藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

誰にもできる(2)

*[ウェブ進化論]頭が立ち止まる。

学生さんも子育てママもビジネスマンも、日常はタスクで溢れている。

毎日は「やるべきリスト」で埋め尽くされているから、ゆっくりと自分のことを振り返る暇なんてないし、それに暇があるなら楽しみたいこともたくさんある。

食べたいものも読みたい本も見たい映画も、旅したい場所もいくらでもある。

(特にネットが普及してからは「コンテンツの奴隷」になっている人もたくさんいるし)

そんなタスク地獄だからこそやってみたいこと。

それは「空白の時間を作る」ということだ。

もう忙しい日常でやらなきゃいけないことは山のようにある中で。

あえて「何もせずにただ考える時間」を作ってみるのだ。

もうそこだけは空白のように。

他人の干渉のない環境でまず自分を落ち着かせる。

そう、まるで座禅や瞑想をするような感じだ。

あえて禅の本に頼らなくてもいい。

「全く何も作業しない3時間」を作ってみて欲しい。

最初の30分は仕事のこととか家族のこととか遊びのこととかが頭に浮かぶだろう。

そして鎮静。

暫くすれば「正解のない自分のこれから」について思いが巡ってくる。

少し「頭に立ち止まってもらう」という感じだ。

「これまでの自分」を回想し「これからの自分」について、数時間ゆっくり考えるだけで頭の中はずい分スッキリする。

是非とも試してみてもらいたい。

誰にもできる(1)

*[ウェブ進化論]ともかく考える時間を作る、という方法。

"7つの習慣"でも最も難しい「最優先事項を優先する」の大事なところ。

これほど日常でやりにくい課題はないと思う。

学生さんであれ社会人であれ、そしてリタイア後の人であれ。

目の前で「やらなきゃいけないこと」は山ほどある。

家事もそうだし風呂にもトイレにも行かなきゃならない。

仕事はたくさんあるし、友達付き合いもあったり、何かにつけて家族との交信もある。

もう自分たちの日常はタスクで埋もれている。

だから「優先事項は何か」とか「その優先事項をいつやるのか」という話はどんどん後回しになっていくのが普通だ。

だって「私の人生は」とか「30年後の自分について」なんて悠長に考えている暇なんてない。

美味しいものも食べたいしライブにも行きたいし。

ちょっと時間があるのなら久しぶりに美術展にも行ってみたいし、読みたいけれど埃をかぶっている本や漫画もたくさんある。

なので逆転に発想をしてみたい。

「この土曜日の12時から16時までは一切の作業はせずに"ただ考えるだけ"」という時間を作るのだ。

もうSNSもネットも遮断して、読みたい漫画も知らんふりして「ともかく考えるだけの空間を作る」ということを試してみるのだ。

(つづく)

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予測の誤謬(4)

*[ウェブ進化論]現場とマネジメントの違い。

ホワイトカラーの仕事というのは、「実は製造業とか卸売業の中継ぎ」に過ぎない、と思う。

やはり本当に重要なのはサプライチェーンを担う「工場とか流通」そのものにある。

そしてそれをマネジメントするホワイトカラーは決して威張ってはいけない。

世界中のあらゆる工場で生産される、鉄鉱とか半導体とか化学品とか繊維とか食糧とかの現場を見てみると「恐ろしい製品加工のノウハウ」に圧倒されてしまうものだ。

サプライチェーンは世界中に分散しているけれど、その「其々の現場の工夫」をみてみると到底ホワイトカラーの自分たちには太刀打ちできないことが実感される。

なので製造の現場を知らずに「世界中の相場を見たりマーケットを予測したりすること」で自分たちが市場を動かしている、などと思うのは大きな思い上がりである。

なのでホワイトカラーが自ら威張るのではなく「製造業の調整役」とか「金融業としての潤滑油」などという自分の役割をきちんと認識すべきだろう。

ホワイトカラーにはそうした「勘違い野郎」がとても多い。

さらには官僚とか政治家にも多く見られる。(嘆)

「私の仕事は管理職」という大企業の面々は多いらしいけれど「管理が仕事です」という時点で自分の付加価値はおよそなくなっていると思った方がいいだろう。

できればそのまま定年まで過ごしてしまわないことを祈りたい。

予測の誤謬(3)

*[ウェブ進化論]仕事の中身。

経済や業界の専門家と言われる人の予測は必ず外れるから、そうじゃないことを考えようというお話。

自分は社会に出てプログラマーになった時に「これでコンピュータが無限に動くのはすごいことだが、果たしてこのプログラムは自動でできないものかな?」と最初に思った。

一つ一つはロジックの積み重ねだから、やりたいことが決まっていれば自動化できそうだった。

そして営業に異動になってからはさらに疑問が膨らんだ。

自分は見積もりを作るとか、客先に要件を聞きに行くとか、人の手配をするとかしているけれど「果たしてこれって自分でしか、いや人でしかできないことだろうか?」と直感的に思ったのだ。

そしてその気持ちは今まで続いている。

自分たちは日常の仕事を何か「例外ばかりで人にしかできないこと」だと思い込んでいる節があるが、中身は「いたってクソ仕事」ではないだろうか。

「ホウレンソウ」とか「数字の集計」とか会議の主催とか。

その会議で一体どれほどの大事な意思決定がされているのか? と思うと実中身はほとんどない。

実は自分たちの重要な意思決定というのは、自分一人とかあるいはごく限られた身内の数人で行われているという気がする。

果たしてホワイトカラーの生産性はどこにあるのか? ということをホワイトカラーの人たち自身が見つめ直す必要があるだろう。

予測の誤謬(2)

*[ウェブ進化論]

経済にせよITにせよ政治や外交にせよ、専門家の予測は必ず外れるという話。

これは「真剣に予想すればするほど細かい変数が混じってしまい、掛け算すると大きくズレたりマイナスになったりする」という構造なのだと思う。

掛け算の"それぞれの項"は順番に計算🧮されていくから、直近の不安定な一項目が入っただけで真反対の結果になってしまうのだ。

だから「未来を予想して相場に賭ける」というのは非常に危険で不安定な行動なのだとわかる。

また皮肉なことに勘が鋭くて頭の回転が速い人ほど、目の前の事実がよく見えるので落とし穴に嵌ってしまうというのはよくある話である。

それはともかく。

不安定な相場を予想するのではなく、また大きな歴史の流れを読むということでもなく。(これはこれで難しいし)

AIはともかく、特にホワイトカラーの人たちは今こそ「自分の仕事の総点検」が必要だと思う。

自分はプログラマーになりたての頃「ほほう、このロジックというものを組み立ててコンピューターを動かすわけだな」と妙に感心した。

自分の書いた一本のプログラムは「疲れることなく何百万回も動いて無限に処理を続ける」ということに納得感を覚えたのだ。

(つづく)

予測の誤謬(1)

*[ウェブ進化論]懺悔の時期。

自分は35年ほどIT業界に身を置いているけれど、最近ようやく「むむっ?」と感じることがある。

それは「世間の予想」とか「特に業界の専門家の予想」は必ず外れる、ということである。

その理由は多分、自分達は"近未来"のことになると途端に「鳥の眼」を失い「ど近眼」になってしまうという性質があるのだと思う。

PCが出現した時もそう、携帯電話やネットやそしてスマホが出た時もそうだった。

今AIが「人の仕事をなくす論」が盛んだけれど、そうはならないのではないだろうか。

ここ50年くらいを見ても「人手の仕事」というのはどんどん減っている。

現金を数えるとか、お金を送金するとか、切符を切るとか。

昔に比べれば手間仕事は相当なくなっているけれど、あまりそれを恐怖する声は聞かない。

AIが自分の仕事をなくすのではなく、「自分の仕事がAIが代われるほどの手間仕事だった」ということに問題意識を持つのが正しいだろう。

いわゆる「クソ仕事」は言うまでもなく、ちょっと頭を使ったグラフとかイラストとか、また「目方でなんぼ」というアナログな価値観でいたずらにページ数を稼いだ提案書とか。

特にホワイトカラーは自分の仕事が「実は意味のあるものなのかどうか」を懺悔する時が来ているということだろう。

(つづく)

自由の不安(3)

*[ウェブ進化論]少子化の追い風。

少子化の危機が頻繁に報道されるようになって20年以上が経って、ようやく本当の影響が身近に感じられる段階になっている。

地方の市町村が赤字で破綻するとか、災害時にインフラの復旧ができないとか。

保育園や老人ホームも閉鎖が目立ち始めているとか。

面白いもので世の中には「誰もが知っている問題が解決されずにジワジワと現実になる」ということがとても多い。(これは正に7つの習慣の"優先事項"のお話だ)

みんなが「AIとかバイオ技術がなんとかするのだろう」と人ごとのように見ていたら、いつの間にかあちこちに穴が空き始める、というのは大きな失敗にはつきものの性質である。

(まあこれは個人の場合にも当てはまるわけですが)

これから半世紀ほどの少子化は動かない事実なので、特に若い人は面白そうなことを自由に選べる時代になっている。

人口減はむしろ追い風だ。

「仕事がAIに置き換わってしまう」などとケチくさいことは気にせずに、できれば「クソ仕事」ではない生き方を見つけてもらいたい。

できれば「既製品の仕事」ではなく、自分なりに考えた「オーダーメイドの工夫ができるかどうか」ということがこれからのテーマになるのではないだろうか。

自由な発想を意識してみよう。

自由の不安(2)

*[ウェブ進化論]安打のコツ。

自由には不安がつきものだ、と昨日書いた話の続き。

なぜか若ければ若いほどその選択肢の多さのあまり、何か「目に見える物とか正解のようなもの」にステレオタイプの思考をしてしまう。

そしてさらに歳を重ねると実際に選択肢は狭まってくるのだが、これまた同様に「さらにもはや決まり切った方法しかない」と思い込む。

まるで自由な肉体を精神がガチガチ🥶に縛っているような感じだ。

例えば転職一つとっても「もう40歳を超えれば自由な選択などできない」というのが常識のように言われているが、それは頭の堅い日本企業の「雇う側のルール」の話だけであり、実際の選択肢は何十通りもあるものだ。

だからまず自分のチャレンジしたい業界や仕事が定まったならば、年齢やキャリアを問わずに飛び込む方法などいくらでもあるのだけれど「ホームページに募集がないから無理だ」とハナから制限をかけてしまってはまるで催眠術にかかっているようなものである。

先日「成功者のマネをしても成功しない」ということを書いたけれど、成功者の「性質をマネする」というのは有効で、その一つに「ひたすら打席を増やす」というものがある。

ともかく打席に立つ機会を増やして「一本のヒット」に辿り着くまで続けることは非常に重要な姿勢だと思う。

(つづく)

自由の不安(1)

*[ウェブ進化論]凪の気持ち。

社会人になってから35年余りでずっと凸凹としてきたけれど「本当に立ち止まって考える」ということはなかったことに気がついた、と最近何度か書いた。

常に何かが動きながら「次の何かに関係しながら」という状態がずーっと続いていたと思う。

自分なりの歴史の大波や嵐もあったけれどそれはともかく。

今少し立ち止まって考えているのだけれど精神的な「凪」というのは気付いてみるととても面白い性質があることに気がついた。

それは「不安と自由」である。

そして、それはまるで二十歳の若者とか小学校を卒業する頃の自分の気持ちと同じだと思ったのだ。

言いようのない先への不安もあるけれど、「でもそれは究極の自由でもあるのかもしれない」ということが若い頃には気付けなかった。

だから先人の辿ってきた道を真似することで安心感を得ていたのだ思う。

けれどそれは360°の"全方位の自由"に気が付かなかったということでもあった。

「自由を感じる感性」は年とともにどんどん衰えてゆくから、若い人はもちろんだが60歳を超える自分たちも、一層「自由の目👀」で視野を広げることが大事だろう。

60代は定年の話、70代は病気自慢という典型からは解放される必要があると思う。

あまりに狭い。

知識の引き算(3)

*[ウェブ進化論]一冊一意。

昨日「成功した人のサクセスストーリー自体には再現性はなく、けれど実はその姿勢にコツがある」と書いた。

経営者の自伝にしても、また成功のノウハウを語る本でも、書籍の形になってしまうと200-400ページの体裁になりかなりゴテゴテしたものになってしまうので読み方にも工夫が必要だと思っている。

日経の「私の履歴書」などもそうだが、まあその人の半生の物語を読んで感心するというのもいいけれど、

全体を通して「何をした時に何を得たのか(例えば就職して何を得たのか)」とか「何か起きた時にどう選択したのか(恐慌が起きた時にどうしたのか)」というような「行動」に注目して飛ばし読みすると早く読めるし分かりやすいので一度試してみてほしい。

成功のノウハウ本にしても(7つの習慣はともかく)「考える前提」とか「まずはコンセプトを作る」とか「分析の仕方」とか「発想の原理」などたくさんのことが書いてあるものだ。

自分はこうしたノウハウ本も「言いたいことを一つだけ」に絞って読むようにしている。

一冊の本からたった一つでも「とっておきのコツ」を引き出せれば上出来だ。

余談だけれど、このブログにしても以前は平気で3000文字くらい書いていたのだが、まず最後まで読んでもらえない。

結局行き着いたのは「一回当たり600文字以内で言いたいことは一つ」のスタイルにしている。

一つでも言いたいことが伝われば嬉しい。(600字)

知識の引き算(2)

*[ウェブ進化論]

自分たちは往々にして「他人の成功談」とか「成功者の自叙伝」とか「成功のノウハウ」などに興味を抱くけれど、その興味のほどにそれほど役に立つものではないという話。

自分がこれまで知る限り"7つの習慣"以外に「常に自分の頭の中に留めておいて役に立つもの」は心当たりがない。

つまりどんなに成功した人のケーススタディをして自分の知識にしても「再現性」はほぼないと思った方がいいだろう。

そして成功者のエピソードの中には「ほとんどが偶然の出来事だった」という話は至るところに出てくることにも気付かされる。

そう、成功の大体のケースは偶然なのだ。

なので自分たちは「ただ偶然を待っておれば良いのか」というとさにあらず。

ほとんどの成功者は「待ち」でいる人はおらず、その偶然を「掴みに行く」という人ばかりである。

要するに「打席に立つ機会」がとても多いのだ。

あるいは「その時が来るまで一つのことにひたすら打ち込んでいた」というタイプの人もいる。

ということは

「そういう"愚直な継続ができるかどうか"ということが成功か否かを分けている」ということなのだ。

先人のサクセスストーリーはそのままでは役に立たないが、「その底に流れる姿勢」に注目すれば、どれもその中に普遍的な性質を読み取れるものなのだと思う。

知識の引き算(1)

*[ウェブ進化論]積み上げても使えない。

ちょっと極端にいえば(自分も好きでよく読む)"成功読本"的な書物は、毎年数多く出版されるけれど「実はまるで役に立たない」ような気がする。

(最近「畳の上の水練では経験は身につかない」という話を書いたけれど)これまで著名な経営者やコンサルタントや学者の書籍を、まあ数多読んできたがそれが「何かの判断の助けになったか」と問われれば残念ながら「全く役に立たなかった」ということになると思う。

同様にハーバードなどのMBAスクールで学ぶケーススタディも有名で書籍化されていたりするけれど、あれも「こんな企業がこうして逆境を乗り越え成功した(あるいは失敗した)」という読み物としては面白いが実務の参考にはならない。

そしていわゆる自己啓発モノの本も「7つの習慣」以外は自分を変えるようなものはほとんどないようだ。

つまり「実際の経験なくして知識で成功する」というのはあり得ない試みである、ということをまず分かってから手にする方がいいと思う。

またhow toモノには「〇〇式勉強法」とか「〇〇思考のための100のツール」などというものも多いけれど、

自分はこうした書籍はざっと読んで「たった一つに絞って要約する」ということにしている。

すると、案外著者の言いたいことは実はそんなに多くないものだということに気付いた。

(つづく)

サバティカる(3)

*[ウェブ進化論]若者から吹く風🌬️。

自分たちは毎日の行動をついルーチン化して「変化を好まない性質」になりがちだという話。

くだらない話だが夜の居酒屋にしても、いろんな手間やら気苦労などを嫌っているといつの間にか「超保守的」なおっさんになっているものだ。(そういえば毎日、同じ店の同じ場所で過ごしている人は案外いる)

それは「落ち着いた安定」を目的にするなら悪いことではないが、新しい刺激からはどうしても遠ざかってしまう。

なので自分は週に一回程度は必ず新規の店に行くようにしている。

しかもお店は主人の年齢に関係なく「開店してから新しい店」の方が色々と活気があっていい。

大資本の力を借りずに飲食店を始める彼らは、まるで身近なベンチャー企業家であり熱意も強い。

料理や接客に、日々いろいろな工夫をしている姿は客として見ていても刺激をもらうことができるのだ。

特に最近カジュアルな居酒屋を出店する若者たちは「自分の行きたいようなお店と料理を作っています」と毎日メニューやSNSを更新して実に楽しそうである。

もうすでに今の若者は「これまでの正解」からは離れて自由に自分なりの道を目指しているようにも思う。

ビジネスの分野にももっとそんな風が吹き込むともっと楽しくなるだろう。

サバティカる(2)

*[ウェブ進化論]本当の空白。

成人して一旦社会に出てしまうと「何も考えない時間」というのが実はほとんど訪れないというお話。

最近若い人の転職相談をしていて、つくづく「これからの可能性の広さに比べて、なんて限定的なことしか考えないのだろう」と驚いている。

仕事についても勿論だが、家族とか結婚とかの将来についても「限られた選択肢」しか見えていないようで実にもったいない感じがするのだ。

「より良い条件」にこだわり過ぎて、何か「用意されているセットリストからしか選ばない」という考えの人が多い。

いきなり起業する、というのもハードりが高いかもしれないがスタートアップ企業の中から自分の共感できそうなものを選ぶ、というのもアリだと思うし「全く新しいキャリアにチャレンジする」ということももっとあっていいと思うのだ。

そして長い社会人生活を考えると、案外「二つ三つの異なる経験」というのは後々で強みになることが多い。(むしろ"〇〇一筋"でキャリアを作って、その分野が陳腐化してしまうことの方が危険ではないかと思う)

そして同時にもういい年の自分だってこれからのことを「かなり限定的に考えている」という事実にも気付く。(汗)

過去に全くこだわらずに「これからの余白を考える」ことを意識してみてはどうだろうか。

サバティカる(1)

*[ウェブ進化論]本当の空間。

心理学者のアドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と言ったらしい。

おおお。

ほんまですか。

だとしたら自分たちはそうした人間関係のしがらみ(柵)に"がんじ搦め"に縛られている、ということのようである。

特に現代のようにサプライチェーンが極限まで細分化されていると、もはや自分が社会のどの部分で働いていて、そしてそれにどんな「社会的な意味」があるのか、とかまた「自分はどんなサプライチェーンに世話になっているのか」ということも分からなくなっている。

確かに自分たちは「対人関係」からは容易に逃れられないようである。

そこで本当の休息について考える。

サバティカル」というのは元々は欧米の大学教員の長期休暇制度で、あまり日本では馴染みのないものだけれど長ければ2年ほども取るらしい。

自分は社会人になってから「単なる長めの休暇」ではない、さらには一ヶ月とかでもない、もっと自由な「将来の時間」を一度もイメージしたことはなかった。

たとえ転職するとは言ってもどこかで働くことが前提なので「前途が全く空白の時間」というのはなかなか作り出せないものではないだろうか。

昨年、これまでの仕事が一段落したので「とにかく次の作業をこなす」ということを止めて60歳を機に本当にやりたいことを考えてみている。

(つづく)

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