2017年8月アーカイブ
被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会まとめ(藤本事務局長)
被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会まとめ
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成
大会中、様々な議論がありました。全てに言及はできませんが、若干の時間をいただき、私なりにまとめたいと思います。
原子力市民委員会委員で元原子炉格納容器設計技師の後藤政志さんからは、原子力産業の行方と原発の安全性に関して報告がありました。
米国のスキャナ電力は、7月31日にV.C.サマー原発2・3号機の建設断念を発表しました。東芝傘下のウェスティングハウス社が受注していたものですが、後藤さんは、米国の安全規制の強化が工期の延長とコストの上昇を生み、いまや原子力発電所がコスト競争に勝利することはないだろうと発言しています。
安倍政権は、特定秘密保護法、戦争法、共謀罪、矢継ぎ早に、憲法違反と言える法整備を、数の力を持って強引に進めてきました。彼の言う、戦後レジームからの脱却は、憲法の規定する、主権在民、平和主義、基本的人権の保障という、戦後社会の根幹に関わる理念への挑戦というものです。前田さんは「『秘密保護法』と『共謀罪』の結合がもたらす、物言えぬ社会が到来する」と指摘しています。私たちは、決して負けるわけには行きません。原水禁運動は、60年以上にわたって「核兵器廃絶」「脱原発」を、運動の両輪としてとりくんできました。そこには、被爆の実相がありました。一人ひとりの命への強いこだわりがありました。私たちは、権力の圧力に、臆してはなりません。
私たちには、夢があります。核も戦争もない平和な21世紀を作りましょう。
被爆72周年原水爆禁止世界大会・大会宣言
被爆72周年原水爆禁止世界大会・大会宣言
しかし、唯一の戦争被爆国である日本政府は、本来ならば核兵器廃絶に向けて積極的にリーダーシップを発揮する立場にあるにもかかわらず、この条約の交渉に参加せず、いまも条約の批准・発効に反対し続けています。8月6日、広島の平和祈念式典で、安倍首相は「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力」を口にしながら、核兵器禁止条約には一言も触れませんでした。安倍首相が言いう平和は、政治的ポーズに過ぎません。日本政府(安倍政権)の姿勢は、核兵器廃絶を求めている世界の多くの国々、とりわけ被爆者を失望させるものです。私たちは、日本政府が「核兵器禁止条約」を直ちに批准し、核兵器保有国に対して、戦争被爆国としての言葉で参加を促していくことを強く求めます。
安倍首相は、広島の平和祈念式典で、「被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策の充実を行ってまいりました。今後とも、被爆者の方々に寄り添いながら援護施策を着実に推進してまいります」と述べました。しかし、被爆者への国家補償や原爆症の認定、在朝被爆者をはじめとする在外被爆者、被爆体験者、被爆二世・三世の問題などで様々な課題が残されています。原水禁は、国家補償に基づく被爆者援護法の制定を長きにわたりとりくみ、「原爆被爆者援護法」を勝ち取りました。しかし、国家補償は未だ明記されず、政府は、被爆者の具体的要求には何ら答えず、ただ裁判で敗訴したことのみ改善するという消極的姿勢に終始しています。被爆者が高齢化する中にあって、安倍首相は、自らの言葉を、自らが具現化しなくてはなりません。時間との闘いの中で、早期の解決に向けた運動の強化が求められています。
世界各国は、2011年3月11日の東日本大震災・福島原発事故を契機に、脱原発に舵を切りました。ドイツ・イタリア・スイスなどが脱原発を選択しました。アジアにおいても台湾が脱原発を決定し、韓国でも脱原発をめざす政権が誕生しています。原子力産業は、米原子炉メーカーウェスティングハウスを買収した東芝の破たんに見るように、原発建設など原子力産業の推進が企業の経営破綻をまねく状況が現出しています。一方で福島原発事故の処理費用は、現時点でさえ約22兆円と試算され、原発推進が市場経済の論理にそぐわないものとなっています。
しかし、安倍政権は、除染が終了し、年間被ばく量20mSvを下回ったとして、避難指示の解除を進め、住民に帰還を強要しています。20mSv/yは、一般公衆の被ばく限度の20倍であり、さらなる被ばくを押しつけながら、原発推進のためにフクシマをなかったものにしようとする姿勢は許せません。安倍政権は、脱原発を求める民意を無視し、福島原発事故被害者を切り捨て、原子力推進政策に邁進し、原発再稼働、核燃料サイクル計画・プルトニウム利用路線の推進、原発輸出などを推し進めています。事故の原因の調査も、責任の所在も曖昧にしたまま、原発推進に舵を切ることを許してはなりません。国策として原発を推進し、津波の想定を見直すことなく、事故を引き起こした東電・国の責任をきびしく追及していかなくてはなりません。
安倍政権は、安全保障関連法(戦争法)や共謀罪を新設し、憲法改「正」に踏み出そうとしています。沖縄・辺野古や高江では、新基地建設を強行しています。日本中の空をわが物顔に飛ぶオスプレイは、各地で事故が頻発し市民社会に大きな不安を与えています。戦後レジームからの脱却という安倍首相の主張は、憲法の規定する国民主権、平和主義、基本的人権の保障という戦後一貫して私たちが守ろうとしてきた日本社会のあり方を、根本から変えようとするものです。決して許してはなりません。
脱原発を決定させましょう。核燃料サイクル計画を放棄させましょう。米国の傘の下にあって、核武装を担保しておこうとする日本の核政策を根本から変えましょう。核兵器禁止条約の批准を求めましょう。国の責任を明らかにして、フクシマの支援を確実にしましょう。戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪阻止、「命の尊厳」を基本に、地域から大きな声を上げていきましょう。
ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ、ノーモア フクシマ、ノーモア ヒバクシャ、ノーモア ウォー
被爆72周年原水爆禁止世界大会
原水禁世界大会の最終日は長崎で閉会総会開く
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長崎実行委員会を代表し、松田圭治・実行委員長(長崎原水禁議長)があいさつに立ち「国連の核兵器禁止条約採択の原動力は被爆者の思いだった。それにもかかわらず、日本政府がこれに反対することは、唯一の戦争被爆国として許されない」とし、憲法改悪や沖縄への新基地建設、原発政策を進める安倍政権を厳しく批判しました。
九州各県をつないで毎年行われている「非核平和行進」のタスキが長崎から沖縄に返還された後、タスキを受け取った沖縄平和運動センターの山城博治議長が登壇。沖縄県内の基地建設反対運動の中心を担っていたところ、昨年から5か月余にわたり逮捕・不当勾留されたにも関わらず「沖縄県民は翁長雄志知事を先頭に辺野古に新基地を作らせない闘いを続けている。事態が厳しければ厳しいほど団結していくことが大切だ」とし、自ら作詞した「今こそ立ち上がろう」を熱唱して、会場を沸かせました。
また、佐賀県唐津市にある玄海原発の再稼働に反対するアピールを、佐賀県原水禁の柳瀬映二事務局長が行い、「県知事は県民の意見を聞くポーズをとっているが、理解は得られていない。避難計画は被ばく計画でしかない。再稼働を絶対に阻止する」と力強く述べました。
高校生のアピールとして、第20代高校生平和大使と高校生1万人署名活動実行委員会のメンバーなど100人余りが並び、若者として核廃絶を訴えていく決意を語りました(写真上)。
原水禁世界大会に参加した海外ゲストを代表し、米国ピース・アクション政治政策担当のポール・マーティンさんは「世界の状況は昨年よりも悪くなっている。アメリカと日本では自らの利益だけを考える指導者がいる。ともに連帯し軍国化を進めることを阻止しよう」と呼びかけました。
大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行った後、脱原発、核燃料サイクル計画などの日本の核政策を根本から変えることや、核兵器禁止条約の批准、国の責任によるフクシマの支援、戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪阻止など、「命の尊厳」を基本に、地域から声を上げていこうとの大会宣言を採択しました。
原水禁世界大会・長崎大会 2日目は分科会やひろばで討議
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8月8日、原水爆禁止世界大会・長崎大会の2日目は。いくつかの課題に分かれての分科会や、関係団体の自主企画の「ひろば」、フィールドワークなどが行われました。
「平和と核軍縮」の分科会では、共謀罪などの憲法問題や沖縄での新基地建設問題での討議と、7月7日に国連で採択された核兵器禁止条約と東北アジア非核兵器地帯化構想について考えました(写真上)。
「脱原子力」の課題では、福島原発事故の現状と再稼働問題を考える分科会のほか、プルトニウム利用路線の破たんと自然エネルギーの展望を検討しました(写真下)。
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「ヒバクシャ」については3つの課題に分かれ、世界各地での核実験やウラン採掘などでの核被害の実態と補償、韓国やメキシコなど在外被爆者を招いて在外被爆者の置かれている現状と課題、さらに、被爆二世・三世問題では現在取り組まれている集団訴訟の意義や展望を考えました(写真上)。
さらに、「見て・聞いて・学ぼうナガサキ」では、映像や被爆者の証言を通して被爆地・ナガサキの実相に触れました。このほか、被爆者との交流や、映画の上映などの「ひろば」、長崎市内の被爆遺構めぐり(写真下)や、佐世保の基地めぐりのフィールドワークも開かれました。
さらに、小学生向けの「子ども平和のひろば」、高校生が企画・運営した「ピース・ブリッジinながさき」(写真下)など多彩な内容の催しが行われました。
8月9日は長崎大会の閉会総会が開かれ、大会宣言を採択した後、爆心地までの非核平和行進を行い、原爆投下時間(11時2分)に黙とうを行い大会の全日程を終えます。
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長崎大会 第1分科会「平和と核軍縮1-核も戦争もない世界を!〜憲法・沖縄から考える」
海外ゲスト:ポール・マーチン(米国・ピースアクション)
参加者 220名
はじめに、軍事評論家の前田哲男さんより「安倍政権の危険な本質」と題して講演を受けた。まずオスプレイ墜落と安倍首相の防衛計画大綱の直近情勢に触れたうえで、小野寺大臣の提言について解説があり、北朝鮮のミサイル対策・敵基地反撃能力を保有すべくということは、専守防衛という言葉は形骸化しているとの説明があった。このなかでは、政府の弾道ミサイルに関するホームページを引用し、長崎の地での経験や新型爆弾投下後の国民反応に触れ、ナンセンスなPRしかおこなっていないと痛烈に批判をされた。
また戦争法にも触れ、安倍首相のPRは在留邦人の救助という“うわべの理由”で国民を欺いて説明し、現実は「原子力空母艦隊防護」などに従事しているとの現状に警鐘を鳴らした。
最後に、「このような日本にすることもできる」と題して、自衛隊・防衛問題に関する世論調査を分析し、国民が期待しているのは「はたらく自衛隊」であり、「9条改憲」は望んでいないという指摘があった。
世界各地の情勢にも触れ、特に北朝鮮については緊張をさらに深めている状況であり、韓国へのTHAAD)配置は、北だけではなく中国・ロシアにも脅威であるということを述べられた。
最後に、安倍首相はトランプ大統領にプレッシャーをかけられないが、私たちが安倍首相にプレッシャーをかけ続けけることの重要性について述べ、先人の“草の根運動”に学び、プライド・目的・力を持ってたたかっていこうという言葉で結ばれた。
その後、会場からの質疑と長崎・沖縄からの活動報告を受けた。
長崎大会 第2分科会「平和と核軍縮2―核兵器禁止条約と東北アジア非核地帯化〜展望と課題」
講 師:田巻一彦(ピースデポ代表)
参加者 70名
ピースデポ代表の田巻さんから次のような報告があった
7月7日についに、歴史上初めての「核兵器禁止条約」ができた。しかし、日本、アメリカ等の最も参加しなければならない国々が参加していない。また、北東アジアの状況も核兵器禁止条約の精神に反するような実態が続いており、私たち市民が具体的な要求を日本や核兵器を持つ国々に訴えていかなければならない。
これらのことをふまえたうえで、以下の5点が提起された。
1核兵器の現状
2核兵器禁止条約
3北東アジアの危機と脅威
4米朝交渉を求める声(米、韓、北朝鮮)
5朝鮮半島非核化と「核兵器禁止条約」
田巻さんからは「北東アジアで北朝鮮の核を脅威と思っているのは韓国、日本、アメリカなどだ。しかし、北朝鮮が脅威と思っているのはアメリカのみ。したがって、私たちはアメリカに言わなければならないし、日本政府にも言わなければならない」との発言があった。
長崎大会 第3分科会「脱原子力1〜福島原発事故の現状と再稼働問題を考える〜」
長崎大会 第3分科会「脱原子力1〜福島原発事故の現状と再稼働問題を考える〜」
後藤政志(元原子力プラント設計技師)
海外ゲスト:キム・ポンニョ(韓国・脱核情報研究所所長)
参加者:120名
元原子力プラント設計技師の後藤さんからは、安全の定義とは、リスクを許容できるかどうかどうかであり、許容できれば安全であり、許容の判断は個々であるということ。技術の進歩は、失敗を繰り返すことで進化を遂げていくものであるが、原子力の技術においては、失敗は許されるものではない。失敗の許されない技術は、存在しないとの興味深い提起が行われた。
また、参加者からは、運転から40年を経過した原子炉が原子力規制委員会の審査に合格すれば60年の稼働が可能となったことをどのように受け止めればよいのか、廃炉に要する具体的な費用は、といった原発に対する意見が出された。
海外ゲストである韓国・脱核情報研究所所長のキムさんからは、韓国における脱核、原子力からのエネルギーシフトの現状報告が行われた。韓国国内で大統領が脱核宣言を行ったことにより推進派と反対派の対立が激しくなっている現状や、推進派からは、集団的に大統領批判が繰り広げられる中、脱原発の取り組みを進めていきたいとの決意が語られた。
最後に、各地域からの取り組み報告として、福島、佐賀、鹿児島からそれぞれ原発再稼働反対に向けた活動報告を受けて終了した。
長崎大会第4分科会「脱原子力2 プルトニウム利用とエネルギー政策の転換を求めて」
長崎大会第4分科会「脱原子力2 プルトニウム利用とエネルギー政策の転換を求めて」
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講師:藤井石根(明治大学名誉教授)
西尾漠(原子力資料情報室共同代表)
海外ゲスト:シュウ・グァンロン(台湾・台湾大学教授)
参加者 86人
2人の講師から、もんじゅの廃炉、六ヶ所再処理工場の大幅な遅れなど、プルトニウム利用路線の破綻は安倍政権が進める原子力政策そのものの破綻である。未来のない原子力に代わり、今後のエネルギー政策の展開を考える提言があった。また、海外ゲストから脱原発に向けた台湾の報告があった。これらの提言、報告を受けて、次のような質疑が行われた。
【質疑】 アジアで最初の脱原発をかかげた台湾であるが、代替エネルギーの関係で石炭が使われると環境と対立するのではないか。また、台湾では、放射性廃棄物の捨てる場所についてはどうするのか?
【応答】 高レベルの放射線廃棄物はかなり多くあるが、処理できるところは少ない。捨てる場所がないということを政府にもっと市民が訴えていかなければならない。
【質疑】日米原子力協定が2018年に見直されるだろうか?
【応答】政府は延長を考えているのではないか。再処理のことも考えていくべきとアメリカや国内外にも訴えていきたい。また、日米原子力協定改定に伴い、再処理を認めさせない方向にもっていきたい。
【質疑】3.11以降、原発のほとんどが止まっているが、二酸化炭素の量が増えている。
【応答】世界のトレンドは脱原発だ。3.11以降原発が止まり、火力発電にシフトしたが、政府は経済性を重視したのでCO?が増加した。電力の買い取り制度を導入し、太陽光発電の設置が多くなったが、大企業によって森林伐採など環境を破壊することになっていることもある。環境を破壊せずに自然エネルギーを拡大できるようにしなければならない。
【質疑】廃炉作業で労災事故も増えていて相談も多いようだがどうか?
【応答】労災として認められても、因果関係を認めたわけではない。被災者との協力体制をしっかりととっていきたい。
長崎大会 第5分科会「ヒバクシャ1 核被害・ヒバクと補償問題を考える」
参加者 21名
アメリカの核実験の被害を受けたマーシャル諸島では、2017年3月に「核の負の遺産会議」を開き、「ヒバクシャは十分な補償を得る権利(Justice)があるとして取り組みを始めた。また、「核兵器禁止条約」の前文では「核兵器の非人道性」に触れ、「核兵器の壊滅的な結果が国境を越え、人類の生存や環境、将来世代の健康に重大な被害を与え、妊婦と女性への不均衡な影響を認識し、核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)及び核実験の被害者の苦痛に留意する」としている。
被ばく兵士への補償については、アメリカの被ばく兵士(被ばく退役軍人)には、原爆投下後の広島・長崎に進駐した兵士と大気圏内核実験に参加した兵士に対し、27の疾病に平均75000ドル支払われる。
旧ソ連の被ばく兵士(原爆投下実験に参加した兵士)には補償法がない。実態も分か っていない。生存している被ばく兵士は10パーセント程度といわれる。
核実験の被ばく者への補償では、ネバダ核実験の風下の被爆者には「放射線被ばく者補償法」でがん発病者に5万ドル、マーシャル諸島の核実験被ばく者にはアメリカとマーシャル諸島政府の間の条約で「核賠償裁定委員会」がつくられた。金銭的補償、医療保障では不十分。離島を余儀なくされた人々(被ばく難民)の補償に資産の損害、土地への損害賠償も計上されたが、一部しか支払われていない。
旧ソ連のセミパラチンスクの核実験による被ばく者のうち、カザフスタン内の被ばく 者には特別な社会保障制度を適用しているが、ロシアのアルタイ地域やモンゴル内の 被ばく者は対象外となっている。
ウラン採掘、精錬労働者への補償法があるのはアメリカだけだ。
原爆被ばく者への補償では、「被爆者健康手帳」を持つ者を対象とし、他を「認定被爆者」「被爆体験者」として差別的扱いがある。
原発事故による被ばく者への補償は、裁判で、被害者に因果関係の立証を求められている。
これら以外の日本の被ばく者である、第五福竜丸乗組員やウラン採掘労働者、原発労働者は「被ばく者」としてではなく「労災」対象者とされている。
参加者からは、マーシャル諸島の被ばく者の補償および低線量被ばく者の補償について質問が出された。
長崎大会 第6分科会「ヒバクシャ2─在外被爆者と戦争責任を考える」
海外ゲスト:カク・キフン(韓国・元韓国原爆被害者協会会長)
チョン・テホン(韓国・韓国原爆被害者協会釜山支部)
山下泰昭(メキシコ・在外被爆者)
参加者 16人
弁護士の在間さんは、1旧植民地出身者、2被爆後日本国外に移住した被爆者、3戦争捕虜、4その他という在外被爆者の定義を示し、その上で、在外被爆者による闘いの経緯として、原爆2法(原爆医療法、原爆特別訴訟法)と1994年に制定された被爆者援護法が、国籍条項が定められていないにも関わらず国外に在住する被爆者に適用されておらず、裁判闘争を重ねて被爆者手帳の国外での取得、援護法の在外被爆者への適用を勝ち取ってきた歴史が紹介され、そのなかで日本政府が一貫して被爆者への責任を果たすことを回避し続けてきた姿勢について指摘がありました。
韓国原爆被害者協会の元会長であるカク・キフンさんは、日本軍に招集された後、広島で被爆した際の体験、日本による朝鮮半島の植民地支配の問題点などを紹介しながら、「日本政府が外国にいる被爆者を援護しないのはおかしい。被爆者はどこにいても被爆者だ」と述べました。
また、韓国原爆被害者協会釜山支部のチョン・テホンさんは、14歳のときに長崎で被爆し、被爆者が病気で亡くなっても当時はそれが原爆症であることは分からなかったことなど、戦後の苦労についてお話がありました。
現在、メキシコに在住している山下泰昭さんは、6歳のときに長崎で被爆しました。その後、長崎の原爆病院で勤める中で、「被爆者とは結婚しない」という差別に直面し、メキシコオリンピックで仕事をしたことを契機にメキシコに移住しました。移住後も深刻な貧血に悩まされる日々が続きましたが、1995年のフランスによる南太平洋での核実験の際に、大学生に被爆体験を語ったことをきっかけに証言活動を開始しました。一時期はサンフランシスコの被爆者団体に所属していたものの、現在はメキシコで被爆者に関連する情報が得られず孤立した状態にあると報告しました。
参加者からの政府の政策の問題点についての質問に対し、在間弁護士は、「被爆者援護と福島の原発事故の問題で共通するのは、政府が放射線による被害をできるだけ小さく見積もろうとしていることだ」と指摘しました。
原爆による被害を国際的な視野でとらえ直し、「被爆者はどこにいても被爆者である」というカク・キフンさんの言葉を出発点にこれからの運動を進めることを確認しました。
長崎大会 第7分科会「ヒバクシャ3―被爆二世・三世問題を考える」
振津かつみ(医師)
報告:崎山昇(全国被爆二世協会長)
平野克博(全国被爆二世協事務局長)
参加者 73名
中鋪弁護士から「被爆二世集団訴訟の意義と展望」と題して報告を受けた。今年の2月に広島と長崎それぞれで訴訟に踏み切っており、被爆者援護法が被爆二世を対象にしていないことは、その生命・健康を脅かすものであり、憲法13条に違反していること、また、国の立法不作為が認められることなど、訴訟の内容について報告された。
最後に、裁判闘争の支援の必要性を確認し、今後も職域での取り組みと地域での取り組みをつなげていくことが重要であるとのまとめを受けて終了した。
長崎大会 第8分科会「見て・聞いて・学ぼう"ナガサキ"」
西岡由香(漫画家)
参加者 140名
最初に、原水禁国民会議制作のDVD「君たちはゲンバクを見たか」が上映されました。広島・長崎の原爆投下による悲惨な実態が映像を通して感じることができました。
続いて、被爆体験講話として山川剛さん(県被爆教職員の会)の講演に入りました。山川さんからは教職員出身ということから、戦時中における学校教育が果たした役割や政府の広報が果たす役割として、「ぜいたくはしません」「パーマネントはだめ」「学校校庭での竹やり訓練」などを通して、世論を戦争へと誘導して行く実態が報告されました。
また、長崎市への原爆投下による悲惨な実態や、自ら経験した原爆被害の肉体的・精神的な恐怖から「二度とヒバクシャを作らない」ために核兵器廃絶を強く訴えられました。
会場からは、核兵器禁止条約が国連にて採択されたが実効性はどうかなどの質問が出され、山川さんからは「核兵器廃絶元年として実効性を高めて行くために、市民の努力が重要となっていく」との見解が述べられました。
次に、西岡由香さんの講演に入りました。西岡さんは漫画で平和活動を展開する原動力は、被爆体験者の話を聞くことにより自分の心に被爆を感じたこと。そうした中で原爆は絶対だめと強く感じるようになった。その運動を漫画や紙芝居を通じて取り組むようになった。運動は色々な方法があると述べられました。また、「今日の聞き手は明日の語り手」として運動の輪を広げていきたい。憲法9条改憲の動きがある中で平和を守るためにがんばって生きたいと決意が述べられました。
最後に、原水禁運動が取り組むべき課題として、安倍政権がこの間強行してきた「特定秘密保護法」「自衛隊の集団的自衛権行使(戦争法)」「テロ等準備罪(共謀罪)の強行」「原発再稼動」などと対峙する闘いと、核兵器禁止条約への日本政府の参加を求める闘いに全国の仲間と連帯して行くことを確認しました。
被爆72周年原水禁世界大会・長崎大会基調提案
被爆72周年原水禁世界大会・長崎大会基調提案
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成
それでは、若干の時間をいただいまして、大会の基調を提案申し上げます。詳しくは、後ほどお手元のピンクの冊子「基調」に目を通して下さい。
被害者・避難者は、時間の経過の中で、様々多様で多岐にわたる問題を抱え、帰還はすすみません。年間被ばく量20mSvは、事故前の基準の20倍であり、山間部や原野は除染できていません。目に見えない放射性物質は、健康への大きな不安となっています。
原発事故以降、私たちが主張してきた「ひとり一人に寄り添う政治と社会」を具現化する、新たな国による支援を求めます。私たち原水禁は、そのような福島の実態に則した、ひとり一人の、人間としての復興を求めて運動を続けます。
突然と、突然と、その日常をやぶる原爆、日々の何気ない幸せをも奪い去る原爆、戦争は、その人の何気ない日常を、奪い取っていきます。
平和に向けて、今日から3日間、真摯な討論をお願いして、長崎大会での基調提起といたします。
原水禁世界大会・長崎大会が開会 1100人が参加
8月7日、長崎市の「長崎ブリックホール」で「被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の開会総会が開かれました。台風の影響で一部の県は開会に間に合わなかったものの、全国から1100人が参加しました。
オープニングは、現役の医者による音楽ユニット「インスハート」が登場。医療で身体を治すだけでなく、音楽を通して心まで癒したいとの思いで活動を続けており、ステージでは原爆で子どもを亡くした母の思いをうたった「おばあちゃんののこしもの」を熱唱。参加者の感動を呼びました。
続いて、7月に長崎県内を一周した「第33回反核平和の火リレー」の参加者が登壇し、これからも活動を続ける決意を語りました。
黙とうに続いて、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁代表)は、自らが体験した長崎での被爆について「あの地獄のような光景が目に焼き付いている。原爆は、人間が人間として生きることも死ぬこともできなくするものだ」とその悲惨さを語り、「7月7日に国連で可決された核兵器禁止条約に日本は反対しているが、被爆者を、そして国民を見捨てる行為だ」と安倍政権を厳しく糾弾。「東北アジアの非核地帯化など、核なき世界の先頭に立とう」と呼びかけました。
大会への海外ゲストを代表し、台湾大学教授で、台湾環境連合で脱原発運動を進めている徐光蓉(シュウ・グァンロン)さんが「核兵器と原発の根本は同じものであり、どちらも絶対悪だ。これ以上、放射性物質が地球上に溜まれば環境や子孫に悪影響を与える」として、2025年に原発ゼロをめざす台湾の動きを報告しました。
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大会基調の提案を藤本泰成・大会事務局長が行い、核兵器廃絶、脱原発、ヒバクシャの援護と権利拡大への取り組みを提起し、「名もない人々の日常が持つ豊かさを守るために、命の尊厳を大事にする運動を続けていこう」と訴えました。基調提起はこちら
福島原発事故について、福島県平和フォーラムの村上伸一郎副代表が報告し、3月から一部地域を除いて、帰還が強制され、仮設住宅からの立ち退き、住宅支援の打ち切りなどの政府の対応を批判し、「国や県は責任をもって生活再建を支援するべきだ」と語りました。
「長崎からのメッセージ」として、田上富久・長崎市長が登壇し、日本非核宣言自治体協議会の会長として「核兵器禁止条約ができた源流に被爆者の声があり、それが集まって国連で大きな流れとなった」と述べ、「条約を社会の規範とするために市民が声をあげ続けていくことが必要」と強調しました(写真上左)。
さらに、核兵器禁止条約」の国連での討議を傍聴した川副忠子さんが、戦争に突入する前からの日本の動きや、原爆投下、敗戦後の平和を求める運動や被爆者の活動などについて、写真等を用いて説明しました。
また、原爆の被害者が当時の旧長崎市内に限られ、近隣の自治体に住む人たちが被爆者認定されなかった問題について、「被爆体験者訴訟原告団」の岩永千代子さんと松尾榮千子さんが証言。被爆直後の爆風の中を逃げ回り、その後、友達を白血病で亡くし、自らもがんと闘っていることを語り、訴訟を通じ、国や県、市が一刻も早く認定するよう求めていくと述べました(写真上右)。
メッセージの最後は高校生からで、20年前から続けられている「高校生平和大使」の活動について、昨年の第19代大使から活動報告を受けた後、今年の20代大使に選ばれた15都道府県の22人が一人一人抱負を述べました(写真下)。また、2001年から長崎で始まった「高校生1万人署名運動」も全国に拡大し、これまでに140万人以上の署名を国連に届けたことが報告され、全員で活動のテーマソングを歌って運動の継続を誓っていました。
最後に「原爆を許すまじ」を斉唱し、開会総会を終了しました。8日には長崎市内を中心に分科会やひろば、フィールドワークなどが行われ、9日に閉会総会と非核平和行進を行なわれます。
被爆72周年原水禁世界大会・広島大会「ヒロシマアピール」
1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾は、強烈な「熱線」、「爆風」、「放射線」のもと、その年の内に14万人もの生命を奪い去りました。あの日から72年、被爆者の高齢化は進み、限られた時間の中で、援護対策の充実と国家の責任を求めることが急務となっています。さらに、親世代の原爆被爆による放射線の遺伝的影響を否定できない、被爆二世・三世の援護を求める運動も重要です。
7月7日、国連本部で「核兵器禁止条約」が採択されました。私たちが願う「核兵器廃絶」へ向けての歴史的瞬間でした。この条約の前文において「核兵器の使用による被害者(ヒバクシャ)に引き起こされる受け入れがたい苦痛と危害に留意する」や「核兵器に関わる活動で先住民に対する不釣り合いに大きな影響を認識」と、私たちが訴え続けてきた「核廃絶なくして被爆者(ヒバクシャ)の救済なし」や「核絶対否定」の理念が込められており、原水禁運動が国際的に認められた証でもあります。これからは、日本政府に、唯一の戦争被爆国として、全世界の条約批准へ向け、核兵器保有国とその同盟国をリードしていく責任を認識させなければなりません。
東日本大震災による福島第一原発の事故から6年が経過していますが、いまだ約8万人近い福島県民が避難生活を余儀なくされています。しかし、安倍政権が進める原子力政策では、福島原発事故の反省もなく、12基の原発再稼働が認可され、その内、5基が私たちの強い反対にも関わらず再稼働を強行しました。それどころか、原発の新・増設の可能性すら追求し始めています。フクシマを決して忘れてはなりません。福島県民と周辺県で放射能汚染を強いられた人々の健康不安、特に子どもの健康にしっかり向き合うよう、「被爆者援護法」に準じた法整備を国に求めるとともに、原発の再稼働や新・増設を許さず、全ての原発の廃炉、再生可能エネルギーへの転換を求めます。
安倍政権は、安全保障関連法制(戦争法)や組織犯罪対処法改正(共謀罪)を、市民の多数の反対を押し切って、国会での数の力により強行採決させてきました。さらに、2020年までには憲法を改「正」する構えを見せています。戦争により何が起こったのか思い起こすとともに、被爆地ヒロシマを体験した私たちは、9条を守り憲法を守り一切の戦争を否定し、二度と悲劇が繰り返されないよう訴え行動していきましょう。
これまで私たちは原水禁を結成し、52年にわたり一貫して「核と人類は共存できない」、「核絶対否定」を訴え続け、核のない社会・世界をめざして取り組んできました。現在、暴走し続ける安倍政権の戦争への道、原発再稼働への道に対抗していくことが喫緊の課題であり、未来ある子どもたちに「核も戦争もない平和な社会」を届ける取り組みを全力で進めます。
○しろまる核兵器禁止条約で核兵器廃絶を実現しよう!
○しろまるフクシマを繰り返すことなく、全ての原発の再稼働や新・増設に反対し脱原発社会をめざそう!
○しろまる原発事故の被災者と被曝労働者の健康と命と生活の保障を政府に強く求めよう!
○しろまる非核三原則の法制化を実現しよう!
○しろまる憲法改「正」を許さず、戦争法や共謀罪の廃止をめざそう!
○しろまるヒバクシャ援護施策の強化ですべてのヒバクシャ支援を実現しよう!
○しろまる被爆二世・三世の援護を実現しよう!
○しろまるすべての核兵器をなくし、核と戦争のない21世紀をつくろう!
ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノー モア フクシマ、ノー モア ヒバクシャ
2017年8月6日
被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会
被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会まとめ
被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会まとめ
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成
核禁止条約に対する日本政府の態度が問題になっています。第2分科会の湯浅一郎ピースデポ副代表は、オバマ政権の8年間を総括しながら、「核なき世界」をめざす米国では、核兵器への巨額投資が続き、核戦力の近代化が続いた、今後10年間で核の近代化に800億ドル、運搬手段の近代化に1000億ドル、全体で1800億ドル、約18兆円が支出されることになったと指摘しています。オバマ大統領がプラハ演説で述べた「この目標は、私の存命中には実現しないかもしれない」と言う言葉は、米国社会に染みついた核依存態勢を象徴し、このことを変えるのは至難の業との思いの表れでは無いでしょうか。
原水禁運動は、1955年のその発足から、核兵器問題と原発問題に、運動の両輪としてとりくんできました。様々な確執があったにせよ、私たちは、「核絶対否定」「核と人類は共存できない」ことを基本に運動を進めてきました。自民党政権は、1957年5月7日の参議院予算委員会で岸信介首相(当時)が「憲法は、核兵器保有を否定していない」と発言したり、また、2016年4月1日には、安倍政権が「必要最小限度の核兵器は合憲」の閣議決定をするなど、核兵器保有を否定しないできました。
オーストリアは、脱原発と核兵器不保持が、憲法に規定されていると聞きました。政権が変わっても重要な政策が変更されないようにすることが目的とされています。
原水禁運動のとりくみを通じて、脱原発の方向を確固たるものにするために、私たちのとりくみの方向は明らかになっています。
少し話を変えたいと思います。私は、北海道の本当の田舎町で育ちました。昼は蝉の声が、夜は蛙の声で眠れないことがあるほどの、自然の中で育ちました。夏は野山を走り回り、冬は雪の中を転げ回りました。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
自然の中で、泥だらけになって、雪まみれになって、育ってゆく。日本の故郷の子どもたちの姿です。
三月十一日 悲しい 揺れ 巨大な 揺れ あれから
私の町の駅はまだ目覚めない。囲われて、閉じられて、消されている。
その街はなくなってしまいました。
私は、自然の中で、のびのびと育ってきたことが、私にとってかけがえのない素晴らしい贈り物であったように思います。
この詩は最後を、こう結んでいます。
私たちの生活の場から、答を出そうではありませんか。
それは難しくありません。
原水禁世界大会・広島大会の「まとめ集会」開かれる
メッセージヒロシマ.JPG
1945年8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が投下され、一瞬にして多くの命が奪われてから72年。「被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会」は「まとめ集会」を県立総合体育館で開き、700人が参加しました。
主催者挨拶に立った川野浩一・大会実行委員長は、8月6日の「あの日」を振り返り、「多くの子ども達も犠牲になった。三たび繰り返さないと誓ったはずが、いまだ達成されていない。安倍晋三首相は広島平和式典で、国連で採択された核兵器禁止条約について何も触れなかった」と厳しく批判しながら、「安倍政権の支持率は激減している。いまこそ政治の流れを変えるチャンスだ。原点に立ち返って行動しよう」と呼びかけました。
中・高校生が中心になって企画・運営された「メッセージfromヒロシマ2017」の報告では、参加した子ども達の平和への思いを集めたボードが披露され、採択された「平和アピール」が紹介されました(写真上)。
海外代表からのアピールは、韓国・環境省中央環境政策委員のイ・ユジンさんが行い「アジアでは、台湾が2025年までに原発をゼロにし、韓国でも文大統領の下で脱原発の機運が高まっている。民主国家では原発は選択されない。勝利の日まで闘おう」と訴えました。
まとめ集会.JPG
特別報告として、「高レベル放射性廃棄物処分問題と適地マップの公表について」を北海道平和運動フォーラムの長田秀樹代表が報告。原発から出される「核のゴミ」と呼ばれる高レベル放射性廃棄物を地下に埋めるため、政府が7月28日に示した処分地の「科学的適正マップ」を厳しく批判し、「該当する自治体において処分場拒否の議会意見書採択の運動を展開しよう」と呼びかけました。
広島大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行い、5日の分科会や国際会議などでの論議の中から、「核兵器禁止条約」の早期発効に向けて日本がアメリカの「核の傘」からの脱却が必要なことや、核燃料サイクルシステムの破綻、東北アジア非核地帯化構想の推進、福島原発事故の避難者へ「被爆者援護法」に準じた法整備、再生エネルギーの拡大、脱原発の視点からの日本の核政策の転換などを提起し「明日の世界のために何が出来るか一人一人が考えよう」と強調しました。
最後に「暴走し続ける安倍政権の戦争への道、原発再稼働への道に対抗していくことが喫緊の課題であり、未来ある子どもたちに『核も戦争もない平和な社会』を届ける取り組みを全力で進めます」とする「ヒロシマアピール」を採択。「核兵器禁止条約は被爆者の思いが原動力となって成立した。その思いを私たちの行動に重ねていこう」と、佐古正明・大会副実行委員長(広島原水禁代表委員)の閉会挨拶で終了しました(写真下は、最後に「原爆を許すまじ」を合唱する参加者)。
原水禁世界大会は8月7日から9日までの長崎大会に引き継がれます。
「ヒロシマアピール」はこちら
広島大会2日目は分科会や国際会議で討議行う
平和と核軍縮.JPG脱原発2.JPG
「脱原子力」の課題では、核燃料サイクルと高レベル放射性廃棄物の処分をめぐる課題や、福島原発事故を受けての再生可能エネルギーなど脱原発をどう進めるかを討議しました。(写真下)。
さらに「ヒバクシャを生まない世界に」として、世界の核被害者の現状と連帯あり方を検討した他、韓国やメキシコの在外被爆者を招いて補償問題や戦争責任を考えました(写真下)。
さらに、原爆問題の入門を学ぶ分科会も開かれました(写真上)。これら分科会の内容は後日、原水禁国民会議のホームページで報告されます。
広島大会は6日に「まとめ集会」を行い、7日からの長崎大会に引き継がれます。
広島大会 第1分科会「平和と核軍縮1─憲法・沖縄〜いまこそ武力にたよらない平和構築へ」
広島大会 第1分科会「平和と核軍縮1─憲法・沖縄〜いまこそ武力にたよらない平和構築へ」
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講師:前田哲男(ジャーナリスト・軍事評論家)
海外ゲスト:ポール・マーチン(米国・ピースアクション)
トランプ政権の特徴として、政策的なスキルの不足と内部抗争が挙げられ、唯一守られている公約が軍事中心主義の強化であり、それは経済的な利益主義と結びついている。シリアへの軍事行動やイスラム教徒への差別がオバマ政権との決定的な違いを示しているとの見解も示され、選挙の重要性も指摘された。
次に、軍事評論家・前田哲男さんから、『弾道ミサイル落下時の行動について』とする政府の時代錯誤の広報や自衛隊による稚拙な防衛訓練の問題点が提起され、小野寺新防衛大臣を中心とする勢力の敵基地先制攻撃論やミサイル防衛体制の強化への批判が展開された。
また、自衛隊・防衛問題に関する世論調査の分析からは、「自衛隊と民意」についての傾向が鮮明であり、災害派遣を中心にした国民生活に密接する「働く自衛隊」が求められており、これを「9条改憲」の対抗軸とすることを提起された。
各地の報告では、沖縄から、辺野古、高江の新基地建設強行を巡る安倍政権の強圧姿勢とこれに対峙する現地の運動の現状(決して屈しないエネルギーについて、神奈川からは、空母艦載機の厚木から岩国基地への移設と横須賀基地の空母戦闘団の強化(世界最強のBMD防衛拠点化について、山口からは、厚木からの戦闘機移設を含む、巨大軍事基地(常駐機168機におよぶ建設に向かう現状について報告された。
質疑・討論では、トマホーク・ミサイルの購入が検討されるなど先制攻撃を受け入れる姿勢について、米空母カールビンソンの日本海への展開を容認する米国依存体質への疑問など、憲法上の疑義と朝鮮半島情勢への対応策が問われた。また「拉致問題の解決」が重要ではとの意見も出された。
前田さんからは米・朝協議の促進、そして平和条約の実現こそが劇的な変化、根本的な解決につながる、「拉致問題」も日・朝関係改善の方向性の中で捉えようとの指摘がされた。
広島大会 第2分科会「平和と核軍縮2-核兵器禁止条約と東北アジア非核地帯化の展望と課題」
湯浅一郎(ピースデポ副代表)
海外ゲスト:リュ・ギョンワン(韓国・コリア国際平和フォーラム実行委員長)
参加者:79人
核兵器禁止条約の成立は、被爆者を中心とした国際的な反核運動の成果であり画期的なものであるが、この条約成立で核兵器廃絶の道筋ができたわけではない。 1986年のレイキャビック会談で合意された核兵器の削減が実現しなかったのは、軍産複合体や官僚組織、テクノクラート的聖職者の存在があった。オバマ大統領のプラハ演説以降、結果としてアメリカでは核兵器を維持する予算は増えてきた。
それに対抗するために「世論」と核兵器禁止条約がある。NPT条約で謳われた軍縮会議が40年間も開かれないのは、議題そのものを設定する段階で「拒否権」が発動されているためだ。その「拒否権」に対抗する多数派の力で、核兵器禁止条約は作られた。国連の限界があっても、多数決が使える国連のメカニズムを積極的に活用し、市民運動と「志を同じくする国々」と連携し、核保有国や戦争の好きな国々の中の核廃絶派・戦争反対派との連携を密に行動することで、「拒否権」を超える世界の動きを創っている。核兵器禁止条約成立により、核兵器廃絶は「道徳」から「法律」となった。
6カ国協議が9年間開催できない状態になり、その間に北朝鮮は自分たちの国がイラクのように一方的に潰されることがないように、経済は大変な状況ではあるが相当なエネルギーと予算の大部分を核兵器とミサイル発射技術へ投入してきた。7月21日の停戦協定の日を意識して、次の日の28日の夜にアメリカまで届くと考えられるようなICBMの発射実験をして見せるところまで来ている。
さらに湯浅さんは、核弾頭の数は、米ソ冷戦をやめ、相互に冷戦時代とは全く異なる関係性をつくってきた歴史のなかで、1万4千発まで減らすことができている。軍事力による安全保障ジレンマの愚かさと、そこから逃れていく筋道を外交的に作っていけば、軍事力の強化をむしろしなくて済んでいる現実が示されている。
このことを東北アジアに適用するために「北東アジア非核兵器地帯」を具体化していくことが求められているおり、米国の核の傘に安全保障を依存する日本の政治姿勢を変えねばならない。核兵器禁止条約という国際的な規範を活かし、市民社会がこれを変えていく力を持つことが求められていると訴えた。
広島大会 第3分科会「脱原子力1-核燃料サイクルと高レベル放射性廃棄物」
末田一秀(はんげんぱつ新聞編集委員)
海外ゲスト:イ・ユジン(韓国・環境省中央環境政策委員)
参加者数 161人
1950年代から始まる高速増殖炉による「夢の核燃料サイクル」は、計画の見直し、先送りの歴史であったこと、さらには欧米の原発先進国での高速増殖炉実用化からの撤退など、核燃料サイクルがまさに「夢物語」であることをわかりやすく説明された。
また、2016年の「もんじゅ」廃止決定は、政策の大転換であり、六ヶ所村の再処理施設意義は失われている。政府は六ヶ所の延命を図るろうとしているが、事業破たんは明白で、大事故が起こる前に再処理施設を中止に追い込こもうと訴えられた。
そして、処分場には、再処理時に発生するTRU廃棄物の処分施設も併設されるが、含まれるヨウ素は水に溶けやすく岩盤に吸着されないため、処分から10年程度で地表に放射能が漏れだす危険性があると指摘された。
7月28日に公表された「適地マップ」を示し、今まで処分場に縁のなかった地域も対象となっていることや、あらたに沿岸の海底も対象となっていることなどに触れ「地域での学習会」などの取組み強化を訴えられた。
ムン・ジェイン政権のエネルギーシフト政策として「脱核」が示されているが、韓国でも原発関連産業を中心とした原発村は大きな力を持っており、市民が参加できるエネルギーの民主化が課題である。
韓国、日本、中国は、お互いに影響を及ぼしており、緊密に情報を共有し、脱原発に向けたロードマップを市民レベルで確立するエネルギー民主主義の運動を韓日相互で発展させようとの提案もなされた。
広島大会 第4分科会「脱原子力―福島原発事故と脱原発」
広島大会 第4分科会「脱原子力―福島原発事故と脱原発」
飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)
海外ゲスト:シュウ・グァンロン(台湾大学教授)
特別報告:長谷川健一(原発被害糾弾飯館村民救済申立団団長)
参加者 106名
現状は、発電能力は約50GW、ピーク時の需要は36GWで、原発の占める割合は、1985年の48%から2016年は12%になっています。ただし、再生可能エネルギーは2GWと低調。従って、台湾電力は、今もって電力不足が生じると宣伝し、継続を狙っています。一方で再生可能エネルギー開発が遅れており、脱原発=石炭火力となり、反原発と反公害が対立する関係が生じかねない危険性があると指摘し、情報開示の必要性を強調しました。
つづいて長谷川健一さんからは福島の現状が話されました。原発周辺自治体で最も情報が遅れ、不必要な被ばくを受け、その上、一家8人が一緒に暮らしていた家を放棄し、家族がバラバラにされ、それは今や回復の見込みがない状況に置かれていることが話されました。自分は戻りたいが、子や孫に被ばくさせたくない気持ちから一緒に帰ろうとは言えない、と苦しい気持ちを話してくれました。汚染水の行方、フレコンバックの処理、すべてが高齢者の街、このようなところに全天候型のテニスコートがいるのか、と行政に強い不信を持っていました。
西尾獏さんは、チェルノブイリはある意味終わっているが、福島はどうなったら事故は終わったといえるのか、今も事故を起こしている最中であり、終わったといえない、何故なら現在どうなっているかわからないからである、とショッキングな話を冒頭からされました。
そしてそもそもどうやって事故が起きたのかもわかっていない、中に入ることもできない状況であり、世界初の1号機から4号機まで同時におきた事故、世界初の自然災害によるシビアアクシデントである、と強調されました。安全神話が生んだ想定外であり、今後、賠償問題を含めて解決不能な問題ばかりが残されている。そのような中で再稼働は異常であるし、その上もとに戻そうと原子力村は動いている、と指摘されました。しかし、原発は定期点検ごとに今後も止まるし、現在5基しか動いていないことを市民にもっと伝えていこう、と提起されました。
広島大会 第5分科会「ヒバクシャ1─世界の核被害者の現状と連帯を考える」
振津かつみ(医師)
参加者 60人
核実験による被害は、甚大なものがあるが、補償がされていない現状である。また、核実験による人権侵害として、地元を避難することや自給自足の生活を余儀なくされてしまうこと、生活サイクルの乱れなどに現れ、こうした人たちが多く存在している現状である。また、原発稼働により、世界的にも多くの被害者を出していることを指摘。
原爆被害者の状況としても、地域に限定されており、全体が補償の対象になっていない現状がある。また、この補償は保証でなく「援護法」であり、政府の財源がなくなれば打ち切りとなるものであることも強調された。この他に、原発労働者の課題等に触れられた。
2本目は、『世界の核被害者の人権と保障を求める運動との連帯』として、振津かつみさんからの講演を受けた。
核開発と利用は、被害者なしに成り立たないとし、核は軍事平和利用を問わず、ウラン採掘から核廃棄物に至るまで、あらゆる過程で核被害者を生み出している。フクシマやチェルノブイリの原発事故やウラン開発など、汚染により居住地が剥奪され、生活が奪われる。また、健康障害も長期に及び、二世や三世にも影響を及ぼす。そんな中、被害者の権利と保障問題については確立されていないと語られた。
その後、参加者からの質問や意見を聞き、3人の方が発言された。最後にまとめとして、被爆者は、原爆被害だけでなく原発や開発にあたる多くの人にも多大な影響を与える。しかし、現状は不十分な補償しかない。核兵器禁止条約が提案され、今後いかに実行するかが課題である。ぜひ日本政府による条約批准を促し、核保有国が批准する運動を進める必要がある。
また、被害者援護の運動と連帯し、補償問題を解決できるよう取り組みを強化せねばならない。安倍政権の戦争への道、原発再稼働に対抗し、平和と民主主義、基本的人権の尊重、憲法を守る取り組みを進めるため、各地域・職場で取り組みを進めていただきたい。とし、分科会を終えた。
広島大会 第6分科会「ヒバクシャ2-在外被爆者と戦争責任」
海外ゲスト:カク・キフン(韓国・元韓国原爆被害者協会会長)
山下泰昭(メキシコ・在外被爆者)
参加者 36名
初めに、韓国原爆被害者協会の元会長であるカク・キフンさんから、1910年の韓国併合から強制徴用されたこと、また被爆してから被爆後遺症の支援にいたるまでの辛い経験をスピーチいただきました。
次に、長崎県出身であり、被爆したことを契機にメキシコへ移住された山下泰昭さんから後遺症に苦しめられた過去を語っていただきました。
次に、平野さんから被爆者の残された課題として、「原爆症認定問題」「被爆体験者・黒い雨地域等の被爆地是正の問題」「被爆二世・三世問題」「在外被爆者問題」の4つの課題が残されていると提起されました。また、政府は戦争責任として認識しておらず、社会保障としての対応をしており、あらためて二度とヒバクシャをつくらない、二度と戦争をしないことを確認しました。
カク・キフンさんは韓国に帰ってからの差別はないと回答しましたが、植民地支配に組み込まれてしまった立場もあり、デリケートな問題として今後の課題でもあるとしました。原爆症等の認定問題に関しては、これまでの取り組みの成果により認定基準が見直されたものの、被爆者の思いとは大きな差があり、現在でも100件以上の裁判が続けられています。
最後に、これらが今後も引き続いての課題であることを確認し、閉会となりました。
広島大会 第7分科会 「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」
被爆証言: 平野貞男(広島県被団協・被爆を語り継ぐ会)
参加人数 250人
次に、広島県原水禁代表委員の金子さんから「核と人類は共存できない―原水禁運動の歴史 反核の父・森瀧市郎先生に学ぶ」と題しての講演で、原水禁運動の理念と歴史の解説を受けました。
今年7月7日、国連で「核兵器禁止条約」が採択されましたが、その前文では「核兵器の使用による被害者(ヒバクシャ)ならびに核兵器の実験によって影響を受けた人々に引き起こされる受け入れ難い苦しみと危害に留意する」とあります。この間、被爆者が様々な場で訴えてきた被爆の実相が国連の場でもしっかりと受け止められている成果と指摘。
反核の父といわれる森瀧さんも「核の平和利用にバラ色の未来を望んだ」(1955年第1回原水禁世界大会宣言)時代があったものの、1975年の世界大会基調提案では「核は軍事利用であれ、平和利用であれ、地球上の人類の生存を否定するものであると断ぜざるを得ない・・・結局核と人類は共存できない・・・『核絶対否定』の道しか残されていない」と明確に示されていました。
また、原水禁国民会議が原発問題に取り組んだ経緯、ウランの採掘現場等での被ばくの問題や、再び核被害者を作らせてはならないという強い決意がどのような背景のもとに生まれたのかを説明。そして、被爆者救援運動と国家補償を求め続けることの考え方、座り込み行動を貫く「非暴力」の姿勢などについて話されました。
質疑では、戦争への道を進むことのないよう、これから選挙権を持つ高校生たちにどのように教えるべきかなどの質問がありました。安倍総理は国民の財産・命を守るためにというが、シリアなどの内戦で犠牲者の9割はただの市民であることを見れば、戦争になれば市民がより多く犠牲になるという実態を知ること、「被爆者にはなれないが近づくことはできる、そのためにどう努力するかを考え、行動するべきではないか、信念を曲げず言い続けることが大事」と回答されました。
被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会基調提案
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成
日米安全保障条約の下、米国の核の傘に依存し、核兵器の抑止力の幻想にしがみつく、旧態依然とした日本政府の態度は、被爆者の訴えとは相容れず、原水禁運動に関わってきた人々を失望させるものです。
元米国の国務次官補を経験し、クリントン政権で北朝鮮の核問題を担当したロバート・ガルーチジョージタウン大学教授は、「六ヶ所再処理工場は2割程度の稼働率であっても、年間1.5トンものプルトニウムが生産される。有能な科学者であれば、年間300個の原子爆弾を作れるほどの量になる」と指摘し、再処理工場は、米国の傘の下から脱した場合のリスクヘッジであり、いざとなれば核武装できることを担保するものだとの見方を示しています。この懸念は米国の安全保障関係者に共有されているとも指摘しています。
原子力の平和利用・核燃料サイクル計画が、日本の「核抑止力」そのものであることは重要な課題です。脱原発を確定することが、核抑止力幻想から抜け出す道であることを、私たちはしっかりと見極めなくてはなりません。
その多くを電力消費者に転嫁して回収しようとしており、過去分の徴収や、新電力にも負担を強いるなど、きわめて問題の多いものとなっています。「原発の電気は安い」との主張は今や「デタラメ」以外の何ものでもありません。
福島県は、自主避難者の住宅無償提供を打ち切りました。2万6千人以上と言われる自主避難者は、2重生活によって困窮を極めている方や故郷の住宅の荒廃によって帰還できない方など、様々な困難を抱えています。
日本政府が、支援をあたりまえのものとして考えていないことが、日本社会のゆがみとなって、フクシマに対する言われない差別がおこっています。
復興庁の発表では今年6月30日現在で、避難者は9万3001人、震災関連死は、10都府県で3591人、そのうち原発事故があった福島県は2147人で関連死全体の6割にも達します。この数字を見ても、福島第一原発事故が何であるのかが分かります。帰還の問題、生活の再建や生業の債権問題、甲状腺ガンなどの子どもの健康問題、教育の問題、様々な課題が残されています。
原発事故以降、私たちが主張してきた「ひとり一人に寄り添う政治と社会」を具現化する、新たな国による支援を求めます。私たち原水禁は、そのような福島の実態に則した、ひとり一人の人間としての復興を求めて運動を続けます。
東芝のスキャナ社への債務保証は2432億円に達しています。原子炉メーカー「ウェスティング・ハウス社」の経営悪化に伴う、親会社東芝の経営破綻は、原子力エネルギーそのものが、市場経済で存続できなくなっていることを明らかにしています。
2015年円ルギー基本計画へのパブコメは、9割が原発依存の引き下げや脱原発であったことを、政府はもう一度見つめ直すべきです。
何気ない日々、普通の人間の、普通の生活が、原発事故で失われる。憲法25条の生存権、22条の居住、職業選択の自由、29条の財産権、26条の教育権、様々な権利を原発が奪いました。
本日より、3日間の真摯な討議をお願いして、基調の提案にかえさせていただきます。
被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会に2700人
平和行進.JPG
広島市長、広島県知事(ともに代理)の来賓挨拶に続き、海外ゲストを代表し、アメリカ・ピースアクションのポール・マーチンさんが「米国人として、原爆を投下したこと、また、トランプを大統領に選出したことを謝罪したい。しかし、この間、私たちはともに闘い、核兵器削減や禁止条約などの成果を上げてきた。よりよい社会を作るために草の根の運動が一層大切になっている」と訴えました。
被爆者の訴えを広島県被団協の白石多美子さんが行いました。白石さんは6歳の時に爆心地から4キロ離れた宇品で被爆。幸いにも大きな怪我はなかったものの、爆心地に近い所で祖母を探しながら見た光景や臭いは忘れられないと切々と述べました。最後に「人間はもちろん、生きているものは全て平和こそが最大の望みだ。武器ではなく、言葉や優しさを持って平和を守っていこう」と参加者に呼びかけました。
これに応えるかのように、今年の第20代高校生平和大使に選ばれた広島県内の3人の女子高生が立ち、「原爆の悲惨さを風化させず、多くの被爆者の思いを受け継いで、国連の場に届けたい」と決意を述べました。高校生平和大使は、8月半ばにスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪ね、署名を手渡すとともに、各国代表に訴えることにしています。
また、福島からの報告を角田政志・福島県平和フォーラム代表が行い、事故が収束していない中で、被災者への帰還が強制されている実態などが話されました。
大会基調の提案を藤本泰成大会事務局長が行い、最後に全員で「原爆許すまじ」を合唱。閉会挨拶で広島実行委員の秋葉忠利さん(元広島市長)は「核廃絶に向けて着実な歩みが始まった歴史的な年の大会になった。禁止条約が発効すれば、核兵器は法律違反になる。日本も批准をさせて、核廃絶を実現しよう」と強調して幕を閉じました。
5日は広島市内で分科会やひろば、子どものひろば、フィールドワークなど多彩な取り組みが行われ、6日に広島大会のまとめ集会が行われます。
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