3. PIECES OF A DREAM 〜夢のかけら〜
ファクシミリ事業撤退のため子会社に出向していた人たちは、1996年、芝通に戻ることが決った。
「僕はね、携帯電話設計部で仕事をすることになった」
静岡の研究所に単身赴任していた磯子はそう言って微笑む。みどりは、プリンター設計部への配属が決まった。新しい職場で、ファクシミリの電話機能や記録部分の技術を生かしていくのだろう。
「小林さんは、やっと戻れたのに、うれしそうじゃないね」
磯子の言うとおり、みどりには喜べない理由があった。
*
最後にみどりが大久保に会ったのは、三年前の同期会だ。「ファクシミリ事業部の人たちを明るく送り出そう」というのが飲み会の名目。
<しばらく会えなくなるから、今日は、ずっと一緒にいたいの>
なんて言える筈もなく、みどりは、大久保とありきたりの会話を交わし、独り暮らしのマンションに戻った。
大久保が川崎の研究所に転勤になったことを祐子から聞いたのは、みどりが出向してすぐ後のことだった。芝通の多摩工場に戻っても大久保はいない。
みどりは、自分の席で画面を見つめている。
『This Message was undeliverable due to the following reason:......』
出向先から戻ったことを、メールしたのだが、ファクシミリ設計部で先輩だった永沢宛に送ったものだけが戻ってきた。永沢は、みどりたちよりも一年早く芝通に戻り、川崎の研究所で働いているはずである。
『ナガサワチカラ』(Enter)
みどりは従業員検索をする。
『該当する従業員はいません』
永沢の名前は出てこない。みどりは、永沢とは製品の打ち上げ会で飲みに行く程度の付き合いだったが、もし、永沢が芝通を辞めるとしたら、理由くらい、みどりたちに伝えるはずだ。もしかしたら、交通事故や病気で入院しているのかも知れない。みどりは、そう思うと、胸がドキドキした。みどりはもう一度、永沢の名前を入力しようとしたがやめ、かわりに受話器をあげダイヤルした。
「祐子ちゃん、ファクシミリ設計部にいた永沢さん......、従業員検索かけても名前が出てこないのよ。祐子ちゃんって、そーゆー情報に詳しいから知ってるかと思って......」
「え〜!? そうなの? なにも聞いてないけど......」
受話器から、キーボードを叩く音が聞こえる。
「ほんとだ......。範囲を芝通グループ会社全体に広げて検索をかけたけど結果は同じね。あいにくだけど......」
祐子は申し訳なさそうに言う。
「川崎の研究所に電話をかけてみようかな。でも、川崎の研究所っていっても、場所だって何箇所にも分かれてるし、何千人もの人がいるから、どこにかけていいのやら......。大企業って、従業員が多いから不便だね。同じ部なのに、名前も知らない人っているもんね」
「仕事が違うと話もしないし。そういえば、大久保君って、寮にいたとき、永沢さんと部屋が隣りだったでしょ? 毎晩、永沢さんがオフコースかけるから、歌詞まで覚えたって言ってたよね。大久保君なら事情を知ってるかもね。私、メール送っとくね」
みどりは祐子に感謝し、電話を切った。
土曜日の午後、祐子はみどりの部屋を訪ねた。
「大久保君、永沢さんのアパートの電話番号、知ってたよ。川崎に引っ越すときに、聞いたんだって。でも......」
祐子は喜ぶみどりを制すように、バッグからPHSを取り出し、ダイヤルしてみどりに渡す。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません......」
感情のこもらない味気ない声が聞こえる。
「大久保君にも、あいさつなしで消えちゃったんだ。なんでだろう?」
みどりはどうしても永沢の居場所を知りたくなった。知りたいことができると放って置けなくなる。しかし、もう手がかりはどこにもない。
電話のベルが鳴る。祐子と目が合う。直感で永沢からかかってきた気がして、受話器を上げる。
「永沢さん? どこにいるの?」
一瞬の沈黙。
――お母さんだけど......。今度ね、いとこの明美ちゃんが結婚するから、電話したのよ......
三十過ぎて独身のみどりには、心から喜べない『他人の幸福』。みどりはタイミングの良すぎる母に、深く礼を言い、力を込めて受話器を置いた。
みどりは、ぼんやりベランダを眺める。でも、なにも見ていない。
「永沢さんになにがあったんだろう? 仕事はうまく行ってたはずなのに」
みどりは、コーヒーを飲み干しカップをテーブルに置く。とその時、電話が鳴る。受話器を上げると、大久保だった。
――みどりちゃん? 久しぶり......。永沢さん行方不明なんだって?
「そうなのよ。教えてもらった電話番号も繋がらなかった」
――みどりちゃん、落ち込んでる? 永沢さんのこと好きだったんだろ? ずっと前、飲みに行ったとき、言ってたよな?
「違うってばッ!」
みどりは、首を横に振り、溜息をつく。
――なに怒ってンの?
「ふられるのが怖くて、素直になれない自分に腹立ててんのッ!」
――はぁ? みどりちゃん、時々わけわかんねーこと言うことあるよな。いいけどよ。そういえば......、永沢さんのじいちゃんてさ、湘南でレストランやってたこと思い出してさ。俺んちに同期の高木が来てんだよ。ヒマだから、ドライブがてら湘南いかねーか?
みどりは受話器を置き、祐子に伝え、出かける支度を始める。
「私たちさぁ、入社三年めの芝通の創立記念の日。多摩工場の同期で、湘南まで車八台連ねてドライブしたの、覚えてる?」
みどりは、祐子に訊く。
「みどりちゃん、大久保君の助手席に乗ってたね。途中で、雨が降ってきてさ......。でも、楽しかったな〜。うちの同期って仲良かったよね。もう、九年も昔のことだよ」
「永沢さんがいないのに、帰りに、みんなで永沢さんのおじいちゃんの店に押しかけてさ、ご馳走になったよね」
「確か、江ノ島から、やや葉山寄りのとこにあったような......」
祐子の言葉に、みどりはあやふやな記憶をたどる。
「違うよ。西湘バイパスの手前あたりだよ」
「そうだっけ? 134号沿いだったのは確かね。お店の名前は、『ペーターズクーヘン』か『ピーターズキャロット』か、Peterという文字が看板にあったような......。ブルーに塗られた壁が印象的だったわ」
祐子とみどりは大久保のアパートまで行き、遊びに来ていた高木も一緒に車に乗り込み、湘南へ向かった。
土曜日の道路は渋滞していて、134号線に入ったのは夕方だった。
「もうすぐ西湘バイパスだよ」
大久保はハンドルを握ったまま言う。
「お店、ないねぇ。ずいぶん前のことだからなぁ、まさかつぶれてなくなってるとか......」
高木はタバコに火をつけ言った。みどりはまばたきもせずに、店を探す。
しばらく行くと、みどりは『Peter』という看板文字が目に入った。九年前、同期で訪れた店に間違いはないが、『ペーターズクーヘン』でも『ピーターズキャロット』でもなかった。店の名は、『ピーターズポテト』。四人は車を駐車場に止めた。
店のドアを開けると、カウンター越しに、白髪の老人がパスタを客に出している。みどりは、祐子と目で合図し、カウンターに座る。
「チカラのお友達? チカラは、芝通を辞めて、今は、荻窪で店を開いているよ」
「店って?」
みどりは、モッツァレラチーズがのったトマトを口に運ぶ。
「バイクを売っているんだよ。もともと、チカラはバイクが好きだったんだ。どうせ、生きるなら好きなことをやりたいって、私のとこにも相談に来たよ」
みどりたちが店を出たのは、十一時を過ぎていた。
<もちろん、荻窪へ向かうよッ!>
四人は、目を合わせ、行き先を確認した。