❖ 首皇子誕生の時代
聖武天皇は、大宝元年(701)、第42代文武天皇と藤原不比等の娘・宮子の第一皇子として生まれました。名を首といいます。大宝元年(701)は、日本で初めて行政法・民法・刑法がそろった大宝律令が完成した年。翌年には中断されていた遣唐使が約30年ぶりに再開され、天武・持統天皇の時代以前から準備されてきた中央集権国家が、いよいよできあがろうとしていた時代でした。
奈良県五條市にある安生寺は、寺伝によるともともと国生寺という名前でしたが、藤原宮子が本尊の十一面観音菩薩に祈願し、首親王が安産で生まれました。このため寺名を安生寺と改称し、本尊は子安観音と呼ばれるようになりました。
❖ 平城遷都と即位
慶雲4年(707)、父の文武天皇が24歳の若さで崩御しました。このときの首親王はわずか7歳でした。文武天皇の母が元明天皇として即位し、和銅3年(710)には都が藤原京から平城京へと遷りました。首親王は元明天皇の時代に皇太子となりましたが、元明天皇の退位時にまだ15歳だったため、首の叔母にあたる氷高内親王が即位しました(元正天皇)。神亀元年(724)、元正天皇は首親王に譲位し、24歳で天皇に即位しました。
平城宮跡資料館 秋期特別展「聖武天皇が即位したとき。−聖武天皇即位1300年記念−」
会場:奈良文化財研究所 平城宮跡資料館
会期:10月22日(火)〜12月8日(日)
※(注記)木簡は展示替えがあります。
I期10月22日(火)〜11月17日(日)、II期11月19日(火)〜12月8日(日)
❖ 天平文化、花開く
飛鳥・藤原時代に伝来した仏教と遣唐使は、日本に新しい文化や技術、芸術をもたらしました。日本は、唐(中国)と、ローマ、西アジア、中央アジアとを結ぶシルクロードの終着点でした。ここには物が集まるだけでなく、民族と経済の交流が生まれる場所であり、非常に国際色が豊かな時代でした。
こうして外来した文化は、国家的な仏教政策と融合しながら、貴族社会を中心に日本独自の進化を遂げ、聖武天皇の時代の平城京で大きく花開きました。これを「天平文化」と呼び、美術や文学、建築など、後世の日本文化に多大な影響を与えました。
❖ 新たな都に救いを求めて
一方で、聖武天皇の時代には社会不安が増大した時代でもありました。息子・基親王は1歳を迎える前に亡くなり、左大臣長屋王は冤罪で死に追い込まれました。疫病が大流行し、藤原広嗣の反乱が起こるなど、厄災が続きました。
聖武天皇は、仏教の力で国家安泰を得ようとしました。全国に国分寺・国分尼寺の建立を命じ、天平15年(743)には、国分寺の総本山として大仏と寺を造る「大仏造立の詔」を発しました。良い都を求めて遷都を繰り返し、5年間で恭仁宮(京都府木津川市)、難波宮(大阪府大阪市)、紫香楽宮(滋賀県甲賀市)と次々と遷都を繰り返しましたが、天平17年(745)、再び平城宮に戻りました。
❖ 大仏造立
当初、紫香楽宮で造立されようとしていた大仏は、平城京に遷都したことにより、現在の東大寺の場所で作られることになりました。仏教を布教するだけでなく社会福祉事業も行い、民衆に人気のあった僧・行基が中心となり、大仏造立プロジェクトは進められました。
養老5年(721)建立の喜光寺(奈良市)の本堂は、大仏殿を建立する際に参考にしたという伝承から「試みの大仏殿」と言われています。現在の本堂は室町時代の再建であり、どの程度忠実に再現されたものであるかは不明です。
天平21年(749)、病床の聖武天皇は娘の阿倍内親王に譲位し、この頃に出家しました。3年後の天平勝宝4年(752)、大仏開眼供養が盛大に行われ、聖武太上天皇も参列しています。この4年後の天平勝宝8歳(※(注記)1)(756)に太上天皇は56歳で崩御。佐保山南陵に葬られました。
(※(注記)1)天平勝宝7〜9は、唐で「年」の代わりに「載」を使ったのに倣い、日本では独自に「歳」を使用していました。
❖ 遺愛の品を納める正倉院
聖武太上天皇の崩御後、光明皇太后は夫の冥福を祈り、太上天皇愛用の品々や薬草を東大寺の本尊・盧舎那仏(大仏)に奉納しました。それらの宝物を納めるための倉庫が「正倉院」です。校倉造の建物で国宝に指定されています。中に納められた宝物は太上天皇の品以外のものも含めて9000件近くあり、毎年秋に奈良国立博物館で行われる「正倉院展」で約60件が公開されます。正倉院宝物は種類も多彩で、そのすべてが国際色豊かな奈良時代の天皇家や国家にまつわる一級品です。日本の古代の姿を伝えるだけでなく、8世紀の世界文化をも伝える貴重な宝物なのです。
安生寺
五條市今井4丁目6-15
090-8753-2383
(安生寺護寺会)
恭仁宮跡
京都府木津川市加茂町例幣
0774-75-1232
(木津川市文化財保護課)
佐保山南陵
奈良市法蓮町1224
0744-22-3338
(宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所)
正倉院
奈良市雑司町129
0742-26-2811
(宮内庁正倉院事務所)
※(注記)正倉院展は毎年10月下旬〜11月上旬に奈良国立博物館で開催しています。 令和6年(2024)の会期は10月26日(土)〜11月11日(月)です。
寺伝に記された
聖武天皇
仏教に篤く帰依していたことで知られる聖武天皇には、正史にはない伝承も多く残ります。
奈良のお寺の寺伝には、聖武天皇の祈りの姿が見えてきます。
新薬師寺
天平19年(747)、聖武天皇の病気平癒を祈り、光明皇后によって創建されたと伝わります。かつては七堂伽藍が整った壮大な寺院で、特に金堂は東西約60 メートルで、薬師如来が七躰祀られていました。本堂(国宝)は創建当初のもので、天平建築様式が残っています。
奈良市高畑町1352
0742-22-3736
慈眼寺
聖武天皇の勅願により、観音堂に聖観音菩薩を安置したことが創建とされます。本尊の聖観世音菩薩は、聖武天皇が感得した観音の姿を刻んだものと言われており、「やくよけ観音(※(注記)2)」と呼ばれ、親しまれています。
(※(注記)2)やくよけ大法要の日のみ公開される秘仏。
奈良市北小路町7
0742-26-2936
岩船寺
寺伝によると、天平元年(729) に、聖武天皇が出雲国不老山大社に行幸した際に霊夢があり、大和国鳴川の善根寺に籠居していた行基に命じ、阿弥陀堂を建立させたのがはじまりと伝わります。
京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43
0774-76-3390
般若寺
飛鳥時代に高句麗僧の慧灌(えかん)が創建した寺院。天平7 年(735) に聖武天皇が平城京の鬼門を守るため、「大般若経」を基壇に納め卒塔婆を立てたのが、寺名となりました。
奈良市般若寺町221
0742-22-6287
霊山寺
神亀5年(728)に聖武天皇の娘の阿倍内親王が病になった際、天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、「登美山の薬草湯屋の薬師如来を祈念すれば治る」とのお告げがあり、そのとおりにすると快癒しました。そこで天平6 年(734) 聖武天皇が大堂の建立を勅命したのがお寺のはじまりです。
奈良市中町3879
0742-45-0081