吉村昭の『月下美人』と賀沢昇
吉村昭の「月下美人」は、同題の短篇集(1983)に入った長めの短編で、80年の『群像』に発表されたものだ。これは『逃亡』(1974)のモデルとなった賀沢昇(1925-?)という元逃亡兵と吉村とのかかわりを描いたもので、小説についての私小説である。菊池寛も、兵隊から与えられた材料で書いた「灰色の檻」を発表したあとで、その兵隊の正体がばれて困ったと言われた経緯を描いた小説がある。
賀沢昇は、1979年に小池喜孝という元三笠書房で『赤毛のアン』の翻訳を刊行した人の執筆で、自分で『雪の墓標』という記録を出しており、「月下美人」はこれが刊行された際の祝賀会から吉村が自宅に帰って、月下美人が咲いているのを見るというところで終わっている。だが、問題はなぜこの「月下美人」を発表したのか、賀沢から許可を得たのかということで、賀沢はそもそも当初から、誰にも話していなかったことを吉村に話し、一度は、発表をやめてくれと言い、翌日撤回したりと、感情の起伏の激しい人物だ。「月下美人」には、そういう面倒な人物としての賀沢も描かれており、よく発表できたなと思ったものだ。最初に考えたのは、賀沢が死んだのではないかということだったが、国会図書館には入っていないようだが、賀沢は1988年に『続・雪の墓標』を自分で書いて出しているらしいから、それはなかろう。もっともこの『続・雪の墓標』のほうにそのことが書いてあるかもしれない。
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