禁煙日記
2002年9月7日(土) 21:30
ついに念願だった禁煙をすることにした。
今日キムサクのリハだったのだが、リハが終わって喫茶店でお茶を飲んでいる時に、ついに煙草が咽を通らない感覚に襲われた・・・・。
これは良くないと思い、本当は9日から禁煙する予定だったのを繰り上げ、本日より禁煙に踏み切った。
煙草だけは百害あって一利無しである。
しかし、止めるには非常な意志と、禁断症状との戦いがまっている。
で、日記をつけたら良いのではないかと思い、つけてみることにする。
禁煙して3時間ちょいであるが、すでに禁断症状がはじまった。
人によって違うのだが、僕の場合は、異常に眠気が襲ってくる。
2、3日はまず外出出来ない程の禁断症状なのだ。
しかし、ニコレットという優れもののお陰で、禁煙に成功することができるだろう。
こいつはニコチンを含んでいるので、禁断症状をやわらげてくれる。
しかし、初めて食ったニコレットは、まずい・・・。
こんなにまずいとは思わなかった・・・。
9/8(日) 11:20
煙草をやめて最初の朝を迎えた。
普段は眠りがあさく、結構すぐ目が覚めてしまうのだが、今日はよく眠れた。
よく眠ったのか、禁断症状で起きられないのかどちらだろう??
僕自身の判断では、精神的依存は起床時より、食後の方が強く感じるが、肉体依存はやはり起床時にあるだろうなと思う。
それにしても喫煙したいという欲望はまるでない。本当に身体が清潔になっていく感覚を楽しんでいる感じだ。
こういう時にニコレットを食べるといいのだろうが、とりあえずコーヒーを飲んでいる。
今日は唯一の喫煙バンドの石崎グループだ。
かなんな〜っっ。吸いたくなるのではという意味でなく、煙たいから。
9/9(月) 11:00
強がってばかりいるが、さすがに今日の朝は辛い。
肉体的依存、精神的依存共にピークに来ている感がある。
昨日、石崎バンド(全員喫煙者)のライブが終わり、メンバーと食事にいったのだが、その時は吸いたいと思わなかった。
ところが、家に帰ってきたら、「ノットファウンド」三科武史が東京に遊びに来ており、さんざん煙草を勧められた。
こういう族からも自らを守らなければ禁煙は達成出来ないのであろうか??
ともかく、ニコレットを如何に使用するかということの自分なりのルールを設けることにした。
煙草が吸いたい!!という、精神的依存に対して、ニコレットを使用することは固く戒めることにした。それは、ニコレットに対して精神依存をつけることになるからだ。
ではなく、仕事前等、明らかに身体がぼーっとすることに対して、ニコレットを使用することにした。
朝も、とりあえず自分で起きてみて、コーヒーを飲む。
それが終わったら、脳を起こすためにニコレットを噛む。
「起きる」という精神的な行為は自らする。
「起こす」という肉体的な行為はニコレットに頼ろう。
ちなみに、昨日のニコレット使用量は4粒です。
説明書には、12粒噛みなさいと書いてあるが、どうやったら12粒も噛むことができるのかわからない。
12粒噛み続けたら、どんなに意志の弱い人でも、煙草を吸いたいと思う欲求すら無くなるのだろうか??
9/10(火) 14:00
昨日のYa!3の昼ピの時が一番ピークにしんどかったかもしれない。
今日朝起きてみると、肉体的依存は峠を越した感がある。
眠気もそれほどではなくなった。
もうニコレットを食べる必要はないかもしれないな。
問題は精神的依存の方だが、今のところ煙草を吸いたいという欲求はない。
ただ、習慣として、何かのはずみに煙草を探している自分がいる。
例えば、コーヒーをのみ始めると、ふと煙草を一瞬探すのだ。
そこで、あ、俺は煙草をやめたのだった、と気付く。
それにしても、こうして日記をつけ、それをウェブ上で公開することにより、禁煙に責任をおうというのはある意味成功の秘訣かもしれない。
これで禁煙を失敗したら、なんだ中村さん、だらしのない人ね〜〜ということになる。
しかし禁煙に失敗する時というのは、どんなに悪名が立とうが煙草に執着するものであるが・・・。
なんせ今日から2日間オフなので、オフ中に肉体的依存が完全に無くなることを祈る。
9/12(木)13:30
なかなかに禁煙とは難しい物だ。というか、15年間続けた習慣をそう簡単に中断することは出来ないのだろう。
いまだに煙草の事が頭から離れはしない。
しかし、煙草を吸いたいというわけではない。
煙草を吸っている人を見ると、少しだけ優越感に浸るぐらいだ。
何か行動を起こそうとする切っ掛けは、煙草を吸ってからであったのだ・・・。
そういう事を思い出させる。
少しいらいらしはじめた。禁煙して一週間近くたつが、いらいらしたのは初めてだ。
昨日もニコレットを使用していないが、今日は使用するかもしれない。
9/11(水)15:00
禁煙もとうとう5日目に突入した。
昨日のニコレット使用量は何とゼロ。昨日はオフなので、眠たかろうがなんだろうがどうだっていいので使用しなかった。
しかしながら、気管支や肺の調子は今一つ良くない。
いまだ煙草を吸い続けているような感覚だ。
まだ身体が清潔になった感は少ないし、味覚が変わった等の身体的な変化は今だ殆どない。
身体からニコチンがぬけ切っていないのだろう。
抜け切るには1週間ぐらいかかることも、以前の体験で知っている。
後少しの辛抱で、からだが清潔になった感じを受けることだろう。その日を楽しみに待つ。
9/13(金)13:00
一応一週間がたった。
もう日記をつけるのが邪魔臭くなってきた。それほど煙草に対しての執着もない。
ただ、万が一、禁煙に失敗しそうになった時に読返すために書く必要を感じているので、書いている。
昨日程の禁断症状は初めてだった。昨日は超ヘビースモークをしている時と同じ症状だった。
のどは痛いし、咳は出るし、肺は重たいし、いらいらするし、ろくでもない一日だった。 (演奏は非常に楽しかったが・・・)
ニコレットをひと粒食ったが、特にイライラがおさまる訳でもなく、症状も改善する兆しもなかったので、食べるのをやめた。
今日は何の禁断症状も見られない。
なんせ、後一息で、「煙草を吸わない人」という種類の人間になれそうな気がする。
今はまだ禁煙している人だ・・・。
9/14(土)16:15
9/15(日)16:00
今日の夢の中に喫煙が出てきた・・・。
夢に出る程喫煙したいのかと思い、驚いた。
そういう意識は全くないのだが・・・。
しかしさすがに朝起きた時は喫煙欲求があった。
ニコレットに頼る程のものではなかったが・・・。
気管支諸症状は、今日のところはおさまっている。
何故かしかし、外に出ると咳が出てくるのだ。
家にいたら殆ど気管支症状が出ない。
リラックスしていたら症状が出ないというものかも知れないな・・・・。
早く身体から毒が全て出て行って欲しいものだ。
9/17(火)15:30
9/19(木)17:00
禁煙日記等を読んで、喫煙者の方からの反応は、意外に淡々とした禁煙ですね、楽に禁煙出来てますね、というものなのですが、非喫煙者の方からは、とても大層な禁煙ですね、そんなに禁煙は大変なのですか??という反応を頂きます。
つまり、僕は一般的には比較的スムーズに禁煙出来ている方だと思うのですが、煙草を吸わない人から見れば、僕の禁煙でさえも、大変そうに見える。
つまり、禁煙とはそれだけ難しいものだといえるのです。
世界保健機構の基準で、薬物依存を、精神的依存、肉体的依存にわけて、☆0〜3までで表したところ、煙草は、覚醒剤と並んで精神依存肉体依存とも☆2つのランクなのですよ。
ちなみに、酒はヘロインと並んで最高ランクの☆3つです・・・。
マリファナは両方とも☆0なのですけどね・・・。
ともかく、日本という国は、よくそんなヘビー級のドラッグを公然と売っていますよね。
このところ、口寂しさを紛らわす為のラムネのようなものを食べる習慣がついてしまったようだ。
精神依存がついたという事ですね、良くない傾向だ。
しかし、そんなものを止めるのは、煙草を止めるのの100倍簡単な事だろう。
とりあえずはそういうものに精神依存を振り替えておこう。
9/24(火)15:30
禁煙も2週間を越え、煙草を吸わない生活が普通になってきた。
しかし、それでも煙草を吸いたいと言う気持ちが全く消え失せている訳ではない。
あ、今吸いたい、でもな〜〜〜もし吸ったら朝起きたとき胃が気持ち悪いし、あの気持ちの悪い喫煙所での喫煙生活に戻らなくてはいけないし、時間は無駄だし、咽はいたいしっていう生活に戻るのもいやだしな〜〜〜っ、という色々なマイナス要因を考えると吸いたい気持ちが無くなるという感じですね。
にしても、一つだけ言えることがあります。
禁煙とはとても難しいことだ。
あなたの周りに、禁煙に失敗した人はいませんか??
そして、そういう人を馬鹿にしていませんか??
はっきりいって、禁煙を失敗した人の事を馬鹿にすることは出来ません。
というより、禁煙に成功している人の事をむしろ尊敬すべきですね。
人間、そんな簡単に禁煙出来るものではないのです。
今まで禁煙して、ほんとうに、心のそこからそう思います。
9/25(水)14:30
10/3(木)10:30
禁煙もほぼ一月になる。もうさすがに煙草を吸いたいと思う欲求は無いだろうとみなさん御考えでしょうか??
そんなに甘いものでは無いです。
吸いたいとまでは思わないにせよ、頭を煙草の事がよぎるのは1日に何度もありますよ。
喫煙者が禁煙に踏み込めない最大の理由は、禁煙すると、煙草の事が一日中頭から離れず、辛い思いをするのでは無いか、というものでは無いでしょうか??
正直いいますと、確かにそれはあります。しかし、確実に煙草の事が頭をよぎる回数は減ってきていますし、いつかは無くなるだろうなと思います。
それに、煙草を吸っていた時も、一日中煙草の事を考えていたのでは無いですか??
それを喫煙者にいいたいですね。
さて、そろそろからだの細胞が入れ代わって、綺麗な細胞が生まれてきている感覚があります。
昨日深夜、腹が減ったので納豆に生卵を入れて食べたのですが、うっっ、となりました。
思いのほか生卵とはにおいがあるものですね。
味、かおり、の他にも様々な感覚が研ぎすまされる、というか普通に戻っていっている感じがあります。
先日も銭湯に行ったのですが、お風呂があんなに気持ちいいものだとは知りませんでした。
やはり、毛細血管がつまった人間には、体中が温もっていくという事の本当の快楽は知らないのだということが解りました。
煙草を吸わないことによる様々な楽しみを見つけていくことも、今の僕の喜びの一つです。
10/5(土)13:00
昨日、最近では稀な程、喫煙欲求があった。
厳密に言うと、もう、中村真という人間が、煙草を欲するということはないのです。
分かりやすく言うと、僕のコントロール出来る意識の中で、煙草を吸いたいと思うことはないと言うことです。
例えば、人が煙草を吸っているのを見て、あ、吸いたい!!とか、手持ち無沙汰でついつい吸いたくなる、なんてのも無いです。
ただ、無意識の「脳」はいまだに煙草を欲しているといった感じです。
僕が、「煙草を我慢している」という意志で禁煙に望んでいたのなら、昨日で挫折していたと思います。
ほんとに煙草を吸わない人間になりたいと思っているから、昨日も吸わずにいたのでしょう。
吸わずにいれたのではないのです。
我慢している訳ではないのですから。
この違いは大きいですよ。
ちなみに、今日はまるで煙草を吸いたいとは思いませんし、そういう、無意識からの要求もないですね。
それよりもお腹減った・・・なんか食おう。
10/9(水)13:00
禁煙はじめて一月を超えました。
ようやくここまで来たか〜という思いです。
この一月は非常に長い一月でした。
いまだに煙草の事が頭から離れることは一日もありませんから・・・。
本当に禁煙は難しいものです。
禁煙はじめて一月を超えるあたりから味覚が変わってきました。
今まで、関東のそばの出しの方が関西のうどんだしよりも好きでしたが、今では関西の出しの方が好きですね。やはり俺も関西人だったかって感じです。
食欲も異常に旺盛になりました。
煙草をやめたことによる食欲過多は野菜を食べろということだそうです。
昨日はキムチ鍋を食べました。
徹底的に野菜を食べましたね〜〜っ。
今では、食事の後の喫煙欲求っていうのは殆ど無くなりました。
ただ、関係ない時に煙草を吸いたいと思っていることが1日に何回かあります。
そういうときに、軽い気持ちで一本、なんて事のない様、戒めていきたいと思います。
なんていったって僕は、煙草を吸わなくても生きていける人間に変わったのですから。
こんな喜ばしいことって無いのですよ!!。
生まれながらの非喫煙者の人には逆に解らない感覚でしょうね。
10/10(木)16:30
10/23(水)15:00
非常に身勝手な話なのですが、このところ煙草の煙りが本当に嫌になってきました。
禁煙した人は、普通の人の何倍も煙草の煙りに敏感になるようです。
先日、マクドナルドに入ったのですが、煙たい上に、禁煙席が非常に少なく、満席だった上に、部屋中が煙たいので禁煙席としての意味がない禁煙席でしたので、注文せず店を出ました。
僕の家は3Fなのですが、窓を空けていれば、部屋の下の道で喫煙している人がいる事が解るぐらい敏感になってしまってます。
非常に身勝手な話なのですが、日本もアメリカ並みの禁煙国になって欲しいものです。
ま、無理でしょうけどね。
何故なら、アメリカの煙草会社は、アメリカ国内では煙草が売れなくなった分を、全て日本に買わせようとしているからです。
もし、増税等しようものならアメリカ政府から圧力がある事でしょう。
アメリカンチェリー等、日本向けのものはアメリカ国内では認められない程の農薬を使っている事を御存じですか??
そういう国ですよ、アメリカは。
禁煙の話かちょっとそれてますね(笑)。
しかし僕はアメリカは嫌いです。
マルボロのデザインは、KKK団によってリンチされ吊るされた黒人の足がモチーフになっているそうですし、又、マルボロの箱には3つのKがデザインされてます。それにラッキーストライクの赤マルは、原子爆弾と関係があるそうですよ。
喫煙者の皆様、せめて国産の煙草を吸いましょうね・・・。
10/26(土)13:00
誤解のないように23日の日記を訂正致します。
書いた事はあくまで願望でありまして、僕自身が喫煙者を忌み嫌っているとか、喫煙者の権利を制限したいと思っている訳ではありません。
あくまで、個人のウェブ上での自由な感情表現だと思っていただければ幸いです。
もし、そういった法律が成立しようとしたら、社会人としては反対致します。
多くのヒステリックな嫌煙に対しては、僕自身はやり過ぎの感をもっております。
ただ、喫煙者は自分の出す煙りは、想像以上に迷惑をかけている事に思いを馳せるべきだと思います。
自転車に乗っていて、なんか煙草臭いぞ〜と思っていたら、50メートル先を歩いていたオッさんの吸っている煙草のにおいだった事があるのですよ。
それぐらい臭うものなのです。
しかし、煙草を吸わない人は、喫煙者がどんなに煙草を吸いたいものであるか、という事に思いを馳せて欲しいものです。
煙草を吸いたいな、という思いが頭が過ったが最後、1分煙草を我慢する事は不可能なのですよ。
僕が演奏中に煙草を吸っているのを見た事がある人はたくさんいるでしょうけど、吸いたいと思ったまま演奏する事は不可能だから、余りいい事とも思ってませんでしたけど吸ってました。
こういった事を踏まえて、分煙された社会を作っていって欲しいものです。
阪神タイガースサイトでの掲示板で、甲子園を禁煙にすべきだとのヒステリックな議論を目にした事がありましたが、この事は感情的に話すべきでない話だと思います。
ヘビースモーカーという立場を経た事がある、非喫煙者である僕のような人間は、両者の立場を本当に理解出来るのです。
10/27(日)15:00
ほんとに最近、気が満ちてきたように思う。
自宅から駅までの2キロ程の道のりを、バスにもタクシーにも乗らず歩いて仕事に出かける。
歩いて仕事にいった方が、血の巡りが良くなり、演奏もよくなることは解ってはいたのだが、なかなか気持ちが充実していないと人間楽な方に流れてしまうものなのだ。
煙草を吸わないと、夜よく眠れるので朝早く起きる、家事をこなしても時間が余るので、早く家を出る、そうするとバスに乗る必要がないので歩く、歩く事によってバス代がかからない、カロリーを消費するので太らない、ライブハウスに早く着くのでたくさんピアノを練習出来る、結果楽器が上達する。
これを好循環と言わず何といおうか!!
この禁煙日記をいつまで続けるのか、という疑問をお持ちの皆様方、僕自身の中では決めております。
禁煙とは一応3ヶ月で成功とされているのです。
肺の細胞は3ヶ月で入れ代わるからです。
しかし、身体には新陳代謝の遅い臓器もあり、全部の細胞が入れ代わるのは5年かかるそうです。
この日記は3ヶ月を持ちまして完結とさせて頂きます。
だから、上に12/7の日記を書く為のスペースをもうけておきます。
10/30(水)15:30
禁煙して得たもの。
一日750円、健康な肺、健康な胃、敏感な味覚、鋭敏な五感、より高い演奏技術、より高い集中力、疲れにくい身体、バイタリティ、映画を見に行く喜び、音楽会に行く楽しみ、毛細血管が温もる事の喜び、煙草を吸わなくていい喜び、食べる喜び、飲む喜び、ナチュラルハイ、禁煙した事によっての人からの評価、禁煙に対しての自信、満足感、深い睡眠、早起き、早起きに伴って節約された金銭。
禁煙して失ったもの。
灰皿、ライター、重く淀んだ肺、むかつく胃、磨いても磨いても臭い口、濃い味でも平気な舌、衣服の焦げ、切符入れ、喫煙者からの支持、煙草を吸いたいと思う気持ち、煙草臭い事に対しての耐久力。
11/2(土)23:00
今日、東海道新幹線の1号車に乗りました。
トイレに行こうとデッキへ出たら、満席で、別の車両のトイレを目指しました。
新幹線というのは、1、2号車の間、3、4号車の間、といふうにトイレがあります。
つまり、自分の車両のトイレに行かないと、2車両歩かなくてはトイレが無いという事なのです。
まあごちゃごちゃした事はいいです。
なんせ喫煙車両を通ったのですよ、久しぶりに。
呼吸出来ませんでした。
ほんの二ヶ月前まで僕はあそこの住人だったのにね...。
人間、変われば変わるものなのだね・・・。
11/6(水)14:00
禁煙一月目の最終日、つまり明日から2ヶ月目に突入するのですが、先日、ある禁煙5年という先輩と話していたら、喫煙の夢というのは、禁煙して2年ぐらいたっても見るそうです。
恐るべし!!煙草!!
今少し風気味で、鼻の粘膜がやられているのですけど、こういう時は本当に人の煙草が気になります。
本当に副流煙というのは厳しいものですね。
しかし、生まれながらの非喫煙者に言わせると、ちょっと僕の反応は極端だそうですね・・・。(笑)
最近はあまり書いていなかった喫煙欲求に関してですが、これは日によって異なりますね。
結構吸いたいな、とまで思わないにせよ、煙草の事が頭を過る事は多々あります。
しかし、肺に煙りを入れる気持ち良さは思い出しても、あのタールの味が口中に染みわたる事を想像すると、どうしても煙草に手を延ばす事が出来ません・・・。
あの、非常に不快なタールの味さえしなければ、煙草を吸いたいのに・・・。
とても残念です・・・。(笑)
11/9(土)13:00
遂に禁煙も2ヶ月に突入致しました。後一月で、一応の禁煙終了という事になりますね。
よくここまで頑張って来れたものです。
この禁煙日記を読んで禁煙に踏み切った方も、僕の知っている限りで5人程いらっしゃいますが、今の所皆様順調に禁煙為さっておるようです。
皆さん、僕が一体どれほどのヘビースモーカーだったか御存じですから、その僕がやめられている事に非常に勇気づけられるのでしょうね。
最近、ハーブ系の料理が好きになってきました。
アミノ酸系の、旨味以外の味の幸せに気付きました。
今日はとても薄味にポトフを作ってみようかなと思ってます。
11/12(火)9:30
11/16(土)
この禁煙日記を読めば、僕がいかに煙草の煙りを嫌っているかお解りいただけると思います。
僕程の嫌煙家はもしかしたら珍しいのではないか、という程だと思います。
しかし、しかしですよ、それでもですよ、僕は禁煙に成功した人か?と問われると自信ないです。
いつ失敗してもおかしくないと思ってます。
禁煙して、世の中は、ほんの小さい、些細な事ではあるけれども、ストレスが満ちあふれてます。
そういう、些細なストレスを解消する為に煙草が必要だったのだなと感じます。
もう、身体は全然煙草を欲しいと思ってませんし、気持ち的にも煙草を吸いたいとはこれっぽっちも思ってませんが、それでも、未だに反射的に脳が煙草を欲しがる時があります。
本当に、禁煙とは難しいものです。
しかしながら、煙草をやめて、後悔した事は一度もありません。
やめて、しまったな〜と思った事は一度もありませんね。
本当に、煙草をやめられてよかったと思います。
11/28(木)
禁煙日記もずいぶん御無沙汰ですね。
もう少しで三ヶ月になります。
99%成功した自信がありますが、油断なりません。
99%をもって道中の半分と思え、との言葉もあります。
さすがに最近では煙草を吸いたいと思う事はまずありません。
また、他人の煙りが疎ましく思う気持ちも、以前程では無くなりました。
直接的な煙りがうっとうしいというよりは、部屋のなかの残り香のようなツーンとしたにおいが非常に気になります。
池袋の西武からマツモトキヨシ側に渡る横断歩道近辺は非常に煙草臭い。
あそこは禁煙スポットにして欲しいものです。
歩き煙草をしながら歩いているやつもいまして、チョイ危ないし・・・。
それにしてもこの禁煙日記を読んで禁煙にトライした幾人かの方のなかで、今のところ禁煙に失敗したという報告が一例もないのが凄いと思います。
よほど禁煙に効果のあるサイトなのか??(笑)
12/5(木)13:30
どうやら最後の禁煙日記からひとつめの日記になりそうです。
今回は副流煙について書きたいと思います。
副流煙とは、煙草の先から立ち上る煙りの事をさします。
フィルターを通ってないので、実際に肺に入れる煙りよりも濃いものとなってます。
これが非喫煙者を苦しめるのです。
煙草を止める前、この副流煙が非喫煙者を苦しめている事に気付きませんでした。
その論理はこういうものです。
ある空間で、僕が煙草を吸ったとしましょう。そこには非喫煙者が一人います。
その人は僕が吐き出した煙りと、副流煙を吸います。
しかし、僕は、自分が吸った煙草の煙りと、吐き出した煙りと、副流煙を吸うのだから、僕の身体に与えるニコチンの影響の方が強く、その人が、ボク以上に健康被害を受ける訳がない、と考えてました。
ところが、それが違うんですね〜〜っ。
煙草を吸う人には、煙草に含まれるニコチンを始めとするありとあらゆる薬物に対して、耐性があるのです。
つまり、常日頃の喫煙によって「煙草」という毒に対しての抵抗力があると言う事なのです。
例えば、青酸カリを、致死量に至らない量をなめ続けたとしたら、致死量をはるかに越えた青酸カリを飲んでも人間は死に至らないってのと同じです。
つまり、禁煙して、その抵抗力を失った僕は、少しの副流煙を吸い込む事によって、咽が痛くなったり、気分が悪くなったりするのです。
それに最近気付きました。
最近、自分の歯茎の色が変わってきた事に気付きました。
禁煙前は紫色だった歯茎が、いつのまにか赤みがさして・・・。
ていうか、どんだけ身体に悪いねん、煙草って・・・。
2002年12月7日(土)18:00
最終回
三ヶ月の禁煙生活を振り返ってみると、意外に楽しい禁煙であったのではないかと思います。
少なくとも辛いと思ったことは、禁断症状に苦しんでいた最初の一週間でさえも、思わなかったかもしれません。
この日記にも、「辛い」という文字は見当たりません、よね(笑)。
僕は、様々な事に対しての好奇心が旺盛なので、禁煙によるからだの症状の変化、等に対して、これから一体どうなっていくのだろう!!という、好奇心をもって客観的に自らの変化を眺められた事も、禁煙が成功した理由ではないかと思ってます。
喫煙者の方々や、これから禁煙をしようと思ってらっしゃる方々に一言。
喫煙は薬物依存です。
その認識をもって下さい。
煙草を、自分の意志で吸っているつもりでも、実は煙草に吸わされているのです。
完璧にコントロールして喫煙出来るのであれば、僕は又喫煙者に戻ってもいいとさえ思ってます。
ですがコントロール不可能です。少なくとも普通の精神力の持ち主には。
喫煙は、薬物依存で、禁煙は、その薬物依存との戦いであるという認識をもたないと絶対に禁煙する事は不可能です。
喫煙癖を、治療する、という認識を持つのです。
薬物依存の構造については、過去の日記にも少し記しましたし、また、専門の本等の文献を読んだ方がいいと思いますのでここでは書きません。
それにしても、日本には、煙草のにおいが全くしない場所はほとんど存在しませんね。
電車ぐらいでしょうか。
本当に、非喫煙者は煙草の煙りによって苦しめられています。
その事は、本当に喫煙者に気付いてもらいたい事です。
中央区で、屋外で煙草を吸ったら罰金っていう地区が出来たみたいです。
注意をされた人の中には逆切れする人もいるようです。
煙草を吸わない人からすれば、一方的に被害を被る喫煙。
しかしそれに気付かない喫煙者・・・。
人間が悪いのではない、煙草が悪いのです・・・。
人間の精神までもを蝕む煙草・・・。
僕はようやく煙草をやめられました。
しかし、僕は未だに完全に非喫煙者になれたといわれれば自信がありません。
ある人に、一度でも煙草を手にしたものは、一生禁煙し続けなくてはいけないのだ、といわれました。
そうかもしれません。
覚醒剤に依存し、それを断ち切った人は、ある意味尊敬に値しますし、それをステイタスとして生きていく事もできるでしょう。
しかし、僕がやめたのはたかが煙草です。
しかし、煙草と、覚醒剤を、ランク別けしているものは、たかが法律です。
僕は、禁煙した事を誇りに思って生きていこうと思ってます。
禁煙した自分をちょっとかっこいいと思います。
そして、この日記を読んで、僕の禁煙を励まして下さったたくさんの方々、本当にありがとうございました。
本当に、本当に、みんなの励ましがなければ、禁煙する事は不可能だったと思います。
以上を持ちまして、僕の禁煙日記を終わりたいと思います。
3ヶ月間御愛読ありがとうございました!!。