蜘蛛の糸ってあるじゃないですか。
地獄に一筋、糸が降りてくる。罪人はそれを「天国から垂らされたもの」と悟ってそれをのぼっていく。
でも、その罪人は傲慢で、糸を独り占めしようとした。後を追ってきた罪人を蹴落とそうとした。だから、それを見かねた神様によって、糸が途中でプツンと切れてしまう。内容としては概ねそんな感じで、自己中心的な言動が最終的に幸福を奪うという皮肉を描いています。
わたしはその解釈は間違っているんじゃないかって思うんです。
死後の世界を否定している、というわけではありません。死んだ後に行き着く場所があるというのは人々に安心をもたらしますし、わたしだって天国に行きたいと思っています。本当にあるかはさておき、ですが。
でも、なんていうかな。
信じられないんですよ。その伝承が。
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神様や天使はいてほしいです。全員に平等に接してほしいし、争いの起こらない平和な世の中にしてほしいとすら思います。最近は戦争も多いですし、世界全体を上手い具合に導いてほしいですね。だって、彼らが「幸せ」を作っているんですから。
でも、知能を持つ存在にそんなことができるのでしょうか?
どんなに高い知能を持っていたって、争いは起こります。要は「避けられない」ものなんです。上位存在であったとしても、その定めから逃れられるとは考え難い。
それに、神は気まぐれで人を救おうとする存在です。恐らく、平等であるとか、博愛であるとか、そういった感覚は持ち合わせていないのだと思います。あくまでも自分本位に、己の快・不快だけを指針にして動いているような存在なんじゃないかって思うんです。
だって自分が一番上で、自分に抗う者も仇なす者もおらず、自分の意思を押し付けることができるんですよ。
要は傲慢なんです。自分の意思に背く者がいれば、自分を取り巻いている信仰者で黙らせることができる。わざわざ手を下す必要すらないほどに、わたしたちは無力でちっぽけな存在なんです。
そんな存在の垂らした糸が「救い」であるなんて、都合のいい話だと思いませんか。
人間というちっぽけな種族では理解できないような感覚があるんだと思います。だから勝手な想像でしかないのですが、自分はその感覚は神にとっては当たり前なもので、欠かせないものであると考えています。
つまるところ「信仰」です。信じる者あってこその神ですから、そういった想う力が重要であることは言わずもがなでしょう。それがどのように神に作用するのかは分かりませんが、恐らくは存在を持続させるために必要となっているのではないでしょうか。それこそ、生物種における「食料」のような。
話を戻します。
例えば、神が気紛れであっても糸を垂らせば、それを見た人は「ああ、神はわたしを救ってくれるんだ」って思うはずです。そして縋りつこうとして、信仰心を芽生えさせます。この信仰心を吸い取り、集め、我がものにすることこそが、神の狙いだと思うんです。
つまり、神からしたらわたしたちが救われようが苦痛を浴びようがどうでもいいということになります。
ですが、それと同時にこれは「神は信仰がないと生きていけない」ということを示唆しているとも言えます。
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ここまでの話を聞いて、「そんなわけない」と思ったり、「どうせ何かの創作の影響だろ」と捉える人の方が多いのかもしれません。
今から話すのは、わたしがそう考えるに至った根拠です。
当然ではありますが、今からの話が事実であるということを示すことはできません。全ては事後であり、いくらでも後付けによる脚色や調整ができてしまうからです。嘘はつかないようにしますが、それを信じるかどうかはあなたに託されています。
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あれはわたしの祖父が入院していた時の話です。当時、まだ存命だった祖父は頻繁に奇妙な夢を見るようになったと言っていました。
その夢というのが、三途の川を渡るとか、どこまでも続く階段をのぼるとか、そういったものでした。祖父は重篤な病に侵されており、瀕死の状態でした。辛うじて会話はできていましたが、移動はままならず、全身は常に機械から伸びる管に繋がれていました。
祖父はその夢を見るたびに、先に進もうとしていたと言います。ですが、どれだけ動いでも先には進めず、なんとか一歩踏み出しても目的地との距離は変わっていないとのことでした。それだけではなく、死んだはずの祖父の母や友人が出て来て「お前はまだ来るな」と呼びかけることもあったそうです。そして、その呼びかけと同時に、病室の中で一人目が覚めることが多かったと言っていました。
そんな夢を連続して見ていたある日、普段とは違う雰囲気の夢を見たと言います。ただっぴろい平野の中に一人で立っていると、上から一筋の糸が降りてきたようです。それが「蜘蛛の糸」であると気付くまでに然程時間はかからなかったようです。
祖父はそれを掴み、腕の力だけでのぼっていきました。本来なら体重で千切れてしまいそうなのに、糸は全く千切れなかったそうです。むしろ、金属の棒のように強固であったとも言います。
そこには話と違い、罪人はいませんでした。だからこそ、このままいけば天国に到達できると確信していたそうです。ですが、実際にはどれだけのぼっても終端は見えてこず、その果てしなさから気が遠くなるようでした。諦めない一心でのぼっていましたが、次第に疲労によって腕の力も抜けていき、落ちてしまいそうになっていたと言います。
不思議にも、その時は「疲れたから休む」という考えがなかったそうです。というか、その考えに至ってもどうやって休むんだというツッコミが出てきますが。
そして、疲れがピークに達して、いよいよ落ちるとなった時。
神の顔が見えたそうです。
それはこちらを薄気味悪い笑みを浮かびながら見つめる蜘蛛型の怪物で、何かをぶつぶつと呟いていたと言います。呟いていた内容は分かりませんが、祖父曰く「人間の言葉ではなかった」そうです。
祖父はそのまま落下していき、気が付いたら病室の中で目覚めていました。背中に走る痛みを除いて、特筆するようなことはなかったと言います。その日の朝、看護師に見てもらったところ、背中には硬い面に強く打ち付けられたような痣がありました。ですが、病室の監視カメラには祖父がベッドから落ちる様子は記録されておらず、何故痣ができたのかは分かりませんでした。
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わたしは、この痣は神によるものだと思っています。吸えるだけ信仰心を吸ったから、あとは用済みとするような、ある種のマーカーではないかと思うのです。となれば、例の夢は本当のことになります。ですが、それを示すだけの証拠がないのもまた事実です。
祖父は最期まで神に祈っていました。信仰し、楽に逝けるようにと願っていました。でも、そうはならなかった。祖父は酷く苦しんで死にました。
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自殺は神に対する唯一の抵抗です。自らの身を傷付けることにより、意図的に神から見放されるんです。そうすればきっと、神は私の信仰を喰らわないはずだから。微々たるものだけど、少しでも飢えてくれれば嬉しいですね。
ここまで話を聞いてくださり、ありがとうございました。
そして詫びなければなりません。わたしは嘘を吐いていました。
神や天使なんて、存在しなくていいと思っています。神は祖父を弄び、挙句の果てに苦しめて殺したから。そんな存在なんていない方がいいに決まっています。仮に神が天国を、幸せを作ったとしても、そこは私にとっては居心地の悪い場所となるでしょう。
では、さようなら。