2013年3月13日水曜日

労農派の歴史研究会第147回例会報告

 90年代には、国際政治においてはソ連の崩壊があり、国内では五五年体制の解体があり
ました。経済のグローバル化が進行して、労働者の運動にも大きな影響がありました。そ
の時代の日本の政治を、手短にまとめたのがこの章です。

 当時、自民党政権はもう長くは続かないということは判っていたのですが、どういう政
権に代わるのかは、必ずしも明確ではありませんでした。この執筆者が言う北欧型社会民
主主義の日本版の実現というのは、もっとも有力な説の一つでした。福祉の充実に、反対
する労働者はいないからです。

 49頁以降に書かれているように、09年の総選挙では、非自民勢力の期待がうまく結集
されたと思われます。国民生活重視、人間らしい労働(ティーセント・ワーク)、官僚政治
の打破、政官業癒着の打破、地方分権、環境保護など、ほんとうに期待は大きかったと言
えます。それがご承知のような経過で、短期の首相交代、支持率低下があって、昨年末の
総選挙での、民主党大敗に至ってしまいました。社民党はもう与党ではなくなっていたの
です力八同様の敗北であったと見なければならないでしょう。共産党にも支持が集まって
はいないので、民主党政権と共に[戦後革新]が敗れたと見て良いのではないでしょうか。
 レポーターの廣田さんも、「四 生活に密着した国民の要求一北欧型社会民主主義の日本
版を」「五 非核化政策と日米同盟からの脱却」「六 連立政権を支える社民党と労働組合
の役割」について述べています。

 90年代には社会党左派も落ち着いた討論ができずに、成り行き任せで分裂し、峰な政策
論議もせずに民主党政権に追随してしまったのですが、今度はもう少しましな対応をしな
ければ、という感じがします。現実にわれわれの周辺に残存している政治勢力を見るとか
なり遠い課題かもしれませんが。

2013年3月5日火曜日

2012年度山川菊栄賞推薦の言葉

重藤都

 この研究は、大阪府東大阪市の長栄中学校夜間学級に学ぶ在日一世二世の女性達が、自治体に学びの場を保障させ、地域で在日朝鮮人女性が人としての主体確立を求めた運動の克明な記録です.彼女らはさらに運動を発展させ、平等な市民的社会空間の「下位の対抗的な公共圏」である「ウリソダン」などをつくりだして、家庭で女性に負わされてきた支援や介護の機能を社会の機能につくりかえ、加えて、民族文化の世代間交流伝承、多文化交流の場として創り出しました。そのユニークな経過の分析につながります。

 在日朝鮮人の集住地である長栄中学夜間学級は、開設まもなく生徒数全国一、そして大部分が中高年の女性となりました。国際識字年の1 9 9 0年頃には生徒数は全日制を上回り、教育委員会は生徒の半数を急ごしらえの近隣校へ移動させようとしたのですが、施設も急ごしらえ、教員数も少なく、女性たちは行政に朝鮮人差別があることを敏;感に受け止め、独立の夜間中学を要求、八年間ものたゆまぬ運動の結果、独立中学をかち取りました。

 私は2010年の韓国併合百年に際して、在日ハルモニから女性としての併合百年を伺ったことがあります。兄弟の勉強の横で、文字も教えられず育つ苦しみを聴き、解放後、朝鮮学校づくりに献身した情熱の背景と意味を知ることができました。その民族学校設立の運動は朝鮮人男女一致した運動だったと理解しました。

 しかし、この書に登場するのは女性。家業、家族の世話、生活苦を一身に担って、家から出ることなく、駅で切符を買えず、病院で医者の診断の意味が分からず、公衆トイレの男女別が分からず、厳しい差別と無知のなかにおかれた女性です。その彼女らが、子の独立父母の介護卒業を経て、自らの学校へと向かい始めた情熱の強さをこの書で知って圧倒されました。

 この研究の魅力は、半世紀にわたる犠牲にも損なわれないハルモニたちの個性、熱意、強い意志が描かれているから、夫の理解を得るねばり強い「交渉」「方法」がむしろユーモラスに描かれているからです。

 ハルモニたちの個性は学校の教師を呑み込むばかりです。はじめて本名を呼ばれて、ためらうハルモニに「あんたの名前やがな」と呼びかける教師。それは自己回復の貴重な一歩であったのです:が「あんたの名前やがなって、まいにーち言われました、先生に。あんとき教えてくれはった先生は、そういうことに情熱があったんです。授業よりもね」個性が躍るようなハルモニの記憶です。

 二十年を超える運動の記録と評価は、同族である筆者の強い愛情と広い見識に裏打ちされて提供されました。運動の参加者のみならず、私たちもこの労作を感謝とともに受け取りたいと思います。

(しげとうみやこ 山川菊栄記念会選考委員)

2013年3月1日金曜日

『社会主義』2013年3月号目次

伊藤修「アベノミクス」(?)について

特集 原発震災の実態と脱原発の闘い
菅原晃悦■脱原発で問われる「被害の事実」から出発した運動
藤岡郁夫■年末繁忙職場の実態とフクシマでの思い
池本柳次■原発に依存しない社会を創ろう
食緑水宮城県民会議■放射能被害は生活、産業、文化、自然環境に

立花洋一■被災住民が求めていることを復旧・復興の出発点に
中村浩■労働者の切り捨てを許さない
仲田信雄■消費増税の「地ならし」に税・財政を総動員
 財政規律が緩む2013年度予算
高田良徳■香川三区での取り組みの報告
社民党竹原支部■非正規労働者の組織化と衆議院選挙の取り組み
中堀一功■第46回衆議院選挙闘争を取り組んで
井上輝子■書評 バックラッシュに抗った闘争記
藤岡一雄■PSI第29回世界大会報告,
佐藤龍一■思い出すことども 私と社会主義協会(九

2013年2月13日水曜日

2012年度山川菊栄賞授賞式報告

*資料室理事の中村ひろ子さんから授賞式報告が届きましたので、掲載します。

今年の授賞式は、偶然も重なり、日本の植民地支配の歴史を反省させられるエピソードに満ちたものでした。まず、会場の韓国YMCAは、95年前、朝鮮人留学生たちが3・1独立宣言起草し発表をしたところでした(会館内には歴史資料室あり)。またホールでは「建国記念日」反対集会が開かれ、終了後デモ行進があるというので、「右翼がくる」という名目で、機動隊に囲まれての開催でした。そして授賞作が対象にしたのは、植民地被害そのもの、在日1世、2世のオモニたちの識字運動、夜間中学の増設運動だったのです。

徐阿貴(そ・あき)さんは、ご本の内容がもつ重さからは想像できない華奢な方でした。その印象のごとく、優しい語り口で、ときには笑いを誘いながら、なぜこういう研究をするに至ったかを話されました。しかし、オモニたちが教育委員会と交渉している場面(受賞を喜ぶオモニたちだが皆高齢なので東京には来られず、何かないかと探したところ1週間前にようやく見つけ出した記録のDVD)を見せられた頃から、会場はすすり泣きが途絶えることはありませんでした。

徐さんは、在日3世ですが、祖母や母親の生き方から示唆をうけて、このテーマに取り組まれたとのことです(だから、著書はお三方に捧げられている)。男たちは移住を強いられても、仕事を通じて移住先に根付くものだが、女たちは私的領域にとどまるため(専業主婦)二重差別のなかで生き続けざるをえない。そういう認識だったところに、東大阪の夜間中学に学ぶオモニたちが、母や妻としてではなく、自らの学ぶ権利獲得、自治体に学びの場を保障させ、地域で人としての主体確立に動いたことを知ったのでした。それから徐さんは、夜間中学を訪問され続け、オモニたちの活動を追い続け、博士論文としてまとめあげられたのです。それをもとに本に仕上げられたのでした。時にはお子さんを連れて一ヵ月近く滞在しての取材であったとは、当時の中学校の先生からお祝いの言葉の中にありました。なお、徐さんの受賞スピーチの全文は、夏ごろの『社会主義』に掲載の予定です。

2013年2月8日金曜日

2013年2月7日サイト更新

文献・資料に、第一次『唯物史観』編集のことば、総目次(1947-48)を追加しました。労農派、社会主義協会の他の刊行物の目次も、おいおい追加していきます。


労農派の歴史研究会に第146、147回案内、145回、146回報告を追加しました。
リンク集に、【堺からのアピール】教育基本条例を撤回せよ、津田大介公式サイトを追加しました。
労働者運動資料室とは、を一部更新(役員)、小島恒久先生から山崎耕一郎さんへの理事長交代を示しました。昨年八月の労働者運動資料室総会で決まったものですが、ページの更新をうっかり忘れておりました。またこの機会に、川口武彦先生のページの写真を差し替えました。以前の写真は逝去直前のものだったので、壮年時代の写真にしました。

2013年2月7日木曜日

社会文化会館の耐震診断費用に関する一部報道について(社民党、紹介)

社会文化会館の耐震診断費用に関する一部報道について、社民党HPに2月4日付で声明が掲載されています。

社会文化会館の耐震診断費用に関する一部報道について
社会民主党
2013年2月2日、一部報道機関において、社民党が実施した社会文化会館の耐震診断に関して、「東日本大震災の復興予算が使われていた。社民党は復興予算が被災地以外の事業に流用されていた問題を批判してきたが、姿勢が問われそうだ」などと、社民党が復興予算を「流用」しているかのような報道がございました。その内容につきまして、事実の経過と社民党の見解を改めてお知らせいたします。
以下、HPを直接みてください。
http://www5.sdp.or.jp/comment/2013/dannwa130204.htm

追記
社民党は耐震診断費用のうち、復興予算分280万円を被災地に寄付するとのことです。
朝日新聞記事
社民党、復興予算同額寄付へ 旧本部の耐震診断に使用
社民党本部が入っていた社会文化会館(東京都千代田区)の耐震診断費用の一部に復興予算が使われていた問題で、同党の又市征治幹事長は7日の記者会見で、復興予算から出ていたのと同額の約280万円を「被災地の子どもたちに寄付したい」と語った。
http://www.asahi.com/politics/update/0207/TKY201302070068.html

労農派の歴史研究会第146回例会報告

テキストが判りやすく書かれていたので、内容については、とくに議論はありませんでした。小泉内閣の当時、報道では長期の好況と書かれていましたが、実際、労働者にはその実感はなかったと思います。

 その後は、「リーマンショック」以後の欧米の不況と重なってしまったので、日本経済は名実ともに不況に入り、そこからの脱出の出口が見えません。報道ではFアペノミクスの
成功で株価が上がった。もうじき好況に」という、希望をもたせるような解説が多いのですが、世界のニュースを見ると、アメリカ、EUの株価も、日本と同様にこの間に7%前後上がっています。「アベノミクス」がなくても、同じぐらいの株価上昇はあったのです。株価というものは、大気予報と同じように、予想しにくいものなのですが、上昇は必ずしも「安倍のおかげ」ではないようです。

 大事なことは、「国民の購買力」を大きくすることではないかと思われます。この点て成果が積み重なってゆけば、国内での商品の売れ行きも、良くなると思われますギジシャやスペインの労働組合は、国の借金が問題にされ、緊縮財政を求める圧力が強いのに、ストをやめません。
 日本では、大阪府・市が典型ですが、労働組合が抵抗を控えているのに「労働組合叩き」が執拗に続けられます。労働組合の方では、もっと大声で主張しても良いと思うのですが、そうしていないようです。「孤立するともっと叩かれる」という危惧が強いようです。

 状況を変えるには、味方を増やしながら、世論を転換させることができるような陣容を整えなけれ、ばなりません。戦後、1960年代ぐらいまでは、総評の行動にも力がありましたが、味方の勢力、行動は一緒にできないが応援はしてくれる勢力などが、年々、厚みを増していました。学習を重ねながら、そういう状況もつくりたいと思います。

労農派の歴史研究会に戻る
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/rounouha.htm
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