11.外注業者のいじめ方
芝通は仕事の一部を外部の会社に発注していた。外部発注業者を略して「外注」と呼んでいる。1989年、バブル最盛の好景気、どこも人手が足らない。それを補ってくれる助っ人が「外注」である。質の悪い外注を「害虫業者」となじる輩もいるが、外注なしでは納期の確保が難しいのが現実であった。外注の規模は、社員が二十名足らずの小さなものから、芝通が100%出資している子会社で、従業員数が数百人を超えるところまでさまざまである。景気もよく、外注へは惜しみなく発注していた時代であった。
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会議室の明かりが落とされた。
「Z90デザインレビューを始めたいと思います」
電気設計担当が仕様説明を始めると、机に並んだ何人かは手元の資料に目をやる。会議は順当に進み、居眠りをする人がチラホラ現れる頃、機械設計担当に説明が移った。
「なんや! それ?」
機械設計課長の日野の怒鳴り声で、居眠りしていた人の顔が一斉に上がる。「いつの間に説明者がかわったのだ?」と、彼らはあたりを見渡している。
日野が怒鳴っている相手は、外注業者の「ミルモ製作所」である。日野は、ミルモ製作所に、部品の仕様を変えずに価格だけ下げるように指示を出していた。にもかかわらず今になって、できないと言われたので喝を入れているらしい。
「そうおっしゃいましても、これ以上お安くするわけには......」
「よそは同じ仕事をもっと安くやってるんや! なんやったらよそに作らせたろかぁ〜?」
日野はたじろぐミルモ製作所を口汚く罵る。大阪にある国立大学の卒業だが、普段は穏やかな標準語を話す。彼も、心の奥底に激しい攻撃性を潜在させていたのだ。ミルモ製作所の立場が弱いことをいいことに、日野は攻めつづけるのであった。
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外注業者、武蔵テックの沼田は上司の萩原と共に、芝通の電話機設計部を訪ね、いつもと同じ会議机に腰をおろした。芝通の関口ルミ子が姿を見せ、向かい側に座る。真っ赤な顔、大きく開いた瞳、......怒っている。それも、かなり。沼田は、背筋がこわばり、胃が痛み出す。「とにかく来い!」と電話口で怒鳴られやってきたのだが、帰るわけには行かない。みぞおちのあたりを掌でさすった。
武蔵テックは従業員が15名ほどのソフトウェアハウスで、仕事は主に、芝通多摩工場からの受注である。沼田は今年度入社で、芝通の電話機部門担当になっていた。
「あら、留守番電話機の資料忘れちゃった。取って来るからちょっと待っててね」
ルミ子はタメ口をきいたうえ、パーテーションの向こうに姿を消したきり、三十分経っても戻ってこない。
「萩原さん、次は三十分遅れで来ましょうよ」
「バカッ、そんなことしたら、どうなることか......」
萩原は頭を横に振った。
「ねぇ、宮元せんぱーい、聞いて、聞いてー」
パーテーションの向こうからルミ子の声だけが届く。
「ルミ子ってぇ、すっごいワガママだからぁ、年上じゃないとダメなの」
<もしかして、オレたち忘れられてる?>
沼田は萩原と顔を見合わせるが待つしかない。ルミ子のはしゃぐ声がしばらく続く。彼女は、「新人類世代」の人間であるが、芝通の新人類がみなルミ子のようではない。
そろそろ呼びに行こうか、と沼田が立とうとしたときに、ルミ子はやっと戻ってきた。
「まったくぅ。武蔵テックさん、しっかりしてくれなきゃ、困っちゃう。今度の留守番電話機は、芝通が力を入れてる国内戦略機種なんだから!」
「申し訳ありません」
萩原は発生した問題の原因も知らない。が、まずは謝る。
「武蔵テックさん、ビジートーンの検出、ヨーロッパ仕様にしちゃったでしょ。あれほど言ったのに、どうしてくれるの?」
問題が起きたビジートーン検出というのは、どのようなものかというと――。電話かけたほうが話を終え受話器を置くと、しばらくしてからツーツーという音が聞こえる。これをビジートーンと呼んでいる。留守番電話機は、無駄な録音をなるべく避けるために、ビジートーンを検出したら、録音を止めるという仕様にしてある。
ところで、留守番電話がどのようにして、人の話し声やノイズとビジートーンとを区別しているかといえば、周波数や周期をあらかじめ設定しておいた値と同じかどうか較べて区別するのである。ところが、国内と海外では、微妙にビジートーンが違う。武蔵テックは国内の値で検出しなくてはいけないのに、ヨーロッパの値にしてしまったのである。どうしてこのような間違いを犯してしまったのだろうか?
「しかしですねぇ、関口様。私どもは、御社からいただいた資料を元にですね、値を設定したわけですし......」
沼田は、ルミ子が書いた基本設計書を元に詳細設計をしたのだ。基本設計書の値がヨーロッパ向けの値になっていたから、そのまま製品もそうなっただけだ。明らかに芝通のミスだ。沼田は黙って、ルミ子を睨む。
「もぉっ! 武蔵テックは、言い訳ばかりしてるからだめなのよ。値を見れば国内向けじゃないことくらいすぐわかるでしょ。そんなことも気づかないおたくらがいけないのに、なによ! 『自分は悪くない』っていうその態度、改めなさいよ!」
沼田はそっくりそのまま言葉を返してやりたかったが、グッとこらえた。
?@製品の手直し費用は武蔵テック側が持つ。
?A手直し作業に、武蔵テックが一名、作業員を出す。
この二つを条件に問題は決着した。その日の深夜、沼田は芝通の電話機の製造ラインに立ち、朝まで外箱にガムテープを貼る作業をやらされたのであった。
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ファクシミリのソフトウェア設計課では、一機種の設計箇所を何分割かして、数社に発注を出す。一社がダメになっても、残りの会社に任せられるし、各社で競争をさせるためもある。
みどりは三時から予定されている会議資料を用意していた。
「こんにちは、マイクロ通信工業です」
背広姿の男性が二人、入ってくる。新規の外注だ。背の高いほうが社長で、ロレックスの腕時計をしている。背の低いほうが着ているスーツも、生地と仕立てが良い。席にいたのはみどりと新人の新井だけだ。みどりは挨拶をしようと腰を上げかけたのだが、背の高いほうはみどりには目もくれず、その隣りに座っている新井に近寄り、名刺を手渡した。背の低いほうも同じように続く。みどりは浮かした腰をどうしたらいいか迷い、中腰のまま新井を眺めている。名刺交換が終わると、背の高いほうはみどりに目を移した。次こそは自分の番だろうと立ち上がるみどりに、男性二人は、みどりには用はない、というかのように通り過ぎて行った。
みどりは席を立って四階に昇った。祐子はデスクで基本設計書を書いていた。
「ちょっと祐子、聞いてよ! 無視よ、無視! 新規外注ったら、完全に私のことを無視してくれたのよ。異動して長くないから、私の事を知らないのは仕方ないけれど、次機種の開発の発注担当はこの私よ。私のことを何だと思っているわけ? 女だから、名刺なんかくれてやっても意味がないって思っているの? 新井君より私のほうが先輩なのは誰が見てもわかるでしょ。老けてるんだから。それなのに女だからって、なんで新人の新井君より下に扱われるのよ。私、絶対、マイクロ通信工業に復讐してやる。絶対よ!」
みどりは祐子にことの始終を話した。
「まぁまぁ......」
と祐子はなだめた。
みどりは、マイクロ通信工業の態度を思い出すたび、なにをしてやるのが一番痛手になるか考えを巡らせる。そばを通る人が避けたくなるほど、攻撃的な目つきで宙を睨む。
<そうだ! 忘れたふりをして検収票にハンコを押さない、というのはどうだろう>
しかし、判を押し忘れたなどと小学生並みのミスで相手を陥れるのは、みどりのプライドが許さない。マイクロ通信工業から催促が来て、みどりが判を押して終わりになるだろうし、極端なことをしたら訴えられかねない。意地悪をするなら、正々堂々と恥ずかしくない方法でやりたい。意地悪に恥ずかしくない方法なんてあるのかどうかは別として、とにかくギャフンと言わせてやりたいのだ。
その後一度だけ、マイクロ通信工業は芝通を訪れたが、みどりのことは全く記憶にないようで、挨拶すらしなかった。
夜十一時をまわり、みどりは机の上を整理して、帰り支度をする。フロアーの電気は半分以上が消えているし、廊下はさらに薄暗く、「非常口」という緑色だけが明るく光っている。右手の階段から、人の気配が近づく。みどりは、暗闇に目を凝らすと、マイクロ通信工業の二人が見えた。
背の高いほうが、みどりの姿に気付くと腰を抜かしそうに退く。
「でたぁー」
男の顔は恐怖で歪み、みどりを指差している。
「どうかしました?」
「生きてる! 人間か?」
「人のことなんだと思ってンのよ!」
みどりは呟く。
「あぁ、本物だ」
背の高いほうは安心したように言う。
「もう十一時だよ。なんで、こんな時間に女性が?」
背の低いほうが、時計を指差す。暗がりにいたみどりをお化けだと勘違いしたらしい。
「どうせ私のヘアースタイルは、四谷怪談ですよ」
どうやら、みどりはマイクロ通信工業にお化け屋敷の恐怖を味あわせたようだ。思ってもみない形で仕返しをすることになるとは......。
「うちの会社の女の子はみんな五時に帰るんで......。いやぁ、すいません」
世の中には、女性が前線に出て活躍している会社もたくさんあるのに、芝通は古い体質を引きずり、女性の起用が遅れているほうだ。しかし、マイクロ通信工業は、さらにひどく、女性のエンジニアすらいない。ならば、今までの態度も合点がいく。それに、いつまでも相手のしたことを根に持つより、お互い良い関係を保ったほうが得である。みどりはそう考えると、怒りが静まっていった。
次機種の開発について、マイクロ通信工業との打ち合わせの日が来た。ロレックスをした社長と仕立ての良いスーツを着た背の低い男、この間と同じ二人である。
「どうぞよろしくお願い致します」
深々と頭を下げるみどりに、ロレックス男は、なぜみどりが同席しているのか不思議そうな顔をし、スーツ男も「そうだ、そうだ」という目でみどりを見た。一方、課長の和田に対しては、いやぁ〜このたびはどーも、などと愛想を振り撒いている。みどりは、簀巻きにして海の底に沈めてやろうかと思ったが、再び燃え上がった怒りを抑えた。
課長の和田が立ち、
「今回は、この小林さんが御社関係の担当になりますので、よろしくお願いします」
と、みどりのことを紹介する。背の高いほうは頬を引きつらせ、
<まさか、こいつが!>
という顔をみせる。
「このわたくしが、担当の小林です。これから技術的な事項につきましては、わたくしのほうに、お願いします」
ゆっくりと、威厳を保つように言い、自分の職がエンジニアであることを主張した。
「いやぁ、芝通さんには、優秀な女性がいらっしゃるのですねぇ。今後ともよろしくお願いします」
マイクロ通信工業の二人はみどりに名刺を渡す。打って変っての低姿勢。まぁ、いまさら持ち上げても、遅いのである。
<どーだ!>
心の中で、腰に手を当て胸を張るみどりであった。
しかし――、その後のディスカッションで白熱すると、口では勝るマイクロ通信工業に、みどりはいいように言い含められてしまうのであった。有頂天になれたのも束の間であった。
<なんだか、いつも損しているような気がする。でも、マイクロ通信工業には負けてないからね! フンッ!>