津波防災の日とは
平成23(2011)年6月に、津波対策を総合的かつ効果的に推進することを目的とした「津波対策の推進に関する法律」が制定されました。この法律では、津波対策に関する観測体制強化、調査研究推進、被害予測、連携協力体制整備、防災対策実施などが規定されています。そして、国民の間に広く津波対策についての理解と関心を深めるために、11月5日を「津波防災の日」とすることが定められました。
11月5日は、今から160年前の安政元年11月5日(太陽暦では、1854年12月24日)に発生した安政南海地震で、紀州藩広村(現在の和歌山県広川町)を津波が襲った時、濱口梧陵(儀兵衛)が稲むら(取り入れの終わった稲わらを屋外に積み重ねたもの)に火をつけて、村人を安全な場所に誘導したという実話にちなみます。この実話をもとにして作られた物語が「稲むらの火」です。
東日本大震災の津波で被害を受けた宮城県仙台市の住宅(消防科学総合センター 提供)
稲むらの火
「稲むらの火」の原作は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が明治30(1897)年に発表した短編小説「A Living God」(生き神様)です。明治29年6月に発生した明治三陸地震による津波で数多くの命が失われたというニュースを知ったハーンは、伝え聞いていた安政南海地震の際の梧陵の偉業をヒントに、この小説を書き上げたと言われています。広村の隣町の湯浅町出身の小学校教員であった中井常蔵はこの小説に深く感動し、それを子どもにも伝えたいと考え、昭和9(1934)年文部省の教材公募にハーンの小説をもとに執筆した「稲むらの火」を応募し、採択されました。この作品は昭和12年から10年間にわたって小学5年生用の国語読本に掲載されました。また、平成23年度から使われている小学5年生用国語教科書に濱口梧陵の伝記が掲載されています。
「稲むらの火」のあらすじ
高台に住む庄屋の五兵衛は長くゆったりとした地震の後、家から出て村を見下ろした。しかし、村人は豊年を祝う祭りの準備で地震には気付いていない様子だ。五兵衛が目を海にやると、潮が引き、広い砂原や岩底が現れている。津波がやって来るに違いないと直感した五兵衛は、自分の畑に積んであった取り入れたばかりの稲むらに次々と松明で火を放った。すると、火に気付いた村人が火を消そうと高台に次々と駆けつけた。村人が五兵衛のもとに集まってしばらくすると、津波が村を襲い、村は跡形もなくなってしまう。その様子を見た村人は、五兵衛が稲むらに放った火によって命が救われたことに気付くのであった。
濱口梧陵の偉業
この「稲むらの火」の五兵衛のモデルとなった濱口梧陵は、文政3(1820)年に広村で生まれました。12歳の時に、江戸と銚子で大きな醤油屋を営んできた濱口家の本家の養子となります。家業を継ぎ、関東と広村を行き来する生活を送っていた梧陵は、35歳の時に広村で安政南海地震に遭遇します。震源は紀伊半島四国南方沖、マグニチュードは8.4という巨大地震でした。
津波が迫る中、梧陵は村を巡回し、村人に避難を呼びかけました。さらに、津波から逃げ遅れた村人が、暗闇の中で逃げる方向を見失わないように、稲むらに松明で火を放ち、安全な場所へと誘導しています。この時の梧陵の活躍が、「稲むらの火」のベースとなっているのです。
濱口梧陵が稲むらに火をつけようと松明を持って走る姿の銅像。広川町役場前の稲むらの火広場。
濱口梧陵(儀兵衛)(1820-1885)
安政南海地震の津波により、広村の中心集落は浸水しました。当時、広村の人口は約1300人、戸数は約340戸でしたが、36名が亡くなり、家屋流出は125軒、全壊10軒、半壊46軒にのぼっています。
梧陵は食料品、衣服、農機具、漁具の提供、被災者用家屋の建設などを行い、村人の生活再建を支援します。さらに、後の津波から村を守るために私財を投じて堤防を建築することを決断しました。地震の翌年に建設が始まった工事には、津波によって職を失った村人も多く雇われています。これにより、村人の離散も防ぎました。そして、約4年にわたる工事で、高さ5m、底幅20m、全長約600mの広村堤防が完成。堤防に沿って海側には、松並木(防潮林)も植えられました。
広村堤防横断図(「『稲むらの火』と史蹟広村堤防」より)
現在の広村堤防
堤防の完成から88年後の昭和21(1946)年、紀伊半島沖を震源とするマグニチュード8.0の昭和南海地震が発生します。広村には高さ4mの津波が襲いましたが、居住地区の大部分は堤防によって守られ、被害は最小限に抑えられました。
広村では、安政南海地震から50年を迎えた明治36(1903)年、津波の犠牲者の霊を慰め、梧陵の偉業をしのび、堤防への土盛りが行われました。これが、今に伝わる津浪祭の始まりとなっています。現在、広川町では11月5日の津波防災の日に合わせて津浪祭を開催、小中学生による堤防への土盛りや神事などが行われています。2003年からは毎年、10月に稲むらの火祭りも開催、小学生による「稲むらの火」の朗読や市民による松明行列を通して、津波防災を伝承しています。
なお、広川町には、梧陵の精神と津波防災を学び受け継ぐために、平成19(2007)年に、濱口梧陵記念館と津波防災教育センターからなる、「稲むらの火の館」が開館しています。
広川町で10月に開催されている稲むらの火祭りの松明行列
広川町の「稲むらの火の館」
世界に広がる稲むらの火
「稲むらの火」は、津波の恐ろしさ、地震後の早期避難の重要性を伝える優れた防災教材です。そのため、教科書だけではなく、マンガ、紙芝居など様々な形で紹介されています。
「稲むらの火」は世界にも広がっています。2004年のスマトラ沖地震で数多くの命が津波で失われたことから、兵庫県神戸市のアジア防災センターはアジアの8か国に向けに、英語、タイ語、インドネシア語など9言語で、「稲むらの火」を使った津波防災の教材を作成し、配布をしました。教材には、大人用と子ども用のバージョンがあり、誰もが簡単に理解できるようにイラストがたくさん盛り込まれています。各国の風俗や習慣に合わせて登場人物の名前や顔、衣服などを変更し、違和感なく読めるように工夫されています。
インドネシア語版の「稲むらの火」(子ども用バージョン)
「津波防災の日」における内閣府防災担当の取組
内閣府防災担当は、他省庁や自治体、民間企業等と連携し、「津波防災の日」の前後に、様々な訓練やシンポジウムの開催を予定しています(図表参照)。
7月30日には、地震・津波防災訓練のキックオフイベントとして、濱口梧陵ゆかりの和歌山県において、「地震・津波防災訓練シンポジウム」を開催、亀岡内閣府大臣政務官(当時)の開会挨拶、事例発表に続き、木村玲欧氏(兵庫県立大学環境人間学部准教授)による「なぜ人々は津波から逃げることを戸惑うのか〜災害情報と人間心理を知る〜」と題した基調講演及びパネルディスカッションが行われました。会場には約360名の皆様に参加いただき、熱気あふれるシンポジウムとなりました。
7月30日に和歌山県で開催された「地震・津波防災訓練シンポジウム」
「地震・津波防災訓練シンポジウム」で開会挨拶を行う亀岡内閣府大臣政務官(当時)
今後、国、都道府県、市町村及び自治会や民間企業等、261団体(8月22日現在)による訓練等の実施と、11月5日には仙台市において内閣府主催の「津波防災の日」シンポジウムの開催が予定されています。シンポジウムでは、「津波防災大使」に任命されたフィギュアスケートの羽生結弦選手からのビデオメッセージや室崎益輝氏(兵庫県立防災教育センター長)による基調講演、全国各地における津波防災における取組紹介等が行われる予定です。
津波に対する防災意識は沿岸地域にお住まいの方はもちろんのこと、様々な機会を通じて海に親しむことの多い我が国に住むすべての皆さんに必要です。津波防災の日を通じて津波に対する防災意識を高めていきましょう。
(詳細はこちら URL: https://www.bousai.go.jp/jishin/tsunami/tsunamibousai/tsunamibousaiday.html)