M1
M1を見る。最近はテレビを全く見ないのでM1くらいしかテレビの前に座らないのだけど、見逃しても動画で見れたりする。それでも生で見るのは全然違うね、生番組自体、珍しいよね。生のよさがあって後で見るのと緊張感が全然違う。M1の緊張が凄いのは生中継のカメラの数も関係してると思う。審査員のひとりひとりにもカメラが向いてるし、司会者にも向いてる、それを漫才中にもスイッチングして挟んでくる。野球で日本シリーズになると中継カメラの数が多い、守備の9人分のカメラがあるし、ベンチも客席も何もかもペナントレースより多い。カメラの数が多いと色んな角度からアクションリアクションを撮れるので、ドラマチックになる。日本シリーズ、野球というスポーツが映画のようにドラマチックになる。漫才というものがドラマチックになる。だから緊張感が出る。まあ、いらんとも言えるが。そんなに盛り上げなくてもとも思うが。今年は面白かった。過去を振り返ると過去の名作が蘇るため、12年分が襲いかかってくる為、今年は、と弱めに考えがちである。過去の最高傑作と比べがちである。チュートリアルやサンドイッチマンあたりと比べがちである。でも平均的には一番面白かった気がする。よく言う言葉に「なんとかの二本目が見たかった」がある。ミスター二本目が見たかったはポイズンガールズバンドである。今年はジャルジャルの二本目が見たかった。いやほとんどの二本目が見たかった。どちらかと言えばミキの二本目はいらんかったけど。カマイタチはもっと面白いネタがあると思うけどね。このネタは見た事があるから新ネタで勝負して欲しいと言う人がいるが、見た事があるネタでもM1の決勝でもう一度見たいと思う。絶対面白くなってるから。それはカメラの所為でドラマチックになったりしてるからもあるし、M1用にブラッシュアップしてくるからでもある。むしろ一度見たネタがどれだけ変わるのか見たい。とろサーモンなんかそれである。普段の2倍は面白く感じた。昔のスカシ漫才もM1テイストで見たいぞ。ジャルジャルはあれだけのことでピンポンパンだけであれだけ笑わすのが凄いと思う。しかし好き嫌いは別れる。漫才も芝居も、庶民の日常に食い込んで来るものが好まれたりする。普段の生活のちょっとした疑問や味わいを笑いに転じてくれるのが好まれたりする。そう考えるとジャルジャルのネタは若造のネタみたいなのが多い、でもそんなの関係ないやろ!と思う。くどいのも嫌われたりもする、ジャルジャルは合理的にネタを作ってる。例えばピンポンパンポンピン、一個多いやろを二回繰り返してから三回目でつられて一個多いやろと後藤が言うと多ないやろちゃんと聞いといて、と福徳が言う、つられる為に二回繰り返している、それが一回多いと私は思う。例えば後藤のアクセントが変なネタがある、その変さをハッキリさせるため、最初に後藤です福徳ですと自己紹介する。それがいらないと私は思う。笑いの為に伏線を張るのが真面目すぎる気がするのである。後藤という名字は多いし、分かると思う。全部が全部計算してネタが作られているためである。誰かがここちょっとくどいとか言ってやればいいような気がする。上沼恵美子にほんまに怒ってる人がいる。渡辺の俺?に対しての私に聞かんといてである。被せてるのである。その続きも結局笑いの為の罵倒である。結局ラブリーが美味しくなったとかかんとかよりも、笑わせようとしているのである。審査員は笑わせなくてもいいという人もいるが、私は笑わせて欲しいし、ふざけて欲しいし、毒をまぶせて欲しいと思う。大昔はもっと審査員が真面目でつまらなかったよね。審査員は皆凄い人だと思う。老害なんかとんでもない、小朝師匠なんか天才ですよ!巨人師匠も天才ですよ!漫才の中にはしゃべくり漫才とコント漫才とがある。まあ他にも歌漫才とか色々ある。漫才はコントと違うからしゃべくりの方が評価が高いと言う人がいる。それは違うと思う。私は何でもいいと思う。バーリートゥードゥだと思う。昔の漫才師がしゃべってる処からちょっとやってみよかと言ってその人になりきってコントっぽくやりだしたのがコント漫才である。マラドーナのような一人がひとり芝居をしてもう一人が解説をするのもありだし、和牛のように四人になったりするネタを持ってるコンビもいる、何でもありだとほんと思う。面白ければいいのである。順番が左右されと言う。トップバッターが損だと、それの対策を今回やったと。でも昔キングオブコントで天竺鼠の川原が「そんなん言うてもしょうがないですからねー」と言い放った。めちゃくちゃオットコマエやった。誰かがトップバッターなんだからしょうがないじゃない。ほんとうに面白ければ勝てると思う。むしろトップで勝って欲しいと思う。