めています。
    私はこれまで開発本部、研究本部、経営戦略部といった様々な部署を経験してきました。その経験を通じて専門的な知識を得ると同時に、特定の知識に囚われることなく、多くの視点から物事を見て判断することができるようになったと感じています。

    • (注記)
      「Good x Practice」の略であり、「x」にはそれぞれの内容や目的に応じて個別のアルファベットが当てはめられる。例えば医薬品の臨床試験に関する基準についてであれば「GCP」となり、医薬品の安全試験の実施に関する基準であれば「GLP」となる

    Q2 あなたに新しい視点や価値観をもたらした人または出来事はありますか?

    開発本部に所属して1年目の頃、ある統計の専門家の先生から「統計学を勉強すると幸せになれますよ」と言われました。その言葉を信じて医療統計学の学習に取り組んだ結果、統計に関する専門的な知識や人脈を築くことができました。
    今、膨大なデータの管理・分析に対応するためのデータサイエンスの基礎知識を持てているのは、あのとき先生に背中を押していただいたおかげだと感じています。

    Q3 仕事を通じて自分自身が変化したと感じた瞬間はありますか?

    直近では全社的なシステム変更のプロジェクトが大きな成長の機会となりました。新システムの選定から導入、運用まで2年近くかけて取り組む中で、システム利用予定の部署からメンバーを募ってプロジェクトを立ち上げ、社員の皆さんがより快適に効率よく業務を遂行できる環境づくりを考え続けました。
    このプロジェクト運営において、様々な視点や思惑が入り乱れる中で妥協点を探すことが度々必要となり、そうした経験を重ねるうちに、自分の思いや考えをいったん脇に置いて俯瞰的に全体を見て判断することができるようになったと思います。

    Q4 この会社で、どんなものを生み出していきたいですか?

    この会社は、新しい挑戦や面白い取り組みを全力で受け止めてくれる、そんな懐の深い会社だと感じています。これまで私たちの挑戦を支えてくれたように、今後は私自身が、失敗を恐れずに挑戦する新しい仲間たちを育て、見守る立場でありたいと思っています。
    そのためには、何かが上手くいかないときにも柔軟に受け止め、解決へ導ける技量を自分自身が持つこと、そして常に挑戦する姿勢を示し続けることが大切だと感じています。
    個人的にも、慣れ親しんだものより新しいことや面白いことに惹かれるタイプなので、ジャンルにこだわらず、これからも前向きに挑戦を続けていきたいと思っています。

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    Interview 07 経営戦略本部 経理部 経理グループ T.K (注記) 2025年9月時点の情報です 気持ちよく仕事してもらうが、私の仕事

    Q1 現在のあなたのお仕事について教えてください

    JCRグループ全体の決算業務がメインです。領域ごと(原価・研究開発・税務・連結等)に担当者がいるため、私が直接実務を担当しているのは一部で、決算における課題解決なども行っています。
    経理グループを管理する立場として、木を見て森を見ずにならないよう、できるだけ広い視野を持って判断するように心がけています。例えば、明細などは1円単位まで合わせることに意味がありますが、予実差異分析など原因の特定が重要となる業務では、細かな数字にとらわれず、全体の7割程度を確実に押さえるようにしています。

    Q2 あなたに新しい視点や価値観をもたらした人または出来事はありますか?

    「何ができるか」だけでなく、「どういう存在か」。
    以前在籍した会社の上司が、よく「俺の仕事はみんなに気持ちよく仕事してもらうことだから」と言っていました。当時は私も若かったので「この仕事をしないオジさんめ」と思っていましたが、今になってみると真理だなと感じます。
    その人は実務は本当に何もしないのですが、各自の役割やチームの方向性は明確に決めるんですね。そして全体は何だかんだ上手くいく。
    経理の仕事は具体的な実務力「何ができるか」を問われる場面が多いですが、チームにとって自分が「どういう存在か」を示せることの重要性を、その方から学びました。

    Q3 仕事を通じて自分自身が変化したと感じた瞬間はありますか?

    自分の役割が実務者から管理者に変わったことで、今はまだ十分ではありませんが、チームメンバーの業務負荷や適正配置などを考えるようになりました。それに伴い、相手のキャラクターや立場を尊重できるようになってきたと思います。
    チームで仕事をするにあたって、私を含め各々得手不得手は当然ありますし、上手くいかないこともたくさんあります。そんなときでもその人の持つ特性やモチベーションを考えて、それこそ「俺の仕事はみんなに気持ちよく仕事してもらうことだ」を実践していきたいです。

    Q4 この会社で、どんなものを生み出していきたいですか?

    JCRは1,000人規模の会社で、いわゆるメガファーマではありません。
    だからこそ、グローバルビジネスに参入する上では、一人ひとりが広い守備範囲を担っていく必要があると感じています。
    決算の早期化や業務の効率化はもちろんのこと、管理会計の強化、国際税務、グローバルでの資金管理まで幅広くカバーし、誰もが安心してグローバルビジネスを進められるような体制を築いていきたいと思っています。
    最終的には、「アイツいなくても成り立つよね」と思われるくらい盤石な体制が理想です。でも、もしそう思っても、口には出さず、心の中でそっと思うだけにしてほしいな(笑)

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    Interview 08 管理本部 人事企画部 ビジネスサポートグループ F.W (注記) 2025年9月時点の情報です 頼る勇気が支えた、 私のキャリア

    Q1 現在のあなたのお仕事について教えてください

    CADオペレーターとして、以前に作成された手描きの建築図面を、AutoCADを用いて作図・修正し、データとして変換しています。
    日々の業務で大切にしているのは、「正確さ」と「コミュニケーション」です。
    図面は、設計や施工の土台となる重要な資料であるため、基本的にはマニュアルに沿って進めつつ、寸法や仕様に誤りがないか丁寧に確認しながら作図を行っています。
    設計の意図を正しく反映させることが信頼につながると考えており、「この図面で本当に成立しているか?」と常に自問しながら作業を進めています。疑問に思った点はそのままにせず、周囲の方に確認・相談をしながら、一つひとつ解決していくよう心がけています。
    図面が完成したときには、やはり大きな達成感があります。

    Q2 あなたに新しい視点や価値観をもたらした人または出来事はありますか?

    入社前に1年2か月通っていた就労移行支援事業所で、ある利用者の方の一言が、私の価値観を大きく変えました。
    「体調が悪いくらいの方が、むしろ調子がいい」。
    完璧な状態を求めすぎると、少し調子を崩しただけで落ち込みやすくなる。でも少し不調なときでも、自分にできる範囲で行動する習慣をつければ、心身の波をうまくコントロールできる。そう気づかされました。
    私はそれまで「万全でなければ何もできない」と思い込んでいましたが、その考えが自分を縛っていたのだと知りました。今では、少し調子が悪くても、自分なりのペースで進めばいいと思えるようになり、無理をしすぎずに過ごせています。

    Q3 仕事を通じて自分自身が変化したと感じた瞬間はありますか?

    育休から復帰して感じたのは、以前よりも心の底から「感謝」の気持ちを抱くようになったことです。
    子どもを育てながら働くことは想像以上に大変で、家事や育児に追われ、時間はいくらあっても足りず、「仕事と家庭の両立なんて無理なのでは」と思うこともありました。自分ひとりでは何もできないのだと痛感する日々でした。
    そんな中で、職場の上司や同僚は私の状況を理解し、時には業務をサポートしながら、温かく見守ってくれました。
    以前の私は、「ひとりで頑張らなければ」と思い込み、人に頼ることが苦手でしたが、今では「助けを求めるのは勇気ある選択」と考えられるようになりました。
    これからは「完璧を目指さないこと」も大切にしながら、感謝の気持ちを忘れずに働いていきたいと思っています。

    Q4 この会社で、どんなものを生み出していきたいですか?

    設計者の意図を汲み取り、周囲と連携をとりながら、より精度の高い図面を効率的に作成できるチームをつくりたいと考えています。
    単にミスのない図面を目指すのではなく、気づいた改善点を共有し合い、互いに成長できる関係性を築くことが目標です。
    図面作成を「作業」として終わらせるのではなく、「設計意図を正確に伝える表現」として深く捉え、仲間とともに常に品質の高いアウトプットを追求していきたいと思います。あわせて、情報共有の仕組みも強化し、誰が見ても分かりやすく、伝わる図面づくりに取り組んでいきたいです。

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JCR Movies JCRファーマの挑戦

「患者数5万人未満 "希少疾病"に立ち向かう理由」(31分50秒)
英国BBC制作ドキュメンタリー「The Next Frontier」シリーズより
Hopes of a breakthrough for the families of Hunter syndrome patients(日本語字幕・6分45秒)
「希少疾病に技術で向き合う!創立50周年JCRファーマの挑戦」(1分21秒)
会社紹介Movie Company
Introduction Movies
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