【2025レポート】オープニングコンサート
武生国際音楽祭2025に参加された作曲家・金井勇さんから、オープニングコンサートのレポートが届きました。
武生国際音楽祭2025が開幕した。8月31日(日)の初日は、メインコンサートに出演する演奏家が顔をそろえるオープニングコンサートで華やかに幕を開けた。冒頭、武生国際音楽祭理事長・笠原章が挨拶に立ち、越前が人と産業と文化が交わる地域であり、その地で開催されてきた武生国際音楽祭は、西洋のクラシック音楽を中心に、日本の伝統音楽や現代音楽をあわせて体験できる場として独自の位置を築いてきたという趣旨を述べた。さらに、同音楽祭から巣立った多くの音楽家が、現在は世界各地で活動の場を広げていることにも言及した。
午後3時開演。12曲が演奏された。
1: 北村朋幹のピアノ独奏で、ハイドンの『ソナタ第54番ト長調 Hob. XVI:40』の第1楽章。「無邪気に」と題された第1楽章はさりげなく開始された。が、その表題が示す天真爛漫さは、北村の端正さと上質さを備えた演奏によって一層際立ちつつも、その背後には精緻で洗練された表現も感じられた。軽やかな旋律の中に、多層的な表情が伺えた。
続く3曲は、クラシックの名作として愛される珠玉の小品。
2:荒井理桜のヴァイオリンと伊藤恵コンサート・プロデューサーのピアノによるエルガーの『愛の挨拶』。作曲者自身の愛に由来する幸せに満ちた旋律は、甘美な情感をたたえ、聴く者の胸に深く響く。荒井の艶やかで豊かな響きと、伊藤の深く優しく包み込むようなピアノが溶け合い、しなやかなハーモニーを紡ぎ出す。
3:動物たちの生態をユーモラスに描いたサン=サーンスの組曲『動物の謝肉祭』。中でもとりわけよく知られた『白鳥』。この永遠の名曲を柴田花音のチェロと北村朋幹のピアノで。陽光にきらめく湖を思わせる北村の明澄なピアノに、柴田のチェロが優美に、清雅にたゆたう。あたかも白鳥の浮かぶ情景のごとく。
4:山本周のヴィオラと、再び北村のピアノによるフォーレの『シシリエンヌ』。舞台音楽『ペレアスとメリザンド』のために作曲されたチェロのためのオリジナルはさまざまに編曲されており、本日はヴィオラの版で。北村のピアノは優しく水面を漂う小舟のように揺れ、それに山本のヴィオラが深い滋味と静かな憂鬱を持って穏やかに重なる。
5:エール弦楽四重奏団によるモーツァルト『弦楽四重奏曲第15番ニ短調』より第1楽章。毛利文香をトップに、山根一仁のセカンド、田原綾子のヴィオラ、上野通明のチェロ。ハイドンに捧げられた「ハイドン・セット」の一曲で、数少ない短調の作品。ニ短調という調性は、オペラや宗教音楽において激怒や恐怖の場面を表す「怒りの調」とされ、人間の象徴とみなされる。冒頭で生まれた緊張感は、終始一貫して保たれる。その中で断片が奏者間を渡り歩きながら、互いに緊密に絡み合い、音の網を織り上げる。エール弦楽四重奏団の息の合った響きが、交錯する音の糸を精緻に張り巡らせ、緊密さを余すところなく押し広げる。
6:アルゼンチン・タンゴと他ジャンルの要素を融合させ、独自の演奏法を確立したアストル・ピアソラ。6曲で構成される代表曲『タンゴ・エチュード』の第6番を大石将紀のサクソフォンと大宅さおりのピアノで。曲は哀感と熱情の二面性を湛え、リズムや音感の揺らぎが随所に織り込まれる。大石の呼吸と大宅の指先から生まれる緻密な集中が、音楽の輪郭に鋭い輝きを与える。エッジの効いたアクセントのひとつひとつが、音楽全体の緊張感と躍動を際立たせ、聴き手の耳に鮮烈な印象を刻んだ。
7:休憩後の後半、一曲目は田嶋直士の尺八による『打波(だは)の曲』。波が繰り返し打ち寄せる様子(打「波」)や、殻を破り新しいものを生み出す力(打「破」)を想起させる。が、その起源や背景については謎が多く、その神秘性も曲の魅力の一つであろう。田嶋の尺八は、初音入魂の如く、最初の一息から深遠な境地を立ち上げる。その音色は、静寂の中に潜む強靭さの中にひそやかな儚さと美しさをたたえるようで、波紋のごとく音が広がり、微細な表情を湛える。強靭さと繊細さが織りなす鮮やかな対比は、曲に秘められた神秘性を際立たせ、聴く者を澄み渡る精神世界の奥へと導いた。
8:アルバン・ベルクの『クラリネットとピアノのための4つの小品』。上田希のクラリネットと伊藤恵のピアノで。無調で書かれた短い4つの楽章からなるが、緻密に凝縮された形式の奥には、深い音楽的感興と自在な創意が息づく。際立つ表現の多層性、そして静けさと激しさの絶妙な共存が印象的である。上田のクラリネットは「スーパーピアニシモ」と「音響の異化」を紡ぎ出し、伊藤のピアノは「深奥」と「煌めき」を放つ。複雑に織りなされる劇的な対比は、瞬間の調和へと昇華され、聴衆は異世界へと誘われた。
9:ルチアーノ・ベリオ『Gesti(身振り)』。リコーダーの可能性を追求し、独自の表現が確立された作品。「指」と「口」の動きがそれぞれ独立して捉えられ、やがて段階的に連動へと至る。舞台上での身振りとともに繰り広げられた鈴木俊哉の圧巻の演奏は、その超絶的な表現を鮮やかに焼き付け、聴衆を驚愕と感動で満たした。2025年はベリオの生誕100周年。武生国際音楽祭でも、その節目を祝して彼の作品が数多く演奏される。
10:イタリアのヴァイオリニスト、フランチェスコ・ドラツィオが登場。生前のベリオとも数多くの仕事を共にした彼は、山本純子のピアノとともに、ベリオ初期の二重奏曲『2つの小品』を取り上げた。清遠な旋律から放たれるきらめきが、熱を帯びてほとばしる第1楽章。軽やかな点描が奔流となって駆け抜け、痛快な余韻を残す第2楽章。両者の演奏では音の対話が緊密に織りなされ、初期作品に潜む清新さと鋭敏な表現を鮮やかに浮かび上がらせるものであった。
11:今年が生誕80年を迎える、ギリシャ生まれでフランスを拠点に活動するジョルジュ・アペルギスの《Le Corps à Corps》。その題名は「取っ組み合い」とも訳される。作品は、一人の打楽器奏者がアラビアの小型の手持ち太鼓ザルブを激しく打ちながら、台詞を(早口でも!_本日は日本語)語るというものだ。打楽器奏者は物語の語り手であると同時に、舞台の中心に立つ登場人物でもある。叩く「楽器」と語る「呼吸」とのせめぎ合いが、舞台上で緊迫したドラマを生み出していく。その音楽と演劇の境界を、葛西友子が圧倒的な強度で踏み越えた。鋭さと力強さを兼ね備えた表現は、観客を深い感動へと導き、会場全体を熱気に包み込んだ。
12:最後に登場したのはソプラノ、イレー・スー。シューベルトの代表的な二つの小品を、馥郁たる佳声で歌い上げ、会場を溢れる響きで満たした。1曲目は『音楽に寄せて』。歌詞にある「芸術は、絶望に満ちた激しい人生の中で私の心に愛の光を灯す。それがより素晴らしい世界へと導く」という言葉の通り、音楽や芸術には私たちを精神的に高め、癒す力があることを示している。スーの圧倒的でありながら柔らかな声が、その喜びを聴き手に改めて実感させた。続く2曲目は『糸を紡ぐグレートヒェン』。その詩には深い愛慕と喪失感、抑えきれない情熱が込められ、スーは豊かにその情感を余すところなく伝え、オープニングコンサートを華やかかつ気品ある結びへと導いた。
全ての演奏を終え、本日の出演者たちが楽器を手にステージに姿を現した瞬間、サプライズが待っていた。彼らが一斉に奏で始めたのは「ハッピーバースデートゥーユー」。来月、古希を迎える細川俊夫音楽監督への、一足早い誕生祝いである。観客の拍手もひときわ盛大で、武生国際音楽祭2025は晴れやかに開幕を飾った。(金井勇)